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chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2022.11.06
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 その同じ日に、小学館は『週刊少年サンデー』を発行。
 手塚治虫やトキワ壮グループを擁する『サンデー』の発行部数は30万。
 それに対し、『マガジン』は20万部余だった。

 1962年、『マガジン』は初めて『サンデー』の発行部数を上回る。
 その原動力となったのが、ちばてつやの『ちかいの魔球』で、
 以後の野球マンガの「魔球」ブームや『ハリスの旋風』へと繋がっていく。
 しかし1965年、"ギャグのサンデー”が『おそ松くん』『オバケのQ太郎』で首位奪還。

「8マン事件」と「W3事件」で、創刊以来の危機を迎えた『マガジン』だったが、

1967年に週刊少年誌初の100万部を達成、1968年には『あしたのジョー』が始まった。
同年始まった『天才バカボン』は、1969年に『サンデー』に移籍するも、1971年に再開した。

1963年に少年画報社の『少年キング』、1968年に集英社の『少年ジャンプ』、
1969年に秋田書店の『少年チャンピオン』が週刊少年誌に参入。
1970年に『サンデー』で『銭ゲバ』が始まると、『マガジン』も『アシュラ』を開始。
「総合少年週刊誌」から始まった『マガジン』は、どんどん青年誌化していった。

青年誌化が進んだ『マガジン』『サンデー』『キング』に対し、
少年誌にこだわった『ジャンプ』が、1973年に『マガジン』を抜いてトップの座につく。
『マガジン』は『デビルマン』『釣りキチ三平』『男おいどん』『愛と誠』等で立て直すと、
1974年には、手塚治虫の『三つ目がとおる』を始めた。

1978年には「少年マンガのラブコメ第1号」と言われる『翔んだカップルが始まる。

以後、ラブコメが立て続けにヒットした『サンデー』は、『マガジン』を追い越す。
しかし、『ジャンプ』の完全独走状態が揺らぐことはなかった。

そして90年代初頭、”ヤンキーのマガジン”と呼ばれる時代を経て、
1992年に『金田一少年の事件簿』が、1997年に『GTO』が始まると、
『マガジン』は失速した『ジャンプ』を追い抜き、王者復活を成し遂げる。


しかし2002年、『ジャンプ』が週刊少年誌トップの座に返り咲く。
以後、『ジャンプ』『マガジン』『サンデー』『チャンピオン』という順位が固定、
20年間で、各誌ともじわじわと発行部数を落とし続けている。
「紙の雑誌」が何百万部も売れる時代は、恐らくもう帰ってこない。

   ***

  もともと集英社はエンターテイメント部門の本を専門に出版するために作られた
  小学館の子会社である。
  この頃は社員さえ小学館から出向しており、独自の定期採用が始まるのも
  この翌年の59年になってからだった。(p.18)

『ジャンプ』と『サンデー』が同一起源だったとは……
「週刊少年誌」を通じて、それぞれの時代の空気がしっかりと伝わって来る一冊でした。





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Last updated  2022.11.06 15:39:20
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