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chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2007.12.02
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カテゴリ: 教育・子育て
 『下流志向』 を読むために 『オレ様化する子どもたち』 を読み、
 その後、 『学校のモンスター』 を読んで、本著に至りました。
 内田樹さんの著作がきっかけとなって、
 最近は、諏訪哲二さんの書いたものを読む機会が多くなっています。

 本著も今年の2月に刊行されたものなので、
 『学校のモンスター』同様、最近の新しい動向が盛り込まれ、

 まぁ、刊行後、安倍政権が崩壊したため、多少の変化はありますが。

本著の全体を通じて、諏訪さんは、現在の子どもたちの姿を分析し、
勉強をする場としての学校の役割は何か、そこで教師の果たすべき役割は何か、
そのために、子ども(生徒)や家庭・地域は、どうすればよいのかについて述べ、
子どもたちに「なぜ、勉強させるのか?」を、明らかにしようとしています。

まず、子ども(生徒)については、

  勉強をしなくなったことと比較をしなくなったことは、まったく同じ体質から出ている。
  「自分」がまだ未熟であるとか、
  もっと修行して立派な人にならなくてはなどと思わないとすれば、
  無理して勉強する馬力は生じない。
  「自分」が絶対化した感覚に閉じ籠もれば、ほかにも無数の「自分」がいて、

  おとなになれない。(p.48)

そして、学校における教師と生徒の関係については、

  家庭での養育のはじめに、慈しみと同時に子ども(赤ん坊)の動きを規制し、
  秩序づけるしつけがあるように、
  学校における教育のはじめにはさまざまの身体的な訓練が組み込まれている。

  理屈抜きに受容されなければならない。
  教師は、すぐれているから、子ども(生徒)たちに受け入れられるのではない。
  「教師はすぐれている」と思い込まないと、生徒になれないのである。
  本当にその先生の優劣がわかる生徒は、もう教育を受ける必要はない。
  これは身体的訓練の一種なのである。(p.117)

さらに、学校の果たすべき役割については、
『論座』(2005年12月号)における、藤原和博さんの発言がとりあげられています。

  学校って生活指導という部分が絶対に欠かせない。
  学習に向かう態度みたいなものをきちっとさせたうえでないと、
  基礎学力も応用力もつかない。
  子供たちは自分に関係する人からしか学ばないです。
  関係が深い人から多く学ぶというシンプルな原則で動く。
  あるいは、体育大会とか学芸発表会とか、行事を通じていろんな人間関係のとり方を学ぶ。
  好きなやつとばっかりじゃなくて、嫌いなやつとどうつきあっていくのか。
  そういう距離感みたいなものを学んでいる。
  僕は塾を否定しませんが、そこは、塾にはない。
  学校の非常に大きな機能だと思っています。(p.104)

次に、教師の役割と家庭・地域の姿勢については、

  実際の生活指導においては、必ずしも教師が道徳的人間である必要はない。<中略>
  教師はすぐれている人間の理念的な代理を務めればいいのである。<中略>
  子ども(生徒)が教師を(約束事として)
  すぐれている人間の代理をしている人と見なしてくれればいいのである。
  そこに教育的契機が生じる。<中略>
  子どもが知的・人間的に成長するためには、
  とりわけ、すっと勉強に入って行けない子どもたちが学べるようになるには、
  やはりまず親が学校を信頼していなければならない。
  そのことが子どもに伝わらなければならない。
  そして、地域や社会が子どもたちに「学校で学ぶこと」が大切であるという
  暗示をかけられるような姿勢や仕組みが力量が必要であろう。(p.117)

指導論としては、カリスマ教師・蔭山さんについて言及し、

  教師は生徒(子ども)の対応の仕方によって、
  自分の立ち居振る舞いや指導を変えなければならない。<中略>
  世の人たちはカリスマ教師・蔭山さんはどこへ行っても
  すぐれた教師として通用するものと思っていよう。
  しかしながら、若い教師はいざ知らず、
  経験のある教師はそうならないことを肌身で知っている。
  今日教室で上手くいったいったことが、
  明日はもう通用しなくなることを知っている。(p.124)

さらに、「親力」ブームに対しては、

  最近よく格差社会ということが言われて、
  裕福なお家の子女が学習塾へ行けるので不平等だという議論がなされるが、
  実は家庭の経済的(お金)な差よりも、文化的(知的)な差が
  教育的不平等を生み出していると社会学的常識では考えられている。<中略>
  日本も明治以来あらゆる階層から人材(能力)を発見するような
  教育的鋤き返しがなされてきたが、
  1970年代後半に、ほぼ全員が高校に進学するようになり、もう鋤き返す余地がなくなった。
  そして、大学全入は、ほぼ達成されつつある。大学というブランドは虚名化しつつある。
  もう自分たちに階層的上昇の可能性はなくなったことに気づいてか、
  子ども(生徒)たちはおしなべて勉強しなくなった。(p.194)

そして、最後は、次のように締めくくっています。

  したがって、勉強することには、覚悟がいります。
  まず、自分の「ありのまま」を投げ出して、
  外部の「知」や文化の体系の中に入り込まなければならないからです。
  自分の「ありのまま」を投げ出せない人は、
  どんなに机に向かっていても、知的身体になれません。(p.254)

本著は、日本の学校教育システムについて、
もう一度原点に返り、考え直してみる必要があることを、私に教えてくれました。
その意味で、大いに感謝!!





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Last updated  2007.12.03 00:11:17
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