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最近ブログサイトを見ていてつくづく思う事がある。楽天さんも商売だから仕方ない部分もあるのだろうが、これ位ポリシーのかけらも無いサイトもどうかと思う。何かと言えば、小遣い稼ぎか、銭儲けのブログばかりで、ほとほと厭になってしまう。そんな中で、平和や戦争や今後あるべき日本の未来像に語ったブログも見かけるので一石を投じてみようと思う。何にしても、何れ日本は食糧危機を向かえ、現在のような飽食などと言える時代が遠からず消滅してしまうだろう。その時日本は、どうする、食糧自給率が飛躍的に上がる見込みも無い中で、国内で食糧の奪い合いをするか、国外に調達の道(即ち侵略)を求めるか、さあ皆さん恐らくパープーなあなた方はそんな時代など来るはずが無いと、考える事さえ無いだろうけれども、座して死を待つか、争って戦って生きる道を選ぶか答えてみて下さい。分かち合って、今の10分の1の食べ物で命を繋ぎ、何も欲しがらず、コンクリートの覆いを剥ぎ取って、緑の大地を取り戻し、田畑を耕し牛を飼い、食物育てて日々の暮らしを一からやり直す、そんな気持ちになった時、支えあう人の字の意味が始めて分かるだろう。平和とは、望まぬ心に宿るもの。戦争とは欲しがる心に宿るもの。
2006.08.30
先日、黒柳朝さんの訃報記事が新聞の隅に載っていた。言わずと知れた、かの黒柳徹子さんのお母上様であり、かの有名なちょっちゃんである。誠に申し訳ないが、女史のお書きになった<ちょっちゃんが行く>とか、徹子さんの著書<窓際のトットちゃん>も未だ拝読した事が無い。私が、朝さんを知ったのは、ごく最近の事で、女史がワールドビジョンジャパンの親善大使をなさっている事を知り、このNPO法人の主催するチャイルドスポンサーに参加するきっかけになった時の事である。日本人というのは、ボランティアというよりは、施しをする事の好きな民族であるが、その割には、自分が汗をかいてボランティアをやろうとする人は少ないようだ。そして、その罪滅ぼしのために、募金などの施しに参加しようとするのだが、これまた猜疑心の塊のようになって(寄付と称して金品を騙し取る輩が多いことも事実なのだが)なかなか踏み切れないでいる人の何と多い事か・・・!?そうすると、私のように、感覚的に何か信頼するに足りる人が拘っている団体というのを探し出して来て、参加してみたり、安心感を持ったり、懺悔の気持ちを癒したりするのである。そんな訳で、ボランティア活動をする気力も、余裕もない私は、ちょっとでも有効な支援活動をする団体を探していたのだが、たまたまワールドビジョンのサイトを見つけ色々調べてみると、大筋の部分で賛同出来たため参加する事にしたのである。私は、クリスチャンでもないし、出来れば、宗教色の強い団体とは一線を画したいと思っている人間であるが、何もしない出来ない人間が、唯、黙って指を咥えて見ている事の怠慢さに比べれば、現地で危険と隣り合わせで懸命に汗を流して、使命感に情熱を燃やして活動している人々に多少なりとも協力できればという思いで参加を決めたのである。そんな中に、黒柳さんのお名前を見つけ、敬愛し得る、明治・大正生まれの強き女性を見出し、何時までもこういう人々が、現代の病む日本人を指導していって頂ければと、その健康で健やかな長寿を願っていた矢先の出来事であった。心から、力なき小市民の応援団の一人として、哀悼の意を表したいと思う。
2006.08.30
私のブログは青臭くて退屈でしょうから、たまに道草しながら歩いて行こうと思います。何、道草も退屈じゃと、これはもう我慢して付き合ってもらう他仕方あるまいのうしつこく書かせて貰います。クリント・イースト・ウッチーの由来について。クリント・イーストウッドファンならお察しの事と存知ますが、彼氏の生まれは遡る事76年前1930年5月31日/昭和5年5月31日であります。然るに、小生は半世紀を遡ります事51年前の1955年5月31日の産にござりまする。その間ちょうど四半世紀25年の年の差でありまするが、それが何だ、どうしたと言われましても、唯それだけの事でござるによって、縁もゆかりも無いイタリア系アメリカ人に殊更の関係など一切ないのでありまする。ただ、彼氏が映画デビューしたかのセルジオ・レオーネ監督作品<荒野の用心棒>マカロニウエスタン版用心棒、及び<夕陽のガンマン>の頃から大ファンとなり、ダーティ・ハリーでは憧れの人となってしまったため、ついつい名前を拝借した次第となり申した。彼の映画監督としての名声も、私にはどうでもいいことなのですが、映画も長い事観に行っていないので、今度の彼の作品<硫黄島からの手紙>は是非見に行きたいと思っている今日この頃です。
