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宗教であったか、宗教を騙るまがいものであったかの違い であり、紙一重である。
オウム事件で私が最も残念に思うのは、国民の多くに宗教についての決定的な誤解が生じたことである。現在でも、正しい知識もなく宗教を何か怪しげなものとして見る風潮がありはしないか。
本来、宗教とは、人間にとって欠くことのできないものである。それは単に教義(ドグマ)に基づくものだけではない。 人間以上のはたらきに祈りを捧げ、自然の恵みに感謝し、食前に「いただきます」と一礼する のも、他ならぬ宗教心である。
学問としての宗教学は、教派の教学ではなく、そのような人類普遍の宗教心を客観的に考究する学問である。そこに触れていくと、 人間の幸福は決して物質や経済だけでは満たされない ことが、身に迫って理解されてくる。
高度成長期以降の 日本の不幸せは、宗教を白眼視し遺棄したこと であろう。「私は無宗教」と言って憚(はばか)らない精神の拙さは、世界の嘲笑の的になっているように感じられ、そうした中で真面目な若者がオウムという「教団」に捕らえられてしまった。事件の教訓は、偽物の宗教に騙(だま)されず、本来の宗教心を呼び覚まし、再び日本人が真実の宗教を獲得する必要性を問うたことだろうと思う。
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