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私が妻の元に戻って数年後、東日本一帯で大きな地震が起こる。 かつてプジョーで放浪した地域は、ばらばらに解体されてしまった。 夕方5時、私は保育園に娘の「むろ」を迎えに行く。 私はテレビのニュースで津波の映像が映ると、娘の両目を塞いだ。 地震の2ヶ月後、かつて住まいとした小田原の家が火事で焼け落ちた。 『騎士団長殺し』も『白いスバル・フォレスターの男』も焼けてしまった。 火事のすぐあと、秋川まりえが電話をかけてきた。 あの家について半時間ほど話し、自分の胸が大きくなったと教えてくれた。秋川笙子は今も免色と付き合っており、そのうち結婚するかもしれないと言う。彼女は、免色と一緒に暮らすことについて、よくわからないと言う。祠の裏の穴はあのままで、騎士団長には一度も会ってないと言う。私は「騎士団長は本当にいたんだよ」「信じた方がいい」と言った。むろが誰の子供なのか、私はまだわからない。しかし、それは私にはどうでもいいことで、まったく些細なこと。どんなに狭くて暗い場所に入れられても、荒ぶる曠野に身を置かれても、どこかに私を導いてくれるものがいると、率直に信じることができるから。私は騎士団長やドンナ・アンナや顔ながと共に、これからも生きていく。 そしてむろは、その私の小さな娘は、 彼らから私に手渡された贈りものなのだ。 恩寵のひとつのかたちとして。(p.540) ***もう、本当に見事に終わってしまいました。こんなに奇麗に終わってしまったらどうしょうもない、お手上げです。茫然自失の放置状態エンディングに慣らされてきた読者にとっては、あまり心地良いおさまり感ではないかもしれません。まぁ、「第1部のプロローグは何だったんだ?」と言われれば、「へへっ、まだあるかもね♪」と言えないことはないのでしょうが。もちろん、期待はしています。『ねじまき鳥クロニクル』や『1Q84』のようになることを。
2017.03.20
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まりえは時々私の家にやって来て、 二人であの日々の経験談の間に共通項がないかを検討した。 そして、まりえの肖像画は未完成のまま彼女に進呈した。 秋川笙子は免色との交際を続けている。 私は小田原の絵画教室で教えることをやめた。 免色は、時々電話をかけてきたが、家に来ることはなくなった。 彼は、まりえの肖像画を未完成のまま彼女に進呈したことを了承した。 私は『雑木林の中の穴』の絵を彼に贈呈した。雨田具彦は、私が穴の中から救い出された週の土曜日に息を引き取った。政彦は「とても安らかな死に方だった」と言った。私は以前仕事をしていた東京のエージェントに電話をかけ、また肖像画を描く仕事をすることを申し出た。そして、ユズと会って話をした。彼女は、まだ離婚届を提出していなかった。そして、これから産もうとしている子供の父親が、誰なのかは分からないと答える。 「でもそれはあなたが考えているようなことじゃないの。 私はそのへんの男と誰彼となく寝てまわったりはしない。」(p.524)「もう一度君のところに戻ってかまわないだろうか?」私の質問に、彼女は「いいわよ」と静かな声で、特に迷うこともなく言った。そして、父親のはっきりしない子供を産み育てていくけどいいのかと尋ねてくる。私は、その子供の潜在的な父親であるかもしれないと答える。 ***この節で終わってしまってもいいほど、お話は終息感で満ち溢れています。でも、謎は謎のまま。でも、程よい収まり感。なんだかなぁ……さぁ、残りあと1節。村上さんらしさは発揮されるのでしょうか?
2017.03.20
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夜が深まり、まりえは眠る。 (その間に、免色は私の家を訪れ一泊したのだが、彼女は気付かなかった) 夜中に一度目覚めてトイレに行き、もう一度眠った。 土曜日は6時半過ぎに目覚め、メイド用の居室で過ごす。 午前9時過ぎに男が下りて来て、洗濯機のスイッチを入れ、 クラッシック音楽を聴きながらジムで運動をし始めた。 そして、洗濯が終わると洗濯物を取り出し、階段を上がって行った。それからガレージの開く音も、エンジンのかかる音も聞こえなかった。玄関のベルは沈黙を守り、電話のベルは2度鳴り、誰かが受話器を取った。夕方前には、居間でピアノを弾く音が聞こえてきた。彼はいくつかの部分を繰り返し練習した。 モーツァルトのソナタの多くは、一般的に言えば決して難曲ではないが、 納得がいくように弾こうとすると、 往々にして深い迷路のような趣を帯びてくる。 そして免色はそのような迷路にあえて足を踏み入れることを 厭わない人間だった(p.500)その後は、昨日と同じことが繰り返された。そして夜中、激しい睡魔に襲われ、彼女は眠った。日曜日の6時前、まりえは目を覚ます。9時過ぎに洗濯機のスイッチが押され、クラッシック音楽が流れ、マシンの運動が1時間ほど続いた後、洗濯物が回収された。(その日の午後、免色は私の家を訪ね雨田政彦に会っているが、 まりえは外出に気付いていない)夕方には、ピアノを練習する音が聞こえてきた。そして、翌日の月曜日も何事もなく過ぎ去っていった。が、火曜日の朝10時前、クリーニング・サービスの車がやって来た。免色はジャガーに乗って出かけていった様子。まりえはメイド用の部屋を片付けると、開けっ放しになっていたゲートを抜けて、外に出た。彼女は山を下りると、私の家を訪ねたが不在だった。そして、雑木林に入り祠の裏手にある穴に行ってみた。青いビニールシートでしっかりと塞がれており、耳を澄ませても、中からはどんな音も聞こえてこなかった。彼女は、自分がこの4日間どこにいたかを説明する際に、この穴の中に誤って落ちていたことにし、それを私が見つけて助け出してくれたことにしようと考えたのだった。しかし、その目論見は果たせず、記憶喪失を装うことになったのだった。 ***この節で最も気になったのは、免色が外出したことに、まりえが2度も気付かなかったこと。これは絶対に何かありますね。まりえがメイド用の部屋にいた時、家にいたのは誰なのか?そして、免色はどうやって私の家に行ったのか?もう一つ気になったのが、市のごみの回収車が流す「アニー・ローリー」。免色の家が建っているのは小田原市のはずですが、これって実際に流れているのでしょうか?ネットでちょっと調べたくらいでは分かりませんでした。(検索して引っかかるのは、本著のこの部分を読んでの情報のみ)大阪の「小鳥が来る街」とか、川崎の「好きです かわさき 愛の街」、横浜の「故郷の空」「横浜さわやかさん」「いいね!横浜G30」等々についての情報はたくさん出てくるのですけれど……ちなみに「東大阪めっちゃ元気な『まち』やねん」は、つんく♂さんの作曲。でも、曲を流さないところも多いようですね。
2017.03.20
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「ここで静かに待っていなさい。時が来たら、迎えに来てあげよう 怖がる必要はあらない。ここにある衣服が諸君を護ってくれる」 騎士団長に促され、まりえはクローゼットの中で息を潜める。 目の前にある花柄のワンピースの裾をそっと握りながら。 部屋の中の暗さが増した頃、廊下に足音が聞こえ、部屋のドアが開いた。 部屋のドアは閉められ、部屋の明かりをつけることをしないまま、 男がクローゼットに近付いてきて、その扉の前で長い間じっと立っていた。 しかし、男は扉を開けることなく、部屋を出ていった。「諸君はここを出るのだ」気が付くと騎士団長がおり、今、免色はシャワーを浴びていると言う。まりえはテラスで双眼鏡と専用台を元に戻し、床の上の靴を拾い上げた。そして階段を2階分下り、メイド用の部屋に身を隠す。「免色さんは危険な人なのですか?」まりえが騎士団長に尋ねると、彼の心の中には特別なスペースのようなものがあり、それが結果的に、普通でないもの、危険なものを呼び込む可能性があると言う。ここは普通の場所ではなく、やっかいなものが徘徊していると言う。 騎士団長に言われたとおり、しばらくのあいだはここに留まって、 おとなしく様子をうかがっていることにしよう。 そして機会が訪れるのを待つのだ。 そのときが来れば、諸君にはわかるはずだ。 今がまさにそのときなのだ、と。 諸君は勇気のある、賢い女の子だ、それは知れる。 そうだ、私は勇気のある賢い女の子にならなくてはならない。(p.492) ***免色にも「白いスバル・フォレスターの男」に通ずる「二重メタファー」的な部分があるようです。そして、まりえの冒険はまだ継続中。やはり、彼女がトリックスターだったのですね。さて、騎士団長なき今、どうやって「私」とまりえは「環」を閉じるのでしょうか?それが、このお話の終着点?でも、まだまだ不明な部分は多いです。
2017.03.20
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4日間ずっと免色の家にいたと、秋川まりえは言う。 なぜ、彼は毎晩私の家を双眼鏡で覗いているのか、 そしてそのためだけに、なぜあの大きな家を買ったのか。 彼のことをもっと知るために、家に忍び込んだのだと。 まりえは目をこらして自分の家のある方を眺めた。 彼女の家は谷を隔ててすぐそこにあった。 空中に手を伸ばせば(そしてもしその人物がかなり長い手を持っていれば)、 ほとんど届いてしまいそうなところに。(p.456)免色が銀色のジャガーに乗って出かけた後、まりえは家の中に足を踏み入れ、テラスに出た。靴を床に置いて、ケースに入っていた双眼鏡を取り出し、それを専用台に固定してから、近くにあったスツールに座って彼女の家を見た。その家に今すぐ戻りたいという気持ちが急に激しくわき起こった時、彼女はスズメバチの存在に気付き、あわてて家の中に駆け込む。それから居間、階下の書斎やいくつかの部屋を次々に探っていく。そして、ある部屋のウォークイン・クローゼットに一昔前の女性服を見つける。その時、ガレージのシャッターが上がる音が突然耳に届く。まりえは、テラスに靴を置いたままで、双眼鏡もそのままだったことに思い至る。どうすればいいのか分からず、頭の中が真っ白になったとき、騎士団長が姿を現したのだった。 ***普段のまりえからは想像できないような大胆な行動。彼女の目を通して描かれる初めての免色の家の中の様子は、彼の生活ぶりを表してはいますが、まだまだ核心には届いていません。もう少し、彼女には頑張ってほしかったのですが……でも、もう騎士団長の手を借りて、彼女はどこかへ行ってしまうのでしょう。それは「メタファー通路」なのでしょうか?そして、免色にはまだ未知の何かがありそうです。それが暴かれることは、もうないのでしょうか?残るは、あと4節。先は気になりますが、まだまだ終わってほしくない!!
