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エマージェンシーとは、Emergency 1971 CBS 64381 - Entrance 1972 CBS 64528 - Get Out of the Country 1973 Brain 1037 - No Compromise 1974 Brain 1052 - Gold Rock 1975 Brain 201.104 と都合5枚のアルバムを発表した他国籍編成の超絶技巧ジャズロックバンドで、近年その作品がようやっと再評価されてCDでもボチボチと復刻されはじめたようである。CBSから出した1枚目と2枚目は英国盤と彼らの拠点だったドイツ盤ではデザインが違うようだ。特に2枚目は未聴なのだが片や痩せた人物画なのに対しもう一方は兵士の立ち小便である(苦笑)。3枚目はメインの契約先が独CBSから独ブレインに移籍、ドイツ盤が上の写真となる。英国盤は緑地に小さなロゴがたくさん壁紙状に配置されたデザインだったと思う(所有のナギ先生、これで合ってましたっけ?)。さて今回取り上げるのは、この3RDアルバム。キングクリムゾンのファンなら、太陽と戦慄からREDまでの作詞でバンドに寄与した「リチャード・パーマー・ジェイムス」の当時参加していたバンドとして知られているだろうが、彼が演奏に関わっているのはこのアルバムだけのようである。4枚目でも作品クレジットに名前はあるが、演奏には参加していない。エマージェンシーはチェコのジャズ・ミュージシャンであるHanus Berka(サックス、フルート、ピアノ)が中心となってミュンヘンで結成されたグループでデビュー時からテンポの良いスリリングな演奏力が魅力だった。この3RDではこれまでの濃密なジャズロック路線にダイナミックなメロトロン(HanusとキーボードのVeitの両名)が加わるようになり、楽曲がよりドラマティックな展開をみせるようになった。リチャード自身はエレキギターと生ギターとコーラスそして英詩にてバンドに貢献しているが、技量的には歴代のギタリスト中では最低ランクなのでリズムギター程度しか演奏はしていない。だからといってこの3RDアルバムの価値が下がる訳でもなく、スピード感溢れるエネルギッシュで情念の迸る痛快な仕上がりとなっている。メンバーはVeit Marvos - Keyboards Hanus Berka - Winds,keyboards Peter Bischof - vocals Richard Palmer-James - Guitar Bernd Knaak - Drums Jerzy Ziembrowski - Bass 以前にも一度このアルバムの収録曲の事で取り上げたけど、今日も世界陸上で為末氏の出ているスーパードライのCMがオンエアされていたので、もう一度きちんと取り上げたいと思った次第。Manic Street PreachersのEverything Must Goという曲のサビが、やっぱこのLPのI know what's wrong にクリソツなんだがナンダカナァー♪(笑)CBS系の1、2枚目は復刻されているので3枚目以降も再発されているかもしれないが、未確認。まあ、70年代後半の廃盤店でも一番値の張ったこの3RDがせいぜい5千円くらいだったので、入手は難しいものじゃないかもしれない。他ジャンルで取り上げている作品に付きましては、お手数ですがホームからご覧ください。
Jul 31, 2005
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暗黒の世界(Starless and Bible Black)の発売から暫くの間、このLPにライブ音源が使用されている事はシークレットな事柄で、クレジットも無く公式にそれを示す事も無かった。ジョン・ウェットンのインタビューでは、当時のクリムゾンは廉価盤で英国のみ発売されていたライブアルバム:アースバウンドの一件(所謂セールスの大失敗)でアイランドからライブ盤について評価されていなかったらしく、故にライブとスタジオ含めてミックスする手法はこの点で非公開のままだったらしい。73年当時にはツアーの模様を収めたテープが相当数貯まっていたのが新曲の編成に大いに役立ったらしい。「大胆に新しい事に挑む」当時の姿勢は、ライブだけに留まらずアルバム制作にも生かされていた。
Jul 31, 2005
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ジョン・ウェットンのクリムゾン以前のレコーディング活動歴でも初期にあたる作品だが、他の同時期のセッション作品と違い「バンドメンバー」であるだけに作品に作者としても連名されているし、彼の確かなプロキャリアのスタートと言えるアルバム。ちなみに当時の日本盤邦題は「モーガルスラッシュ:炸裂(ビクター)」だったと記憶している。結成は69年にコロシアムを脱退したギタリスト、ジェイムズ・リザーランドがツアーで知り合ったエクレクションのマイク・ローズン(TP,Guit)とバンド結成する際にピート・ブラウンからの紹介でロジャー・ポール(sax)とマルコム・ダンカン(sax)も参加、コロシアムとも又違うジャズロックバンドとして編成されていく。ジョン・ウェットンはベースとギターそしてヴォーカルで参加しており、シングルカットのセイント・ピータではメインで歌っている。実は結成から暫くはバンド名称がジェイムズ・リザーランド・ブラザーフッドだったが、70年5月モーガルスラッシュに改めレコーディングをブライアン・オーガーのプロデュースで行った。サウンド的にはブラスロック系のジャズロックにクリーム風味といった言われ方もするが、アラン・ボウン(英国超有名トランペッター、007のテーマ等演奏)のアイランド時代のジャズロック作品ぽくもあり、いかにも年代を感じさせるサウンド。この辺りが好きな人には堪えられない色合いであろう。写真はアナログLPの表面であり、現在復刻されているCDではメンバーの勢揃いしたLP裏面が表面にレイアウトされている。LPは日本盤自体が当時の雑誌でも人気のあったB・S・T等と比較されたブラスロックとして紹介されていた。英国盤はジャケットの紙が薄く、LPの形状がジャケット上に浮き出た状態のものが70年代末には1万~1.5万程で取り引きされていた。現在LPで入手しようとしても状態の良いものはほとんど無いと思われる。バンド自体は短命で翌71年始めには解散、ブラスセクション3名はそのままあのアベレイジ・ホワイト・バンドを結成に参加し後に大成功を収めることは有名。解散後にジョンはゴードン・ハスケルの2NDアルバムに参加。アメリカツアーに同行もするがハスケルの逃亡により帰国し71年9月より1年間ファミリーに加入。途中、アイランドツアー中にグループ内孤立を深めたボーンマス時代の旧友フリップより電話でクリムゾン参加の打診を受けるが「それは今正しい事だとは思わない」と断り、メンバーのリフレッシュされた「太陽と戦慄」制作から関わることになる。
Jul 31, 2005
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ちょくちょく覗きに行くキングクリムゾン・データベースでもイアン・ウォーレスの活動歴が割と紹介されている。80年前後にボブ・ディランやデヴィッド・リンドレーと活動していたのは結構ファンなら知っていると思う。特にD・リンドレーは当時結構注目の異端ギタリストだったからねw。当時のインタビューでリンドレーの納豆好きはホントになんとも笑わせてくれるエピソードではあったが、その納豆狂いで笑いながら食いまくるお友達がイアンだったのはコアなファンじゃないと知らないかな?練りからしを混ぜつつイアン&デヴィッド「うへへ、このシンナーと小便を混ぜたような臭いがたまんねぇぜ、へへへ(バクバクバク)うへへへへ。。。」いや、身体に良いってのは一応知っていたようですけど。今も納豆食べてるのかな?あちらのスーパーでも売ってるからねぇ(笑)。
