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<田中倫夫記者>
日中戦争の始まりは、1937年7月7日に中国の北京郊外で起きた日中両軍の衝突、盧溝橋事件だ、と学校で教わります。
しかし7月7日を境に、社会がいきなり平和から戦争に変わったわけではありません。そこで、1937年の日本がどんなふうに変化していったのかを知りたいと思い、この本の執筆に着手しました。
当時の日本人になった感覚で「時代の空気の変化」を理解するため、1937年の元日から大みそかまでとその前後の新聞縮刷版を隅々まで読み、『中央公論』『文藝春秋』『改造』『週刊朝日』などの雑誌にも目を通しました。
最初のうち、国民は「戦争が始まった」とは思っていませんでした。「悪い中国人を懲らしめるだけだ」と説明する政府に従う中、日々の生活に少しずつ戦争が入り込み、気が付いたらそれに乗っ取られていた。
当時のメディアを見ると「挙国一致」という言葉が頻繁に登場します。国を挙げ一致団結して”国難”に立ち向かう。一見立派な態度ですが、 とりあえず政府に従うという盲目的な服従がどれほど危険かは、その後の破滅的戦争と悲惨な敗戦を見ればよくわかります。
無能で判断力がない政府指導部に国民が一致団結して従うと、国はどんどん破滅に突進していく。当時の社会の流れを観察し、”政府に黙って従うことの危険性”を思い起こす必要があると思いました。
そして、当時のメディアは、国民に伝えるべき事実をきちんと伝えていなかった。それでは今の日本のメディアはどうか。
◆男尊女卑の体質
たとえば、安倍政権と、戦前・戦中の価値観を継承する「日本会議」や「神道政治連盟」との深い関係。閣僚のほとんどはこれらの団体の議連メンバーです。日本国憲法の理念を否定し、戦後の価値観を認めず、男尊女卑の差別思想も戦前・戦中と同様。だから安倍内閣は、財務省のセクハラ問題が出た時も、加害者側の事務次官をかばい続けたのです。
伊勢志摩サミット(2016年)では安倍首相が各国首脳を伊勢神宮に案内し、神社本庁とつながりのある同神社を「日本の精神性を感じられる場所」と宣伝しましたが、これは憲法の政教分離の原則と相いれません。改憲に賛同する署名を神社本庁が集めたのも大きな問題です。しかし「赤旗」を除くと、大半の日本のメディアはこれらの問題を伝えていません。
安倍首相の総理大臣としての資質を疑わせる事実も次々と出ています。
「森友・加計(かけ)」疑惑では、安倍首相夫妻の権力私物化か疑われていますが、 公的事業をめぐるグレーの部分をシロにする責任は首相にあると理解していない。
公的記録が全て保存され、それが全部開示された状況で「不正を示す記録がない」のであれば、「不正はなかった」という結論になります。しかし 公的記録が恣意(しい)的に廃棄・改ざんされ、核心部分が空白なら、「不正を示す記録がないから不正はなかった」という理屈は成立しません。
これは「日本会議」などが行う歴史否認のやり方と同じです。「慰安婦の強制連行や南京大虐殺を裏付ける文書はない。だから無かった」という言い方をします。しかし、日本は敗戦時に公的記録を大量焼却したのですから何の証明にもならない。欺瞞(ぎまん)的トリックというべきものです。
◆今は新しい戦前
安倍政権下の日本では、戦前・戦中と同じような「権威への服従」の傾向がまた強まっています。上位の人間の理不尽な意向に下の者が服従して破滅する例が続発しています。
日本が最も権威主義的になったのは、1935年からの10年間です。あの時ほど人命や人権が軽視された時代はありません。
安倍首相や日本会議があの時代に執着するのは、 もっとも権威主義的だった時代の日本こそが、あるべき姿だと思っているから です。 そんな価値観の行きついた先が前回の戦争です。 その意味で今私たちは「新しい戦前」に直面しつつあるのではないか。あの時代の過ちを繰り返さないために、私たちは「黙って従うこと」をやめる必要があります。
やまざき・まさひろ=1967年、大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。『[増補版]戦前回帰』『「天皇機関説」事件』など著書多数
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