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【汚名】「なぜもっと早く愛してると言ってくれなかったの?」「自分の気持ちが分からなかったんだ。馬鹿な俺は君を失ってやっと気づいたんだ」「私を愛しているのね・・・」「出会った時からずっとだ」 やっぱりイングリッド・バーグマンとケイリー・グラントのコンビネーションは絶妙だ。 私生活でもこの二人は仲の良い友人関係だったようで、お互いを信頼し合った演技は視聴者を安心させてくれる。また、ヒッチコック自身の晩年のインタビューにおいても、『汚名』にキャスティングしたケイリー・グラントは完璧だったと語っている。とにかくヒッチコックのケイリー・グラントへの信頼ぶりはスゴイ。ヒッチコック映画にどれも共通しているのは、雰囲気だけで視聴者を不安がらせないということかもしれない。とかくスリラー映画はおどろおどろしい場面で埋め尽くされていることが多い。「ほら怖いだろ?」「こーんなに不気味だぞ」「ホレホレ」と、まくし立てる効果は、ホラー作品には有効かもしれないが、ヒッチコックはそれを許さない。「表面上のシチュエーションとその背景に隠された真相のあいだに大きなコントラストを設けること」で、ストーリーの強弱を表現するのだ。このような演出は、もはや芸術の域にまで達しているとしか言いようのない完成度なのだ。『汚名』のストーリーはこうだ。アリシアの父親はドイツ人で、ナチスの一味だった。売国奴の娘としてレッテルを貼られたアリシアは未来に希望を失くし、つまらないパーティーなど開いては酒に溺れた。そこで知り合ったのは、デブリンというFBI捜査官だった。デブリンはアリシアを利用するために近付いたのだが、彼女の美しさ、ひたむきさに惹かれてゆく。アリシアは、デブリンの「父親の汚名を返上するためにも、アメリカ人スパイとして国家のために働くように」という要求を呑み、ブラジルへ渡ることにした。そして、アリシアの父親の相棒であったセバスチャンに近付き、ナチスの動きを探索するのだった。『汚名』における最もスリリングな場面は、何と言ってもパーティーの最中、アリシアとデブリンが酒蔵に行ってぶどう酒の瓶の中身が何であるかを調べるシーンだ。大勢の人々で盛り上がるパーティー会場で、減ってゆくワインのシーンと、酒蔵で秘かに調査する二人のシーンが交互に映し出されるのだが、パーティー会場で使用人がワインを補充しなければと、酒蔵を目指そうとする。このままだと二人が見つかってしまう、というドキドキ感がたまらない。また、ヒッチコック作品にはついて回る設定として、母親とその一人息子の異常なほどの親子愛。これも見ものである。セバスチャンがアリシアの真相に気づき、母親に「母さん助けてよ」と、その枕元で苦悩を告白するシーンも不気味だ。『汚名』は、ラブ・ロマンスとしても一級で、主役二人のロマンチックなセリフにうっとりさせられる。あまりの素晴らしさに、あれもこれもと説明したくなってしまうが、とにかく万人の方々におすすめしたい。モノクロ映画であることなんてちっとも気にならず、徹頭徹尾、楽しめること間違いなしだ。1946年(米)、1949年(日)公開【監督】アルフレッド・ヒッチコック【出演】ケイリー・グラント、イングリッド・バーグマンヒッチコックの『サイコ』 コチラヒッチコックの『白い恐怖』 コチラヒッチコックの『レベッカ』 コチラヒッチコックの『裏窓』 コチラヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ』 コチラヒッチコックの『北北西に進路を取れ』コチラヒッチコックの『バルカン超特急』 コチラ
2013.06.30
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【花村萬月/ゴッド・ブレイス物語】◆バブル期の恋愛小説はやっぱりオシャレ?!この作品が発表された80年代は、正にバブル全盛期。ちょっと擦れた19歳の女子がロックバンドを率いて、なんやかんやと頑張ってしまう物語は、ある意味オシャレだ。恋人だったバンドのメンバーの男が自殺しているというのも80年代的だし、なかなか一人の男に的をしぼれず、いろんな男を渡り歩く19歳のヒロインという設定も、こだわりのなさが現代的で共感を呼んだに違いない。花村萬月の初期作品ということでかなり期待して読み始めてみたのだが、思いのほか芥川賞作家というハードルの高さは感じられない。つまり、この小説に限って言えば、純文学ではないことは確かだ。80年代に売れた作家に原田宗典がいるけれど、花村と同様オシャレな恋愛小説をいくつかヒットさせている。主人公のちょっとけだるい語り口調がウケたのだった。だが今となっては時代性を感じないわけにはいかない。一方、花村は90年代に入ってメキメキと頭角を現し、純文学の登竜門である芥川賞を受賞した。2013年となった最近も、書店でその著書をちらほらと見かけるので、よくぞ生き残ってくれたと拍手を送りたいぐらいだ。これは皮肉でも何でもなく、とにかく80年代の売れっ子作家のその後は、明暗がハッキリしていて驚くほどだ。そんな中、花村は過酷なサバイバルに打ち克ったわけで、賞賛に値すると思うのだ。『ゴッド・ブレイス物語』は、端的に言ってしまえば青春恋愛小説だろう。話はこうだ。 朝子は19歳でバンドを率いるロックシンガーだ。メンバーは朝子以外は男なのだが、ギターを担当するヨシタケは同性愛者だ。それを知っていながら興味本位で体を重ねた。だが、最後までは上手くいかずに終わる。その一方で朝子はドラム担当のカワサキとも付き合っている。カワサキはバツイチ子持ちで、健という息子は児童福祉施設に入所している。そんなカワサキは、どういうわけか、朝子のさり気ない誘いを巧みにかわし、一線を越えることはなかった。ある時、プロダクションの社長である原田が、ワリのいい仕事を取って来た。朝子はギャラの良さに目がくらみ、二つ返事で了承する。だがこれは全てデタラメで、ギャラは前金で先方から原田の口座に振り込まれた後、原田は失踪。朝子たちメンバーは、タダ働きをするハメになってしまった。ストーリーはこの後もドラマチックに展開していくが、京都の高級クラブの社長と朝子が、なりゆきなのか必然的なのか、吸い付くように体を重ねる。これでもかこれでもかと男を渡り歩く姿は、ロックシンガーだから許されても、一般人なら単なる淫乱に過ぎない。男女が惚れたはれたの恋模様がテーマではないことは間違いない。あえて言うなら、生々しい性の露出を、青春という名のもとに表現した物語だ。恋愛の伴わない性の描き方にもいろいろあると思うが、この作品からは不誠実な印象を受けた。無論、あえてそれを80年代の悪ノリとするなら、それはそれで納得できるが。この小説は読者層を10代~20代前半に的をしぼって書かれたものかもしれない。あるいは、漠然とした不安を抱える若者への応援歌かもしれない。いずれにしても、バブル期の小説に見られる特徴を色濃く持つ作品なので、ジャンルを問わず読書好きの方におすすめしたい一冊だ。『ゴッド・ブレイス物語』花村萬月・著☆次回(読書案内No.80)は梅原猛の『隠された十字架~法隆寺論~』を予定しています。コチラ
2013.06.29
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【25年目の弦楽四重奏】新聞で公開を知り、近来稀に見るときめきを覚えた。そして興奮した(笑)ベートーヴェンの弦楽四重奏(しかも後期!)をテーマにした映画が封切られるというのだ。メインは14番というのが申し分ない。これをときめかずにいられようか!加えて大フーガが出てくれたら、もう無上の喜びであり興奮の極みなのだ\(^o^)/そして弦楽四重奏といったら外せないのが吉田秀和先生だ。先生がご存命であったら、コメントの一つもいただいて映画のハクをつけたかったところであろう。吉田秀和先生は弦楽四重奏をこう説く。『音楽のもっとも精神的な形をとったものである。あるいは精神が音楽の形をとった、精神と叡智の窮極の姿である。』なるほど。そして続ける。『もっともよく均衡のとれた形でもって、あいまいなところが少しもないまでに、ぎりぎりのところまで彫琢され、構成され、しかも、それをつくりあげるひとつひとつの要素が、みんな、よく「歌う」ことを許されている。』何度読んでも、こうやって何度書き写しても、名文というほか言葉が浮かばない。内容もしかり、たとえばここであげたベートーヴェンの弦楽四重奏14番を聴いていだければ、その明解なることを、即ご理解いただけよう。四つの楽器が、無駄なく的確にバランスを保ち、おのおのが抑制されることなく弾かれていることは、まさに楽器が『歌う』がごとし。名文の通りである。そして弦楽四重奏の定義がストンと落ちたなら、『精神と叡智の窮極の姿』が見えてくるはずだ。さて肝心の映画。主人公を演じるのはオスカー俳優のフィリップ・シーモア・ホフマンだそうだ。最初は、え?!という気がした。フィリップ・シーモア・ホフマンといえば、レッド・ドラゴンのゴシップ記者の役がどうにも印象深い。いや、ケチをつけるのではなく、あまりにハマリ役に思え、何か出来上がってしまったものを感じるのだ。ただそこはオスカー俳優だ。きっと個性的な演技を見せてくれるであろう。それに演奏指導をしたのが岩田ななえさんとくれば、いやがおうでも期待は膨らむ。ちなみに岩田ななえさんはサイトウ記念オーケストラの常連である。この夏も松本で音色を聴かせてくれるはずだ。その岩田さんが、演奏指導をふり返ってこう語る。『楽譜すら読めないといっていたフィリップですが、イメージの理解は素晴らしかった。』英雄 英雄を語る、まさにそんな感じではないか!フィリップ・シーモア・ホフマンの演技を期待して、封切を一日千秋の思いで待つとしよう(^o^)今宵は、ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 14番 嬰ハ短調 作品131 をじっくり聴き直してみよう。なお、この曲は7楽章からなるのだが、ベートーヴェンが『7楽章を休みなく演奏するように』と楽譜に書き込みを残しているので、聴く方もそれに徹しなければならないのだ。(そんなに長い曲ではありません、心配ご無用ですよぉ~)さあ『精神と叡智の窮極の姿』をのぞいてみよう♪2012年公開【監督】ヤーロン・ジルバーマン【音楽】アンジェロ・バダラメンティ【出演】フィリップ・シーモア・ホフマン、クリストファー・ウォーケン【演奏指導】岩田ななえ
2013.06.28
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友はみな兄の如くも思はれて甘えまほしき六月となる 若山牧水
2013.06.27
