近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
2025.07
2025.06
2025.05
2025.04
2025.03
2025.02
全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半男性 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年男性 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期作家
2025.08.23
XML
カテゴリ: 昭和期・新感覚派
『古都』川端康成(新潮文庫)

 少し前に、同作者の『山の音』という小説を、本当に半世紀ぶりくらいに読んだら、すっごく感心しました。改めて、さすがノーベル文学賞と惚れ惚れしたのですが、実は、『山の音』は、その半世紀くらい前に読んだ時も(だから青春真っただ中だった時も)、私は、大層感心したんですね。

 何でそんなことを覚えているかというと(いえ、読んだ本に感心感動した記憶というものは、具体的な内容はほぼ忘れてしまっても、感心感動したことだけは、けっこう覚えているものだという経験則が私にはあるのですが)、大学文学部の卒論を決めるとき、『山の音』にしようか、それとも谷崎潤一郎の『蓼食う虫』にしようかと、迷った記憶があるからであります。

 で、迷った挙句、『蓼食う虫』にしたのは、その時ふっと、谷崎作品のほうが論じやすいんじゃないかと考えたからであります。
 谷崎の小説の展開は、思いのほか理詰め理詰めで、だからうまく補助線を引くことができれば論じやすく、一方、川端作品は、あまりといえばあまりに感覚的ではないかと、今思えば、分かったようなわからないような理屈で、私は卒論を谷崎にしたのでありました。

 でも、今回、これも多分半世紀ぶりくらいに冒頭作品を読んで、やはり川端作品は、天衣無縫、無手勝流だなあという思いを強く持ちました。

 例えば本書は、一読、京都年中行事絵巻か京都名所めぐりのようなお話になっています。
 なぜそうなのか、初出が新聞小説だったからかもしれません。
 私も、そのせいでなんとなく全体に大層「薄味」なんじゃないかな、特にエンディングなどはどこで終えても変わりばえがしないような終え方だなと思いました。

 しかし、この終盤少し頼りないのじゃないかという思いは、読後しばらく思い返してみると、人物、状況に対して見事に折り合いをつけていることに気が付きました。
 なるほど、この形がベストのエンディングなのかと、愚かな私は、そこで初めて驚き感心し、そして、うーん、無手勝流、と独り言ちました。

 本作もそんな一連の川端作品ではありますが、上記の新聞小説ゆえかに少し続けて書くと、やはり他の川端作品に比べて物足りない思いのすることがあります。
 それは、川端作品独自の、あの、エロス、であります。
 「美しい日本のエロス」でありますね。

 見方によっては、陰気くさい日陰の花のような(いかにも湿気の多い日本の気候風土の)エロスともいえそうですが、筆者はこのエロスに対して、割とそのままに正面から正体を明かして取り組んでいる一連の作品(例えば『眠れる美女』や『片腕』)と、何気ない日常生活の中に、突然割れ目のように姿を見せるエロスを描く作品と、二種類あるように思います。

 上述の『山の音』は、後者の代表的な作品で、突然描かれるエロスが本当に唐突な感じの切り込みであるだけに、読者にとても強いインパクトを与えます。
 本作も、形としては『山の音』と同じく後者だと思いますが、そのエロスの切り込みのゾクッとする度合いが、あるいは新聞小説のゆえか、少し弱いように感じました。

 でもそれは、やはり作中にあります。
 具体的に上げれば(前後の詳細は略しますが)、作品後半部の、「竜助」が「千重子」を、うちの前に捨ててくれたらよかったとくり返し言った場面でしょうか。
 そして川端作品のすごいのは、この場面に直結して直後に、突然「芸者」と「太吉郎」の「舌すい」の話がつながっているところであります。

 わたくし、強く思うのですが、このふたつの挿話を理屈の展開ではなくイメージでつなげてしまうところが、いかにも天衣無縫、無手勝流ではありませんか。この緩急の間合いが、川端エロスの真骨頂のような気がします。

 そしてそのあとの描写も、少し地味に控え目に描かれたこの「竜助」の告白を、終盤に向けての展開の重要な転換点であると畳みかけるように説明していき、さらにはエンディングにおいては、アンバランスな愛の不可能性をも象徴しているのではないか、……というのは、少し深読みでありましょうか。

 (深読みといえば、この愛の不可能性は、二人のヒロインが双子であって片方が片方の「ひとがた=人形」であるという設定によっており、それは遠く『源氏物語』「宇治十帖」の影「浮舟ひとかた」説を感じました。さらにそう読めば、かたや京都市街の南の宇治が舞台、かたや京都市街の北の北山が舞台と、謎めいた符牒も感じられるようで……。)

 そんな話でした。
 先日、久しぶりに谷崎潤一郎の小説を再読した時にも思いましたが、やはり、浮世離れしているような本作も、しみじみ読書の楽しさを満喫できるということでは、古典的作品の再読は、もっとしてもいいかなと感じた次第であります。

​​​
 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 
   ​ にほんブログ村 本ブログ 読書日記





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.08.23 16:22:13
コメント(0) | コメントを書く
[昭和期・新感覚派] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Favorite Blog

吉田浩太「スノード… New! シマクマ君さん

やっぱり読書 おい… ばあチャルさん

Comments

analog純文 @ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩 @ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文 @ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…
analog純文 @ Re:漱石は「I love you」をどう訳したのか、それとも、、、(08/25) 今猿人さんへ コメントありがとうございま…

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: