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『ケーキの切れない非行少年たち』の宮口教授による一冊。 非行少年たちの実態は、ストーリー展開した方が伝わりやすいのではとの思いから、 コミック版を、2023年9月時点で第7巻まで刊行されていますが、 2022年9月に刊行された本著は、その小説版ということになります。 登場するのは、振り込め詐欺の片棒を担ぎ、借金をしていた女友達を殺害した少年、 中学校の担任女性教諭を、失明の恐れがあるほど殴った妊娠8カ月の少女、 父親を困らそうと自宅に灯油をまいて放火し、隣家に住んでいた女性を焼死させた少年、 近所に住む7歳の女子児童にいたずらして入院するも、出院後に再犯してしまった少年。これらの少年たちについて、その家庭環境や生育歴、犯行に至る経過やその後、さらには、主人公の精神科医が医療少年院や女子少年院で関わった様子が描かれていきます。お話は架空のものとされていますが、著者の宮口教授の実体験がベースになっているでしょう。主人公の家庭や職場、特に異動についての描写は興味深いものがありました。
2024.01.31
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現在放映中のNHK朝ドラ「ブギウギ」の原案本。 当然のことながら、登場人物に異なる名前が付されていたり、 ドラマ独自の登場人物やエピソードが加えられたりしてはいるものの、 おおよそ、本著に記されていることをベースにお話は進んでいるように思います。 本著を読んで、改めて笠置さんと服部良一さんの結びつきの強さや、 戦前・戦後のエンタメ界がどのような様子だったかを知ることが出来ました。 それにしても、笠置さんの人生は、本当に山あり谷ありの波乱万丈で、 「事実は小説よりも奇なり」ですね。 *** 「真珠湾攻撃」と、41年12月に仏印 (フランス領インドシナの略。現在のベトナム・ラオス・カンボジア)沖で戦死した 笠置の弟・八郎のために服部良一が作詞(ペンネームの村雨まさを)作曲した 「大空の弟」である。 この「大空の弟」がどのようなものだったかは残念ながらレコードも資料もなく、 まったくの不明である。(p.55)なるほど、そうでしたか。では、ドラマで流れていたのは何だったのでしょうか?調べてみると、2019年に眠ったままになっていた譜面が見つかり(本著単行本刊行は2010年)、良一さんの孫・隆之さんがリメイクを担当することになったのだそう。 そしてさらに言えば、ほんの少し前まで軍部の指導に従った ”一億一心、総火の玉”の日本人が、今度は新たな支配者GHQ、 言い換えれば”アメリカさん”の指導にも同じように従って(?)、 人々が活き活きと戦後復興に立ち向かうという映画を作ったのだから、 大衆というものの弱さ・強さ・したたかさを感じないわけにいかない。(p.72)これぞ日本人……と、思わずにはおれない記述。 だが少なくとも1950年当時の社会はそうではなかった。 文学や映画も同様で、とくに流行歌は時代を映す鏡だ。 歌詞に、今でいう差別用語が使われた流行歌は何も「買物ブギ」だけではない。 現在では不適切な言葉とされているもので、他に(中略)などがある。 それらの歌詞が使われた歌はみな、発表当時は何の指摘もされなかったのに、 いつの間にか歌われなくなったり、歌詞が変更されたり、削除されたり、 曲そのものがメディアから姿を消した。 実はそれらの歌が、障害者や人権団体から抗議を受けたわけではなかった。(p.168)本著で、最も深く考えさせられた部分。次の「トニー谷の長男(6歳)誘拐事件」に関する記述も同様。 37歳の犯人は動機を「人を小バカにしたようなトニー谷に反感を持った」と語り、 メディアの一部は犯人に同情する。 トニー谷は被害者であるにもかかわらず、 「占領下時代にへんな英語をしゃべって急に裕福になった成り上がり芸人」という、 なんとも理不尽な理由でマスコミからバッシングを受けたのである。 以後、人気は急落し、トニー谷はメディア不審に陥る。 彼がボードビリアンとして復活するのは1960年代後半からだ。 だが彼の心の痛手は深く、マスコミ嫌いは終生変わらなかった。(p.238)歴史は繰り返す……というか、反省というものが……ない……