2017.03.20
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3時少し前にブルーのプリウスがやって来た。 私は秋川笙子に、しばらくまりえと二人だけにしてほしいと言う。 彼女は5時前の再訪を約束して、帰って行った。 私はまりえと一緒にスタジオに入る。 『騎士団長殺し』の絵を前に、私はこれまでに起こったことを説明する。 途中、彼女は騎士団長に免色の家で会ったことがあると言う。 次に『白いスバル・フォレスターの男』の絵を見せる。 彼女は「塗られた絵の具の奥にその人がいるのが見える」と言う。まりえが金曜日からおおよそ4日間どこかに消えていたことと、私が土曜日から3日間どこかに消えていたこと、そして二人とも火曜日に戻ってきたことは、どこかできっと結びついているはずだと、私は彼女に言う。私は『騎士団長殺し』と『白いスバル・フォレスターの男』の絵をまりえに手伝ってもらい、屋根裏に隠す。屋根裏には、あのみみずくがいた。まりえはみみずくを眺めながら、私の手を握り、頭を私の肩に載せた。 私は手をそっと握り返した。 私は妹のコミとも、このようにして一緒に長い時間を過ごしたものだった。 私たちは仲の良い兄と妹だった。 いつも自然に気持ちを通い合わせることができた。 死が二人を分かつまでは。(p.449)まりえの身体から緊張が緩み、頬には涙がつたっていた。彼女は、長いあいだまったく声を出さずに泣いていた。 ***とても静かで穏やかな節でした。しかし、まだまりえは多くを語っていません。「メタファー通路」のことは不明のまま。このまま放置……っていうこともありうるのでしょうか?
2017.03.20
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午前9時半を回った頃、秋川笙子に電話をかけたが誰も出なかった。 それから、雨田政彦に電話をかけると、少し後でかけなおすと言われた。 そして、15分後に電話がかかって来た。 「いったい今までどこにいたんだ?」と珍しく厳しい声。 私は「記憶がない」と答えるが、素直には聞き入れてもらえない。 どうやってあの警戒の厳しい施設から抜け出したのかと尋ねられる。 私は「抜け道があるんだ」と答えると、政彦はそれ以上追及するのを諦めた。 それから雨田具彦のこと、免色のことについて話した。 「何をしている人なんだ?」 「何もしていない。お金が余るほどあるから、べつに働く必要がないんだ。 インターネットで株や為替の取引をやっているみたいだけど。 それはあくまで趣味というか、実益を兼ねた暇つぶしなんだそうだ」 「それは素敵な話だな」と政彦は感心したように言った。 「なんだか、火星の美しい運河の話を聞いているみたいだ。」(p.422)電話を終え、私はカローラ・ワゴンでショッピングセンターに買い物に出かけた。家に戻ってから買ったものを冷蔵庫に入れ、12時少し過ぎに、ユズに電話をかけた。一度会って、顔を合わせて、いろんなことを話したいと伝えると、「来週の月曜日の夕方ならあいている」と彼女は言った。それからもう一度秋川笙子の家に電話をかけると、留守電メッセージに切り替わる。免色に電話しておいた方がいいかもと思ったが、なぜか気が進まずやめた。そして秋川笙子から電話がかかってきて、まりえの様子を教えてくれる。ひとことも口をきかないので、私に会って話をしてほしいと言う。 ***そして、「私」はまりえと会うことになります。ちょっと前には、終わりそうな雰囲気がないと思っていましたが、年上で人妻の彼女との突然の別離と、ユズとの再会の約束、さらにまりえとの対面によって、「メタファー通路」のことも明らかに?お話は、一気に終息に向けて動き出した感じです。で、この節で気になったのは、「私」がスーパーマーケットで買った缶ビール。「サッポロ缶ビール24本入りのケース」とありますが、普通に黒ラベル?でも、村上さんならラガーの方が似合いそうですね。
2017.03.20
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午前2時15分に目覚め、スタジオの中を確認した。 『騎士団長殺し』も『雑木林の中の穴』も 『秋川まりえの肖像画』も変化がなかった。 そして『白いスバル・フォレスターの男』も。 それでもいつか私は彼の姿をそこにしっかり描き上げることだろう。 その男をその闇の中から引きずり出すだろう。 相手がどれほど激しく抵抗しようと。 今はまだ無理かもしれない。 しかしそれは私がいつかは成し遂げなくてはならないことなのだ。(p.409)そして朝食後、台所で洗い物をしていると、年上の人妻の彼女のことを思い出す。しばらく会っていないし、連絡もない。すると9時過ぎに、彼女から電話がかかってきた。「もうあなたに会わない方がいいと思うの」 *** しかしここは本当に現実の世界なのだろうか?(中略) でもそれは一見現実の世界に見えるだけで、 本当はそうではないのかもしれない。 これは現実の世界だと、私がただ思い込んでいるだけかもしれない。(p.412)これが、この節で私が一番印象に残った箇所。『1Q84』の世界を思い浮かべたり、『クラインの壺』のヴァーチャルリアリティ・システムことを思い浮かべたりしました。そして、私自身もこういう感覚を持つことがあります。
2017.03.19
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私は完全な暗闇の中でユズのことを考えた。 そして、もしこの穴から出ることができたなら、 彼女に会いに行き、きちんと向き合って話をしよう。 それから幾度か眠りにつき、また目覚め、鈴を鳴らした。 永遠のように思える時間が経過したあと、頭上から何かの物音がした。 そして、穴を塞いでいた蓋の一枚がどかされ、 誰かが穴の上から私の名前を呼んだ。 免色渉だった。私は免色が下してくれた梯子を上って地上に出た。彼は、まりえが昼過ぎに家に戻って来たと秋川笙子から連絡があったと言う。そして、私の家に何度か電話をかけたが誰も電話に出ないので、心配になって、ここまで足を運んできたら鈴の音が聞こえたのだと。今日は火曜日だった。私が雨田具彦の部屋を訪ねたのは土曜日なので、3日が経過していた。免色は私の家まで付き添い、色々と世話を焼いてくれた。そして、少し話をしてもかまわないかと私に尋ねた。 「この何日かについて、埋めなくてはならない空白がいくつかありそうです」 それがもし埋めることが出来る空白であるなら、と私は思った。(p.402)彼は日曜にも私の家を訪ねて来たそうで、その時は雨田政彦が家にいたのだという。そして、父の部屋から私が突然姿を消してしまったので、とても心配していたと。私は、政彦に電話をかけねばならないと言う。その際、この3日間のことは何ひとつ覚えていないで押し通すことにする。免色が帰って行った後、私はベッドの中で深い眠りについた。 ***やっぱり免色でしたね!しかし、第2部も4分の3が終了。これでどうやって結末を迎えるのでしょうか?終わりそうな雰囲気が、まだまだ微塵も感じられないのですが……
2017.03.18
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カンテラを手に、洞窟の奥へと進んで行くドンナ・アンナの後に続く。 途中にあった横穴の入口からは、私が先に進んだ。 それは、富士の風穴で妹のコミが潜り込んでいったものよりいくぶん大きかった。 後ろから聞こえてくるドンナ・アンナの声に励まされ前に進む。 心をしっかり繋ぎ止めないと、二重メタファーの餌食になると彼女は言う。 それは自分の中にありながら、自分にとっての正しい思いをつかまえて、 次々に貪り食ってしまうもので、自分の内側にある深い暗闇に住んでいると。 私は、白いスバル・フォレスターの男だと直感的に悟る。私が暗い混乱の中に陥ったとき、聞こえてきたのはコミの声。記憶の中の何か具体的なもの、手で触れられるものを探して、明かりを消して、風の音に耳を澄ませて、と呼びかけてくる。そして、ドンナ・アンナが先に進むようにと励ましてくる。 穴は更に狭くなり、身体がほとんど動かせないほどになってしまった。 自分の身体よりも明らかに狭い空間に、私は身体を押し込もうとしている。 でもそんなことができるわけはないのだ。 考えるまでもなく、それは明らかに原理に反したことだ。 物理的に起こりえないことだ。(p.381)それでも私は強引に身体をそこにねじ込んでいく。すると、出し抜けに私の肉体は何もない空間へと放り出された。懐中電灯を探り当て、スイッチを入れ、様子をうかがう。そこは、あの雑木林の中の祠の裏手にある穴の中だった。金属製の梯子は見当たらない。横穴の入口らしきものも、もう見当たらない。が、あの古い鈴が地面の上にあった。私は懐中電灯のスイッチを切って、これからどうすればいいかを考える。 ***辿り着く先があの穴の中だということは、多くの人が予想したところではないかと思います。しかし、ここから先は全く読めない……どうやってここから出る?まりえはないし、雨田政彦もないだろうから、やっぱり免色?しかいないような……
2017.03.18
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渡し場にいた長身の男には顔がなかった。 それは、白いスバル・フォレスターの男でも、 スタジオに現れた雨田具彦でも、 『騎士団長殺し』の絵に出てくる長剣をかざした若い男でもなかった。 彼は、舟で川の向こう岸に行くには代価が必要だと言う。 私は、もしそれを支払えなければ向こう岸に行けないのかと確認する。 そうだ。川のこちら側に永遠に留まっているしかない。 この川の水は冷たく、流れは速く、底は深い。 そして永遠というのはとても長い時間だ。 それは言葉のあやではない。(p.355)私は彼に促され、ポケットに入っているものをすべて出して見せるが、彼は、そこにあるものでは渡し賃のかわりにはならないと言う。私は、紙があればあなたの似顔絵を描くことができると言うと、彼は、たいへん興味があるが、ここには紙はないと言う。私は、もう一度ポケットの中を念入りに探し、ペンギンのフィギュアを見つける。彼は「これを代価にしよう」と言うと共に、いつか肖像画を描いてくれたら、これは返してあげようと言う。そして、二人で平たい菓子箱のような舟に乗って、向こう岸に渡った。私は突堤をあとに、川下に向かって歩く。そして、あるところで立ち止まり、川を離れて道に沿って進むことにする。突然現れた森の中をくぐり抜けると、開けた広場のような場所に出た。そこから洞窟の中に入り、カンテラを見つける。その下には、身長60センチほどの女が一人立っていた。『騎士団長殺し』の絵に描かれていた若い女。『ドン・ジョバンニ』でいうと、ジョバンニに殺された騎士団長の娘。ドンナ・アンナは「お待ちしておりました」と私に言った。 ***遂に「顔のない男」が登場しました。現時点では、これまでに登場したキャラクターとは全く別物ということで、ちょっと予想と違っており、しかも早々にお話から退いてしまいました。しかし「プロローグ」のシーンには続きがあると思われるので、今後、何度か登場してくるのではないかと考えられます。
