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『漱石書簡集』夏目漱石(岩波文庫) 今年来年は2年にわたる「漱石イヤー」ということで、「何を読もうか、そうだ、小説以外の漱石作品は如何」と思いつき、少々読んでいます。 小説家の個人全集を買うと(今は個人全集を買うことも久しくなくなってしまいましたが、昔は何人かの小説家の個人全集を買いました。しかしどれだけ読んだかというと、うーん、……秘密)、たいてい終わりのほうの巻に収録されているのが日記と書簡ですね。 今書いたように私はもはや長く全集本を買わず、つまり全集でまとめて一人の作家の書いた物を集中して全部読むこともなくなってしまったので、そんなことをしていた昔の頃を思い出すしかないのですが、そもそも日記と書簡は、読んでいてどちらがより面白かったんでしょうかね。 例えばそれを小説のスタイルとして考えてみますと、日記体も書簡体と両方ともありますよね。世の中にはけっこういっぱいそんなスタイルの小説があったような気がします。 ふっと思い出すところで例えば太宰治の作品でいえば、さてどちらのスタイルの作品が面白いでしょうか。 今私が太宰を挙げたのは、彼なら日記体も書簡体もどちらもたくさん書いていそうに思ったからです。そこでぱらぱらと全集(「個人全集」!)を出してきて、目に留まったそれぞれの有名どころ作品を挙げてみますと、書簡体小説としては『虚構の春』『パンドラの筺』『トカトントン』など、日記体小説としては『HUMAN LOST』『正義と微笑』などが目に付きました。 あれー? 思ったよりそんなにたくさんあるわけではありませんねー。 しかしぱらぱらと見ていた範囲でも、一人称の小説はいっぱいあります。それらはどういう形式を取っているかとみますと、いわゆる「手記」なんですね。 ……そーかー。「手記」って形式が、確かにありましたよねー。 例えば『人間失格』は、3つの手記を中心に成り立っています。 『斜陽』の中にも、それなりのボリュウムをもって「直治の手記『夕顔日記』」「直治の遺書」(遺書は、たぶん手記でいいんだと思います)などが含まれます。 (えーっと、これは今回のテーマじゃないのでこれ以上の深入りは避けますが、そもそも一人称小説と「手記」は、どこまでが一緒で、どこからが異なるのでしょうかね。きっとその辺をしっかり研究している方もいらっしゃると思いますが、なかなか興味深そうなテーマですよね。また後日考えてみたいと思います。) ということで、あの太宰治ですら(「あの」「ですら」というのはよーするに、太宰治は日記体とか書簡体スタイルで小説をたくさん書いていそうだという、わたくしの浅はかな思いこみの結果だったわけですが)、さほどにはこれらのスタイルを用いなかったことが分かりました。 ではその原因はなんなのか。 少し強引にまとめてみますと、日記や書簡が持つ独特のスタイルは、うまく小説に利用できそうな一方、その様式そのものにやはり煩雑さや不自由さが感じられるからではないか、「手記」の方が本来小説の持つ自由度の高い表現にマッチするのではないか、と。 さらにざっくり言えば、手記はすらすらとそのまま読めて面白いが、日記・書簡はけっこう読むにあたってあれこれ想像力が要求されたり、めんどうじゃないかというわけですね。(さらにもう少ししつこく続けますと、これは結局のところ作品のリアリズムという問題ですね、きっと。) また少し話が飛ぶのですが、漱石作品中一番の書簡体小説は何かを考えてみました。 ……んんー、……『こころ』、でしょうかねー。 ……というか、『こころ』以外に、私は書簡体を用いた漱石作品がすぐには浮かばなかったんですね。そこで、ちょっと調べてみますと、『行人』の最終部に書簡形式の部分が出てきますが、漱石作品ではたぶんこの二つだけです。 さらに『こころ』にしても、小説の後半の半分くらいが一応書簡の形(恐ろしく長い一通の手紙です。本文の「四つ折りに畳まれてあった」という個所を取り上げて、こんな多い紙を四つ折りにはたためないだろうと書いた評論があって私は笑いました。)を取っていることと、かつ、その部分においても書簡としてのリアリズムはほぼ追求されていないというスタイルであります。 というわけで、冒頭の本書も読み終えるのにけっこう時間がかかりました。 いえ、こう書いたところで、今さらながら違和感を覚えることに気がつきました。 実はここまで書いて、私は冒頭の「書簡集」の外堀くらいまで辿り着いたように考えていたのですが、どーも上記のまとめ方と本書を読んでの印象が大きく異なっていることに改めて気がついたというわけです。 この違和感はいったい何なのか。 それは結局、書簡体小説と実際の作家の書簡のありようとの違いということでありましょう。別の角度からもう少し具体的に書くと、我々は書簡集を読む時、本来、書簡体小説を読むほどには面白さを期待しないし要求もしないということではないでしょうか。 ところが今回なぜ私が、書簡集と書簡体小説の有り様を頭の中で混乱させてしまったかと考えますと、それは『漱石書簡集』が、あたかも書簡体小説のごとき面白さを持つ(厳密に言いますと「面白さを持つ部分がある」)ということでありました。 ……さて、その辺をもう少し考えて、次回に続きます。どーも、すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2016.07.25