2024.01.28
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たくさんの人たちに読まれ、カスタマーレビューの評価も高い一冊。 「オノマトペ」について記されている辺りまでは、 頁を捲る手の動きも滑らかで、順調に読み進めることが出来ていましたが、 途中からは大苦戦、読み切るのにかなりの時間を要してしまいました。 かつて、ソシュール等に当たっていた時期のことも思い出され、 やはり、言語学はそう簡単に、一筋縄ではいかないと再認識させられました。 *** 子どもはこのように、ある足がかりがあれば、そこから学習を始め、知識を創っていく。 そのとき子どもがしていることは、「教えてもらったことの暗記」とはまったく異なる。 今もっている資源を駆使して、知識を蓄える。 同時に学習した知識を分析し、さらなる学習に役立つ手がかりを探して学習を加速させ、 さらに効率よく知識を拡大していく。 その背後にあるのがブーストラッピング・サイクルである。(P.202)本著の中で、最も心に残ったのがココ。現在求められている教育は、まさにヒトの学びの原点だったと気付かされました。 人間はあることを知ると、その知識を過剰に一般化する。 ことばを覚えると、ごく自然に換喩・隠喩を駆使して、意味を拡張する。 ある現象を観察すると、そこからパターンを検出し、未来を予測する。 それだけではなく、すでに起こったことに遡及し、因果の説明を求める。 これらはみなアブダクション推論である。 人間にとってアブダクション推論はもっとも自然な思考なのであり、 生存に欠かせない武器である。(p.245)キーワードは、「アブダクション推論」。著者は、「ブーストラッピング・サイクル」において、中心的役割を果たすものだと言います。また、前提と結論をひっくり返してしまう推論である対称性推論は、アブダクション推論と深い関係がありますが、非論理的な推論だとも述べています。 対称性推論をしようとするバイアスがあるかないか。 このような、ほんの小さな思考バイアスの違いが、 ヒトという種とそのほかの動物種の間の、 言語を持つか持たないかの違いを生み出す。 そして言語によって、人間がもともと持っているアブダクション推論が、 目では観察できない抽象的な類似性・関係性を発見し、 知識創造を続けていくというループの端緒になるのだと筆者たちは考えている。(p.248)ただし、論理関係と因果関係は一見似ていますが、別ものです。思考の前提は事象の原因とは異なり、思考の結論は事象の結果とは異なるのです。因果関係がない所に因果関係を見てしまうのは、認知バイアスの一つであるということを、私たちは、普段から心に留めておく必要があると思います。
2024.01.24
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妻子ある男の子供を身籠り、初めて産婦人科を訪ねた芹沢香澄、 女優だった母の遺言に従い、大分県日田市を訪れた堂本ひかる、 道後温泉をひとりで訪れることになった売れっ子コピーライター文香、 白神山地を訪れた『さいはての彼女』でも登場した波口喜美と長良妙子、 感情を露わにしない14歳の娘と共にトキが生息する佐渡島を訪れた梓、 挙式を控えた娘夫婦と共に、亡き夫との思い出の地・長良川を訪れた堯子、 娘との思いがけない再会を果たす、四万十川のほとりの集落で一人暮らしをする多恵。これらの女性たちを描いた7つの短篇を収めた、原田マハさんの手による作品は、2010年4月に単行本として刊行され、2013年10月に文庫化されました。7つのお話の中で、「寄り道」は後に『ハグとナガラ』にも掲載されたため、私は既に一度読んでいましたが、改めて読み直しても、とても良い作品です。また、巻末「解説」で書評家の藤田香織さんも書かれているように、「長良川」は、7つの短篇の中でも特に心に残る作品でした。文庫本で40頁足らずの紙幅に収まる作品ですが、全体を通じて漂う情感や読後に残る余韻に、格別なものを感じさせられます。
