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中心メンバーのクリスとグレンがバンドを結成したのは74年。ルー大柴チックなキャラが面白かったジュールズ等が加わり、ポリスのスチュワート・コープランドの兄のマネージメントやジョン・ケイルのサポートでシングルデビューしたのは77年だった。メンバーの離脱や活動の休止、再結成やレコード会社の移籍等様々な紆余曲折を経て、デビュー14年目に発表された通算9枚目のスクィーズのアルバム「プレイ」。これほど贅肉をぎりぎりまで削ぎ落として歌が主人公でいられる音楽が孤高ささえ感じさせる作品。5曲目のザ・トゥルースの切ない響きはまさにその究極の形と言えるかもしれない。79年の2NDのクール・フォー・キャッツの頃のアップ・ジャンクション等の持っていた音楽性とは決して本質的には変わっていないのだけど、サウンドの作りはベテランらしく壷を押さえ心憎ささえ感じるほどに。久しぶりに聴くとホント気持ち良かった♪
Aug 31, 2005
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英国では絶大な人気があったロックバンドのスクィーズも日本では思ったほどの人気はなかなか得られなかったね。デビューは70年代後半人気のあったエルビス・コステロ等パブロック系の流れの中でも割と地味な扱いを日本ではされていたように記憶している。私も最初に聞いたのは渋谷陽一氏のNHKFMの番組でのライブ中継だった。もちろんすぐにLP買ったりして聴きまくったなぁ。私事ながら80年に自分の関わっていたバンドで女性をヴォーカルに迎える計画があった時、かなりスクィーズやブロンディのサウンドを参考にしたものだった。グレン・ティルブルックとクリス・ディフォードのソングライティング・チームは英国では10年余りにわたりソングライター人気投票1位を得たある意味レノン/マッカートニーよりも長期にわたり支持を受け続けた実績もあるんだよね。決して派手さを売りにするバンドではなかったが、独特のメロディラインと甘酸っぱさを感じさせる歌声、なにより時代に左右されるようなサウンドじゃないよね。初期のパワフルなワクワクするのも好きだけど、80年代後半の再結成後のじっくりと聴かせるアルバムもいいよね。
Aug 30, 2005
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高尾山、都心に近い割には日本で有数の野鳥の宝庫として古くから親しまれているね。戦前から自然保護活動を行っていた野鳥の会の創始者・中西悟堂さんの超人的な活動を描いた書籍でも文人、俳人、画家等文化人らと高尾の自然を味わう様が描かれていたなぁ。実は軽井沢を始めとしたの開発による自然破壊の問題は戦前の昭和初期あたりに既にあったそうだ。近年、高尾の自然破壊に対し問題提起がなされているが、一部の保護活動をないがしろにしかねない問題になっているのが今日のNHKニュースでも伝えられた圏央道やらのコースになっている高尾山へのトンネル問題。トンネルっつても大規模工事だけに作る時も出来た後もその及ぼす影響は甚大な物になるんだろうね。選挙に隠れがちな問題だけど、これって結構やばい。ようするに地価が高い市街地を避ける為に日本有数の天然の自然をぶっ壊してもかまわんという前時代的開発そのものじゃない?国敗れて山河あり とは昔言ったけど国栄えて山河無し じゃ将来の子孫が可哀相だと思わない?それもたかだか開発期間の業者がせいぜい潤うくらいの短い儲けでだよ。自然の持つ目にみえない私たちへの恵み、その貢献の大きさ。忘れちゃいけないよね。選挙も近いしこんなこともたまにつぶやいてみるwww柄じゃないけどね。
Aug 29, 2005
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と、うなされそうな事をついつい口走る程ですが、今日は湿度も温度も少し穏やかに感じられましたね。とは言うものの70年代にこれほどの暑さになった夏は78年くらいだし、なおかつ熱帯夜がそれほど長くなかった。関東でも気温の高い熊谷あたりも夜の気温は今でも東京区部よりは低い。まあ、夜に外を歩くとあちこちの家々の室外機から温風を吹き付けられますからねぇ、仕方ない。8月頭にクーラーが壊れたけど、なんとかなったから身体の適応能力も馬鹿に出来ないわな。でも、やっぱ来年はクーラー買わなくちゃだわ。
Aug 29, 2005
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愛してる他に何も言える物が無いでも愛してる
Aug 28, 2005
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電車を見ると飛び込みたくなる。しませんよ、お金たくさん請求されるそうだから(笑)だが仕事でマンションの屋上に居ると走って飛び出したくなる。ポーンってね♪休日の度にどんどん滅入っていくんです。さあてどうしたもんだか(自爆)
Aug 28, 2005
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いきなり体温が下がってきた物凄く気分が悪くなってしまい夕方まで寝込む羽目にかなり滅入るまたもまともな連絡がとれないままもう死んじゃえとでもいってるのかいな
Aug 27, 2005
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当日になっても予定がわからないなんてあんまりだ!!土曜日はいつもサイテー毎週とことんブルーにしてくれる土曜日8月の毎週土曜日を休みになんてするんじゃなかった!重鎮だかなんかしらんけど、私には一人しかいないんだからあちらを辞めた意味がわかってもらえないなら、こちらも辞めるかぜーんぶやめるかぁ。ぜーんぶwww。頭痛いね。
