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中国において、大分以前から 共産党軍、国民党軍という呼称の区別をやめ、両軍をふくめた「中国軍」という呼称を使うのが一般的に なり、中国共産党中心の抗日戦争史観では評価されなかった国民党軍(国民政府軍)の戦闘を歴史事実に照らして顕彰することが広く定着したことが、この報告からもうかがえた。
もう一つは、盧彦名「中ソ提携の観点からの南京抗戦と南京大虐殺」と題する南京大虐殺記念館館員の報告である。ソ連は、1937年8月20日に中ソ不可侵条約を締結し、ソ連を仮想敵にした日本軍の北進政策、具体的には満州を基地にソ連領土への侵攻を企てている関東軍の脅威からソ連を守るため、中国の抗日戟を積極的に支援した。ソ連は日本海軍航空隊の南京空爆に対抗して、ソ連製の爆撃機と戦闘機ならびにソ連兵の志願航空部隊を派遣し、日本海軍の南京空襲部隊と空中戦を展開させた。志願航空隊といっても実質はソ連政府が派遣した空軍部隊であったが、日本からのクレームを躱(かわ)すために、ボランティアの部隊であると称したのである。
ソ連政府は、9月15日からソ連機の中国への搬送を開始し、南京事件がほぼ終息した38年3月1日までに航空機282機を中国に搬送して、中国空軍の対日抗戦を支援したのである。11月21日には、南京の航空基地を飛び立ったソ連志願航空隊の第一大隊のE-16型戦闘機7機が20機の日本軍機と空中戦を展開、九六式戦闘機2機、九六式攻撃機1機を撃墜し、南京空中戦での初勝利をあげた。以後、ソ連の志願航空隊と中国空軍は協力して、南京が陥落するまで数次にわたり日本海軍航空隊と空中戦を展開、20機を撃墜するという戦果をあげた。
余談になるが、私は数年前、南京城壁の東にそびえる紫金山の北山麓にある広大な国際抗日航空烈士公園を訪ね、公園の中にある南京抗日航空烈士紀念館を参観したことがある。同館には、日本の海軍航空隊、陸軍航空兵団と戦闘して犠牲になったソ連人やアメリカ人などのパイロットの功績が展示されている。
盧彦名報告はつづいて、ソ連共産党中央委員会の日刊機関紙「プラウダ(中国語は真理報)」が、日本海軍航空隊の南京空襲の被害の実態や日本軍の南京大虐殺の惨状、さらに日本軍の2人の将校による「百人斬り競争」についても報道し、 1938年1月30日の「プラウダ」は「日本軍の中国における暴行」と題する長編の特集記事を組み、南京大虐殺の惨状を世界に知らせた と述べ、これらのソ連のメディアの報道は中国軍民の抗日戦争を国際的に支援するものであったと結論した。
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