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【秋田魁新報 北斗星】~あんべいいな~「ないものはない」。先日訪れた島根県隠岐諸島の海士町(あまちょう)で、町幹部からもらった名刺に、こんなキャッチコピー入りのロゴマークが躍っていた。一昨年夏から使われている町の公式ロゴだ。 コピーは二つの意味を持つ。「なくてもいい」という開き直りと、「生きる上で大事なものは全てある」という自負。島にはコンビニさえないが、それが本当に必要なのかと問い掛ける一方、豊かな農・海産物や住民間の絆に対する誇りがにじむ。 コピーは町の若手職員たちが考え、ロゴ制作を「あきたびじょん」プロジェクトのアドバイザーも務める高知県のデザイナー梅原真さんに依頼。幾つか示した候補のうち、太鼓判を押されたのがこの言葉だ。 島を訪れた人は初めこそ「何もない」と戸惑うが、徐々に「ないものはない」と感じるようになる。東京から移住して町職員となり、コピー考案に携わった女性は「これほど島にしっくりくる言葉はない」と胸を張る。 便利さの追求を否定するつもりはないが、上を見れば切りがない。ないものねだりをやめ、最低限必要のものはあると割り切ることができれば、「ここには何もない」と卑下する気持ちをなくせるのではないか。 もちろん秋田でも身の丈に合った幸せは追求できる。いみじくも梅原さんは「あんべいいな」に着目し、「あきたびじょん」のサブコピーに採用した。「行き過ぎず、ちょうどいい」。そんな地域をつくれないか。海士町に負けていられない。(6月25日付)~~~~~~~~そして先日のコラムもご一読ください(^o^)~~~~~~~~活字が大嫌いな書店員に、下戸の杜氏(とじ)。まれにいるかもしれないが、常識的には考えづらい。自分が好まぬモノ、たしなまないモノを商うのは苦痛だろうし、客はそれ以上に不幸である。 「秋田の人たちは秋田杉の良さをしきりに宣伝するけど、なぜ自分たちは杉の家に住まないの?」。首都圏で住宅建設に携わる女性に聞かれ、答えに窮したことがある。愛着がないものを売りつけているのかと、問い詰められている気がした。 随分前のそんな出来事を思い出したのは、県立大秋田キャンパス管理棟の増築計画をめぐる県議会のやりとりを聞いてだ。県産材活用を推進する県が木造での増築を全く考慮していなかった点に、議員の批判が集中。計画見直しの可能性も出ている。 県幹部の「認識が甘かった」という反省の弁は、当事者意識に欠けた言い訳に聞こえる。トップセールスを仕掛ける立場にある者の言葉とは到底思えない。「県産材への愛情が足りないのではないか」とさえ言いたくなる。 能代市にある木材高度加工研究所は木材の加工・活用に関する研究で業界をリードする。その研究所を擁する県立大を舞台に、こんな議論になるのは残念過ぎる。 アニメやゲームを海外に売り込む「クールジャパン」戦略が注目を集めている。国内外を問わずに愛され、支持されるソフトばかりだ。もし「クールアキタ」を展開するならどんなソフトがあるだろう。そんなことも考えさせられる県産材騒動であった。(6月22日付)~~~~~~~~残念ながら、秋田には縁もゆかりもないけれど、私は秋田が大好きだ。鬼門に入られた中嶋嶺雄氏(国際教養大学前学長)の薫陶を仰いだ事もあり、秋田の新聞コラムは事の他熟読しているのだ。アプリの「たて書きコラム」をダウンロードして以来、一年以上毎日「北斗星」は欠かさずに読んでいる。そして思ったことは、まず謙虚であること、そして熱心であること、何より真面目であること、の三つである。掲載した二つの北斗星をお読みいただければご理解いただけることと思う。おそらく、県を代表する新聞がそうであるのだから、秋田の方々は総じて謙虚で熱心で真面目だと推察する。なにより、一日がこういうコラムではじまる秋田県は、皆さんがおおらかで明るいはずだ。また、我が確信ひとつ。(少し飛躍するかもしれないが)毎日 北斗星を読み続け、秋田の子供たちの学力が全国一高い所以を、謙虚・熱心・真面目の県民性にあると見た。そしてその根底を支えるものこそ、秋田魁新報であると確信した。上記の北斗星では、25日付にコラム氏の、真摯な姿はもちろんのこと、その志の高さを見た思いだ。素晴らしいコラムに感謝(^人^) 秋田万歳\(^o^)/
2013.06.26
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【竜馬とゆく(竜馬がゆく/黒船来)4】『あたりまえです。わしは船がすきだから好きなものを見にゆくのに命をかけてもよい。』決死隊の覚悟をもって黒船見物に出かけようという竜馬、見つかれば即 切腹である。「ただ見物するだけで切腹をお賭けになるのでございますか」千葉さな子はたまらず竜馬に詰問する。それに答えたわけだ。好きなことは命を賭しても打ち込むのが竜馬流である。そして「好きなこと」は自分が「信じること」でもある。この先、竜馬は「信じること」に、文字通り命をかけることになり、いわばその暗示ともとれる。いずれにしても、竜馬好きはこのあたりに情緒を刺激され、どうにもたまらない気分にされるのだ。命をかけて好きなこと(信じること)をする。それを問われたら「あたりまえ」とただひとこと。多言は無用、そして間髪をおかず。この乙なあんばいに、竜馬好きは男気を感じてしびれるのである。余談であるが、亡くなった談志氏は五代目志ん生師に心酔していた。もっとも氏特有のテレで直接的ではなかったのだが。その談志氏はいう。「志ん生のアレが聞きたくて寄席ぇ通ったんだから。アレがたまらねぇんだよねぇ。」文字にするとあまりに陳腐だから「アレ」については書かないが、落語のマクラのほんのひと言である。とはいえ!ダンシガシンダ、ではなく、ダンシガシビレタ、じゃ洒落にはなりませんがね(笑)談志氏、溢れんばかりの情緒というわけだ。竜馬好きもまたしかり。話をもどして黒船。黒船来襲で各藩士は暫時藩邸待機となる。武市半平太は、まず時に備えて兵糧の餅を用意した。空腹の竜馬はそれを失敬するのだ。『竜馬は終生、餅はあくまで餅にすぎぬ、という考え方の持ちぬしだった。腹がへったときに食えばよい。』徹底した現実主義の竜馬に対し、半平太は理想主義。兵糧を『武士のたしなみでもあるし、精神(こころ)じゃ』と考える。この現実主義者と理想主義者はやがて己の道を進むわけである。その道の評価は別にして結末だけ見ると、理想主義だけでは虚しいという「歴史的事実」が残るのである。ただ、ここのくだりでは、竜馬は現実主義者ということだけではなく、理想主義も理解し受け入れている(本人も大いなる理想を持つ)という、行間も読まなければならない。さらに深読みして、現実主義とは苦しみや悩みや悲しみが伴うものであるという、実社会の紛れもない本質が存在するということを感じてほしいものだ。必要なものは理想と現実のバランスであり、竜馬はそのバランスに富んでいた、ということなのである。それにしても、餅をただ餅としての意味だけしか認めない(すなわち空腹を満たすもの)竜馬の感覚は、山頭火の金銭感覚に似ている(汗)情緒もそうであるが、これは達観とか身についたとかいうのではなく、その人のトーンとずば抜けた部分とでも言おうか、何か特殊な感覚である気がする。そして両者に共通するのは、周りにそれを理解し愛する人がいたということ。それがなければ、ただの変人になりかねないのだ。ところでこの章には作者 司馬遼太郎の、世間でいうところの「司馬史観」を見ることが出来るので、逸脱するが記す。『当時の日本人は、きわめてまれな例外をのぞいて、たれも海外知識をもっていない。むろん、三百年の鎖国という社会の環境がさせたことで、日本人の無智によるものではなかった。』この一文は「司馬史観」を考える大きなヒントであるのだが、まずもって、私は「司馬史観」とは即ち司馬さんの卓越した「人生観」であると考えるのだ。つまり、司馬さんが歴史から物事の本質を見抜き、その見識と知識によって人生で起こった問題を、徹底的に冷徹なまでに解決(検証)して説いたものこそが「司馬史観」であると思うのである。問題とは司馬さんが人生(現実)で感じた疑問や憤りや喜び等である。それを司馬さんが解明する。平たく言えば「経験論」ということだ。ただし、膨大で深甚な資料と豊富な体験に基づき、極めて客観的かつ中立な立場で語った、有史上類稀にみる「経験論」であると断言してさしつかえあるまい。上記の一文はこういうことだ。ここに綴られた歴史を考えるとき、それは学校社会で学んだ歴史的な見方なのだが、我々は「江戸時代に日本人は海外知識を持っていなかったのだ」と事象のみを見て、感想として「我が先祖はなんて無恥だったのであろう」と判断をしてしまうことがある。『三百年の鎖国という社会の環境』においては、智恵を認めず「野蛮で閉塞的」という感想に至ることであろう。「司馬史観」はこうである。歴史のひとつの事象は物事の枝葉末節にすぎず、それは偶発的な事柄に過ぎない。いわば晴れたか雨が降ったかと同じこと。肝心なことは、それがどうして起こったか、ということなのだ。つまり、なぜ海外を知らないのか、を考えるとき、鎖国がどうして起こったのか、ということなのである。当たり前のようなのだが、それこそが本質であり、そういう思考から遠いのが現状ではないか。また、それが昨今の「自虐的歴史観」の正体ではないであろうか。たとえば司馬作品の読者なら、熱いものがこみ上げた経験があるはずだ。それこそ、作者が人生で起こった問題(それは実社会であり現実そのものだ)を、徹底的に冷徹なまでに解決(検証)して導き得た結晶体であり、司馬史観の元なのである。作者の、現実を直視するときに伴う苦悩や苦痛そして悲しみを感じれば、作品の一言半句も疎かにはできないのである。
2013.06.25
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松風に明け暮れの鐘撞いて 山頭火
2013.06.24
