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長女の同級生の女の子が、今月いっぱいで日本に帰国する。これで彼女のクラスは、男の子3人女の子2人の5人になってしまう。さびしくなります。そして明日は彼女の送別会。娘は今日の午前中ケーキを焼いた。明日の送別会で、みんなと食べるらしい。娘が選んだケーキはこれ!実はこのケーキ。私の母が、よく作ってくれたケーキ。あまいケーキの生地に酸味のきいたりんごの味が、とてもマッチしていておいしい。母はいわゆる牧師夫人だったので、ケーキを作る機会が多かった。教会が大きくなってからは、他にも作れる人が出て来たので、母の出番は減ったけれど、私が子どもの頃は、本当によくケーキを作っていた気がする。何も教会のためだけに作っていたわけではない。家族のためにも、よくケーキやパンを焼いてくれていた。パンの生地をこねる母を囲むようにして、子どもたちが母の作業に見入っていたあの光景は、今でもよく覚えている。「りんごケーキ」の素朴な味わいは、わたしにとっては母の味かな?そしてそのりんごケーキを時々思い出したように家族のために作っていた私。そしたら、今度は娘がこのケーキを作りたいと言い出した。何だかいいな。こういうのって。
2007.10.29

随分と間が空いてしまいました。その間、何も書くことがなかった分けでもないのですが。何しろ、家族6人、毎日ドラマがあります!そうそう、日本からお客さんがいらっしゃって、楽しいときも過ごしました。接待と称して、おいしいものいっぱい食べましたし。それにしても今日はすごかった。なんと!幼稚園の行事と学校の行事が重なってしまったのです幼稚園の運動会と、日本人学校の学習発表会。こちらは幼稚園の運動会。8時半には来るようにとお便りがあったので、真面目にその時間目指して行ったのに、着いてみると、ほとんど来ていない・・・、またやられてしまった。開始は9時からだから、台湾の人たちは、それに間に合わせて、ぼちぼちといらっしゃるのでした。このテンポが読めるようになるには、もうちょっとかかるかも・・・。子どものお遊戯は、かわいいですだけど、親子競技多すぎ二人三脚に親子でボール運び、お玉で水を運ぶ競技など、数えてみたら、10競技近くありました。しかも、どれもどのチームが勝ったのか、全然わからない。参加者もその辺りは関心がないらしい。勝ち負けにこだわる日本の運動会とは、やっぱり、ちょっとちがうかな?うちのマイマイ。お友達がいっぱいいて、楽しそうでした。そんな姿が見られただけで幸せ運動会終わったのが11時15分。その後、大急ぎで大通りに出て、タクシーを拾おうとしたのだけれど、そういうときに限って、先客が乗っていたりする。4台ほどやり過ごして、最後は対向車線を走っているタクシーに、合図を送り、来てもらった。そして日本人学校へGo主人が先に行っていてくれていたけど、やっぱり、子どもたちは、母に見て欲しいものです。(自信)(本当は自分が見たかった)4年生の発表には間に合わなかったけれど、6年生、中学部の発表には間に合いました。中学部の和太鼓演奏、かがり火太鼓(岐阜県)走楽(沖縄県)は、見応え、聞き応えがありました。感動しましたね~。やっぱり、大急ぎで駆けつけてきてよかった。ちょっと写真が暗くて、見にくいですね。海外にいると、日本にいる日本人よりも、日本の伝統とか文化にこだわるものなのです。疲れました。帰ったらバタンキュー!お昼寝したけど、まだ眠い
2007.10.27

週末は忙しかった。土曜日に日本人学校の「秋祭り」があったので、事前におにぎりやおでんを何百食と作り、当日はフランクフルト、ホットドック売り、水ヨーヨーつりのブースでもお手伝い。何しろ子どもが3学年にまたがっているため、やることが多い。土曜日の晩にはすでにへとへと。そして日曜日は、毎年恒例の教会の皆さんと行く野外礼拝今年は南投縣の「集集(ジージー)」というところ。今年も遊覧バス貸し切り。いつもの礼拝の倍の人数で、出発時間は40分ほど遅れてやっと出発。これはいつものこと。着いてみると、観光地化されてはいるけれど、一見、ただの田舎町。それでも観光バスが結構走っているし、人も多いところからすると、結構有名な観光地?一緒に参加した人たちに聞くと、どうやらこの村は、当時の921大地震の震源に近く、大きな被害があった村らしい。そして、それを機にこの村の名前が広く知れ渡り、観光地化されたということだった。なるほどあちこちに「地震体験館」というものがあって、小さな家がグラグラ揺れたりしていた。