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アンドリュー・マッケイブFBI副長官が辞任したと報道されている。この人物は2015年7月、FBIワシントン支局の支局長だったときにヒラリー・クリントンの電子メールに関する捜査を担当、2016年2月からFBI副長官を務めている。2017年5月から8月までは長官代理だった。ジャーナリストのサラ・カーターによると、クリストファー・レイFBI長官は4ページのFISA(外国情報監視法)メモを読んでショックを受け、マッケイブに辞任を求めたという。マッケイブは司法省監察局の調査対象になっているとも伝えられている。クリントンの電子メールに関する捜査を始める4カ月前、アンドリュー・マッケイブの妻であるジル・マッケイブはバージニア州上院議員選挙への出馬を表明、選挙資金として67万5000ドルをバージニア州のテリー・マコーリフ知事から受け取っている。同知事は1996年にビル・クリントン再選委員会の委員長、2001年から5年まではDNC(民主党全国委員会)の委員長を務めている。こうした関係がある以上、マッケイブはクリントンの電子メールに関する捜査の責任者として不適切だと言える。ところで、FISAメモの存在を広めたのはロン・ジョンソン上院議員。国土安全保障政府活動委員会の委員長を務め、FBI幹部のピーター・ストルゾクが同僚のリサ・ペイジへ送った電子メールの文章を読み、その内容にあきれたとしている。ロシア政府が2016年のアメリカ大統領選挙に介入したという話は根拠がないことを認めているのだという。このメモが公表されれば、ドナルド・トランプ大統領に対する民主党や有力メディアは大きなダメージを受ける。ロシアゲート騒動が収まるだけでなく、FBIの幹部は権力の乱用で責任を追及されることになる可能性が高い。が、今のところ共和党は公表する動きを見せていない。民主党のサーバーをロシアがハッキングしたという嘘を同党や有力メディアは広めてきたが、こうした嘘でロシアとアメリカとの関係悪化を目論んだのはCIA長官だったジョン・ブレナンだと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは語っている。WikiLeaksの流した電子メールは外部からのハッキングでなく内部で入手されたと語る専門家がいる。そのひとりがNSA史上最高の分析官のひとりと言われている内部告発者のウィリアム・ビニーだ。民主党がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNCの委員長だったドンナ・ブラジルも認めている。彼女はWikiLeaksが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。FISAメモの中身が伝えられている通りなら、責任を問われるのはマッケイブやのストルゾクに留まらず、CIAへも飛び火するだろう。アメリカ支配層を支える重要な柱である治安機関や情報機関を揺るがすことになる。議員に対する脅しもあるだろう。
2018.01.31
アメリカのジャーナリスト、ロバート・パリーが1月27日、脳卒中で死亡した。享年68歳。非常に優秀なうえ気骨のある人物で、亡くなるまで権力者に対する批判的な姿勢を崩さなかった。強者にさからえば、その代償として社会的な地位や裕福な生活は諦めなければならない。強者におもねれば地位も裕福な生活も手に入れられるかもしれないが、魂を引き渡すことになる。パリーは前者の道を選んだひとりだ。個人的な話で恐縮だが、私がパリーを知ったのは1985年のことである。ロッキード事件が明るみに出てからアメリカの情報機関について調べていたのだが、その過程でイラン・コントラ事件に興味を持ち、コントラがコカインの密輸で資金を稼いでいるという話を知った。その話を始めて明らかにしたのがAPの記者だったパリーと同僚のブライアン・バーガーだ。コントラとはニカラグアの革命政権を倒すためにCIAが編成したゲリラ組織で、独裁体制下で国家警備隊の元メンバーが中心。そのコントラの教官だったジャック・テレルが彼らの情報源だった。「人を豚のように殺す」コントラに愛想を尽かし、告発することにしたのだ。アメリカ議会ではニカラグア政府の転覆や不安定化を目的とした資金援助を禁止する「ボランド修正条項」が1982年12月に可決され、CIAは動きづらくなった。そこで穴を埋めるためにCMAという準軍事団体が利用されたのだが、テレルはそこに所属していた。1984年にジョージ・H・W・ブッシュ副大統領を中心とするグループがニカラグアのサンディニスタ政権がコカイン取引を行っているとする宣伝を開始、DEA(麻薬捜査局)のおとり捜査に協力していたバリー・シールを使ってサンディニスタを罠にかけようとするが失敗、仕方なく話をでっち上げている。パリーたちの記事はこうしたプロパガンダを揺るがすものだった。パリーとバーガーのスクープをAP本社の編集幹部は封印しようとするが、スペイン語版が「間違い」で配信されてしまい、人々の知るところになった。1985年12月のことだ。1987年にパリーはAPからニューズウィークへ移り、90年まで在籍、コンソーシャムニューズを始めたのは1995年のことである。アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスは19世紀に麻薬取引を戦略に使っている。清(中国)にアヘンを密輸、それを取り締まろうとする清と戦争になったことは有名。