Aug 27, 2005
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ビートルズのハンブルグ時代からデビュー直前までの経緯を本人と当時の友人たちの証言で振り返っていた。面白いのはペースメーカーズとか他のグループの連中の証言では「ピートのドラムは最高」とか「バスドラの音が良かった」とかピートの擁護発言が多かった事。ただ、肝心の当時の音はトニーシェリダン関連やスタークラブ音源やらオーディション音源くらいで他は当時の他のグループが演奏した楽曲が使われていたので、知らない人は勘違いしそうな構成だったのが妙に気に掛る。番組の終盤でピート自身が驚いた事にアンソロジーに在籍時の曲が10曲収められている事に対し、嬉しいような寂しいような複雑な顔をしていたのが印象的だった。番組ではビートルズを辞めさせられた後の63年に出演したマニアならご存知のTV番組を取り上げてたのがより一層痛々しさを浮き上がらせていたね。再デビュした60年代中期には彼もリーゼントをさすがにやめている。あと、ショックだったのはいまだに他のビートルズメンバーから「その後一度も連絡が無い」とのことである。アンソロジーにピートのプレイを収録したくらいだからてっきりもう関係修復しているのだとばかり思っていたが。。。この番組で面白かったのは、ロッキンベリーズやサーチャーズ等当時の共演していた他のバンドの証言。中でも後にクォーターマス等で活躍したベテランのジョン・ガスタフソン(番組ではジョニーとでていたが)が当時いたデッカ・レコード所属のビック・スリーのメンバーとして証言をしていたのにビックリしたわ。イエスのジョン・アンダーソンやクリムゾンのイアン・ウォーレスのいた「ウォーリアーズ」が64年頃にデッカからデビューしているが、ジョン・ガスタフソンみたいにメジャー・デビュー前のビートルズと同じステージでツアーしたというのは後のプログレ勢でも珍しいよね。ただ最近の彼の顔はすっかり英国叔父様な雰囲気でクォーターマスの頃のような野生味は微塵もなかったけどwで、ピートの演奏なのだが彼の頑固さが音にもファッションにも色濃いのはご存知の通り。彼の母親のバンドへの貢献と介入という二律背反も事実。やはりいずれバンドを追われる運命だったのかも。。。彼の演奏に参加したラヴ・ミー・ドゥは、ちと内容が厳しいよねぇ。実際、プロデューサーサイドからの注文にもカチンときたとか言ってたし。現在、音楽活動を再開させている彼のバンドが後期ビートルズ風の演奏を繰り広げているのが何とも言えない。長年の苦労のせいか音楽的に裾野の広さを感じさせるだけに。
Aug 27, 2005
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午後からの東京の暑さ、結局名古屋以西とかと変わらぬほど気温も上がり湿気もたんまり。風も止んだので大汗かいたね。しかも今日に限って洗濯出来ない為に冬服で仕事(自爆)。今年の残暑は去年以上になりそうだから熱中症だけには注意しないとね。
Aug 26, 2005
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昔、放送したクリムゾンの空耳を思い出した。ムーンチャイルドの歌いはじめが「カラム~チョ~♪」と聞こえると言うやつだったね。クリムゾンの曲って空耳ありそうでなかなか無いな。
Aug 26, 2005
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さて、イアンやピートらの語ったインタビュー等から構成した前回までの話を読み返してみると少々時系列がわかりにくい上に、本人たち自身の立場での発言からのせいかいささか分かり難い。GGFに対する「取るに足らないバンド」といった評価が音楽誌で紹介され始めたのは、シングル「ワン・イン・ア・ミリオン」の出る直前の68年の6月から。イアンとジュディが入るのは実はこの頃の事でデッカからLPが出る3ケ月程前。「風に語りて」をイアンはインフィニティ時代の作品というが、ピート・シンフィールドは「GGFとのリハーサル時に書き上げたものでジョン・レノンの影響がある」と言っている。数曲のデモレコーディングをフリップ宅で制作し、1月程でジュディは脱退している。9月LP発売。10月にシングル「サースディ・モーニング」のイアンによるオーバーダビングしたテイクが発売される。「ドロップ・イン」は既にこの頃までにデモ録音されている。11月BBCテレビショーの直前のセッションでフリップとマイケルによりバンドの目指す方向性とメインヴォーカル強化が考えられる。フリップかピーター・ジャイルズのパートはグレッグ・レイクが入れ替わるとの提案がマイケルとイアンよりなされ、結果ピーターに伝えられた。その月末にBBCカラー・ミー・ポップ放映を見たデヴィッド・エンソーベンとジョン・ゲイドンの関心を引き、翌年1月末よりのマネージメントへと繋がる。一方ピーターはバンドを抜ける。月が変わり12月、バンドは新たな展開にむけて動き出す。グレッグはロンドンに移住し、フリップは叔父からの借金でメロトロン等機材を購入、マイケルのドラムセットも新調。ピートの宮殿の詩にイアンの曲が完成し、それはバンドの名称にまで発展する。69年の1月13日からのキングクリムゾンとしてのリハーサルにおいて、ピートの言うグリーク・ジョージ近くの牢獄のような地下室とは、彼特有の持って回った言い回しでフルハム・パレス・カフェの地下の事を差している。この場所の使用に付いては脱退したピーターとジョージ・カラチコスの好意だった。下手なギターを抱え込んでピートが21世紀の精神異常者のアイディアを練りはじめたのはこの頃。元々はディランの影響があってミスター・タンブリン・マン風の作りだったのだが、近くの公園を苛々しながら散歩したりするうちにベトナム戦争への怒りが次第に詩に変調を与え、バンドの前衛ジャズ的解釈も手伝いメンバー全員の力で大いなる変貌を遂げる。また「エピタフ」の詩の原形は、ピートがバンドに関わる遥か以前からあったらしい。ムーンチャイルドはバンドの全員でスタジオで作り上げられたというが、マイケルの好きなドノバンの影響かフォークっぽい曲調から発展した。バンドは入念にリハーサルを重ね、公開リハーサルの形をとりパブリシティ狙いで客を入れるようになるのは半月程後の1月も終わりの頃からとなったのだった。