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【バルカン超特急】「シャトルーズをもらおう。君たちも飲みたまえ」「じゃあブランデーを」「私は結構です」「疲れが取れるから一杯だけでも」「じゃあ少しだけ・・・」ヒッチコック作品の凄いのは、暗く陰気でミステリー色の強いスリラー映画を、コメディタッチのやんわりとした明るさを取り入れたところにある。また、ストーリーが単調になってしまうことを避けるため、居合わせた人物それぞれに背景を持たせている。例えば、脇役であるにもかかわらず、二人の英国紳士は共にクリケットに熱心な人物として登場し、食堂車でお茶を飲んでいる時にも熱く試合について話していたりする。あるいは、不倫をしている男女が、お互いの立場を棚に上げあれこれ揉めていたり、とにかく登場人物にハッキリとした印象付けをしているのだ。ヒロインとなるアイリスに至っては、結婚を間近に控え、独身最後の旅行を楽しむつもりでやって来たところトラブルに巻き込まれるという設定なので、現代ドラマにも通じるようなストーリー展開となっている。スリラー映画にはおなじみのスパイが絡んでいて、誘拐があって、銃撃戦で人が死んでという話の流れは、確かにワンパターンには違いない。ところがヒッチコックの演出によって、こうも技術的に優れた娯楽映画に生まれ変わるものなのかと、驚きを隠せないのも事実だ。この作品がイギリスで公開されたのは1938年。このころ世界は正に暗黒の時代で、ヒトラー率いるナチス・ドイツが席捲した時期である。その一方で、イギリスではヒッチコックがこのような鉄道スリラーを手掛けていたのかと思うと、やっぱり“強烈な緊張と暴力”というテーマを感じないではいられない。ストーリーはこうだ。バルカン半島にある某国の観光を終え、人々はイギリス往きの列車を待っていた。ところが雪崩があったようで列車は動かず、一晩足止めを食うことに。翌朝、やっと列車が出発することになったのだが、ある老婦人がメガネを落としたことに気づいたヒロインのアイリスが、老婦人に近付いたところ、ちょうどそこへ駅舎の上から植木が落ちて来た。アイリスは思わず脳震盪を起こしたのだが、老婦人が手厚く介抱し、いっしょに列車に乗り込むのだった。食堂車で老婦人とお茶を飲み、再び座席に戻ると、アイリスはうつらうつらと眠ってしまった。暫くして目を覚ますと、いるはずの老婦人がいない。あちこち列車内を探し回ってみるものの、誰もその老婦人を知らないと首を振る。アイリスは自分が脳震盪を起こしたことで、記憶喪失になってしまったのかと不安になるのだった。見どころは盛りだくさんだが、食堂車でアイリスとギルバートが睡眠薬の入ったお酒を出されるシーンがあり、ちょっとドキドキする。犯人は、早くその飲み物を口にさせたいのだが、アイリスとギルバートは話に夢中でなかなか飲もうとしない。スクリーンでは前景に2つのグラスが映っていて、いつ主役の二人があのグラスに手を伸ばすかが気になって仕方がない演出となっている。あるいは、列車内で消えたはずの老婦人が、思いがけず食堂車に現れたシーンでは、それまで知らぬ存ぜぬを決め込んでいたイギリス人が、いとも気軽に「おや、老婦人再登場だな」などと呟くのだ。こういう反応はちょっと邦画には見られない独特のものを感じるので、おもしろい。それにつけても戦時下の厳しい検閲のもとで、ヒッチコックが表現しようとしていた“強烈な緊張と暴力”を作品にするために、舞台を実在する国にせず、“バンドリカ”という架空の国にしてしまうという設定もお見事。“決して○○○国の出来事ではない”というふうにして、やんわりと検閲をかわす。そういう意味でもヒッチコックは、プロとして一流の仕事を全うしている。余談だが、邦題『バルカン超特急』と名付けたのは、今は亡き水野晴郎である。本来の直訳は『淑女失踪』=The Lady Vanishes なので、どれほど邦題のセンスが良いか、計り知れない。列車内で起きる謎の事件を予告するかのような『バルカン超特急』という邦題を、大いに評価したい。サスペンスを愛する皆さんにおすすめしたい名作だ。1938年(英)、1976年(日)公開【監督】アルフレッド・ヒッチコック【出演】マーガレット・ロックウッド、マイケル・レッドグレイヴヒッチコックの『サイコ』 コチラヒッチコックの『白い恐怖』 コチラヒッチコックの『レベッカ』 コチラヒッチコックの『裏窓』 コチラヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ』 コチラヒッチコックの『北北西に進路を取れ』 コチラ
2013.06.23
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【宮崎学/突破者】◆グリコ・森永事件でキツネ目の男と間違われた男の自伝まずはタイトルにある『突破者』とは何か? 著書によれば、「無茶者、突っ張り者のこと」であるそうな。私は関西出身ではないため知らなかったのだが、土建業の親方に多いタイプらしく、「思い込んだら一途でがむしゃら」に突っ張って職人を守る(喧嘩などいざこざがあった時など)・・・みたいな人を『突破者』と言って持ち上げるらしい。正に、そういう意味では著者の宮崎学は突破者にふさわしく、京都は伏見区の解体屋寺村組の次男坊として生まれた。この上下2巻に渡る宮崎学の自伝によれば、戦後の裏社会を駆け抜けて来た男の度胸みたいなものが、そこかしこからプンプン臭って来る。たとえそれがヤクザという、社会から大きく逸脱した集団であろうとも、その中にあってこそのやり方で筋を通し、ブレずにやって来たという誇りさえ感じる。教養や知識などさほどなく、社会の底辺を生きるという括りでヤクザを描いているが、少なくとも宮崎学とその兄は、決して無学・無教養ではない。兄は立命館大学を中退、宮崎学その人は早稲田大学を中退で、卒業こそしていないが、学力レベルは人並み以上のものを持ち合わせている。だからこそ、この自伝のような読み応えのある半生を、淀みなく綴る能力が備わっていたのだと言えよう。無論、宮崎学の過去がどうあれ、今やれっきとした文化人である。内容は、幼い頃の身辺環境から中学校では喧嘩に明け暮れた毎日のこと。さらに、京大を目指したものの不合格となり、縁があって早大法学部に入学。そこでは左翼思想に目覚め、共産党の青年ゲバルト部隊を率いて大活躍したことなどが赤裸々に語られている。興味深かったのは、グリコ・森永事件で犯人の似顔絵が公開されたのだが、そのキツネ目の男が宮崎学にそっくりで、「重要参考人・M」とされていたことの顛末が詳細に書かれていた。これは面白い。この事件当時、私はまだ小学生だったが、テレビの報道を見ては両親がああでもないこうでもないと、話題に事欠かなかったのが印象的だ。我々一般市民にとっては、裏社会のことなどあれこれ想像をめぐらすのが精一杯で、実際のところは何も分からない。そんな中、こうしてヤクザの世界の一端なりとも、その道にどっぷりと浸かっていた人物が披露してくれたことは本当に嬉しいし、有難い。高倉健や菅原文太の出演する任侠の世界が全てだと思い込んでいるわけではないけれど、もっとエグイ、グロテスクなものを内包して存在するのを、改めて思い知らされる機会を与えられた。ヤクザという、いわば社会のうしろめたい側にいる集団が、なぜ存在するのかというところにメスを入れている点を、大いに評価したい。また、中学生の学級会みたいな潔癖な正論が、マスメディアを経由して一気に世論と化す現代社会に警鐘を鳴らしているようにも思えた。多数派こそが正義であり、少数派は全て切り捨てられていく現実・・・それは対ヤクザ社会に限ったことではないことを痛感する。私は思う。男女問わず、綺麗に脱毛し、デオドラント効果バツグンの制汗剤を振り撒き、情報に遅れを取らないようスマホを駆使する合理的な人々が、当然の多数派となっている。私はほんの数年前までケータイなど持っていなかった。だが持つことにした。友人の中には、いまだ持っていない少数派に属する人もいる。私はその友人を奇異には思わない。こういう少数派が存在するからこそ、民主主義を謳歌できるのだ。『突破者』は、様々な主義、思想、いやもっと漠然とした何かを持つ人々が右往左往しながら必死に生き抜いた、戦後の50年を描いている。それはもう目からウロコの、仰天自叙伝である。おすすめの傑作だ。『突破者~戦後史の陰を駆け抜けた50年~』上・下 宮崎学・著☆次回(読書案内No.79)は花村萬月の『ゴッド・ブレイス物語』を予定しています。コチラ
2013.06.22
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【毎日新聞 余禄】「紳士は互いの信書を盗み見ない」。こう言って米国務省に他国の通信の暗号解読をやめさせたのは1929年当時の長官スティムソンだった。彼はすぐ考えを翻し、第二次大戦で陸軍長官を務めた。 もっとも国務長官当時の決定は、それにより職を失った暗号解読の専門家ヤードレーの強烈な復讐(ふくしゅう)にあう。彼は暗号解読局を表す「ブラックチェンバー」をタイトルにした著書を刊行、国務省による外交通信の傍受や暗号解読の実態を全世界に暴露してしまったのだ。 仰天(ぎょうてん)したのは日本の外務省や軍だった。そこには先年のワシントン軍縮会議で日本代表団の外交暗号が解読され、手の内が米側に筒抜けだったことが明かされていた。日本でも同著はベストセラーになったが、大戦ではまた暗号戦で完敗した(「暗号事典」研究社)。 こんな外交の世界だから今さら驚くに当たらないのだろうが、やはり釈然とせぬものも残る。2009年のロンドンG20首脳会議でホスト国の英国情報機関が各国代表団の通信を傍受していたとの英紙ガーディアンの報道である。紳士の国はまた007の国であった。 おりからG8首脳会議のホスト国を務めた英国には何ともきまりの悪いことになったが、こればかりは自業自得(じごうじとく)である。情報源は米政府の極秘のネット情報収集を内部告発したスノーデン氏から入手した資料とのことで、背景には英米の緊密な情報協力がうかがえる。 日本もその英国との首脳会談で、安全保障やテロの秘密情報交換にむけた協定締結に合意した。さてこれは互いに紳士と認め合っての協定か、それとも紳士にあらざる仲間と認められたのか?(6月19日付)~~~~~~~~G8は無事終了した。「情報」に関する話題が、合衆国の個人情報収集事件から活況を呈しているのだが、どうやら所説あるようだ。上記の毎日新聞はさしずめ「性善説」か(笑)話はそれるが防衛大学の村井友秀教授は、先日の論文で「孫子の兵法」をひき、中国の琉球発言を「心理戦」と明解する。『兵力が敵の十倍あれば敵を囲むだけで敵は屈服する。兵力が敵の五倍あれば躊躇なく攻めよ。兵力が敵の二倍なら敵を分裂させよ。兵力が敵よりも少なければ戦いを避けよ。』(諜攻篇 ※村井教授解説)村井教授の眼目はこうだ。『孫子の兵法には戦いの真髄は騙し合いである(兵詭道也)と書いてある。あらゆる手段を講じて敵の弱点を突くのは兵法の常道である。』なお論文には直接記述はなかったが、兵法の白眉たる「戦わずして勝つ」が底流にあることは明らかである。ご参考まで、同じく防衛大学の水野実教授は著書「孫子の兵法」で『詭道とは手の内を明かさない戦法のことである。』と解説している。もうひとつご参考まで、「孫子の兵法」は紀元前の中国春秋時代に書かれた兵書である。それが世界各国で今の時代まで読み継がれ、数多ある兵書の中で筆頭に挙げられるのだ。さて情報にもどる。事件(というか漏洩か?)が表ざたになったのでアレコレ取りざたされているのだが、本当のところ「あながち有り得るよね」「まあ、そんなもんでしょ」というのが実感ではないだろうか?それが大人でしょう(笑)これをして青天の霹靂に思う人は、そういないのではないであろうか?現実を見て世の中を判断した場合、そういう世界は容易に考えられると思うのだが・・・現実を直視するには苦痛や悲しみを伴う。だから現実を逃避している主張(ゆがんだ理想か)には、苦痛や悲しみから逃れているように思えてしまうのだ。先に「性善説」と書いたが、性善説は理想主義とも言い換えられる。理想は必要だ。それを否定しているのではない。ただ、どうも違和感を覚えてしまうのは、私がすれっからしだからか(汗)そして新聞やテレビの主張の元となる性善説や理想主義は、どうも正義や人道を「売り(商品)」にしていると感じるのは、我がすれっからしの極みであろうか(笑)ときに「孫子の兵法」では戦う前の心得を挙げ、最重要課題に位置づけている。『彼を知り己を知れば、百戦危うからず。彼を知らず、己を知れば、一勝一敗す。己を知らざれば、戦うごとに危し』水野実教授の訳はこうだ。『敵の戦力を知り、味方の戦力を知っていれば、百戦しても危険がない。敵の戦力を知らずに、味方の戦力だけ知っていれば、勝ったり負けたりである。敵の戦力も味方の戦力も知らなければ、戦いのたびに危険が伴う。』