2006.08.28
最近では、大学生の姿もすっかり変わってしまい、子供のお遊びよろしく、自分の周りの小さな世界で大したお勉強もせずにグータラな生活を送っている。もちろん、何時の時代にも、ちゃんと真面目にお勉強をしている人はいるものなのだが・・・。1960年代から1970年代にかけての大学は、或る意味大学の過渡期とも言うべき時代であった。つまり、1960年あたりから大学生になった人々は戦中、戦後に生まれた人々で、しかも最近特に話題になっている団塊の世代の人々が殆どである。団塊の世代とは、1947年~1949年頃に生まれた人々、或いは1956年頃迄に生まれた人々を言う場合もあるそうだが、1955年生まれの私の実体験上では1950年頃迄に生まれた人々を指すのが適当だと思う。なぜなら、既に我々の世代では、子供の数が減り始めており、肝心な戦後の名残が消え失せかけていたのだから・・・???所謂、戦後世代は戦争の爪跡の残る、非常に貧しい時代を子供ながらに経験し、戦争のもたらす悲惨さを否応無く受け入れずにはいられなかったのである。何もかにもが焼き尽くされ、ゼロどころか、全てに於いてマイナスからの出発を強いられ、我慢と辛抱の連続で成人した人々にとって、昭和30年代からの高度経済成長によって芽生え始めた社会構造の矛盾が、特にインテリゲンチャにとっては許し難いものに思えたのだと思う。その頃から、徐々に貧富の差は拡大され、富むものと貧しい者の境界線のようなものが生まれ、結局は、再び戦前の身分階級社会に後戻りする社会の流れを予感したこの世代の人々は、必死になって闘争せざるを得ない状況に追いやられたのである。前回述べたように、この頃の人々が特にロシア文学やマルクス・エンゲルス、マルクス・レーニン主義に傾注して言ったのも、ロシア革命前夜と戦後日本の復興時代とが重って見えたからかも知れない。ロシア革命の最も重要な命題は農奴制の廃止である。戦前の日本がそうであったように、戦前の日本は一部の財閥と地方の有力な富農(地主)達によって国民の大部分が牛耳られて(支配されて)いた時代であった。日本は、大戦によって一応は開放されたかに見えたのだが、合衆国の占領政策によって、日本の共産化が妨げられ、レッドパージ(共産党弾圧)までが繰り広げられて、結局は見せかけの財閥解体、農地解放が行われる事で、国民(ロシア風に言えば、頑迷な農民)の目を見事に欺いたのである。しかしながら、これらの事は、貧しい階級の人々が教育を受けられる時代が来た事によって、それらの階級からも日本の進むべき方向に疑問を感ずる階層の人々が生まれ、もともとは富裕階級に属して、それらの事に疑問を感じていた人々と結びついて全国的な闘争へと発展して行ったのである。結局、今の学生と昔の学生の何が違うのかと言えば、使命感と言って良いものなのかも知れない。昔の学生も良くグータラと批判されていた、しかしながら、唯漠然とグータラ生活を送っていたのではなく、彼らにとっては一種の反抗であり、その裏では猛烈な自分形成の葛藤を繰り返し、勉強も生半可なものでは無かったのである。今の学生にインテリゲンチャというものを感じられますか、日本の事を聞かれてもろくすっぽ自分の国について語れない学生が世界に通じると思いますか・・・?何もかにも親がかりで、親がいなけりゃ何も出来ず、己の失敗、粗相は全て親に押し付けて、昔の学生は、脛は齧ったけれど如何に早く親から独立するかばかりを考えて生きていたような気がするけれど、私の独りよがりだろうか・・・???つづく
2006.08.28
【書道研究会の頃】の連載を始めてみて、忘れかけていた事が次々と思い出されて、ちょっと寄り道をしてみたくなった。よくよく考えてみると、私が島根の田舎から何で無理やり都会に出て行きたくなったのかの答えが薄ぼんやりと見えてきたのである。中学2年の10月に1ヶ月の入院生活を余儀なくされ、その事が私からその間の学校生活の記憶を奪う事となった。 授業でしか勉強と言うものをしなかった私は学習障害者となってしまい、未だにその一ヶ月間の学習内容が途切れたままである。それまでは、高校受験も、その上の地元の大学の入学試験さえ、このまま流れに乗っていけば楽勝だと思っていた。ところがである、入院生活を終え、教室に戻って見ると、今まで聞いたことも見たこともない事を先生が喋っているのである。