Aug 25, 2005
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イアンとピートのコンビがGGFの3人と顔合わせする頃、グループは元フェアポートのジュディ・ダイブルをヴォーカルにしようとしていたのは、ファンならご存知な所。イアンと付き合っていたとか言う噂もあったが、イアン自身は「ジュディはプロになる気がなさそうだった」と述べ、彼女の脱退は居心地の悪さからだと説明している。実はこの時点、イアンとピートの合流時点でまだ曲の方は完成していなかったが、クリムゾンキングの宮殿の歌詞の大半をピートは書いてあったと述べている。GGFとイアンらの合流の頃のサウンドは、クリムゾンの最初のベスト盤LP2枚組での「風に語りて(ジュディ・ダイブル、メインヴォーカルヴァージョン)」や近年発売されたGGFの未発表音源CDでもその過程を確認できる。ピート・シンフィールドの回想よると、「GGFのLPでの無愛想で奇妙な点を解消すべく」合体後ひと月程してグループはいよいよ本物のヴォーカリストを入れる必要に迫られていた。子供の頃、ロバート・フリップと同じギター教室に通っていた旧友でユーライアヒープの前身バンド「ゴッズ」にいたグレッグ・レイク招かれたのは、その天使のように歌えるという点にあったとの事である。イアンによると「グレッグが適任という事で即決したので、オーディションとかしなかった。」ただ、バンドをヴァージョンアップしたがっていたピーター・ジャイルズはグレッグの加入でバンドから弾き出される羽目になってしまったのだった。バンドにベースは2人いらないと言う理由からである。とほほ。そして69年の1月から偉大なる化学変化はフルハム・パレス・ロードのカフェ「グリーク・ジョージ」近くの牢獄のような地下室でのリハーサルから徐々に姿を現すのだが、当初のリハーサルはビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」やらジョニ・ミッチェルの歌の変わったヴァージョン等手探り状態から始まったと言われている。丁度、イアンが宮殿のメロディを書き上げたのもこの頃だったのだ。程なくお茶汲みや作詞でバンドに貢献していたピートにより「他の反対を押し切って」バンドの名前がキングクリムゾンになるのだった。この伝説の礎となった2ヶ月のリハーサルを後にバンドに関わる事になる友人たちはこう述べている。ジョン・ウェットン「GGFやリーグ・オブ・ジェントルメンが別の物になろうとしている雰囲気を感じた」。ゴードン・ハスケル「好きじゃなかった」。嫌いだったのかよ(笑)。
Aug 24, 2005
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今日から少しの間、あのレコード店で良い子達を泣かしたり怖がらせたピートの友人の今は亡きバリーの自画像が不気味な永遠の名盤クリムゾンキングの宮殿までの道のりをたどってみよう~♪(前振りが長いって)ドーセットで音楽キャリアを積み猛練習でとてつもなく演奏力を高めたマイケル&ピートのジャイルズ兄弟は、地元の新聞に求人広告を出したのだ。「オルガン奏者を求む」と時はアートの香りの溢れる音楽の変革期、彼らの目指していたのもそんな音楽だったのかもしれない。そしてその男はやってきた。春の陽光にも顔色の悪いモジャモジャ頭がリハーサルに現れたのである。「オルガンは弾けないけど、ギターなら弾けます」兄弟の目が点になったのは言うまでもない。ところがリハが始まるとあっという間に意気投合したからわからないものだ。その日のうちにジャイルズ・ジャイルズ&フリップの一丁あがり♪やがて、デッカでレコードを作りデビューしたがコメディじみたジャケット、曲間のショートコント、宣伝写真のマルクス兄弟のようなお馬鹿な写真(特にフリップ)もあってか、テクニックはあるのに訳のわからない変なバンドとしか世間的には見られなかった。その頃、軍隊から除隊し英国に帰国したばかりの性格が飛び切り臆病なイアンは、ピート・シンフィールドとインフィニティというフォークバンドを組んだのだけど、それは極々短期間だけでグループとしては活動も無かった。ただ2人で風に語りてやアンダー・ザ・スカイ等曲をいくつか書き貯めただけ。演奏したいけどどうにもならないバンドに見切りを付けた2人は、メロディメーカーの新聞広告を通じてジャイルズ兄弟とモジャモジャ頭と知り合う事となった♪ピート・ジャイルズからバンドをヴァージョンアップしたいから一度会ってみないかと誘われて。。。
Aug 23, 2005
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キース来日記念での発売と言う事で1STアルバムを紹介していた。ついでに86年のコージー・パウエル加入時のバンドも「強引にELPにした」と書いてあったが、あれはご存知のようにあくまでもエマーソン・レイク&パウエルですよね♪カールの訴えでELPの商標はPがパーマーじゃないとだめだったと当時の記事で読んだ記憶があるのだけど(笑)。とは言えコージーのいた時のアルバムは長く新日本プロレス中継のオープニングとかで使われていたから、これはこれで力感溢れる作品でしたよねぇ。