Jul 29, 2005
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今週より仕事に復帰してます。
Jul 26, 2005
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今日は派遣の所長から電話。医師の診断書で職場が原因と書けないか聴くように言われた。当然であるが診断書というのは原因を書く様なものではない。しかし念の為確認したら笑われた。さすがに来週からは無理してでも復帰しないともう暮らしていけない。医師からは何かあったら又来るように言われもしかしたらもっと専門的なところでCT等をしないとだめかもと、、、CTなんて受けられる経済的な余力はモウナイヨ。まあ、この夏死なない程度に頑張るしかないわな。検査の数値が正常値になってくれれば気にはしないのだけど。うちに病気の年寄りもいるからとにかく又倒れない事を祈るのみである。
Jul 20, 2005
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以前にも取り上げたがキングクリムゾンの作品群の中でも異色さが未だ際立つのが3枚目のリザード。日本で彼らが紹介されるようになるにはELPの飛び抜けた人気が大いに影響した。日本においてクリムゾンが大々的に紹介される頃、既にバンドは幾たびかの変遷を経てこの作品を発表する頃になっていた訳であった。ごく初期から知っていたのは、当時はまだマイナーだった一部の輸入盤マニアなんかくらいだったらしい。次々とメンバーが離れていき、音楽的にはロバート、思想的にはピートの双頭バンドと化したクリムゾン。ただ2人にしてもバンドの持つ暴れまくるエナジーがどのベクトルに向かうべきなのかかなり頭を悩ましたものかもしれない。異能なティペットとそのグループの参加も大いに作品のカラーになっているし、メル、アンドリューの確かな演奏も耳を奪う。またロバートのメロトロンプレイもクリムゾン史上最大の活躍をみせており、ストリングス、ブラス、フルート、オルガン、チャイム等かなり聞き物になっている。ゴードンのヴォーカルスタイルはかなり破壊的な色合いが強く、彼の持ち味のゴスペル風の絶叫ソウル風味や哀愁漂うカラーはあえて押さえられて、ロバートの指示がかなりのウェイトを占めているようだ。そういった意味では2枚目のケイドンス&カスケイドの方が彼本来のカラーが巧く生きていたように思えるよね。ゲストのジョン・アンダーソンの方が曲とヴォーカルスタイルがスウィングしているのが皮肉といえば皮肉。クリムゾンをカバーしたタレントは日本にも数多く、そのほとんどは1STの楽曲であったものだったが、リザードの影響下のものも存在するのはある程度有名か。昔、映画「機動戦士ガンダム」のシリーズ上映で井上大輔の歌っためぐりあい宇宙編の主題歌ビギニング。当時、音響STにいたナギ先生から「今度の映画の主題歌ヤベェ」といきなり報告を受けたな。Prince Rupert Awakesそのものだったからね。録音スタジオでナギ先生がそのテープを流して比較して他のスタッフからも「こりゃひでぇな」と苦笑が漏れていたとか。ベストテンとかで気持ちよさそうに歌ってたし故人だしまあ許してあげようクリムソファン。75年の長谷川きよし/フォーク&ポップ リフレクションシリーズLPに収められた代表曲「黒の舟歌」インドア・ゲームそっくりなアレンジでドラムスもアンディ真っ青な細かいプレイらしい。一部の評論等で「アレンジの玉木宏樹はクリムゾンの影響がかなり強い」等の批評を数受け、怪奇大作戦(アレンジが玉木氏)の有名な主題曲に付いてもそういった事を指摘されたらしい。この点に付いて玉木さん御自身が近年のインタビューで至極明快に答えている。「俺はクリムゾンなんてしらねぇし聴いた事もねぇ!(爆笑)」である。評論家が誰だれだったのか知らないが、怪奇大作戦はクリムゾンより昔の作品。黒の舟歌は、当時日本でも多くなったヘッドアレンジ(譜面ではなくその場でミージシャンに指示しアレンジを直感的に決めていく手法)だっただけに、演奏者の器量と嗜好がそのまま反映して出来上がったゆえの結果だったらしい。ちょこっと色合いが似てるからと言ってスグパクリというもの考えもんだね、特にそれが評論家なら尚更。リザードじゃないけど、昔山口百恵作詞のアン・ルイスのヒット曲「ラ・セゾン」をスターレスのパクリと載せる本があって、比較して何10回も友人と聞き比べたが「こりゃどこが似てるんだ?」と頭を悩ました事もあったからねぇ(自爆)。どこも似てなかったし。
Jul 19, 2005
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77年に来日し大好評だったブライアン・フェリー・バンドの7月9日中野サンプラザ公演の模様のブートレグ。当時のブートでは出来色の音質と熱狂的なライブが海外のマニアにも評価されたブート史上に残る裏名盤となったものだ。ツアー参加メンバーがとにかく豪華でロキシーファン以外でのメンバー目当ての観客もさぞや多かったんじゃないかな?ブライアン以外のメンバーは、ベース&コーラス:ジョン・ウェットンギター:フィル・マンザネラ&クリス・スペディングキーボード&コーラス:アン・オデル(!)サックス:メル・コリンズ、クリス・メーサートランペット:マーティン・ドローバードラムス:ポール・トンプスン収録曲もLP1枚にぎりぎり一杯公演を収めている為に収録時間が短い物の多いブートレグ系では珍しく70分を超えて入っている。そのためか音溝が少し細いけどね(笑)。近年日本でリバイバル・ヒットした東京ジョーも入っているし、ラブ・イズ・ドラッグも収めて全16曲!。当時の海賊盤の多くが白無地ジャケットに簡単な内容紹介のイロ紙が一枚張り付いているだけの粗雑なLPが多かった中、このアルバムはシアン単色ながらアルバムジャケットのデザインの体裁を備えている。表面は公演の写真で左からフィル、クリス、ブライアン、ドラムのポール、ジョン。裏面に曲順とメンバー表。下にはアイランドレコードのIマークのパロディでヴァイブレーターがそそり立っているのが笑える。発売はSTIMULATORレコードということだが、一連のブートのメーカーなんであろう。当時の他のブートレグでも見かけられたレーベルに谷岡ヤスジの漫画が使われているものだ。現在入手が非常に困難らしいが、このレコードから盤起こしでのブートレグCDもあるようだが、蛇の道はヘビということだね。ブートはブート。どんなに良くっても。そんなに大金を払う必要も無いからCDでいいんじゃないかな?スクラッチも少ないそうだし。余談:70年代中頃から日本でもブートレグが西新宿あたりからかなり出回りはじめたね。御多分に漏れず当方も大量に買いあさったりしていたな(苦笑)。ただ物によっては酷い音色の物も多かっただけに一種ギャンブルみたいな感じはあったねぇ。このLPと同じ様にシアン単色でジャケットの美しいLPにキング・クリムゾンのアイランド・ツアーを収めた「ケイドンス&カスケイド」というのがあるが、これは希にみる音質最悪の物。クレジットからして非常に嘘八百でツアーメンバー表記にレイクはいるはティペットはいるは、、、いるはずないでしょ!!要するに、そこらへんが音で判別不明なほど音が割れてグチャグチャだという事。ヤフオクでお馬鹿な出品者が「レア」だとか訳のわからん事を言って1万とか2万で売りに出したりしているけど、1000円の価値もありませんから、決してだまされて買ったりしないように(爆)。するわけないか!