1840年から42年にかけてのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー戦争だ。この戦争で大儲けした会社のひとつがジャーディン・マセソン。この会社は1859年にふたりの人物を日本へ派遣した。ひとりは長崎に来たトーマス・グラバー、もうひとりは横浜にオフィスを開いたウィリアム・ケズウィックだ。その後、グラバーは日本に滞在、内戦が続くことを見越して武器を大量に購入するが、予想外に早く終わったことから破産、三菱に助けられている。ケズウィックは1862年に香港へ戻り、86年にはロンドンで会社の幹部になっている。彼の父親もジャーディン・マセソン商会の人間で、母方の祖母は同商会の共同創立者であるウィリアム・ジャーディンの姉にあたり、ケズウィック家は香港上海銀行と深くつながる。この銀行は麻薬取引の資金を扱っていたが、そうしたことからウィリアム・ケズウィックは青幇の杜月笙と親しくしていた。その縁で蒋介石とも関係がある。蒋介石と緊密な関係にあったクレア・シェンノートは1941年8月から第1米国義勇兵グループ(AVG/フライング・タイガース)を訓練、このグループは日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した後、41年12月20日から戦闘に参加している。第2次世界大戦後の1946年にシェンノートは中国で空輸会社のCATを設立、50年8月にCIAはこの会社の資産のうち40パーセントを買い取る。CATの設立に協力したCIAエージェントのポール・ヘリウェルは1948年にシー・サプライを創設、51年には沖縄からバンコックまで物資を運ぶPAPER作戦を始めた。その輸送を担当したのがCATだ。この作戦の背後には破壊工作(テロ)機関のOPCが存在、この機関が中心になり、1952年にCIAの計画局が作られた。ヘリウェルとシェンノートには後ろ盾になるふたりの弁護士がいた。そのふたりが法律顧問を務めていたC・V・スターという保険会社は戦時情報機関のOSSと緊密な関係にあったと言われている。同社は後のAIGグループだ。(Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010)このCIA人脈はベトナム戦争の際、東南アジアの山岳地帯、いわゆる黄金の三角地帯でケシを栽培、ヘロインを製造して売りさばいていた。1970年代の終盤にアフガニスタンで秘密工作が始まるとケシの生産地はパキスタンからアフガニスタンにかけての山岳地帯へ移動、そこは今でも非合法麻薬の主要産地である。ベトナム戦争時代、CIAの手先としてヘロインを売りさばいたのはアメリカの犯罪組織の大物、メイヤー・ランスキー、サント・トラフィカンテ・ジュニア、サム・ジアンカーナなど。そうした犯罪組織とCIAの仲介役を務めていたとされているのがリチャード・アーミテージの極東トレーディング社だ。アメリカはニカラグアなどラテン・アメリカでも秘密工作を実行、ここではコカインが生産され、アメリカへ流れ込んでいる。1985年にパリーとバーガーがコントラの麻薬密輸の記事が出たわけだが、それに注目した議員がいる。上院外交委員会の「テロリズム・麻薬・国際的工作小委員会」で委員長を務めていたジョン・F・ケリーだ。1986年4月から調査を開始、89年12月にはコントラがコカイン取引を行っているとする内容の報告書を出している。その後、サンノゼ・マーキュリー紙の記者だったゲイリー・ウェッブの記事を受けて実施されたCIAの内部調査でもコントラが麻薬取引に手を出していたことを認めている。なお、ウェッブは麻薬に関する記事が原因でニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、ロサンゼルス・タイムズ紙を含む有力メディアから総攻撃を受けて退社を余儀なくされ、自殺に追い込まれている。パリーが明らかにした事実の中には1980年の大統領選挙における不正行為も含まれている。1979年11月4日にイランの首都テヘランで「ホメイニ師の路線に従うモスレム学生団」なるグループがアメリカ大使館を占拠、大使館員など52名を人質にとったが、この人質がいつ解放されるかが選挙で大きな焦点になった。そこで、共和党のロナルド・レーガン陣営とジョージ・H・W・ブッシュ陣営はイランやイスラエルの代表と秘密会談を何度か開き、人質の解放を遅らせることで合意する。この事実を暴き出したのがパリーだ。人質が解放されたのはレーガンの大統領就任式が行われた1981年1月20のこと。この時の合意に基づき、イランへ武器が密輸された。パリーは権力者にとって「嫌な」ジャーナリストだったことは間違いない。詳しく紹介できないが、それだけ功績を残してきたということでもある。まだ活躍して欲しいジャーナリストだった。
2018.01.30
