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大阪での維新の人気は圧倒的である。なぜ政策が成功していない政党を有権者は支持し続けるのか。 維新政治に批判的な人たちは有権者が維新政治の実態を知らないからだという解釈を採っている。 大阪のメディアが維新の広報機関と化しているので、有権者は維新政治が成功していると信じ込んでいる。だから、真実を知らしめれば、評価は一変するはずだと言うのである。そうだろうか。私は違うような気がする。
大阪の有権者は大阪で何か起きているかちゃんと知っているのだ。それは日本の未来を先取りしているということだ。大阪は実は「トップランナー」なのである。
公務員は減らせるだけ減らす。
行政コストは削るだけ削る。
社会福祉制度のフリーライダーは一掃する。
学校教育では上位者の命令に従うイエスマンをつくり出す。
これらはアメリカの「加速主義者」たちが主張し続けてきたことといくつかの点で重複する最新の政治的主張なのである。
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加速主義というのは2010年代アメリカに登場してきたホットな思想である。資本主義はすでに末期を迎えている。人類は「ポスト資本主義」の時代に備えなければならない。だが、 「民主主義」や「人権」や「政治的正しさ」のような時代遅れのイデオロギーがブレーキになって、資本主義の矛盾を隠蔽し、資本主義の終焉をむしろ遅らせている。 そのブレーキを解除して、資本主義をその限界まで暴走させて、その死を早め、資本主義の「外」へ抜け出そうというのが加速主義である。
映画を倍速で観(み)る人たちが多数派を占めつつある時代にふさわしい思想だと思う。結果の良否はどうでもいい。結果を今すぐこの目で見たいという欲望のおり方は私にも理解できる。「棺を蓋(おお)いて事定まる」とか「真理は歴史を通じて顕現する」とかいう考え方は「ことの良否が定まるまでには長い時間がかかり、生きている間には結果を見ることができないかもしれない」という人間の有限性の自覚に基づいている。当然「そんなの嫌だ」という人もいるだろう。 自分か今していることの意味は今すぐ知りたい。判定を「後世に待つ」というような悠長なことには耐えられない、と。
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この加速主義的傾向は今社会のあらゆる領域に広がっているように思われる。「世界標準は・・・なのに、日本だけが取り残されている」とか「バスに乗り遅れるな」というタイプの定型句は政治的立場を超えて頻用されている。気候変動についても、パンデミックについても、金融危機についても、原発再稼働についても「待ったなし」だと人々は言う。そのことに私はいささかの不安を覚えるのである。
加速主義的傾向が支配的な社会では「スピード感」がすべてを押し流し、浮足立った気分を煽(あお)る人たちが世間の耳目を集める。 そうして焦燥に駆られて採用された政策がいかなる結果をもたらしたかの事後的検証には人々はもう興味を示さない。 未来を早く知りたいという焦燥感は私にも理解できる。だが、過去を振り返り、失敗から学習する習慣を失った人たちの前に明るい未来が開けることはたぶんないと思う。
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