Jul 19, 2005
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ヘンリーカウがウエスタンカルチャーで遥かな地平まで逝き付いてしまった後、フリスの音楽放浪の軽快な気ままさが80年初頭のいくつかの作品で楽しめるが、これもまた彼の凄まじいばかりの技量から考えると肩の力の抜けた面白い作品。CDだとわかりにくいがLPだとA面がSamla Mammas Mannaとの演奏でB面がMuffinsとの演奏でトム・スコットもスラップ・ダンスと言う曲で参加している。同時期のロバート・フリップのフリッパートロニクスとディスコの融合も趣味趣味で凄い内容だったけど、こちらはあくまでメンバーの感性にフリスも気持ち良く乗った肉感的感じ。現在の復刻CDではボーナストラックも付いているそうだからお得ですな。このあとのスピーチレスも手作り感いっぱいで良いアルバムだったね。彼のソロインプロも何度か見て感じたけど、ほんと引き出しの多いギタリストって感じで元々のセンスと許容力の広さに感服するなぁ。マサカーとかトテツモナイ音群を吐き出したりもするけど、民族的なある種哀愁を感じさせる憂いも魅力的だ。20年近く前に東京の街中をDATを担いでマイク片手に様々な環境の音に耳をそばだてていたフリス。今でもどこかの町の雑踏に耳をかたむけているんだろうか?
Jul 19, 2005
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正式にはMAR Y SOL(海と太陽の祭典)THE FIRST INTERNATIONAL PUERTO RICO POP FESTIVAL.プエルトリコはヴェガ・バハで行われた第一回インターナショナル・ロックフェス。72年4月1~3日に開催されイースターとの絡みもあり予想外の成功を収めた。プログレ者ならば初期ELPの当時としては貴重なライブがこのLPに収められているのをご存知だろう。他にも各国のバンドが出演していて、アルバムには当時日本で人気のあったマハヴシュヌ・オーケストラにカクタス、懐かしいアフロ・ロックの雄オシビサ、J・ガイルズバンド、オールマン・ブラザース・バンド、元スティームパケットのジョン・ボルドリー、ジョナサン・エドワーズ、大御所だとハービーマン、そしてドクタージョンにBBキング。その上ニッツィンガーなんかの珍しい貴重な演奏も聴ける。ELPの演奏は石をとれ~ラッキー・マン(ジャンプで昔連載していた漫画ではない)の初期定番メドレー。ELPの歴史を扱ったビデオ等で屋外フェスで大砲ぶっ放すシーンがあったけど、あれってどこだったっけな?元々がフェスティバルデビューとか派手な話題を振り撒いていたバンドだっただけにやはりライブは面白いよね。日本盤も70年代半ば頃まで出ていたようだが、2枚組3000円の廉価盤のせいか材質はいまいちだったね。
Jul 18, 2005
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まとめて放映されていたね。文化人、芸能人、政治家、スポーツ選手、実業家等多方面の著名人の戦争体験談だった。昔、年配の先生や親戚等からも聞かされた話と多くの点で共通項があっていたたまれなくなった。友達が機銃掃射で頭を打ち抜かれスイカが割れるように弾けたとか、友人を爆撃で無くした話。中学校のかなり年のいった先生も当時学徒動員で地方の砂浜で訓練中に本物の爆撃機に爆弾を落とされて、学校の同級生の半分近くが吹き飛ばされたと壮絶な体験談を語ってくれた事も過去にはあったなぁ。泣きながらただひたすら、友達の手足を拾い集めて弔ったそうだ。近年、靖国とそれにまつわる戦犯の関わりの中で東条家のお孫さんが出てきて「あの判決はあくまで戦勝国の論理」とのたまわっているが、どうなんだろう?外国人はいうにおよばず日本人までもが何百万人も死んだのは、当時の日本の舵を取っていたかの人に責任が無いとでもいうのであろうか?当時のうちの親戚だって、親たちの知人もたくさん死んでいる。無茶な指令で悲惨な目にあった人たちの語る、日本軍人たちの同胞への横暴な行いの数々。未だにのうのうと恩給受け取って平気な顔して生きている。彼らの為に死んだ人たちは浮かばれないわな。沖縄では民間人の方が圧倒的に死んでいるんだからね。逃げる軍人の盾になって。何百万人の血の上に今のたかが60年の復興が浮いているんだという現実を正面から思うと、友人が昔語った「戦後日本という国は無くなって別の国になったんだよ」という言葉も少し判るような気がする今日この頃。
Jul 18, 2005
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デビュー後70年中盤までのロキシーミュージックときたら、猥雑でケバくて何とも独特な色でギトギトしたバンドだったね。80年代のお洒落な印象になってからのロキシーも聴くには聞いていたけど、やはり好きなのは70年代のワイルドなやつだ♪で、このライブなんだけど73年、74年、75年といくつかのライブから構成されているのだが非常に編集が巧く出来ていて、ロキシーの白熱のライブの渦中に聞き手を連れていってくれる。個人的にポール・トンプソンも大好きだけど、エディのバイオリンも聞き物だし、ジョン・ウェットンやジョン・ガスタフスンのかっこいいベースもブリブリ言わしててなかなか。まんざねらぁ~なメタリックカッティングもアツイ。いかにも第1期の総集編っぽいよね。
Jul 18, 2005