中学2年を終えるまで、私の苦悩は続いたのであるが、3年になると一から仕切り直し的な授業になる中学のシステムは私をして大きな勘違いをさせてしまうことになる。なぜなら、無事高校に進学し、いざ高校の授業を受けた時、そんな事習ってないよと言えるものが次々出てくるのである。高校は中学で一通り習った事を基に授業が成り立っているので、最も重要なものに近い部分が欠落して、ぽっかりと大きな穴の空いた私のオツムは、当たり前の事として質問してくる教師の言っていることさえ理解出来ずパニックに陥るのであった。そんな高校生活を送る内、生来の屁理屈言いの私の心はどんどんエスカレートして行った。元々目立つのが嫌い(苦手)な私は、普段はごくごく大人しい目立たない生徒を演じていた。努力という言葉が大嫌いな私は、部活もそこそこに帰宅部に徹していた。だから帰宅部でありながら勉強もろくすっぽするわけでもなく、ただひたすらテレビっ子に徹していたのである。心のよりどころと言えば、社会が安保闘争や大学改革の問題で学生紛争、労働争議など騒然とする中、この田舎町では、そんなことのかけらさえ感じられず、高校生の中でもそんな事が話題に上る事が無かったため、多少そんなことについて知っている事が優越感を抱かせているという事にあった。こんな、陸の孤島にいたら人間が駄目になってしまうとでも思っていたに相違ないと、今にして思えば可笑しくなって来るのである。
2006.08.25
その頃はまだ、学生運動華やかなりし頃の人々が残っていて、下宿の下駄箱の上には最早時代の遺物と化した色違いのヘルメットが無造作に置かれていた。その中に中山さんという工学部計測工学科の六年も在籍している石川県金沢泉ヶ丘高校から来ていた先輩がいた。金沢の人なら解るだろうが、泉ヶ丘と言えば有数の進学校で、ご多分に漏れず中山さんももともと東大受験を目指していた人で、たまたま東大紛争のあった年が受験の年と重なったため入試が行われず、教師の勧めで京大を受験するはずが、友人が神大を受験すると言うので一緒に受けたのだということであった。この時代には、結構このような人が多かったのではないだろうか、動機は何にせよ、大学そのものに疑問を感じ、大学そのものに過大な期待を持ってもいなかったため、自分の適性など考える術もなく、理数系に優れた人は、理工系に進学するのが常識化されていた時代でもあった。中山さんは、酒が好きで、夕方になると昔の友人とよく西灘のゴーリキーの小説の題名から採ったと思われるどん底という居酒屋に入り浸っていた。今でこそ聞かなくなってしまったが、その頃はまだマルクス・エンゲルス全盛の時代だったからマルクス・レーニン主義を貫くソビエト連邦関連、所謂ロシアの小説を読む学生は本当に多かったため、ロシア発の思想については随分くんとうを受けたものである。つづく
2006.08.25
1975年4月、神戸大学経営学部第二課程経営学科に入学した私は、当分の間、劣等感となんとも言えない寂寥感に苛まれ、日々悶々とした生活を送っていた。新入生歓迎コンパでは、飲めない酒を先輩に唆されて、飲み比べよろしくビールと日本酒を交互にあおったものだから、あっと言う間にダウンしてしまい、学生会館のベンチソファーに横たわる事になった。目覚めると、私の横には女子学生らしき美女が、自分のパートナーをいたわりながら、私にも大丈夫ですかと声をかけてくれた、と、その瞬間一挙に気持ち悪い嘔吐感がこみ上げ、目の前にあった大きな丸型の小石が敷き詰められた灰皿にゲロしてしまっていた。情けないやら、恥ずかしいやら、それよりも苦しくて、気持ち悪くてどうしようもなくやるせなかった想いが今でも心に残っている。私の酔っ払った重い身体を支えながら、六甲中腹の下宿まで運んでくれた友人と先輩には心から感謝すると共に二度と酒でこんな想いはすまいと心に誓い、それ以後飲めない酒を浴びるほど飲んだ事はない。そんなこんなの生活の中、だんだん下宿にも慣れ、同宿の人々(殆どが先輩達であった)とも打ち解け、互いの部屋で一晩中語り明かしたのも数知れない。つづく
2006.08.25
六甲の中腹下宿の窓から下界を見下ろす湾岸の工場は今日も煙を吐き出し対岸を霞ませる吹き渡る風はもはや初秋の冷気を帯びる背後に迫る山々は僅かに衣替えを始める山田の稲穂の黄金色に波打つ景色が恋しくなる西神戸に秋を探しに行く1978年晩秋
2006.08.25
