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「生等(せいら)もとより生還を期せず」などと答辞を読んだ 学徒代表、江橋慎四郎さん(90)=東京大学名誉教授(体育学)、神奈川県藤沢市在住=が、戦後ずっと黙してきた心境を記者に語った。(編集委員・大久保真紀)
「答辞は我が身にとっては名誉なこと。だが、戦没者のことを思えば何も言えない」弁護士の父をもち、鎌倉で育った。地元の湘南中から仙台の旧制二高、東京帝国大学(現東大)文学部と進み、大学2年で学徒出陣となった。
代表に選ばれたのは、水泳部のマネジャーで、体育会の運営を仕切る「総務」の仕事をしていたからではないか、と振り返る。当時としては大きい、173センチという体格も影響した、とみる。
答辞の文章は国文学の先生に添削されたが、「若者の心意気として国難に立ち向かうという思いだった。当時の学生の気持ちを代弁したと思っている」。
1943年12月、航空整備兵として陸軍に入隊。内地にとどまり、敗戦を迎えた。戦後は文部省、東大教授などを経て鹿屋体育大学の創設に尽力、初代学長を務めた。
学徒には戦没者も多い。そのためか、取材依頼にも「貝になりたい」と語るなど学徒代表の体験についてはずっと口を閉ざしてきた。しかし、語らなかった故に「即日帰郷した」(軍隊に行っていない)などと事実と異なることを著作物に書かれ、批判された。「言いたければ勝手に言えばいいと思ってきた。自分を正当化する必要はない。僕は僕なりの人生をひたすら生きてきた」。学徒は当時の超エリート。だが、「あの時は国があれほど傾いているとは思っていなかった。情報が操作されていた」と漏らす。
「同じ過ちは絶対に繰り返してほしくない」。そう繰り返す江橋さんは、いまも毎年2回沖縄を訪ねる。 日本が中国やアジア、沖縄の人たちに迷惑をかけたことは忘れてはならない と思っている。
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