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2009年01月16日
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カテゴリ: 政治問題
 早稲田大学政経学術院教授の毛里和子氏は、昨年の朝日新聞「シリーズ・識者に聞く-東アジア近現代史の10大出来事は?」に応えて、次のように述べている;


明治維新 は、その 日本が東アジアで近代化に先陣を切ったことを意味するのか、あるいは東アジアにおける日本の野望を方向づけたのか など、新たに問われるべき点は多い。

 日清戦争を機に、東アジアの国際秩序は日本による中華帝国の再編へと大きく変わった。李鴻章外交が台湾を割譲したことは日中戦争への伏線になったし、今に続く「分断中国」の淵源(えんげん)となった。日清戦争は、その点できわめて現代的な意味を持っている。

 05年の第2次日韓協約、10年の「韓国併合に関する条約」で大韓帝国は消滅し、朝鮮は日本の植民地になった。「創氏改名」が象徴するように、軍事的、経済的、文化的にも特異な植民地と言える。 近代日本の朝鮮人蔑視(べっし)、朝鮮支配は、なぜ世界に類例のない構造と内容を持ったのか が解明される必要がある。

 31年の関東軍による満州事変から、慮溝橋事件をへて日本は中国と全面戦争に入る。日本の華北侵略は中国を抗日ナショナリズム一色にまとめ、日本は膨大な人と資源を消耗して惨敗した。この戦争とその評価で、日中は今も歴史認識をめぐる根深い対立を引きずっている。

 対中軍事作戦で泥沼化した日本は米英と開戦し、戦争資源獲得を狙って東南アジアへの侵攻も始めた。米英軍の圧倒的軍事力で42年半ばから戦況は悪化の一途だったが、日本指導部は「玉砕」の道を選んだ。 戦争突入に合理性はあったのか、どこで止めるべきだったのか、最終責任はどこが負うべきかは、はっきりさせるべき課題だ。

 欧州での冷戦開始を受けて、東アジアには中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国が生まれた。50年からの朝鮮戦争と中国参戦が東アジアの分断構造を決定的にし、その状況は72年の米中接近と日中国交正常化まで続く。 だが社会主義は中国に一体何を残したのか。 毛沢東の正負の「遺産」を腑分(ふわ)けできずにいるのを見ると、人民中国成立の意義はまだ確定できない。

 敗戦後、日本は占領軍の手で民主化が行われ、平和憲法も施行された。だが「移植」された面だけでとらえるべきではない。大正デモクラシーのように戦前からの基礎が「移植民主主義」を根づかせ、日中戦争、太平洋戦争の惨禍が日本国民に平和主義をもたらした。民主主義、平和、経済成長は、戦前期に対する日本流自己否定と自己批判であり、戦後東アジアの発展モデルとなり、大きな資産になったことは否定できない。

 分断された朝鮮半島の南部では、軍事政権を経て民主主義への移行が始まった。背景には中間層の出現や軍事独裁を許さぬ国際環境がある。民主制が定着したとは言えないが、韓国の民主化は、台湾でのそれと相まって東アジアの政治体制に大きな影響を与えている。

 中国は大躍進運動や文化大革命で世界から大きく取り残された。毛沢東が去り、四人組が失脚した後、78年に登小平らの手で経済発展へと向かう。「四つの近代化」と「GDP4倍増」計画である。経済の脱社会主義化と、外資や技術を導入する開放政策、特に92年に登
小平が指示した市場化の加速で、中国経済は驚異的成長をとげている。これがいつまで続くか、 「大国中国」は世界の秩序をどう変えるのか。 これからの世界の重大関心事である。  (聞き手・福田宏樹)


2008年1月29日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「シリーズ・識者に聞く-東アジア近現代史の10大出来事は?--新中国の意義 いまだ確定せず」から引用

 東アジアの近代史には、究明されるべきテーマがまだまだ残されているようである。尚、上の引用した記事中の「登小平」という表記は、当ブログでは正しい漢字を表示することが出来ないので、当て字を使用しました。









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最終更新日  2009年01月16日 23時46分24秒


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