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この1週間は暑かったり寒かったり、気温の変動が大きく、花粉やPM2.5のような微粒子が多くて、過しにくかった。水曜日は父の自動車のタイヤを冬タイヤからノーマルタイヤに交換するために隣町のオートバックスまで父の車を一人で運転して行った来た。父が別に運転出来ないと言ったことはないが、ヤクルトの訪問販売が来たり他の自宅での用事があったり、抗ガン剤治療の休みの週だったが、白血球の数が減って感染のリスクがあるから、私が車を持っていくことになった。無事に到着して駐車場に停めていたら、先に自分の車で隣のショッピングモールで買い物を済ませた姉がやってきてタイア交換の手続きを行った。タイヤ交換だけなので、時間もかからず終える事ができた。あとは車を運転して帰宅すれば良かった。せっかく出てきたのだから、ショッピングモールで買い物とかしても良かったが、花粉のせいか、目がしょぼしょぼして、アタマがボーッとして力が入らなく集中力も落ちているので、寄り道もせずに帰宅した。 月末になってきたので、来月からの外仕事の準備も進めないといく。交通費の申請や契約書などの書類も作成していく。来月からどうなるのか不安があっても、それに囚われてあまり考えても意味がないので、淡々とこなしていく。それらの用事以外の時間は休憩したり、在宅ワークのデータ入力作業をしていく。データ入力の作業の報酬は微々たる物だけど、空き時間に少しずつでも積み重ねると報酬は積み重なっていく。 家庭教師の仕事は4月からも続くみたいだ、今のところ、もう終了するとは言われていない。中学3年生で受験を意識する年だが、受験勉強にあまり拘らす、私学や通信制の高校を視野に入れて進路を考えているみたいだ。受験勉強をしてくれた方が自分としては楽だけど、今の工作やパソコンの演習を続けていくことになるのだろうか。プログラミングの基礎やOfficeソフトやグラフィックソフトの基礎的な使用方法を勉強する事になるのかな。完璧を目指さなくても、できそうな事を積み重ねていくしか無さそう。この家庭教師の仕事もあと1年で終りそうだから、次の家庭教師先を探してみたい。こう言うときに地域との繋がりを持っておくことが必要なんだなと思い知らされる。 新年度を迎えて、少しずつでも色々と物事や状況が変化していき不安な事が出てくる。けど、広い視点や長い時間の尺で見れば、そんなに大したことのない変化の一つに過ぎないような捉え方も出来る様になってきた。自分自身も広大な世界や大きな時間の流れの中では小さな存在で、自分が迷ったり恐れたり不安に思いながらした行動も小さな変化に過ぎないと感じることが多くなってきた。上手くできるのは不安で迷った行動と今の自分が目の前の事に集中して出来る事をしても、大きな差がないのかも知れない。数年前よりも不安への向き合い方が変わってきたことを感じる。自分の存在の小ささを受け入れ、その上で出来る事を進めていくしかないと思うと、色々な事が楽に出来そうな気がしてきた。出来事に良いも悪いもなく、大きな視点、長い時間の流れの中では変化の一つに過ぎない。良いとは悪いとか思うのは本人の捉え方次第。万能でも特別でもなく全くの無価値と言うモノでもないそんな小さな自分でも自分自身の身の丈で自分の目の前の事に向き合って出来る事をしていくしかないんだろうなと諦念混じりに今を受け入れて新年度に向き合いたい。不安だからどうしようと固まっていても何も変わらないから、とりあえず行動することが大事だと思った。 3月7日に地域包括支援センターに相談して介護保険の代理申請をお願いしたが、今のところ何も言ってこないし連絡もない。かかりつけ医の考えでは、薬がパーキンソン症状や神経症状が出ることがあるから、その薬の服用を中断して、様子を診るようにしようと意見があったから、それで止まっているのだろうか。介護申請は一人暮らしで本人が申請できないとか家族が遠方にいて申請できない時に代理申請を行うから、何も問合せがなくてもそんなもんなのだろうか。訪問調査の連絡もない。これも悩んでいても仕方ないので来週になったら問い合せてみたらいいのか。薬を中断した影響なのか、最近酷くなってきていた運動や受け答えや家事が少し良くなったようにも見えるが、期待感から来る気のせいなのだろうか。
2025.03.29