Aug 23, 2005
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今年も暑い。去年みたいに東京で40度くらいにまで上がる事はないけど。実は今年の8月の平均気温、去年を上回る勢いらしい。去年はお盆過ぎから少し暑さもやわらいだもの。特に今日はホント参った。頭痛い。昼寝しなくちゃだわ。
Aug 21, 2005
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誰にでもあると思う。「あれー?どこしまったんだか忘れちゃったよう」77年位にヤマハの池袋東ショップ(今は無い)に学校帰りに通いつめ、アープやらムーグやら色々と見たり触ったりしたものだった(ちなみにコルグやローランドといった国産シンセはデパートのエレクトーンコーナーのエレクトーンの上などに置いてあったのでそちらで触っていた(笑))。その頃にムーグのカタログとかを貰ったんだけど、今なかなか見つからない。カタログと共にムーグのステッカー(たぶん75年頃のだと思った)もあったはずだけど、これまた出てこない。今思い出しても手書きのロゴが歪んでて安っぽい作りのステッカーだった。でも貴重だよね。見つかればの話ですけどね(汗)。
Aug 21, 2005
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お盆も過ぎたというのに35度前後の猛暑の中、皆様いかがお過ごしでしょうか?この酷暑を忘れさせてくれる、、、かもしれない涼しいサウンドをご紹介♪前作のブレスレスから1年半、またもや大幅なメンバーチェンジをしたキャメルが発表したアルバム(邦題:リモートロマンス。80年ツアーの来日記念盤でもあった)。ブレスレスツアーの時はメンバー6人中元キャラバンが3人という顔ぶれだったが(ライブアンコールでウェザーリポートのナンバーをやったりしていた)、このアルバムでは新メンバーの一人、ヤン・シェルハース(keyb)がまたもやキャラバン経験者である。内容的には1曲目の「ウェイト」といい2曲目の「奇妙な愛」といいツインキーボードを生かしたイキのイイかなりキャッチーでポップなナンバーが並んでいるし、当時のテクノポップ風味を加味した「リモートロマンス」という曲も入っている。前回来日時「私はキャメルの正式メンバーではない」とライナー等の記述を否定したメル・コリンズは今作では2曲目のみサックスで参加、ツアーでのフルートパートは新メンバーのキット・ワトキンス(keyb)とリーダーのラティマーがデュオで演奏していた。新メンバー、ベースのコリン・ベースは、いくつかのブルーズバンドで音楽活動を始め72年から76年頃まで英国でLPを2枚発表していたクランシーというパブロック系のバンドで活動していた。その後デリバリーでも知られるキャロル・グリムスやスティーブ・ヒレッジとツアーを行っていた。キャメルへの参加もヒレッジのマネージャの紹介であったという事だ。ライブでもそうであったが実力的にかなりしっかりしたテクニックで歌唱力も実はアンドリュー・ラティマーよりあったりする。来日ステージではベースアンプのトラブルで時たまアンプを蹴飛ばしながら苦笑しつつ演奏、遂には演奏を止めてしっかりと5分ほどかけて直していたのが印象的だった(笑)。その間メンバーが色々としゃべりや楽器の小ネタで場を取り繕っていたなぁ。そしてこのアルバムでの売りともなっているツイン・キーボードまずヤン・シェルハース、70年代始め後にユーライアヒープに加わるリー・カースレイクと共にナショナルヘッドバンドで足跡を残している。キャラバン加入前にはゲイリームーアバンドでグライディング・ストーン(1973)というLPにも参加していた。スタイル的にはムーディでソロの掛け合いでもモジュレーションやベンディングを多用した良く歌うサウンドが特徴だった。もうひとりはECMジャズやプログレ大好きキーボード、キット・ワトキンス。両親も姉もクラシック音楽家の一家で育ち、大学生時分からイギリスのプログレ系ミュージシャンとの交流があったそうだ。大学を中退後、伝説のハッピー・ザ・マンを73年に結成しアリスタから2枚(77年と78年)の抑制の効いたドラマティックなLPを発表し、これがキャメル参加へのきっかけとなる。スタイルは細かく素早いパッセージで一気に演奏を盛り上げていくピアニスト出身タイプ。80年来日ツアーは当初メル・コリンズの参加も噂されていたのだが、79年の夏時点のパブリシストの間では78年ツアー時のメンバーの脱退と新メンバーの加入が伝えられていたようである。ただ日本では情報がなかなか伝わらずキャメルファンをやきもきさせたものであった。JAPANツアー’80当時アンドリューは「キャメルの暗黒時代は終わった」とコメントしたが、これはサポートメンバーに頼らざる得ない状況から脱却した事の表明とのことである。余談:キャメルの結成については以前も触れたが、ゼムのピーターと3人組のバンド・ブリューの合体だったね。ラティマーら3人のブリューがシンガーソングライター「フィリップ・グッドハンド・テイト」のバックをしていたのは有名だが、彼らの前の60年代のテイトのバックバンドは奇しくもメル・コリンズが後のサーカスのメンバーと共に参加している。サーカスはLP1枚でメルのクリムゾン参加により解散したが、ベースのカークはジャッキー・リントン等、ギターのジェフはパリス、ドラムのクリスはアーサー・ブラウン等へと散っていった 。サーカスの作品はプログレファンにも楽しめる内容だが、フィリップ・グッドハンド・テイトやゼムの作品は60年代のブルーズやSWに興味が無いキャメルファンが聴いてもサウンドに共通項が無い為余り楽しめないかもしれない。ええ、70年代に大枚はたいてLP買いあさってガックリしましたから(自爆)。ナショナル・ヘッド・バンドとかもね。