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70年頃には、様々な音楽を紹介するサンプラーレコード、いわゆる音のカタログが各社から出ていたよね。有名な所では、CBSソニーの500円という破格のLPがあったし、あれでマッチングモウルを初めて聴いてとりこになったんだったな(自爆)。外国だと英アイランドのサンプラー、Nice enough to eat や Bumpersでのクリムゾン収録LPなんてものあった。バンパーズは2枚組なのでそれほど市場では見かけなかったが、ナイス・イナフ・・・の方は割と出回っていたな。サンプラーLPは、あくまでカタログだからマスタリングもカッティングも適当だし、プレス盤も商品も材質は良くないし、ジャケットに至ってはペラペラだわ。現に何枚か買い直したナイス・イナフ・・・だがどれもろくなものではなかった。とは言うものの、普段聞かない様々なアーチストや入手の難しいニック・ドレイクなんかも収められてて、ある意味聞き物。よくこの手のLPで「ミックスがちがう」云々いうやからもいるが、プレスも編集時のマスターも違うんだから、厳密にオリジナルLPと比較すりゃ違って聞こえても何らおかしくない。現にナイス・イナフ・・・に入っている、21世紀の精神異常者は目で見ても良く判る溝の違い。同じ条件で聞き比べてみると、、、(笑)。いやほんと微妙なもんだから、カッティング作業時のリミッターとか圧力とか違って当たり前だものw。ちなみにバンパーズの方にはケイドンス&カスケイド。わざわざ買っては見たけど、すぐ売っちまったのでこちらは今手元にはない。コレクターなら欲しいかもしれないけど、音楽的な価値はほとんど無い。ナイス・イナフ・トゥ・イートのジャケットではアルファベットクッキーで収録アーチストの名前が列挙されている。
Jul 17, 2005
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ズバリ!つまみでリアルタイムに音色をいじれる所だろう♪グリグリつまみを調整する事で直感的にね。70年代の国産シンセでは、ローランドとコルグが覇を競っててヤマハの台頭はCSシリーズや後のFM変調の物まで後塵を拝した点はあったわな。後のプログラマブルなポリシンセが出た後でも、外国製にはつまみを載せたシンセは多かったね。中にはDX7をアナログ風につまみで調整しようとする難儀なコントロールパネルなんかもあったけど、あれはいかにも米国人ならではの発想だったね。ただ、DX7は音を出している間のリアルタイムな変更には未対応だったから(笑)。
Jul 17, 2005
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当時は基本モデルが3タイプ発売されていたよね。キースも使っていた最高級モデルが70年代後期に代理店を通して買うと600万だったかなぁ。。。カタログどこやったっけかな?思い出すとデカイけど、ひとつひとつのモジュールにVCO(音源)・VCA(アタックやディケイ、リリース等の音量の時間的コントロール)・VCF(音色の時間的コントロール)・LFO(低周波のモジュレーター)・アナログステップシーケンサー等色んな物があって、これを注文で仕様変更する事も出来たようですな。日本でもローランドやコルグでパッチワーク可能なシンセが出ていたが、決定的な違いはムーグはほんとうに一個一個昔ながらの手作りで、音響で使われるパッチコードくらいの太いコードをまんまあちらこちらに繋げる見た目がSFっぽくて良かったんだよね。冨田勲さんもいくつかの講演で話されていたが、この当時のムーグはモジュールの部品がアナログだから、壊れたら簡単に修理できるのがいいと言っていましたな。たしかに、簡単にモジュールは外れるしパーツもややこしくないからね。でも、ソロシンセだから(爆)。置物に最高ですねっっっ!
Jul 14, 2005
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幻魔大戦というと四半世紀近く前の角川映画のサントラでのキース・エマーソンの音を思い出すが、平井和正のもう一つの幻魔SFパラレルワールドの真幻魔大戦のイメージアルバムもあったのだ。個人的に平井ファンでもあるし当然発売当時即買いしました。このアルバムの凄い所は難波弘之と厚見レイという名キーボーディスト2人が、小説真幻魔大戦の壮大なイメージをもう思う存分プログレ展開していることだろう。とにかくセンス・オブ・ワンダー関連で最高傑作に押す人も多いんじゃないかな?そうる透の凄まじいテクニックのドラミングがまた聞き手の血圧を上げまくる壮絶さで炸裂しているし。ノヴァトロン(メロトロン)やシンセの掛け合いもドラマティックでなにより曲の良さが最高。ホント密度の異常に濃いプログレの傑作だ。ジャケットのアートワークも生頼範義のイラストが素晴らしい。生頼さんといえば今話題のスターウォーズの日本ポスターイラストとかでも有名だけど、この当時は平井作品における重厚な絵画風アートワークが印象的だった。時代的にヤマハの最初期のマルチ・シーケンサーQX-1(当時48万!)の登場直前の作品で、この後打ち込みが音楽界を席捲していくだけに、難波さんの魂の手作業プログレの最後の雄たけびだったのかもしれない。難波さんもこの後QX-1を早速使うようになっちゃたしね。オイラも買ったけど(自爆)。余談:80年前後の日本プログレも知り合いの楽器屋に薦められてそれなりに聴いてはいたが、個人的に琴線にふれるもんが余り無かったなぁ。中にはボーカルの非力なバンドもあってゲンナリする事もあったよね。しかし、パス・レコードのユニークなバンド達やこのアルバムは今聴いても面白いね。パス関連って今は無きトリオレコードで配給されてて、トリオレコードはアキバはオノデンのビルに昔あったんだよなぁ。フリクションとか突然ダンボールとか良かったな。パスって今結構高くなってるレコード多いけど、CDでも復刻されてるね。ただパス閉鎖後の突然ダンボールとロル・コックスヒルの自主制作コラボなんか、今手に入らなくなってるから買っとけばよかった、ぬぬう。。。
Jul 14, 2005
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無論、各曲ごとに副題がいくつも付いて実は何曲も入っているように見せかけてはいるが、5曲なものは5曲(笑)。本人たちも後年語っているように、あくまでも印税を効率的に稼ぐ為の手段だった訳だったね。当時のライブは70年代の後半の海賊盤などで伝わるまで、日本ではほとんど聴かれていないサウンドだった。オリジナルラインナップクリムゾンの海賊盤は音質も悪かったが、当時は貴重な音に触れられて感動したもんだった。1STには収められなかった、ゲット・ゼイ・ベアリングやドロップ・イン、そして大幅に修正されて2枚目に入る火星。ムーンチャイルドの後半のフリーインプロを外してこれらの曲を入れると仮定しよう。どうだろう?やっぱ雰囲気合わないわな。悪い曲じゃないけどね。平原綾香さんっ!ジュピターの次はゼヒ同じホルストの惑星からマーズを(爆)「デンデンデデデデン!デンデンデデデデン!」[平原]<「歌えませんっっっっっ!!!」
