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夏も冬も,一度ラクチンを覚えたらもう普通の服は着れないタイパンツライフ。週に1,2度くらいライクラパンツを履き,月に何度かジーンズやスキニーを履いたりもする・・・けど。ライクラ以外はもうほとんど綿モノばっかり。寒いからタイパンツの下に重ね着することもあるけど,それすらも窮屈で・・・。-----そんな私がタイパンツと下着を重ね着する,その必要性がだんだん薄れつつあり,だって着けてるのがほとんどあたりのない下着(和癒ぱんつ)だから。冬だから面倒くさいといってサボらずに,タイパンツを毎日お洗濯してしまえば,もう下着もつけんでいいんですよね~。。。ん~。下着。下着ねぇ。そもそもなんで下着着けるかね~・・・と思いを馳せつつ,下着の効用や必要性や意義などをつらつらと覚え書しようと,ブログの管理画面を開いて“下着・・・”とタイトルを入れようとしたら,語彙の選択に“下着考”と出てきまして。・・・同じこと,書いてましたね,2年前に(汗。-----下着・褌考。そして脱・布ナプ。このときは,褌(ふんどし)と布ナプキンのコラボに疑問を感じ,褌つけててさらにナプキンもつけんでいいわ~と思ったわけですが。今は,月経中はほぼ褌ライフ。平素は和癒ぱんつ(ふんどしパンツ)ライフ。これがもう固定してしまってて,布ナプもほぼ2軍落ち。一日中外でサッカー応援とか,なかなかお手洗いにいけそうにない状況が予想されない以外,出番がありません。&,下着は褌の不具合をクリアした和癒ぱんつを当たり前に着けているわけだし,・・・と考えると,私の“衣”生活。地道にですが進歩(時代退行?汗)してるようで。布ナプにいたっては“作って”“染めて”“みんなに広めて”,褌はふんどしパンツになってこれまた和癒ぱんつとして“作って”ついには“販売”までしちゃって。ただのもの好きでやっていたことが今や公私を含めた生活の取り組みそのものになっちゃてて。いやぁ・・・ひとの人生,どこでどう変わっていくかわかんないものですね~。-----またさらに2年後,下着や衣類のことに想いを馳せるとき,いったい私はどんなライフスタイルを楽しんでいるんでしょうか。・・・南の島で裸族?う~ん。。。一笑に付せない自分がいますね~。南の島ならぬ,阿蘇の山奥というイメージもありますけどね。。。
January 21, 2011
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日本列島は大寒波。広島も一面の雪。気圧が急激に下がると,つられて血圧も下がる野生的な私の身体。。。低血圧も下が30に届くとさすがにこたえて・・・。息子のサッカーが雪で中止になった日曜日,久しぶりにゆっくりとオフの一日を過ごしました。-----血圧が下がったときの身体のサインは,『だるい』と『おでこの冷え』。ついでに鼻梁も冷えるので,ここはひたすら手で温めます。身体は締めずに温めたいので,ネックウォーマー,レッグウォーマーで緩やかに外との接点を覆い,空気の層で身体を包みます。冷えが足から上がるので,かかと周りは重点的に,腰まわりにフリースなどのひざ掛けを回して腰巻に。下から上がる血液を順に温めながら,横になってゆっくりと身体全体に暖かい血液を巡らせて・・・。-----冷えたまま横になると,完全に『冬眠モード』に入って起き上がれなくなるので要注意です(汗。若い頃は『病気?』と思っていたけど,最近は,『自然に順応する素直な身体』と割り切ってしまいました(^^)極端な天候の変化を感じたら,無理をせずほどほどの生活をするということで折り合っていきます。暑いときも,寒いときも,たとえクーラーで冷やしても,エアコンで温めても,不思議と身体は外気を感じ取ってますからね~。身体は,賢い!!-----ホットカーペットでゴロゴロしていた息子が見当たらず,同じくホットカーペットでゴロゴロしている夫に『あれ?どこ行った?』とたずねると『家出したよ~』と。そっちですか・・・。ベランダの外にちんまりと座る息子発見。ご丁寧に私の庭仕事用の長靴まで装着しての完全防備。二段団子の下の段の,お腹がまんまるに膨らんだ雪だるまはどこからみても『父さん仕様』で。『造形』を楽しむ雪遊びにこどもの成長を感じました(^^)