2017.03.18
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暗闇の通路の緩やかな傾斜を、懐中電灯の明かりだけを頼りに下って行く。 できるだけ狭さと暗さのことを考えないように努めながら。 そのために、チーズ・トーストやブラック・コーヒー、 そして『薔薇の騎士』のことを考える。 ゲオルグ・ショルティの指揮するウィーン・フィルハーモニー。 その流麗で緻密な音。 「私は一本の箒だって、音で描写することができる」と 全盛時のリヒアルト・シュトラウスは豪語した。 いや、あれは箒じゃなかったっけ? なかったかもしれない。 こうもり傘だったかもしれないし、火掻き棒だったかもしれない。(p.343) やがて、周囲は少しずつ明るくなりはじめ、岩盤に覆われた荒野となる。次第に急勾配になる丘の斜面をよじ登ると、周囲を見渡せる頂上に辿り着く。そして、水の流れる音がする方に向けて、斜面を下る。切り立った崖に挟まれた道をひたすら進むと、川の姿を視界に収めた。私は、その水を手で掬って匂いを嗅ぎ、口に含んだ。そして、渡し場に行くためには、どちらに進んで行けばよいのか考える。私は、免色の名前が「渉(わたる)」で、左利きだったことを思い出す。そして、右か左か選べと言われたらいつも左をとるようにしていると言ったことを。遂に私は船着き場に辿り着き、そこに建っている男に声をかけた。 ***私が持っている『薔薇の騎士』のDVDは、ザルツブルク音楽祭でのカラヤン指揮、ウィーン・フィルハーモニー版。そして、このお話の中で登場したショルティの演奏のCD版はこれかと思われます。カラヤンの方は1984年、ショルティの方は1968~1969年の録音です。
2017.03.18
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私は抵抗する「顔なが」の頭を穴の角に叩きつけて意識を失わせ、 穴の中から引っ張り出すと、両手を後ろ手に縛り上げ、 片足をベッドの足に縛り付けた。 しばらくの後、顔ながは意識を取り戻した。 彼はイデアなぞではなく、ただのメタファーだと言う。 「もしおまえがメタファーなら、何かひとつ即興で暗喩を言ってみろ」 「上等じゃなくてもいいから、ひとつ言ってみてくれ」と私が言うと、 長い間考え込んだ後、こう言った。 「彼はとても目立つ男だった。 通勤の人混みの中でオレンジ色のとんがり帽をかぶった男のように」 たしかにそれほど上等な比喩ではない。 だいいち暗喩ですらなかった。(p.335)彼は、自分が通って来た「メタファー通路」は個々人で道筋が異なっており、彼が私を道案内することはできないこと、そして、そこに入ることはあまりに危険で、順路をひとつあやまてば、とんでもないところに行き着くことになると言う。さらに、そこには「二重メタファー」が身を潜めており、かなり暗いところがあるので、何か明かりを持って行ったほうがいいこと、どこかで川に出くわすので、渡し場で舟に乗るよう忠告する。 私は彼を解放し、先に穴の中に行かせた後、懐中電灯を手にそこに入り込んだ。 *** 騎士団長は「イデア」そして、顔ながが「メタファー」 第1部は「顕れるイデア編」。そして、第2部は「遷ろうメタファー編」。 雰囲気としては『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』っぽくなってきました。 「ハードボイルド・ワンダーランド」で、 「私」が「やみくろ」のいる地下を抜けて研究所に行く状況。ただ、あのお話では太った娘が案内してくれましたが、今回「私」は一人です。
2017.03.18
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私は雨田具彦に『騎士団長殺し』の絵の中で、何を描こうとしたのかと尋ねる。 私が屋根裏であの絵を見つけ出し、存在を明らかにしたことを説明して。 騎士団長は、そうやって彼に事実を教えることが第1段階だと言う。 そして第2段階は、私が騎士団長を殺すこと。 さらに第3段階は、あの絵の寓意の核心をここで再現することで、 <顔なが>を引っ張り出し、秋川まりえを取り戻すことだと。 さあ、断固としてあたしを殺すのだ。 良心の呵責を感じる必要はあらない。 雨田具彦はそれを求めている。 諸君がそうすることによって、雨田具彦は救われる。 彼にとって起こるべきであったことがらを、今ここに起こさせるのだ。 今が時だ。 諸君だけが彼の人生を最後に救済することができるのだ。(p.319)私は大いに躊躇いながらも、騎士団長に何度も繰り返し促され、遂に、包丁を彼が指さす小ぶりな心臓へと一気に振り下ろした。雨田具彦は、かっと大きく目を見開いて、その光景を直視していた。騎士団長は意識を失い、雨田具彦も深い昏睡の中に戻っていった。 ***そして、遂に<顔なが>が登場しました。この存在は、騎士団長が言っていた「邪悪なる父」、「白いスバル・フォレスターの男」と、つながるものなのでしょうか?そして、あの「顔のない男」と関係があるのでしょうか?
2017.03.18
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「あたしを求めたのは雨田具彦氏だ。 そしてあたしは、諸君の役に立ちたいと思えばこそ、ここにいる」 騎士団長は私に向かってそう言った。 そして、秋川まりえの行方を知っているとも。 さらに、彼は私を私自身に出会うことが出来る場所に送り出せると言う。 ただ、それは簡単なことではないらしい。 そこには少なからざる犠牲と、厳しい試練とが伴うことになる。 具体的に申せば、犠牲を払うのはイデアであり、試練を受けるのは諸君だ。 それでもよろしいか?(p.307)彼は、私に彼を殺せばいいのだと言う。 ***ページを捲ると、もう次の節。あまりに唐突に、そしてあっという間に終わったこの節。わずか4ページ。でも、着実に核心に近付いてきている感じです。
2017.03.17
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雨田具彦のいる伊豆の施設に行く途中でファミレスに寄った時、 後から1台の白いスバル・フォレスターが駐車場に入って来た。 気になった私が店の外に出て、その車を確認すると、 まさにあの時に見た車だったが、そこにはもう誰も乗っていなかった。 雨田具彦の部屋に着くと、彼はぐっすりと眠っていた。 彼が目覚めるのを待つ間、雨田政彦は私にユズの話をした。 彼女は子どもを産もうとしているが、 ハンサムなボーイフレンドと結婚もしないし、同居もしないという。3時少し前に、雨田具彦が目覚める。政彦が父親に私のことを紹介すると、彼は私の方に視線を向けたが、表情らしきものは何も浮かばなかった。私が自己紹介をし始めても、やはり表情に変化はなかった。が、彼がかつて住んでいた家、そして屋根裏部屋について話し始めると、彼の目が初めてきらりと光り、身じろぎもせず私のことを見つめてきた。政彦は携帯電話に着信があったため、部屋の外に出ていく。部屋の中は、私と雨田具彦の二人きりになった。私は部屋の窓から、外に広がる太平洋を眺める。そして、水平線を端から端まで目で辿る。 それほど長く美しい直線は、どんな定規を使っても人間には引けない。 そしてその線の下の空間には、無数の生命が躍動しているはずだ。 この世界には無数の生命と、それと同じ数だけの死が満ちているのだ。(p.303)振り返ると、騎士団長がいた。「そう。諸君らはここにふたりきりではあらない」 ***第2部の折り返し地点を過ぎたところで、いよいよ役者がそろってきました。雨田具彦、騎士団長、そして白いスバル・フォレスターの男。まずは、騎士団長&雨田具彦との直接対決です。そうそう、今日たまたま何冊かの美術書が机の上に重ねて置いてある状況に出くわし、その一番上に乗っていたのが、安田 靫彦(やすだ ゆきひこ)氏のものでした。表紙は『草薙の剣』という作品(こちらの本の表紙の絵も『草薙の剣』)だったのですが、これって、雨田具彦や『騎士団長殺し』の絵と何か関係があるのでしょうか?
2017.03.17
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私は午前5時過ぎに目覚め、コーヒーを飲みながら読みかけの本を読む。 それはスペインの「無敵艦隊」についての本。 一般的な定説としては、戦術を間違えた無敵艦隊は イングランドの艦隊に海戦で大敗し、 それによって世界の歴史は大きく流れを変えた、ということになっているが、 実際にはスペイン軍のこうむった被害のおおかたは、 正面切っての戦いによるものではなく (双方の大砲の弾はさんざん撃ち合ったわりには、ほとんど相手に当たらなかった)、 難破によるものだった。 地中海の穏やかな海になれたスペイン人たちは、 難所の多いアイルランドの沖合をうまく航海する方法を知らず、 そのために暗礁に乗り上げて多くの船を沈没させてしまったのだ。(p.261)7時過ぎに秋川笙子に電話をかけると、まりえからはまだ何の連絡もないと言う。私は免色と一緒に、もう一度あの穴を見に行くが何の変化もなかった。免色は帰り際に、秋川笙子とかなり親密な間柄になったことを告白する。私は免色に、まりえは既にそのことに気付いており、私に相談に来たと告げる。そして10時過ぎ、電話のベルが鳴った。雨田政彦がこれから父親に会いに伊豆へ行くので、一緒に行かないかと誘ってきた。私は「連れて行ってくれ」と答える。11時少し前、政彦の黒いボルボがやって来た。車中で政彦と私は、女の顔が左右で違うことについて話す。そして、雨田具彦について話す。 ***誘ってきたのは雨田政彦で、「顔のない男」ではありませんでした。じゃあ、「私」が肖像画を描く約束をしたのは誰?あの鈴を鳴らしていた者?あるいは、まりえの失踪と関わっている者?
