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台中駅です。日本統治下時代に造られた建築物です。一時期は取り壊しの危機もあったようですが、歴史的な建造物として、今なお補修を繰り返しながら、大事に使われています。台湾のあちこちに、このような日本統治下時代の建造物が今なお残されているのには驚きです。
2007.09.28

今日は中秋節です。 こちらで中秋節と言えば、なぜか、バーベキュー!ここ20年ぐらいの間に、定着してきた習慣のようです。スーパーマーケットでは、味付けお肉やバーベキューに使われる野菜が、所狭しと並べられていました。私たちも今年、二つの教会のバーベキューに参加しました。それぞれの家庭から一品持ち寄りで、野外での楽しいお食事と交わり!手前に見えている食パンは、焼いたお肉や野菜をはさんで食べるためのもの。去年、一昨年は慣れなくて、そんな食べ方できなかったけれど、今年チャレンジしてみたら、これがまた、カツサンドみたいでおいしいのです。皆さんもお試しあれ。このテーブルの横で、お肉やお野菜を焼いています。今焼いているのが、タケノコの一種。焦げ目がつくぐらいに焼いて、まわりの皮をむいて食べます。香ばしくておいしいですよ。こちらは去年撮った写真です。うちのマンションの下で、男の子がブタちゃんを焼いていました。そして中秋節と言えば、日ごろお世話になっている人に、贈り物をする習慣があるようで、「月餅」や「文旦」を贈り合います。どちらもまあるい月にちなんだ物ですね。台湾の月餅は、日本で見かけるものとちょっと違います。日本で見かける月餅は、広東風のもの。台湾の月餅は、もうちょっと丸みがあって、中身もいろいろです。小豆や緑豆のあんこが入った甘い物や、お肉などが入ったしょっぱ系のもの。月にちなんで、卵の黄身が真ん中に入っているものもあります。しょっぱいのは苦手ですが、甘いのは、なかなかおいしいですよ。ただ困るのは、もらいすぎること。今年もこんなのを4,5箱いただいたかな?文旦だって、合計20コ以上もらったような・・・。どこの家も同じようで、もらった物を他の人にまわしたりして、長旅をしている月餅さんもいるようです。最近は月餅に飽きてきたこともあって、どら焼きをおくったり、シュークリームをおくったりする人もいるとか。旧暦がまだ生きている台湾。月は暦の基準になっているだけあって、中秋節はとてもにぎやかです。
2007.09.25
子育て中だから、仕事が続けられないという話はよく聞きます。だけど、台湾では違うみたい。子育て中だから、自分で商売を始めるのですお務めだと、まさか子連れ出勤はできないでしょう。でも、自分のお店を持てば、子どもをそばに置きながら、仕事ができるというのです。美容院や飲食店、小売店、マッサージ、塾など、職種も様々。台湾では、親の仕事場に子どもがいてもいいのです。お母さんが美容師で、お客さんの髪を剪っているときに、子どもがそばで遊んでるなんて、よくある光景。屋台で親が仕事をして、そばで、子どもが机を置いて宿題、なんていう光景もよく目にします。台湾の家は3階建てが一般的。2階3階に家族が住み、一階で商売ができるようになっているのです。子育て中だから商売を始める。おおらかな社会だからできることかな?
2007.09.19

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らを叱った。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。聖書(マルコ10:13~16)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~弟子たちはなぜ子どもたちを叱ったのでしょう。子どもはうるさい?大人たちのじゃまになる?弟子たちの反応は、どこでも見られる普通の反応なのかもしれません。けれどもイエスさまは、逆に激しく弟子たちを叱りました。「憤った」とあります。これはとても強い表現。それほどまでにイエスさまは厳しく弟子たちを叱ったのです。イエスさまの目線は、弟子たちと違いました。小さい者、弱い者にきちんと目を留めて、決して軽んじない、むしろ彼らを大事にしようとする、それがイエスさまなのです。さて、イエスさまは、「子どものように」と言われました。「神の国はこのようなものたちのもの」だとも。原語を見ると、「神の国は子どもたちのもの」と、もっと直接的です。生き方における子どもとおとなの違いはなんでしょうか。それは、おとなは自分の力で生きていける。しかし、子どもはひとりでは生きていけない。誰かに頼らなければ生きていけない存在です。これを神さまとの関係に照らし合わせてみましょう。「子どものように」つまりそれは、神さまを頼って生きていく、神さまなくしては生きていけないと知っている、そのようであることをイエスさまは求めているのです。