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今週は、雨が降っていると思ったらいつの間にか雪が積もっていたりと、不安定で寒い日が続いた。もう、3月後半で花粉も多いのに雪が積もる程寒くて体調が整わない。 日曜日に予定されていたが、大雨で延期になっていた団地の一斉清掃が昨日春分の日に行われた。近所の人と会話しながら、作業をするのは気分転換になる。掃除は無事に終ったが、全身が軽く疲労したから、午後は休んでいた。しばらく休んでいたら、回復してきたので少し歩いて腰痛防止体操をした。日差しは暖かいが、風は冷たく曇り空になると寒さを感じる。 夜は、入浴後から始まったサッカーのW杯アジア予選の中継を観ていた。久保建英が日本代表でゴールを決めるところを見られて良かった。昔に比べてアジアの出場枠が増えているのもあるけど、ぶっちぎりで予選通過出来る様になったんだな。 来月からの外仕事の準備も進めている。体力的な余裕や時間が余っている時期なので、外仕事の準備をきっちりしようと思うが、時間があるからと、自分で良いと思う物を目指しても、それが相手にとって適切な物かどうかは分からない。自分だけ、良いと思った物を作っても意味がない。けど、始まるまではどれくらい仕上げた物が適切なのかも、実際に始めてみないと分からない。始めてから、様子を見て適宜修正していくしかないか。 ただ、自分ではすごく大きな事と思っている事でも、他者から見たら大したことがないと言うこともあるから、程々にしておいた方が良いのかなと思うことも多くなってきた。良い意味でモノの捉え方が変わってきて、楽な気持ちで物事に向かい合えるようになった気がする。 仏教の教えの本を読んだり動画を見たり、精神科医の書籍や動画を参考にしたり、認知行動療法の手法を試してみたり、瞑想時間を取り入れたり、生活習慣を見直していたり、数年間いろいろ試してみたが、最近少し楽な気持ちで目の前の事に向き合えるようになってきた気がする。機能性ディスペプシアの方も、症状が軽くなってきて不調の日が減った来て、空腹感を感じてお腹が鳴る事も出てきた。 来月から外仕事が始まった時にこの状態を維持出来るかどうかが、気になるけど、これを今思い悩んでもコントロール出来ない。完璧にきっちりと準備して対応出来るようにしようと意気込んでも、自己満足で的外れな努力になるかも知れない。程々にしておいて、始まってから様子を見ると言うことに挑戦してみたい。 夢の中で、素粒子が消えたり発生したりするのを見ていると、原子レベルの反応が起こり、微生物の生き死に見えて、小動物、人間の一生が見えて、国の興亡一如、興亡盛衰が見えて、星の誕生から消滅、、銀河の発生から消滅、宇宙の発生から消滅が見えた。その後、宇宙が消滅が素粒子の中で思っているのをまた、原子レベルから眺めているのがループしているという夢を見てしまった。 この世には色々な事が起こっているが、広い視点で見たら単なる変化や出来事に過ぎないなく大したことない、どう思うかは自分の捉え方次第と思う様になってきた。 これが正しいのかどうかは分からないが、物事の捉え方が変わってきて少し楽に生きられるようになってきた気がする。
2025.03.21
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火曜日はクリニックに血液検査を受けに行く日だった。受診のついで、散髪もすると決めていた。去年の健診でコレステロール値がまた高くなったいた。ここ数年、健診の度に値が上がるので、薬を服用していた。その効果の確認と副作用の確認のために採血をすることになった。 雨の日で面倒だけど、どうせ受ける必要があるので覚悟を決めて出かけた。クリニックについてすぐに採血を行いすぐに終ってしまった。思ったよりも早く着いて早く終ってしまった。まだ、10時だった。11時を過ぎていたら昼ご飯を食べて帰るつもりだったが、まだ飲食店は空いていないので、スーパーで買い物をしたついでに、昼ご飯を買って帰って家で食べることにした。 まずは、散髪を済ませることにした。混んでいて待ち時間が長かったら、飲食店が始める11時になるかもしれない。まずは理容店に行ってみた。けど、雨のせいなのか、理容店もガラガラで待ち時間は無く、散髪もすぐに終ってしまった。 雨もやみそうになくウロウロするのもしんどいので、やっぱりスーパーで買い物して帰ることにした。昼ご飯と、明日電気圧力鍋で作りたい鶏胸肉の肉豆腐の材料を買って帰った。 帰宅するまで雨はやまなかった。天気が悪いので、早く帰って良かったかもしれない。 帰宅後、疲れてもう夜までゆっくりしていた。