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しかし、村山談話は1995年8月15日に、正式に閣議で議決され、全閣僚の署名がされたものだ。このことは、当時の新開でくわしく報道されているし、ネットで検索すれば、容易に確認できる。
しかも、当時の事情は政治的緊迫感のあるものだった。直前には国会での「戦後50年決議」が自民党などによって骨抜きにされた。その決議に異を唱える動きの中心にいた島村宜伸(しまむらよしのぷ)文部大臣(当時)が、記者会見で「いちいち謝罪していくやり方は、果たしていかがなものか」と発言。近隣諸国がいっせいに反発し、村山首相(当時)は大臣を罷免(ひめん)すべきではないか、という声も高まっていた。そうした状況下で、植民地支配と侵略の事実を認め、反省と謝罪の談話の発表を村山首相は決意したのだった。その意味づけを明確にするために、首相は閣議での議決を計画したが、自民党員の大臣が多数を占める閣議の場では紛糾が予想された。そうした混乱を避けるために首相と官房長官などが用意周到に事を進め、異論は一言も出されずに満場一致で、同談話は閣議決定されたのだった。
その様子は同年8月16日付の『朝日新聞』朝刊社会面でくわしく報じられている。こうしたほぼ20年前のできごとについて、若手の官僚たちが通じていなくてもやむを得ない。しかしベテラン政治家で、アジア侵略の事実に触れることを「自虐史観」として歴史教育から排除すべきだと、声高に主張しているのが下村大臣だ。その下村氏が村山談話が閣議決定であることに気付いていなかったとは思えない。もし本当に気付かずにいて、官僚の用意した答弁原稿をそのまま読み上げて2度も誤認発言を繰り返していたのであれば、 大臣どころか、政治家としての資質を問われて当然だ ろう。しょせん、安倍内閣の閣僚のレベルはこの程度ということか。
それにしても、不思議なのはこの答弁の誤りを、3月31日の時点で文科省に一市民から抗議の電話があるまで、関係者が気付いていなかったことだ。質問した野党議員もそうだが、報道関係者も、怠慢のきわみだ。ましてや冒頭の訂正謝罪発言についても、『産経新問』と『読売新聞』はまったく報道していない。両紙の報道姿勢がよくわかる事例だ。
(たかしま のぶよし・琉球大学名誉教授)
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