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藤塚先生は手入れをしない髪がいつもぼさぼさ、素足に草履履き、やせて風采が上がらず、ひょうひょうとしてぼそぼそ話す。高名な学者を父に持つ一風変わった人で、代々受け継がれたあだ名が「西洋ルンペン」。略して「セールン」と皆呼んだ。
そのセールンが入室するなり、突然「このクラスも予科練の志願者はいませんね!」と日頃に似ぬ大声で言った。続けて声を落とし、「つまらない死に方をするものではない。君らには別の生き方がある」と言って風のように去って行った。隣のクラスから同じように彼の声が聞こえた。
当時、学校に予科練生を何人出せと割り当てがきたのだろうが、係に任ぜられたセールンは、それを自分の判断で握りつぶしたに違いない。この年、予科練志願者は全校で一人もなかったと聞く。教え子を戦場に送らなかった先生の存在を伝えたい。
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