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庭には、見事な「犬コース」が出来上がっている。レグが庭を暴走するのに、邪魔だ...と思った枝や花やもう、何もかも、かじって折って、すっかり自分で整備してしまっていて、あんなにうっそうとしていた庭は、なんとなく、さっぱりして、レグが走るコース(インコースとアウトコースの2本がある)は出来上がってしまっているのだった。今日は予想通り、寝ぼけ顔で起きて居間に行くと、背筋を伸ばした兄がいた。『ここは道場か...』そう思いつつ、兄より遠いほうのドアからトイレに向かった(ウチにはドアがどこでもある)私はこのところのアレルギー症状と、変な浅い睡眠と悪夢で、いささかダウン気味である。とにかく、最近、英語の寝言を言って、自分でその声で目が覚めたりしている。かなり重症。そんな中、ニューヨークの例の、ストレス太りしている友人からメールが来た。彼女は、私が次々と買い込んでニューヨークに送っている「靴」の管理をしてくれていて、『あなたのこの『靴バカ騒ぎ』が早く治ることを祈るわ』と書いてあった。...そして、『あなた、ピアス開けた時も、そうだったわね...でもピアスは小さいからまだいいけど、靴は大きいから、クローゼットがもう一つ必要になる前に治るといいわね』と書いてあった。さすがに、長年の友は言うことが違う。実は、ニューヨークにはティンバーランドやクラークスのアンクルブーツや、カンペールのブーツなどが私を待っているのだった...。倉庫から春夏ものの衣装ケースをひっぱり出してきたので、この部屋は、物の見事に「たな卸し」状態。さて、掲示板で私がお酒を飲まなくなったのは「胃袋」のせいか?という問い合わせらしきものがありましたが、違います。実は、17才の頃、体質が完璧に変化しまして、その時期は、それまで何を飲んでも平気だったお薬の全部プラス、漢方薬まで、とにかく、何モノにもジンマシンが出るというアレルギー症状が出て、勉強に集中できなくなっておりました。それまでは、水割り5杯飲んでも、シラフでいたりしたものですが、それ以来、アルコールを飲むと、心臓がバクバクして、少量のアルコールでもアルコール中毒死する危険性が出て来たので、飲めなくなりました。しかしながら、水割りや冷や酒を飲んでいた頃も、別にウマイとは思ってなくて、まあ、ロックなどやっておりましたので、一応、カッコづけとして飲んでいた。..という、お子さまっぽい理由でした。特にジャック・ダニエルズはクラプトンのアルバムジャケットにも登場しておりますし、ロッド・スチュワートがFガラガラ声になったのは、ジャック・ダニエルの飲み過ぎだ…なんてデマまで飛ぶくらいだったので、勉強机の上の棚にはミニボトルがズラ~~~~~っと並んでいたものです。しかし、その突然の体質変化のせいで、実は、芸大を受けて、生粋の芸術家になろうとしていたのですが、体質変化のせいで、算数、、、、いや、数学が全く理解できなくなりまして(とアレルギーのせいにする)芸大は断念し、ニューヨークに渡った訳です。しかし、後に東大に行った友人から『コロンビア大学は東大より難しいよ』と言われ.なるほど...どうりで、毎年、寮の窓から飛び下りる学生が必ず居るという訳か..。と妙に納得したのでした。そして、どうしても芸大に行きたかったわたしは、ニューヨークで「世界の芸術大」とも言える学校に行き、無事、卒業した。先輩には、マドンナ(中退).ダナ・キャラン、スティーブン・マイゼル.マーク・ジャコブス(現ヴィトンのデザイナー...だったっけ?)など、かなりいろいろいたりする。ついでに言うと、ボブディランの息子もローリングストーンズのキースリチャードの息子も、私の先輩か後輩かどっちかになる。こういうのは、一時期、野村監督の奥様、サッチーの「コロンビア大留学疑惑」で『サッチーの後輩なのね』と言われるのが、とにかく嫌なものだったけれども、そのうち、宇多田ヒカルが入学したので、『宇多田ヒカルの先輩になるのね』に変わって、ああ、良かった...と思った矢先、宇多田さんは退学していった。カムバ~~~ック!
April 30, 2006
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ゴールデンウィーク突入しました日本列島、皆様、いかがお過ごしでしょうか。わたくし、どうやらアレルギーが本格的になって、抗ヒスタミン剤を服用している間だけ、クシャミや鼻水、涙目から解放されますが、薬が切れて来ると、暴れまく...いや、そうではなく、お薬が効いていると楽なのですが、とにかく眠気に襲われ、ならば、いっそ、眠ってしまえ!と寝ますと、そうしますと、眠りは「睡眠障害」のせいか、非常に浅く、半覚醒状態で、変な夢ばかり見ながら耳ではレグが吠える声が聞こえていたりします。そういうわけで、私は使いモノになりません。掲示板で、お皿を飾る趣味はない!と書いておりますが、実は、わたくし、頑固なくらい、「走れないようなクルマはクルマじゃなく、使えないような皿は皿でなく、履けないような靴はくつでなく、着れないような服は服じゃない!(まだ色々ある)」と思っているのであります。パリで、コクトーが描いたイラスト入りのリモーシュ焼きのお皿が売ってました。私は一目で気に入り、そこにあった、大小様々なコクトーのイラスト入り「飾り皿」というのを買ったのです。スパゲティーをそれで食べようと思って。店員さんは非常に丁寧で、「お皿の数だけでよろしいですか?」と私に問う。『え?何がですか?』と問うと、お皿を飾る、プレートの台のことだと言うので、「あ、それはいりません。使いますから」と言ったら、唖然...としていた。皿はやっぱり、皿として使ってこそ皿であり、私はそんなものを飾り棚に飾るような悪趣味はない。ニューヨークに戻り、さっそくそれでスパゲティーを食べ、時にはククレカレーを食べたりしていた。ある日、MOMA(近代美術館)のショップに行ったら、私がパリで買ったコクトーの皿がやはり「飾り皿」として、売られていた。クルマも同じで、ニューヨークから一時帰国していたある時、ふと、マーケットに買い物に行きたくなり、兄に、『ねえ、フェラーリ貸してよ。スーパーに行くから』と、一応、言ってみたら、「恐ろしいことを言うなあ」と一言言って、相手にしてもらえなかった。もうお亡くなりになっているかもしれないけれども、ニューヨーク、正確にはニュージャージーにお住まいの日本人の高齢の男性がいらして、よく、クルマ関係の本には登場なさっていて、フェラーリ、それもかなりのヴィンテージカーにお乗りで、多分、オークションに出したら数億はするだろう・・・という名品であるフェラーリに乗って、スーパーへお買いものに行かれ、駐車場にポ~ンと置いてあったりした。その方も 『クルマは乗ってナンボのもんだ』 ということで、私はぜひお会いしたかった。
April 29, 2006
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長年、ゴールデンウィークのない国に暮らしていたので、すっかりそういうことは忘れがちになっていて、ウチは、特にどこかへでかけるということもなく、私も、この一番航空運賃が高騰する時期はハズしてあちこち行くようにしているので、はっきり言って、まったく関係ないです。さっきまで、さんまの番組を見ていた。私は日頃、余りテレビは見ないけど、さんまの番組は結構見ている。安倍官房長官が出て来たのが割とおもしろかったです。好みのタイプではいけれども、常々、『日本の首相には、とにかく、G8の記念写真で皆が並んだ時に、見劣りしない人を選ぶべきだ』と暴言を吐いておりまして、つまり、誰がなっても、今の日本が極端に良くなる展望もなく、誰がなっても、結局同じことの繰り返しなのではないか、ならば、せめて、海外に出しても凛としている「見栄え勝ち」する人を送りこみたいではいか!アメリカの就職活動では、冷ややかなくらい「容姿」が、実績(学歴等)の次に影響を及ぼすと言われていて、身長が高いハンサムの男のほうが、同じ成績でも、背の低い肥満系の男性より、確実に出世するという調査報告が出されている。特に「肥満」はイコール「自己管理体制」ができていない、ということで、大きなマイナスポイントになる。実は、ニューヨークに私のニューヨーカーの姉的存在の年上の女性がいるのだけれども、恋人を数年前に病気で亡くしてから、そのストレスで過食症になり、今は、土俵にあがってもいいようなサイズになっていて、仕事を解雇され(アメリカは「あ、明日からこなくていいよ」と突然言われたりする国です)なかなか再就職ができず、そのストレスが更に追い打ちをかけるように彼女を「食」へと誘い、『また数パウンド(1パウンド=約454g)増えたわ』なーんて言っている。私はストレスやつらいことがあると、逆にまったく食べれなくなる。さて、今日は大して書くことがない。思い付いたら追加することにしよう。
April 28, 2006
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なにがどうしてなのかわからないけど、朝、犬のレグを外に出すと、とにかく、まるでF1のエンジン音のように「ワンワンワンワンワンワンワンワン...」と、途切れなく吠えながら、庭をサーキットコースのように走り回る。それで、私の寝ている部屋は丁度、モナコのコースで言うところの「ラスカス・コーナー」状態で、犬の吠える声がドップラー効果で遠くに消えて行ったか...と思ったら、またやってくるのである。そのコーナーはかなりタイトで、目撃している母に言わせると『コーナー突入時のスピードが早過ぎて、スピンしてるわ♪』とのことで、見ると、確かにコーナー立ちあがりに足跡が沢山あって、ブレーキングの跡もある。「あのコーナーの所に、紅白のシケインをコンクリートで作ってやると、曲がりやすいかもね」とそれを見て私は言った。そういう訳で、今朝は特に寝不足でつらかった。ホリエモンは3億円で保釈された。300000000円と書くと、いかに高額か視覚でわかる。そして、私は前回より100円安い4700円の関税を払ってプラダの靴を受け取った。なんというか...ホリエモンに私の関税もついでに払ってほしいくらいだ。さて、私は何かと海外にいたので、さぞや西洋風だと思われがちでありますが、日本にいる頃から将来、海外で過ごすことが多くなるであろうということから、着物の着付けも自分で出来るように免許を取っているし、花道も茶道も一通りやっている。その「花道」なのだけど、実は、コネがあって、花道の「カ」の字も会得していないドシロートの私がいきなり習えるようなところではない、場違いの先生に習うことに、どーゆー訳かなってしまったのです。私は幼き頃より外人も有名人も会ってきているので、世間一般で言われているような地位の高い人に会っても、実は、何も感じない。その某流派のトップクラスの先生に習うことになって、初めて、生け花の「ハサミ」というものを買い、紹介してくれた人と一緒に、まずは習いに行った。私はなにかとザックバランなので、相手が誰であれ、それなりの礼儀はわきまえているけど、それなりに何故か、可愛がられやすい。その「偉い」先生は大変気さくな方で、冗談も通じるし、私は気に入っていた。花のどこをどう切っていいのかも判らないようなドシロートの私にも、直々に指導してくださった。しかし。困るのは、その大先生の「取り巻きババア」達で、確かにそこに習いに来ている人のほとんどは、自分で教室を開いている「師範級」のおバサンが多く、私のような「若造」がいるべきところでない…というのは、なーんとなく感じていた。しかし、大先生は私をとても可愛がってくださっていた。ある日、大先生が席を外している時、そのオバサン達から、イヤミを散々言われたことがある。『あなたねえ、普通、こちらにはある程度の実力をつけてからいらっしゃるものなのよ』『そうなのよ。あの先生から最初から習えるなんて、まあ、ラッキーでいらっしゃるのね』しかし、私はそういう「嫉妬」のようなイヤミは逆に褒め言葉として受け取る変なキャラクターなので、どうってことなかった。まあ、その後、私は渡米することになったので、花展に一度出品しただけで、終わってしまった。茶道は、ニューヨークでも季節ごとに「お茶会」というのがあり、ホテルキタノにある数寄屋作りの茶室に季節ごとに行っていた。そこは、もちろん畳敷きで、できれば、大の字になって、ひっくり返りたい...という衝動に駆られたものだった。茶道というのは、その空間に居る間だけは、地位も肩書きもなく、とてもリラックスできる。父は若い頃から茶道をやっていたらしく、何故やっていたのか?と聞いたら、『お菓子が食べられたから』だった。