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『地獄の花』永井荷風(岩波文庫) 「地獄」です。「花」です。……まー、しかし、たいそうなタイトルでありますねー。 でもこの時代、結構こんなたいそうなタイトルの作品が沢山ありました。明治35年前後のことです。 『金色夜叉』なんて有名どころでも、改めて考えてみたらかなりたいそうなタイトルですよね。同じく尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』というのもなかなか頑張っているたいそうさです。 でも一等賞のたいそうなタイトルは、何と言っても広津柳浪の『変目伝』でしょう。「変目伝」ですよ「変目伝」。……もー、わけわかりませぬー。 いえ、実は私はこの小説を読んでいないのですが、タイトルだけに限って言うと、もうちょっと何とかならなかったのかなーという気が大いにします。 というわけで「地獄」ワードに戻りますが、「地獄」という単語で近代日本文学系の記憶といえば、やはり芥川龍之介の『地獄変』でありましょうか。 あれは最愛の娘が焼け死んでいくところを凝視して地獄の業火の炎を描く画家の話ですから、「地獄」のようだと考えて一応タイトルに納得がいきます。しかし、さてこの度の『地獄の花』の「地獄」とは、一体なんでしょうか。 いえ、作品中には、一応、説明らしい表現があります。 自分は富子が云ふ様に、此の世間が云ひ囃す汚い地獄の中に、安心して自分の信ずる道に進む事が出来るやうになつた。以前の如く、単に世間の毀誉のみを慮る結果、強ひて其の行を清くしやうとした様な笑ふ可き事は全く改めて、何等の束縛もなき自由自治の、この楽園の中にあつて、心から満足した美しい生涯を送つて行くであらう。 この個所は、作品のほぼ最終部に出てきます。「自分」というのは、本作のヒロインの園子(『地獄の花』の「花」の部分でしょう)という若い女性ですが、女学校の教師をしており、この時代の女性を巡る純潔道徳に反感を持ちながらも結果的にその中に安住していたのですが、結婚を前提に付き合っていた男性に裏切られ傷心のうちに勤務先の女学校の校長にレイプされてしまいます。 このレイプ事件を巡る本文の説明表現は、こんな風になっています。 園子が長き年月一片の道義によつて堅固に保つた其の操、恋人にさへも許さなかつた操の、遂に終りを告る処は何であつたか。 園子は三畳の居間に倒れた儘、前後も知らぬ程泣入つた。凡ての事は昏々として夢を追ふが如くである。自分が此れ迄折角美しく保つて来た其の労力が、水泡に帰したと云ふ、云はば丁寧に保管した宝物を破はされた時、宝物其の物の惜しさよりは、徒に其の困難であつた保存法の無益だつたのを怒ると同じ様に、今は却つて操と言ふものの価値が如何程のものかと云ふ事は暫く忘れられた様になつて了つた。やがて少し心が静まると泣く事も出来ぬ悲しさは、水の様に冷く心の中に流れて来た。操と云ふものの証明は、其の見えざる心の如何に係らず、唯一途に肉体と云ふものの、如何によつて、直に判断せられるのである。そして肉体上の操は如何に容易く破られて了ふだらう。この破られ易い操の破れた婦人は最う表立つて世に出る資格を失つて了ふのである。社会は何故かくも怪しい厳密な制度を持つて居るのであらう。婦人の生命は肉体であつた。心霊では無かつた。而して、婦人の肉体は如何に汚れ易く果敢ないものであつたろう。 本作は若き日の荷風が、当時の、人間性をゆがめるような女性への純潔道徳のあり方と、舌なめずりをしながら次々と生け贄を探していくような社会正義感覚(具体的には生まれたての新聞が行った市民への甚だしいプライバシーの侵害)に対して、敢然と挑んだ作品であるという評価があるそうですが、上記の2つの引用個所(作中では前後が逆ですが)を読めば、それは違うのではないかという思いが強く湧いてきます。それはアリバイではないのか、と。 荷風が本当に書きたかったのは、谷崎潤一郎の『刺青』ではなかったか、と。 麻酔薬を嗅がされ眠らされている間に背中一面に女郎蜘蛛の入れ墨を彫られた若い娘が、目が醒めると同時に、もう自分は臆病な心をさらりと捨ててしまった、これからはあらゆる男を肥やしにして生きていくと宣言する『刺青』。 仮面をかぶったエゴイスティックな社会正義の「地獄」から、エロスを中心に据えたどろどろのマニアックな「地獄」へ。 そんな耽美主義への「カミング・アウト」こそが、荷風が本当は書きたかったマニフェストではなかったかと思います。 しかし、それにしても、こうして比較してみると、もちろん『地獄の花』と『刺青』とでは書かれた時代にズレがあるとはいえ、谷崎作品の水際だった完成度の高さにほれぼれとします。『刺青』に比べると『地獄の花』の「宣言」のなんと鈍くさいことか。 谷崎の『刺青』を最初に絶賛したのは荷風でしたが(谷崎はそれによって実質的に文壇デビューをします。あたかも漱石が芥川の『鼻』を褒めたことで、芥川のデビューがなったように)、実際の所、これは荷風も絶賛するしかなかったんじゃないかと、私はちょっぴり意地悪に思ってしまうのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2016.07.12
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