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2025.11.16
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カテゴリ: 昭和期・中間小説
『錦繍』宮本輝(新潮文庫)

「生きてることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。」

 「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」

 ……いかがですか。
 って、言われても何が、とお思いでありましょうが、この冒頭のフレーズ、別々の小説から抜き出してきたんですね。
 似てますよね。というか、ぱっと見、同じこと言ってませんか?

 ちょっと別の角度から考えてみますね。
 この二つが似ているのは、そもそもがいかにもちょっと考えてみたら出てきそうなフレーズだから、それが似ていても特に問題はないんじゃないのか、とも考えられそうです。そうかもしれませんね。
 では、個々のフレーズの出典を、もう少し丁寧に説明をしてみます。

 上のフレーズは、今回の報告図書『錦繍』から取ってきました。下記に示しますが、本小説のテーマとかかわってくるような大切なフレーズです。新潮文庫によると、本小説は昭和57年(1972年)刊行とあります。

 下のフレーズは、村上春樹の短編小説「蛍」(昭和58年・1973年雑誌初出)からの引用です。
 上のフレーズが小説『錦繍』にとって大切なフレーズだと書いたように、この「蛍」中のフレーズは、作中では、行を独立させてゴシック体の太字で書かれています。

 さらに、この「蛍」という短編小説は、あの村上春樹の大ベストセラー小説『ノルウェイの森』の冒頭付近に、作品全体の展開もほぼそのまま取り入れられています。(このフレーズも、全く同じ表現で入っています。)
 そんな一文です。

 と、まず、私が少し驚いたことから書き出したのですが、この類似にはっとする前、この度は『錦繍』を読んでの報告ですから、『錦繍』内にこのフレーズが出てくる(文庫本で70ページあたりです)前から、私は何となく、村上春樹の小説と感じが似ているとちらちらと思っていました。

 いえ、村上春樹の小説と宮本輝の小説とは、それは違うだろうという思いはなんとなくありました(私は村上小説はほぼ読んでますが、宮本小説はあまり読んでいませんが)。
 総合的にはそのとおりでしょう。今回私が、おや、似ていないか、と感じたのは、この『錦繍』も(『ノルウェイの森』同様)、主人公の男性と、そしてその男性にとって「100%運命の女性」とでも言えそうな異性との恋愛話ではないか、と読みながら感じたことでありました。

 ただその考えは、本作半ばあたりから違っていることに気が付いてきました。
 例えば『ノルウェイの森』が、そんな「100%運命の女性」との恋物語で最後まで書き切ったと考えるなら、本書は、途中からかなりテーマが異なっているように思います。
 それは、冒頭に引用した作品にとっての重要なフレーズの用いられ方が、本作品の場合、物語が進んでいくにしたがって、微妙に連続的に変わっていった事からもわかります。

 そもそも、冒頭のフレーズの作品中での解釈について、『ノルウェイの森』では、主人公の思いとして明確に示されています。主人公の自殺した友人の影響から抜けきれない心情を表した表現だと思います。

 一方『錦繍』での用いられ方は、元々はモーツァルトの音楽の感想としてヒロインが迷い迷い発した言葉が、聞き手や読み手によって様々な色を付けられ、さらにはヒロインの元夫の「臨死体験」の解釈にあてはめられていく、それもかなり強引なあてはめられ方で、悪く書けば、その時々の場面に都合よく解釈されていったように思いました。

 実は私は、読みながらそのあたりがかなり気になっていました。ちょっと嫌だったんですね。ただ一方で、そんなこだわりを持って読むことは、本書の心地よい読書に繋がらないんじゃないかという気もしていました。

 上記にも触れましたが、私は本書の展開は真ん中あたりで二つに分かれてしまったように思いましたが(「100%運命の女」の影が消えていく)、後半は後半で、ユーモアもあってとても読みやすい展開でした。
 そういえば、村上春樹の小説も極めて高いリーダビリティを持つと、誰か評論家が書いていたように思います。

 本書の解説文を小説家黒井千次氏が書いていますが、そこには、「宮本輝は自他ともに認めるまぎれもなき物語作家である」とあります。
 物語性の復興は、私も切に現代小説に期待するものであります。
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Last updated  2025.11.16 16:44:54
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analog純文 @ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩 @ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文 @ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
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