私は、1955年に島根県のとある田舎町に生まれ、19の歳迄住んでいた。出雲は神話の国、ヤマタノオロチ伝説の残る斐伊川の上流は、この国が中国とも浅からぬ因縁を持つかのように雲南地方と呼ばれ、近年、大原郡、飯石郡、仁多郡の三郡が合併して雲南市となった。どういうわけか、昔から雲南地方と一纏めに呼ばれる地域にしては、三郡とも余り仲が良いとは言えないこだわりがあったように思う。常に何かと競争し、狭い地域であそこにだけには負けたくないと言うような縄張り意識とでも言うような物があったのは事実である。斐伊川の向こう岸とこちらとで、子供の頃は石を投げ合った事もある。そんな田舎もすっかり過疎化が進み、人の数も随分減ったにも拘らず町並みは都会並みに整備されて、昔の面影がどんどん消えてしまっている。既に我が母校も統合されたり、複式学級として辛うじて残っているような有様で、一体この地域も将来どうなってしまうことやらと心配している。都会に出たきり帰ろうともしない人間の言うことではないかもしれないが、何時まで経っても私の心の中は島根県人そのものである。故郷は遠きにあって思うものと言った人があるけれども、遠くから見るからあれこれ見えてしまう物があるのも確かである。故郷に残る我が同輩達よ、人の多さで国の力が決まりはしない、少数精鋭で地方の力を示した例のどれほど多い事か、是非島根県の、いや、出雲人の底力を見せて欲しいものである。
2006.08.24
【Buddaが走る】 人間は楽しく生きなければならないのかと言う命題について考察してみようと思う。 小乗仏教では、宗教を信仰の対象として人に押し付けない代わりに、宗教家として哲学の道を選んだ者は厳しい戒律で身を縛られこれでもかと言う位の試練を課される。 そこには、欲も得も存在しないと思われている。 然しながら、人間が唯生きていると言うこと自体が生命を維持するという欲求に基づくものであるとするならば、仏教の希求する無欲無我の境地とは求めて、なお、在らざるものになるのではなかろうか。 人間は雑念だらけの生き物である。 然しながら、雑念こそが人間をして積極的に動作しうる原動力となっているのも否定出来ない事実である。 もしかして、並みの人間には耐えられない程の修行に耐え、生涯を修行の道に生きることの出来る人とは強烈な雑念の持ち主ではないかと穿ってしまう。
2006.08.24
生きているだけで争い汚し壊すなら 生きて生まれることこそ罪なのか 何も望まず、何も求めず、何も欲しがらず ただ生きているだけで、人は破壊をし続ける 生きることが何なのか一度よくよく考えよう 道端に咲く、名前も知らぬ花でさえ 踏まれ、潰され、裂かれても生きてる限り咲きつづけ 明日に命を伝えてくそんな儚い命さえこの世に生きねばならぬのかつらい定めの生き地獄
2006.08.24
余りにも仕事付け・・・?仕事以外の事に興味を持たなかったため、精神的にダメージを受ける羽目に陥り、一年半程前から硬式テニスのサークルに通い始めた。昔取った杵柄よろしく(実際は軟式?今はソフトテニスしかやってはいなかったのだが・・・)最初の日からぶんぶんラケットを振り回していたら身体が付いてこなくて死ぬかと思う位きつかった事を思い出す。小学生の時から野球に嵌り、野球部が無くて始めた中学でのバスケットボール(卒業するまでいやでいやで仕方なかった)は、レギュラーで試合に出ていてもなお好きにはなれなかった。身体が良ければ、高校では絶対野球をと思っていたのだが、体格も並で、腰に爆弾を抱えていた私は、差しさわりの無い軟式テニスなどと言う馴染みの無いスポーツを選択してしまった。これもまた、選択ミスもいいとこで、二年の夏休み中に退部してしまった。話が横道に逸れたが、つまりそこそこ出来るようになると、途端に興味を無くしてしまう性格と、トップに立ってやろうなどという野心もない私には、日々の練習がただ苦痛で仕方なかったのである。そんな中途半端な出来る心が、教室などという、日々退屈な練習に終始する場の中で造反の頭を持ち上げて行くのであった。おばちゃんばかりのスクールの中で、たまに中学生の男の子が混じったりすると、彼らも50おやじに対抗心が沸くのか、全力で向かって来るので、その時は我が闘争心に火が点火されて、かかって来なさいというわくわくした気分になれるのである。近頃の中学生は、随分アメリカナイズドされているのか、結構むちゃくちゃ(基本も出来ていないのに好きなように打ってくる)なので、コーチも注意したりするのだが、一向に直る兆しがない。そんな子達は欠点だらけなので、どれだけ力を入れて打って来たって、老獪なテクニシャンには通用しないのである。まだまだ、中学生如きには負けないぞと自画自賛するひと時である。ただし、本格的にやっている中学生諸君には、この限りではない事を断って置きます・・・!!!