2017.03.16
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林の中の穴から戻って、私はすぐに秋川笙子に電話をかけた。 まりえは、まだ家に帰っていなかった。 そして、ペンギンのフィギュアはまりえのものだった。 私は彼女に、それはうちのスタジオに落ちていたと嘘をつく。 それから、私は免色とフィギュアやあの穴について話し合う。 30分後に秋川笙子から電話がかかって来る。 兄、即ちまりえの父親が警察に電話し、こらから警察が来るのだと言う。 1時半過ぎ、免色を居間に残し、私は自分の部屋のベッドに潜り込む。眠れないでいると、窓の敷居のところに騎士団長の姿を見つける。私は騎士団長に、まりえを救い出すヒントが欲しいと言う。 「今日は、金曜日だったかな?」 私は枕元の時計に目をやった。 「ええ、今日はまだ金曜日です。いや、違う、もう既に土曜日になっています」 「土曜日の午前中に、つまり今日の昼前に、諸君に電話がひとつかかってくる」 と騎士団長は言った。 「そして誰かが諸君を何かに誘うだろう。 そしてたとえどのような事情があろうと、諸君はそれを断ってはならん。 わかったかね?」(p.258)騎士団長は姿を消し、私は眠りに落ちた。 ***あの穴はどこか別の場所に繋がっている通路で、いろんなものを自らのうちに呼び込んでいくのかもしれない。「私」は免色に、そんな風に語ります。確かに、この世界では無理なことですが、村上ワールドでは「ありあり」。あの穴こそ、まりえが言うところの「秘密の通路」なのでは?でも、どこに繋がっているのでしょう?そして「私」を誘うのは「顔のない男」?まぁ、彼の場合、誘うというよりは、依頼するでしょうけど。
2017.03.15
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私は免色と一緒に、林の中の穴の様子を見に行く。 蓋の上に並んだ重しの石には、動かされた形跡があった。 そして、穴の中にあったはずの梯子が、ススキの茂みの中にあった。 穴の中に免色が下りてみることになる。 「壁はもともとは人を護るために作られたものです。 外敵や雨風から人を護るために。 しかしそれはときとして、人を封じ込めるためにも使われます。 そびえ立つ強固な壁は、閉じ込められた人を無力にします。 視覚的に、精神的に。 それを目的として作られる壁もあります。」(p.237)穴の底に降り立った免色は、地上にいる私にそう語りかけた。彼は、ランタンで周囲を隅々まで照らし、地面の上に何かを見つけた。地上に上がって来た免色は、東京拘置所に拘留されていた時のことを話す。経済犯の容疑で、独房に435日収容されていたのだという。彼が穴の底でみつけたのは、全長1センチ半ほどのプラスチックのペンギン。携帯電話につける飾りのようなもので、ストラップがついている。秋川まりえが護符のようなものとして、ここに残していったのだろうか?免色に言われて、それはとりあえず私が持っておくことになった。 ***いよいよ、第1部の「プロローグ」に出てきたペンギンのお守りが登場。と言うことは、「顔のない男」の登場も間近か?第2部の中間地点まで、あと少し。いよいよ、謎がひとつずつ解き明かされていくのでしょうか?
2017.03.14
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金曜日の昼過ぎ、『雑木林の中の穴』の絵が完成した。 私は、その完成した絵に、動きの予感のようなものを感じとる。 たくさんの謎がそこにはあったが、解答はひとつとしてなかった。 私は、その絵をまりえに見せ、彼女の意見を聞きたいと思う。 が、その日、まりえは初めて絵画教室を休んだ。 そして、夜10時半、秋川笙子から電話がかかって来る。 まりえが、今朝学校に出かけたまま、帰って来ないと。 絵画教室後の迎えは必要ないと言って出かけたのだと。私はスタジオで、イーゼルに載せられた描きかけの『秋川まりえの肖像』を眺め、そして、床に置かれた『雑木林の中の穴』を眺める。 何かが起ころうとしているのだ、 とその絵を見ながら私はあらためて感じた。 今日の午後まではあくまで予感でしかなかったものが、 今では現実を実際に侵食し始めている。(p.229)私は免色に電話をかける。まりえの行方が分からなくなっていることを手短に説明し、私の家にこれから来てくれるよう頼む。彼は今から15分ほどで来てくれることになった。 ***この節で登場したのは、ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイ。ロバータ・フラックは、”Killing Me Softly”が昔ネスカフェのCMで流れていたので、結構耳に馴染みのある方ですが、ダニー・ハサウェイの方は、”Roberta Flack & Donny Hathaway”を含めよく知りません。”For All We Know”は、ナット・キング・コールで聴いたことがあるような……そしてこの曲、このお話において何か意味するところがあるようなないような……
2017.03.12
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肖像画のモデルになった後、一度帰宅したまりえが約束通りやって来た。 彼女が私に二人きりで話したかったのは、免色のことだった。 「どういえばいいんだろう。 パーソナリティーが普通の人とは少し違っているような気がする。 少しというか、かなり違っているかもしれない。 そんなに簡単に理解できる人じゃない」 「パーソナリティー」 「つまり人がその人であることの特徴みたいなものだよ」(p.207)彼女は、免色の家のテラスから、自分の家が真正面に見えると言う。そして、免色が自分の家を双眼鏡を使って見ていると思うと言う。さらに、免色は何かを隠していると思う、叔母は今週になって2度も免色とデートしたとも言う。夕刻、アドバイスを求めてやってきたまりえを、秘密の通路手前まで送っていく。彼女は祠の裏手に入り、私の許しを得てから蓋を取り、穴の中を覗いた。そして、この穴は開かない方がよかったかもしれない、この中に何かを閉じ込めて、重い石をかぶせて積んでいたのかもしれないと言う。 ***その後、まりえは「秘密の通路」を通って帰って行きます。しかし、「私」が雑木林が終わるところまで送って行くと、「あとは自分一人にしてほしい」と彼女は言います。「秘密の通路」は文字通り、彼女だけの「秘密の通路」なのです。
2017.03.12
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翌日、私は旅の間につけていた簡単な日記のページを捲り、 妻が妊娠したという4月後半、自分が何をしていたか調べてみる。 すると、4月19日のページの一番下に「昨夜・夢」と書かれており、 それに2Bの鉛筆でアンダーラインが引かれていた。 それは、私とユズが6年間暮らしたマンションの一室で、 彼女が一人で寝ているのを、私が天井から見下ろしているものだった。 私は静かに天井から降り、彼女がかけていた布団を少しずつ剥ぎ、 パジャマのズボンを脱がせ、下着をとり、彼女と交わった。これは、免色が語ってくれた話とよく似ているが、彼は実際に生身の女性と交わったのであり、夢の中の出来事ではない。が、私の場合、私自身はそのとき青森の山中にいて、ユズは(おそらく)東京の都心にいたのだ。 そんな生々しい出来事がただの夢として終わってしまうわけはない - それが私の抱いた実感だった。 その夢はきっと何かに結びついているはずだ。 それは現実に何かしらの影響を及ぼしているはずだ。(p.194)9時前に目を覚ました雨田政彦が東京に帰ったあと、私は、寝室に置いておいた『騎士団長殺し』の絵をスタジオの壁にかけ直した。 ***この節で、「私」と雅彦の会話に登場したのはドストエフスキーの『悪霊』のキリーロフ。「金貸しのばあさんを斧で殺す」「誠実な娼婦に恋をする」は『罪と罰』のラスコーリニコフ。村上さんの作品が世界中で読まれる理由が、あちこちに散りばめられています。
2017.03.11
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水曜日の午後、人妻の彼女がやって来た。 二人で抱き合う古いベッドが、大きな音を立てて軋むので、 私が「もう少し穏やかにそっと、ことを行うべきなのかもしれない」と言うと、 彼女は「エイハブ船長は鰯を追いかけるべきだったかもしれない」と言った。 私は、『秋川まりえの肖像画』と『雑木林の中の穴』の絵を交互に描き進める。 土曜日の午後4時、雨田政彦が黒のボルボ・ワゴンでやって来た。 二人でシーヴァスを飲みながら、生牡蠣と雨田がさばいた鯛の刺身を食べた。 それから居間に移って、酒の続きを飲む。 「ところで、お父さんの具合はどうだった?」と私は尋ねた。 雨田は小さくため息をついた。 「相変わらずだよ。頭は完全に断線している。 卵ときんたまの見わけもつかないくらいだ。」 「床に落として割れたら、それは卵だ」と私は言った。(p.173)そして、政彦は肝心の話ーユズについて話し始める。 彼は、彼女に何度か会っていたが、そのことを彼女に口止めされていた。 彼女にはつきあっている男がいて、それは彼の職場の同僚。 彼女は現在、妊娠7ヶ月で、産むつもりでいると。 私は、8カ月前に家を出ているので、その子供は、私の子供である可能性はなかった。しかし彼女は、子供を産もうとしていることを私に伝えてもらいたいと、 政彦に言ってきたのだった。 私は政彦に、彼の父親・具彦に会わせてほしいと頼む。 彼は、近いうちに一緒に連れていくと約束する。 ***さて、この節では気になる言い回しが二つ出てきました。一つ目は「エイハブ船長は鰯を追いかけるべきだったかもしれない」。そして、もう一つは「床に落として割れたら、それは卵だ」。前者は『白鯨』でしょうが、後者は?ハンプティ・ダンプティかな?「私」の妹がアリス好きだったことつながりで。そして、動き始めたものは、もう後戻りできないということことを示すために。さらに、「相貌失認」も関係あるのでしょうか?そうそう、政彦とユズは、私が勘ぐっていた私が勘ぐっていたほどの関係ではなかった様子。でも、まだ何か引っかかるんですよね……
2017.03.11