2024.01.24
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精神科医の泉谷閑示さんが、カウンセラーや医療職を目指す人たちに向け、 講座や講義で話してきた内容をベースにしながらも、誰もがヒントを得られる一冊。 「自分で感じ、自分で考える」生き方を回復すべく、 今まで疑うことなく信じてきた様々な常識や知識を洗い出していきます。 *** 最近、教育現場で「食育」ということが言われ始めてきているようですが、 そこでは「朝食を摂っている子どもは頭が良い」というデータが 根拠として用いられたりしています。 しかしよく考えてみれば、朝食を食べなさいという親の指示に素直に従う子どもと、 学校の教える学習内容に素直に従う子どもは、 その従順さにおいて一致しているはずですから、そこに正の相関があって当然なわけで、 果たしてこれが科学的データと言えるのかどうか疑問です。(p.88)「なるほど」と思いました。ただ、「鶏が先か、卵が先か」とも感じました。「朝食を摂る」こと、「頭が良い」こと、「従順」なこと、この三者の関係を、明確にする必要がある? 待ちぼうけは、人をある状態に縛り付けます。 「絶望」を口にする時、「待っていても来ない」「期待しているのに得られない」 といって嘆いているわけですが、その苦しみは、叶わないことによるのではなく、 縛り付けられて不自由であることから来ているのです。 つまりこれは「執着」の苦しみなのです(中略) このように「絶望」の苦しみは、残していた一抹の期待をきちんと捨てること、 つまりそこからさらに一歩を推し進め、しっかりと「執着」を断つことによって、 真の「絶望」が訪れ、「自由」に解放されていくものなのです。(p.175)「執着」の苦しみから逃れるには、その「執着」自体を断ち切るしかないということですね。まぁ、それがそんなに簡単なことではないから、多くの人が、真の「絶望」の手前で留まったまま、苦しみ続けている…… 大通りの人たちは、必ず徒党を組みます。 彼らは、内に不自然さ、窮屈さを無意識的に抱えているので、 どうにかしてそれを打ち消しておく必要がある。 そうでなければ、自分たちの大通りが間違った道であるということがバレてしまう。 打ち消すには、井戸端会議的に徒党を組みむのが一番手っ取り早い。 「ね、そうよね。私たち正しいわよね。あの人はちょっと変よね」 というようなことを言って、 大通りを外れた人のゴシップをネタに、自分たちを正当化して安心するわけです。 巷にあふれるワイドショーやゴシップ週刊誌は、 そういう人たちの根強いニーズがあるからこそ成り立っているわけです。 大通りの人にとっては、「人の不幸は蜜の味」なのです。(p.213) これこそが「普通がいい」という病、ですね。
2024.01.24
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津田伸吾は、会社をリストラされて3年、再就職もせず自室に閉じこもり、 退職金の全てを注ぎ込んで株式投資を続けるが、塩漬け状態になっていた。 そんな夫に愛想をつかし、パート先の吉脇に惹かれていた妻・亜季子は、 浴室でカッターナイフを用い、後ろから首筋をメッタ突きして殺害した。 亜季子は、物置からブルーシートを取り出して死体をその上に置き、浴室を清掃。 そこへ近所に住む伸吾の父・要蔵がやって来て惨状を目撃、警察に通報したのだった。 