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8月30日に亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の谷口稜嘩(すみてる)さんについて、9月18日の社説はこう書いている。
「『背中が語る』と言いますが、あの”赤い背中”を直視して、痛みを覚えた人ならば、核兵器を持とうとか、戦争をしようとか、考えるはずがありません」
この社説に対して、総理をはじめとするあの人たちは、多分同調しないだろう。せいぜい、「気の毒だけど、戦争だったんだからしょうがない」と感じるだけだと思う。 「戦争だったらしょうがない症候群」 に、とりつかれているのだ。衆院を解散した後に北朝鮮有事が起き、安全保障関連法の新任務を行う場合、国会承認をどうするか。小野寺五典防衛相が「事後承認制度がある」(9月19日夕刊)としれっと言えるのも、「戦争だったらしょうがない」症候群の発露だ。
あるいは、「原子力に限らず、どんな技術にも負の側面はある」と言った福島第一原発事故当時の原子力委員長も、 「地震だったからしょうがない」症候群 にかかっている。原発にかかわっている人たちは、今後、どんな事態が新たにおきても「地震だったらしょうがない」で乗り切るつもりだろう。だからこそ、「廃炉の見通しはまったくつかないけど、東電は原発をアンダーコントロールしてるから、原発再開してもいいんじゃね?」と言えるのだ。
改憲も、原発も、選挙も、「こんな人たち」によって決められてしまう。それが、今の日本の現実だ。が、だからこそ「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」のだ。
9月19日の「言わねばならないこと」で山田洋次監督が、今どきの若者について、「無感動で元気がない」「おとなしく、聞き分けがいい」と語っていた。本当にそうだ。拙著『若者はなぜ怒らなくなったのか』では、若者は「決まっちゃったことはしょうがない」症候群にかかっている、と指摘したが、あれから十余年。今どきの若者は、「決まっちゃいそうなことはしょうがない」症候群にかかっている。だから選挙に行かない。だって、投票したってどうにもならないもの。だったら決まっちゃいそうな方でいい。
こういった価値観で今まで生きてきた人たちに、「死に票もいいもんだよ」的な気分は説明のしようがない。 「戦争だったらしょうがない」内閣と「決まっちゃいそうなことはしょうがない」徴兵予備軍。 盤石の国家が完成しつつある。
(女子供文化評論家)
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