2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全7件 (7件中 1-7件目)
1

さびしさ研究所。というラジオ番組がありました。歌うたいのNUUちゃんが、日々の暮らしの中で見つけた「さびしさ」を、静かな口調で話してくれるのです。ひとり暮らしをしていたころ、雨を見ながらその番組を聴くのが好きでした。心がしーんと静かになって、自分の中のアンテナが、いつもより少し敏感になる感じがして。さびしさは、もともとプラスでもマイナスでもない、フラットで透明なものなのだと思います。初夏の朝に降る、やわらかい雨みたいに。結婚して、ひとりで過ごす時間が多くなって、いつの間にかさびしさとの付き合いかたを研究している自分を発見しました。面倒がらずに手間ひまをかければ、さびしさは敵じゃない、味方…とまでは言えないけど、ともだちくらいにはなれるかもしれない、と最近は思います。で、ここ数ヶ月の研究成果を、ひっそりとご報告。さびしさや心配で心がひりひりするとき用の、自分のための覚え書きですが、何かひとつでもみなさんのお役に立つことがあればいいな、と思います。・テレビを消す。パソコンも消す。携帯電話は遠くの部屋に持っていく。・部屋の隅に、小さな灯りをともす。ろうそくでも、ランプでも。・アロマオイルやお香を薫らせて、ゆっくり深呼吸をする。最低十回。・詩を読む。できれば声を出して。谷川俊太郎がよく効きます。・歌をうたう。明るすぎず、静かすぎない曲がいいです。お風呂で歌うのもおすすめ。・絵本をめくる。小さな子供になったつもりで。・さびしさを消そうとするのをやめる。むりやり向き合うのもやめておく。隣にたたずんで、一緒に空を見るような感じ。・写真を撮る。人や物、風景よりも、移り変わってゆく光を撮るようなきもちで。・「自分」について考えるのをやめる。大切な誰かに意識を集中する。・手紙を書く。送っても、送らなくてもいい。・誰かに贈るプレゼントを考える。じっさいに選んだり、作ってもいい。・「過去」について考えるのをやめる。「わたしは過去の経験の中に生きてはいません」と唱える。(ウィリアム・レーネンさんの本に書いてあった)・歩く。もしくは自転車に乗って出かける。できれば眺めのいい場所へ。・花を摘んできて、かざる。切花を買っても。・料理をする。ありあわせの材料でつくるふだんの料理じゃなくて、ちょっと特別な、自分のための料理。お菓子を焼くのもいい。・料理ができたら、おいしいお茶を淹れる。息がとまるくらい集中して、真剣にやる。・やかんをみがく。焦げついた鍋でも。この中から3つくらいやると、だいたい、「そう言えばあれもやってみようかな」ということが思い浮かんで、愉しくなってきます。・あれこれためしてもまだひりひりする夜は、やわらかい毛布をかぶってさっさと寝てしまうのがいちばん。・眠りにつくのがむずかしければ、横になって、刺激のすくない、易しいエッセイを読むのもおすすめ。(わたしは「暮しの手帖」のバックナンバーを枕もとに積み上げて読みます。)・おやすみなさい。すてきな夢を!
2009.05.28
コメント(4)
![]()
冬にくらべると、春はどうしても読書のペースが落ちる。外出が楽しいのはもちろんだけど、家の中を見まわしても、梅雨までにしておきたい仕事がたくさん!家事の合間にようやく本を開いても、今度はうたたねが気持ちよくて…という具合。じっくり読みたい本は、梅雨までおあずけかな。…なーんて思っていたら、ひさびさに、めくるめく読書の快楽を味わえる本に出会ってしまいました。それがこれ。有川浩「図書館戦争」。以前から気にかけていたのだけど、人気のある本なので、図書館の蔵書はいつも貸し出し中。先日、ようやく順番が回ってきたのです。わくわく。本を守るために、武器をとって戦う図書館員たちの物語…なんて、設定だけで本好きにはたまらない。その上有川浩さんは稀代のストーリーテラーですから、読ませること読ませること。この本のつづきが読みたい! どうしても! 今すぐに!問答無用、ほとんど暴力的なほどの強い腕力で物語に引き込んでくれる本とすごす時間は、本当に幸せ。「いけない、いけない…」と思いつつ、あらゆる家事を放り出し、ソファに沈みこんで読みに読む、背徳のひととき。ほんのちょっと…のつもりで読みはじめたら止まらなくなり、さっきまで朝だったのに気づいたら夕方、という始末です。著者はライトノベル作家なので、「図書館戦争」もラブコメ要素満載、ライトノベルの文法で書かれています。(できれば一度、本屋さんか図書館で文体の好みを確かめてから手にとることをおすすめします)あまりの甘さに本を閉じてのたうち回り、ひとりで「ぎゃー」と奇声を発しては、ふたたびページを開いて読みすすめる…という繰り返し。そして有川浩がおもしろいのは、ラブコメだけで終わらない、終わらせないところ。「図書館の自由」宣言や、表現の自由。現在の日本で暮らしていたらまず目に見えることはないそれらの概念を、目に見えるわかりやすい形にして、タブーなんかお構いなしでばっさりふたつに斬った上で、「ぽん」と読者の前に置いてしまう。実際に起こった出来事、事件を下敷きにしたエピソードも随所に散りばめられていて、「こんなにはっきり書いてしまうのか!」とその勇気に思わず拍手したくなる。肝っ玉の据わった書きぶりが、いっそ気持ちいいのです。「図書館戦争」を読んでいると、有川浩というひとは、ライトノベルの文体を「えらんだ」作家なのだろうなあと思います。そのかたちが、自分の表現したいものにいちばん合っている、もっとも多くの人に読んでもらえると知っていて。純文学には純文学の、ミステリーにはミステリーの、SFにはSFの、ライトノベルにはライトノベルの文法があって、その優劣を論じるのはあまり意味がない。「白いごはんを食べる人は、パンを食べる人よりえらいかどうか」という議論が不毛なのと同じ。お店で手にとって、おいしそうなら、食べたければ食べる。そう思わなければ食べない。本って、それくらいの加減でいいんじゃないかなあ。2冊の別冊をふくむシリーズ6作、げらげら笑いながら一気に読んでしまって、大好きになった登場人物たちと別れてひとりになったところでふとしんみりし、「わたしも強くなりたいなあ」などと思う。守られるだけじゃなくて守ることのできる、相手がしんどいとき、寄りかかられてもこの足でしっかり踏んばって、ふたり分の重さを支えることができるような、そういう自分に。閑話休題。とにかく、自分にとって大切な人との関係を(恋人や夫婦にかぎらず、親子でも、兄弟でも友人でも)、あらためて結びなおしたくなる、今よりもっと大切にしたくなる本です。エネルギーを充電したいとき、元気が欲しいときにもおすすめ。「図書館戦争」以下、こういう順番↓で刊行されています。
2009.05.23
コメント(4)

