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2009年01月09日
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カテゴリ: 政治問題
 いわゆる「田母神論文」の内容のどこが史実と相異するのか、12月7日の「しんぶん赤旗」日曜版は、次のように分析している;




「満州事変」(柳条湖事件)(1931年9月)

 日本の中国侵略が公然と始まり、その後の日中対立の起源になったのが1931年9月の「満州事変」(柳条湖事件)です。田母神論文はこの事件には一切言及がありません。それには理由がありました。

 「今回の事件は、まったく軍部の計画的行動に出たものと想像される」

 事件翌日の9月19日、外務省在奉天林総領事はそう報告する電報を打っています。

 実際に奉天(現在の濱陽)郊外の柳条湖で満鉄の線路を爆破したのは関東軍(「満州」に駐屯した日本軍)。日本軍はこれを中国軍のしわざだとして満鉄沿線を占領します。

 日本政府は外務省の報告で、事件の真相を翌日には知りながら、中国側を非難する声明を出しました。

 事件は関東軍によるものという事実は、田母神氏も否定することができません。

日中戦争(1937年7月~)

 1937年、中国への全面的な侵略戦争が開始されます。

 政府は、翌年1月、天皇が出席し、国家の最高戦争指導機関である御前会議で、日中戦争への対応を決めます。

 「支那(中国)現中央政府が和を求めてこない場合は、帝国は今後これを相手とする事変解決に期待を掛けず、新興支那政権の成立を助長し、現政府に対しては、帝国は壊滅を図る」(1938年1月、御前会議決定の「支那事変」処理根本方 針)

 このとき、中国側に日本が講和条約交渉の条件として要求したのが、以下の項目です。

▽中国は満州国を承認する
▽中国は排日反満州政策を放棄する
▽北京を中心とする華北地方と内モンゴルに非武装地帯を設定し、日本軍を駐屯させる
▽上海などを中心とする日本軍占領地域にも非武装地帯を設定し、日本軍を駐屯させる

 この戦争目的は以後も繰り返し確認されます。中国東北部、華北、内モンゴルの支配権を獲得し、上海などその他の地域についても軍事的、政治的、経済的な支配におきたいという狙いが示されています。

「生存圏」決定(1940年9月)

 日本が侵略の矛先を向けたのは中国大陸だけではありません。

 太平洋戦争開戦1年以上前の1940年9月、政府と軍の戦争指導機関である大本営政府連絡会議は日本の「生存圏」の範囲を次のように決めました。

 「皇国の大東亜新秩序建設のための生存圏として考慮すべき範囲は、日満支(日本・満州・中国)を根幹とし、旧独領委任統治諸島、仏領インド〔インドシナ〕および同太平洋島峡(とうしょ)、タイ国、英領マレー、英領ボルネオ、蘭領東インド、ビルマ、オーストラリア、ニュージーランドならびにインド等とす」

 日独伊の3国軍事同盟を結ぶにあたって、東南アジアから太平洋の全域、インドにいたる広大な地域を、日本の勢力圏として承認を得たいという願望が見えます。

 田母神氏は、太平洋戦争はルーズベルト米大統領の仕掛けた罠にはまったといいます。しかし、1940年7月の「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」(大本営政府連絡会議決定)で、日本は北部仏印(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)進駐を決定。9月に進駐を開始し、フランスやイギリス、オランダなどとの対立を決定的にします。

 開戦1カ月前の1941年11月2日には「帝国国策遂行要領」で「対米英蘭戦争を決意」。対米英戦争を12月上旬に起こし、戦争準備を完遂することを決めます。

 太平洋戦争はまさに日本が主導的に起こした戦争だったのです。

「御前会議」(43年5月)

 1941年8月、米英が発表した大西洋憲章がかかげた「領土不拡大」「主権の回復」などは、戦後の国際秩序の重要な原則になりました。

 それに対抗して日本が発表したのが「大東亜共同宣言」(43年11月)です。この会議に向け、43年5月に「御前会議」で決めた「大東亜政略指導大綱」には、日本の本音が書いてありました。

 「『マライ』『スマトラ』『ジャワ』『ボルネオ』『セレベス』は帝国領土と決定し重要資源の供給地として極力開発ならびに民心把握に努む」

 石油やゴム、スズなどの産地であるこれらの地域は資源のために帝国領土とするという、日本に都合の良い議論を展開し、しかもこの部分は「当分発表せず」としていたのです。

 太平洋戦争の目的は、アジア・太平洋地域での日本の支配の確立と領土拡大にあったことをこれらの政府文書は物語っています。

 田母神氏は日本の戦争で「多くのアジア・アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった」などと自賛しています。

 現実はどうか。

 1951年のサンフランシスコ講和会議で、 日本の戦争のおかげで独立を果たしたと感謝を述べた国があったか と問われた日本政府はこう答弁しました。

 「 そのような国はなかった 」(1988年5月、参院外務委員会)


2008年12月7日 「しんぶん赤旗」日曜版 10ページ「日本の国家と侵略戦争の真実」から引用

 「田母神論文」の内容がデタラメであることは、世間が周知するところであるが、個々のテーマによっては必ずしもそうとは言えず、当ブログの常連コメンテーターの中にも、日本軍の侵攻は東南アジア諸国が独立する手助けになったなどと妄想をいだいている者がいる。しかし、実際のところは、政府答弁のとおり、そのような国はない。








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最終更新日  2009年01月09日 22時43分08秒


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