2013.06.21
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【竜馬とゆく(竜馬がゆく/江戸へ)2】『眼の前でにこにこ笑っている青年が、幕府をふるえあがらせるほどの大立者になろうとは夢にも予想できない。ただお登勢はおもった。「なんと可愛らしい若者だろう」無愛想なくせに、肌からにおってくるような愛嬌があった。』寺田屋の侠女 お登勢との縁はここからはじまる。竜馬の愛嬌は『肌からにおってくるよう』であったという。つまりこうだ。『竜馬には人を慕い寄らせる香りのようなものがある』~お田鶴さま~竜馬の魅力が漂ってくる。それは天性のものか、おおらかな家庭で築かれたものか、いずれにしても竜馬の徳のひとつであろう。だからごく自然に、知らず知らずのうちに周りは竜馬に魅せられていくのだ。そしてこれもまた竜馬の魅力、はじめて富士山を見たときの感想である。『塩見坂の海と山と天が、自分の限りない前途を祝福してくれているように思えるのである。』『血の気の熱いころにこの風景をみて感じぬ人間は、どれほど才があっても、ろくなやつにはなるまい。』『一瞬でもこの絶景をみて心のうちがわくわくする人間と、そうでない人間とはちがう。』こういう感情は必ず他人に伝播する。薩摩の西郷が慕われたのもその所以であろう。『りくつよりも、気分なのだ。』~千葉道場~そういうことなのだ!ときに竜馬はこの先、何度もこの風景を目にすることになるのだが、きっとここを通るたびに初心を思い出しては、血潮をほとばらせたことであろう。かつてベストセラーになった藤原正彦氏の「国家の品格」の中で藤原氏は日本人の情緒を、「自然に対する繊細な感受性」を言い表している。竜馬はその感受性が人一倍豊富だったのであろう。なお藤原氏は、その情緒こそを国家の品格をなす最も重要な要素として挙げている。
2013.06.19
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六月を綺麗な風の吹くことよ 正岡子規ああ、俯瞰は楽し♪
2013.06.18
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【南日本新聞 南風録】西郷隆盛といえば、かっぷくのいい大男がおおかたのイメージだろう。だが、沖永良部島 和泊町にある像は趣が違う。頬はこけ、ひげを伸ばし、やせ細った体で座禅を組む。 藩主の父島津久光の怒りをかい、流罪になった西郷をしのんで、和泊西郷南洲顕彰会が没後110年に当たる1987年、獄舎跡地に建てた。格子囲いの牢(ろう)でめい目する姿は、武人ではなく哲人の雰囲気を漂わせる。 吹きさらしの牢は海に近く、潮や砂混じりの風雨が容赦なく生身を痛めつけた。島役人の厚情に命を救われた西郷は、南の島で学問を修め、思想、人格を磨いたという。 NHK大河ドラマ「八重の桜」に登場する西郷も、今までと違ったイメージで描かれている。倒幕に向けて長州とひそかに結び、禁門の変では友軍だった会津を切り捨て、挑発を仕掛ける策士としての西郷だ。 かつてないヒール役として描かれることに、複雑な心境のファンもいるだろう。ただ、会津の視点に立てば、あながち的外れとは思えない。冷徹で知略にたけた、アンチヒーロー西郷。役者なら「新境地開拓」といったところか。 忠臣蔵の吉良上野介、安政の大獄の井伊直弼、いずれも時代劇では悪役だが、国元では誉れ高き名君と慕われている。一方からだけ当てられた光が強すぎると、見えにくくなるものがある。郷土が誇る維新の英雄が一層魅力的に思えてきた。(6月12日付)~~~~~~~~「西郷先生は、」Yは西郷隆盛を語るとき、必ず「西郷先生」と言った。浪人下宿の三畳間には古ぼけた西郷の切抜きが貼ってあった。今から三十年前の話だ。コラムを読んでYのことが頭に浮かんだ。生粋の薩摩隼人であるYには「八重の桜」に登場する西郷は許せないことであろう。「複雑な心境」ではすまされないはずだ。後に鹿児島を一人旅した時、天門館で延々と西郷論を語ってくれたおじさんがいた。きっと彼もそうであろうと推察する。かくいう私も、薩摩とは国が異なれど西郷好き暦20年、心穏やかではいられない。だから、かの地で西郷擁護(というか主張か)の不穏な空気が流れていることを密かに期待もしているのだ(笑)思うにコラム氏も「複雑な心境」ではないのか(笑)行間からそう読んだのだがいかがでしょうかね。先の大河ドラマではどこぞの知事が製作に毒づき失笑を買うという例もあり、コラム氏は筆を抑えている、そう読むのは私だけかしらん。ところで歴史を語るとき司馬遼太郎抜きでははじまらない。仮にも「私は歴史が好きです」という人は、司馬さんの著書の二三冊は読んでいるはずであろう。私はここに司馬さんの真骨頂を見る。「たとえばですよ。高杉晋作が生きて出でてきて煙草屋のカドでたまたま会ったとする。高杉から「あなたの書いた高杉晋作は大げさすぎる」と言われても「歴史の立ち位置からみると私が書いたとおりです」と言い返せるぐらい、歴史小説は調べ上げてから書かなければならない。」週刊司馬遼太郎7「私と司馬さん」から誠に、誠にもってシビレル限りのひと言なのだが、その司馬さんがいみじくも言うのだ。西郷をして「こういう種類の人間は、世界史にないようにおもう」と。そしてまた「尋常な人間知識、人間理解のていどでは、ああいうにんげんはよくわからない」と。とどめはこうだ。「私は、西郷隆盛という人物については、しらべられるだけ調べて、この人物がうまれた鹿児島にも何度かゆき、必要な人にも会い、かつ考えもした。そういう意味での資料でなら、百時間でも語れる。しかし、どう語ったところで、西郷は出てこない」司馬さんは最後にこう結論付けるのだ。「西郷は会ってみなければわからない」(いずれも「竜馬がゆく」から)かの空海ですら縦横無尽に綴る司馬さんをして「会ってみなければわからない」とまで言わしめたのは西郷隆盛だけではあるまいか(^^)vそれはそうと司馬さんは西郷好きの所以をこう解いている。「(西郷は)極度に大人な部分と、幼児のようなあどけなさが一つの人格に同居している。西郷の魅力は、この相反するものがこの男の人格のなかでごく自然に同居し、間断なくその二つの顔が出たり消えたりし、さらにそれがきらきらと旋回するような光芒を発するところにあるらしい」一見、論理であるようだが?結局のところ天門館の西郷好きのおじさんと同じだ!好きだから好きなんだ、そして、好きなものは好きなんだ、そこに行き着くわけである。「八重の桜」は見事な脚本だ。演出も素晴らしい。そして会津にカタルシスを求めるのだから薩摩が悪役となってしかたがない。しかしいずれにしても、西郷を描くには役が重すぎる、そういうことになると思う。さて、西郷好きの諸兄は溜飲を下げられたであろうか(笑)「議を言うな!」そう言われそうで心配です(汗)(議を言うなは「理屈を言うな、という意味につかう」、そう天門館のおじさんにお聞きしました。)
2013.06.17
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【戦争のはらわた】「シュタイナー、彼は・・・シュトランスキーはお前を嫌っている」「分かってる、大丈夫さ」「ナチ党のタイプと関わるな・・・まったく、プロイセンの貴族軍人金持ちめ!」もうタイトルからしておどろおどろしく、見ようかどうしようか迷いに迷って、やっとの思いで視聴することにした。そんな思いまでして見る必要などないではないかとツッコまれてしまいそうだが、手元にある作品は、縁があって私のもとに舞い込んで来た(?)わけなので、ありがたく最後まで視聴させて頂くことにした。一言で言ってしまえば、戦争映画以外の何ものでもない。1949年のロシア戦線における、ドイツ軍とソ連軍の攻防を描いている。冒頭からいきなり「ちょうちょ~ちょうちょ~♪」のメロディーが流れて、一瞬困惑してしまった。これは日本の唱歌だと思っていたが、もとはドイツ民謡だったのかと改めて知った。しかも、あれだけ壮絶な戦闘シーンに、「ちょうちょ~ちょうちょ~♪」のメロディーが後ろで流れていると、かえって不気味だ。さらには、作中に登場する新任のシュトランスキー大尉という貴族の末裔とやらに、怒り心頭だ。(無論、作中のキャラクターに腹を立てているわけで、映画に対する中傷ではないのであしからず)このシュトランスキーという男、軍人の風上にも置けない人物で、とにかく名誉欲が強く、自己中心的なのだ。この人物の登場で私はラストまでイラっとしっぱなしだった。ストーリーはこうだ。第二次世界大戦の対ロシア戦において、ドイツ軍は敗色を濃くしていた。それでもシュタイナーの率いる小隊は、ソ連軍の猛攻撃に必死で対抗するのだった。ある日、フランスからシュトランスキー大尉が新任として着任した。プロイセン貴族の末裔であり、並外れて名誉欲が強く、鉄十字勲章に執着していた。そんなシュトランスキーと折り合いが悪いシュタイナーは、ソ連軍の少年兵についての扱いや、部下に対する管理をめぐってとことん対立してしまう。その後、ソ連軍の激しい攻勢にシュトランスキーは怖気づいて、指揮を執ることができず、次々と兵士たちを犬死させてしまった。また、そのせいでシュタイナーさえも重傷を負い、病院へと送られる。だがシュタイナーは、持ち前の正義感と、仲間を思う気持ちから完治を待たず、再び最前線に出向くのだった。このような戦争映画のほとんどが、反戦をテーマにしていることは言うまでもないが、『戦争のはらわた』はどうやら少し違っているようだ。私が見たところ、このシュトランスキーみたいな卑怯な男を糾弾する意図も感じられるのだ。こんな貴族の末裔とやらに、軍を率いられてなるものかという反骨精神と、敵はソ連軍ではなく味方の中にいるのだという血生臭い現実を突きつけている。敵を何人も殺して英雄扱いをされるキャラクターには、もう飽きた。そんな戦争映画はいつか廃れていくことだろう。だが『戦争のはらわた』は、本来の現実をイヤというほど見せつけて、視聴者の機嫌を取ることは一切ない。映画としては、それも一つの手法であろう。それこそが映画としての役割でもあるのだから。対象は男女問わず、と言いたいところだが、女性には少し退屈な戦闘シーンばかりが続くこともあるので、男性向けかもしれない。この世で一番見苦しい、卑怯な男の末路をこの作品から学んで欲しい。1977年公開【監督】サム・ペキンパー【出演】ジェームズ・コバーン、マクシミリアン・シェル