Jul 12, 2005
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サーカスである。一昔前に日本のコーラスグループの「サーカス」が「サーカスというグループは世界に私たちしかいない」とイベントで発言し、プログレ仲間のスタッフ共々「少なくとも3つはあるよなぁw」とニヤリとしていたものだ。欧州の80年頃のバンドとインディのCIRKUS、そして今回取り上げるメル・コリンズがクリムゾン前に在籍していたCIRCUSだ。さてこのサーカス、70年代後期には2万程で取り引きされてはいたが、発売元がトラッド系で有名なトランスアトランティック。このメーカー、60年代の古いトラッド作品は末長く発売してくれたのだけどねぇ。ビニールコーティングされたジャケットは経年変化で材質がかなり変質しているので、良い状態のものが残っているとは思えない。現に3枚ほど買い替えたけど余り良くはない。盤もラッカーの質が余り良くはない。とはいえ、69年頃のライブシーンでかなり注目を浴びていたバンドだったのでLPにもその乗りが感じられる作りとなっている。プロデュースのレイ・シンガーがどういう経歴の持ち主なのかは分からないが、純然たるジャズロックとして制作していれば、もっと名盤扱いもされる作品にもなれたんだろうけどね。ちょびっとフォークロック調だとか混じった不思議な選曲となっている。いかにもライブの様な構成の演奏をそのまんま収音してオーヴァーダビングもほとんど無いようだ。同じ時期のイギンボトムもそうだが短時間に曲をどんどん録音したのか、定位や音像、バランスや音色等がほとんどどの曲も変わらない。なんだかんだいっても当時のジャズロックの息吹を伝える意味においては重要な作品である。日本を始め幾つかの国でCDでも復刻されているので、比較的手に入れ易いはず。当時のジャズロック系の中では実力はかなりのレベル。ただ、メルが発売直後にロバートにヘッドハンティングされて解散の憂き目に遭っちゃいましたけど(苦笑)。これを買った77年頃丁度同じ日のバーゲンにCIRKUSもあって「こっちの方もいいよ」「1万だけど7000でいいや」とか散々言われたが、こちらを聴くのはだいぶ後であった(爆)。だって、その頃あのLP知っている奴なんかエジソンの店員しか居なかったもん。
Jul 12, 2005
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脳内出血か。それにしてもこれからって時に。無念だったろうね。昔、新日本のエースだった彼の新テーマソングと歌のイベントを行った事があった。無論オイラは音響だったが。その後、ゼロワンの頃も天下一武道会の玉を載せる台の周り、竜文様の布の作り物はオイラが作ったんだ。あの時既に橋本はかなり危機的な状況だったんだね、今思えば。新日本をゴタゴタで辞めさせられて、、、あれは今思えばスケープゴートだったような。自身の理想郷とゼロワンがならずこれまた一人で去っていった。今度は現世からまでかよ。寂しすぎるぜ、橋本。まだまだ、勝負しなきゃならない相手が山ほどいるってのに。不摂生でもあったのだろうか?自分を追い込みすぎるレスラーだった。気が優しすぎたんだろうね。ご冥福をお祈りする。
Jul 11, 2005
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バンド活動だったのは前にもちろっと書いたけど、2年の時に宮殿や精神異常者をやった以降はバンドも編成を変え続け、3年の頭にはパープルもやっていたのに3年の後半にはGBDrにバイオリンの編成になりプログレ三昧へ。趣味趣味だったからね我ながら。中でもスターレスはホント演りたかった。だから海賊盤でデビッド・クロスのいたアムステルダム公演の音源を参考に演奏したな。音楽部の記録係が間違えてカセットの録音ボタンを押し間違えてくれたので、8ミリフィルムに音無しで微妙な映像が2分ほど残るのみであった(爆)。画像だけじゃなんだかわかんない。え?おまえは何を演奏していたのかって?貧乏でロクなギターも無かったのでドラムスをぶん殴っておりました。練習だけは中学の頃からしてたからね。練習はスティックの腿打ちが主でスタジオは仕上げの為だったよね、金欠高校生だもん。だから今でも太股に毛が生えないのだ。毎日毎日だったものね。とかく70年代は洋楽の譜面など演奏の情報が手に入りにくかった。音を拾うのは耳と汗しかなかったよね。クリムゾンの歴代ドラマーはみんな好きだったな。カール・パーマーも好きです。散々な言われ方する彼だけど、彼のリズムの変なところって大概何かやっていたりするから(笑)。Tシャツ脱いで裸になるとか、スティックを背中越しに放り投げるとか、立ち上がってツインバスとか映像が無いと単なるリズム音痴だよね。だから映像を見て(笑)。映像が無くて音が変だなと思ったら、きっと上半身裸になって何か企んでいるんだと思って(笑)。ELPの作品でのドラミングは、ホント良い練習になるよね。LPだと裸にならない分正確だからだいじょうぶだし(爆)。結構イイ運動になりますよ、カールのプレイスタイルって。痩せると思う、しかも激痩せ。皆さんの音楽活動歴ってどうなんでしょう?好きな曲って歌ったり演奏したくなりません?演奏するとより一層その曲の面白さや凄さを実感。多少技量的に無理したって演奏したくなりますよね(苦笑)。
Jul 11, 2005