April 27, 2006
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と言うのも、わたくしが某放送局におりました時、番組でクイズやらプレゼントの募集をする訳です。すると、山ほど葉書が届き、番組では、いかにもその時に偶然引き当てたよな風を装ってますが、実は、事前に「前に当選した記録がないか」調べているわけです。同じ人に二度当たらないように。・・・とバラして良いのだろうか???そうです。人生「偶然」はなくなにごとも「必然」なのである。今は多分、コンピュータ管理されているので、もっと確実に「当たらない」と思います。そうして、わたくしは、成田の税関のコンピューターに登録されてしまったらしく...もうそこの郵便局まで届いている『靴』に...やはり関税がかかっている事実を本日、電話で知り、『今からお届けしましょうか?』との親切な申し出に、・・・両親がいる、今、関税払ってまで靴買ってるのがバレたら、何を言われるかわかったもんじゃねえや・・・と思い、「いえ、明日の...お昼頃(両親がランチに行ってるスキに)お願いします」と頼んだ。今度は、何故か、関税が100円安い。靴は今度のが一番高いのに。(モノはイタリアからのプラダである)そんな今朝、ウチのレグが私が寝ている部屋の窓のそばで「ワンワン!」吠えまくって、父が一生懸命説得している声が聞こえていた。なんだろう?と思ったら、隣町の上空にアドバルーンが浮かんでいて、それを見て吠えていたらしい。きっと、UFOが上空に来たら、レグは吠えるだろう。そうして、今日は体調がなんとなく悪く、相変わらず涙目とクシャミが止まらず、薬を飲むと眠くなり、部屋でボケーっとしていたら、兄から電話がかかり、『2時半頃、ヤクルトの偉い人がタケノコのもってくるから、丁寧に受けとって』と言う。私は子供の頃より「兄には口答えしない」ようにプログラムされているので、「はい。わかりました。お兄様」と言い、けっ。かったるいなあ...お偉いさんかあ。..さすがにこのスウエットのパジャマ姿ではいかんだろう...と思い、一応、アールジーンのジーンズに履き替え、まあ、スッピンでいいや・・・と化粧は手抜きして待った。すると、定刻通り、2時30分に、ピンポ~~~ン♪。玄関に出ると、そりゃあ、偉いだろう...というスーツ姿の50代くらいの男性が不似合いなスーパーのビニール袋にデカイタケノコを2本入れて差しだし、『あ、奥様でいらっしゃいますか?』「いえ、妹です...兄から先ほど電話がありました」けっ。誰が「奥様」じゃ。わしゃあ、これでもまだ(ああ...まだ...)嫁入り前のムスメよっ!と思いつつ笑顔を作った。『たった今、掘って参りましたので、さっそく茹でてお召し上がりください。硬くなりますから。』とのこと。私は内心...えっ?たった今?おい、仕事はどーした、タケノコ掘りが仕事かい?とつっこみたかったが、何しろダーズベーダーの兄の言い付けだったので、「これは、どうもご丁寧にありがとうございます」と、丁寧レベル7くらいで応対して、さっさと帰ってもらった。そして、そのタケノコをダイニングテーブルの上にドサッと置いた。両親が外出から戻り、それを見た母が「あら、中村さんから?(近所の親切な中村さんのことである)」『違う。なんか、ヤクルトのオエライサンってのが来て、早く茹でて食えって』...こう言う風に、言葉の伝達というのは、人を介するごとに、変化してゆくのである。と言う訳で、一度当たった懸賞をやっているショップのプレゼントに応募するのは、無駄な努力である。と、話がまったく繋がっていない。
April 26, 2006
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さて。わたくしの『輸入靴騒動』最終幕は、本日、成田を出発した...と「郵便追跡調査」で判明した。そうです。これが、日本に届く、最後の(多分...)高関税の『革靴』であります。追跡調査によりますと、約2日間、成田の税関で「審査待ち」という状態だったので、まあ、課税は覚悟...。こうなりゃ、払ってやろーじゃねえか!!!¥4800円!!!何度でも!!!!クソォ~~~~~日本の税関というところは変なところで、一度関税をかけると、それまで、ず~~~~~~っと無事に届いていた小包が、かたっぱしから「税関で開封」される。そして、しばらくすると、また、無事に開封されずに届くようになる....。昨夜、「オーラの泉」スペシャルを見ていたら、また三輪さんがおっしゃってました。『正負の法則と言って、いいことがあれば、悪いことがあって、それでブラスマイナスゼロになるのが人生なのよ』と...そうです。安く買えた!(プラス)と喜んでいたら「関税」(マイナス)が来る...。しかし、それでも日本の店で買うよりはずっと安い。しかし、日本で買っているアジア地方製造の物は、人件費も安く、私達はかなりボッタくられている。つまり、日本では、日本製を買う。これが一番だという結論に達したのであります。しかし...最近、本当に日本製が少なくなってきたもんだ...。さて、かなり前に、兄が披露宴に出席し、引き出物を選ぶカタログをもらって帰って来た...という話しを書きましたが、母は何を思ってか、『もう、どれにしたらいいのか判らないから、これ、注文してちょうだい』と私に開いてみせてくれた物は....単なる西川の毛布1枚だった...。「ヒエ~~もったいないじゃないの!毛布なんて、いつだって買えるじゃないの!もっと、こう、もっと、値のはるものを注文しないと、せっかくのチャンスがもったいないじゃないの!」と、私はひとりで興奮しまくっていた。そして、パラパラとページをめくると、私が使っている7800円のマイナスイオンクルクルヘアードアイヤーやら、どうみたって、3000円くらいだとうなあ...ってタオルやら、こりゃあ、18000円くらいかな、というロイヤルコペンハーゲンまで、本当にその差が激しすぎる。しかし・・・ロイヤルコペンハーゲンは私がニューヨーク在住中に一揃い、揃えているので、「皿一枚」や「カップ&ソーサーワンセット」なんて面白みがない。そうして、毛布より「儲かったぞ!」って思えるものはないだろうか..(非常にアサマシイ)と思って目にとまったのが、なんと、ここのトップでも紹介している「濱野」のカバン。「あ!これこれ!これね、2~3万くらいするのよ、これがいい!私、これがいい!日本製だし!」と、すっかり「兄が行った披露宴」の引き出物は「私のもの」になっていった。母は、もうどうでもいいわ・・・という感じで、『あなたの好きなのにしていいわ・・・』と、もう諦めている。「ほんと?頼んでいい?その代わり、私のバッグ、ひとつあげるから(サボイのセールで買ったやつを...)」と言い残し、さっそくパソコンで注文。画面:披露宴出席者名『○○○雄』←兄 品物の受け取り者名『○○○子』←私きっと、披露宴出席者のほとんどは、日頃から贅沢三昧しているから(医者と芸能界であるので)、「ま、適当に、タオルでももらっておくか。どうせ使うから」とか、「子供のために、積み木セットでももらうか」といったノリであろう。しかし、私は必死に「濱野の牛革トートバッグ、キャメル色」をゲットするのにがんばったのだった。そんな中、今度は全日空からメールが届いた。『期間限定でマイルで交換!豪華商品!』とある。どんなのがあるのかなあ・・・と見ると、またもや『濱野』の、今、私が欲しい(トップに貼っている)黒のエナメルのボストンバッグの大きいのがあるではないか!『日本製』!そう...私は白のミニボストンは持っているけど、黒は大きいのが欲しい...と思っていたのだ。しかし...もう1回ニューヨーク往復すると、アップグレード券と交換できる...。うーん...アップグレードで14時間、楽をするほうがいいか、それとも、濱野のボストンバッグにするほうがいいか...。迷う。父は海のことに割と詳しく、子供の頃から、『船旅をするなら、絶対、一等じゃなければだめだ』と言い続けている。それは、船ほど「階級差」が激しい乗り物はないらしく、映画「タイタニック」でもご覧になった通り、ファーストクラスとセカンドクラスは天と地ほどの差があるのだ。しかし、飛行機だって、かなりの差がある。私はやたらと飛行機に乗ることが多く、したがってマイルも溜まり、ほとんどの場合、JALのエグゼクティブクラスと、エールフランスの「ル・クラブ」に乗ることが多かった。単純にアップグレードしていたのだ。そういうのに一度慣れてしまうと、久しぶりにエコノミークラスに乗ると、人間貨物状態だな...と感じる。まあ、それはいいとして、濱野にするか、アップグレードにするか...かなり迷うところだけど...多分...濱野の勝ちだろうなあ....。それはそうと、私の兄は、突然、変なことを思い出すので、「この間の引き出物、何にした?」と突然、思い出さなければ良いが,...と思っている、妹である。
April 25, 2006
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私は、子供の頃からフォーミュラ・ワンの世界に触れて大きくなった。子供の頃に可愛がってくれていたドライバーの多くが、その後、次々と事故で亡くなっていった。私はそういう時代のフォーミュラ・ワンを知っているから、アイルトン・セナが亡くなったことで、大騒ぎする「世代」は、やっぱり「昔の」F1をしらないんだな…と思ったりした。1984年にフェラーリに乗ったジル・ヴィルヌーヴ(今のジャック・ヴィルヌーヴの父である)が亡くなってから、モノコックが急速に進化し、F1と「死」は、それほど隣り合わせというイメージがなくなっていった。それから10年が過ぎ、突然のアイルトン・セナの事故は、世界中に衝撃を走らせた。私はその瞬間を知る、ひとりだった。私はあまりセナこのことは語らない。語れないといったほうがいいかもしれない。事故後、ニューヨークに戻り、5月の新緑がまぶしいセントラルパークに愛犬のディノを連れて何度も通い、空を見上げて、「急にどこにいったんだろう?」ということばかり、考えていた。風に揺れる、花々を見ては、「どこにいってしまったのだろう」と、そんなことばかり考えていた。そして、どうしても、どうしても、あの、タンブレロターン(正確には「コーナー」とは言わない)に、呆然と、立ちつくしているセナ君の姿があって、自分が死んだことも、レースはもう終わったこともわからず、ただ、まるで、天に昇るのを忘れたようなイメージが浮かんで仕方がなかった。そうして、5月1日から丁度5ヶ月経った日に、私はイモラのタンプレロに戻った。『もう、レースは終わったよ。あなたは、空に帰るんだよ』そう言ってあげなければ、と、ただそう感じて、イモラサーキットに戻った。そうして、イモラサーキットのきれいな松林の小道をあるきながら、よく歌っていたポルトガル語の歌を歌った。あれから、もう12年が過ぎる。立ちつくして前に進めずにいるのは、本当は誰でもなく、「わたし」なんだと感じる。
April 24, 2006
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なんとも可愛らしい小犬発見。手抜きでごめんなさい。
April 23, 2006
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また、周回遅れで、土曜の日記を日曜の朝に書いている...実は、昨夜は私にしては画期的に、はやばやと寝てしまった。その原因は、永遠のライバル、シューマッハだ。クッソ-....抜きやがったなあ....。それも、よりにもよって、サンマリノで....。優勝してもいいから、ポールだけはもうとって欲しくなかった...。唯一、残っていた記録なのに...。それはまあ、置いておいて、昨夜、あまりのショックというか、感慨深いものがあって、海外購入の商品クレームを海外の別の人に書いて送ったりして、受け取った人はビックリ仰天で、はっ,,,と気が付いて、慌てて「送る相手を間違えました。ごめんなさい。ちょっとトラブッてるもんで」というメールを書いてフォローアップしたりして、なんかこう。..ドジばっかりやってた訳ですよ。シューマッハのせいで。 ↑すべて、コイツのせいにする。というわけで、立ち直るのにちょいとかかりそうな、鼻炎のわたくしであります。ハーックション!!!