2006.08.24
現在、核爆弾を所有している国はどれくらいあるかご存知だろうか・・・?現在保有宣言している国は、アメリカ合衆国、ロシア、中国、イギリス、フランス、インド、パキスタンそして限りなく保有している疑いが強いのがイスラエルである。考えたら、核の保有国は限られた数カ国であり、大多数の国が核を保有していないのである。しかしながら、日本をはじめとする多くの国で、原子力発電を行っているのも事実であり、これが核爆弾開発に転用されない保障は何処にも無いのである。日本でも核についての研究は、今この時にも進められており、日本の技術力を持ってすれば、核爆弾の製造などわけの無い事だと思われる。政治の裏側とは、極めて薄汚れた世界であり、市民の知らぬ間にややこしい話は進んでおり、気が付いた時には済崩し的に悪事が罷り通る事となるのである。唯一の被爆国である日本が、声を大にして核批判をしないのは、いずれ核保有国となるのを見越した話として捉えるのも、まんざら間違った見方では無いと思われる。恐らく原子力の火が今後消え去る事は無いであろう。しかしながら、原子力の火が燃えている限り核の恐怖は付き纏って行くであろう。人の声がどうあれ現実は、刻一刻と人類の滅亡に向かって突き進んでいるのである。人類の良心が問われる時、あなたはどのような答えを導き出すのだろうか・・・???このまま無関心を装っていると、その内大変なことに・な・り・ま・す・よ・・・・!!!!
2006.08.24
ブログって何で始めたのか最近少々失敗したなと思っている。やたらめったら銭稼ぎの広告だらけの世界に迷い込んだようでうんざりである。やっぱり、日本には物事を真剣に考える風土が消えてしまったようだ・・・!!パープリンばかり相手にしているとこっちもおかしくなってしまうのでいい加減にしておかなければならない。何かといえば、自分の都合の良い事ばかり宣伝したがる日本人に辟易している。日本人ってもう充分得るものは得たのではないのと思うのだが・・・。相変わらず、悪い事を上手に立ち回る奴がお金も権力も持ってしまう世の中だから、何時まで経っても底辺の馬鹿達はまんまとだまされ続けるばかりで、どんな悪事も罷り通ってしまう。一体、侍は何処へ行ってしまったのだ・・・?゛武士は食わねど高楊枝"という言葉も今では虚しく聞こえるばかりである。何でもかんでもお金さえ手に入れれば良いという風潮は如何なものどすやろ・・・?結局は自分の首を絞めることになるのと違いますやろか・・・?正々堂々と自分の正体を明かさずにあれやこれやと騙しを仕掛けるようなブログやったらなくなってしもたらええのんと違いますやろか・・・?楽天さんももうちょっと真剣に出来るブログのシステムというのを考えて欲しおすなぁ~。
2006.08.23
小泉総理の任期も後わずか、いよいよ総裁選も現実味を帯びて来た。数の力からして安倍晋三官房長官の優位は揺るぎそうも無い。このマザコン官房長官の今一番の売りが憲法改正である。いよいよ自衛隊の殺戮部隊化に向けて日本も本腰を入れて行くことになる。当然のことながら、世界の平均的軍事国家に肩を並べて行こうとするのであるから、徴兵制も避けては通れない事になる。日本の青年諸氏には、待ちに待った軍事教練が解禁になり、誠に喜ばしい限りである。単に人を殺してみたいなどと平気で仰る現代の若者にとって、大義名分を持って堂々と人殺しの出来る場所に行けるのだから、人を殺す訓練をしっかり受けて出兵して頂きたいものである。今や、親も平気で子供を殺し、子供とて平気で親を殺せる時代である。これだけ人と人の絆が薄くなっている時代だからこそ、憲法改憲によって自分の生んだ子供達に戦争の素晴らしさを教え、お国のためにより多くの人を殺し、他国を侵略し領土拡大及び本土防衛のため見事に命を散らすため戦地に送り出すのは誠に理に適った事かもしれない。自民党も公明党も民主党も改憲には大賛成のようだから、きっと、国民の大半が政治に無関心のこの時こそさっさと改憲し、誰も平和憲法など望まず、平和国家など望んでいないのに欺瞞に満ちた平和主義を唱えるなら、他国に誤解をされないためにも現憲法は改憲されるのが、当然の事だと思うのである。きっと、大した抵抗も無く、仮に少数派の反対闘争があったとしても大勢は憲法改憲に傾いているのだから、改憲の是非を問う事も無く憲法改憲という事になるだろう。今こそ再び、第二次大東亜国家建設に向けて、国家総動員体制で中国、韓国を始めとするアジアを日本の軍事体制強化によりアメリカ合衆国と共に征服すべく、戦闘態勢を整えるべき時が近付いて来ている。もうちょっとの辛抱です。日本の若者達よ思う存分殺戮を楽しむその日が来るのは、その時まで、牙を磨いて待っていたまえ、きっと、政権は君達の思うように君達を殺戮の荒野へ送り出してくれるであろうから・・・・!!!その時は、前大戦の時のように、弱音を吐かず、大日本帝国のために、命を惜しまず、最後まで人を殺し、敢闘してくれ給え。幸運を祈る・・・。