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翌朝、10時過ぎに目覚め、朝食後にスタジオを覗くと、 雨田具彦の姿はもうどこにもなかった。 私は、雨田政彦に電話をかけ、 昨夜のことを夢の中のこととして話した。 政彦は、先日出来なかった話をするために、 今度の週末にこちらに来ることになった。 外に出ると、家の前に免色のジャガーが駐まったままになっていた。 私は『騎士団長殺し』のことを考えながら、家の周辺を散歩した。その時、私は背後から誰かにじっと見られているような感覚を持つ。さっと振り向いても、何も見当たらない。 あるいは穴も顔ながも、 私が振り返らないときにだけそこに存在しているのかもしれない。 私が振り返ろうとした瞬間、 それらは気配を察して素早く姿を隠してしまうのかもしれない。(p.161)私は、まりえの「秘密の通路」の入口を探してみたが、見当たらなかった。祠の裏手にまわり、穴の様子を確かめてみたが、変化はなかった。家に戻ると、免色のジャガーは姿を消していた。居間のソファーに横になって眠り、思い出せないけれど明白で鮮やかな夢を見た。 ***私は、目を閉じて何も見えなくなっているときに、この瞬間、世界の全てのものは姿を消してしまっているのではないかと考えることがあります。だって、その時は何も見えないんですから、周囲がどうなっていても分からない。いや、ひょっとするとそこには元々何もなくて、私が目を開けた時にだけ、私自身が、そこに世界が広がっているように、イメージを作り上げているのではないかと、思ってもしまいます。さて、免色のジャガーの消失。単純に、免色か依頼された業者が乗って帰ったとは思えないのですが……
2017.03.11
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真夜中、私は激しい物音で目を覚ます。 部屋の明かりを一つ一つつけながら、家の中の様子を確認して回る。 そして、最後に残ったのがスタジオ。 照明のスイッチを入れることを、何かが押しとどめる。 暗闇にぼんやりと浮かび上がったのは、瘦せた長身の男のシルエット。 私は怖さを感じなかった。 男は『騎士団長殺し』をじっと見つめていた。 空を覆っていた暗雲が途切れ、月光が部屋を照らした。 痩せて相貌がずいぶん様変わりしてしまったために、 思い当たるまでに少し時間がかかった。 しかし、それが誰なのか、 無音の月光の下で私にもようやく理解することができた。 これまで何枚かの写真でしか目にしたことがなかったけれど、 その顔に見違えようはない。(p.151) ***わずか4ページと3行。雨田具彦の登場だけを伝える節でした。
2017.03.11
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免色の家から戻って来た秋川笙子とまりえは、 私の家に立ち寄ることなく、そのままプリウスで帰って行った。 免色は、今回のことについて私に礼を言う。 ちょうど扇の要や触媒のような役目を果たしてくれていると。 「しかし正直なところ触媒というよりは、 なんだか自分が『トロイの木馬』になったような気がするんです」 免色は顔を上げて、何かまぶしいものでも見るように私を見た。 「それはどういう意味でしょうか?」 「おなかの空洞に一群の武装した兵士を忍ばせ、 贈り物に見せかけて敵方の城の中に運び込まれるようにした、 例のギリシャの木馬です。 特定の目的を持って作られた、偽装された容れ物です」(p.128)免色は、彼の家での二人の様子について、私に話す。まりえとは、二言三言しか言葉を交わさなかったと。そして、まりえの父について語り始める。彼が妻の死後、宗教団体と関わり、それに食い物にされているのだと。 ***この節における「私」と免色の会話は、とても面白いものでした。ジョージ・オートウェルが『1984』を執筆したジュラ島のことや、宗教団体の話が出てきたりして、『1Q84』を想起させられます。若くして伝説になることが一種の悪夢だという部分も頷けます。それでも、一番印象に残ったのは、次の免色の言葉。 「この世界で何を達成したところで、 どれだけ事業に成功し資産を築いたところで、 私は結局のところワンセットの遺伝子を誰かから引き継いで、 それを次の誰かに引き渡すための便宜的な、 過渡的な存在に過ぎないのだと。 その実用的な機能を別にすれば、 残りの私はただの土塊のようなものに過ぎないのだと」(p.132)こちらには、『犠牲 サクリファイス』や『そんなバカな! 遺伝子と神について』を想起させられました。
2017.03.11
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日曜日の朝10時少し前、ブルーのプリウスがやって来た。 秋川笙子は、居間でソファーに腰かけて分厚い文庫本を読み始め、 まりえは、私と一緒にスタジオに入り、椅子に座った。 彼女は、私が絵を描くのを精神的に助けたいと言う。 作業終了後、笙子がいれてくれたお茶を3人で飲んでいると、 約束通りに免色がジャガーに乗って現れる。 免色は、まりえに「絵のモデルになるのも疲れるでしょう?」と尋ねる。 そして、モデルをしていると、時々魂をかすめ取られる気がしたと言う。それに対し、まりえは「そうではない」と囁く。「かすめとられてはいない。 わたしは何かを差し出し、わたしは何かを受け取る」と。その後、助手席に笙子、後部席にまりえを乗せ、ジャガーは免色の家に向かった。一人で『薔薇の騎士』を聴いていると、久しぶりに騎士団長が現れた。私が「記憶喪失になったり、自然かつ完全に興味を失わない限り、人はイデアからは逃げることができない」と言った時、騎士団長は「イルカにはそれができる」と言う。「イルカは左右の脳を別々に眠らせることができる」から、イデアというものに関心を持たないのだと。 「ああ、免色くんにはいつも何かしらの思惑がある。 必ずしっかり布石を打つ。 布石を打たずしては、動けない。 それは生来の病のようなものだ。 左右の脳を常時めいいっぱい使って生きておる。 あれではとてもイルカにはなれない」(p.123) ***この節は、人が何かを考えるのをやめようと思って、その何かについて考えることをやめるのは、ほとんど不可能だというお話でした。なぜなら、何かを考えるのをやめようと考えること自体が、その何かにとらわれ、その何かについて考えているから。「騎士団長」という存在・イデアは、「私」が何かについて考え続けていることが生み出したものなのでしょうか?
2017.03.11
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四谷の画材屋で必要な買い物を済ませてから、 私は雨田政彦を訪ね、イタリアン・レストランで夕食をとる。 「おまえもやっとまともに絵を描きたいという気持ちになってきたんだな」 と雨田は言った。 「一人になって、生活のために絵を描く必要がなくなったからじゃないかな」 それで自分のための絵を描きたいという意欲がでてきたのかもしれない」 政彦は肯いて言った。 「どんなものごとにも明るい側面がある どんなに暗くて厚い雲も、その裏側は銀色に輝いている」(p.90)私が、自殺した彼の叔父・継彦について、そして、彼の父・具彦について知りたいと言うと、彼は、自分の知る限りのことを詳細に教えてくれた。叔父が、上官の将校に軍刀を渡され、捕虜の首を切らされたことも。それらの話が終わると、政彦はもう会社に戻ると言う。私が「何かぼくに話があったんじゃないのか?」と尋ねても、次の機会に話すと言う。そして、なぜ家庭の微妙な秘密みたいなことまで打ち明けてくれたのかと尋ねると、一人で抱え込んでいることに、いささか疲れてきたからかもと答える。 ***その後に、政彦はこんな風にも言ったのです。「おれにはおまえに少しばかり個人的な負い目があってね、 その借りを何らかのかたちで返しておきたかった」と。そして、実はその負い目について話そうと思っていたが、今日は時間がないのだと。益々もって怪しい……
2017.03.11
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翌朝、私はビニールのポンチョを着て、雨用の帽子をかぶり 冷ややかな雨の降る中を祠へと向かった。 板の蓋を半分どかせてから、梯子を使って穴の底に降りてみる。 そして、そこに長い間じっと立って、考えを巡らせたのだった。 スタジオに戻って、大型のスケッチブックに鉛筆で石室の絵を描いた。 私はその絵を眺めるうち、女性の性器を連想させることに気付く。 すると、人妻の彼女から電話がかかって来た。 12:25に彼女の赤いミニが家の前に停まり、二人はベッドイン。 彼女は首を振った。 「いいえ、あなたは何もわかっていない。 私が求めているのは、 試合のルールについて何ひとつぜんぜん語り合わないことよ。 だからこそ、私はこうしてあなたの前で剝き出しになれるの。 それでもかまわないかしら?」(p.78)夕方には、免色から電話がかかって来た。雨田具彦の弟・継彦は南京攻防戦に一兵卒として参加していたと言う。そして、1938年6月に大学に復学するが、その後まもなく自ら命を絶ってしまう。自宅の屋根裏部屋で、剃刀を使い手首を切ったのだと。その時、具彦はウィーンに留学中。それとほとんど時を同じくして、暗殺未遂事件を起こしていた。免色は、その件についてさらに調べてみることと、次の日曜、昼過ぎに私の家を訪問し、二人を我が家に招くと告げた。 ***その後、私は雨田政彦に電話をかけ、木曜昼に会う約束をします。私が、妻のユズから送られてきた離婚届に署名捺印して返送したと言うと、彼も私に話したいことがあったけれど、電話では話しにくいと言います。やっぱり、彼は怪しいような気がするのですが。
2017.03.11
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やって来たのはまりえだった。 秘密の通路を抜けてくると、ここまでとても近いのだと言う。 その際、古い祠のある雑木林も通って来た、 祠のことはよく知っているとも。 「あそこはあんな風に掘り起こしたりするべきではなかった」、 まりえは唐突にそう言った。 「どうしてそう思うの?」 彼女は肩をすくめるような動作をした。 「あの場所はそのままにしておく方がよかった。 みんなそうしてきたのだから」(p.53)まりえは、私に話があってやって来たのだと言う。彼女は、免色がここに偶然立ち寄ったというのはホントじゃないと思う、何かがあってここに来たんだと思うと言う。だから、私が免色について何か知っているかもしれないと思い、確かめに来たのだと。さらに、叔母は免色に興味を持っているとも言う。免色は、継続的にまりえと顔を合わせるために、秋川笙子を手中に収めようとしているのだろうか?その後も、まりえは免色について色々と私に尋ねた。まりえを玄関まで送って行った時、彼女は「ひとつだけ気になったことがある」と言う。さっき、ここに来る途中で鈴の音が聞こえたような気がしたと。私は急いでスタジオに行くと、棚の上に置いたはずの鈴が消えていた。 ***やはり、まりえはとても鋭い感性の持ち主のようで、今後、お話を大きく動かしていくキーパーソンになりそうです。そして、鈴の音がまた鳴り始めました。遂に謎が解明されるのでしょうか?
