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2025.10.05
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 『戦場のレビヤタン』砂川文次(文芸春秋)

 例えばこんな描写があります。

​Kはここでの生活と、今と、それから過去自分が経験した生活と呼ぶことすらおこがましい記号的消費者としての時間の浪費について、たまに比較することがある。日々何かを買い替えたり、誰かにそれを見せびらかしたり、そうでないときは死ぬほど退屈していたあの過去の生活と、明日生きているかすら分からないほど瘦せこけた子供か青年かもわからぬ男が必死に盗みを働こうと目を爛々と輝かせ、あるいは通りで盗んだ工具箱を、反対側にわたって堂々と売りさばく、工事現場から帰ってきた中年が、家でサッカーを見、夜でも外で遊ぶような彼らの生活は、どちらが人として真っ当なのだろうか。​

 これはもちろん私が典型的だと思った個所を抜き出しているのですが(似たような描写は他にもあるのですが)、どうも私には、この文の文意がよくわからない、いえ、かなり、何というか、私なりに「好意的」に読めば、分からないことはありません。でも、例えば、「今と」「あるいは」などの言葉は本当にいるのだろうか、とか、「中年」に最終的には収束する長い屈折した修辞の部分は、本当にこれがベストの表現なんだろうか、といった思いはぬぐえません。

 作者は、基本的に確信的にこんな文を書いているのでしょうね、多分。
 さらに、このタイトルの小説(この本には二つの小説が入っています)を読み始めてしばらくすると誰でも気が付くのですが、主人公を表す人称の用語が、作品内全般にわたって、ほぼランダム的に複数混在しているんですね。

「K」「おれ」「自分」「俺」

 主だったものは「K」と「おれ」ですが、極端な場合、繋がる二文で二種類の人称用語が用いられていたりします。
 ただ、始めはしばらく戸惑っても、そのうちさほど気にならなくなります。それは、「K」「おれ」と、まるで異なる三人称と一人称であっても、それを受けるあとの文体が明らかに一人称、あるいは主人公に寄り添った三人称の形のもので一貫しているからです。

 では、一体なぜこんな「いたずら」のようなことを筆者はしているのでしょうか。
 今私は「いたずら」と書きましたが、それは私が個人的にこんな「ルール破り」をあまり好まない、まー、保守的な読み手であるからであります。

 冒頭のどうにも読みにくい表現といい、混在する人称用語といい、どうなんでしょう、この筆者は確信的にいわゆる小説の基本ルールを自分は守るつもりはない(破壊しようとまでは思っているのでしょうか)と告げているのでしょうかね。

 少し遡って考えてみます。
 そもそも日本語はとても人称用語の多い言語で、英語なら「I」だけのところが、さていくつありますか、とにかく少なくなくありますね。それらを私たちは、日常生活の中で確かに「適当に」使い分けていてます。(用語使用時の相手、つまり誰に向かっての用語かによる使い分けと、その時々の自らの感情の在り方による使い分けなどですね。)
 もちろん、そのこととこの度の混在人称は同じだとは私も思いません。が、かりに「準じて」と全く考えられないわけではないのじゃないか、と。

 さらに同様に遡って考えてみますが、そもそも、小説というジャンルは、作品全体の少なくない部分が言語を用いて作られている表現、くらいのルールしか、そもそもないのではないか、と。(詩人草野心平の「冬眠」という詩は、それすら守っていないか、いや、タイトルを含めたら3つの表記中、二つは一応漢字表記ではありますが……。)

 (しかし、それにしても、文法は一応は守らなければならない気はしないでもありません。文法すら意図的に守らないなら、これは外部に向けた表現とはとても思えなくなりませんかね。ただし、人称の統一については、それが文法と呼べる範疇のものであるのかどうか、私には、うーん、よくわかりません。)

 ともあれ、だとすれば、この度のことも、単なる作品の個性程度のものとして、別に取り上げてもいいが、改めて疑問を呈するというほどのことではなかったのかもしれません。

 本書には二つの小説が収録されているのですが、一つは自衛隊の幹部候補生の100キロ行軍訓練の話、もう一つは、元自衛官が中東に行って武装警備員になる話です。
 どちらも珍しめの設定ですから(そうでもないのでしょうか)、私などはそれなりに興味深く読みました。

 ただ、その設定でおそらく取り上げられている主なテーマは、例えば冒頭で引用した個所からも読めますが、ざっくりまとめてしまうと「自分探し」小説と読めそうなものであります。
 これも典型的な個所を引用してみます。


 こういったテーマが、もちろん悪いわけではなく、また一概に古臭いとも思いませんが、小説作品としては、もう少し内容そのものに落とし込むほうがそれらしいかなと、わたくし、少々思ったりしました。
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Last updated  2025.10.05 09:02:27
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analog純文 @ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩 @ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文 @ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
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