2006.08.23
先日、あるテレビ番組で人間の体臭について専門に研究しているお医者さんが、最近何かと批判の多いおやじの持つ加齢臭という奴についてお話をなさっていた。その時、私も同意見なのだが、体臭は世の中のどんな生物も固有に持っているものであり、却ってそれを失う事によって、生存が難しくなる位大切なものなんだと・・・。特に人間が臭いに関して、その臭いが自分にとって好ましい物であるか、無いかは生後3才~4才位の時に決定するとの事であった。赤ちゃんの時に父親に良く抱かれて育った子供は、思春期に、特におやじの臭いが不快に感じる事は無いとのことであったが、私はちょっとだけ違うように思っている。それは、むしろ幼少時におじいちゃんに可愛がられ、おじいちゃんの、所謂加齢臭を全身に浴びて育った子供はその臭いが心地良いものに感じられ、何時までもおじいちゃんと一緒に寝たがったりするものである。それは大人になってさえも持続すると言って良いものだと思う。そんな家族のスキンシップが失われつつある現代に於いては、昔のようにおじいちゃんやおばあちゃんの持っている何とも言えない懐かしい臭いを心に留めている人が少なくなって来ている。祖父母の暖かくも厳しい躾によって、甘える事、責任感、優しさなど、凡そ人が持つべき感性を育んで行った時代には、おやじの加齢臭がこれほどまでに槍玉に上がる事など無かった事である。正直臭覚が極めて敏感な私などは、確かに自分を含めて人の持つ臭いが気になって仕方ない事がある。しかしながら、現代では、おやじ攻撃の急先鋒たる若い女性達の超強烈な化学臭の方が、むしろ現代の臭気公害の様相を呈していると思うのである。おまけに、最近では、若い男達までもが、訳のわからない、所謂げ~を吐きそうな臭いをぷんぷんさせて、傍に近寄られた日にはぶっ殺してやろうかと思う気にさえなる今日この頃である。若い女性諸氏に声を大にして言いたい。あなた達はそんなに臭いのか、訳のわからない臭いで武装しなければならないほどそんなに臭いのか、それって天に唾するようなものではないのか、よくよく考えてもらいたい。
2006.08.22
国際連合の一番の弱点は、国家の寄せ集まりという事である。国際平和維持軍などと言う、国連が派遣する国際平和維持部隊でさえ、各国の軍隊が寄せ集められたものであり、最も性質の悪い集団である。なぜなら、軍隊はあくまで戦闘を意図した組織であり、攻撃に対する応酬、応戦は得意であろうがどこの国の軍隊も警察力は有していないのである。今、世界的に必要なものは、軍隊ではなく、警察組織である。日本には、自衛隊と称する限りなく違憲に近い軍隊もどきが存在するが、戦後この方、自衛隊が警察を上回る力を発揮した事が無い。銃火器及び軍事的装備の質、量共遥かに凌ぐ自衛隊が決して警察権力を蔑ろにして動いた例も無ければ、常に警察権力によって首根っ子を抑えられているのが現実である。軍隊に軍隊を持ってすれば、いかなる理由があるにせよ、いずれ戦争である。たとえ、それが国連の名の下に集められた組織であっても軍隊は軍隊でしかないのである。世界憲法の下、どこの国家にも帰属せず、国連にのみ帰属する人間によって組織された、警察組織があるならば、どの扮装に対しても、中立公平な立場で、大国、強国の利益に左右される事無く仲裁し、公平な国際法廷の場に於いて裁きを下す事も出来ようというものである。国際法廷が意味を持つ組織足り得るのも、それに付随する警察組織があればこそではないだろうか何事も裏づけ無しの組織など絵に描いた餅に過ぎないわけだから、早急に世界警察の確立を望みたいものである。
2006.08.16