April 22, 2006
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この数日、関税ショーック...とでも言うのか、どうにもアタマが痛くて、ゲリラも襲来し、眠れぬ夜を過ごし、体調不良であります。そんな状態であるにもかかわらず、日記を書くわたしって...わたしって...もしかして...アホ?実は、毎日、私は世界中から何通か必ず「ラブレター」っぽいメールを受けとっている。『あら~~モテテ、よろしゅうございますわねえ~~オホホホ』などと、妬みをかうようなものではなく、実はコレがかなり負担になっておりまして、全員には返事は書けないし、また、書きたいと思うような相手もなく、まあ、たまにコピペで送ったり...と時々、私は自分を、ドラマ「やまとなでしこ」の神野桜子かぁ~~・・・と思ってみたり...。しかし、ドラマの主人公が結果的にホレたのは魚屋の「堤真一」であり、現実でも、やはりそれと似たり寄ったりの展開でして、ただ、ドラマはハッピーエンドになるけれども、現実は...非常に厳しく、またミッションインポッシブル連続なのであります。そんな中、79才のじいさんからラブレターっぽい(完璧なラブレターでないところがミソ)メールが届いた。私はいわゆる「じじいキラー」と呼ばれていた頃がありまして、ニューヨークで学生をしていた頃より、引退してヒマ持て余らせて聴講生として大学のクラスを受けていた「ノーマン」という85才くらいの元某雑誌編集長(で、アメリカでは結構な有名人らしかった、が、私は何もしらなかった)が、決まって私の隣の机に座り、授業中、メモ紙に花の絵を描いては私にそっと渡してくれておりました。ある日、授業にちょっと遅れて行くと、ノーマンが自分の横の椅子を指差し、ニッコリ...。うっ。席を確保してくれてたのね,,,自分の横を...。そして更に、ある日、ノーマンは私にこう聞くのです。『この世でとっても美しいものを見たくないかい?』と。そこで私は、はい、もちろん見たいです、と答える。するとノーマンは、『鏡を覗いてごらん、見れるから』と...。はあ...きっとこのジイさん、若い頃はこの台詞でブイブイ言わせてたんだろうなあ…と微笑ましくもあり、「サンキュ~~」と言って笑ったものだった。その後、学期も終わり、ある日、ニューヨークタイムズ紙を見ていると、有名人の訃報の欄に写真入りでノーマンが...きっと、人生の最後に小さな恋心を抱いてくれたのは、私だったのね。....アーメン、合掌。てなわけで、割とじいさんウケするのは自覚していたけれども、またもや!と思いつつ、メールを読んだら、その内容がとても知性的で暖かだったので、返事をかくことにした。なぜか?それは...じいさん、ハーバード大学出らしく、ニューヨークにある「ハーバードクラブ」(ハーバード大学卒業生のみの会員制倶楽部)にお食事に誘ってくださったんですもの~~~(完璧に「神野桜子」である)。コロンビア大学も、ほとんどのアイビーリーグの大学はマンハッタンにそういう卒業生用の倶楽部をもっている。でも、私はまだ「ハーバード倶楽部」にだけは入ったことがなかった!!!じいさんは、非常にインテリらしく、その文面から読み取れるのだけれども、返事を書く時、久しぶりに緊張した。なぜかというと、なんとなく、大学の論文提出みたいな気分になってしまっていたから。『友達になるのに、年齢の差は関係ないでしょう』とじいさんは言う。そうです。関係ありません。しかし、「まずはお友達から始めましょう」だとしたら、多分...お友達から進展する頃には、あなたはもう.,..この世には。..。おっと、いけない。という訳で、次回ニューヨークへ行ったら、「ハーバード倶楽部」でお食事、というイベントがひとつ加わった。しかし、いつ行けるのか、まったくメドがたっていない...。
April 21, 2006
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どうもウチの犬の前世は「猫」だったようで、雨が降ると顔を洗い、庭に大きな2本の紅葉(緑の時はカエデと言うのです!と以前、指摘された)木があるのですが、それに必死で登ろうとする。そうして、登ろうとしている姿を見て、母が『あら、ウチのレグがイナバウワーやってるわ♪』と喜んで見ている。平和な日本の昼下がり....。それはいいとして、昨夜、突然クシャミが始まり、夜中に目が覚めて、鼻水たらしながら抗ヒスタミン剤を探して飲んだ。どうやら、この数日、私の抗原とシンクロナイズするものが飛んでいるようで、とーにかくヤクが切れるとクシャミと鼻水、涙目で大変な状態になるのです。で、ヤクを飲むと、嘘のようにクシャミも鼻水も涙目も治るのですが、すると今度は抗ヒスタミン特有の副作用である『眠気』が来て、ただでもボケ~~~っとしているアタマが更にボヤ~~~っとなるので、今も、つまり、ボケボヤ~~っとしたままパソコンに向かっているのであります。そうやって夜中に目が覚めて眠れなかった分、朝、寝ていたら、郵便屋さんがやってきた。なんと。先日海外より購入した『靴』の関税が必要だと言う。それも、4800円!私は半分寝ぼけていたけれども、すっかり目が覚めてしまい、「そりゃあ、変だ。今までそんなもの払ったことないし」と言うと、非常に親切そうな若い配達員のおにいさんも『はい・・・ぼくも、いつもこちらに配達してますけど、こんなのは初めてで,,,どうしたらいいのか、ぼくもわからないです...』と、まるで私が虐めているかのような気配。「とにかく、税関に電話してみます。」と言い、一旦ひきとってもらった。そして成田の税関に電話した。すると相手も慣れたもので、『なるほど、で、今まで払ったことがない?ふ~~~ん、今までは払ってないってことですね?』げっ。ヤベー。今までのことを言うんじゃなかった、やっぱりまだ脳が眠ってる...と思いつつ、「はあ、アメリカに住んでましたので、引っ越し荷物として送ったりしてまして...」とその場をしのぐ。が、相手はやはり慣れたもので、『記録に寄りますと、そちらの靴、底も革、甲の部分も革、つまり、革で出来ているわけですよね?となりますと、日本の場合、原価の30%又は、最低4300円の関税がかかり、それに、消費税(なんたらかんたら)...がかかってくるっていう訳です。特に日本は革製品は税率が高いんですよ』さすがに、私であっても(私であっても?)税金をマケろ!とは言えず...また、それを返品する度胸もなく、引き下がらない訳にはいかなかった。「まあ、4800円払っても、日本の店で買うよりはず~~~っと安いわっ・・・うっ....また出費が...」皆さん。海外から物を買う時は、革製品、手袋、ストッキング、タイツ、編み物衣類(Tシャツ、セーター類)にはご注意ください!税金がかかりますこと、多々、あります!と、私は何を書いているのだろう...。しかし、なぜ、なぜ、ストッキングやタイツは関税免除の対象にならないのか!昭和初期のストッキングが珍しい頃じゃあ、あるまいし..。あ、そうか。その頃から法律が変わっていないんだ!私達は日本人(まあ、外国人でこのページをお読みの皆様は別といたしまして...ハロ~~、アンニョンハセヨ~~~)海外から帰国すると簡単にパスポートに『帰国』と言うスタンプを押してもらって終わりですが、外人の皆さんは、どういうスタンプかというと、聞く所によると、『上陸許可』らしい。上陸って...あーた....飛行機で飛んできたっちゅーに。黒船で来たペリーじゃあるまいし...。日本て、そういう国なんですよ。4800円、返せ~~~!しかし、この靴はいい靴だ。
April 20, 2006
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ウチの犬、レグの2回目の狂犬病予防接種の日でした。午後からだったので、両親がまず車に乗せて、近所の公民館に行ったのだけど、よその犬も沢山来ていて、とーにかくレグは吠え、暴れ、手に負えず、両親は注射を断念して帰ってきたらしい。それで、午後の最終時刻近くになって、父が車で見に行ったら、他の犬はもうほとんどいなかったので『今行くと大丈夫だ!』ということで、私も一緒について行くことにした。公民館の横で、白衣を着た獣医さんが、注射器を手に待ち構えたていた。私はレグを車から降ろし、獣医さんのところへ行った。すると、『はい、お母さん、こういう風に、前から押さえてください!』えっ。今、なんと?『お母さん』? 私は一応「お母さん」になっていてもおかしくない年齢ではなるけれども、アンタのお母さんでもなければ、レグを産んだ覚えもないでー。実は、アメリカでもディノを病院に連れて行くと、私はディノの「マミー」になっていた。英語だとまったく違和感がなく、大抵、動物を連れている人は、その動物の「母」であり「父」であったりする。のだけれども、日本語で言われると、慣れないせいか、すごく違和感を感じた。レグはとにかく、他の犬を見ると我を忘れて暴れる。多分...父が言うには『教育ができてない...』んだと思う。レグは乳牛のいる牧場で生まれた。小犬の時から、巨大なホルスタインを見て育ち、自分の何倍も大きな子牛に混ざって、ミルクを貰って飲んでいたような2ヶ月間だったので、少々デカイ奴を見ても恐ろしがりもせず・・・。獣医さんは必死で私に「この写真のように前から首を押さえておいてください!」と言うのだけど、とうのレグはもう一人の獣医さん(男)の足を抱きしめ、腰をふる....。お前は、HGフォ~~!か...。獣医さんも苦笑しながら『おっ。ぼくに腰を振るかあ』と言い、私は恥かしかったけれども、どうすることもできない。したがって、そのポーズのまま、注射は行われ、レグは痛みも感じなかったのか、全く反応なしのまま、また車に乗せて帰ってきた。ああ・・・。
April 19, 2006