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UKに繋がるジョン・ウェットンのプロデュース活動で重要な1枚。とはいうものの、当時完全に見落としてて実際に買ったのは2年後の日本盤中古だったから偉そうな事は言えませんが(自爆)。買った時は参加メンバーと内容に目を丸くして驚いたもんだ。このアルバム制作の当時の1976年といえば、ジョンがビルとリック・ウェイクマンのトリオが頓挫したりしたり自身のバンド構想に苦戦していた頃でありましたな。ある意味このダンカン・マッケイという卓越したキーボード奏者のアルバム制作をした事が、UKへの大きな布石になったともいえる作りとなっている。何せ参加メンバーも曲者揃いだしね(笑)。凄腕クライブ・チャーマンに千手観音アンドリュー・マクローチのリズム隊ですよ♪そら壮絶です。だから後のUKの1STよりも激しい手数なんである。UKでこれくらいの手数となるとやっぱ2NDになるしね(笑)。無論、ダンカンの所属していたコックニー・レベルのスティーヴ・ハーレイやイヴォンヌ・キーリーもセクシーな声を提供しているし、ジョン・ウェットンのヴォーカルやメル・コリンズのクリムゾンチックなフルートも入っている。ダンカン・マッケイと言う人はイギリス生まれの南アフリカ育ちで元々ジャズ畑のひとだったらしく、好きなミュージシャンにキース・エマーソンを挙げるのも同じジャズ出身というシンパシーもあるのかもしれない。LPのサウンド的にはELPのキースのプレイを彷彿とさせる煌びやかなピアノに閃光の如きパッセージのオルガンやシンセが華やか。ただ使用しているシンセはローランド(当時だと初期のモノシンセであろう)とアープ各種。ダンカン自体どれほどプログレファンから認知されているのか判らないが、コックニーの後にもケイト・ブッシュ、10CC、アラン・パーソンズ、リンダ・ルイズ(!)、キャメル等、その足跡はなかなかのキャリアとなっている。実力も作編曲能力もかなりのもんである。実際どうなんだろう?76~77年あたりのジョンとビルのバンド構想(クリムゾンの復興)がUKへ行き着くまでに、このLPも一種のプロトタイプとして聴くことも出来るんじゃないかな?そういう意味では、エイジア前のジョンの「クロスファイアー」やフォリナー前のマクドナルドの参加した「イアン・ロイド」と等しく捉える事も出来ると思うのだが。UKやエイジアはもちろん、ジョンのファンなら聞いて損はない、はず(笑)。フループの項追伸:前回取り上げた、フループ4TH。マクドナルドの哀愁のサックスプレイがお好きな方にはおすすめでござる。Fruuppとは彼らのリハーサルに現れた幽霊の愛称から来ている。当時はジェネシス並みのシアトリカルなステージが話題だったらしいが、今となっては知るすでもない。(プログレ以外で取り上げているLP等はホームよりご覧ください。)
Jul 10, 2005
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激しい発作でダウン。夜に掛りつけの医者に駆け込むはめに。調剤薬局も閉店だったが、帰宅前だったので薬を病院まで届けてくれた。ほんと騒がせてしまい恐縮するばかり。重ねて20日も仕事を離れてるのでもう会社からも連絡無くなった(核爆)。さて、どうしたもんかな(笑)。寝よう。他に手はない。金も無いしね。
Jul 9, 2005
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すみません、70年代とかいってて69年のLPです。一部で70年とか紹介している所もあるけど69年です念の為。フレミングユースといえば、まずフィル・コリンズのミュージシャン・デビューのバンドとして知られているよね。オイラみたいなぷろぐれ者にとってはジャクソンハイツの名キーボード、ブライアン・チャットンの在籍も魅力だ。音楽性はジェネシスのデッカでのデビュー盤よろしく、こちらもポップバンドの色合いが強い。曲は悪く無いっすよ。ガ~イドミ~オリ~オ~ン♪なんて今でも歌を覚えているくらいだからね。ただ、LPの見開き&カラー樹脂の変形ジャケットが変に凝ったステンドグラス風な作りなので見た目で妙に期待しちゃうけどね。ただこの変形が災いして、傷み易いLPなんである。もし貴方が状態のいいLPをもっていたならそれは非常にラッキー。ほんと折れ易いジャケットで保存に苦労したなぁ。売っちゃいましたけどね、だいぶ前に。今カセットに音が残ってるだけだ。90年代以降いくつかの国でCD化されているみたいだけど、LP起こしのもあるそうだ。興味のある方はどうぞ。名盤というつもりもありません。歴史の記録として重要な作品だけどね。なんてったってフィル・コリンズが肩まであるストレートのロングヘアーだなんて、、、今じゃ見られませんものね。検索かけると海外のサイトで欧州盤とかの写真で別の写真とかも見られる。
Jul 8, 2005
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「純情部隊」という古い映画をやっていた。昨日の「怒れ!力道山」が、プロレスラー力道山を描いた映画だったのに対し、「純情部隊」の役柄はホノボノとした人の良い力士出身の二等兵役。終戦前後の苦労を乗り越え、ラストはいよいよプロレスの大一番になる。で、その相手が柔道7段の猛者。いわゆる異種格闘技戦だね。無論映画の世界ではあるが、その試合展開はさすがに力道山。結構アツイ。ゴングが鳴り響き試合が始まると柔道家は素早い片足タックル。リングに力道を引き倒すと腕をテコにした執拗極まるレッグロック。何とか腕を取り腕ひしぎで切り替えそうと試みるが、絶妙なグラウンドコントロールでレッグロックに囚われたまま。どうにかロープ際で立ち上がろうとすると今度は膝裏へのローキックの連打でまたもや倒されてしまう力道山。ロープ際、柔道家の猛烈なストンピング&トーキックの嵐。逃げようとすればたちまち素早く投げられ、またもローキック&ストンピング。もがき苦しむ力道。ロープ際の攻防の為何度もブレイクを命じるレフリー九州山。ほんの一瞬の隙、力道山の猛烈なスピアーが一閃!柔道家をすっ飛ばす。次々と投げ飛ばし、勢い良く抱え上げバックブリーカー。ふらりと立ち上がった相手に力道山の放った猛烈な必殺技は!?なんと「フロント・ネック・チャンスリー・ドロップ」であった。スゴイね。グロッキーになった柔道家に空手チョップの嵐!遂に柔道家はダウン。10カウントで勝負は決した。映画とは言え、見事な試合運び。無論映画なので演出だが、良く出来ている。劇中力道山に対し「プロレスなんぞどうせ八百長」というセリフが浴びせられるが、力道山の「わしらはいつでも真剣勝負なんです」と懸命に訴えかける姿がプロレス者の心に深く響くそんな作品だ。映画の中の特訓シーンを見れば判る。プロレス好きならね。
Jul 8, 2005