2013.06.16
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【藤枝静男/欣求浄土】◆彼岸での一家団欒こそ至福の時白樺派の文学に傾倒した藤枝静男は、志賀直哉の虜となる。だから作品はどれも白樺派の流れを汲み、己を冷静で客観的な視点から捉え、私的な事柄を赤裸々に、だが格調高く表現することに成功している。プロフィールによれば、藤枝静男は現在の静岡県藤枝市出身なので、おそらくペンネームもそのあたりから拝借したのかもしれない。作品は静岡県中部、西部地方が多く舞台となっており、作中の登場人物のセリフが方言丸出しで、かえって好感が持てる。気取っていなくて、それでいて硬質な文体という優れものだ。私が思わず涙したのは、『欣求浄土』という連作の中の一つ、〔一家団欒〕である。これは究極のファンタジー小説と言っても過言ではない。それなのにリアリティに溢れ、読み手が物語にすっと入り込んでしまうのだから不思議だ。これは主人公・寺沢章がこの世の生を終えて、親・兄弟の眠る墓地へ出向くところから始まる。そこに妻の存在はない。妻は明らかに外部の者であり、章(藤枝静男)にとって彼岸の向こうでは、いわば、他人なのだ。話はこうだ。寺沢章は、美しい茶畑に囲まれた菩提寺を訪れた。そして両親と兄弟らが眠る墓石の下にもぐって行った。「章が来たによ」と父が出迎えてくれると、続いて姉が「あれまぁ」と懐かしい声を響かせる。姉は18歳で亡くなっているので、その年齢のままの姿なのだ。章は亡くなったとき59歳なので、姉よりもずっと老けていて、頭も禿げている。しかも死亡時に臓器提供しているため、父が心配して「章、交通事故にでもあったかえ」と訊いた。「そうじゃあない。内臓をみんな向こうへ寄附してきたで、眼玉もくり抜いて来ただよ」 「お前も相変わらず思い切ったことをするのう」章は、父を前にすると、急に胸が迫ってきて涙がこみあげて来た。「父ちゃん、僕は父ちゃんに悪いことばかりして、悪かったやぁ」「ええに、ええに。お前はええ子だっけによ」そう言って父は、章を一切責めることなく、慰めるのであった。ここでの章という人物は、正しく藤枝静男自身のことであり、あの世での肉親との再会は切実な願望に違いない。本職が眼科医であった藤枝は、医療に携わる傍ら、私小説を書き続けた人である。そこには、過酷なまでに自分を見据えた、拷問のような眼差しを注いでいる。全編に自虐的な、甘やかしのないメスで切り刻んでいく鋭さが感じられるのだから、さすがは医師である。常に両親に対する侘びの気持ちが溢れていて、過去を赦せない自分を持て余しているようにも思える。だが〔一家団欒〕では、全てが報われ、癒され、救われている。家族そろってお祭りに出かける場面は、何とも言えない郷愁を誘う。この作品を読むと、生を全うした後、必ずや訪れる死の影も、まんざら悪くはないと思わせる不思議な優しさを感じるのだ。藤枝静男は、知る人ぞ知る作家ではあるけれど、一読するとやみつきになってしまう独特の世界観に覆われている。『欣求浄土』の他に『悲しいだけ』という作品もあるが、これも併せてお勧めしたい傑作だ。『欣求浄土』藤枝静男・著コチラ
2013.06.15
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【竜馬とゆく(竜馬がゆく/門出の花)2】『座禅を軽蔑し「座るより歩けばよいでないか」とひそかに考えた。座禅に行って、半刻、一刻の座禅をするよりも、むしろそのつもりになって歩けばよい。いつ頭上から岩石がふってきても、平然と死ねる工夫をしながら、ひたすらにそのつもりで歩く。岩石を避けず、受けとめず、頭上に来れば平然と迎え、無に帰することができる工夫である。』江戸へむかう街道にて。竜馬にとって歩くことはすなわち訓練であり、「無」の境地は歩いて体得した。維新回天前、新選組を中心とした刺客に襲われた折りに、竜馬はその「心胆(境地)」と剣術修行から得た「間」で難を逃れることになる。江戸への途上、岡田以蔵にからまれる。「竜馬は、男のなかでも一番手におえないのはこういう男だとおもった。小心な男だけに、せっぱつまると、何を仕出かすかわからない。」~江戸へ~そこで竜馬は『岩石』のような岡田以蔵に『避けず、受けとめず』そして『平然と迎え』えるのである。竜馬の対応はこうだ。「俺は幸い、金に不自由のない家に育った。それは天の運だ。天運は人に返さねばならぬという。」~江戸へ~そういって懐中の五十金を岡田以蔵にくれてやるのである。ところで竜馬が歩くとき「無」の訓練と同様に、それは学習の場でもあった。机上の勉強に合理性を認めなかった竜馬は、ひたすら歩きながら勉強したわけだ。「あの桂浜の月を追って果てしもなく船出してゆくと、どこへゆくンじゃろ。」~お田鶴さま~アレコレ思考をめぐらす竜馬である。経験や知識と、世間の整合するところから仮説を導き出し、それを検証するためにまた歩くのが竜馬流の勉強である。勉強が積み重なり、竜馬の知恵となり、そして叡智となった。竜馬の勉強は現代風にいうと、安岡正篤先生の言われた「活学」の実践であり、また中村元先生の「学問が身についてきた」と評するところだ。そして、考えるより先に実際に自分でやってみるのも竜馬流である。「それよりも、おれにやらせてくれ。お前はそこについていて、いちいち手直ししてくれればいい。」~お田鶴さま~船中で船頭に梶を教わる竜馬は、「旦那、ひとつ梶を教えましょうか」という船頭の申し出に対しそう答えたのだ。何事も実際に自分でやってみる、という竜馬のスタンスまた、竜馬の情報収集(取材)の基本姿勢にもなった。つまり三次情報より二次情報、確かなのは一次情報というわけだ。竜馬は、1.自分で2.直接やる(見る)3.そこから判断(行動)したのである。
2013.06.14
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【朝日新聞 天声人語】~自分から一歩外に出て自分を見る~現実がよく見えた人だった。なだいなださんは、ネット上の仮想政党「老人党」をつくり、政権交代を目指した。09年、民主党政権ができる直前、日本政治の惨状を肺炎に見立てた。交代が実現しても「患者の熱が一時下がっただけのようなもの」と、本紙に語っている。 政権交代を3回、4回と重ね、治療を続けてやっと肺炎は治っていく。政治が一挙に変わるかのような空気の中、この精神科医が下した診断は透徹していた。多才な文筆家でもあった、なださんが亡くなった。 現実を見すえつつ楽観主義を貫いた。名著『権威と権力』では、〈絶望的な状況でも、希望を失わない人間〉に自身をなぞらえる。そして理想とは〈たどりつけるもの〉ではなく、〈見つめるべきもの〉である。 権威も権力もない社会は来ないとわかった上で、状況への発言を続けた。第1次安倍政権のナショナリズムへの傾斜を「国家中毒」と批判した。いまのアベノミクスも疑い、先月末には〈浮いた気分も、もう終わりでしょう〉と書いた。 大切にした臨床での心得がいい。アルコール依存症は「治す」のではなく、患者と「つき合う」。医師の仕事は「人間というものがよく見えるし、自分自身のいいところ悪いところが鏡のように映る」。 残り少なくなった日々、周りの家族のつらさを深々と気遣っている。ブログに〈結局死んでいくぼくが一番楽なのかもしれない〉と綴(つづ)った。「自分から一歩外に出て自分を見る」流儀を最後まで通して逝った。(6月11日付)~~~~~~~~一昨日、なだいなだ氏が逝去された。謹んで、心よりご冥福をお祈り申し上げたい。『自分から一歩外に出て自分を見る』最後に素晴らしい助言を頂戴した。我々は、なだ氏のように自己を冷徹なまでに客観的に冷静に見つめ直さなければならない、そう思った。ところで天声人語。ツラツラと読むに、なだいなだ氏が何やら社会主義の尖鋭に思えてくるのだが、はたしてそうであろうか。氏は陸軍幼年学校で終戦をむかえた。そして後にフランスへ留学するのであるが、それは陸軍幼年学校での教育が下地になっていたと推察できはしないだろうか。私は氏の一言半句は社会批判ではなく、国を憂う想いに他ならないと考えるのだ。(国を憂うと、いわゆる右翼主義はまったく異なる。)天台大僧正の荒了寛氏はこう説く。ことに臨んで『「他人のせい」ではなくすべて「自分のせい」にしてみればいい』と。これまさに真理である。『自分から一歩外に出て自分を見る』とはそういうことではないであろうか。なだいなだ氏は、あいつが悪いからこいつが悪いからとか、ましてや政治が悪いから国家が悪いから、という薄っぺらで安っぽい批判気などもうとうなかったはずだ。死の間際に『結局死んでいくぼくが一番楽なのかもしれない』と達観できる人は、もっと崇高な視点であったと思うのだ。なだいなだ氏は、真に国家の平和と安全を願っていたと私は信じて疑わない。なださん。これからは彼岸で我が国の行く末を見守ってください、お願いします。それからコラム氏には謹んで申し上げたい。『自分から一歩外に出て自分を見る』何より大切なのは『自分から』ということです(^^)v北國新聞の時鐘(抜粋)に以下がありましたのでご参考まで(笑)~~~~~~~~好んで山を描き、決まって山の傍らに一片の雲を描いた画家から聞いた話。あの雲は、画家が亡き妻をしのんで絵筆を走らせたに違いない。高名な美術評論家がそう「解説」したという。誰よりも画家当人が驚いた。描きたいから、そうしただけ。「まったく、評論家の理屈には閉口する」(6月11日付)~~~~~~~~
2013.06.13