日没前、夕ぐれどきにお風呂へ入るのが気に入っている。外はまだ明るくて、子供らの声がする。夕食の仕度はあらかた済んでいて、あとは煮たり焼いたりするだけになっている。柑橘系のアロマオイルを落とした一番風呂に体を沈める。窓から差し込むオレンジ色のひかり。一日の終わりの小さな贅沢。さつまいものレモン煮をつくる。以前、ひとり暮らしをしていたときに作ったら、煮すぎてぐちゃぐちゃになってしまった。以来、なんとなく作らずにいて、今日が数年ぶりのリベンジ。輪切りのさつまいもを並べ、ひたひたの水ときび砂糖、酒を少々。レモンの輪切りをひょいとのせ、ぐらぐら沸かさないように、火加減を見ながらふつふつ煮る。待っている間手持ちぶさたなので、袋に入れたピーナッツをすりこぎでつぶす。これは、ピーナッツ味のアイスボックスクッキーに使うのです。十分ほどで、やわらかく煮あがる。最後にレモンをきゅっと絞ったら完成。鮮やかなレモン色をした、やさしい甘さの食べもの。とても難しく思えていたのに、作ってみたらあんまり簡単で、拍子抜けするほどだった。あのころのわたし、この十分を鍋のそばで待てなかったんだな、たぶん。材料の声を聴くことが、料理をはじめたころより少し上手になったように思う。最初は失敗がこわくて、鍋の中がどんな状態だろうとおかまいなく、レシピの時間やさじ加減を完璧に守ろうとしていた。わたしは昔からとろくて、何をするにも人よりうんと時間がかかる。その時間差を何とか埋めたくて、孫悟空が頭にはめてる金のわっかみたいな(見えない)矯正器具を自分に取り付けた。うまくゆかなくて「きーっ」となるたびに呪文をとなえて、自分で自分の頭を締めつける。そりゃあ、偏頭痛にもなるはずだ!ゆっくりには、ゆっくりの楽しみがあるでしょ?今のわたしなら、そう言って肩でも揉んであげるんだけど。同じ金のわっかなら、キンコジ(っていうんだそうです、あのわっか)よりレモン味のお芋のほうがいいわね。偏頭痛に効くラベンダーのお茶でも淹れて、おいしくいただこう。
2009.05.21
コメント(0)