最後に「子どものように神の国を受け入れるものでなければ」が指している「神の国」とは何なのか、考えてみましょう。「神の国」は将来約束されている天国だけを指しているのではありません。それは今すでに始まっているのです。私たちは今も「神の国」に頼りながら生きているのです。そう、「神の国」とは「イエスさま」そのものです。今、子どものように神の国を受け入れる人こそが、将来の神の国を約束された人なのです。子どもを抱きしめて祝福されたイエスさまは、子どものようにイエスさまを受け入れる人を愛し、祝福して下さいます。この聖書の箇所に表現されている祝福は、原語によると、特別な祝福です。形だけじゃない熱烈な祝福を表しているようです。子どものように神の国を受け入れる人でありたいですね。(説教者:パパ)
2007.09.17

うちの教会は、広い通りからからは見えにくい、少し奥まったところにあります。初めて来られる方は、なかなか見つけられないのが悩みの種。そこで考え出したのがこれ移動式看板です。大きな看板を台車の上に載せて、日曜の朝にはがらがらと表通りに運びます。これなら一目瞭然でしょうさすが看板大国台湾です
2007.09.14
日本は、もう秋らしくなっているようですが、こちらはまだまだ暑い日が続いています。夜もまだ熱帯夜。寝苦しい日が続いています。 台湾は夏が長いのです。だからでしょうか。水分摂取については、とても気を使っています。人が集まるところには、必ず飲水機があったり、ペットボトルやカップに入った水か配られたり。街中には、冷飲料店がいっぱいあるし。また、あまり冷たい水は飲まないように気を付けているようにも思います。最近の若い人はそうでもないのですが、年配の人は、氷の入ったような冷たい水は飲みません。常温の水を好んで飲んでいるようです。若い人たちでも女性は、毎月くるホルモンバランスが不安定になる時期には、冷たいものは飲まないで、なるべく温かいものを飲んだり食べたりしているようです。もちろん、妊娠期や産後も気を付けています。確かに夏が長いので、暑い時期にずっと冷たいものを飲んでいると、内臓が疲労してしまって、夏バテ状態になってしまうのでしょうね。そうそう、こちらでは風邪をひいたり、体調をくずしたときに、必ず聞くアドバイスがあります。「たくさん水を飲んで、たくさん果物を食べなさい。」南国台湾で、長い長い夏を乗り切るためには、こういう昔からの健康法に、耳を傾けていかなければいけないのでしょうね。
2007.09.13
子どもたちが通う学校は、かなり郊外にあります。まわりは田んぼがたくさんあり、のどかなところ。なので、時々ヘビが出没します。学校でのヘビ係は、教頭先生。学校内でヘビが出没すると飛んでいって対応します。ちなみに教頭先生は、バナナ係も兼任しています。校内にあるバナナの木をいつも見て回って、熟した実を収穫する役目です。ヘビの話に戻ります。子どもの話によると、先日またヘビが出没したとか。遊具の下でとぐろを巻いていたらしいです。教頭先生をはじめ、手の空いている先生方、用務員のおばさんなどが集まり、ヘビを捕まえようとしましたが、なかなかうまくいきません。近くの消防署にも応援を頼んだところ、すぐに駆けつけてくれました。最後には、逃げようと飛び出したヘビを「へび取り棒」で押さえ付け、やっと捕獲したそうです。捕獲したヘビは、鉄の箱(専用のものがあるらしい)に入れれらました。かなり長くて大きいヘビだったようです。やっと一安心というところで、消防署の人がひとこと。「このヘビ誰かいりませんか?」先生たちは、キョトン実は台湾では、ヘビの需要はたくさんあるようです。夜市で食べるのか、漢方薬の材料になるのか・・・。なんて先生はおっしゃっていました。消防署のおじさんの副収入になったりして。それにしても、いつものどかな日本人学校です。
2007.09.11
今日は、日本からのお客さんが、我が家を訪ねてくださいました。主人方の親戚のおじさんおばさんです。ツアーで台北までいらっしゃったのですが、今日一日はフリーだそうで、新幹線を使って台中まで足を伸ばしてくれました。今までは、台北まで来ていても、なかなか台中までは遠くて、来てもらえなかったのだけれど、新幹線だと、たったの1時間気軽に来てもらえるようになりました。 主人が新幹線の駅まで迎えに行って、我が家に着いたのはお昼頃。うちで一緒に食事をしました。北京ダックに水餃子、空心菜や小菜を二品ほど。蛤としょうがのスープ。果物はパパイヤとパイナップル。満足していただけたようで、良かったですその後、一緒に茶芸館で、おいしい烏龍茶を飲みながら、甘い点心をつまみ、ゆっくりおしゃべり。そして4時前の新幹線で、またまた台北へ。本当に短い時間だったけど、こちらも十分楽しませて頂きました。何しろ、ステキなお二人なんですよ。もっと、いろいろ話したかったです。というわけで、台北と台中は近くなりました。台北まで遊びに来られる方、出張等で来られる方、是非台中まで足を伸ばして、うちに遊びにきてくださいませね。
