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裁判の原告はホロコースト否定論者イギリスのデイヴイッド・アーヴィング、被告はアメリカの歴史学者デポラ・リップシュタット。ユダヤ系アメリカ人女性であるリップシュタットは、アーヴィングを「ヒトラー信奉者、証拠をゆがめ、あり得ぬ結論を導く人物」と自著で批判し、名誉棄損で訴えられた。
イギリスの裁判では、立証責任は被告側にある。そこで、弁護団は原告アーヴイングの過去の研究書、20年間に及ぶ日記を精査し、その矛盾点をつく方針を立てた。 徹底したファクト主義を真くために、依頼人とガス室の生還者をあえて証言台に立たせなかった。 否定論者は、彼らの心的外傷(トラウマ)を標的にフラッシュバックを起こさせ、ガス室の存否に「2つの見方がある」ことを認めさせようとするからだ。
弁護士リチャード・ランプトンは、法廷は「治療の場」ではなく「真相解明の場」であるとして、記録→解釈→論証の回路を情報公開しようと考えた。この「法廷」のプロセスは、「調査報道」のそれに酷似している。ランプトンは、依頼人リップシュタットに「君ではなく裁判を守る」と告げる。それは、プロデューサーが現場取材者のはやる気持ちを抑え、より深く正確な情報で「放送を守る」のと似ている。主役は真実であり、この場合、ガス室で死んだ600万の死者の声である。
原告アーヴィングは、「シアン化物(チクロンB)が換気装置で発見されたことは認める」と証言した。しかし、人間を殺すためではなく、チフスを媒介するシラミを駆除するためだったと言いだした。ランプトンは動じない。以前、アウシュヴィッツを実地調査したとき、リップシュタットから「シラミを殺すには人間の20倍の濃度が必要」と聞かされていたからだ。さらに、アーヴィングは「チクロンBは、チフスで死んだ死体を消毒するためだ」とつけ加えた。ランプトンは反撃に出た。「すぐに焼却する死体をガス消毒する理由は何か?」。アーヴィングは「思いつきで書いたかもしれない」とうろたえるが、弁護人は手をゆるめない。 「いつもの手口で、思いついた愚論をまくし立て、結論をあいまいにするだけだ!」 とアーヴィングを面罵。まるで、調査報道のクライマックスを見るようだ。
◆「慰安婦」の事件を想起
映画を見ながら思い出した。20年ほど前、安倍晋三議員が慰安婦の「強制連行」を裏付ける資料がないとして、歴史教科書から「慰安婦」の記述を消す仕事に励んでいたころ、NHKの教育テレビ「問われる戦時性暴力」について、放送前に「公平に」と注文をつけた。幹部はそれを過剰に「付度(そんたく)」し、現場もそれにあらがえず、元慰安婦・加害兵士の言葉を消してしまった。この事件に関わった者たちは、証言者の無念を覚えているだろうか。その後、安倍首相は「付度」「フェイク」「ポスト真実(トゥルース)」の言説を旺盛に再生産している。
さて、結審に際して、判事はリップシュタットの弁護人に 「借念に基づく発言ならウソと非難はできないのではないか」 と尋ねた。これは「表現の自由」に関わる難問である。そして、インターネットにおける「フェイク表現の自由」をどうとらえるかという今日的な問いでもある。
映画の脚本を書いたデイヴイッド・ヘアは応えている。 「言論の自由には、故意に偽りを述べる自由が含まれているかもしれないが、同時に、その偽りを暴く自由も含まれている」 と。映画「否定と肯定」は、否定論者との熾烈(しれつ)な法廷闘争を「調査報道」の話法で描き、フェイクと闘う市民とジャーナリストに多くのヒントを用意している。
(さくらい・ひとし)
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