ツアー後、新宿イシバシ楽器開店祝いオークション大会でキャメルJAPANツアージャケットが出品された。他のアーチストのTシャツやジャケットが10円とか100円といった安値で落ちる中、キャメルの物は入札が相次いだものでなかなか終わらない。遂に最後に私と親父に連れられた中学生の一騎打ちとなった。中学生「7000円!!」私「7500円」(周囲笑い)。とうとう中学生は涙声でいかにそれが欲しいかをとうとうと語り出してしまい私が落札すると悪者扱いになりそうな雰囲気に(滝汗)。まだ行けましたがあきらめたのであった(爆)当時のプログレ同人誌「ロックボトム」では女性ライターのくみこさんがメル・コリンズファンを公言していて、来日公演にスッポンポンにコートだけ着て最前列に座りメルだけにみえるように見せる計画を雑誌で書いていたように記憶しているが、80ツアーで来日せず計画倒れ(?)に終わったようであった(爆)。
Aug 21, 2005
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年配のひとのいいKさんと座って暑さの残る青空を恨めし気に見ていた。今までどんな仕事をしていたのか聞かれて簡潔に話した。「早くこんな事は辞めて、若いんだからちゃんとした所に行った方が良いよ」。心配顔で言われた。久しぶりに胸が詰まる思いだった。「そうですね」としか答えませんでしたが。明日、一応秋からの事も考えて会社に辞める旨を話してくるつもり。9月からすぐ近所にくら替えしようと思っています。体がパンクしちゃったら終わりだものね。
Aug 19, 2005
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わたしゃ、暑かろうがなんだろうが寝ちゃうのだが、母の自立神経の調子もあって気がかり。だからクーラーください。だめですか(笑)。宝くじ外れちゃいました。スポットクーラーの家庭用のが最近は無いのよね~。冷風扇ならあるけど、余り効かないしね。あと半月の辛抱じゃ。
Aug 18, 2005
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子供の頃、病気の度に良く見た悪夢が「山のように無数に積まれた下着や衣服をひたすらひたすら数えさせられる」夢だった。毎回見ると物凄くうなされていたようだ。最近は色んな物がたくさん山積みで本当に何がなんだかわからん(汗)そしてひたすら暑い!こんな暑い夏は、、、そーだ!ELPの今日麩の図の鵜飼格いや、恐怖の頭脳改革だ!スカっとするぜ! たぶん(苦笑)キースのムーグで脳涼だ♪
Aug 18, 2005
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60年代より独自かつ孤高のインプロ路線を突き進むデレク・ベイリー。彼の率いた音楽有機体カンパニーの70年8月の数日間のスタジオの模様を伝える歴史的な一枚。メンバーはデレク・ベイリー(g)、エヴァン・パーカー(ss)、ヒュー・デイヴィス(electro)、ジェイミー・ミューア(perc)、クリスティン・ジェフリー(voice on 1,5)発売はドイツのECM。ドイツと言う国はビートルズのメンバーもジャズトランペッターの近藤氏も過去に語っていたが、前衛的なものや実験精神に富んだ作品に対しての許容力と造詣が深く、ロックの歴史においてもその国民性は多くの斬新な作品群をアーカイヴする土壌となっている。サウンドは完全無欠のこれぞインプロ。今年のようにひたすら暑い夏なら激辛のカレーをクーラーも掛けずに、大汗を滝のように流しながらかき込んで聴くとカナ~リ脳天までぶっ飛びます。脱水症状で死ぬとやばいのでちゃんと水分は補給しながらね(笑)ええ、ええ、ようするに激辛サウンドなんです。だから某クリムゾン系サイトとかだと無慈悲にも「単なる騒音」とか想像力のかけらも無い言い方で片づけられていますけどね。デレク・ベイリーが今から四半世紀前、芝の増上寺で行った歴史的ライブ。場所を提供したお寺の英断も凄いけど、豪快な演奏で好評を博したデレクも凄かった。最近CDでも入手出来るようになったようだけど、昔は日本国内に余り入荷してないLPだったので凄く探し回った1枚だった。デレクの活動がキングクリムゾンの1STのムーンチャイルドのインプロを始め多くの影響を彼らに与えたのは有名。ジェイミーのクリムゾン以前の姿、それも貴重な真面目なスーツ姿での演奏写真がモノクロながら見られるのも面白い。余談:PAの仕事をしていた頃、何度かフリージャズのバンドとかの音響もやったけど、やはりミュージシャンに地力が無いと悲しい演奏になっちゃうもんだった。とあるそういったジャズグループの演奏のあとに友人とクリスマスライブを行った時の事、サウンドチェックの時にメンバー達といたずらにフリーなインプロをほんの1分ほど演ったら、ジャズバンドの連中が顔を引き攣らせて帰っていったのが思い出される(笑)ちなみにオイラ達、本番は恋人はサンタクローズとかやったけどね♪
Aug 18, 2005
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と言えば、初代がオリジナル・メンバーであり伝説の担い手であるイアン・マクドナルド。そして2NDLPからはオリジナル・クリムゾンと同時期に活躍していたサーカスからヘッドハントされたクレバーなメル・コリンズ。普段は気の弱い感じの青年だが一旦楽器を持つとこの上なくパワフルな狂気さえ感じられるプレイをしていたイアンのクリムゾン以外でのサックスプレイで超有名な楽曲といえば、何を差し置いてもマークボランのTレックス/ゲット・イット・オンがあるよね。無論その後フォリナーでも活躍したが、彼の印象的なプレイとなるとこの歌なんじゃないかな?!さて、片やメルの方だとなんでしょう?そう。。。70年代末期、パンクの波に呑まれることなく貫禄を見せ付けたローリングストーンズ/ミスユーの大ヒットでのサキソフォンのフレーズだろう。天下のストーンズがディスコサウンドで勝負をしたのも驚いたもんだ。ちなみに世界中で売れまくったこの曲にもちょいとレアな逸品(?)があるにはある。そうです、ディスコナンバーだけに当時流行った30CMシングルでの長時間ディスコヴァージョンなんである。アメリカ盤(DK4609)での演奏時間は8分36秒。CD時代の今ではたいして長いとは感じませんけどね(笑)。最近と違ってリミックスでは無く、ロングバージョンをきっちり律義に演奏している所にも時代を感じるよね♪