アメリカとクルドとの関係が微妙になってきた。1月20日からトルコ軍がアフリンのクルド勢力に対して「オリーブの枝作戦」を開始したが、トルコとの関係をこれ以上悪化させたくないアメリカの動きは鈍く、クルド側は裏切られたと感じはじめているようだ。シリア政府はトルコの軍事侵攻を批判しているが、シリア北部に居座っているアメリカ軍も侵略者にほかならず、やはりすみやかに撤退することを求めている。トルコはNATO加盟国であり、アメリカの中東支配にとって重要な拠点。シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すためにアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力がサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団などで編成された傭兵部隊を使ったシリア侵略を本格化させた2011年3月当時から、トルコにあるインシルリク空軍基地は重要や拠点だ。アメリカがクルドと連携した最大の理由は、言うまでもなく、送り込んだ傭兵部隊、いわゆるアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)がシリア政府の要請で2015年9月30日に軍事介入したロシア軍によって壊滅に近い状態になったからだ。アメリカの軍や情報機関はそうした戦闘員の一部をヘリコプターなどで救出し、一部はアフガニスタンへ、一部はクルドを中心に編成されている武装集団へ参加させている。どのようなタグが付けられているにせよ、今の状態で傭兵部隊が真の意味で壊滅することはありえない。シリアなどを侵略している戦闘員は傭兵にすぎず、そうした戦闘員を雇い、命令している本体が健在だからだ。言うまでもなく、その本体はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟。アメリカもクルドと組めばトルコ政府が怒ることを見通していただろうが、その前にアメリカの描いていたシリア侵略プランはロシア軍の介入で完全に狂っていた。2016年6月下旬にレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は15年11月24日のロシア軍機撃墜を謝罪し、16年7月13日にトルコ首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。トルコで武装蜂起があったのはその2日後のことだ。このクーデター計画を失敗に終わらせた一因はロシアからの情報提供にあったと言われている。このクーデター未遂に関し、エルドアン政権はその首謀者をアメリカへ亡命中でCIAの保護下にあるとも言われているフェトフッラー・ギュレンだとしている。蜂起の背後にはアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとも主張、これ以降、トルコとアメリカとの関係は悪化する。ロシアへ接近していたことだけでなく、侵略軍の主力をクルドへ切り替えるためにもエルドアン政権を倒す必要があったのだろうが、これは裏目に出た。エルドアンだけでなく、例えばリビアのムアンマル・アル・カダフィやイラクのサダム・フセインは、少なくとも一時期、アメリカと緊密な関係にあった。シリアのアサド政権もアメリカに敵対しようとはしていない。それでも従属度が足りないと判断されれば破壊と殺戮の対象になる。エルドアンもそうした現実を認識、ほかの国々の支配者も同じように感じただろう。ウクライナでネオコンがネオ・ナチを使ってクーデターを実行したあたりから中国もアメリカが信頼できないことを認識してロシアとの関係を強めている。韓国もアメリカを信頼しているようには見えない。ひたすらアメリカに従属しようとしている日本の支配層は異様だ。アメリカに従属していれば自分たちの理不尽な言動も許され、日本が破壊されても自分たちだけは地位と富を保証されていると考えているのだろうか?
2018.01.29
ここにきてアフガニスタンでアル・カイダ系武装集団やダーイッシュの攻撃が激しくなっているともいうが、本ブログでも指摘したように、ロシア軍の攻撃で敗走していた戦闘員をアメリカの軍や情報機関は救出、その一部をアフガニスタンへ運んだと報道されている。アフガニスタンには希少金属が存在、しかも近くを中国が推進する一帯一路のうち、陸のシルクロードが通っている。資源を支配し、中国の戦略を壊すために傭兵を使うことになるのだろう。アメリカの好戦派は遅くとも1970年代の終盤からイスラエルやサウジアラビアと手を組み、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする戦闘集団を編成している。CIAから訓練を受けた戦闘員のリストがアル・カイダだということは本ブログで再三再四書いてきた通り。リビアやシリアへの侵略でもそうしたリストを利用して編成された戦闘集団が利用されてきた。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)もそうした集団だ。しかし、2015年9月30日にシリア政府の要請で軍事介入したロシア軍によって壊滅的な打撃を受け、アメリカは新たにクルド勢力を利用して戦闘集団を編成、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュの生き残りが合流している。そうした戦闘集団の一部でアメリカは国境治安軍を編成する意向のようだが、そこへ1万から1万5000名の元ジハード戦闘員が参加しているとも伝えられている。1980年代にアメリカのネオコン(シオニスト)はイラクのサダム・フセイン体制を破壊するべきだと主張、この体制をペルシャ湾岸産油国の防波堤だと認識していた非ネオコン派(ジョージ・H・W・ブッシュ、ジェームズ・ベイカー、ロバート・ゲイツなど)と対立している。ネオコンの戦略はイラクに親イスラエル派の傀儡体制を樹立、トルコ、イラク、ヨルダンの親イスラエル国帯を築いてシリアとイランを分断するというものだった。フセイン大統領もそうした視点からイランと戦ったが、湾岸産油国は戦費について考慮しようとしなかった。しかもイラクとクウェートは石油採掘をめぐって対立、交渉が進展しないことに業を煮やしたイラクは1990年8月にクウェートへ軍事侵攻した。