山菜の季節になりました。車で山道を走っていると、路肩に車を寄せて山菜採りをしている人をたくさん見かけます。わが家では、くまがせっせと山菜を摘んできてくれるので、わたし、それを片っぱしから天ぷらにする。タラノメ、コシアブラ、ハリキリ…口いっぱいに広がる春の香り。生命力がぎっしりつまった山の宝だ。冬のあいだは、休日になると町へ出ることが多かったけど、最近は自然と山のほうへ車が向く。新緑がつやつや光って、きれい。おにぎりをたくさん持って、高台にのぼる。ムクドリにヒワ、ウグイスにホトトギス、セキレイ、トンビ、カッコウ、コゲラ、オオルリ…春の里山は鳥の天国。(この間は、家のすぐ裏の公園で、大きなキジを見かけました。野生のキジなんて初めて見た! ケーンケーンと鳴きながら、スイセン畑のむこうをゆっくり歩いていた)おなかいっぱいになって目を閉じると、鳥の声がオーケストラの演奏みたいに耳に流れこんでくる。羽音がして目を開けると、巨大なスズメバチやクマバチが目の前にいてぎょっとすることもあるけど、山にいるハチは、よほどのことがないかぎり人を刺したりしない。そこら中花が咲きみだれているので、精神が安定しているのかも。大の虫ぎらいだったわたしですが、いつの間にかずいぶん慣れました。買い物の帰りに地バチを踏みそうになっても「はいはいごめんよ」とひとまたぎにして進路を変えずにすたすた歩いてしまうし、自転車に毛虫がついていれば「ちょっと失礼」とつかんでよけてもらう。干した布団にミツバチやテントウムシが昼寝していたら(ちょっと留まる、という感じじゃなくて、ほんとに何時間も眠っているのです)「今はいいけど夕方までにはどけてね。布団つめたくなっちゃうから」と言っておくとだいたい頼んだとおりにしてくれる。風呂やトイレにわりと大きなクモがいても「今日は寒いねー。羽虫とか見つけたらよろしくね」と話しかけるくらいでそっとしておく。小バエ一匹もゆるせなくて、ほとんど窓を開けなかった東京時代からは考えられないことだよ。おいしいと評判のわき水を飲みくらべるのも、春の楽しみ。わき水用に、蛇口のついた10リットルのポリタンクを買って、先週はあちらの山、今週はこちらの清流…と夫婦でわたり歩いています。何種類か飲み比べるうちに、甘い水や清涼感のある水、硬めの水にやわらかい水、と違いがわかるようになってきた。いい水の出る場所には、かならずいい気が満ちている。その場に立って深呼吸するだけで、体の中がきれいになる感じ。ところによっては、水源の脇に水神さまが祀られていて、手を合わせてからお水をいただく。じゃぶじゃぶあふれ出る水を手のひらのくぼみにすくって、太陽の光と一緒にひと口。はあー生き返る!このお水で米を炊いたり、コーヒーを淹れてもすごくおいしいのです。おいしいわき水の近くには、高い確率でうまいそば屋がある。このあたりで評判のおそば屋さんは山の上にあって、5月に入ってから出かけたのに桜が満開だった。番号札を受けとって待つこと1時間。お店のメニューは盛りそば食べ放題だけ。大根のおろし汁に甘めのつゆを足して、そこにおそばをつけていただく。これがもう、そばの概念がひっくり返るほどおいしくて、こんなにたくさんのそばを一度に食べたのは生まれて初めて!というくらいたくさん食べてしまった。これはおそば屋さんから見た景色。ソメイヨシノは咲いていないけど、構図が石田武の「吉野」に似ている気がして、シャッターを切りました。
2009.05.15
コメント(0)

雪国はいま、花ざかり。寒い雪の下でエネルギーを貯めていた植物たちが、色とりどりの花をいっせいに咲かせています。上の写真は、さくらんぼの花。枝がしなるほどたくさん咲いています。旅をするきもちで日々を暮らしたいなあ、とこのごろよく思います。旅の身軽さ、心が外にひらけてゆく感じ。朝、目がさめたときの胸のときめき。人や風景との出会いを楽しむ気持ち。つづいていく日常の中でも、それらを持ちつづけることができたなら。バックパックひとつでできるだけたくさんの場所を訪れたい人もいれば、居心地のいい場所を選んで、ゆっくり滞在したい人もいる。そこに優劣はなくて、ただ自分のしたいように、居心地いいようにするだけ。人と比べることに意味はない。だって、自分がえらんだ旅なのだから。
2009.05.07
コメント(4)