2007.09.10
日台間の運転免許証相互承認を含めた道路交通法が、このほど日本の国会を通過し、9月19日より施工されるらしい。つまり台湾で取得した免許証も、日本で取得した免許証も、関係機関が発行した翻訳文書があれば、日台間での相互利用が可能となるということ。背後には、相互に行き来する観光客が増えつつある中、旅行者の幅をさらに広げようと期待があるらしい。いいのかな~?ちゃんと視察に来たのかな?こっちの交通事情を知ってて、今回の改正に踏み切ったのかな?日本から旅行に来て、いきなりレンタカーで車をレンタルして、街の中を乗り回しちゃうって、かなり危険だと思うんだけど・・・。で、台湾の人が日本で運転するっていう逆パターンは、もっとこわいんですけど。心配だな~。運転免許の話題になったところで、私の試験はどうなったのかと、気になった人もい・・・ないか。7月日本に帰る前に筆記だけ通過して、運転の方は二回落ちてましたよね。実は、まだ3度目にチャレンジしていません。今月中にまた行きます!合格したら報告しますね。合格しないうちは、だまっています・・・。あれっ、19日から日本の免許も台湾で使えるんじゃない?そう思った人もひょっとしていますか?私の場合は、日本の免許が失効してますので、日本の免許を復活させるためにも、やっぱり台湾で免許とらないとダメなのです。ということで、語学学校の試験も二つ終わり、PTAの方の会合も一段落したところで、路上試験、再度挑戦します!!
2007.09.08
私は11時には寝るよい子なので、昨日も11時前には布団に入り、あっという間に眠りについた。ところが!深夜2時前ぐらいだろうか、まず、小刻みにぐらぐらっと来た。あっ!地震!!パッと目が覚める。その後、来ました!ぐら~、ぐら~と、家が揺れる。うちは11階なので、大きく揺れるのです。ちゃんとしまっていなかった引き出しが、出たり入ったり。とりあえず主人とふたり、ふたつの子ども部屋へ。とりあえずドアを開けておいた。子どもたちは全く気づかず、よく寝ていた。そんなことをしているうちに揺れもおさまった。震度3か4かという感じかな。また地震が来るかもという緊張感で、そのあと、あまり寝られなかったが、主人は、5分と経たない間に、いびきをかき出した。・・・ったく。聞けば震源は台湾の北東部宜蘭沖。宜蘭では、震度6だったらしい。倒壊した建物などはあったようだが、死傷者はなかったらしく、感謝。日本は、台風の被害が大きかったみたいだし。今日の語学学校の行きも帰りも、バイクと車の交差点での事故を目撃するし・・・。世の中危険がいっぱいです。今日一日の守り・・・感謝主
2007.09.07
今日は久しぶりに雨の中お迎え。スクールバスのバス停までは、歩いて10分ほど。いつの頃からだろうか。雨の日にはサンダルを履く、という習慣を身につけたのは。雨の日は、絶対サンダルです。だって、台湾の人はみんなそうしてる。長靴を持っている人なんてたぶんいない。見たことないし。雨の日にサンダル、自分もやってみたら、これがまた調子いい。横殴りの大粒の雨で、足が濡れても気にならないし、家に帰って脱ぎ捨てておけば乾くし。でも、雨の日でなくても、一年のうち、8ヶ月ぐらいはサンダルか・・・。そう言えば、もう何ヶ月も靴下履いてないかも。ちなみに台湾の人は、寒い冬でも、上はダウンジャケットはおっているのに、下は裸足にサンダルという人が少なくない。サンダルは国民的履き物なのです!!
2007.09.05
今週は「お食事会」が3回あります。日本人学校PTAのお食事会で、各学年ごとに行われるもの。単なる親睦会ではないのです。今学期に開催される幾つかの行事の打ち合わせのための集まりです。ですから、何とかやりくりをして、出席することが求められます。今日で二つが終わり、木曜日にもう一つ。来年はマイマイも一年生なので、子どもは4つの学年にまたがることに・・・。この超忙しいPTA活動で、それぞれの学年にそれぞれの責任。・・・どうなるのだろう。授業参観や懇談会は主人と分担して、それぞれ二つの学年へ。主人が来られないときは、一人で4学年?考えてたら頭がクラクラしてきた。夏休み前にこの日本人学校に9年関わってきた家族が、日本に帰国した。一番の大御所?だった。大抵の日本人は長くても3,4年で過ぎ去っていく。マイマイが中学生になるころ、私は何年この学校に関わることになるのだろう。PTAの中では「生きた化石」と呼ばれるかも。だいたいその頃私は何歳??あ~~ダメだ。考えないようにしよう。
2007.09.04
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