Welcome  BASALA'S  BLOG

Welcome BASALA'S BLOG

PR

×

Calendar

Comments

ske芭沙羅 @ Re[3]:孤独の虫けら(03/27) harmonica.さんへ ご心配させてしまったよ…
harmonica. @ Re[2]:孤独の虫けら(03/27) ske芭沙羅さんへ 4月はただでさえ疲れや…
ske芭沙羅 @ Re[1]:孤独の虫けら(03/27) harmonica.さんへ 珍しく、体調がおかしく…
harmonica. @ Re:孤独の虫けら(03/27) 加齢とともに孤独に強くなりますね。 幼…

Keyword Search

▼キーワード検索

2007.01.12
XML
カテゴリ: I write
(七)アリ地獄の恐怖

駅員のにこやかな顔が男の視界を覆った。
「気になる症状は、すべて先生にお話いただけましたか?」
男を見下ろす駅員の顔は、棘を隠した植物のように
静かで、なのにそら恐ろしい雰囲気を漂わせていた。
「症状って……、気分が悪いと言っているのに、
頭部レントゲンとCTだけなんて、おかしくないですか?」
男は、何かを言わなければならないと思った。
言葉を発しなければ、この場ですべてが終わり、

事故に遭ったこと、次の駅まで歩いたり、救急車に
乗ったりしたこと、病院に来たこと、老獪な医者の
言葉攻めに遇って、ドギマギしたことすべてが
フイになることが口惜しかった。
それとは別次元だが、これがなければ
無理などしなかった“出社したくない”という理由も
男の行動を後押ししていた。

「事故と気分が悪いとの因果関係を考えますと、
急ブレーキによる頸部から頭部への衝撃が原因と
思われます。それは、おわかりですね?」
男は迷った。〈はい〉と言ってしまっては、駅員に論破

それが通用するとは到底思えなかった。なぜなら、駅員の
論拠の方が正しいと思えたし、根拠も明確だと感じた。
「わ、わかります」
「それ以外に、どこをどう検査してほしいとおっしゃる
のでしょうか。どうか、忌憚なくおっしゃってください」

男は見ていた。男は完全に怖じ気づいていた。
仕方ないことだ。「具合が悪い」ということ自体が
架空の事実で、それにまつわることを言うのは空想に
過ぎない。言葉を発すれば発するほど、墓穴を掘ることに
なることは理解できた。

「わ、私は専門的なことはわかりません。でも、気分が
悪いことは間違いない」
男はそう言いながら、その主張が余りにも無根拠で、
意味のない言動であると思えた。が、後には引けない。
すると駅員は、表情を緩めて言った。
「わかりました。では、しばらくこの病院でお休みください。
体を休めれば、体調も戻られるでしょう」
「そ、それは、私が気分が悪いと言っているのは、妄想だと
でもおっしゃっているんですか?」
男は声を荒らげながら、不安感の混じっている高い声に
“まずい”と我ながら驚いていた。

「お客様、お気を悪くなさらないでください。我々の
業界ではお客様が訴えられる症状についての原因の分析は
長い時間をかけて蓄積されたデータがありますし、
その情報はお医者様と共有しています。
事故に遇った方の症状をお聞きした時点で病名が
わかるほど系統立った診療分野でして、初めて事故を
ご経験なさったお客様がパニック状態でいらしたとしても、
その対応方法も我々は熟知しているのです」
「あ、あなたは、私がパニックに陥っていて、おかしな
ことを言っているとおっしゃるんですか?」
「パニックに陥っていらっしゃるようではありませんが……
失礼ながら、気分が悪い理由は精神的なものではないかと。
出社したくないなら、ここで夜までいらしていただいて
構わないように手配いたします」
男は言葉を失った。この駅員はすべてを見通していると
思った。

しかし、男は、駅員が発してくれた配慮のある言葉に
そのまま従っていいものかを迷った。ここまでやった
のだから何らかの特典を手にしたいという気持ちも
あったし、明らかに自分よりも立場が上の駅員を
打ち負かしたいという気持ちもあった。
だが、自分の気持ちを見通している駅員に対して
何をどうすれば一発逆転ホームランになるのか、皆目
検討がつかなかった。
「わ、私は例外だ」
男は自分の発した言葉に驚いた。意図せずに口をついた
言葉だった。
「これまでの例にないこともあるかもしれない」
言った自分が恐ろしくなった。アリ地獄にはまった瞬間の
もがくアリが頭に浮かんだ。
「経過観察しましょう」
あの医者だった。いつの間にか、男の傍らに来ていた。
「症状が急転するようなときにも対処できるよう
ご入院ください」
「に、入院?」
男は意外な展開にとまどっていた。
きょう、出社できなければ、それでいいと思っていたし、
やってもらいたいのは検査だった。入院となると、
会社や、部長への対応が大きく変わる。
「入院の患者さんが移動する。ナースセンター横の個室を
準備してくれ」
医者がポケットからPHSを取り出して、どこかと交信した。
男は脱力した。もう抗えないと思った。

「会社とご家族に連絡させていただきます。この用紙に
連絡先をご記入ください」
そう言ってボードに挟んだ用紙とボールペンを差し出す
駅員の顔を見る力も男にはなかった。
「おっしゃっていただければ、私が書きますが」

男は暗い穴の中にいた。これからの展開が全く読めず、
会社の反応、上司の反応、部長の心証……。
激しい脱力感と虚無感に襲われながら、心の片隅で
「少し眠れる」ことに、わずかの魅力を感じていた。

しかしその「魅力」さえもが、粉々に打ち砕かれるまでに
そう時間を要さなかった。

                     〈つづく〉





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.01.13 09:35:24
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: