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台湾の人の多くは親日で、中国や韓国の人は反日感情が強い。そんな固定概念がわたしの中にはずっとあった。だから、彼らと始めて会うときには、一瞬緊張が走る。この人は、日本人のことをどう思っているのかしらと。でも感謝な事に、今まで個人的に出会った韓国人、中国人は、みなとてもフレンドリーで、私たち家族にとても良くしてくれた。お付き合いする中で、ますます友情を深めることもできた。もちろん彼らが受けてきたであろう教育を思うと、それは当たり前のことではなく、キリストにある愛の表れだと思っている。そんな中で最近、衝撃的な韓国人の老婦人との出会いがあった。彼女は86歳。台湾で息子夫婦が宣教師をしており、彼女もいっしょに住んでいる。実は、最近その韓国人の牧師夫妻に頼まれて、日本人の子ども何人かを集めて、日本語の歌を録音するという事を引き受けたのだか、その録音スタジオに、そのおばあさんも来ていた。彼女は、私たち日本人を見るなり、駆け寄って来て、流暢な日本語でこう言った。「あなた達日本人?ずっと日本人に会いたかったのよ。それで、わざわざ今日来たの。日本語で話したかった!」事情をきくと、日本が韓国を統治していたとき、彼女は、韓国で日本人といっしょに、机を並べて勉強していたとか。その時の日本人の先生が優しくて、とても丁寧に勉強を教えてくれ、今でも○○先生と△△先生のことが忘れられないというのだ。私は、そんな事情を聞きながらも、韓国の人に会うといつも必ず言うようにしていることを、この時も言った。「日本が韓国を侵略したことを、日本人として、申し訳なく思っている。日本人はあなた達に対して、本当に悪いことをしてきた。ゆるしてほしい。」と。すると彼女、「あの時私はまだ娘で、国と国との事はわからない。でも、あの頃、私は幸せな学生時代を過ごしたのよ。本当に感謝してるの。だから日本人に会いたくて会いたくて・・・。」驚いた。こんな人もいるんだって、はじめて知った。素直に嬉しかった。もちろん日本のしたことを正当化しようというつもりはない。でも、あの時代、あの韓国で、愛の種を蒔いていた日本人がいたこと、それが嬉しかった。そしてその愛の種は、無駄にはならなかった。少なくとも、このおばあさんの心の中で、静かに花を咲かせていたのだ。そして、私もこの国、台湾で、愛の種を蒔きたいと思った。私たちがそれぞれ置かれている場所で、愛の種を蒔くならば、それがどんな場所でも、どんな状況でも、無駄になることはない。この日、私はそんな希望の光を見た思いだった。
2007.04.26
きのう4月23日は、生きていれば、母の66回目の誕生日でした。昨年、65歳の誕生日を目の前にして天国に召された母。今は、神さまのみもとで、楽しく賛美しているのでしょう。そこで今日は、母の愛唱歌をご紹介したいと思います。「一羽のすずめ」こころくじけて 思い悩みなどて寂しく 空を見れば主イエスこそ我が真の神一羽のすずめに 目を注ぎたもう。主は我さえも 支えたもうなり声高らかに我はうたわん一羽のすずめさえ 主は守りたもう心静かに み声きけば恐れは去りて ゆだぬるをえんただ知らまほし 行く手の道一羽のすずめに 目を注ぎたもう主は我さえも 支えたもうなり声高らかに 我は歌わん一羽のすずめさえ 主は守りたもうレーナマリヤさんがコンサートの度に歌っているので、知っている人も多いと思いますが、この歌、意外と古い歌で、私が子どもの時から、母は、よく台所を仕事をしながら、口ずさんでいました。母はどんな気持ちでいつもこの歌を口ずさんでいたのだろうと、最近思います。私は子どもの頃、母がこの歌を歌うのを聞いて、「心くじけて、思い悩み」という歌詞が重すぎる感じがして、なんだか心配になってきて、母の顔をのぞきこんだりしたこともあります。母は、心くじけることがあったのだろうか。何を思い悩んでいたのだろう。だけどそんな時には、この歌を歌い、一羽のすずめさえ目をとめて下さる神さまを思い起こし、賛美していたのだな。そう思ったら、何だか切なくなってきた。
2007.04.24

彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、盲人を連れてきて、さわってやってくださるようにイエスに願った。イエスは盲人の手を取って、村の外に連れて行かれた。そしてその両眼につばきをつけ、両手を彼に当ててやって、「何が見えるか。」と聞かれた。すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます。」と言った。それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかりなおり、すべてのものがはっきり見えるようになった。そこでイエスは、彼を家に帰し、「村に入って行かないように。」と言われた。(マルコ8:22~26)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~イエスさまは、人前で華々しく奇跡を行うことをためらわれた。その目の見えない男の手を取って、村の外に連れ出し、彼の目に直接触れられて、いやされたのだった。私たち人間は、人に評価されること、確かな結果、成績をのこすことを求める。しかし、イエスさまは違った。自分に栄光を帰することなくあくまで一人の人としっかりと向き合い、関わり合っていくことを求められたのだった。私たちにも同じように接してくださるイエスさま。多くの問題、重荷を負う私たちの人生としっかり向かい合い、丁寧に寄り添ってくださるお方。さて、この聖書のストーリーには、他にはないユニークな点がある。それは、イエスさまが二度さわられたということ。Second Touch.なぜ二度さわられたのか?答えは簡単。一度でははっきり見えるようにならなかったから。イエスさまは、彼のかたわらでじっくりと彼を見守り、「何が見えるか」と問いかけ、もう一度、その目に触られたのだった。私たちは、体の目は見えているかもしれない。しかし、心の目はどうだろうか。イエスさまがこの世に来られた使命に、「私たちの心の目が見えるようになるため」(ヨハネ9:39)というのがある。イエスさまが、盲人のかたわらで、その目を開かれるために、一度ならず、二度触れて下さったように、私たちの心の目がさらにはっきり見えるようになるために、イエスさまは、私たちのかたわらで、私たちの信仰の成長を、見守っていてくださっている。そして、「何が見えるか」と問いかけながら、何度も私たちにふれて下さる。そんなイエスさまのお取り扱いに、私たちはもっと期待していい。もっと、イエスさまの愛のすばらしさを見ることができるように。聖書のみことばに対しても目が開かれるように。
2007.04.23

仲良しのポスト↓こちらは?↓ビミョーな関係のようです。台湾のポスト。バランス的に頭が重すぎるのと、設置の仕方がアバウトなのとで、統一性がなくて、面白い。通り過ぎるとき、ついつい目がいってしまうのです。
2007.04.20
今日は、私たち家族が通っている教会、「愛家教会」の婦人会で、遠足に行きました。本当は、その時の写真などをたくさん載せたかったのだけれど、例のごとく、ネットの方の調子が悪く、載せられなかったので、その時の事はまた今度書きますね。遠足の帰り道立ち寄った、いつも行列ができるという「東東芋圓」の「芋圓」を買って、教会に着いてから、みんなでそれを食べました。このおいしいスイーツは、お芋で作ったお餅の入ったおしるこのようなものです。それをほおばりながら、こんな話題が・・・。「ねえ、ねえ。私たちの教会、名前を変えた方がいいかもよ?」「えっ?何て?」「愛吃教会。」(「吃」は「食べる」という意味)みんな爆笑!「それはいい!確かに何かと理由をつけて、いつもお腹いっぱい食べているもんね。」「そうよ。見てよ!私のおなか!教会でいつも食べてるせいよ!」 というわけで、教会の名前が変わるかも知れません・・・。
2007.04.17

「撥餅會」が教会であったのは、受難日、先週金曜日の夜。私たちは、用事があって少し遅れて行ったのですが、行ってみてびっくり!こ、これは何??イエスさまが十字架にかかる前、弟子たちと最後の晩餐をした事を記念して、パンを裂き、食べ、ぶどうジュースを飲むと言うのが、この会の目的のようです。私たちが着くと、すぐに牧師にパンを勧められました。この大きい一本まんまのパンを、自分で裂いて取るように言われました。はじめ、一握りぐらいのパンをちぎったのだけれど、牧師は、「そんな少しじゃだめです。もっとたくさん!」と言われて、結局、厚切りパン2枚分ぐらいを取らされました。まわりを見ると、みんなもそれぐらいか、それ以上取っています。ぶどうジュースもマグカップになみなみと注いでいるし・・・。あまりの量に圧倒されていると、まわりのみんなが笑って言います。「加油!