January 17, 2011
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ふんどしパンツで特許をとったら?!というような話がときどき出ます。それについての私自身の考えを少し書こうと思います。-----本当はひもで締める(締めるというより緩く結ぶ)ふんどしのが好きだと駄々をこねつつ,夏の薄着に耐えれる形を模索してりんごさんにふんどしの改良をお願いしたのは二年前の初春。それが,私にとっての和癒ぱんつの始まりでした。-----インターネットで検索すると,ふんどしパンツと書いてふんどしだったり,ふんどしがバンドルショーツだったりいろいろですが,ストレスフリーなだけでなく,おしゃれをインナーとしての新しさを付加しつつ,ふんどしの男性的なイメージを払拭すべく,各者各様知恵を絞っていらっしゃる様子が伺えます。私自身いろいろ悩み,身近な方々にもお知恵やアドバイスをいただきつつも,最終的には,サロンの名前であり今の私の仕事におけるベースとなる価値観である“和癒”を取り入れ,“和癒ぱんつ”と命名しました。-----もともと介護用に開発された形というのが,このふんどしパンツ(和癒ぱんつ)のカタチなので,私自身が考案者というわけではありません。ただ,ふんどしパンツを手がけ始めた頃,一般向けのデイリーユース用で提供されているものがなかったので,ふんどしパンツのファンになり“これを作って販売したい!!”と思われた方は,アイディアの発案者としてひと声かけて気を使ってくださってきました。とはいえ誰にでも作れるカタチ(^^)ならばみんなで広げましょう~というスタンスを今は取り,サイズもじゃんじゃん公開しちゃってます。私自身がサロンで販売しているものは,着けてみたいけど最初はお手ごろなもので試してみたい~とおっしゃる方に気軽につけていただける価格のもの,あとは,気持ちがいいもの,身体が喜ぶ素材のものにこだわっていきたいと思っています。布ナプキンと一緒ですよね(^^)使いたい人の中には,作りたい人もいれば買って使いたい人もいらっしゃいます。作って販売したいと思われる方もあるし。そうやっていいものは広がっていくものですよね。携わるもの同士が,お互いに刺激を与え合いながら,楽しみながら広げていけたらいいですね(^^)
January 14, 2011
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施術を始めてから使い始めた左手(左利きプロジェクト)。今では・・・お茶碗を洗ったり,洗濯物を干したり,洗面器でお湯を汲んだり,歯磨きしたり,泡だて器で泡立てたり,大まかな動きはそれなりに違和感なくこなせるようになってきました。左手を使うようになってしばらくは左肩も凝ったりとか,いろんな不具合や違和感を感じていたけど,使っていなかったものを使い始めるには,それなりに筋肉も必要だし,回路が繋がるにも時間がかかると腹を括って。2010年はとりあえずの賭け(息子と一緒に両刀づかい)が終わったあとは,微細な動きにはできるだけ取り組まず,左手を動かすことを“楽しめる”動作に限定!!今年は一歩進んで・・・『お箸を使う』『字を書く』去年保留にしていたこの二つのテーマにチャレンジし始めています。そのゆくえの年末の目標は,『左手で1ゲームボーリングする』『フラフープで反対回しができるようになる』この二つ。やるのは字を書いたりお箸を使ったりなのに,なぜボーリングとフラフープなのか・・・それは,筋肉を細かく使えるようになることで,身体全体のバランス感覚,軸の使い方も左利き仕様に変わっていくことを期待しているわけです。ボーリングは力とコントロールと両方が必要だし,フラフープは軸そのものが正しく整わないと続かないもの。またまたマニアックな記事ですが・・・この『左利き宣言』。身体を整えたり再構築していくときのプロセスを,いろんなテーマや方法で探っていく上でのひとつの実験,みたいなものですね(^^)上半身のストレッチもずいぶん進んで,首も手もずいぶん長くなりました(たぶん…)。肩甲骨周りは気持ちがいいので,一日中肩甲骨をぐりぐりやってその感覚を楽しんでいますが,うまく文章にできないのがもどかしく。ストレッチしているときの肩甲骨の動きを,顔出しなく動画でアップするにはどうしたらいいものか・・・などと真面目に悩んでます。