雨の日の移動はしんどいな。買い物をしたせいか、歩数が1万歩になっていて疲れた。 翌日の水曜日、夜間によく休めたので、調子は上向いてきた。予定通り、電気圧力鍋で鶏胸肉の肉豆腐を作ってみた。買って帰った白だしを使ってみた。ジャガイモもや野菜が煮崩れしてしまい見てくれはビミョーだけど、味は大丈夫だった。 午後になって、しんどくなって休んでいた。姉が帰宅して前日の検査結果を見せてくれた。薬が良く効いて、長年上がり続けていたコレステロール値は正常値に戻り、副作用の筋肉炎症もなく、昔からずっと低い腎機能も低下していなかった。特に、新しく悪化したところもなく一安心。 この日も、午後から疲れて休んでいた。最近歩数が多くなっていたから疲労が溜まっているのかもしれない。天気や気温の変動が大きく、季節の変わり目で花粉が多くなっていたから、それも影響しているのかもしれない。 木曜日の今日は、朝からしんどい。早足で歩いたり、耳が聞こえにくい父に大きめ声で話すと息苦しい時がある。パソコン作業をしても、頭がボーッとして集中出来ない。 父が足が痛いと言う事が多くなってきた母を整形外科に連れて行った。ついて行こうかと思ったが、出かける5分前の朝食を食べている時に言われても準備出来ない。 10時過ぎに両親が帰宅した。整形外科的に異常はないけど、パーキンソン病の疑いがあるから神経系を調べて貰った方が良いと紹介状を書いて貰っていた。姉や父は遠く脳神経外科にしようかと言っていたが、私が入院、通院していた、近所の国立病院機構の脳神経内科じゃダメなのかと言ってみた。認知症疾患医療センターもあるし、整形外科もあるし、近くなので私や父の運転でも連れて行け、都合は良さそうだけど。ダメなのかな。姉は確認するとは言っていた。 今日は、姉が用意しておいた昨日買ったみそ汁の素や余っている食材で、晩ご飯に一品加えようと思っていたが今日はとてもしんどい。今日は、姉が準備、指示した分でイイかとなってしまった。 今夜しっかり休めば明日は回復するかな。
2025.03.13
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母の日常生活が色々と怪しくなってきて、家族もきつく感じだして、一度地域包括支援センターに相談して話を聞いてもらったらみたらどうかと父に言ったら、相談の予約を申し込んだ。昨日の金曜日が相談の日だったので、父と私で母を連れて市役所の支所に面談に行った。 時間になると、市の地域包括支援センターの社会福祉士の担当者が来て、面談が始まった。父が長年地域の福祉活動で顔見知りの人だったので、ある程度うちの事情は父から聞いているらしく、話しは通じやすかった。ただ、私が難病を持っていて介護をするにしても、見かけよりも低い限度があることは、別に伝えておいた。 最近、感じた変化をまとめたメモと自分で実施した認知症スクリーニング検査の結果も参考になれば良いかもと渡しておいた。 話をしたところ、心配ではあるが日常生活動作は自立しているので要支援なら認定されそうということになった。要支援に認定されたら市の予防介護のサービスが使えそうと言うことで、手続きを進めてもらうことになった。認知症の専門外来にいったり、手間がかかって大変なのかと思ったが、地域包括支援センターの方で代理申請を行えるらしい。かかりつけ医の意見書も地域包括支援センターからかかりつけ医に依頼するので、うちから医療機関に申請のためにかかる必要は無いらしい。今の段階で、要支援程度なら、県内に4つしかない認知症疾患医療センターのある大きな病院に紹介状を書いてもらって行く必要もないようだ。 思っていたよりも楽に申請・利用出来ると知って、心が楽になったのを感じた。 要支援1なら、週に1回、デイサービスに通うことが出来るみたいだ。週1回でも外で活動出来るだけでも有難いと思った。必要に応じて、自宅改修や訪問リハも利用出来るらしい。 代理申請後、訪問調査、審査会を経て介護認定される。期間は40日くらいかかるらしい。多分大丈夫だが、その間に何か問題が生じたら、臨時でサービスを利用する事も可能のようだ。 どうしようと、もうダメだと、叫び悩み続けてジッとしていても、メンタルがダメージを受けるだけで何も解決しない。まずは、現状を受け入れて、その上で今何が出来るのか考えて、とりあえず行動することが大切だと改めて思った。最近の状況から、そのことの重要さを強く思う様になった。 面談の帰り道に地域の自治会連合の会長に会った。父が知り合いと言うことで挨拶をして、水曜日の地域カフェの時と同じように、自分の難病のこと地域で家庭教師をしていることと連絡先を伝える事が出来た。地域に自分の事を良いことも悪いことも伝える事が出来る様になったのは最近の進歩の中でも大きな事と思う。 全てキッチリと解決しないまでも、何か手立てがあると知るだけでも精神的な負担が減ると感じることが多い。次のステージがあって、その準備期間に入りつつあると思う様になったのに自分の進歩を感じることが出来ている。