私が高校2年のある日、国語の授業で教師の言い放った言葉である。最近記憶が随分怪しくなって来たので確か中学ではなく高校の時だったと思う。高村光太郎の詩が題材になった授業の時だったように記憶している。何でこんな言葉を唐突に言い放ったか、定かではないが、我々の授業に対する態度を皮肉った時に発せられたのだと思う。昨日は、終戦記念日でテレビでは、小泉大統領の靖国神社参拝問題から、終戦後未だに戦争の傷跡を抱えて生きる人々、或いは戦争のドキュメントを追って戦争の悲惨さや理不尽さを告発する番組が、放送されていた。一般市民であり、尚且つ戦後生まれの私達には、戦争の核心に迫る事柄は何一つ解明されないまま今日に至っている。いつも、メディアが提供する情報は断片的なものばかりで、戦争を全体として訴えるのには限界を感じ得ない。所詮、市民、小市民はいつの時代も切り捨てられ、置き去りにされ、最大の犠牲者になる。支配者、権力者は、とどのつまり、責任放棄するばかりか、そんな中でも尚且つ自分達の身の安全を確保し、利益の追求にまで走るのである。それでも、従順な征服民たち小市民は、怒りもせず(正確には怒りの持って行き場を知らず)泣き寝入りして再び三度同じ目に遭わされるのである。いったい誰が悪いのか、軍国主義、帝国主義時代の大戦前ならいざ知らず、誰もが好きに事を、誰憚ることなく物言える時代に、それでも小市民は、中央集権化した支配政府官僚共に蹂躙され続ける事を甘んじて受け入れるのである。怒りを発し、そんな理不尽なやり方に拳を上げることが、そんなに悪なのか、小市民はよくよく考えて見るべきである。彼らが最も困る事といえば、なんと言っても年貢が徴収出来なくなる事である。彼らを、あれだけ好き勝手に闊歩させている大きな原因は、小市民が苦しみながら尚且つ馬鹿正直に差し出す年貢があるからである。小市民よ、自分で自分の墓穴を掘るのはもうやめにしませんか。一度、日本の支配構造についてじっくり考えて見ませんか。自分たちが、知らずの内にどれだけ、悪事に加担しているかが良く見えてくると思いますよ・・・
2006.08.16
むかしむかしそのむかし小さな川のほとりに大きな花と小さな花が並んで咲いていた大きな花は美しいいつも楽しく唄う花けれども小さな花はたった一人ぼっち恋の日差し浴びて二つの花は春の想いに胸を膨らませるむかしむかしそのむかし小さな川のほとりに大きな花と小さな花が並んで咲いていた大きな花さん聞いとくれたとえ一人ぼっちでもぼくには心の太陽がいつも輝いてる恋の日差し浴びて二つの花は春の想いに胸を膨らませるむかしむかしそのむかし小さな川のほとりに大きな花と小さな花が並んで咲いていたBY Dark Ducks抑止力は全て人間の心の中にある。武器の量や質が均衡していても、いつかは使いたくなるのが人の心持たなければ、無ければ使わないだろうという消極的考え方はもう通用しない有ろうが無かろうが絶対に使わないという人間の心の抑止力が無ければ世界は絶対破滅するどの家にも包丁があるからといって、必ずしもそれが武器にならないのは人間の心の抑止力でもやっぱりあるとつい使ってしまうのも人間の心の抑止力が利かなくなるから人間の心の問題は人間にしか解決出来ない問題そうであるならば、紛争の原因も人間の心の問題心を表す手段は数々あれど話し合い、触れ合えば簡単に解決出来ること支配者よ権力者よ征服者よ一番邪魔なものそれはあなたたちである
2006.08.09
核爆弾が投下されて60年、世界の核は止まる所を知らず野放し状態である。昨今では、日本の核保有について、世界が危機感を募らせている。日本の外交の大失敗がここに来て、力対力の外交へ向かって走り出す危険性を孕んで来た。以前から、私は思っていた。日本が軍備増強の姿勢を見せ掛けで外交の切り札にするのは、悪いことではないと・・・?世界中の食うに困る国が、貧困に喘ぐ人々を切り捨ててまで戦争の道具を強化するのであれば、日本が軍備増強に走る事がどういう事になるか、それがあるから日本は軍隊を持たない平和国家建設のために、平和憲法を制定して今後一切の戦争に関わらないと宣言したのではないかと言うことを徹底的に訴えて行くべきであったはずである。日本がもし核(核爆弾)を持ったなら、世界の中で最も恐ろしい国になると言うことを、世界中に知らしめる必要がある。仮に、この先世界が現在のスピードで進化を続けたなら、食糧危機やエネルギー危機はおろかあらゆる面で摩擦が生じ、力づくでの奪い合いが始まるであろう。そうなると、否応なしに資源貧乏の日本は、その争いの渦に巻き込まれる事になる。世界中が困窮の極みを味わう時にアメリカ合衆国が日米安保のもと日本を徹底支援するだろうか、答えはおそらくノーである。東方の小さき島国のイエローモンキーを、しかも第二次世界大戦で完璧に占領し征服した属国のようなこの国を本気で守ろうなどというつもりはあるはずもないのである。そうなつた時、果たして今の軍国主義に傾きつつある日本政府が黙って指を咥えて平和主義を主張し貫くなど考えるのも馬鹿馬鹿しい現実である。そんな近未来を想定した時、東アジア、東南アジアの国々はきっと70年前の日本の行動を否応なしに思い起こさずには居られないだろう。だからこそ、現在から未来に渡って日本が軍備増強せず平和主義わ貫くために、軍国主義化する事を切り札として、他国の軍備増強に歯止めをかける外交を推進しなくてはならない。然るに小泉を筆頭とする好戦派共は、わざとの如くアジア諸国に喧嘩を売って日本の軍備増強を正当化するのである。オーちんちん