January 14, 2011
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2011年のブログライフ。・・・どうなるんだろう・・・。-----もともと,布ナプの凄まじい体感!を記すべく始めたこのブログ。商売っ気も何もなく,書いていいのか・・・自分の中でどこがすれすれなのか探りながら書き始め・・・『月経スケジュールの覚書にちょうどいいや』と思ったのもつかの間,毎月毎月劇的な変化を期待する(生み出す)のは意外に大変,と気づいたときには時すでに遅し・・・月経血コントロールだ,生漉の紙だ,縄文麻のふんどしに,ふんどしパンツライフへの突入,和癒パンツの命名と,進化と後退と現代科学とのコラボとの軌跡を記す一方で,趣味のバレエライフ,開脚までの汗と涙と涙の実況生中継,それが・・・ある日,天命に目覚めたかのごとく,仕事として始めちゃった『ヒーリングサロン』。・・・正直おととしあたりから,書きたい内容の生々しさからテーマの選択を躊躇したり,オブラートに包みながら記事アップしたり・・・だって,自分の中では“スレスレ”で・・・(汗。そうこうしている間に,趣味ネタが仕事に昂じ,はて・・・と悩んでしまったのが正直なところ。純粋に個人的な嗜好でとらえていることが,まんま仕事のテーマになるっていうのがある意味新鮮でもあり,タブーでもあり・・・。だって,好きでやっていることが仕事だなんて,そんな直ライン,今までなくて。-----でも,そうと気づいてしまえば早い話で。今年はもっと自分に正直に,今直面していることを,タイムラグなく書けたらいいなぁと思う次第です。-----仕事でお客さまを大切にしたいと言う気持ちは,一期一会,誰に会う時も,同じだと思う気持ちにつながり。家族も,友達も,お客さまも,これから関わる誰かも,すれ違うだけの誰かも,出会いを楽しめる自分でいたい。仕事場も,出かけた先も,自宅も,その場所で気持ちよく過ごせる自分でありたい。そんな在り方を通じて捉える日々の出来事や感覚を,衒いのない気持ちで綴っていけたらいいなぁ~と,思っています。-----統合?・・・新しい一年が,すごく楽しみです:*.;".*・;・^;・:\(*^^*)/:・;^・;・*.";.*:
January 11, 2011
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成人の日の三連休に,郷里の母を見舞ってきました。昨夏気分の変調から体調を崩していた母を気遣ってくれた夫が急遽発案してくれ,寒波の中を車で九州へ。夏から半年振りに会った母は,見違えるほど元気で,嬉しい肩透かし。丸一日空いた中日に,かねてから願っていた幣立神宮詣でプランを打診すると,遠出は必ず嫌がる母がひとつ返事で一緒に行くという。ならばということで,家族三人に母に甥っ子の5人で九州のへそ,蘇陽町の幣立神宮に向かいました。-----スピリチュアルはよくわからないと言いつつ,身近な人たちが,『知る人ぞ知るスピリチュアルスポット』として名前を挙げる幣立神宮に興味を惹かれて早2年。初めて聞いたときは『聞いたことも見たこともない』,なのにその所在地を聞いてびっくり,阿蘇じゃん・・・。阿蘇といえば,亡き父の仕事場でもあり,空気も水も良く知っている場所。なのに名前すら知らないとは・・・。阿蘇を熟知している兄ですら知らないという。私も何か感じるかしら?と多少の期待を持ちつつ,・・・行ってみたい・・・という気持ちは膨らみ・・・かれこれ2年越しの憧れの地を訪れるチャンスが降って湧き,われながらびっくり。しかも折からの寒波で今年は阿蘇も大雪だとか。向かうは良いが本当につくのかしらと半信半疑で向かったところ,突如路肩に積雪,しかも雪が降り始め,『ここまで来てまさか引き返す?』と思った瞬間に,現われました『日の宮 幣立神宮 駐車場』の看板が。ノーマルタイヤで冬の阿蘇を攻める・・・というのがそもそもの間違いだと納得した上で,ほんとに運が良かった!と鳥居の前で,訪れることができたことにまずは感謝。