Aug 17, 2005
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70年代末期に彗星の如く現れ話題を振り撒いた3姉妹のヴォーカルグループ。活動は70年代中期の姉2人のマイナーデビューからあるのだけど、グループの名が世界中に広まったのはこの衝撃作からであった。ほとんど表舞台から姿を消していたロバート・フリップが、ピーター・ガブリエルのソロやブロンディへの参加などから徐々に音楽活動を再開しつつある中、プロデュースを全面的に請け負っているのも当時輸入盤専門店や音楽誌で話題となった。ピーガブのセッションからトニー・レヴィンとラリー・ファスト(シンセ)も参加している。レコーディングは78年の9月より3ヶ月。ローチェスのコーラスグループとしての実力は、当時驚愕の的だった。ライブにはロンダ・ロンシュタット等大勢の歌手やミュージシャンが訪れ絶賛の嵐であった。(面白い事に名コーラスチームのマンハッタン・トランスファーのメンバーも見に来ていたらしい、やはり気になったのかな。)クリシェ等の近接音をあえて使う事でのアバンギャルドで先鋭的、時差をつけた大胆なコーラスワーク。1曲目のWeものっけから驚かされたがやはり2曲目、なんといっても永遠の名曲として四半世紀経った今では全米の学校を始め多くのコーラスグループが取り上げ続ける「ハモンドソング」が秀逸である。ジム・ミューレンの美しいトライアングルのサウンドが凛とした空間を演出し、その上をこの上ない美しさのハーモニーとフリップのロングサスティーンのギターが絡む。無論、その後のコーラスの技術的進歩を考えれば今聴くと当時ほどの衝撃は感じられないかもしれない。だけど、この時期にオリジナルでこのサウンドを生み出した事が重要なのである。あまりに輸入盤が売れるわ、外電で評判が良かったせいか、日本盤は大分遅れての販売となった。このあとのメジャー2作目の「ヌード」でパンクサウンドを取り入れたり時代時代に着実にキャリアを積み重ねている。さすが姉妹ならでは?ジャケットは良く見ると左側の姉が2人の妹の乳を触っている変な写真ではある(笑)余談:今日の中日VS巨人戦、中日の攻撃時にM・オールドフィールドのムーンライト・シャドウが何故か球場で掛っていた。なんでだろう???
Aug 16, 2005
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今フロイドのこの名曲を聴いたら、立ち直れなくなりそう(笑)。いやほんと、あなたがそばにいてほしい。。。そんな土曜日のお昼。病気で気が弱くなったとか、調子が落ちる一方で気が滅入るとかあってもちょいとした支えがあれば乗り越えられると、、、安易ですかねぇ?参った。どうにもならん。
Aug 13, 2005
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邦題は同LP収録曲のものと差し替えられており109ジャマイカ・ハイウェイとなっている79年アリオラより発表のアルバム(日本盤はキングより、80年1月)。某サイトではバックのロンドン交響楽団の演奏が映画っぽいとの記述もあるが、その1曲目「ザッツ・ラヴ」はビゼーのカルメンが元曲ですから(笑)。しかし、ジャケットでのリンダの容姿の細いことったらない。この身体ででのっけからパワー全開の素晴らしい歌声がメル・コリンズのサックスとカラフルに絡む。B-2のスマッシュヒット曲もだが、各曲バリエーション豊かでスケールの大きな音作りが当時の流行と一線を隔しているのが今聞けば興味深い点か。プロデュース&アレンジ&指揮&ピアノがMIKE BATT。当時の日本でのキングの売り方は、ミルバ、マキシン・ナイチンゲール、クリスタル・ゲイルと並べられてた感じだったね。ちなみにバックにはベテラン・セッションマンが多数参加している。リンダも最近はすっかり恰幅のよいふくよかな体型になられているが、相変わらずご活躍な様ですね。10月来日公演は行けないけど(苦笑)
Aug 13, 2005
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超話題作であったミュージカル、ジーザス・クライスト・スーパースターで一躍脚光を浴びたハワイ出身のイボンヌ・エリマン。ただ、実力の認知度や知名度はこの2NDアルバムの時点でまだ日本に定着したとは言えず、まだ少し後のこととなる。映画のサントラでのパープル系のミュージシャンの関わりも手伝ってかこのアルバムはパープルレコードからの発表となっている。参加ミュージシャンは当時としては非常に豪華。ピート・タウンゼント、ミック・アブラハム、キャリブ・クワイやサイモン・ジェフズらのギター陣にピーター・ロビンソン、アン・オデル、ルパート・ハインといったキーボード。ベースにはベテラン、ジョン・ペリーにジョン・ガスタフソン。ドラムスにマイケル・ジャイルス。パーカッションにレイ・クーパーとモーリス・パート。ダブルベースにダリル・ランズウィック。ポール・バックマスターがエレクトリックチェロ。コーラスにはロゼッタ・ハイタワー(!)