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70年代はアイルランドのグループなのはプログレ者なら知る所だろう。中でもこの4TH、イアン・マクドナルドの関わりも手伝ってか妙にロングセラーだったと記憶している。フループの1~3枚目はとうに日本盤LPも廃盤になっているのに、これだけは長い間レコードが販売されていた。オイラもこの4枚目の持つ何ともいえない独特な感じが気になって、70年代後半に他の3枚も買い集めて聴きまくったもんだった。いやほんと、何とも形容しがたい物があるんだなぁ。イアン・マクドナルドも後年のインタビューで「フループと言うバンドは、チューニングもまともに出来ないような酷い楽器を使ってて参った」散々愚痴をこぼしていたが、それでもプロデューサーとしてこのバンドの持つ不思議な魅力を充分に押し出す役割を果たしている。キャメルとも違うんだなぁ。ジェネシスでもない。こればかりは彼ら独自の世界。決して巧くは無い。だけど、いつも惹かれる。紙ジャケCDとかも出ていたそうですな。よくしらんけど(笑)。LPあるからいいや♪余談:ちなみに当時日本盤LPはテイチクから販売されており、当時のテイチクといえば貴方!ドイツのブレイン・レーベルを結構出しておりましたな。ノイ、スコーピオンズ、ノヴァリス、ジェーン、バース・コントロール、グローブ・シュニット等。でもまあ、マニアックなラインナップは出なかったね。期待したんだけどなぁ、特にリチャード・パーマー・ジェイムスのいたエマージェンシーなんかを。結局、ドイツ盤でブレインの2枚は買ったけどねぇ。
Jul 7, 2005
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一応MJ(マイティジャック)には繋がります(笑)。午後1時から「怒れ!力道山」というかなり昔の映画がやっていた。ホントは録画するつもりだったが、撮り損なって1時ちょい過ぎから見た。レスリングの練習シーンや試合のシーンはかなり気合の入ったシュートな展開。外人レスラーの練習シーンの相手も相当の受けの名手だ。じゃなきゃ大怪我する。古い時代のレスラー達が今と比べて劣っている訳でもなく、ただ単に時代的な違いだけだと思う。力道山の技も見た目の派手さ以外にも実はかっちりとした基本に忠実なムーブが素晴らしい。仰向けの相手に上四方からドラゴンスリーパーの体勢に一旦入った瞬間はドキっとしたもんだ。話は戦後10年ちょっとの頃の話、戦災のためか障害を抱えた子供たちの施設の話が中心となる。展開的にはタイガーマスクの元ネタ的な話ですな。後半、施設を食い物にしようとする政治家一味に睨まれて罠をかけられる力道山。新聞記者を語るニセ電話で横浜の敵のクラブにまんまとおびき出されてしまう。クラブに入ると軽快なジャズのサウンドがここぞとばかりに鳴り響く♪ん?なんかこのバンド異常に巧すぎる!良く見ると、、、そうだ!これが戦後のジャズシーンの先頭を走っていた人気バンド「南廣とザ・サウスメン」の幻の映像なのかもしれない。サウスメンの人気が頂点だったのが1951~52年。この映画が1956年。南さんの俳優デビューは58年からだけに、この映像はミュージシャン時代の貴重なものと言えるだろうね。マイティジャックの後期「戦え!マイティジャック」の中でもドラムスの華麗なスティックさばきを見せてくれてはいたけど、人気バンドのリーダーだった当時の映像はナカナカないものね。この後大乱闘シーン、力道山の身体を張りすぎるアクションが物凄い。レンガ作りのパーテーションぶっ壊しちゃうんだから。作り物じゃない本物の如何にも重そうな植木鉢振り回すし(爆)。最後の試合シーンもこれまた痛そうな殴り合いである。ホント力道山の動きは今見てもスゴイと(いやその時代は生まれていなかったんですけどねw)。
Jul 7, 2005
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前回に引き続きブリン・ハワーズ。ブリンの通算4枚目はキープ・ザ・ボール・ローリング。これもかなり聴きまくったLPだ。1979年のこの頃になるとA&M移籍の前作グランドアライバルの高評価もあって、発売時には輸入盤店の店頭でも新入荷で並んでいたりしたなぁ。オイラもお茶の水で見かけて即買いました。前3枚と比べるとかなりAOR寄りとも言われているが、どうだろう?実際曲の作りとか基本は変わってはいないように思えるんだけど。ただ表面的には楽器の編成などがよりモダンなアプローチになってるからそう感じるんだろうね。1曲目のタイトル曲クリフ・リチャードとのデュエットから始まり、ほんとどの曲も聞くほどに染み入る味わい。2曲目のファースト・タイム、ドラマティックで耳で聞く純愛ストーリーてな純真な歌だ。3曲目レット・ミー・ラヴ・ユー、本来の彼らしくしっとりと聴かせ、4曲目スタンディング・オン・ザ・ロックへ。ストレートながら芯の太い曲の良さとコーラスワークが光る。5曲目、シティ・ボーイ。この曲を良く聴いていた80年代初頭、大竹まこと達のシティ・ボーイズがTVとかで出始めてちょいと曲の印象が(爆)。徐々にオーケストラ共々盛り上がっていくLPのA面を締めくくる名曲。B面の1曲目、パーティ ガール。ギターの弾き語りのブルージーかつお茶目な小品。この手の演奏に何気にテクニックの凄さが際立つんですな。B2曲目、ラグジュアリー・ライナー。またもクリフとのデュエットやコーラスが楽しい。B3曲目アンチェインド・メロディ、あの超名曲をブリンの7色の超絶スライドプレーが千変万化の素晴らしいインストナンバーへと昇華させている。一部の評論じゃこの曲を「駄作」扱いしているのもあるが、とんでもねぇ!耳腐ってんじゃねぇか?!とオイラは断言する(笑)。ギター弾く人間ならより一層感動物の名演である。冗談言っちゃいけねぇぜ。B4曲目アナンプロイメント・ブルーズ、彼が傾倒するゴスペルの色合いがこの頃より出てくる象徴的な曲。ラストナンバー、ワーキング・フォー・ラブ。ノリとテンポの良い軽快で明るいナンバー。クリス・ステイントンやメル・コリンズ、ピート・ウィングフィールド等名うてのミュージシャンのタイトに引き締まった演奏も耳に心地よい。ジャケットはギターをボーリングのレーンに見立て、ビル群がピンになっているいかにも70年代のエアブラシ技法のイラスト。裏面には本作のネーム入りサテンジャケットを羽織ったブリンがボーリングをいかにも今せんとするところの写真。復刻CDも出ているとのことなので、わざわざ高額なLPを探すまでもない。追伸:前回に紹介したブリンの2作目であるが、1作目との 2 IN ONE CDとして出ているそうだ。