2017.03.10
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免色は秋川まりえに会うことを躊躇う。 私がコーヒーを四人で飲もうと居間に招き入れ、 そこでしばらく待つように言っておいたのに、 ジャガーの運転席に引きこもっていた。 「どうしたんですか、免色さん?」 「タイヤの空気圧を測ろうと思ったんですが、なぜか空気圧計がみつからなくて。 いつもコンパートメントに入れてあったはずなのですが」 「それは今ここで急いでやらなくちゃならないことなんですか?」 「いいえ、そういうものでもありません。 ただあそこで座っていたら、空気圧のことが急に気になったんです。 そういえば最近、空気圧を測ったことがなかったなと」(p.31)私に背中を押され、免色はまりえと叔母の秋川笙子に対面する。笙子とは会話が弾み始めるが、まりえの方はちゃんと見ることが出来ない免色。しかし、話題が先月私が描いた免色の肖像画のことになったとき、まりえが「それが見てみたい」と言う。それをきっかけにして、来週の日曜日には、まりえは私の家で肖像画のモデルになった後、免色の家に行くことになる。その後、免色と笙子はジャガーの話で大いに盛り上がったのだった。二人が帰った後、免色は私に、自分とまりえの顔立ちの間に共通点があるかと尋ねた。 ***免色さん、完全にてんぱってましたね。まぁ、あれだけ手間暇かけて、お金もかけて、周到に準備してきたことが、いよいよ実現するのですから、その気持ちは分からないでもないです。いつもの免色さんとのギャップが、ある意味とってもかわいい。そして、夕食を食べ終えかけた時に訪問者。一体、誰?
2017.03.08
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午前10時、明るいブルーのプリウスがやって来た。 私は、先週描き上げた3枚のデッサンを秋川笙子と秋川まりえに見せる。 まりえは、どうしたらそんなにうまく絵が描けるようになるのかと尋ねる。 練習だよ。練習しなければうまく出てこない才能や資質もあると私は答える。 「君は絵がうまくなりたいんだね?」と私はまりえに尋ねた。 まりえは肯いた。 「目に見えるものが好きなの。目に見えないものと同じくらい」(p.12)私とまりえはスタジオに入り、2メートルほどの距離を隔て向き合った。15分ばかり彼女とキャンバスを交互に睨んだが、私はあきらめた。そして、二人で話をした。まりえの父親のこと、母親のこと、そして私の妹のこと。まりえは、下絵の段階で止まっている白いスバル・フォレスターの男の絵を見て「これはこのままでもう十分な力を持っている」と言う。私は、この絵をしっかり梱包して、屋根裏にしまい込んでしまうべきなのかもしれないと思う。まりえは、『騎士団長殺し』の絵を見て、それが好きだと言う。鳥が狭い檻から外の世界に出たがっているみたいな感じがするとも。その日、私は結局一度も絵筆を手に取ることはなかった。そして、私はサラダとパスタを作り、まりえと秋川笙子の三人で食べた。 ***そしてこの後、免色がジャガーに乗ってやって来ます。いよいよ、父と娘(?)のご対面。一体、どんな風になるのでしょうか?それにしても、まりえは不思議な力を感じさせるキャラクターです。
2017.03.06
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ワルシャワ出身のプロの画家。 青白い肌に真っ黒な口ひげ 収容所にあって彼の専門的技能は大いに重宝された。(p.506) 誰からも一目置かれる彼は、しばしば私に自分の仕事について話した。 自分がドイツ兵たちのために、肉親の色彩画を描いていることを。 しかし、自分が描きたいのは、隔離病棟に積み上げられた子どもたち、 それを白黒の絵にしたいことを。 サムエル・ヴィレンベルグ『トレブリンカの反乱』 *** 左がサムエル・ヴィレンベルクの手による 『トレブリンカ叛乱 死の収容所で起こったこと1942-43』 私は、この作品を読んだことがありませんし、 また、「トレブリンカ強制収容所」についても知りませんでした。 この節は、わずか2ページ。 『トレブリンカの反乱』からの抜粋が示されているだけ。 でも、これが雨田具彦絡みであることは間違いないでしょう。 新たな展開を予測させて、次は「第2部 遷ろうメタファー編」です。<追記> 『トレブリンカ叛乱 死の収容所で起こったこと1942-43』を読みました。 その記事は、こちらです。
2017.03.05
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その日の夜、免色から電話がかかってきた。 私がまりえのデッサンの様子について伝えると、 来週顔を出していいものかどうか尋ねられる。 彼にしては珍しく、思い惑う態度を示した。 その週の木曜日、妻からの手紙が届く。 私が妻と出会った頃、彼女には2年前から交際している相手がいた。 私は我慢強く、彼女がハンサムな恋人とうまくいかなくなるのを待った。 そして、彼女は彼と破局を迎え、私との結婚を決意する。 我々は地方の小さな温泉に行って、そこで記念すべき最初の夜を迎えた。 すべてはとてもうまく運んだ。 ほとんど完璧といっていいくらいだった。 あるいはそれはいささか完璧すぎたのかもしれない。 彼女の肌は柔らかくて白く、滑らかだった。(p.501)私は、自分が白いスバル・フォレスターの男になっている夢を見た。目が覚めると、あの時ラブホテルで、私は何を恐れていたのかに思い当たる。私は、彼女を本当に絞め殺してしまうのではないかと心の底で恐れていたのだ。「ふりをするだけでいいの」と彼女は言ったのに。 ***久しぶりに石室の様子を見に行くと、重しの石の並び方に少し違和感。騎士団長は2週間近く姿を見せていない。次の日曜日に何かが起こる。次は、いよいよ第1部最終節。
2017.03.05
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翌日の午後、私は離婚届の書類を投函した。 そして、日曜の朝10時、 秋川まりえが、叔母の笙子の運転するブルーのプリウスに乗ってやって来た。 二人をスタジオに招き入れると、まりえは『騎士団長殺し』をじっと見据える。 その後、スタジオでデッサンに取り掛かる。 その間、笙子は居間で本を読んでいた。 まりえは、絵画教室にいる時と違って、よく喋った。 乳首の大きさ、離婚のこと、スズメバチのこと等々。 「チクビって、いくつくらいから大きくなるものなの?」とまりえは尋ねた。 「さあ、ぼくにはよくわからないな。男だからね。 でもそういうのはたぶん、かなりの個人差があるんじゃないかと思うよ」(p.486)来週、また同じ時間に来ることを約束して、青いプリウスは去って行った。私は、その二人に何かしら普通でないところがあると感じていた。 ***まりえは、お話を動かしていく力のあるキャラクターですね。『1Q84』のふかえりとは、ちょっと違うような気がします。『ねじまき鳥クロニクル』の笠原メイみたいな感じですかね。彼女がどのように動き始めるのか、とても楽しみです。
2017.03.05
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免色に返事をするまでの二日間、 私は『騎士団長殺し』と『白いスバル・フォレスターの男』の二枚の絵を 交互に眺めて時を過ごした。 そして二日目の夜、免色から電話がかかってきた。 私は、免色からの依頼や示唆を受けてではなく、 自発的にその絵を描くということにしてもらいたいと答える。 この仕事から不自然な要素をできるだけ取り除きたいということです(p.459)そうしないと正しいイデアが湧いてこないかもしれない、そういうことが有形無形の枷になるかもしれないから、と私は付け加える。そして、免色が肖像画を描いているスタジオにやって来ることについては了承。翌日かかってきた電話の際には、彼が双眼鏡でスタジオの様子を見ることも了承した。そんな中、内容証明付きの郵便で、離婚届が届いた。私は書類に目を通した後、記入、署名、押印をして、返信用の封筒に入れた。離婚すること自体にはとくに問題はなかったが、なぜこんな状況になったのかについて、私は未だ理解できていなかった。 ***免色が教えてくれた雨田具彦に関する追加情報により、「私」は、具彦が言葉で表すことを禁じられた出来事の真相とそれへの想いを『騎士団長殺し』という絵の中に託したのだと考えます。「プロローグ」で登場した顔のない男については、未だ分かりません。
2017.03.05
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小田原駅近くの絵画教室で子供たちにクロッキーを教えるとき、 その中からモデルを選び、白いチョークで黒板に描いて見せた。 そのモデルに秋川まりえを選んだのは、もちろん意図してのこと。 彼女をどのように絵にできるかをテストしてみたのだ。 その翌日、免色の家での夕食会以来、久しぶりに騎士団長が現れた。 私が『騎士団長殺し』とその絵が描かれた背景について尋ねると、彼はこう言った。 フランツ・カフカは坂道を愛していた。 あらゆる坂に心を惹かれた。 急な坂道の途中に建っている家屋を眺めるのが好きだった。 道ばたに座って、何時間もただじっとそういう家を眺めておったぜ。 首を曲げたりまっすぐにしたりしながらな。 なにかと変なやつだった。 そういうことは知っておったか?(p.450)私が「知りませんでした」と答えると、彼は「そういうことを知ったところで、彼の残した作品への理解がちっとでも深まるものかね」と尋ねてきた。そして、そこにある表象をそのままぐいと吞み込んでしまうのが一番だと言った。騎士団長の予言通り、翌日の夜8時過ぎに免色から電話がかかってきた。彼は、秋川まりえをモデルに肖像画を描く準備が万端整っていると告げてきた。私は、騎士団長の忠告に従って、返事を2日待ってもらうことにした。しかし、私の心はとっくに決まっていたのだった。 ***さぁ、秋川まりえをモデルに肖像画を描いた時、そこには一体何があらわれてくるのでしょうか?一つ一つの節のボリュームがとても短くなり、第1部の終わりに向けて、お話は一気呵成に進んでいます。
2017.03.05