午前中に公園で野外礼拝をし、ゲームをしたりして楽しんで、お昼前には自由行動!これが「集集駅」日本の田舎にもありそうな・・・。そうなのです!実は日本統治下時代に造られたもの。地震の後も補修されて、今も使われています。電車は普通の電車でした。駅の待合室付近で、バイオリンを弾いているおじいさん。ラジカセの横にある入れ物にお金を入れてもらって、生計をたてているようです。なかなかの腕でしたよ。この辺りは、バナナの産地でもあります。おいしいバナナがすっごく安く売っていました。大きな一房10元(35円)ですよ種類も豊富!二房ほどうちの牧師に買ってもらいました。謝謝えっ?それぐらい自分買えって?あちこちにこんなバナナの木が!自転車をレンタルして、あちこち走りながら、こんな光景を写真におさめました。楽しい一日。感謝主だけど、週末の疲れがまだとれないよ~。
2007.10.15
毎月(を目指して)、知人友人に送っている台湾通信です。またまた、こちらにも貼り付けてみました。祈りの友の皆さま、こちら台湾は、台風一過、少し暑さがゆるんで秋の気配がしてきた頃です。日本は随分秋らしくなっていることでしょう。さて9月から、主人は外浦(ワイプ)教会での奉仕が始まりました。この教会は昨年、わけあって分裂し、無牧になった教会で、新会堂建設が終わったばかりだというのに、人数も半減し、残った教会員は心細い思いをしていました。まさに慰めと励まし、教育とが必要な教会です。とは言っても、台湾TEAMの方針として、宣教師に依存するような体質をつくらないように注意しなくてはいけません。教会をサポートしながらも、あくまでも最終的には、現地牧師を招聘することを念頭においた奉仕が求められています。 主人は月二回の説教奉仕と、可能な限りの週日の集会出席、そこにおける聖書、教理の学びの導きをしています。ところが大きな問題が一つ。その教会は、私たちが学んだ中国語(北京語)ではなく、台湾語を使う教会だと言うことです。もちろん中国語は、50年ほど前から台湾の公用語ですから、ほとんどの人は、中国語を理解することができます。しかし、年配の方は中国語教育を受ける機会を逸した方が多く、中国語を理解できない方がおられます。また台湾語は、民族のアイデンティティーとも深く関わっており、大事に守られている面もあるのです。ちなみに台湾で大勢を占める長老教会のほとんどは台湾語を使って礼拝しています。というわけで、一部の人は主人の話す中国語が理解できないため、間に通訳者を介することになります。やはり、ここは宣教師の限界でしょう。しかし外浦教会が不便を感じながら、台湾語を話す現地の牧師の必要性を感じるならば、それはそれでいいことなのかもしれません。今後の主人の外浦教会での奉仕のためにお祈りください。それにしても、ここまで教会のお役に立てるようになったことは、私たちにとって大きな喜びです。背後の皆さまのお祈りを心から感謝しています。【家族の近況】<53>台湾の夏は長かった!先日の台風の前までは、昼間は30度を超す暑さ、夜も連日熱帯夜。少々夏ばて気味で、中耳炎やらのどの痛み、口内炎・・・。そんな深刻ではないのだけれど、体調不調が続いています。お祈りください。<chieko>自動車免許、やっと合格しました!筆記は一度で通ったものの、路上試験は結局5回目にやっと合格!これで日本の失効した免許も再発行してもらえますし、こちらでも運転できます!感謝主!!<Y実>夏以降視力を測ったら、なんと0.07まで下がっていました。そこで8月末から、こちらで評判の視力回復の按摩さんに通ったところ、0.6まで回復!こちらも感謝主!!<K治>9月の終わりに日本人学校毎年恒例の水泳記録会がありました。25メートル平泳ぎでは、大会新記録を更新!身長もぐんぐん伸びているようですし、「かわいいケンちゃん」を脱しつつあるかも。(さびしっ。)<S子>毎日のお気に入りのテレビ番組に、「忍者ハットリくん」「ドラえもん」に最近は「ケロロ軍曹」(すべて中国語)も加わり、コマーシャルの合間に宿題をしている。(こちらのコマーシャルは長い)おかげで、彼女の中国語のヒアリング力はなかなかのものです。<マイマイ>台湾の幼稚園の早期教育熱はすごく、毎日宿題を持って帰ってくるマイマイ。時には、「宿題、全然おわらない!」と泣きべその日も。ご苦労様・・・。【お知らせ】「ミッショントリップ台湾」(11/22~16)の締め切りが近づいています。まだまだ空きがあるようなので、ぜひ皆さんもご参加ください!今回は、オプションで台北、台中、高雄(南部)それぞれの地域に分かれて、それぞれの宣教師が関わっている教会との交わりが企画されています。同盟の牧師には、旅費の援助もあるようですよ!是非ご検討ください!!(chieko記)