、リサ・ストライク、アイリーン・チャンドラー、ルビー・ジョーンズ、ジョアンヌ・ウィリアムス。プロデュースのルパート・ハイン以外にもアレンジクレジットでマーティン・フォード、サイモン・ジェフズ、アン・オデル。録音はEMIの総本山エアースタジオ。エンジニアにジョン・パンター&スティーヴ・ナイ。全11曲中、マクルバー&ハインの楽曲が6曲、イボンヌのが1曲、ロビンソンが1曲、他にフーのワイルドなI CAN'T EXPLAIN等もA面ラストを派手に飾っている。同時期にジーザス、、、で同じく有名になったマレー・ヘッドのアルバムにもマイケル・ジャイルスは弟のピーターと共に参加しているが、あちらがかなり変則的なフリーフォームな事まで披露しているのと比べると本LPではキレのイイモダンロック的スタンスで終始している。イボンヌの歌唱スタイルも60年代末期の張り詰めた感性の女性歌手らと一線を画した、新世代の歌手らしくその幅広い音楽性が魅力となっていた。ちなみにLPジャケットにてイボンヌがスプーンですくっている緑色の物は、たぶんゼリーだろうと思われる。スライムじゃないでしょうね、糸引いてないし(爆)。日本盤は一応出てたようで「愛の食事」とか直訳邦題だったようにおぼろげに記憶が(苦笑)。LPとちがって復刻CDではLP裏面の臍だしイボンヌがジャケットに使われている。イボンヌの作品の中では比較的入手がむずかしかったが、CDの再発のおかげで再評価されていることだろう。余談だが、ピーター・ロビンソンとジョン・ガスタフソン(アン・オデルもだけどね)のクォーターマス・コンビが同時期に井上陽水のLP氷の世界のロンドンレコーディングに参加したのは割りとプログレ通の間でも知られていますな。あの「マイニーチー!フブキ!フブキ!コオリノセカイィィィ!」のバックのファンキーなサウンドこそ彼らの功績。まあ、陽水はスティヴィー・ワンダー風にと考えただけだったらしいが(笑)。余談の余談:今宵のアド街ック天国のエンディング、ジャイルス・ジャイルス・フリップのサースディ・モーニング。。。ちと最近ねらいすぎでないかい?(爆)
Aug 6, 2005
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最近、またまた車CMにて再々注目ザ・ゾンビーズ。64年のデビュー以来、シーズ・ノット・ゼアやテル・ハー・ノウ等の甘酸っぱさいっぱいのスマッシュヒットで名の知られたバンドだったね。日本じゃザ・カーナビーツがカバーしたI LOVE YOU(邦題:好きさ好きさ好きさ)も当ったしね。ただ日本で紹介される彼らの写真はやたらフザケたポーズのが多かった。初期のシングル以外の楽曲はカバーも多いしプロダクションサイドから押し付けられるような企画もやらされていたりした様子で、今初期の演奏を聞くと粗削りな印象は拭えないけど、当時のビートバンドって割とこんな感じのバンド多かったものね。後々解散後に世界的に注目を浴びた傑作LPオデッセイ・アンド・オラクルとその代表曲のシングルふたりのシーズンのせいか「ソフトロック」扱いもされかねないバンドではあるが、実はソウルフルな曲やワイルドなナンバーも割とありますな。解散後のアージェントもワイルドで良いバンドだった。ふたりのシーズンのアージェントのライブヴァージョン、大胆なハモンドプレイも印象的で結構聞き物ですよね♪安易にソフトロックでひとくくりにして欲しくないイイバンドだったわね(笑)。画像はオイラも持っている初期作品を集めた英編集2枚組LP(1988)。
Aug 6, 2005
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キース・ティペットやエルトン・ディーンらの意欲的な作品群を70年代中期から数多く出したOgunレコード。フリーな作品も実験色の強い作品もあれば、ニクラやこのアルバムのようなホノボノとした肩の張らない美しく楽しい作品もある。参加者もOgun史上においても突出した名演奏者で彩られたLP(全5曲)。Louis Moholo (dr), Evan Parker (ts), Kenny Wheeler (tp), Nick Evans (tb), Radu Malfatti (tb), Keith Tippett (p), Johnny Dyani (b), Harry Miller (b) produced by Ron BarronAll arranged by Louis&Nick情熱に満ち溢れたKhanya Apho Ukhona そして早逝したモンゲジ・フェザのYou Ain't Gonna Know Me 'Cos You Think You Know Me一方Wedding Hymeでは、比類無い音楽性で遥かな大地を想わせるスケール観と美しさを醸し出している。LP裏面にはお馴染みスティーブ・レイクの英文ライナーとルイスの若かりし日の野生的な一途な瞳のポートレイトも拝める。尚ルイスは後年、デレク・ベイリーらとも来日している。フリージャズとか苦手だなぁというクリムゾン系のファンの方にも充分楽しんでいただける、そんなティペット関連作品でもある。
Aug 6, 2005
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ヒットシリーズであった「ハリスおばさん」の4冊が復刻されると仕事先で読売新聞の広告で知った。昔、文庫で散々読んだなぁ。ギャリコというと「ポセイドン・アドベンチャー」とか「スノーグーズ」、他にも舞台で数多く上演されている作品や優れたジュブナイル等、読む人を幸せに導いてくれる稀有な作家だったね。ただ、復刊はうれしいけど値段が1冊1680円。。。えーと、買えないです(汗)。ハイラム氏の大冒険もついでに出ないかなぁ。
Aug 5, 2005