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【辺見庸/もの食う人びと】◆食うことへの執念が生きる執念でもある己が幸か不幸かは自分が決めることだが、他人様の幸か不幸かを決めるのはおこがましいことかもしれない。とはいえ、自分を基準に考えた時、明らかに他人様をめぐる劣悪な環境を知った時、改めて己の幸せを感じる。それはとても残酷なことではある。生まれた瞬間から生じる不平等の始まりだ。こればっかりはどうすることもできない。肌の色が白か黒か。男か女か。紛争地帯に生まれたか否か。自分では選択することのできない様々な問題に関して言えば、私はこの日本に生まれ、今は亡き両親の子として育てられたことを誇りに思うし、幸せだ。家庭が貧しくても清潔であたたかな食事を普通に与えられた。畑でもぎ取ったトウモロコシを、茹でただけのあの味は、甘く、瑞々しく、夏の夕飯のご馳走だった。キーンと冷やしたトマトを輪切りにして、塩をふりかけただけのサラダ、あれも美味しかった。我々の生きる根源でもある“食”は、所が変わればその事情も大きく変わる。『もの食う人びと』は、ジャーナリストである辺見庸が命懸けで世界を巡り、“食”についての取材を記事にしたルポルタージュである。衝撃的な記事はいくつもあるが、とりわけ凄まじい“食”に関する記事を紹介しておこう。〔ミンダナオ島の食の悲劇〕は、戦時中、日本兵が現地人を殺害し、その人肉を食べたという記事である。その場所には、野生の豚や鹿はもちろん、自生のサトイモなどがそこらじゅうに生えていたというのに、当時の日本兵はあえて現地人を数十人も食べて生きながらえていたのだ。辺見庸の記事によると、から発した行為だったとのこと。つまり、正気の沙汰ではなかったのかもしれない。〔バナナ畑に星が降る〕は、アフリカのマサカという農村地帯で、村民がエイズによってバタバタと亡くなっているというもの。知識の欠如から、いまだに何かの祟りと信じる者が多いらしい。エイズ患者には、バナナより(※)キャッサバの方が栄養があると言って、茹でただけのそれを食べるのだ。(※)キャッサバ・・・トウダイグサ科の熱帯低木さらに、病院代わりに“魔法使い”のところへ出向き、エイズに効くという得体の知れない煎じ薬をもらって口にする。もうこのあたりの現実に触れると、食べること飲むことの意味も、虚しく感じてしまう。 私は今さらのように、「ありがたい、ありがたい」と思わずにはいられない。見知らぬ人が食べ残したものをあさって食べるわけでなく、チェルノブイリのような高い数値の放射能汚染された食材を口にすることもなく、この素晴らしい環境に感謝の気持ちでいっぱいだ。マックのハンバーガーや、スガキヤのラーメンを鼻で笑う人たちに言ってやりたい。「バングラディシュの街角で、残飯をなけなしの金で買う人々を見ろ!」「ソマリア紛争地帯で、食べる物がなくて枯れ枝のようになっている子どもたちを見ろ!」と。この本は、グルメを気取る人も、そうでない人にも読んでもらいたい一冊だ。『もの食う人びと』辺見庸・著コチラ
2013.06.12
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室生犀星は腰に一本刀を落し差しにして、文学の世界の広い原っぱに一人、風に向って立っていた。【ほめられた:室生犀星 ほめた:森 茉莉】~~~~~~~~『ほめ言葉大事典』著者の清水義範氏は言う。ほめられれば、人は成長し、子供はよい子になり、奥さんは優しくなる。わかっているのだが、でも人をほめるのは難しいのだ。人をほめるというのは、プラスのエネルギーがいることである。ほめるよりけなすほうが絶対に楽だ。ほめるには実際の行動がともなう。しかも我慢や無理を強いられるというわけだ。でも、人が成長し、子供がよい子になり、奥さんが優しくなるならおおいにほめようではあるまいか(^o^)~~~~~~~~清水義範氏の感想はこうだ。『すごい言い方である。めちゃくちゃ格好いいではないか。森鷗外の娘の茉莉が、室生犀星を孤独な侠客のようにほめた。』「侠客」は傑作だ。その解説がある。「一本刀はやくざ者の特徴なのだ。」そう、室生犀星は武士ではないのだ!つまり森茉莉は犀星を、鍬(くわ)や鋤(すき)を手にする農民にたとえることなく、二本差しの武士にたとえることもなく、まして妙相なる聖にたとえることもしなかった。そして、いわば落としどころとして、斜にかまえるやくざ者にたとえたわけだ。だとすると、これってほめ言葉?文藝の香りと格調が漂うひと言ではあるのだが・・どうも森茉莉さんのオホホ顔が目に浮かぶなぁ。ときに清水氏の作家論はこうだ。『悲しみの中の力強さのようなものがあった。』コチラ、清水義範氏のニヒルな笑いが浮かびます。どうやら「ほめ言葉」は、額面どおりでなくそこに垣間見える上質なる皮肉も見なければならない、そういうことなのだ。
2013.06.11
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五月最終日に秋田魁新聞 北斗星でヘェ~!と驚き、月が変わって岩手日報 風土計にとどめを刺された感じだ(汗)かなりのカルチャー(?)ショックである。まずはご一読を。~~~~~~~~【秋田魁新聞 北斗星】数日前の夜、JR秋田駅前からタクシーに乗った。すぐに鼻を突いてきたのが、たばこのやにの臭い。運転席の脇にふた付きの灰皿が置かれていた。待機時にでも吸っているのだろうか。 車が動きだすと同時に座席の窓を全開にした。臭いを嫌がっているのを運転手も察知したらしい。風通しを良くするため、運転席の窓を少し開けた。無言の車内には気まずい空気が流れ始めた。 自宅に着く直前、「運転手さん、たばこを吸うんですか?」と聞いてみた。「ええ。臭いますか」と運転手。「灰皿置くのはやめたほうがいいですよ」とやんわり注意し車を降りた。 驚いたのは翌日。同じ場所から同じタクシーに乗り込んでしまったのだ。灰皿が消えていた。「覚えてますか、昨夜の客です」。運転手はこちら以上にびっくりした様子。おわびの言葉に続き、「たばこをやめようと考えています」。その後は接客マナーのことや業界の話題など車内で会話が弾んだ。 これまでたばこの臭いを指摘されたことがなく運転手に甘えがあったのかもしれないが、思い切って口にしてよかった。ただ、車という閉鎖空間で直接注意するのは正直大変だった。 県内のタクシー運転手の接客態度は以前よりずっと向上している。しかしマナーの悪い運転手がまだ一部いるのも確か。そんな運転手は9月から秋田駅前などで待機できなくなるといい、講習会も開かれる。「いらっしゃいませ」の一言からまず始めてみてはどうだろう。(5月31日付)~~~~~~~~【岩手日報 風土計】その優しさに心が和んだ。盛岡市内のレストランでの出来事だ。昼食時間帯で店内は混雑。テーブルを挟んで若い女性と向き合ったオーダーしたパスタがくるまで一服しようと、たばこを手にして止まった。女性のバッグの中から、ちらりと「母子」の二文字が見えた。母子手帳だ。たばこを吸うわけにはいかない。それがマナーだたとえ、テーブルに灰皿があったとしても女性と同席した際は、同意を求めてから吸うように心がけている。このときは聞くまでもなかった。間もなく、女性にも注文の品がきたこの店では食事にコーヒーがつく。女性が食べ終えるタイミングを見計らってウエートレスが聞いた。「普段はコーヒーですが、オレンジジュースか何か、別なものにしますか」。コーヒー成分が胎児に影響してはと体調を気遣っての配慮だウエートレスも母子手帳に気づいていた。女性は「ありがとう」と笑顔で応えた。ウエートレスのさりげない対応ははたから見ていても気持ちがよかった。皆がこんな小さな思いやりを持てば、もっと心豊かで暮らしやすい社会になるだろう「すてきな気配りでした」とウエートレスに声をかけた。すると「お客さんはたばこを我慢していましたよね」と返された。なかなかの観察眼。この日の食事はいつも以上においしく感じた。(6月6日付)~~~~~~~~コラムを読んで軽い時代錯覚を感じた。そういえばこんな小説を読んだことがある。主人公が新聞を開くと以前の事件が載っており、日付を見ると過去のものなのだ。そう、主人公は過去にタイプスリップしたのである。幸か不幸か(笑)コチラはタイムスリップはなく、今の話なので違和感を覚えるのだ。それにしても、今にも煙が臭ってきそうな勢いに、思わず顔をしかめずにはいられなかった(>_
2013.06.10
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【北北西に進路を取れ】「君を離したくないな」「あなたは撃たれて重体のはずなのよ」「生気が溢れそうだけどね」「あなたはどっちの味方なの?」「もちろん君の味方さ」ヒッチコック作品の中で、私のお気に入り3本のうちの一つがこれ、『北北西に進路を取れ』である。見どころがありすぎて、どこから紹介したら良いのか分からない。頭に浮かぶ名シーンを、大まかに二つだけあげておこう。まず一つめは、見渡す限りの平地で農薬散布の飛行機が、主人公ロジャーを追い掛け回すシーンだろう。このシーンがなぜ面白いのかと言うと、一般的に殺害のシーンと言えば、もっと人物を危険な暗がりの環境に置いて、そこへ何者かが忍び寄るというものであろう。ところがヒッチコックの発想たるやどうだ。建物一つなく、人っ子一人いない真昼間の平野で、ただ一人ロジャーが待ちぼうけを食う。油断していると、農薬散布の飛行機が飛んで来てロジャーに発砲しながら追い掛け回すというものだ。これはスゴイと思った。一見、のどかで恐怖とは対極にある無人の平野が舞台となっているのだから。またもう一つに、ラシュモア山のリンカーンの彫刻上を、主人公のロジャーとヒロインが追っ手から逃げるシーンがたまらない。はっきり言ってヒヤヒヤした。山の斜面に彫られたリンカーンの顔の辺りを、転げ落ちそうになりながら二人で逃げ回るのだから、それはもうスリリングなのだ。ヒッチコック作品のおもしろさは、ありきたりな設定を排除し、常に斬新さを求める探求心にあるのかもしれない。ストーリーはこうだ。ニューヨークのホテルで打ち合わせをしようとしたところ、ロジャー・ソーンヒルは見知らぬ二人の男にムリヤリ連れ出されてしまった。どうやら二人の男は、“ジョージ・キャプラン”という人物とロジャーを間違って連れ去ったのだった。ロジャーは広告代理店の経営者で、全く無関係の立場にあった。その後、ロジャーが到着したのは、郊外のタウンゼントと名乗る紳士の邸宅だった。タウンゼントは勝手にロジャーをキャプランと思い込み、ビジネスの依頼をして来る。だがロジャーには身に覚えがなく、きっぱりと断ってしまう。タウンゼントはそれを仕事の拒否だと受け取り、男たちにロジャーを始末させようとする。男たちは、嫌がるロジャーを押さえつけ、ムリヤリ酒を飲ませ泥酔させた。酩酊状態のロジャーを車に乗せ、飲酒運転による海への転落事故死と見せかけるための偽装だったのだ。主人公ロジャー役のケーリー・グラントは、本当にダンディだ。私はできることなら、イングリッド・バーグマンとケーリー・グラントのツーショットでこの作品を見たかった。ヒッチコック作品ではジェームズ・ステュアートも常連だが、『北北西に進路を取れ』では、やっぱりケーリー・グラントが相応しい。イギリス人俳優らしく紳士的で、思いやりのある役者さんとして有名だ。スターとして充分な経済力を持っていたにもかかわらず、常に堅実だったという噂も好感が持てる。だが、そういう人柄を見込んで、自身の映画に積極的に出演オファーするヒッチコックその人の、真面目さ、慎重さも窺える。『北北西に進路を取れ』は、スリラー・サスペンスはもちろん、ラブ・ロマンスさえ堪能できるヒッチコック最高傑作と言っても過言ではない。万人におすすめの逸作だ。1959年公開【監督】アルフレッド・ヒッチコック【出演】ケーリー・グラント、エヴァ・マリー・セイントヒッチコックの『サイコ』 コチラヒッチコックの『白い恐怖』 コチラヒッチコックの『レベッカ』 コチラヒッチコックの『裏窓』 コチラヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ』 コチラ