(ジャーヨウ/がんばれ)」その時の会話もおもしろ過ぎ・・・。「先生、当時もみんなおなかいっぱい食べたんでしょうかね?」「そりゃそうでしょ!夕飯だったんだからね。みんなおなかいっぱい食べたに決まってる。」「先生、他の教会でもみんなこの会もってるんですか?前の教会では、やってなかったんですが。」「やってないと思う。私が考えたんだ。」「さあ、もっとパンを取って!」「先生、もうおなかいっぱいですよ。」「いいから、いいから。」・・・・・・。会の間中、みんな笑って、楽しそうで。私も涙が出るほど笑いました。こんな受難日の夜を過ごしたのははじめて・・・。これも文化の違い? そうそう、日曜日のイースター礼拝も喜びにあふれていました。イエスさまの復活を記念するのですから、こちらは無条件に嬉しい一日です。子どもたちも卵さがし・・・。えっ、卵が金色?金の卵!!さすが、金の大好きな中華人でした。
2007.04.12

今日は「楽天ブログ」さんの調子がよろしいようです。感謝主! 台中に「DOULOS号」が寄港していました。中国語では「忠僕号」と書きます。この船には、50ヶ国以上の人が、なんと300人以上乗って、全世界を航海してします。そして、訪れた国で奉仕や支援活動をしたり、船を公開して、たくさんの人に見てもらったり、本を販売したり、伝道活動をしたりしているのです。もちろん乗組員はすべてクリスチャン。クロスカルチャー経験者としては、いろんな国の人が、営利目的ではなく、こうしていっしょに生活できていること自体、驚きです。もちろんいろんな問題があるでしょうけど、それを乗り越えているのは、やっぱり信仰があるからでしょう。ほとんど奇跡ですね!さて、私たち家族も先週の金曜日に台中港に行って来たのですが、あまりに長い列にびっくりしました。私たちが並んだ時間は、40分らいだったでしょうか。別の日に行った人に聞くと、その人は1時間半も待ったとか。。聞けば、この船がDOULOS号として使われ出した1977年来、一日の参観者数の最高は、何と24200人だったと言うことですが、それが、1988年8月、やはり台中を訪れた時だと言うのです!台中の人は、世界一好奇心旺盛だと言うことか!?今年も最高記録を更新していたりして?というわけで、DOULOS号は月曜日には、台中港を出発し、今は、台北の北、基隆に碇泊しているはずです。実はこのDOULOS号、世界一古い客船で、1914年に作られたものらしいです。タイタニック号と同じかもっと古い?そして、今回が最後の航海になるとか。旅の安全が最後まで守られるように、マジ祈らないとですね。
2007.04.11
最近、なかなかブログをアップできません。自分の管理画面に入れないのです。それだけならいいのですが、他の人の管理画面に入ってしまうのです。たまに管理画面に入れても、今度は写真が載せられません。台湾在住の楽天利用者は、みんな同じ事が起こっているようです。今回が初めてではないので、いい加減、付き合いきれなくなっています。楽天をやめて、他に引っ越そうとも考えています。どっかいいところないですか?mixiもやっているのですが、それだと見られない人も出て来てしまうので、できればオープンなのがいいです。楽天さんが、早く対応してくれれば、一番いいのですが・・・。と言うわけで、いつも来て下さっている方、すみません。しばらくご迷惑をおかけします。
2007.04.10
この間、お昼をちょっとした食堂で食べました。そのお店、特に小籠包とチャーハンがとてもおいしいお店です。でも、今日はその話は置いといて~。そのお店で食事をして、もう食べ終わる頃、一人の男の人が私たちのテーブルの近くに座りました。その人、食事を注文するとすぐに、なんと手を組んで、祈りだしたのです。声は私たちの席までは聞こえなかったのですが、確かに声を出して祈っています。子どもたちが「あっ!あの人クリスチャンだ~!」と気づき、私たちも、お祈りが終わったら、声をかけてみようかな~何て思っていました。ところが、終わらない。何やら麺類を注文したみたいで、店員さんが途中運んできて、何やら声をかけ、テーブルの上に置いたりしたのですが、全く気にも留めず、ずっと祈っていました。ねぇ、ねぇ、麺がのびちゃうよ・・・なんて思いながら、私たちもしばらくは祈り終わるのを待っていたのですが、一向に終わる気配なし。ついには、声をかけるのをあきらめて出て来てしまいました。台湾の人の良いところは、他人の目を気にしないことだけど、それにしても、すごい集中力だった。というか、熱心な祈りだった。何だか、励まされたみたいな、力づけられたみたいな気持ちになって、心が熱くなった出来事でした。