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ハロルド・マクネイアという31年生まれで50年代から活躍したジャマイカ出身のサックス&フルート奏者の通算4枚目らしいLP。60年代にはドノヴァンのレコーディングやクインシー・ジョーンズやジンジャー・ベイカーやアレクシス・コーナー関連で有名だったらしい。発売がほぼ同時期のブリティッシュファンクのロゼッタ・ハイタワーのアルバムでも一緒だったリック・グレッチ(ベース)とコリン・グリーン(元ブルーフレイムス、ギタ-)が、このソロアルバムにも参加している他、キース・ティペットもピアノでアルバムに華を添えている。A面1曲目のThe Fenceがハロルドのオリジナル。2曲目のTrue Love Adventureはリック・グレッチ。3曲目Early In The Morningはトラッドナンバー。B面1曲目Scarborough Fairはサイモン&ガーファンクルでも有名なトラッドナンバー。2曲目にレノン/マッカートニー作品のHere,There And Everywhereの超ロングバージョン(笑)。全5曲。発売元はアトミックルースターとかでもお馴染み?B&Cレーベル(カリスマ)。同時期のアルバムでKeith Christmas / Fable Of the WingsやShelagh McDonald / Album といったキース・ティペット参加のB&C作品もある(制作プロダクションが同じ為と思われる)。水色のジャケットに左上の謎のピンクポケット。どうも何かを入れる所らしいのだけど。見開きジャケットを開くと中に様々な人々の写真が、、、ここで謎が解ける。全員ピンク色の長い風船を持って、、、ええとぉこれコンドームですね。それを入れる為のポケット、なんでしょうかねぇ。。。外国のウォンテッドLPとかではバルーンジャケットと表されているだけに本当はゴムが入っていたのかもしれない。サウンドは割と軽快なジャズロック。今聴いても聴き易いですね。ドイツではポリドールが発売したらしいがジャケットが違う、らしい(滝汗)。ハロルドは翌71年にクレシダのレコーディングにも参加しその後亡くなったらしい(詳細不明)。Keith Tippett(pf), Rick Grech(b),Steve Winwood(ノンクレジットで不明), Terry Cox(Dr), Danny Thompson(Db), Tony Carr(perc), Colin Green(gt), Alan Branscome(pf) 余談:高校生の頃、お父さんが写真家のクラスメートに怪獣ブロマイドを貸した際、お返しに500円札を頂いて、暫くこのLPのピンクポケットに入れて忘れていたのを久しぶりに思い出したり(汗)。古い割にはジャケットの作りがしっかりしていて、今でも見た目が余り変わらない。
Aug 5, 2005
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80'Sキングクリムゾンの有終の美を飾ったアルバムでもあったスリー・オブ・パーフェクト・ペア。発売日、PA仕事も終わり当時よく仕事を受け持っていた新星堂でいそいそとアルバムを手にしレジへ。するとレジ向こうには当時のアイドルイベント等でもその筋で有名だった三上さんの笑顔。そしてアルバムを差し出したオイラに一言「クリムゾンって、、、ビールに良く合いますよね~♪」たしかにある意味暑い日であった。今日は本当に熱いアツイあつい、どうにもこうにもたまらんくらい汗を流しまくりその合計ほぼ4リットルな一日であった。最近はめっきりビールも飲まないんだけど、おおよそ20年ぶりに思い出したのが三上さんとの他愛無い会話であった。あの黄色いLPを聴きながらビールを飲んだこと自体はほとんどない。さて、今週の激暑な仕事も一段落。気まぐれに選んだビデオは渡辺香津美「スパイス・オブ・ライフ」TV放送版。そ~です。先の黄色アルバムの後に渡辺氏とビル・ブラッフォード&ジェフ・バーリンがツアー行った時の模様。渡辺さんとか一部のミュージシャンからは80’Sクリムゾンは割と注目浴びていたし、そのせいか演奏もディシプリンクリムソ風やらブラッフォード風、はたまたアラン・ホールズワース風やらYMO風やら盛りだくさん。当時は見る側にもクリムゾンチックな演奏とかには抵抗も少しあったけど、今改めて見ると演奏者のリラックス具合が心地よい。久しぶりにビデオ見ながらリラックスできた(笑)。このツアー映像は当時LDでロングヴァージョンで発売されていたから、持っているお方には酷暑の今こそオススメですね♪ところで彼ら3人の合い言葉の「バリバリヤー」ってなんだったんだろう?!
Aug 5, 2005
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キングクリムゾン史上初めてのツイン・ドラムス編成(見た目ねw)でしたよね♪ジェイミーの参加しているステージやリハの全体写真自体余り数がないけど、よ~くみるとセッティングが線対称になっていて興味深いものがありますな。一番左にバイオリンのデヴィッドと内側に向けたメロトロン、一番右側にボブと内側向きのメロトロン。そして中央にジョンがベースを抱えていて、ジョンとデヴィッド間にビル、ジョンとボブの間にジェイミー(彼のセットが左利きなのがより線対称な感じを強調している)。見事にコンパクトに収まっている。そうか~、フリップ先生のすぐ隣が血を吐く野獣パーカッショニストだったわけねぇ。だからかな?!ジェイミーがブン廻していたぶっといチェーンをウッカリ手を滑らせ、たまたまボブが身体を屈めた為に頭をかすめただけですんだというのは。距離的に直撃したら相当ヤバス。え?狙ったんじゃないかって?ま、マサカァ。。。
Aug 1, 2005
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