2013.06.09
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【島崎藤村/新生】◆実の姪を妊娠させて傷心の渡仏、帰国後再び関係を持つ男私もこれまで女性週刊誌のゴシップ記事やらタレントの暴露本まで、ありとあらゆる私的で低俗な小説を嬉々として読んで来た。だが、島崎藤村の『新生』を越える私小説には、まだ出合っていない。お断りしておきたいのは、島崎藤村が、『ダディ』を書いた郷ひろみや、『ふたり』を書いた唐沢寿明のようなタレントではなく、れっきとした文士であることから、いくらジャンル的には同じ私小説とはいえ文学性において当然差はある。それにしても島崎藤村の思い切った告白には、何とも言いようのない、不愉快極まりないものを感じてしまう。というのも、藤村はあろうことか、実の姪と関係を持ってしまい、妊娠までさせているのだ。その辺の経緯をつらつらと語っているのだが、どう読んでも自己弁護を超えるものではない。そこから贖罪の気持ちなど微塵も感じられないのだから、読者はますます憂鬱にさせられる。このようなタブーをあえて公にすることに、どれだけの意味があったのだろうか?とはいえ、後世の我々が、ああだこうだと野次を飛ばしながらも読まずにはいられないほどの吸引力があるのだから、充分に意味のある作品なのだが・・・。話はこうだ。作家で、男やもめの岸本は、幼い子どもたちの世話や家事を、姪の節子に頼っていた。妻はすでに病死していたのだ。最初は節子の姉・輝子と二人に面倒を見てもらっていたのだが、じきに姉の方は嫁ぐことになり、節子のみになった。岸本は、毎日顔を合わせているうちに、己の寂しさやら欲望から節子と関係を持ってしまう。その後、節子が妊娠してしまう。岸本は、実兄(節子の父)に合わせる顔がなく、フランスへの留学を決める。面と向かって真実を話すこともできず、結局、渡航中に手紙を書いて、節子のことを詫びた。数年後、ほとぼりが冷めたころ帰国。しばらくは兄の宅へ居候の身となるものの、何かと節子が不機嫌なのが気にかかる。ある時、思い余って岸本は節子に接吻を与えてしまい、再び二人のヨリは戻ってしまうのだった。『新生』は、当時の朝日新聞に掲載された連載小説なのだが、藤村の子どもらがそれらを目にして受けたショックなどを考えると、胸が痛む。まさか自分たちの母親代わりになってくれていた、従姉の“お節ちゃん”が、父親(藤村)と近親そうかんだったなんて!しかも自分たちとは母親の異なる弟までいるとは!藤村は、自分の実子らがこの先どれほどの苦悩を抱えるかなんて、さほど考えもしなかったのであろうか?貧しい一族の中で、ただ一人、作家として成功した藤村にのしかかる負担は大きかったかもしれない。経済的な面で、一族がどれだけ藤村一人を頼ったことか知れない。だが、それを慮ってみたとしても、道徳上のタブーは決して犯してはならないはずだ。 『新生』を読んだ芥川龍之介は、次のように述べている。「『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出会つたことはなかつた」様々な見解があるだろうが、やはり私も芥川に同感だ。この作品は、私小説に偏見を持たない方におすすめかもしれない。『新生』島崎藤村・著☆次回(読書案内No.76)は辺見庸の『もの食う人びと』を予定しています。コチラ
2013.06.08
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【竜馬とゆく(竜馬がゆく/門出の花)1】『作法とか、礼儀とかいった、人間が作った規律があたまからうけつけられないたちらしいのである。もっとも天性の愛嬌があるから、人はだれも不快がらず・・』竜馬は剣術修行のために江戸へ出立する。竜馬の愛嬌は天性のものらしい。愛嬌はマイナスの要因をプラスに転じる。竜馬は天性の愛嬌で幕末の様々な難局を愛嬌で乗り切った。そしてまた愛嬌は微笑に通じる。『くるりとふりかえって、沁みとおるような微笑をした。』~門出の花~出立の折。見送りの方々に見せた竜馬の微笑は「沁みとおるよう」であった。そして微笑は竜馬の成長とともに熟成され、「澄んだ太虚のようにあかるい微笑」~最終章「近江路」~となるのだ。竜馬、落命の寸前である。(注)太虚=大空愛嬌も微笑も人の明るさである。人は性格も背負った歴史もそれぞれに異なる。そういう人々がつながり、なおかつ複雑に交じり合って形成されるのが社会だ。幕末はそういったいわば海千山千の吹き溜まりであったはず。してみると、竜馬の愛嬌や微笑(明るさ)は人と人とをつなぐための潤滑剤か。古に曰く、笑う角には福来り、と。おせっかいながらひとこと(笑)先述の、 「沁みとおるような微笑」は文庫の一巻、「澄んだ太虚のようにあかるい微笑」はその八巻、この間の竜馬の成長ぶりに、微笑の熟成され具合を照らしてお読みいただくといいかも♪さすれば司馬さんの緻密な構成と巧みなる筆致を、いやおうなしに(笑)ご堪能いただけることでしょう。!
2013.06.06
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【志賀直哉/和解】◆著者自身の親子の不和と子の出生を題材とするまずお断りしておくことがある。このブログは2人の筆者がいて、各々が好きなことを感じたままに書いている。1人は画像やレイアウトなどを考え、興味深い時事ネタの抜粋などを紹介している。ある時はそこにちょっとした感想も添えたりする。また、俳句や詩歌なども季節に合わせて掲載している。そこに筆者の様々な思惑が潜んでいることもあるかもしれない。(本人に確認したわけではないが・・・)もう1人(私)は、専ら映画と読書の感想だ。そんなわけで、ある記事には「私の両親はすでに亡くなっていて・・・」と書いてあるそばから他方で、「我が老父は・・・」と近況を綴っているのは至極当然のことで、これは記事を書いている筆者が違うという事情があったのだ。この場をお借りして、矛盾点を明らかにさせて頂きます。今後とも吟遊映人の記事を、変わらずご覧頂ければ幸いです。さて、志賀直哉。この作家の小説は一生に一度は読む機会に恵まれるのではなかろうか? 最近はどうか知らないが、私の世代は高校の現代文で『城の崎にて』を勉強した。『城の崎にて』は随筆ながら、普遍的な哲学を思わせるし、透明感のある清々しさを感じさせるものだった。『和解』は、志賀直哉自身の身の上を題材に取ったもので、父との不和からやがて和解にたどり着くまでのプロセスを綴ったものだ。一般的に言うなら、他人様の親子喧嘩なんて、むしろみっともなくて見られたものではない。だがそれは小説の神様、ドラマチックな父子の和解が成立するのだから、それはもう感動的だ。しかも、そんな個人的な親子間の問題を一つのテーマとして掲げ、決して自己の正当化を図ったものではない作風は、お見事としか言いようがない。話はこうだ。順吉は、父とのギクシャクした関係を、もう何年も続けていた。実家に用事がある時などは、なるべく父の不在を見計らって訪ねるようにしていた。そんな中、順吉の妻に子ができた。父にとっては初孫である。経済力の乏しい順吉は、結局、お産の費用を父に全額頼ってしまう。順吉にとっても可愛い娘になるはずの赤子は、ある晩、体調を崩す。順吉は血相を変えて赤子を抱き、裸足で町医者の所まで走る。我孫子のような田舎の医師では限界があると思った順吉は、さらに東京の医者にも電報を打つ。だがそんな手厚い処置も虚しく、赤子はかえらぬ人となってしまう。順吉は泣いた。皆が我が子を、自分と父との関係に利用したが為に、死んでしまったのだと思い込んだ。そして全ては、実家との不徹底がこの不幸を呼び込んでしまったのだと。それから暫くして順吉の苦悩が癒えぬ間に、再び妻が懐妊した。夫婦は素直に喜んだ。 順吉は今度こそ死なせてなるものかと、臆病になり過ぎるほどの注意を払うのだった。 このように『和解』は、主人公・順吉とその妻の間に生まれる子どもの存在も大きなキーワードとなる。実家の手を借りず、経済的な援助もなく乗り切ることができたなら、この話の結末は違っていたかもしれない。だが実際には、父に頼り、その支えあってこそ順吉夫婦とその子の幸が保障されるものであることを、否が応でも認めざるを得ないのだ。また、さんざん反抗した父という存在を前に、子の出生によって今度は自分が父という立場になるという因果。順吉は初めて、親と子の絆を見たような気がしたのかもしれない。志賀直哉が題材に取った親子の不和と子の出生は、相反するものでありながら、間違いなく一本の道筋となってつながっている。類稀なる人間描写に思わず脱帽。ぐいぐいと惹き込まれ、やがて自分も当事者に同化してしまうような錯覚すら覚える。 この神業とも思える見事な作風にどっぷりと浸かり、文学の香りを味わって欲しい。『和解』志賀直哉・著☆次回(読書案内No.75)は島崎藤村の『新生』を予定しています。コチラ
2013.06.05
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【佐賀新聞 有明抄】~最後の田植え~おととい、唐津の実家で田植えをした。「今年が最後」と父が言う。両親は60代後半で、田植えや稲刈りは地元の兄2人も手伝いながらやってきた。1反5畝(せ)の田んぼで、家族で食べる分を育ててきた。 父は高齢をやめる理由に挙げるが、稲を育てにくくなったとたびたび聞かされていた。新しい住民が周りに増えた。炎天下の作業を避けるため、朝、草刈りすると機械の音が「うるさい」と苦情を言われたり、蚊が多くて「田んぼから虫を出さないように」と難題を突きつけられたりした。 農薬をまく時には外に広がらないように風が弱い時を見計らうが、断念した日もあったという。隣接するアパートの住民に念のため洗濯物を室内に取り込むようにお願いしても、外国人に父の身ぶり手ぶりが通じなかったからだ。 小中学校の同級生に農家はいなかった。社会科見学で訪ねた先がわが家の田んぼだったこともある。それでも当時は稲作をしている農家が周囲にいて米作りがしやすかった。校区で最後に残ったのがうちの小さな田んぼで、こんな日がいつか来ると覚悟はしていた。 家族そろって「夢しずく」を手作業で植えた。今年は小学5年のおいっ子の同級生87人も一緒だ。作業そっちのけでカエルを追いかける子もいた。おこがましいが、家族の思い出が地域の思い出になればと思う。(勝)(6月2日付)~~~~~~~~昨日のブログでは早乙女を「過去の風景」と記し、機械で田植えをする農家の写真を掲載した。タイムリーなことに、佐賀新聞では「最後の田植え」についてコラムに綴り、産経フォトでは観光記念用の早乙女をアップしていた。それにしても、早乙女が見られなくなったのはしょうがないとして(笑)、コラムを読んで一抹の不安を覚えた。日本の農業は本当に大丈夫なのだろうか。政府は農家の所得倍増を唱えており、誠にゴウキな限りだとは思うのだが・・コラムを読んで、農業の根本的な問題はもっと構造的なものであり、しかも社会の様々な部分が複雑にからんでいる、そう感じた。たしかに「家族の思い出が地域の思い出になれば」それはそれで結構な事ではあるが、その先は?食むだけの人間に無責任なことは言えないが、だから(食むしか能がない)こそ己の食い分が心配である。(何だか自分が穀つぶしに思えてきた・汗)早乙女に郷愁を感じている場合でもなさそうだ。穀つぶし:飯を食う点では一人前だが、ほかに、これといった能力がなく、毎日をむだに過ごしている、しようのない奴。新明解国語辞典(風景が過去のものになったり、死語が出来たりするのと同じく、古語や死語の復活もあるかもしれない!)《追記》コラムの内容から推察してコラム氏は三十代か。さすがは大隈重信を輩出した国の新聞だと感服した。大新聞は「後生恐るべし」と見るべきだ。コラム氏の三十年後の活躍が楽しみなのだが、そのころは次のコラム氏が奮闘努力しているのかもしれない。