Jul 5, 2005
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知る人ぞ知る英国名ギタリストだ。ブリンと読むのかブラインと読むのか相変わらず読み方不明(笑)。フラ・ディ・リーズと言う60年代中期のモッズ系らしきバンドに途中から加わり後にクリムゾンに参加するゴードン・ハスケル共々サイケな演奏で頭角を現した。脱退後、ウルフギャングに参加するがその際の曲が後年ソロアルバムにも入っているそうだ。70年代のブリンの活動はセッション(Chris de Burgh, Joan Armatrading, Gerry Rafferty, Ian Mathews, Cliff Richard,他)やサポート(Traffic, Bad Company, Gallagher & Lyle, Fairport Convention)だったようだ。74年にアイランドよりLet The Days Go Byという1stソロアルバムを出す。アコースティックを印象的に使う繊細な作りが心地よい。そしてこのSunny Side Of The Street(1975)。ブルーズからフォークまで幅広い選曲と確かな演奏、彼自身の上品な色気のあるアルトヴォイス。スライドギターもオートハープの音色も絶品だ。表題曲の大胆なアレンジも軽快でおもしろいが、B面2曲目のHeaven knowsの息が詰まるほどの天上のサウンドも極上。70年代このアルバムは極少数の輸入レコード店員なんかが割とプッシュしていたけど、実際どれだけ売れたんだろう?もし、死んだとき天国に好きなアルバム3枚持って行けるとなったら、まずこれを最初に入れる。そのくらい好きだ。この後A&Mに移り発表する78年のGrand Arrivalも79年のKeep The Ball Rollingも今となっては高額で取り引きされるほどだし、確かに素晴らしいアルバムだ。だけどこの75年の手作り感たっぷりなアルバム。ほんと良いアルバムです。近年は教会での演奏や布教スピーチなどでお元気なようである。無名だけどA&Mのベスト50LPにしっかりと名を刻む名アーチスト。そもそもA&M自体、ミュージシャンに力量無ければ契約できないレーベルですものね。3RD以降のA&Mでのと比べるとアイランド時代のソロアルバムは枚数国内に入ってきていたので、今でも安く買えそうに思えるのだけど。。。どうなんだろう?まあ、さっさとCD化して欲しいもんだ。A&M以降のはCD出ているんだからね♪かれこれ28年前にLP買ったけど、そろそろこちらは保存用にしたいもんね♪
Jul 3, 2005
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気になる存在だったけど、70年代に聞いたのは4thのMoonbathingのみだった。しかも売っちゃっているから今手元に無い。以前グリーンスレイドの項でレディングフェスティバル'73のLPを取り上げたが、あの中にレズリーのライブも収められていて以降気になる存在になったんだったなぁ。日本盤でも彼女のLPは割と出ていたから余り積極的に買おうとしなかったのかもしれない。いいシンガーだよね。初期のジャケットの表情もスゴク良い。ナチュラルな笑顔の美しさが素晴らしい。セッションでヴォーカルもしているのでアラン・パーソンズ・プロジェクトのイヴやピンク・フロイドの狂気やエルトン・ジョン等のヒット作で何気に貴方も彼女の美声に触れているかもしれない。ほんと今でも初期のアルバム聴きたいけど。CDでも再発されてるそうだし。しかし、ちとまだ病気直後で財布がねぇ。。。。。さびしい限り。Lesley Duncan で検索すれば彼女の貴重な60年代以降のサウンドを聴くことの出来るオフィシャルサイトがすぐ判る。
Jul 2, 2005
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いつものことだが、他の人がほっといても紹介する作品はそちらにお任せして、へそ曲がりプログレ者のお気に入りだけど有名じゃないよ作品である。70年代には日本盤でもかなりLPが発売されてもいた超個性派グループ、インクレディブル・ストリング・バンド(ISB)でも中心人物であったマイク・ヘロン。オイラも昔の日本盤で結構面白く拝聴もした。その後76年からは自身のバンド「ヘロン(ブロンズレコードと契約時にバンド名を短くしてこれにした)」を結成するが地味ながらも味のあるサウンドは本国でも余り売れなかったようだ。79年彼の持ち味である個性的なポップ感覚をかなりモダンに展開した本作・ソロアルバムが発売された。メル・コリンズやゲヴィン・ブライヤーズら多くのスタジオ系ミュージシャンが起用されてはいるが以前のバンドの盟友フランク・アッシャーも参加している。ケヴィン・エアーズの70年代に置ける日本の同時代のリアル・ファンだった人が当時5000人と推定されてはいたが、このマイク・ヘロンはどうなんだろう?独特なサウンドで注目を浴びた70年代初頭と違い本作は79年だ。ただ、アチラではCD化もなされており彼の根強い人気をあらわしてはいる。輸入盤レビューでも一部では取り上げられてはいたがジャケットも地味だしね。ただ言っておこう、、、サウンドはかなりの美味♪レコーディングも丁寧な作りで聞きごたえ充分。日本ではアメリカのカサブランカレコード(エンジェルとかで有名だよね)の米盤が当時割と入っていたので輸入盤店で見かけたもんだ。いやアルバム全体通じてクオリティの高いLPって有りそうで結構少ないからね。名盤とか言われているLPでも1枚通じて出来が良いかというとそうでもないというのはピーター・ガブリエルがソロ活動を始めた頃に言った迷言(?)であったが、この作品はその点健闘している。まあ、だから未だに手元に置いているんですけどね(笑)。あちらでCD化されている物が日本に入っているかは不明。LPもあちらのオークションで10ドル程度。だからといって甘く見ないように(爆)。
Jul 1, 2005
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