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掲示板だか日記のコメントだかに、ゴクミに一言コメントを...と書いてあったので、思い出したのが、宮沢りえだった。彼女達は「国民的美少女」でお互い、何かと比較されていたけれども、圧倒的に明るい宮沢りえのほうが十代の頃は輝いていた。(と、私は思う)。後藤久美子という人は、顔は大変美しいけれども、決して「日本女性」の美しさとは違う美人で、どっちかというと、南方系というか、マレーシアかタイあたりにいそうな「美女」のような気がする。ゴクミは、顔は奇麗だけれども、脚はO脚だし、女優としての演技力も乏しく、コマーシャルの台詞は棒読みであるし、「美少女」の年齢を過ぎたら、ただの「美女」になっていって、もし、荒れ痔と一緒にならなかったら、今頃はとっくに忘れられたんじゃないだろうかと思う。荒れ痔様様で、彼女は、荒れ痔の妻が妊娠しているにも関わらず、彼を奪い取った。事実、荒れ痔との交際宣言をブラジルで行って以来、コマーシャルのギャラがそれまでの数十倍にハネアガッって、彼女の言動も大統領夫人並みに横柄になり、とにかく、鼻高々といった感じだった。荒れ痔がついてなかったら、ただの「元・美少女」にすぎないのに.だ。荒れ痔が現役F1ドライバーだった頃、とにかくゴクミがピットに居座り、『ちょっと、モニターが見えないじゃないの!』とクルーに文句を言ったり、ドライバー専用のトイレを『私は、アレジのカノジョなのよ、使わせなさい!』と言いアレジに文句を言ってもらおうと彼を呼んだら、逆にアレジが謝らねばならぬこともあった。(とにかく、彼女はなにかカン違いしていた)ドライバー専用トイレは「F1ドライバー専用」であって、彼女や妻を沢山もつドライバーの女達はもちろん、他の誰も使うことは許されないのだ。おまけに彼女はタバコを吸う。F1関係者のほとんどは仕事柄、たばこを吸わない。当時、フェラーリチームでチームメイトだったゲルハルド・ベルガーは、とにかくゴクミが来ると仕事に集中できなくなるので、できるなら、連れて来ないで欲しいと、アレジに頼んだと言う。あの、寛容で、面白いこと大好きなベルガーが機嫌悪くなるほどのことを、ゴクミはF1の世界でやっている。マスコミは「自分の夢を実現する素晴らしい女性」として、やたらと持ち上げているけれども、私は、どうもこの手の略奪愛は、自分を高めるために、虎視眈々と、F1ドライバーを狙っていた彼女にとって、絶好のチャンスだったに違いなく、とにかく、F1という神聖な世界に日本のアイドルが首をつっこんだこと自体、嫌な感じがしたものだった。私は、ジュディー・オングを見る度に、ゴクミが年をとったら、こんな感じになるんだろうなあ、と思う。ジュディ・オングさんは、私がまだ某局にいた頃局にいらしてて、ディレクターが『○○君(←私のこと)、ジュディーオングさんに、お茶出して』と言われたので、ついでに、誰かが土産で持ってきていた温泉饅頭も一緒にお茶うけに出したことがあった。ジュディ・オングさんは、体の比率からいくと顔がとても大きくて、ものすごく、奇麗だった。「あのー、これ、温泉饅頭なんですけど、どうぞ」と言って出したら、『あっら~~~、温泉饅頭?まあ、珍しいわあ~~♪』と、大袈裟に感動してくださり、出したかいがあり、腰の低いいいオバさんだなあ、と好印象を持ったものだった。それはいいとして、宮沢りえという女性は、年を取るとともに、とてもいい女優になっていっていると思う。多分、いろいろな経験が彼女を変えていったのだろう。私が鮮烈に覚えているのは、貴乃花との破局会見での彼女だ。とにかく、歌手や女優の破局会見は、見るに耐えないような格好でやつれはて、いかにもわたくしは苦労をして、別れます...と言わんばかりの雰囲気が多い中、彼女のその日の美しさは、群を抜いていた。とにかく、涙ひとつみせず、相手のことを批難せず、凛として、美しかった。貴乃花と破局した宮沢りえと、お城も買ってしまう大金持ち荒れ痔を無理矢理、自我を通して手に入れた後藤久美子は、両極端な道を歩むことになった。私は、宮沢りえの破局会見での、あの、品格のある、凛とした女性の強い美しさを見た時から、彼女には、どうしても、最後には幸せを掴んで欲しいと思っている。それだけ価値ある女性だと思っている。タイヤの上に座って、歌を歌うような、そんなレベルに「元F1ドライバー」を下げたのは、後藤久美子の責任だと思う。とにかく、やめてくれ~~~っと。
April 18, 2006
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父のDNAを受け継いで、わたくしは見事な「靴キチガイ」です。母は若い頃は「帽子キチガイ」だったそうで、そのDNAも持ち合わせているので、帽子もかなりハマりますが、買うばかりで、丸い帽子の箱が増える割には、被ることがなく無駄なので、最近は帽子には余り手をださなくなっています。両親がまだ恋愛時代だった頃のこと、二人がデートしていて、母が父に帽子をねだったけれども、父が買ってくれず、ぶすくれて歩いていたら、看板に頭をぶつけ、『あなたが帽子を買ってくれないから、頭をぶつけたのよっ!』と、文句を言った...と言う話は何度も聞いたものだった。まあそれはいいとして、先日海外のショップで注文していた靴が届いた。今回は2足で、お店に値切り倒すついでに、関税のこともあって、ショップではなく、個人名で税関用紙に「GIFT」にマークを入れてもらったからか、スムーズに届いた。もう1足の靴は、未だ成田「足留め」状態である。ああ、個人名で送ってくださいって言えば良かった...が、もう遅い。さて、その2足の靴でありますが、デザイン&サイズは全く同じで(友人と同じサイズなので)前にも書いた通り、友人は「あなたが交渉して格安で入手できたるのだから、好きなほうを先に選んでいいよ、私はどっちの色でも好きだから」と言ってくれていた。しかし...どっちも好きだったらどうしよう...という不安があった。そうして、いざ、2つのまったく違う色の靴を受け取り、履き比べると、それはもう、『さあ、竹野内豊と堤真一、どっちを選ぶか?』という心境になり、どっちも捨てがたいそれぞれの個性があって、ステキ♪なのだ。私は友人に電話して、「あのさあ...参ったね。どっちもそれなりに、いいのよ。だから、あなたはどっちがいい?」と彼女に選択してもらおうと思った。すると彼女も、決めかねる,,,と言う。そこで、私は言った。『そうなると...片方ずつ、送るか! 竹野内真一 と 堤豊ってことで!』友人は笑っていたが、おもむろに、「竹野内真一って名前は、なんとなく芸能人ぽいけど、堤豊ってなると、極端に、普通の人っぽいよね」と言って笑う。そこで、私も、『そうよね。竹野内真一って、芸名になりそうだけど、堤豊って、なんとなく「あの人は普段とても愛想がよくって感じのいい人だったんですけど...そんな事件を起こすなんて信じられません」ってニュースに出てきそうな(本当の「堤豊さんごめんなさい、あくまでも、バカなふたりの会話の上の話しです。)感じがするよねえ』そこで、決めかね、両親に2足を見せ、『ねえ、どっちがいいと思う?』と差し出すと、父は元祖靴キジルシなので、まるで質屋のオヤジが値踏みをするかのように、その靴を徹底的に検証していた。母はすぐさま「お母さんは、こっちがいいわ♪」と決断が早かった。そして、「だって、あなた、こういう色、持ってないじゃない?」・・・実は、同じような色は、数々コレクションしているのだ。知らないだけで...。結局、友人に電話して、『竹野内豊を送るわ。私、堤真一にする』となんとなく、丸く納まった。どんなに奇抜なファッションが流行しても、片方づつ色が違う履き方は、流行らないだろう。
April 17, 2006
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昨日、いや、正確には一昨日、古い、かなり昔の「ル・マン」の走行音の入ったテープを見つけて、一晩中聞いているうちに朝になっていた。「ル・マン」というのはフランスの地名なのだけれども、「ル・マン24時間レース」と言えば、聞き覚えのある方も多いだろう。私が最初にル・マンに行ったのは、まだ子供のころであった。ル・マンは「Le Mans」と言って、決して「ルマン」ではなく、Le はフランス語の冠詞に当たる。男性名詞。ル・マンの夜明けは白々と薄霧が立ちこめ、その静寂さと相反するエグゾーストサウンドと、鳥のさえずりと、白い空気の中からオレンジ色のライトが走っていて、それは、とても幻想的で美しかった。だけど、私は「ル・マン」というのは、観戦するのではなく、自分で走るしか退屈しないと思って大きくなった。子供の頃の私は、とにかくクラプトンという生涯を共にする(あれ?)音楽を聴きながら、F1という世界と大きく関わっていて、十代になると特に、その世界に入ることを夢とし、そのために、5ヶ国語をマスターしようという夢をもっていた。それは何に影響を受けたかというと、F1のドライバー達の中に居ると、英語が共通語であるのだけれども、当時のドライバーの多くは英語、仏語、独語、スペイン語、伊語を巧みに話すことができる人達がほとんどで、そのせいだった。事実、アイルトン・セナは母国語のポルトガル語の他にイタリア語はほとんど母国語と同じように話していたし、英語はもちろん、フランス語も時々びっくりするくらい奇麗な発音で話し、スペイン語も話していたし、日本語もちょっとだけ、とても上手な発音で話していた。私がポルトガル語を解するのは、セナのせいと言える。とにかく、五ヶ国語を操り、スイスに住み、写真を撮るというのが、一時の夢であったのだけれども、学校がスイスからニューヨークになった時点で、私の夢は軌道を変えた。アメリカにはF1は定着しないと思っている。私が学生の頃、北米グランプリがまだ残っていて、それはニューヨークの北にある「ワトキンス・グレン」で行われていた。だけど、今のアメリカグランプリ同様(インデアナポリス開催)チームの不満も多く、アメリカ人の気質とフォーミュラ・ワン独特の高貴さ…とでも言うのか、そういったものは、どうしても不似合いで仕方がない。だけど、そのフォーミュラ・ワン自体、もうその鮮やかで美しかった面影がうすれつつある。アイルトン・セナ以降のフォーミュラ・ワンしかご存じない「セナ世代」のファンにはわからない、その昔の「古き良き時代」というのがあって、その頃のエンジン音自体、素晴らしく美しかった。そんな音を聞いて育ったもんだから、初めて買ってもらったドイツ車のエンジンのフケが悪い…と父にクレームをつけるような、そんな生意気で女の子らしからぬ、女で、そのまま、現在に至っている。
April 16, 2006
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今、後ろのテレビでマトリックス・リローディッドをやっている。これはDVDで何度か見たけれども、未だに、どういう映画なのかよくわかっていない。わかっているのは、キアヌ・リーブスはいい男だということだ。そう言えば、この間、ニューヨークで、自らを「キアヌ・リーブスか若いリチャード・ギア似」という男と1回だけデートした。そして...その男は、キアヌ・リーブスというよりも....なんというか....その、「誰かに似ている」というのは、全然似ていないよりタチが悪い時というのがあって、なんとな~~く、そう言えば、キアヌかなあ???というビミュ~~~な感じで、紙一重の世界であった。さて、私が子供の頃、元F1ワールドチャンピオンのジャッキー・スチュワートの話しを聞き、その中に、スイスのローザンヌに住むスチュワート氏がレースに出るために飛行機に間に合わず、当時、絶対定刻発を誇っていたスイス航空が、ジャッキー・スチュワートをレースに無事参加させるために、彼一人のために出発を遅らせた…というのがあり、その時私は『飛行機が待ってくれるような人物になりたいなあ』と、とんでもなく迷惑な夢を抱いたまま、大人になったのであった。そして、その私の「夢」は割と簡単に実現された。それも何度も...。私の悪い癖で、何事もギリギリにならないと行動しない。成田でチェックインを済ませ、待ち時間の間、ターミナル内であれこれ食べたりしていると、あっという間に時間が過ぎて、気が付くととんでもない時間になっていて、たいてい...放送で呼び出される。空港内を走り回ったこと数知れず。それも、成田のみならず、シャルルドゴール空港(パリ)でも、ヒースロー空港(ロンドン)でも、コートダジュール空港(ニース)でも、とにかく、走り回っている。生前、アイルトン・セナ君も突然、欠席するはずのグランプリに出ることになって(その年は、レース毎の契約をしていた)急いで飛行機を乗り継ぎ、ロン・デニスの自家用ジェットやヘリコプターまで使って、やっと間に合ったと言っていた。その時、セナ君はF1の如く、空港を走ったらしい。しかし、恐ろしく「F1ドライバー」の西洋での位の高さというか、高貴さというか、特権階級というか、そういうものを感じるのは、アイルトン・セナをレースに参加させるために、機長は『予定よりも早く到着いたします』と断言し、実際に、予定よりも数時間早く到着したという。飛行機は既に「飛んでいる」ものであるけれども、それをさらに「飛ばして」急ぐ事が出来るなんて、スゲー……と私は感動した。そして、今『飛行機が飛ばしてくれるような人物になりたい』と新たな夢を抱くのであった。