2013.06.04
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薫風の素足かがやく女かな日野草城素足の女は早乙女のことでしょう。そして輝いているのだからうら若き女性か。しかしながら俳句の風景は、今では見られなくなった「過去の風景」なのであります。薫風の中、うら若き早乙女を探してアチコチをまわりましたが、収穫はありませんでした、残念!付け加えれば、早乙女はおろか手植えさえほとんど見かけませんでした。小さな田でも手植えをしているところはありません。大概は、こうやって機械を入れて、おじさんが一人で田植えをされておりました。その姿に敬意は表しても、情緒は感じませんなぁ(汗)すでにお祭りや観光客向けの風景になってしまったのですねぇ。ということで、以下の句などは想像の先のはるか彼方の風景ということです、嗚呼。早乙女の裾を下して羞ぢらへり山口誓子ああ、日本の原風景や何処に。
2013.06.03
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【ダイヤルMを廻せ】「私は妻と別れたらどうなるかを考えたよ。まず生活が問題だ。マーゴに目一杯頼ってたからね。私は贅沢が身についてた。それがテニスプレーヤーとしてのキャリアも終わり、妻も失うのかと思うと、怖くなったんだ。そこで酒を飲みにパブに入った。椅子に坐り、色々考えてみたよ。妻の男を殺す方法を考えたのだ。妻を殺す事も・・・その方が理に適っている」ヒッチコックの自叙伝を読むと分かるのだが、とにかく女性に対しては好みがうるさい。知性的な女性が好きらしいのだ。セクシーさに欠けていようとも、上品で知的でありさえすればヒッチコックは納得するのだ。もっと言ってしまえば、演技力もそれほど求めていないかもしれない。あくまで監督であるヒッチコックの指導を素直に聞き入れることができるかどうか。そういう基本的なところでの相性の良し悪しを、ヒロイン役には求めていたようだ。だからこの『ダイヤルMを廻せ』のヒロインにグレース・ケリーが起用されたのも納得できる。ヒッチコックがインタビューに応えて、こう言っている。「『ダイヤルMを廻せ』の彼女(グレース・ケリー)は、私にとっては見事に咲き誇った花にも等しい。というのはエレガントな雰囲気がいつもそこにあるからなのである」それもそのはず、『ダイヤルMを廻せ』においてグレース・ケリーは、資産家のマーゴという役を演じているのだが、それはもう申し分のない淑女然とした存在感で、グレース以外に適任者は考えられないほどのオーラを放っているのだ。ストーリーはこうだ。資産家のマーゴは、夫のトニーの知らないところで秘かにアメリカの売れっ子作家・マークと恋に落ちていた。だがトニーはそのことにとっくに気づいていたのだ。トニーはマーゴの裕福な資産のおかげで贅沢に慣れており、その生活を手放したくはなかった。そこでトニーは、妻であるマーゴを殺害するための完全犯罪を計画する。成功すれば、マーゴの資産は全てトニーが相続できるからだ。トニーは、大学時代の友人であるレズゲイトに連絡を取る。レズゲイトは学生時代から何かと後ろめたい噂のあるワケありの男で、マーゴを殺害するのに利用できると踏んだからだ。トニーはさっそく計画を実行に移す。アメリカからやって来たマークを、何食わぬ顔でパーティーに誘い、マーゴ一人に留守番をさせる。その間、レズゲイトに忍び込ませ、マーゴを殺害させるというものだ。ところが、隠れていたレズゲイトがマーゴの背後から襲った時、マーゴは必死にもがき、とっさに手に掴んだハサミで逆にレズゲイトを刺殺してしまうのだった。この作品では、犯人役のトニーが主人公となっているのだが、この役を演じたレイ・ミランドがまた物凄くいい味を出している。ケンブリッジ大学卒で、ウィンブルドンのテニスチャンピオンというキャリアを持つものの、どうやら個人的には貧乏で、マーゴとの贅沢な暮らしから逃れられないという設定なのだが、妙に合っているのだ。さすがにこれだけ手のこんだ殺人計画を立てるだけの人物ではあると、納得してしまうものがある。ヒッチコック作品のおもしろさは、演じている役者が取り立ててすばらしい演技をしているわけではないのに、彼らに備わったオーラが自然とかもし出されている点であろう。さらには、周知の通り、あの独特なカメラアングル。大衆の目となって動いているカメラアングルと、特定の人物が目で追っているカメラアングルなど、様々な視点から成り立っている。これは、舞台上の芝居を同じ場所から見ている観客の視点とは全く異なる発想で、改めて映画としてのおもしろさを実感させられる。もともと『ダイヤルMを廻せ』は舞台作品であり、舞台で上演するものとして書かれたらしい。ところがヒッチコックの映画化により、これほどまでのすばらしい作品となった。カメラを操るというテクニックが、そこかしこから堪能できる。ミステリー好きも、そうでない人にもおすすめの逸作だ。1954年公開【監督】アルフレッド・ヒッチコック【出演】グレース・ケリー、レイ・ミランドヒッチコックの『サイコ』 コチラヒッチコックの『白い恐怖』 コチラヒッチコックの『レベッカ』 コチラヒッチコックの『裏窓』 コチラ
2013.06.02
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【藤原伊織/テロリストのパラソル】◆しがない飲み屋のバーテンだが、東大中退のワケあり中年男私がいつも利用している駐輪場でのこと。夕方4時ごろだったと思う。私の自転車の右側にとめてあったスクーターや自転車が、ドミノ倒しになっていた。かろうじて私の自転車は倒れていなかったが、すぐ隣のスクーターが寄りかかっていて、出すに出せない。困ったなぁと思いながら、ガタガタ引っ張ってみたり、スクーターを持ち上げようとしてみたところ、全く思うようにならない。するとどこからともなく一人の男性が背後から近付いて来た。「やりましょう」と一言。その男性は年齢40代後半~50代前半。無精髭を生やした長身で、しかも細身。またたくまにドミノ倒しになっていた自転車を直してくれて、私の自転車に寄りかかっていたスクーターも立て直した。「どうもありがとうございました」私は深々と頭を下げたが、男性は無言のまま、くわえタバコで歩き去ってしまった。その背中を見送りながら、私は思った。「ハードボイルドだなぁ・・・」そんな中、私は『テロリストのパラソル』を読了した。この小説はかなりハードボイルドな作風だ。確かテレビドラマ化もされていて、ショーケンが主役で出演していた記憶があるが、定かではない。でもドラマの方はあまり印象に残らなかったのは事実だ。これはやっぱり原作が良すぎる。抑えぎみなトーンとか、場末の飲み屋のバーテンが、実は東大中退のワケあり中年男という設定がおもしろい。とにかくドラマチックな展開に、時間の経つのも忘れて読み耽ってしまったのだから。 話の展開はこんな感じだ。40代後半でアル中の菊池(またの名を島村)は、いつものようにウィスキーを持って公園に出かけた。震える手でちびちび飲んでいると、幼い女の子からしゃべりかけられる。話し相手になってると、そのうち女の子の父親が迎えに来る。その後、今度は宗教の押し売りのような若い男から、「神様について話しましょう」と声をかけられる。それを体良く追い払ってしばらくすると、いきなり爆音が響き渡る。何かが爆発した。 昼下がりののどかな公園は、悲鳴の嵐となって辺りは騒然となる。周囲には死者と、その破片が無造作に散らばっている。血の臭いをかぎながら、菊池はつい今しがた会話を交わした女の子の安否を確かめに行く。徐々にパトカーのサイレンがうるさくなるにしたがい、菊池はそこから逃れるように立ち去る。この爆発騒ぎには何も関与していないのだが、20年前の東大全共闘運動の際、菊池は武闘派として名を連ねており、公安からマークされていたのだ。菊池は、あちこち寄り道しながら時間を潰し、結局、夕方には自分の店に行き、営業を始めた。いつの世でも無頼というのはカッコイイ。無頼の周囲にいる者たちにとって、それははた迷惑な存在に映るかもしれない。だが東大を中退し、ボクシングに汗を流し、職を転々とした後、飲み屋のバーテンでホットドックだけをメニューに、店を営んでいるというこの風変わりな経歴は、それだけでドラマになる。さらに、もう一人の人物、元警官のヤクザというのも味がある。根っからのワルになりきれない、奇妙なヤクザだ。ストーリーを引っ張って行くキャラクターが、どれもしっかりと味付けされていて、ぼんやりしていない。豊かな想像力と、絶妙なセリフ回しは実にお見事。最後は少しだけ切なく、胸にぽっかりと穴の開いたような空虚感に襲われる。きっとこういう作品こそが正統派のハードボイルドと呼ばれるべきものなのだろう。著者の藤原伊織にはもっとこの手の無頼を描いて欲しかったが、惜しい哉、すでに亡くなられている。だが作家には代表作が一つでもあれば、その名は永遠のものだ。たとえば、『風と共に去りぬ』を一作だけ世に残して亡くなったマーガレット・ミッチェルのように。藤原伊織にとっては、この『テロリストのパラソル』がそれに当たるだろう。『テロリストのパラソル』藤原伊織・著☆次回(読書案内No.74)は志賀直哉の渾身の逸作『和解』を予定しています。コチラ
2013.06.01
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