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2025.11.02
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『ブラックボックス』砂川文次(講談社)

 読み終えて、私は少し困りました。
 このお話のよくできているところがわからなかったんですね。
 いえ、よくできているの基準は、いわゆる一般的なものではなく、本作が芥川賞受賞作であるのに、というものではあります。

 つまり、もちろんそれなりにしっかりと書けているとは思いながらも、かといって、まー、現代日本でもっとも有名な純文学賞(ただし新人賞ではありますが)である芥川賞を受賞するほどのできのよさなのかということを、なにか闇夜に鼻をつままれたような唖然とするわけのわからなさで感じてしまったわけであります。

 例えば、文章ですが、とても上手だなーと感じるところと、こういう書き方って、なんかどんくさい、古臭い感じがすると思ってしまうような部分が、不安定に散見されるように思いました。例えばこんな二個所はいかがでしょう。

 背中から――少しだけ右の肩甲骨寄りに――地面に落ちた。落ちてもなお速度は死んでおらず、サクマはそのまま自転車と一緒に、見えない糸で引っ張られるみたいにして路上を滑った。

 もっとちゃんとしなきゃなんねえ、行動で人となりを表すことのできる人間のなんと少ないことか、とサクマなんかは自戒の念も相まって改めて近藤に思いを致す。
 常々襟を正しているつもりだったが、いかんせんサクマはこの手のことが長続きのしない質だった。そこを含めての自戒であっても、明日の朝までこの決意を抱えている自信はない。これも感情の決壊と同じで、自分との約束を反故にすればするほど、その行為自体に慣れてしまうのだ。

 ……どうでしょうか。私は、上の文章なんかは、動きの感覚がよくわかる、上手に書かれたところだなーと思うのですが、下の引用個所などは、用いられている用語も含めて、何かどんくさい、古臭い感じがしました。

 で、そう思いながら読んでいくと、要するにこの筆者は、外界の具体を描くときはとてもシャープな描き方をしている一方、内面・抽象を説明する時は、どこかたどたどしいように書かれていることに気づきました。

 さて、実はこのあたりから、私はひょっとしたら、と思い始めるんですね。
 えっ、描き分けている?
 そして私は、ざくっとですが、もう一度最初から、二度目を読み始めました。

 すると、……おいおいこれはかなりしっかり書き込んでいるぞ、ということにけっこうたくさん気がつきました。
 初読では読み落としていた細部が、見事に後半部の主人公の強烈な暴力性につながっているということ、そしてそんな性癖の自分と、加えて抽象的思考が極めて苦手な主人公の内面の描き方そのものが、このどんくさい・古臭いと私が感じていた筆者の手法ではないのか、と。

 私は、ざっと二度目を終えて、かなり、なるほどな―と思いました。
 前後半部が分裂しているんじゃないかと最初感じた思いも、いや、前半部にもかなり(半ば隠すようにしながら)書き込まれていると気づいたし、何より主人公の「苦悩」が一貫していることがわかりました。

 では、その主人公の「苦悩」とは何なのか。
 二回読み終えた後に、ふっと浮かんだのは「不易流行」という言葉でした。
 下記は二度目に読んだ時に、つい私も噴き出した個所。

「でも今時こんな古臭い問題に頭抱えてんのってダサいのかなぁとかも思っちゃうしなぁ」
「なんだよ、古臭いって」
「いやほら、エスディージーズとかマイノリティとかサステナブルとかゆーじゃないですか、だから今時正規がどうのとか賃金がどうのとかっていうのって違うのかなって。ぼくらももっと環境とかにコミットした方がいいんじゃないかなって、どうです?」
 サクマは噴き出した。

 ここは本文の自己パロディになっている個所でしょうが、結局のところ本小説も、ある意味古くからのテーマである自分探しを描いていると思いました。(「不易」ですね。)
 本編中に何度も、「遠くへ行きたい」「変わらない」という、主人公のつぶやきのように描かれたフレーズがありますが、これなどはその例証でしょうか。

 ではさらに、もっと具体的な主人公の「苦悩」とは、と、魚を捌くように捌いていくと、作品の味わいとしてはやや身も蓋もなくなる気はしますが、私は二点だと思います。

 一つは、上記にも触れましたが、自らの粗暴的性格に対する骨がらみの苦悩。
 そしてもう一つは、例えば下記のこんな部分について、私は、一度目の読みの時は軽く見落としていたのですが、二度目の読みの時は、これは重要な表出部なんじゃないかと感じたところです。

 ちゃんとした仕事に就いていた時期もないではなかったが、そこに必ずついてまわる諸々にサクマは順応できなかった。三枚複写の保険の申し込み用紙とか人事とか本部とかに出す書類を見るたびに目が滑って何も考えられなくなってしまうのだった。雇用とか被用者とか期間の算定みたいな単語は、あっという間にサクマのやる気をねじ伏せてしまう。

 ここに描かれていることは、本当にそのままの意味にとらえると、知的障害とまでは言えないが、そこへのボーダーライン上にある若者の、内面と知性そして苦悩の描写でありましょう。

 またふっと、私の感想は飛んでいきます。
 文学が描く病の中で、心理や精神、神経などのそれを扱った作品はけっこうあると思います。例えば島尾敏雄の『死の棘』とか、色川武大の『狂人日記』とか。
 しかし、「不易流行」の「流行」の部分として、知的ボーダーライン層を描くというのはどうなのでしょう。

 なるほどそこに注目すると、新しいものを描くというのがその評価のきっと少なくない部分であろう芥川賞を本作が受賞したというのは、いかにもふさわしいと、二回本書を続けて読んで、私はそう思うに至りました。
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Last updated  2025.11.02 10:49:10
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analog純文 @ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩 @ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文 @ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…
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