April 15, 2006
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本日は、わたくしの26才の誕生日であります。もう、何年も、26才です。来年も多分26才です。私が大好きなあのおっさんが訂正しない限り、永遠に26才です。実は昨日、家の犬、レグが脱走し、散歩中の子供にじゃれに突進してしまい、噛んではいないけれども、子供はすっかり噛まれたと思ったらしく(何しろデケー犬なので)今日も朝から両親が、その子の家にお詫びに行ったり、庭の柵を頑丈に作り替えたりと、私の誕生日どころではなかったです。私は昔から、自分の誕生日が大嫌いで、誕生日が近づくとなんだか機嫌が悪くなって、落ちこんでいることが多い。ニューヨークで誕生日を迎えると、どうしても友達と食事になり、びっくりパーティということで、デザートの時に花火のついたケーキが運ばれてきて、店内に「ハッピーバーズデー」の音楽が流れて、お客さん達から拍手をもらう...という、非常にいたたまれない状態に立たされるのです。私はマスコミの世界で仕事をしていたし、今もニューヨークに行けばその仕事をしているので、テレビ、ラジオ、数千人の前に出ることなど、なんともないのですが、どうも、こういう誕生日は苦手です。今日はさすがに、我が子を産んだ日を覚えているらしく、食事が用意されていた。ハンバーグだった...。それから、ケーキを6個食べた。もちろんミニケーキです。丸いケーキに年の数だけローソクを並べて着火したら、火事になるので。....。最近はミニケーキの種類を沢山食べるほうが好きで、まあ、言えば、京会席ケーキヴァージョンてところです。それはそうと、両親が留守中、郵便屋さんが「書留で~す♪」と言うので、さては、あの例の「靴」第一弾が届いたかな?と思って玄関に出たら、ペラペラの紙切れがあって、受け取りにサインして、郵便屋さんは帰って行った。なんだろう?と思って、そのペラペラの紙切れを見ると、赤い文字で「外国から到着した郵便物の税関手続きのお知らせ」と書いてあって、私の「靴」は成田空港で止められているらしい。まあ、一応、高級ブランドの「本物」商品なので、高額になるということで、関税がかかるカモしれない。本物をお店から直接送ってもらうと、こういう手続きがたまにあるのです。海外から安くブランドものを買って送ってもらったら、コピー商品で税関で没収…ということも少なくないらしい。日本の空港はコピーものを見つけると没収します。しかし、わからず素通りできることも多いらしいです。しかし、コピーのブランドものを持つくらいだったら、普通のノンブランド品で十分だと思います。そこで、その用紙についているはがきに購入価格を記入して、切ってを貼って成田国際空港郵便局に送った。この間スペインから送ってもらった時はノーチェックでパスしてきたのになあ。やっぱりブランドがブランドだけに...。実は同じブランドの靴が更に2足(一足は友人用)が到着予定...また、この用紙が先に届いて手続きするのかなあ...面倒。個人輸入の場合、特に皮革製品、それも特に革靴の課税率は高い。ニューヨークから、日本で入手が困難なナイキの靴を大量に送ったら、国際宅配便を使ったのだけれども、やはり、受け取る時、税関で時間がかかって、かなり関税を取られたと後で聞いたことがあった。私はコピーを使うくらいなら、ノンブランドのほうがいい……と思うけれども、時々、いかにもこれはニセモノっていうのを買って遊ぶことがある。私のナンチャッテアディダスのウォーキングシューズは3本ラインの代わりにラインが4本あってこれは笑える。ああ、いつになったら、靴は届くのだろう...。誕生日の今日、届いてくれたら、プレゼントになったのに。
April 14, 2006
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ミキティーからメールが来た。今月は私の誕生日があるので、バースデーカードが届いた。ミキティーとは、もちろん、楽天の三木谷代表取締役会長兼社長である。そして、そのカードには、楽天ポイント300点がついていた。つまり、300円のお買い物をしてね♪ってわけだ。・・・まあ、何もないよりはよかろう。4月という月は、毎年のことではあるけれども、私は極端に機嫌が悪い日が多い。桜が咲く頃になると、どうも、アタマがいつもより格段にオカシクなるらしい。ニューヨークにいる精神分析医の友人に『春になるとオカシクなる人が増えるっていうのは本当ですか?』と尋ねたら、統計的にそういう事実はない、とのことだった。精神分析医と言えば、ニューヨーク、ニューヨークと言えば精神分析医…というくらい、精神分析医にかかるということは、ひとつのステータスシンボルと考えられているくらいである。なぜなら、とにかく、高い。1時間のセッションで大体$300ドルくらいかかる。それで「週2回いらしてください」なんて言われて通える人は、相当な大金持ちということになる。ウッディ・アレンの映画には、何かとこの精神分析医が登場する。それが、決まっておかしかったりする。私の友人の精神分析医が言うには、女性は、父親を愛していようと憎んでいようと、90%以上の女性が、自分の父親に根本的に似た相手を選ぶ傾向にある...とのことであった。そこで、私は『えっ。ってことは、私はハゲる人と一緒になるの?』と問うたら、「いや、そういう事ではなく....」とあれこれ説明していた。何しろ、私がとても処理できそうになかった心理学の論文の手伝いをしてもらいながらの会話であったので、無料の上、宿題まで手伝ってもらっていたのだ。その話をやたらとママっ子の女友達にしたら、「あら、私はパパが大嫌いだったから、この人と結婚したのよ。全然タイプが違うから」とほざいていたが、数年たったら、見事なほど、彼女の「パパ」そっくりのタイプになっていたのだ。そうして、彼女自身は、彼女の「ママ」そっくりになって、旦那を尻に敷き、完璧に主導権を握っていたのだ。私は男性と話をする時、ちょっといいカモ…と思ったら、必ずさりげなく、ご両親の仲はどうだったかを聞く。案外、そういうことは似るもので、「いい時」だけ「いい顔」が出来る人は沢山いるけど、困難な時、本当にチームワークよく、助け合うことができる相手はなかなかいない。私は両親を見ていると、時々、この二人は、一緒に生まれてきたのではないか、とさえ思う。長年を連れ添い、それでも、仲睦まじい。多分、私が育った環境の一番誇れるものは、海外留学でもニューヨーク生活でもなく、この両親の仲の良さを見て育ったことだと思う。例え、私の「飯」を頻繁に忘れられてしまうとしても。だ。
April 13, 2006
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最初に、ちょいと愚痴ります。ここ数日、母が、わたくしの「飯」を忘れることが多くなり、自分達は毎日、外食で日替わりランチでキチンとしたものを食べているので、高齢になると食も細くなり、夕飯はまあ、軽くでいい…と自分達中心の献立になっておって、私は犬のレグ以下の食生活が続いておるのです。それで、ハンストしてまして、『人間は、水と“1日分の野菜”とレーズンチョコと、サプリメント』でどれくらい生きられるものか、実験しているような状態です。ストラップレスブラがズリ下がるのも納得...。ああ、むなしや。睡眠障害がなければ、日中、1人で出かけてレストランにでも行くのだけれども、ちょっと調子悪いと外出は無理状態。そんな「ひきこもりたくないけど、ひきこまざるおえない」状態で、食事がまともに取れないと、ハッキリ言って、このトシで....グレるでー、ほんまに。さて、グレながら、とあるサイトを見ておりましたらば、恋愛相談に、45才になる男性から『20年前に同じ職場の女性に告白して2ヶ月ほどつき合ったけれども、あまり合わないから...と断られ、それからその女性は別の男性と結婚。自分もその後お見合いして結婚したけれども2年で離婚。今でも彼女が忘れられず悩んでいます』というような相談事があった。そして、その回答には、『もう一度、告白するんですよ!女性は男性から「愛しています」と言われて嫌なはずないし、それほど20年も愛し続けることって素晴らしいわ!2度目がだめなら3度でも、4度でも告白してください!』というような激励の言葉が並べてあった。(しかし、現実には、経験上、誰かれかまわず「愛してます」と言われても、そうそう嬉しいものではなく、はなはだ迷惑至極…という場合も少なくない。女性の回答者であるにも関わらず、女の心理がわかっとらん。これじゃあ、いかんぞ。)私はそれそ読みつつ...なんか変だな?と思った。はっきり言うと、それは軽いストーカー化する恐れがあるし、その20年前に別れた彼女はちゃんと結婚していて、夫(もしかしたらちゃんとお子さんだって)ある身なのではないか?それなのに、もし、平凡だけど幸せな生活を送っている女性に、20年も大昔にたった2ヶ月しかつき合ってない男から、「今でも愛してます」「今でも愛してます」「今でも愛してます」...エンドレス...と言われて、それが「女性だったら「愛してます」って言われて嬉しくないはずないじゃないですか!」という回答にあてはまるだろうか? 私だったら、ハッキリ言えば、迷惑だし、気持ち悪いと思う。身の危険すら感じるかもしれない(最近、思い込み犯罪って多いし...)相手が、離婚して1人者に戻っていて、お互いがフリーの立場なら、それはまた新しい恋愛の出発のチャ~ンス!かもしれんが、少なくとも、彼女は彼とはたった2ヶ月のオ付き合い後、「合わないから・・・」という理由で、20年前にはっきりとお断りしているのである。