2006.08.09
時たま表題の(アイデンティティ)という言葉が世の中を賑わす事がある。日本人には余りこのことが感じられないと言われる事もしばしばである。世界的に日本人は奥ゆかしく、自分の意見や主張を抑えて、相手の気持ちを慮って出来るだけ和を保とうとする。確かに、自分なりに勉強もし、それ程の知識や教養を身に付けた人がそうであるならば、納得も出来ると言うものであるが、近頃では、江戸時代の真っ只中がそうであったように、常に外敵から身を守らなければならないほどの危険を感ずることなく生活してきた事が、日本という国の存在を声高に主張する必要も無かったために、改めて日本という国そのものを認識しなくなった事が、多くの日本人から日本人とは何ぞやという意識を失わせてしまったのだろう。
2006.08.08
伏魔殿の何のと騒ぎ立てても結局は権力中枢に居座る獅子身中の虫達は、支配し権力を振り翳し弱い者苛めを断行するのである。お助けくだせぇお代官様あぁぁ~。ある日、ふと窓の外を見ると、そこには百台を超える戦車が砲身を一斉に霞ヶ関の官僚共に向けて発射の指示を待っていた。所詮私腹を肥やす算段ばかりしている庶民の公僕である、支配しているつもりでも、主人が要らぬと判断すれば容赦なく打ち捨てられても文句は言えまい。少々どころか、ちとご愛嬌が過ぎたようでございますな、問答無用で一斉速射ビルの残骸と共に砕け散ってしまったようです。この件はそれだけで終わってしまったようでして、特に指導するものがいるわけでもなく、権力中枢を占領使用などと馬鹿な考えを持つ者もなく、することが終わるとさっさと何処かへ消えていったようなのです。これを誠の天誅と言うのでしょうか・・・?その後、権力中枢の館はがらりとその様相を変え、意思決定の指示系統も随分斬新なシステムに構築し直されて、誰も権力の高みに登ろうなどと考える人間は居なくなったようです。権力機構が乱れ、私腹を肥やそうと算盤勘定ばかりする役人が増えるとどこからともなく、戦車部隊が現れて一斉砲火の憂き目に合うらしいのです。これ以後、庶民の暮らしは、公平感が高まり役人に対する認識も様変わりし、役所に行く足取りも軽くなったと言います。役人がまるで何処かの福祉相談所の相談員のように懇切丁寧に指導してくれるものだから、野垂れ死になどとんでもないと地域のプライドも高まって、困った人がいると自ら講釈を垂れるお節介まで現れる始末で少々手厚く成り過ぎたかなと思えるほど人々の顔色が良くなって行ったようです。国会議事堂で居眠りこいて、官僚の言いなりになっている、少々お頭の足らない議員の皆さん、そんな事をしていると明日はとんでもないことに・な・り・ま・す・よ・・・!!!!!!!!!!
2006.08.03
私は今ワールドビジョンのチャイルドスポンサーに参加している。動機はいたって簡単で、本当なら世界の全ての不公平を一遍に取り除きひどい苦難を受ける人々を解放したいところなのだが、例え世界の独裁者となろうともこの事が簡単に解決出来ない問題であるのは重々承知なので、取りあえず、ボランティア団体の内で信用を置ける所を吟味した結果ここにお願いしようとした訳である。決して、ボランティアがしたくてこんな事をしている訳ではなく、力のない自分が、現場へ行く勇気もバイタリティも日本を離れる踏ん切りさえつかない中で、あれこれ人間や政府や日本人の批判ばかりしていても、実際多少の問題はあれ現に活動しているNPOやNGOに比べれば自分の言っている事が虚しく思えてきたからなのです。しがないサラリーマンの自分が、チャイルド一人月4,500円の支援をするというのは、決して楽なことではないのですが、出来ることならもっと何とかしたいと思う我が身の不甲斐なさに日々苛立つ今日この頃です。
2006.08.02
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