一審は求刑通りの懲役16年、その控訴手続きを終えたばかりの弁護士・宝来兼人から、 御子柴礼司は、かなり強引な手段で弁護人を引き継ぐ。御子柴は、亜季子や一人で自ら法律事務所にやって来た亜季子の次女・倫子(りんこ)、伸吾の父・要蔵、公認会計士・吉脇、亜季子の長女・美雪、産婦人科医・紅林、亜季子の生家があった場所の当時の町内会長・高峰、医師・溝端、金融業者・青柳に会いながら、東京地検・岬恭平次席検事を相手に、最終公判で亜季子が犯人たりえないことを証明する。しかし、岬の反対尋問で溝端が亜季子の妹が殺害された26年前の事件について語り始めると、傍聴人席から「その男を、その弁護士を逮捕してください!」という甲高い声が上がる。声の主は亜季子の母親・佐原成美で、さらに次のように言葉を続けたのだった。「その男はわたしの娘を、みどりを殺した園部信一郎です」指弾の場と化した裁判所を去ろうとする御子柴に声をかけたのは、要蔵と岬。御子柴は、二人に今回の事件の真相を語り始めた。 ***p.310から始まる匂わせ譚よりも結構前から、真犯人の姿は見えてきますね。それでも、最後の最後まで油断がならない展開なのは、流石に七里さんです。さて、今回のお話の肝となるのは、次の部分ではないでしょうか。これこそが、このシリーズが継続されている原動力であると感じました。 自分は奈落から手を伸ばしている者を生涯かけて救い続ける-。 赦しを乞うた訳ではない。 見返りを求めた訳でもない。 それだけが鬼畜から人間に戻れる唯一の道だと信じたからだ。(p.397)さて、今回のお話には、巻末の「解説」でも触れられているように、あの岬洋介の父親である岬恭平が登場し、重要な役割を果たしています。また、『復讐の協奏曲』に登場する宝来兼人は、今巻でも登場していますね。
2024.01.04
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結衣は、亜樹凪からEL累次体の情報を得ようと日暮里高校に潜入するも不発。 一方、瑠那は、イエメンの難民キャンプを離れた日の記憶が突如蘇る。 その一件には、架禱斗や彼の母親で矢幡元首相夫人・美咲が関わっており、 その後、恒星天球教元幹部・濱滝庸征が、瑠那を杠葉夫妻に託したのだった。 瑠那は、濱滝の友人で、EL累次体情報処理部門所属の藤澤尚武に会い、 何者かの声を矢幡元総理の声に変換するプログラムの入ったメモリーカードを手渡される。 そのアプリにより、結衣と凜香は、矢幡元総理の声の主と驚愕の事実に気付く。 優莉匡太は、死んでいなかった……児童養護施設に戻った凜香は、漉磯(すくいそ)・芦鷹・猟子らに襲撃され、囚われの身に。助けに向かった瑠那も、恩河日登美の攻撃を受けるが、結衣に救われる。その後も結衣と瑠那への襲撃は止むことはなく、坂東は絶命、蓮實や詩乃らも巻き添えに。さらに、瑠那は義父・功治から、彼が匡太の教誨師だったと知らされる。結衣と瑠那は、執拗に襲い掛かってくる漉磯・芦鷹・猟子を撃破するも、矢幡元総理は……結衣は、優莉家の一員とはまだ世間に知られていない瑠那に、距離を置くよう促す。それでもなお、武装兵に狙われ続ける瑠那に手を差し伸べてきたのは、次男の篤志。そして「来い。伊桜里がまってる」 ***今巻は、読んでいて辛かったです。結衣、凜香、瑠那の三人が、揃ってボコボコにやられるのは初めてではないでしょうか。特に、凜香は危険な状況が続いたまま。そんな中現れた篤志と伊桜里には、期待せずにはおれません。そして気になるのが矢幡元総理が発した次の言葉。 「結衣さん! 優莉匡太のいう不変の蒼海桑田とは……」(p.298)「蒼海桑田」とは、青い海が桑の畑になるという意から、世の中の変化が著しく激しいこと。これに「不変の」が付くと……優莉匡太の目指すものは何?そして、それに結衣たちはどう立ち向かうのでしょうか?
2024.01.04
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