それから、回答にも質問にも触れていなかったけれども、この男性は、今でもその時の女性がその時の年齢のまま単純に「仮想恋愛」をしている場合もある。自分が45才になっていることをすっかり忘れ、相手はまだ自分が25才の頃の彼女のままのイメージで未練があるだけなのかもしれない。話は飛ぶけれども、先日、あるダイレクトメールの広告に、岡崎友紀さんがモデルになって載っていた。兄は岡崎友紀さんが若い頃、物凄く憧れて、ブロマイドを持っていたらしいけれども、自分も中年の域に達し、久しぶりに見る岡崎友紀さんの変ぼうぶりに、『ああ~~~!夢が壊れた~~!こんなオバさんになって、まるで別人じゃないかあ!こんななら、見るんじゃなかった...』と、すっかり夢破れていた。つまり、20年前に別れたその相手の女性も20年の年月が流れているのだ。勇気を出して、告白しに行ったら、別人のようなオバさんが『あなた誰?なんか用?』と、生ゴミの袋を片付けているところに出くわすかもしれない。ネットの世界では「愛することは素晴らしいこと。告白すべきです!」ということも、しないほうが、お互いのため....ということもあるんじゃなかろうか...と、思って読んでいたのでした。とにかく、例え「誰かをそんなに長い間深く愛せること自体、素晴らしいこと」であっても、平和な生活を送っている人の日常に波風を立たせるようなことをするのは、それほど好きになった相手ならこそ、そっと見守り、自分の胸にしまって『他の人にはまったく気持ちがいかず....』(男性の相談内容)というのなら、そこはまあ、そういう人生なのだと思って、仏門に入るなり、一生独身を通して愛する人のことを思いつつボケてゆく...というのもあってよいではないか。相談の回答者の内容は、余りにも美化していて、「人生短いんだから、本当に愛する人にアタックして、だめらなら何度でもアタック...云々」と書いていたが、それは、20年前にすべきことであって、今、それをすることが「愛をつらぬく」ことにはならない。人の幸せを壊してまで手に入れたものは、必ず、壊れる日が来ると思う。兄は、何かと若いおネーチャンが大好きで、いいように扱われては利用されているようだけれど、兄よ!その若くてブリブリブリッコのオネーチャンも20年経つと、別人になるのだよ...現在の岡崎友紀さんを見た時と同じように。
April 12, 2006
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昨日はとうとう日記を書けなかった。周回遅れのまま、続行することにした。その代わり、一日に二つネタがある日もあるので、チャラってことで、ここはひとつ...と誰に対して交渉しているのやら。今日、でかけたついでに、“ズレない”ストラップレスブラはないだろうか?と下着売り場をうろついていたら、売り子のお姉さんがいたので、久しぶりに私はどれくらいのサイズを買えばいいか、計測してもらった。私はかなり前まで、下着売り場で試着していると(アメリカでも日本でも)『いかがですかあ~~?』(How are you doing?)と言われると、胃を切った傷跡を見られたくなくて、「あ、ひとりで大丈夫です」(I'm fine by myself, thanks.)と言っていたものだけど、今では平気になっている自分を発見。傷自体、執刀医を「奇麗に縫わなかったら...嫁入り前のムスメなんですからねえ,,,,怖いですよお...怨念が,,,」と、かなり脅しておいたので、それはそれは奇麗な縫い目で、傷を消毒しに来る看護婦さん達が皆口を揃えて、『うわあ~~!○○先生の気合いの入った縫い方、久しぶりに見たわあ!』と言っていた。...つまり、日頃は適当に縫ってるんか...そうか。ま、それはいいとして、胸のサイズを計ってもらったら、めちゃくちゃ、痩せている。アンダーが....。どうりで、今持っているストラップレスブラが、歩いていると、どんどん、どんどん、下がってきて、トイレに駆けこんで、ひっぱりあげなければならなくなるのだ!その点、ヴィクトリアズシークレットのストラップレスブラはシリコンテープが付いていて、ズリさがらない。それで、この間NYで買おうと入ったら、私のサイズのモカ色がなくて、まあ、また夏前になって買いにくればいいか...と思いつつ、まだ、ここにいる私っていったい...。さきほど、濱野鞄店から「以前、お買いになったことのある方だけに特別にメール差し上げます」というメールが来た。何かと思ってパスワードを入れてページを見たら、クロコの鞄だった。その値段...35万円。まあ、クロコの値段にしては、安いほうかもしれない。,,,が、買えんっちゅーに。私の(ここによく登場する)スッチーの友達は買い物依存症で(本人申告済み)パリのエルメス本店で色違いの特注バーキンを2つ買って、よくぶら下げて歩いている。帰国した時に、それを持って某デパートをあるいていたら、店員さんが寄って来て、「あの~~~大変失礼なんですけれども、それ、エルメスの本物ですかあ?」と聞かれ、彼女が、もちろんエルメスで、本店特注であることを告げると、店員さんは、「あの~~~ちょっと触ってもいいですかあ?」と、うっとりとした顔で、バッグを撫でていたらしい。そして、「本では良く見るんですけど、本物見たのも触ったのも初めてなんですう」とのことだった。確かに似たものは沢山あるけれども、本店のオーダーメイドを見ることは少ないかもしれない。私はエルメスのパリ本店には、手帳の中身を買いに時々行っていたが、あそこの売り子は、言葉が通じないとわかるとあからさまに態度が横柄になり、言葉がわかるとなると、突然丁寧になるという、イヤラしい売り子が多い。あまりにも態度が悪くて頭に来た私の日本から来た友達が、私に駆け寄り、「○○ちゃん(←わたしのこと)、あの女(店員)のスカートめくって!私、(その店員の)パンツさげるから!」とまで言うほどであった。その私の友人は、日本からパリで勉強している私を尋ねてやってきて、とにかく、カルティエの『本店』で時計を買うのだと言い張る。私は予算を聞き、それだったら、サントノーレにあるカルティエのお店でいいんじゃないの?と言うけれども、ガンとして、『本店で買うの!』とひかない。私は、ほとんどのブランドものの多くを本店で購入している。したがって、カルティエの『本店』の中がどのようになっているのか知っている。「行っても....びっくりするだけだと思うよ」というのも聞かず、彼女は、短パンにスニーカーという格好で、カルティエ本店に行くというので、私は一応、ついていくことにした。扉を開けると...そこには、なにもなかった。つまり。それを知っていたので、行ってもびっくりするだけだと思うよ...と私は言ったのだ。カルティエ本店というところは、入ると、優雅な空間があって、椅子とテーブルがあり、『Bonjour, 本日は何をお探しで?ご予算は?』という会話で始まり、その予算内の希望のものが、ベルベッドのお盆に乗せられて、テーブルへと運ばれて来るところなのである。他のカルティエのお店のように、ショーケースに並んだものを指差して、「あ、これ、これ見せてください」と言って値段を見る...なんてことはできないようになっている。彼女は腕組みして見ている私に「なんか、違うみたい、出よう」と言うので、私は店員さんに挨拶して出た。そして、サントノーレのカルティエに彼女を案内したら、あれこれ楽しそうに選んでいたので、良かった良かった..本店がどういうところか、どういうものが必要な時に行くところかわかってくれて...と思ったものだった。シャネルの本店で買い物していたら、日本人観光客のおっさん達がドヤドヤと入ってきて、『ネエちゃん、ヘルメス(エルメスではなく「ヘルメス」)はどこかしっとるけ?』と聞かれたときは、私がびっくりしたものだった。
April 11, 2006
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家の犬、レグは、新聞広告でも『賢いボーダーコリー譲ります』と書かれるくらい、犬としては利口なほうらしい。その利口さを感じるのは、夜になって、部屋に入れる時。レグはレグ専用スペースの柵の中に入らねばならないことになっている。何故なら、生後2ヶ月を乳牛の中で他の犬達と育ったので、半ば野生の本能を持ったまま、人間と一緒に暮らすことになり、あれこれ頑張ったけれども、どうしてもペーパートレーニング(トイレ)の躾が出来ず、油断すると「やってしまう」ので仕方なく、寝る時は柵の中で寝ている。ところが、庭から家に入ってくると、スキを見て、居間のソファーの上に登って居座ってしまう。私はとても持ち上げられないので、父又は兄が抱きかかえて動かそうとすると、レグは全身の力を抜いてフニャフニャになるのだ。お子さまをお持ちの方はわかると思いますが、力を抜かれると、重さが倍増するというか、とにかく実際の重量よりも遥かに重く感じて、持ち上げられなくなる。どうやら、レグはそれを野生の本能で知っているのか知らぬのかわからぬが、とにかく、無理に動かそうと抱き抱えようとすると必ず全身の力を抜いてクニャクニャになる。さて、テーマの二つ目のアールグレイだけれども、まゆみゆまさんは余りお好みではないと掲示板に書いてあった。あっ。読み返したら、ある特定のアールグレイはお好みではないとのことだった。すまん。私はかなりアールグレイは好きで、特にアイスでミルクティーにして飲むのが好きである。スッチーの友達がニューヨークに来ると、一緒に食事をするのだけど、私が彼女の前でアールグレイを頼むと必ず、『アールグレイって、中国茶なのよね。だから、それに砂糖とミルクを入れて飲むって言うのは、外人が日本の緑茶に砂糖とミルク入れて飲むのと同じなのよね』と必ず言う。しかし、私はアールグレイに砂糖とミルクを入れて飲むのが好きなのだから無視して飲む。さすがに、ウーロン茶に砂糖を入れて飲んだりはしないけど。まあ、緑茶に砂糖とミルクを入れて飲むと、溶けたグリーンティーアイスクリームみたいなものだから、まあ、そうそうまずくはないだろう。ニューヨークのチャイナタウンには、沢山、お茶専門店があって、中国人の友達と一緒によくお茶を買いに行く。とにかく、中国街には本場中国人を連れていくのが一番いい。そして、本当にいいお茶は高くてびっくりした。チャイナタウンのメインストリートは「キャナルストリート」というのだけど、その道にいろいろ露天が出ていて、あからさまに、ブラジャーが山ほど売っていたりもする。可愛いアクセサリーもあったので、中国人の友人と別々に値段を聞いたら、英語の私への答えと中国語の彼女への答え(値段)が余りにも違って、なるほど,,,こうして言葉が通じない相手はボッタクラれるのか...。と現実を見たのであった。そう言えば、パリでアメリカ人の友人とランチの約束をして、私が早めにレストランに着いたら、ウエイターが日本語のメニューを持って来てくれた。私は別に英語でもフランス語でも構わないのだけれども、多分、観光客だと思ったのだろう。暫くして、友人がテーブルに来て、友人には英語のメニューが渡された。見ると....値段が違う。日本語のメニューのほうが、同じものなのに、高い!これは、日本人をバカにしているとしか思えず、私は英語で、ウエイターに抗議した。ウエイターは『おお、これは間違ったメニューを出してしまいました。失礼』と言って、私にも英語のメニューを渡そうとしたので、「フランス語のメニューください」と言ったが、結局、出て来なかった。イタリアで日本人3人とレストランに入ったら、注文していないものまで注文していることになっていたり、チップも追加されているのに、更にチップを要求するヤツもいた。そんな時、それまで3人で日本語で和気あいあいで喋っていたのが、1人(私)は英語で、もう1人は流暢なイタリア語を喋り始めたので、ウエイターはしどろもどろで、『おお、間違っておりました!失礼』と、いかにも今気付いたような大袈裟なリアクションを見せたけど、イタリアという国は、そういう所が多い。言葉が通じないと、結構余計な出費を強いられているんだな...と思うのであった。イタリアに限らず、海外に行ったら、カードサイズの電卓を持参して、検算してから支払うほうがいい。特に、メニューの品目を原語のミミズのような字で書かれると、どれがどれの値段なのかわからないので、注文した数と請求書の数が合わなければ抗議すべきである。なーにが、ママミ~~ヤ~~!だ。お恐れ見よ!だよっ!。