2007.04.05
私たちがいつも出席している教会は、愛家教会。この教会は5年前に北台中教会から株分けされた教会です。そして今日は、毎週火曜日の午後に行われている恩典小組(婦人会)を、この二つの教会合同で行いました。台湾では共働き家庭が多く、女性もみんな働いているため、必然的に週日の集まりに出て来られるのは、お年寄りばかりです。中華系の人は、お年寄りを本当に大切にします。礼拝や集会の時には、一人一人車で迎えに行き、話すときもとても丁寧に、親しみを込めて、手を握ったり、背中をさすったり、手を触れながら話します。とてもいい習慣、文化だな~と、いつも思います。さて、恩典小組はとても楽しかったです。お年寄りの何人かは、ほとんどの賛美歌を空で歌えるのには驚きました。賛美が上手で、大好きで、ノリがいいというか、何というか。勝手に指名し合い、独唱したりします。聖書をあちこち開くのは苦手です。やんややんやと大騒ぎして、開いています。そんな姿もほほえましくて良いですね。聖書の学びが終わったら、いっしょに食べる、これは台湾の教会の常識です。時間は中途半端な時間で、食事の時間でなくても、単なるティータイムではなくて、しっかりとした食事が出て来たりするのです。今日は、茶葉卵、大根餅、肉団子スープなどなど。お腹いっぱいです!そして、もう一つ。日本語が通じるお年寄りが多いことも、私には嬉しいこと。日本語と中国語をごちゃ混ぜにして話せば、いろんなこと話せます。たのしっ!と言うわけで、台湾のおばあちゃんサイコーです!
2007.04.03

さて、アブラハムの時代にあった先のききんとは別に、この国にまたききんがあった。それでイサクはゲラルのペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。主はイサクに現れて、仰せられた。『エジプトへは下るな。私があなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。これはアブラハムが私の声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。』(創世記26章1~5節)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~時はイサクの時代になっていた。そして神さまは、アブラハムの時と同じように、今度はイサクに語りかけられた。「わたしがあなたに示す地に住みなさい。」この時からさかのぼること60年、神さまは、アブラハムにも同じように語られて、主の召しに答えるよう促したのではなかったか。今度はイサク。イサクが自分の決断で、信仰の第一歩を自分の足で踏み出すように、神は、彼にも直接語りかけられたのだった。親の信仰は親の信仰、子どもには子どもの信仰が求められている。それぞれ自分の足で、信仰を生きることを主は求められている。さて、イサクはききんという人生の危機にあう。思い起こせばアブラハムも、最初の旅立ちの直後にききんにあっていた。危機に遭遇するとき、私たちのかくされた心の中が見えてくる。いったい私たちが、何を、誰をたよりに生きているのか。当時、ききんの時には、豊かなエジプトへというのが、一般的な選択肢だったようで、アブラハムも当時のききんの時には、エジプトへと下っている。しかし、神さまは今回はイサクにそれを許されなかった。神さまの導きはそれぞれ。先例や自分の知恵に頼らず、直接に神さまに聞き、それに従うことが求められている。さてこれまで、アブラハムはアブラハム、イサクはイサクだと強調してきた。しかし、イサクに神さまが語られた祝福はどうだろう。それは、決して新しいものではなかった。以前アブラハムに祝福された約束そのものだった。なんと、祝福は、父からの遺産として引き継いでいたのだ。祝福の遺産だけではない。信仰の父として、イサクはアブラハムから信仰者の生き方を学んだ。彼は、そんな父の生き方を目標として、これからも生きて行くことになる。親として子どもに残せる財産はないかもしれない。しかし、神の祝福と信仰の生き方を子どもたちに残すことができたら、それは何にもまさる遺産ではないだろうか。
2007.04.02
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