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いよいよ年の瀬も押し詰まり皆様にはこの1年どのようにお過ごしなされましたでしょうか・・・?何かと人間性の問われる事件の多かったこの1年でありましたが、人間そして動物である以上致し方の無い世情ではありました。古代より人間の存在そのものが善であるのか悪であるのかなどと賢き人々は考え苦しみ懊悩してきたようですが、最早、現代に至っては考察するに値わない程に人間は堕落してしまったようです。誰が考えても当り前(道理)と思える発言を正論と言いますが、今日正論などと言うものは公衆電話のように役に立たない物として何処かへ追いやられてしまったようです。兎に角ずる賢く立ち回って、人の弱みに付け込んで、人心の隙を伺いながら成り上がり、果ては人心を欺き、嘘の公約ばかりを並べ立て庶民生活を台無しにする輩ばかりが闊歩する世の中となってしまいました。人間は考える葦であるなどと古の哲学者は申しておりますが、この国に今や哲学などというものは遺物となってしまったようです。言葉も学ばず、デジタルな算数ばかりを学ぶ事が果たしてアイデンテティなどと言う高尚な自我を確立する上で何の役に立つと言うのでしょうか・・・?人間は、生身だからこそ、神にもなれば仏にもなり、またある時には動物にも獣にもなる、という混沌とした矛盾を抱えているからこそ面白いのであり、零か一かと言うような平面で表される程単純な生き物ではないのである。時代が進み、市民生活も豊かになった今、それでも大多数の原則を守り貫こうとする、これは大きな間違いである。人間は個性豊かな生き物であり、誰一人として同じという事は有り得ないのである。一人一人の事情を聞いていたら膨大な手間と費用が掛かるから十把一絡げで対処すると言うのは国家権力の横暴ではないのか・・・?生活が豊かになり、時間やゆとりが出来、ゆったりとした人生を送るために犠牲にしてきた人生は一体何だったのか、それこそ、延び放題の雑草を掃討し必要な作物に万遍なく水や肥料や光が行き渡るようにしていく事こそ本来の目的だったのではないのか・・・・?そろそろゆとりある生活とはどんなものなのか真剣に考えてみませんか・・・!!!
2006.12.20
通勤途中いつもラジオを聴きながら運転にのみ気合を入れて喚き散らしながら出社するのが、ブッダのスタイルである。運転中に新聞を読んだり本を読んだりメールをしたりテレビを見たりと走る凶器を舐めきっている人間をみるとついつい頭に血が上るブッダさんである。今朝のことである、定番のオハヨーパーソナリティ道上洋三ですを聞きながら不覚にも涙をこぼしてしまったのです。知的障害を持って生まれたという女性が自分のために夫婦二人っきりで食事にも行けなかったという両親にABCの主催する視聴者招待のパーティに自分はショートステイで施設に行くから何とか招待して欲しいというものでした。何言ってやがるんてぇべらぼうめぇの世界ですよね・・・!?投書だから本人の顔や現実は見えないけれど、真実であるならば、そんな事の言える人が知的障害者と言えるのだろうか、いやいや決してあなたはそこいらの野獣のような健常者に比べればよっぽど知的な人ですよと言ってあげたい。人間とは、自分だけの世界の出来事に感激したり興奮するのではなく、よその世界の出来事でも充分感激に打ち震えるものです。ブッダもいよいよ年を重ね、ただでさえ涙もろいのが、毎日何かで涙を流さなければならないようになって来ました。もうろくだけはしないよう益々舌鋒は鋭くして行きたいものです・・・。
2006.12.08
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