April 9, 2006
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ああ、やっと周回遅れを取り戻し、今日の日記を今日中に書けるようになったわ。さてと、今、テレビでは「Shall We Dance」という芸能人が社交ダンスを踊る番組をやっていて、ちょっと見ていたけど、なんだか見るに耐えられず、スイッチを切った。なんとなく、ああいうダンスは、日本人には(まあ、わたくしを含め)余り似合わないような気がする。役所なんとかって俳優さんがやった映画「Shall We Dance」はなかなか面白かったけど、ハリウッドがリチャード・ギア主演でリメイク版を作ったら、やっぱりリチャード・ギアの踊る「サマ」のほうが板についているというか、違和感がなかった。しかし、リチャード・ギアという男は、スクリーンの中ではかなりカッコイイけど、実際会ってみると(NYで、写真展のオープニングパーティにモデルの女を連れて来ていたけれども)なんとなく、イケスカナイ感んじがしたなあ。もちろん、やたらとイイ男ではあったが。本当に誰かを心の底から愛して、苦しんだことって、もうないんじゃないのかなあって思わせるような感じだったなあ。まあ、映画俳優、特に、ハリウッドの売れっ子俳優なんてえのは、大抵そういうふうになっていくのだろうけれども。悲しきかな。名声と富を得ると、寄って来る女性もある意味「目的」が違っていたりするだろうし、本当に誰を信じていいのか判らなくなったり、また、裏切られることも多々あるだろう。私が高校の頃だったか、その頃まで、本当はスイスの学校に進むハズだった。何しろ、その頃は機材の重さや重労働だということも知らず、F1のカメラマンになってスイスに住んで(F1は元来ヨーロッパのモータースポーツであるのでスイスという場所は移動に都合が良い。シューマッハもジャッキー・スチュワートも、ついでにジャン・荒れ痔もスイスに住んでいる)仕事をする気でいた。今思えば、かなりエネルギッシュだった。今とは雲泥の差である。(今は、近所のセブンイレブンに行くのも億劫に感じるのに)そして、その頃、母に『私ね、ウィーンに行って、ドレス着て、ワルツ踊りたい!』と、とんでもねえことを夢として語っていた。母は、そんな夢物語をつぶやくアホ娘に「あらいいわね。で、あなた、踊れるの?」と激しいつっこみを入れて来るのであった。『だから、習うのよ。』「で、誰と踊るわけ?」『あの辺行けば、だれか踊ってくれるんじゃないの?』「ニキ・ラクダさんにお願いするのはやめてよね」(注:ニキ・ラウダ氏はウィンナーワルツのオーストリア出身レーシングドライバーであった)・・・私の母は、おもしろい真面目さがあって、話は逸れるが、ある芸能人ばかり集まるパーティに父宛に招待状が届いた。その時、丁度、ニューヨークから一時帰国していた私に、父は『オレはどうも、こういうのは苦手だから、○子が代わりに行け。そういうの、得意だろ?』と言うこと代理で出席することになって、そこにビートたけしさんも来るというので、ジャニーズの面々よりも「わ~~い、タケちゃんに会える~~~♪」と喜んで支度をしていたら、母が真面目な顔で、『北野さんにお会いしたら、「タケちゃん!」なんて言うんじゃありませんよ。ちゃんと「北野さん」って言うのよ、いいわね!』それくらい、私だってわかっている。というわけで、私のウィンナーワルツの相手にニキ・ラウダを指名することはできなかった。もちろん、ニキ・ラウダがワルツを踊れるかどうか、知ったことではない。それで、ある時期、本気で『ウィーンに行って、ワルツを踊る!』と、踊りを習ったら、案の定、三半規管が弱く、女性が華麗にターンするところで、よろけて踊りどころではなく、私の夢は三半規管のために断念せざるおえなかった。それで、ニキ・ラウダ氏は、私とワルツを踊らずに今も無事に生きていらっしゃる。
April 8, 2006
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「小沢一郎とキスできるかどうか?」それは、24才のうら若きスッチーの女性でなくても、私でも、考え込む。しかし、似て非なるパキスタンのムシャラフ大統領だったら喜んでキスしようではないか!どこが違うかって?同じオッサンなのに?まあね。片方は「非核三原則」であり、片方は「持っとるどー」...という訳では決してない。日本は基本的に「おじぎ」の習慣の国で、あまりスキンシップをとらないで暮らしている。ところが、海外に長くいると、女性同士でも仲良くなると、必ずハグ(抱き合う)して頬にキスする。丁寧な男性になると、握手しようと手を差し出すと、その手の甲にキスする。握手にも規則があって、マナーとしては、本当は、男性から求めてはいけないことになっている。女性が手を差しだして初めて「握手してもいい」ということなのだ。私に初めてキスしたのは、ギターの神様がまだハンサムだった頃のエリック・クラプトンである。もちろん、私はまだ子供であったので(やたらと可愛い子供であったので←強調)思わず神様も抱きしめキスしたのであるが、クラプトンという人は、ず~~~っと長い間、不精ヒゲを生やしていて、まだ彼も若かったので(今はきっとフニャフニャだろうけれども)その数ミリのヒゲが針のように痛かったのを鮮烈に覚えている。それで、憧れの、大好きなクラプトンにキスされたというのに、私の顔はまるで『イッテ~~~!なにすんのよっ!ボケ~!』といわんばかりの顔であったに違いない。忘れられないキスはいろいろあれど、やはり、本当にわすれられないのは、大好きなあの人が、別れ際に、頬と唇の丁度間にそっとくちづけした、あのキスだ。その、あまりもの中途半端な場所に、私は苦悩したのだった。その、あまりもの中途半端な場所が、二人の位置関係を表し過ぎていたから。
April 7, 2006
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また、昨日の日記を今日書いている。これには事情があり、実は、昨夜も母は私の夕食を忘れた。もう、日本に居る時間もかなり長くなっているのだから、そろそろ『家にはひとり娘がいる』と思いだしてくれててもいいじゃないかっ!それで、腹がたって(人は何かと食べ物のことになると怒りは大きくなる)7時にやけ酒の代わりに「ヤケ睡眠薬」を飲んで(睡眠障害治療中なので睡眠薬は多種多様あるのだ)8時前にはコロッと寝たのだった。寝る前に、友人に電話したら、神宮球場に巨人ヤクルト戦を見に行っていないというし。さて、ニューヨークに居る頃、スッチーの友人が同じフライト勤務の後輩を連れて来たので、一緒に食事をすることになった。聞くと、彼女(スッチーの後輩)は、イタリアが大好きでイタリアに住みたい!と夢を持っていると言う。夢を持つのは大変良いことなので、ぜひ、何か協力できないかなあ...と思ったら、ローマに日本人の男友達がいることに気が付いた。そいつも独身だ。おまけに日本人の嫁さんを求めている。スッチーの彼女は24才で、イタイアには住みたいけど、結婚するなら絶対日本人がいいという。うーん,,,これはうまくいきそうだ。とニヤリと笑う。それで、そのローマのH君の話をすると、彼女は嬉しそうに、『うわ~~、会ってみたいです!今度、ローマ便が入ったら、ぜひ!』と、可愛い顔で喜んでいる。しかし、私には少々心配な気分がわき起こって来た。『その方、おいくつなんですか?』「え~~っと、確か、33才だったかあな」『お仕事は?』「国連関係らしいよ」『わあ~~!ステキ~~』うーん...ステキかどうか...。私は段々、複雑な気分になってきた。『それで、どんな感じの方なんですか?』きた~!その質問!そうだ...どんな感じかって聞かれると言い様がないのよね...と思いつつ、黙っていると、『たとえば、テレビに出て来る人で言ったら、誰に似てます?』「うーん...そうねえ、誰かなあ...」そう言いつつ、どう考えても、アイツに似ている俳優などいない。歌手などもってのほか。いない。そこで、ピ~ン!と来たのが(当時)自民党の「小沢幹事長』なのであった。「そうねえ。誰みたいか...って強いて言えば...自民党の小沢一郎かなあ、あ、もちろん、あの人を凄く若くしたような感じだけど...」と言って、私はうなだれた。そして、彼女は、それから突然、おとなしくなってしまった。同席していたスッチーの友人が気を利かせて、『誠実そうでいいじゃん。まあ、会ってみないと○○(←これは私のことだ)の言ってるのってアテにならないしさあ』と、必死で場をつくろっている感じ。だって...本当に、他に思い当たる有名人ていなかったんだもん...。翌日、フライトでニューヨークを発つ友人から空港から電話がかかって来たので、「ねえ、彼女、なんだって?」と恐る恐る聞くと、『うん...彼女ね、「イタリアには住みたいし、お仕事もちゃんとしてらっしゃるし、いい人そうだけど...私、小沢一郎とキスできるかどうか、しばらく考えてみます」だって...ちょっと小沢一郎じゃねえ...』それから、そのスッチー後輩からは何の問い合わせもなかった。その話をローマに住むH君に電話で言うと、『なんで小沢一郎なんて言ったんだよお!もっと他にもいろいろ居るだろが!ビートたけしとか!』「だって、H君、たけしには似てないじゃん...だって、だってさあ。小沢一郎しか浮かばなかったんだからしょうがないじゃない!」『おい、お前なあ、オレがそのわずかなチャンスを逃したら、お前の「小沢一郎」のせいなんだからなあ!』「あら、そんなこと言うけど、実際に小沢一郎に似ているのはアナタなんだから、私のせいにしないでよっ!」つまり。小沢一郎さんが、女性がキスしたがるような感じの男性であるかどうかが、問題なのである。結論。
