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2017年01月03日
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テーマ: ニュース(96979)
カテゴリ: ニュース
真珠湾攻撃によって対米戦争が始まったという俗論に対し、山口大学名誉教授の纐纈厚氏は「当時の日本軍の主たる目的は、マレー半島の石油を押さえることが目的であって、マレー侵略に対しアメリカは当然牽制してくるはずだから先に真珠湾を叩いておく、という作戦だったのだから、マレー侵略が「主」、対米戦争は「従」であるというような見解を、12月9日の「週刊金曜日」誌上で述べている;




纐纈  その通りです。真珠湾攻撃は日本時間で12月8日の午前3時頃に日本海軍によって決行されましたが、すでに午前1時半前にマレー半島北部での陸軍の上陸作戦が開始されていました。この時問差は、意味が大きいと思います。

――「意味が大きい」というのは、なぜですか。

纐纈  つまり 太平洋戦争というのは、実は東南アジアへの侵略が主軸 であって、そこで必ず牽制してくるであろう米軍をとりあえずブロックするために、真珠湾の米海軍に対し先制攻撃を加えたと言えるでしょう。ですから、南方侵略こそが太平洋戦争の本質であり、主軸でした。

――いまだに右派は、太平洋戦争は「アジア解放のためだった」などと主張していますが。

纐纈  とんでもありません。40年8月16日に閣議決定した 「南方経済施策要綱」 では、英領マレーや蘭領東インド(インドネシア)、仏領インドシナを対象に 「皇国の軍事的資源的要求を基礎とし」て「経済的大東亜圏の完成」が目的だと明記 してあります。 どこにも「解放」などと書かれていません。 米国が日本の中国侵略に抗議して対日石油輸出の全面禁止に踏み切る前から、日本は東南アジアの資源を狙っていたのです。

◆「米国だけに負けた」?

――その東南アジアに侵略したのだから、日本は英国やオランダ、さらにはオーストラリアとも交戦状態に突入しました。しかし、なぜか「12月8日」とは、真珠湾攻撃で米国と戦争になった日としてしか受け止められていません。

纐纈  それが問題なのです。あたかも「米国だけと戦争し、その結果、米国に物量で負けて降伏した」という歴史認識で、ここではマレー半島やインドネシアのみならず、中国を始めとしたアジアでの戦争が見えてきません。 中国大陸には日本は最盛時197万人規模の大軍を派兵しましたが、そこでも敗北しました。 まずアジアに侵略して、負けたのです。ところが、「米国には負けたが、中国には負けていなかった」、あるいは「米国に邪魔されなかったら、中国には勝っていた」と何となく思い込む見方が戦後横行し、同時に「米国に負けたのだから、これからは米国についていけばいい」という発想が生まれました。これが 国民の対米従属の心理を生み、現在も「日米同盟を支える歴史認識」となっています。

――根深いですね。

纐纈  アジア太平洋戦争の終わり方からして、大いに問題でした。「8月15日の玉音放送」=「終戦の詔書」で昭和天皇は何を言ったか。要するに、戦争の目的は正しかったが、米軍が新型の爆弾(原爆)を使い始め、戦争がうまくいかなくなったので、とりあえず止める-と。そこには、中国を始めとするアジアの民衆の前に敗北したのだという事実認識が、まったく抜け落ちていました。

――そうすると、「12月8日」という日の歴史的意味を、再度問い直す必要がありますね。

纐纈  同感です。 ここで正しく問い直さないと、 戦後、アジアの存在が完全にスルーされてきた過去の誤りにいつまでたっても気づかず、 戦争の真の反省も、いつまでたっても生まれてはきません。

――「反省」ということでは、憲法の前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と書いてあります。では、ここでの「戦争」とは何を念頭におくべきなのでしょう。当然、対米(英蘭豪)戦争だけではなくなるはずですが。

纐纈  そこなのです。真珠湾攻撃の以前から、37年に日中全面戦争が始まっており、さらにさかのぼれば31年に満州事変が起きています。

◆真の反省と歴史認識

――「15年戦争」ですね。おそらく「反省」といった場合、対米戦争に留まらないで、この中国を中心とした15年間の戦争も含めるべきだというのは一つの見識だと思います。では、その前の日清戦争、日露戦争はいったいどうなるのか。 作家の司馬遼太郎は、『坂の上の雲』で「祖国防衛戦争」だと主張 していますが。

纐纈  まったくの、 デタラメな暴論です。 日露戦争後の1910年に韓国併合が強行されたように、この二つの戦争は朝鮮半島を日本が支配するため、清とロシアの影響力を排除するのが目的の侵略戦争でした。さらに言えば、日本の戦争は1874年の台湾出兵から始まっているのです。「反省」といった場合、明治近代国家が手を染めた最初の侵略であった台湾出兵からまず見ていかないと、本質がわからなくなるのではないでしょうか。 「15年戦争」に留まらず、さらに明治期から始まる大日本帝国の総体まで正確に総括する必要があるのです。 そうしないと、「何が悪かったのか」という本質的な問題がわからなくなります。

(後半省略)


2016年12月9日 「週刊金曜日」 1116号 20ページ「『大日本帝国』総体の侵略の歴史を総括せよ」から一部を引用

 司馬遼太郎は新聞記者上がりの小説家であって、歴史を専門に研究した学者ではないので、彼の小説に表現される歴史観をことさら「司馬史観」などと言うのはおかしいという指摘が、当ブログの常連さんからなされたことがありました。その指摘は確かにその通りですが、司馬遼太郎が言った「明治は輝かしい時代で、中国と全面戦争になった昭和は残念な時代だった」という発言をいたく気に入った文藝春秋を中心にした右派の論客は、明治時代を賞賛する司馬の発言を気に入って「司馬史観」などとまことしやかに言ってるのだと思います。司馬遼太郎がそんなことを言い出す以前は、誰もが1945年8月の敗戦をもって大日本帝国は滅んだと、いわば明治以来の歴史の全否定であったわけで、しかし、誰もそれを口には出さずにいたところに、司馬遼太郎の小説が「明治は輝いていた」などと言い出したもので、みんながそれに飛びついて取りあえず「全否定」からは逃げられると考えたのではないかと思います。しかし、冷静に考えれば、明治以来の軍国主義が1945年8月の敗戦という「結論」を導いたという事実は動かしがたいものであって、「昭和は残念だったが、明治は輝いていた」というのは史実を誤認した暴論であることは、上の記事が述べる通りだと思います。





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最終更新日  2017年01月03日 18時25分18秒


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