2007.10.11
「一生さわやかな朝は迎えられない。」これは、結婚して間もなく、お医者さんに言われた言葉。そばで聞いていた主人は戸惑いを隠せない。理由は・・・、なんてことはない。血圧が低いのだ。宣告を受けた当時は、なんてひどいことをいうお医者さんだと思ったけれど、このお医者さんの宣告のおかげで、朝、多少機嫌が悪くても、動作が緩慢でも、時には二度寝しても?家族には許されている。・・・と思う。
2007.10.09

台風が過ぎ去りました。今回の台風はかなり大型で、台中は直撃ではなかったのですが、私たちが住むマンションの12階は、風に押されて、ゆ~らゆら。恐かったです。今朝、教会に行くときも、車の外を見ると、あちこち看板が飛び、街路樹が裂けたり、折れたりしていました。中には、街路樹が根こそぎ倒れて、道をふさいでいるところも!きっと農作物にも大きな被害が出たことでしょう。被災された皆さんの上に、神さまの顧みがありますように。さて、話は変わりますが、今日の礼拝は、私たちが通う愛家教会の母体となる教会、北台中教会との合同の礼拝でした。これには特別な理由があります。なんと・・・、牧師夫妻の「結婚30周年感謝礼拝」だったのです!こんな礼拝の名前はじめて!!と、初めこそ戸惑いはしたけれど、そのあたりは、好奇心の方が先立ち、ワクワク、ドキドキ一歩会堂に足を踏み入れると、真ん中の通路の両側には、花とリボンとハートのデコレーション。結婚式さながらの飾り付けに驚きました!カメラを持って行かなかったことを後悔しましたね。新郎新婦・・・じゃない牧師夫妻は、すごいドレスアップしていました。ちなみにこちらが今日の週報。まるで結婚式の式次第でしょ?内容はもちろん、讃美歌、聖書朗読、説教と、ちゃんとした礼拝でしたよ。でもその後で、祝辞あり、スライドショーありと、やっぱり結婚式みたいでした。ふたりのデュエットもしっかりありましたし。そう、後の会食では、3段の大きなケーキをふたりでケーキカット!そのあと、まわりにはやし立てられて、なんとキスまでさせられていました。すごい盛り上がりの一日。帰りの車の中で、「台湾では結婚30周年迎えたくないね。」と私が言うと、主人は、「えっ?俺は台湾で迎えたいと思ったな~!」だって・・・。
2007.10.07
やっと今日、合格しました!自動車の免許ですよ!!何回目だったと思いますか?5回目です。感謝主長いこと抱えていたストレスから、やっと解放された思いです。とりあえず、日本で失効した免許証も復活できるし、いざというときにはこちらでも運転できるし、良かった~。感謝主
2007.10.04

台湾の歩行者用信号機。中国語では「紅緑燈」と言います。そのまんまですね。(笑)ちょっと反射して上手に撮れていませんが、上に残り時間が表示されていて、下に歩行者の絵があります。そして実はこの歩行者、歩いているのです。てくてくと。そして、残り10秒ぐらいになると、なんと走り出します。はじめて見たときには感動してしまいました。聞けばこのような信号機は、世界的にも珍しいとか。動画でお見せできないのが残念です。でも、問題は、残り時間が少なくなって、信号機の歩行者が一生懸命走っても、当の台湾の人々は、のんびり、ゆったり。急いではくれないと言うことでしょうか。わたしたち日本人は、ついついつられて走ってしまうのですが・・・。
2007.10.03
うちの4年生のS子が、この週末、お友達のお誕生日に呼ばれた。学校のお友達と言っても、家は、車で20分ほどのところ。当然、子どもだけでは行けないので、私も一緒にバスで行った。で、行ってみると、なんとお友達とその兄弟、親たちも入れると、25~30人ぐらいになっていた。台湾、特に台中の住環境はとてもいいので、これぐらいは収容できるのだが、迎える方は、慣れていないので大変そう。気がつくと・・・、私が仕切っていた。「さっ、みんなゲームやめて!ハッピーバースデー歌うよ!さんハイ」「ゴミはここね!!」「プレゼントあけるんだって!みんな注目!!」だって、主催者のお母さんも、ケーキ出すだけだし、プレゼントあけるときにも誰も見てないし。ついつい・・・。というか、慣れてるのよね。こういうの。いつも教会で子どもたちに囲まれてたから。そういえば、しばらくこんなことしてないなって、日本で奉仕していた頃が懐かしくなってしまった。
2007.10.01
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