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私は人妻の彼女に、免色家での夕食について語る。 が、出された料理の味はほとんど覚えていない。 「おいしかったよ。とてもおいしかった。 そういう記憶はある。 でもそれがどんな味だったかは思い出せないし、 言葉で具体的に説明することもできない」 「姿かたちはそれだけありありと覚えていながら?」(p.436)彼女が帰った後、私はスタジオに入り、書きかけの肖像画を眺める。白いスバル・フォレスターの男は、「これ以上何も触るな」と語りかけている。自分の姿をこれ以上明らかにしてもらいたくないと強く求めている。 そしてこの男は知っていたのだ。 私が前の夜どこで何をしていたのかを。 私がそこで何を思っていたのかを。(p.443) ***いきなり、衝撃の事実発覚か?放浪の旅の途中、ファミレスで出会った女性との情事。そのとき、一体何が起こったのか?そして、人が心を隠してしまうための場所 ー 屋根裏。
2017.03.05
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東京のエージェントから電話があった。 免色から絵の代金が振り込まれたと。 それから、人妻の彼女から電話があった。 明日の昼前に、そちらに行きたいと。 私はスタジオで『騎士団長殺し』の絵を眺める。 免色の話を聞いた後に見る絵は、不思議なほど生々しいリアリティーを感じさせた。 構成は完璧だった。 これ以上の構図はあり得ない。 練りに練られた見事な配置だ。 四人の人々はその動作のダイナミズムを生々しく保持したまま、 そこに瞬間凍結されている。(p.429)今ここに妹が一緒にいてくれたらと、私は思う。私と妻との間の問題は、私が妻に、死んだ妹の代役を求めていたからかもしれない。精神的困難に直面した時に寄りかかれるパートナーとして。妻の父親は東大経済学部を卒業し、一流銀行の支店長をしていた。彼は「結婚するのは本人の勝手だが、そんなもの長くはもたないぞ」と言った。妻の両親が、売れない画家である私を認めてくれることはなかったが、私たちはそのまま入籍し、6年ほどで現在の状況に至った。 ***雨田政彦は、二人の結婚祝いのパーティーに際し中心になって動いてくれたので、妻のことを「ユズ」と下の名前で呼ぶようになったのかな?そして、「私」と免色の共通点には納得。失ってきたもの、今は手にしていないものによって前に動かされている二人。
2017.03.05
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免色は私に、彼の娘と思われる少女の肖像画を描いてほしいと願い出た。 その少女、秋川まりえは、私の絵画教室の生徒だった。 そして、その肖像画を描いているスタジオを訪問させてほしいと。 免色は、すべてを計算してことを進めているのだった。 私は、そのプランを実行する前に、実子かどうか調べてみてはと問いかける。 免色は、実子かどうかは重要なファクターでないと答える。 実子かもしれないという可能性を抱いたまま、これから生きていきたいのだと。 私は、本当のことを知りたいと望むのが、自然な感情ではないか問い返す。 それはまだあなたがお若いからです。 私ほどの年齢になれば、 あなたにもきっとこの気持ちがおわかりになるはずです。 真実がときとしてどれほど深い孤独を人にもたらすかということが。(p.419)その後、免色は雨田具彦について語り始める。彼にはウィーン留学中にオーストリア人の恋人がいたが、その繋がりで、アンシュルス直後に起きたナチ高官暗殺未遂事件に巻き込まれ、日本に送還されてきたのだと。 ***雨田具彦が『騎士団長殺し』を描いた背景が、少しずつ明らかになってきました。でも、まだまだこれはほんの入り口のような気がします。そして、免色の娘も知れない少女・秋川まりえ。自分の妹との共通項を見出すこの少女に、「私」はどう相対していくのでしょうか?
2017.03.05
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シャンパンから夕食が始まった。 やがて騎士団長も食堂に姿を見せた。 彼はすべての物事をただ眺めるだけなのだ。 それについて何かを判断するわけではないし、 好悪の情をもつわけでもない。 ただ純粋な第一次情報を収集しているだけなのだ。(p.399)食事を終えると、免色はあの石室について話し始める。どうして、自分があの中で一人きりになったのかについて。そしてあの時、私が自分を置き去りにしたいと思わなかったかと尋ねてくる。私は、そんなことはまったく頭に浮かばなかったと答える。すると、自分なら、きっとそのことを考えていたと思う、そして、あの時自分は私がそうすることを期待していたのだと言う。暗くて狭いところに一人きりで閉じ込められ、そこで生き延びていく、そんな恐怖を乗り越えるには、死に限りなく近接することが必要だったのだと。免色の家のテラスからは、谷を挟んだ向かいの山の家々の明かりが見えた。私が自分の住む家を見定められないでいると、免色は双眼鏡らしきものを持ってきてくれる。明かりがついていれば、部屋の中も見えそうなほど私の家がよく見えた。免色は、私の家を覗くようなことはしていないと言う。自分が見たいのは別のもの、私の家の隣に当たる家だと言う。そこには、彼の自分の娘だと思われる少女が住んでいる、彼女は父親と一緒に、あの家に住んでいるのだと。 ***免色が屋敷を強引に買い取った理由についての私の予想は見当違いなものであったようです。まぁ、免色に騎士団長の姿が本当に見えていないのなら、そういうことになるのでしょう。さて、「私」にそのことを打ち明けた免色は、「私」に一体何を頼むのでしょうか?
2017.03.05
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私が13歳の夏休み、10歳の妹と二人で山梨の叔父のところに遊びに行った。 富士の風穴に足を伸ばした際、洞窟を少し進んだところで 妹は順路から少し離れた場所に、小さな横穴を見つける。 そして、懐中電灯を手に、その中に潜り込んでいった。 待っている間、私は心配でたまらなかったが、やがて妹は戻って来た。 そして、その中の様子を詳しく教えてくれた。 「ねえ、お兄ちゃん」と妹は歩きながら、小さな声で -他の誰かに聞こえないように(実際には他に誰もいなかったのだが)ー 私に言った。 「知ってる?アリスって本当にいるんだよ。嘘じゃなくて、実際に。 三月うさぎも、せいうちも、チェシャ猫も、トランプの兵隊たちも、 みんなほんとにこの世界にいるんだよ」 「そうかもしれない」と私は言った。(p.376)午後6時、送迎リムジンに乗って免色の家に向かう。隣のシートには、涼しい顔をして騎士団長が腰掛けていた。そして、自分には決して話しかけるなと言った。自分の姿は私以外の者には見えないし、声も聞こえないのだからと。免色は私を家の中に招き入れると、カクテルを勧めた。それから案内された書斎には、私の描いた絵が掛けられていた。免色はシューベルトを聴きながら、無言でその絵を眺めた。そして、騎士団長も彼と同じように目を細めてその絵を見ていた。 ***この節における舞台装置は「風穴」。そこで、「私」には進むことのできない場所ー狭い横穴の向こうに側ー に一人で行ってしまった妹。その時、彼女はこの世を離れてしまったと確信する「私」。アリスは存在する、そして騎士団長も存在すると、あらためて思う「私」。それにしても、妹に対するこの思いの強さ……圧倒されてしまいます。
2017.03.05
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翌日、私はキャンバスに向かった。 白いスバル・フォレスターの男を絵画の形にするために。 「なかなか見事であるじゃないか」 後ろを振り向くと、窓際の棚の上に騎士団長が腰かけていた。 彼は、明日は私と一緒に免色の家に行くという。 彼の姿は、私には見えるが、免色には見えないという、 そして、免色に電話をかけ、火曜の夜の招待はまだ有効か、 同行するのはミイラでなく騎士団長で差し支えないか確認してほしいという。 「その招待はまだ生きているのでしょうか?」 免色は少し考えてから、楽しそうに軽く笑った。 「もちろんです。二言はありません。招待はまだちゃんと生きています」 「事情があって、ミイラは行けそうにありませんが、 かわりに騎士団長が行きたいと言っています。 ご招待にあずかるのは騎士団長であってもかまいませんか?」 「もちろん」と免色はためらいなく言った。(p.366)その夜も、次の日の朝も騎士団長は現れなかった。今夜は大雨だと、ラジオの天気予報が告げていた。 ***騎士団長の姿は、やっぱり「私」以外には見えないのですね。鈴の音は聞こえても、その姿は見えない。イデアは、普通の人間にとってはそういう存在なのでしょう。それを「私」は見ることが出来る。
2017.03.04
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私は、鈴の音がするスタジオへと向かう。 右手に雨田具彦が残した樫材のステッキを握りしめて。 スタジオの中は真っ暗で、何も見えない。 照明をつけても、何の変化もなかった。 が、居間のソファの上に見慣れないものが。 白い奇妙な衣服を身にまとった身長60センチばかりの小さな人間。 『騎士団長殺し』の絵の中描かれていた「騎士団長」。 腰には柄に飾りのついた長剣が。 「ああ、本物の剣だぜ」と騎士団長は私の心を読んだように言った。 小さな身体のわりによく通る声だった。 「小さくはあるが、切ればちゃんと血が出る」(p.349)奇妙なしゃべり方をする騎士団長は、これは仮の姿だと言う。霊ではなく、ただのイデアだと言う。免色が穴を開け、夕食に招待してくれたことに感謝しているとも。鈴を鳴らしていたのは、彼だった。そして2時15分、彼は姿を消した。 ***ついに登場しました!でも、こんなにハッキリした形で、こういった存在が目の前に現れ、語りかけてくる展開は珍しいのでは?まさに「顕れるイデア」が根幹となるお話になっていくのでしょう。
2017.03.04