2025.03.08
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先週、母が電子レンジで調理するラーメンをガスコンロにかけてしまって焦げしてしまった。幸い、燃えない樹脂で出来ているのか、焦げたり穴が空くだけで、発火はしないみたいだ。 父が居たが掃除をしているうちに、勝手にラーメンの調理を始めたみたいだ。油断していた。母にラーメンのカップを触ってもらい何で出来ているか尋ねたら、「アルミ」と言っているので、間違って危ないことをしたと言う意識はないみたいだ。 父も、「頼むで」、「そろそろしんどくなってきた」とか声を荒げる事が出てきたので、過去に言っていた地域包括支援センターへの相談を改めて勧めてみた。1年半くらい前にも、勧めて相談に行って来たが、その時はとにかく人とよく話すことと言われたみたいだ。最近は、足が痛いと歩くことも減っているし、立ち上がりにも苦労するようになってきている。自発的に行動せず、横になったり、ソファに座ってテレビを観ているだけの時間が多くなってきた。言って、家事や体操をするように言えば、とりあえず出来るが、このままじゃ、更に出来ない事が増えそうな気がしてきた。 流石に、今回は電話して相談に行ってみようとか思うようになったみたいだ。月曜日は抗がん剤治療で病院に行くから、火曜日に電話すると言っていた。今日、電話してくれるかな。 相談に行くのは自分もついていこうと思う。月曜日で父が姉と一緒に通院しているので母と私が二人で家に居て、見守っている。その間に、地域包括支援センターに相談した場合の準備として、母の気になる点をメモにまとめておいた。やっぱり、ここ半年の間に悪くなったと認識した。ついでに、長谷川式簡易知能検査をしてみた。瞬時の記憶は出来るが、何かした後の遅延再生や語想起は良くなかった。けど、野菜の名前は料理をしていないと意外と出ないのかも知れない。 CIDP診断前に、病院や介護施設で働いてて半年でCIDPの症状が出て辞めざるを得ないのを繰りかえしていた時期の事を思い出し検査方法を思い出しながらやってみた。正確では無いかも知れないが、30点満点中14点でやっぱり認知症疑いは間違いないんだろうなと納得した。 春からの外仕事、特に新しく始まる外仕事が気になるが、いくら念入りに準備しても実際に始めてみないと上手くいくかどうかは分からない。することがないから、闇雲に準備に取り組んで準備万端と思っても、自己満足でしているだけかも知れない。こちらは、程々にして、地域包括支援センターに相談行ったら、始まるかもしれない新たなステージに向かい合うことが大事じゃないかと思う様になった。 50代になったら、仕事以外にも大事なことが出てきて新たなステージに入って行くのもこういう事なのかなと思う様になってきた。いつも3月なら既に決まっている秋からの遠方の方の外仕事の連絡も無い。口頭での依頼があり、日程のアンケートは提出しているが、連絡も無く突然終了してしまうことは結構あるので、今年度で終了になってしまったのかもしれない。今までなら、焦りや不安で落ち着かない状態が続いてしまっていたが、今はそれはそれで良いじゃ無いかと思う様になっている。仕事は減るが、心神面できつく感じていた遠方の外仕事が終れば、負担が減って父や母のことに向かい合う余裕が出来る。CIDPの自分には全ての課題に向かい合い続ける体力もエネルギーない。ちょうど、いい機会じゃないかと納得出来るように感じている。 自分にも家族にも、それぞれ限界があり、その限界の中で継続できる事を積み重ねて行くことが良い、その出来る事を他者や社会常識と比較しても、あまり意味がないと思うようになってきた(思うしかないようになってきた)。足るを知るってやつかな。 色々考えてしまうが、今日は気温差や天候変化が大きくて、しんどい。起き上がるときにめまいが出る。
2025.03.04
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