たくさん写真を撮ったのに,濡れて焦ったせいかぼけたり保存できていなかったりまともな写真が残っていない。お祓いしていただき,破魔矢をいただいて,お目当ての『東御手洗』と呼ばれる池を目指そうとして巫女さんに道を尋ねると,凍結して足場が悪く危険なので・・・とのこと。『東御手洗』は,古の昔より八大龍王が鎮まる所とされていて北辰妙見(ほくしんみょうけん)の大神が祀られている聖地だという。(幣立神宮 JAPANESE WEB MAGAZINEより引用)龍も,水の湧き出るところも好き。今日拝めなかったのは,また,出直す口実だと解釈して今日のところはあきらめることに。-----果たして幣立神宮で何か感じたか?と聞かれたら,うーん。スピリチュアルな感じというより,わくわくする感じ。杉の大木が空に向かって伸びる様も,山の形や道端の無造作な有様も,すべて見知った感じで,郷里に『受け容れられている』感じ。手を合わせれば『いつもありがとうございます』という言葉が何度も何度も頭に浮かぶ,とても親しみの持てる雰囲気で。隠れ宮ならではの仰々しさのなさもまた,一役買っているのかもしれない。-----気分の良い初詣を終えて,勢いついて夜には実家近所の『三の宮』にもお参り。小学校では写生大会に来たりと,ここはリアルに懐かしいお宮さん。裏に龍神さまが祀られていて,お参りして気分すっきり。-----翌朝は父のお墓参り。私が柄杓で水をかけ,兄がお酒を供える。父がなくなってすぐからの当たり前の手順を,今年は母と,兄妹三家族で行うことができ本当に何年ぶりのことだろう?と感慨深くて。年明け義祖母を見舞い,夫の実家のお墓参りに始まり,お互いのルーツ,自分たちを見守ってくれる人たちへの感謝から始まる,本当に気分の良い,有難い初春です。
January 11, 2011
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2010年が始まりました。盆も正月もクリスマスもなく,オフはひたすらグラウンドの日々・・・だった去年。それは,息子の小学校最後の一年をしっかりと目に焼き付けたいという強い願いによるものであり。ボディーワークを軸とした癒しサロンを始めたこととあいまって,『言葉』を紡ぐことから,少しずつ距離を置く,そんな年でもありました。-----『一緒にそこに居ること』,『同じ体温の中にくるまること』に気持ちを伝える術を求めた頃は,言葉を重ねれば重ねるほど,本当の気持ちのありどころから遠ざかるような気がしていて,『言葉にしなければ伝わらないものは本物じゃない』って,理解されない淋しさを撥ね返したものだったけど。-----自分の中でぐるぐると渦を巻く未消化の感情を,一つ一つ,たまねぎの皮を剥くように,言葉に乗せて吐き出すことを知ってからは,丁寧に,気持ちを言葉に表すことにこだわった時期もまた経て・・・。-----気持ちをほぐすひとつの手法として,身体をほぐす術を得て,もどかしかった想いが少しずつ昇華され始めて,また・・・。こうやって,スパイラル様に,言葉による術と,言葉を使わない術と,『したいこと』『伝えたいこと』の表現のありようが,求める形に近づいていけたらいいなぁと願う一年の幕開けです。-----元旦に,昨秋から介護施設で生活する義祖母を訪ねました。なかなか会いに行けなくて。癒しの仕事を始めたのに。車椅子で年初の行事に参加するおばあさんがこちらを向いて,私たちの姿を認めて,顔がぱぁ~っと解けて。体温を感じたくて,元気で居てくださって嬉しいという想いを伝えたくて,硬くなった手を包むと,強い力で握り返してくれる。『気』とか『スピリチュアル』とかほとんど信じていない私だけど,こういうときは,もし私の手から出てるなら,吸い取って欲しいと思う。『ありがとう』と声を出そうとしてくれることも,食事をしたり,排泄をしたり,することも,余分なものを削ぎ落とした『生』の営みが尊いと思う。-----涙が滲む,笑顔がこぼれ出る,そんな身体的な反応を,どう言葉にしていいかわからない。言葉にするよりも,言葉にしたいと逸る気持ちを解放することに,今年はなおいっそう,ベクトルを向けたいと思っています。
January 4, 2011
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