休日の朝、ヨガをする。ポーズ前のストレッチをしていたら、ぐったりとソファにもたれかかるくまが目に入った。今週は残業つづきだったから、よく眠っても疲れがとれなかったみたい。「一緒にやる?」とためしにさそってみる。いつもなら「いい」と断られるんだけど、今日はまんざらでもないようす。日ごろから「疲れをとるにはたくさん走って汗をかくのがいちばん」とかたく信じ、実践もしているくまなのだが、走りに出かける元気もないらしい。「疲れとれるよ」「すっきりするよ」とはっぱをかけたらのってきて、一緒にヨガをやることになった。いちばんよく使っている綿本先生の「シンプルヨーガ」、呼吸法から瞑想まで、通しでやると1時間半近くかかる。だからふだんは、真ん中あたりの「では、いったん休憩しましょう」というところでDVDを止めてしまうことが多い。でも、今日はくまがいるので張り切って、苦手な肩立ちのポーズや鍬のポーズもふくめ、最後までていねいにやる。ふだん、体を動かすことに関してはくまにお説教されるいっぽうで、こちらから教える機会などめったにない。ここぞとばかりに先輩風を吹かせ、「首を動かすとあぶないよ」とか、「肩のちからを抜いて」などとアドバイスする。ひさしぶりに瞑想までしっかりやって、「そうだそうだ、必要なものはみんなここにあったのだ」と思い出す。頭でぐるぐる考えて、外にもとめるだけでは何も見つからない。自分の内側をよくよく見つめて、この手に持っているものをどう使うか、何に生かせそうか、体の声を聞かなくちゃ。最近は気候もいいので、朝のウォーキングが気持ちよくつづいており、その分体を動かしている気になって、ついヨガがおざなりになっていた。ウォーキングが上へ、外へ枝を伸ばすことなら、ヨガは下へ、内へ根を張ること。わたしの体が一本の木だとすれば、どちらが欠けても流れがとどこおる。車の両輪と同じ。バランスが大切。「ほんとに疲れがとれてすっきりした」「意外と内側の筋肉に効いてる」とくまもヨガの効果を実感したようす。深い呼吸のおかげでくまもわたしも心身が安定して、午後は一度もけんかをせず、ゆったりした気分ですごすことができたのも思わぬ効用。週末の朝ヨガ、ときどきはくまもさそって、できるだけ続けよう。
2009.05.05
コメント(2)

花をかざる。デンファレという赤むらさきの花。胡蝶蘭を小ぶりにしたような、はなやかな色だ。かざったのは、台所の、もともとオーブンレンジをのせていたスペース。レンジを置くにはすこし安定がわるいので、くまに頼んでレンジを移動し、作業台として使うことにした場所。立ったとき、ちょうどおへその高さに机がくるので、料理の本を立てたり、手帳を広げておいて、思いついたことを書きとめたりするのにちょうどいい。朝、コーヒー豆を挽くのもずいぶん楽になった。出先でデンファレを見つけたとき、ふだん切花をかざる習慣はないのに「そうだ、台所に置いてみよう」と思いついたのは、たぶんこのスペースができたからだ。野菜を切ったり何か煮込んだりしていて、ふと振り返ったときにぱっと鮮やかな色が目にとびこんでくると、すごく嬉しい気持ちになる。前回は水分が足りなくて「シナモンビスケット」になってしまったシナモンロールのリベンジ。元のレシピではフライパンひとつで最後まで仕上げていますが、シナモンロールのふわふわうずまき感をのこしたくて、底面に焼き色がついた時点でオーブンに移しました。お店で売っているシナモンロールよりはまだ少しかたいけれど、前よりだいぶ上手にできた。次回は、二次発酵が終わったらオーブンに移して、温度を上げすぎずにやってみよう。今年のゴールデンウィークはくまが仕事なので、朝はいつも通りお弁当を作っています。これは小林まさみさんの「男弁当」に載っていた、豚つくね弁当。豚ひきに玉ねぎとパン粉を混ぜて、砂糖とみそで味付け。中にとろけるチーズを仕込んであります。ここ1ヶ月で、いちばん評判がよかった。お弁当の本は何冊か持っていて、いちばんよく使うのが「男弁当」。気取らず、実用的で、確実においしい。ボリュームもある。二番めに使うのは栗原はるみさんの「私のおべんとう」。すぐに役立つアイディアが満載で、冷蔵庫の中が心ぼそいとき、あと一品の副菜がうかばないときによくお世話になる。最近出たクウネルのお弁当本にも書いてあったけれど、お弁当ってつくづく手紙だよなーと思う。外でお弁当をひらく家族へ、あるいは、一日の折り返し地点にさしかかった自分自身への。「おつかれさま」とか「がんばれ」だけじゃなく、「調子、どう?」とか「あわてずゆっくりね」「今朝はごめん」など調味料はいろいろ。特に卵焼きは、いつもの材料でも、朝の気分や天気によって微妙に味が変わる。だからフライパンに卵を流し入れるときは、フライパンがあたたまるのを待つあいだにゆっくり深呼吸して心を落ち着けて、それから「じゅっ」とやることにしているのです。
2009.05.04
コメント(4)
全7件 (7件中 1-7件目)
1
![]()

![]()