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2010年10月18日
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カテゴリ: 歴史認識
 名古屋大学名誉教授の安川寿之輔氏は、かねてから脱亜入欧を唱えた福沢諭吉を批判し、福沢の開化思想を賞賛する丸山眞男をも批判しており、その考えを「週刊金曜日」8月27日号のインタビュー記事の中でも述べている。これに対して、評論家で「週刊金曜日」の編集委員をも務める佐高信氏は、9月10日号の「週刊金曜日」で安川発言を次のように批判している;




 そこで安川は丸山と司馬遼太郎を一緒にして批判しているのだが、たとえば三島由紀夫は安岡正篤(まさひろ)への手紙の中で、丸山に「左翼学者」のレッテルを貼り、「大衆作家の司馬遼太郎」を「まじめな研究態度が見え」て心強いと讃えている。つまり、丸山を敵視する一方で、司馬をわが友とし、区別しているのである。

 安川はきわめて単純に、福沢を「民主主義の先駆者」として美化したと丸山を断罪しているが、三島から「左翼学者」と難じられた丸山を全否定して、反ファシズムの隊列など組めるのか。大体、そうした悪罵を浴びながらも、たとえば安保闘争に参加した丸山の感じる風圧を理解せずして、統一戦線を組むことなどできないだろう。三島が安川を問題にすることはない。私が言いたいのは、標的にされる者に対して、敵以上に激しい侮蔑の言葉を投げつけて何の意味があるのかということである。

 福沢に侵略主義と攻撃される面があったことを私は否定しない。しかし、同時に、戦争中に福沢は『鬼畜米英』の思想家として排撃されたことも忘れずに想起するのでなければ公平を欠くだろう。

 また、悪名高き「脱亜論」にしても、福沢はそれを唱えながら、朝鮮独立運動のリーダーである金玉均(キムオクキュン)を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。当時の日本の政府はそれを理由に福沢を捕えようとしたし、事実、福沢の弟子の井上角五郎(かくごろう)は投獄され、福沢との関わりを白状せよと迫られている。

 どうしても学者は文献によって判断しがちなので、現実の行動を追うことはおろそかになる。また、実社会にもまれないので自分だけが正しいと独断的な主張を声高に繰り返すようになる。

 私は安川に『天上天下唯我独尊居士』というニックネームを進呈したいくらいだが、それではやはり、反ファッショの幅広い統一戦線は組めない。全否定ではなく部分否定、全肯定ではなく部分肯定のみが、ひとりよがりの頑固な独善の殻を打ち破るのだと私は思う。


2010年9月10日 「週刊金曜日」814号 9ページ「風速計-敵から見たら」から引用

 強大な敵と闘うときは小異を捨てて大同に付くべきであるという佐高氏の主張は間違いではない、と私は思いますが、明治に始まって1945年8月15日に至ったわが国の歩みの中で福沢諭吉の思想がどのような役割を果たしたのか、検討することには大きな意味があるのではないかと思います。また、金玉均という人物も、果たして朝鮮独立運動のリーダーであったと言えるのかどうか、大変興味深いところです。







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最終更新日  2010年10月18日 20時58分14秒


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