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日曜の朝、私は作業用の服に着替えスタジオに入る。 そして、あの白いスバル・フォレスターの男を描き始める。 「おまえがどこで何をしていたかおれはちゃんとわかっているぞ」 と語りかける目をしていた男のポートレイトを。 まだ何も描かれていないけれど、そこにあるのは決して空白ではない。 その真っ白な画面には、来るべきものがひっそり姿を隠している。 目を凝らすといくつもの可能性がそこにあり、 それらがやがてひとつの有効な手がかりへと集約されていく。 そのような瞬間が好きだった。 存在と非存在が混じり合っていく瞬間だ。(p.329) 午後3時半、雨田政彦がやって来た。 私は彼に、石室や免色の肖像画、今朝描き始めた作品について話す。 雨田は「このあいだユズに会ったよ」と言う。 私は彼に「ユズにはたぶん恋人がいたのだと思う」と打ち明ける。 「人にはできることなら知らないでいた方がいいこともあるだろう。 おれに言えるのはそれくらいだ」(p.339)その日の真夜中、鈴が再び鳴り始めた。 前よりももっと大きく、鮮明に。 *** 雨田政彦と「私」の妻の関係って? 彼が「ユズ」と下の名前で呼ぶような関係ってありましたっけ? 「私」がユズに出会ったのは、30歳になる少し前だから、 美大時代の共通の友人というわけでもないですし……そして、「つまらん忠告かもしれないが、どうせ同じ通りを歩くのなら、 日当たりの良い側を歩いた方がいいじゃないか」という政彦の言葉。 思わず「おおっ!!」と口から言葉が漏れてしまいました。 これって「Keep On the Sunny Side 」ですよね。私は、このカーターファミリーによって有名になった曲が大好きです。と言っても、よく耳にし、口ずさんだのは、ザ・ナターシャー・セブンが歌う「陽気に行こう」の方。こんなところで、お目にかかれるとは。
2017.03.04
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妻から突然の別離を突きつけられた後、 プジョーに乗って、あちこち放浪の旅を続けていた時に、 私は、宮城県の海岸沿いの小さな町のファミレスで一人の若い女性に出会う。 彼女は、一人で食事をしていた私のテーブルの向かいの席に、いきなり座った。 彼女は「知り合いのような顔をして」と手短に言うと、 やって来たウェイトレスにコーヒーとチーズケーキを注文した。 「私の後ろに何か見える?誰かいる?」と彼女は尋ねた。 私は彼女の背後に目をやった。 普通の人々が普通に食事をしているだけだ。 新しい客も入ってきていない。 「何もない。誰もいない」と私は言った。(p.312) しばらくすると、中年の長身の男が一人入って来た。駐車場には白いSV、SUBARU FORESTERが新たに加わっていた。彼女はコーヒーを一口、チーズケーキを一口、グラスの水を半分飲むと、私を店の外に出るよう促し、プジョーの助手席に乗り込んだ。彼女の指示に従って道を進むと、そこはラブホテルだった。彼女は身につけていたものをはずし、「いらっしゃいよ」と言った。長い旅行のあいだに持った唯一の性的体験。翌朝目覚めると、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。土曜日の午後1時、人妻の彼女が赤いミニに乗ってやって来た。情事の後の短い午睡から目覚めた彼女は、免色が結構長い間、東京拘置所に入れられていたらしいと教えてくれた。そして、あのお屋敷を3年前に強引に買い取ったことも。 ***ファミレスで出会った女性が言った「私の後ろに何か見える?誰かいる?」がとても気になります。「何か見える?」って……「誰かいる?」だけだったら、分かるんですけど。そして、免色がお屋敷に住んでいた人を金を積んで追い出した理由。やはり、雨田具彦と彼の描いた『騎士団長殺し』が関係しているのでは?
2017.03.04
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免色は、業者が置いていった梯子を伝って穴の下に降りていった。 深さは3メートルもないが、その石壁は緻密に造られている。 足をかけるような隙間はまったくなく、簡単には登れそうにない。 彼は、私に梯子を引き上げ、ぴたりと蓋を閉めてくれと言う。 彼が手にした鈴を鳴らすか、1時間が経過したら、 私は蓋を外し、梯子を下して、彼が外に出られるようにすることになった。 好奇心というのは常にリスクを含んでいるものです。 リスクをまったく引き受けずに好奇心を満たすことはできません。 好奇心が殺すのは何も猫だけじゃありません。(p.288)私は、鈴の音に気を付けながら家でしばらく過ごし、1時間後、穴の中にいる免色を出迎えた。家に戻ってから、私は免色に作品を見せた。彼は、それを気に入り、自宅に持ち帰ることになった。そして、作品の完成を祝って、彼は私を家に招き、夕飯をご馳走してくれるという。早川漁港近くのフレンチレストランから、コックとバーテンダーを呼ぶんだそうだ。私は免色に、その夕食にミイラを招かないのかと尋ねる。探るようにこちらを見る彼に、私は説明する。 あの石室にいたはずのミイラのことです。 毎夜鈴を鳴らしていたはずなのに、鈴だけを残してどこかに消えてしまった。 即身仏というべきなのかな。 ひょっとして彼もおたくに招待されたがっているのではないでしょうか。 『ドン・ジョバンニ』の騎士団長の彫像と同じように。(p.303) ***「好奇心は猫を殺す」は、イギリスのことわざだそうです。免色は、過剰な好奇心で身を滅ぼすことになるのでしょうか?それとも、私が家に戻っている間に、既に石室の中では、何かが起こっていた?そして、オペラ・ブッファでは、ジョバンニから食事に招待された騎士団長の彫像は、最後には、ジョバンニを地獄に引きずり込んでしまうのですが、このお話では、どんな展開を迎えるのでしょうか?いよいよですね!
2017.03.04
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台所でオレンジジュースを飲んでからスタジオに戻ると、 スツールの位置が少しずれていた。 そこから眺める免色のポートレイトは、見え方が微妙に違った。 そして、双方に共通して欠けているものがあった。 その「不在する共通性」はいったいいかなるものか…… その時、「かんたんなことじゃないかね」と誰かが言った。 「わかりきったことじゃないかい」と、また誰かが言った。 「メンシキさんにあって、ここにないものをみつければいいんじゃないのかい」あたりを見回し、すべての部屋を調べてみたが、誰もいなかった。私は、ポートレイトを眺めるうちに、ひとつの事実に思い当たった。 彼の白髪だ。 降りたての雪のように純白の、あの見事な白髪だ。 それを抜きにして免色を語ることはできない。 どうしてそんな大事なことを私は見逃していたのだろう。(p.281)私は、白い絵の具をかき集め、それを画面に塗り込んでいった。午前11時、免色のジャガーがやってきた。 ***「私」は、スツールを移動させたのも、「私」の耳に語りかけ、絵に欠如するものを示唆したのも、「私自身」が無意識に行ったことだと結論付けますが、それは真実ではありませんでした。じゃあ、一体何者の仕業?
2017.03.04
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その夜、スタジオの棚に置いた鈴が鳴りだすことはなかった。 翌日は、10時半に車でスーパーに食品の買い物に出かけ、 それからシューベルトを聴いて、少し眠った。 そして、午後2時過ぎにスタジオに入り、キャンバスに向かった。 夜9時前、免色から電話がかかってきた。 「昨夜はいかがでした?」 私は、昨夜不思議なことは何も起こらなかったことを伝えた。 そして、翌日の11時頃、免色がこちらにやって来ることになった。 「ところで、今日はあなたにとって良い一日でしたか?」 免色はそう尋ねた。 今日は私にとって良い一日だったか? まるで外国語の構文をコンピュータ・ソフトで 機械的に翻訳したような響きがそこにはあった。 「比較的良い一日だったと思います」と 私は少し戸惑いながら答えた。(p.265)免色からの電話を切った後、人妻の彼女から電話がかかってきた。彼女は、土曜の午後に、こちらにやって来ることになった。免色について、少しばかり話したいことがあるという。いくつかの新しい情報があると。 ***第1部のうち、半分が終わりました。この節は、ちょっとした休憩ポイントのようなところ。免色に依頼された作品は、着実に前進しています。「プロローグ」に出てきた顔のない男は、免色じゃなかったのかぁ?
2017.03.04
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石の塚で、免色が手配してくれた業者による作業が始まった。 ショベルカーが次々に石を撤去していく。 が、その下には更に2メートル四方の石床があった。 そして、さらにその下には格子状の蓋がはまっていた。 作業が続いている間、私と免色は一度家に戻った。 免色は、モーツアルトを聴きながら眠ってしまった。 私は、その音楽を聴きながらトマトソースを作った。 そして、現場監督から作業終了の電話。すべてが取り除かれたあとには、円形の石室らしきものが見えた。直径2メートル足らず、深さは2メートル半ほどで、石壁で囲まれている。その中は空っぽで、鈴のようなものがひとつ、底に置かれていた。その鈴は、とりあえずスタジオに置いておくことになった。 「それに、これですべてが終わったというわけでもないでしょう」 免色の顔にはずっと遠くを見ているような不思議な表情が浮かんでいた。 「というと、まだ何かが起こるのですか?」と私は尋ねた。 免色は言葉を慎重に選んだ。 「うまく説明はできないのですが、 これはただの始まりに過ぎないのではないか、という気がします」(p.257) ***いよいよ深くて暗い、異世界とも思える空間の登場です。村上ワールドではお馴染みの舞台装置。今回は、井戸ではなく、階下の部屋でも壁の裏側でもなく石室です。雨田具彦の『騎士団長殺し』に描かれていた穴と関係があるのでしょうか? そう言えば、明日香村で横穴式石室の羨道が見つかりましたね。まぁ、こちらの方は、全長30メートルクラスの大石室かもしれないので、このお話の石室とは、比べものにならないスケールの大きさですが。こちらもこれから先、さらに色々なことが分かってくるのでしょうね。
2017.03.02
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