April 6, 2006
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「昨日」の日記を「今日」書いているのは、昨夜、ネットに繋いでいたら入札して散財しそうな「靴」が出ていたので、早々と電源を落として代わりにテレビを見たり音楽を聴いたりしていたのでした。昨日、両親とジャマイカに行った時の話を懐かしく話しながら、質素な夕飯を食べたのでした。私がニューヨークに居る間、よく両親がやってきて、1~2ヶ月滞在していたので、その間に一緒に旅行をすることがあった。とにかく、両親にしてみれば、莫大な授業料を払って2つもアメリカの大学に通わせて(おまけにパリの大学にまで行ったし)私を通訳兼ガイドとしてコキ使わない手はないといったところで、私はちょっとした個人旅行代理店並な働きをしていた。日本にいる友人も何かと、私と行く海外旅行が一番楽しいと言うけれども、それは、パック旅行とは全く違った旅行ができるし、個人の通訳とガイドをお共にしているようなもんだから、そりゃあ、楽で楽しいに決まっている。その代わり、海外に出ると私は幼稚園児を連れているのと同じように世話をせねばならず、私は疲れることが多く、友人は気楽にただ観光を楽しんでいるという感じで、いい加減アホらしくなり、ある一定の時期から、少なくとも自分のことは自分で出来る=最低英語は話せる=友人としかヨーロッパには行かなくなった。自分のことは自分で面倒を見る=つまり、英語圏以外の国に行けば、お互いが同じ立場であるにも関わらず、つまり、私だってその国の言葉がわからないのに、レストランのメニュー読みからホテルの予約や交渉、おまけにショッピングの質問まで、「わたし」がやって当たり前のように頼られるのが重荷でしかたなくなっていった。特に食べ物の好き嫌いの激しい友人を共なってヨーロッパに行くと、日数を重ねて行くごとに、だんだん憂鬱になっていく。こっちだって、一生懸命メニューを解読しているというのに、「あ、それ嫌い。」「ああ、それもダメ。食べれない」「う~ん他に何かないの?」私は花輪君ちのヒデじいではないのだ。食事の度に毎回そういう風だと、しまいには『ええい!勝手に食べれるものを自分で選んで自分で注文しろ!私だって、自分の食べたいものを探すので一生懸命なんだ!』と叫びたくなる。個人旅行だったら、自分でメニューを解読して注文し、自分で買い物をし、自分で列車の切符を買うのは当たり前で、それができないのだったら、旅行会社が用意した団体旅行で行くべきであって、私をガイドに使うのはやめてくれ~~~!!!...と、今頃になって思っても、時、すでに遅し。私の両親は、父が英語を割と解するし、ニューヨークに長く滞在していても、自分達でさっさとあちこち行って帰ってくるので、世話する必要がない。12月。ニューヨークはかなり寒さが厳しかったので、どこか暖かいところへ行こうということになり、私はバハマには何度か行っていたので、ジャマイカに行くことにした。ジャマイカという所は英語圏なのだけれども、なまりが強くて、ジャマイカン・イングリッシュで、一瞬、英語には聞こえない。だけど、長くニューヨークに暮らしていると色々な国の人達が話す英語に慣れていて、割と聞き取れたりする。父はジャマイカで私が現地の運転手を手配して話しているのを見て、「いつからジャマイカ語が判るようになったんだ?」と不思議がっていた。私が極端に、日本語でも『いや~~ん、わかんな~~~い』などと言ってかわいこぶりっこしている女を見るとぶん殴りたくなるのは、多分、海外での日本人の友人の依存的海外旅行の疲れを思い出すからだろう。
April 5, 2006
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キャラ作り中のevoさんから、今日は「オカマの日」だと教わった。まあ、それはいいとして、昨晩から今朝5時過ぎまで靴を買うために、ニューヨークとやりとりをしていて、睡眠不足の上に今日は出かけねばならず、夕方にはヘロヘロになっていて、非常に具合が悪い。と言っても、こうしてパソコンの前に座っていられるので、そうそう悪い訳はないかもしれないけど。ある某有名イタリアンブランドの靴が突然欲しくなり、友人に話したら、「ねえ、私もそれくらいのヒールだったら履けそうだから、一緒に頼んでくれる?」と言うので、二人分、注文をするのだけど、注文していたら、メールがほぼチャット状態になり、日本までの送料などを値切り倒し、おまけに、端数も値切り倒しまくり、結局、あり得ない値段で、注文終了。英語だから普通だったけど、もし日本語で訳したら、『なあ、この、最後の○○ドル98セントって端数、気にならへんか?そこはビシっと、$○○○ドルで、気持ちよーいかへんか?それやったら、今すぐ、支払い手続きするでー。準備万端や。どや?』という、大阪のオバチャン的な交渉であったのだけど、日本人で日本からメール打ってくるのに、やたらと巧みに交渉してくる私が不思議だったらしく、「ニューヨークに長年住んでましたし、コロンビア大学行きましたから」と書いたら、『No wonder.』(どうりで)と返事が来た。結局、合計で、3000円近く値切った。定価1足$389ドルの靴なんだけど、これまた、非常にお手頃価格で交渉成立。そうして、気が付いたら、もう、外は少し明るくなりかけていた。そして、今日は一日非常に具合が悪いまま、用があって外出していたので、帰ってしばらく寝ていた。友人に無事、注文完了の電話をかけたら喜んでした。「だって、その値段じゃ、日本じゃ絶対、絶対、ヤフオクでも買えない値段よ!」と感激していた。私は内心...あーた、そのために、私は一晩中、パソコンの前でネゴシエーターになっていたんだぞ...と呟いた。友人と私は同じ足のサイズなので、色違いで2足注文。それで、彼女は優しいので、「届いたら、好きなほうの色を選んでいいよ」と言ってくれた。しかし...両方、好きだったらどうしよう...。竹野内豊も好きだけど、堤真一も好き...どうしよう...と同じくらい悩むだろう。さ。寝るぞ。
April 4, 2006
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つまり、フェラーリは崩壊した。私は父の仕事の関係もあって、物心付いた頃からF1には縁があって、まるで、J.M.ファンジオが走っていた頃から知っているような錯覚に自分でも陥ることがある。(注:ファンジオは私が生まれる前のチャンピオンである)私は子供の頃からフェラーリが好きで、なのに、何故か、マクラーレンチームに可愛がられ、スキを盗んではフェラーリのピットに入り込み、遊んでいた。すると、マクラーレンの人達が『こっちにおいで~~』と呼ぶので、私は割とマクラーレンのピットやパドックにいることが多かった。しかし、やっぱりフェラーリのエンジンのほうが、俄然、ドライな音で美しかったので、また、ふらふらとフェラーリのピットの中に入っては、おじさん達に抱っこされたりしていた。さすがに大人になってからは、誰からも抱っこされなくなったが、代わりにやたらと抱擁されるようになった。1994年以来、シューマッハがライバルになってから、何かとフェラーリに,というより、シューマッハに対して、ライバル意識を燃やしていたのだけれども、何一つ、勝てるものがなく、まあ、強いて言うならば、一度、後ろから歩いて行って、横を追い越したので、「シューマッハを抜いたぞ、アッハッハ!」と、かなり自慢していた。私はシューマッハが速いと極端に面白くなかったのだけれども、去年から、フェラーリは遅くなり、なかなか勝てなくなっていき、今年もかなりヤバそうな感じ。今、(チームフェラーリの面々は)移動中なのでメールは出せないけど、イタリアに戻った頃に、フェラーリの友人にメールを出そうと思っている。昨日、久しぶりに午後、オーストラリアグランプリの中継を見ていて、クラッシュするシューマッハを見て、『あ~~あ、壊しちゃった。直すの、高いんだじぇえ~』と思いつつも、ああ世代交代かなあ‥と表彰台を見て思った。シューマッハがクラッシュした瞬間、ピットウォールにいる監督ジャン・トッドが映ったけれども、私の友人もその横に座っていて、口をへの字にしてジ~~~っとモニターを見据えたまま、微動だにしなかった。「あれま。石になってるわ」さーてと。今年は誰を応援しようかなあ。顔のいい人にしよう。そんなの、いたっけ。
April 3, 2006
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毎年、何かウソをついてやろうと思うのだけれども、いつもうまいウソが思い付かないまま、エイプリルフールは過ぎて行くのでありました。海外のメディアのエイプリルフールはかなり凝ったものが多く、以前、イギリスが、ロンドン名物の時計台「ビッグベンを売りに出す!」と新聞にデカデカと載せたら、本気にした日本人達から「ハウマッチ?」との問い合わせが凄かったという笑い話がある。つまり...笑われていたのでした。先日、といってもかなり前だけど、フランスのテレビ番組で『アポロの月面着陸は作り物だった!』というものがあって、そこには、かなりの著名人が証言のインタビューに答え、そういう悪ふざけが大好きなアメリカは、ラムズフェルド国防長官までが真剣に、「ええ、あの時は、ああするしかなかったのです」と出て来て、それはそれは、凝ったエイプリルフールでありました。さて、わたくしの「靴熱」は治ることを知らず、このまま突っ走ってどこまでいくのか、私自身すらわからないという状態です。かなり前のフジテレビのドラマ「やまとなでしこ」で、松嶋奈々子がブルーノマリのピンヒールの靴に関して、「男性の支えなしでは歩けない、華奢な女性らしさを演出するにはもってこいなのよっ!」と言っていたが、確かにピンヒールというのは、出かける時に玄関から(あるいはドアから)車に乗って、パーティー又はディナーの場所に着いたら、カレシに腕をまわして歩き、そして、帰ってくる……というような場合しか、利用できないような気がする。つまり、介護が必要な靴なのだ。私のヒールの限界は「8センチ」。そして、私は余り背が高い男性は好みでないので、普通の靴を履いていても(大体6センチ前後)割と、目線が同じ高さにあったりする。そして、余り好意を持たない人とどうしても会わなければならないような時には、無意識にハイヒールを履いて、その人を見下ろしていることがある。私が昔昔その昔、6年越しのボーイフレンドとつき合っていた頃、なぜか、ずっとローヒールしか履かなかった。そのボーイフレンドの身長は174センチくらいだった。別れると決めて最初に買ったのが、ハイヒールのブーツだった。それにしても、楽天よ。マックじゃ絵文字も文字に色をつけることもできんじゃないか!
April 1, 2006
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