その直前、アメリカ政府は軍事侵攻を黙認するかのようなサインを出していたが、翌年1月にアメリカ軍主導の軍隊がイラクへ攻め込んでいる。ここまではネオコンと非ネオコンの間に対立はなかったようだが、ブッシュ大統領はサダム・フセイン体制を倒さないまま停戦しています。そこで起こったのがポール・ウォルフォウィッツ国防次官などネオコン。そしてウォルフォウィッツの口からイラク、シリア、イランを殲滅するという言葉が出てくる。ネオコンに担がれたジョージ・W・ブッシュ大統領(HWの息子)は2003年3月にイラクを先制攻撃してフセイン政権を倒し、フセイン本人は処刑した。次にシリアへ攻め込むのはネオコンの戦略だが、ここでロシアが立ち塞がったわけだ。シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すためにアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力が送り込んだ傭兵部隊は崩壊、新たな手先としてクルドを軸にした戦闘集団を編成中だが、そのプランをトルコ政府が叩いている。シリア政府はクルドをシリア人だとしてトルコの軍事攻撃を非難しているが、ロシア政府は黙認している。裏で話が付いている可能性があるだろう。イラクのクルドはムラー・バルザニとマスード・バルザニの親子によって支配されてきたが、ムラーはイスラエルの情報機関、モサドのオフィサーだと言われる人物。イラクのクルドは遅くとも1960年代からイスラエルの影響下にあった。マスードも同じだろうと見られている。そのマスードが主導してイラクのクルド組織は昨年(2017年)9月25日に独立を問う住民投票を実施、圧倒的な90%以上が賛成したとされているが、重要な油田があるキルクークが反マスード派クルドとイラク軍によって制圧されてしまい、破綻した。シリアのクルドもアメリカへの従属で意思が統一されていない可能性がある。イラクで反マスード派クルドがアメリカやイスラエルに反旗を翻した理由のひとつは油田を押さえても石油を消費国へ運び出すことが困難だということにある。シリアでも状況は同じだ。クルドの一部はトルコの攻撃を押さえるようにロシアへ働きかけているとも伝えられている。
2018.01.28
2014年2月22日にウクライナではビクトル・ヤヌコビッチ大統領がクーデターで排除されている。このクーデターが始動したのは2013年11月。ウクライナのオレグ・ツァロフ議員が議会で行った演説によると、クーデター計画は11月14日と15日に話し合われ、NGOがその手先として動くことになっていたという。ソーシャル・ネットワーキングを使って世論を誘導し、組織的な政権打倒運動を展開しようと目論んでいると同議員は主張していた。実際、ツァロフ議員が議会で演説した翌日にユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で抗議活動は始まるが、当初はカーニバル的なもの。EUは話し合いで解決しようとするが、そうした方針に怒ったのがアメリカのジェオフリー・パイアット大使やビクトリア・ヌランド国務次官補。ヌランドはEUの遣り方が手ぬるいと不満で、「EUなんかくそくらえ」と口にしたわけだ。そして、パイアット大使やヌランド次官補を中心に、抗議活動は暴力的な方向へ誘導されていく。ヌランドはヒラリー・クリントンと親しい。ヌランドがEUを愚弄する言葉を口にした会話の音声は2014年2月4日にインターネット上へアップロードされている。合法的に選ばれた大統領を暴力で排除した後に作られる次期政権の人事がその会話では語られている。その中でヌランドが強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュクで、クーデター後、首相に選ばれた。その音声が公開された頃からキエフでは暴力が激しくなるが、その中心にいた集団はネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)で、2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始める。ネオ・ナチは広場へ2500丁以上の銃を持ち込んでいたともいう。当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。広場では無差別の狙撃があり、少なからぬ犠牲者が出ているが、スナイパーはパルビーの管理下にあったビル。西側の政府やメディアは狙撃をヤヌコビッチ政府側によるものだと宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だと報告している。反大統領派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果だという。狙撃手は反ヤヌコビッチ派の中にいるとする調査結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で報告する。「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合(クーデター派)の誰かだというきわめて強い理解がある。」としている。2014年2月7日から23日にかけてロシアのソチでは冬期オリンピックが開催されていた。この時期を狙ってアメリカの好戦派はウクライナでクーデターを実施したと見られている。オリンピック前、アメリカが何らかの軍事作戦を実行すると推測する人もいた。ウクライナはロシアとEUの中間にある。ロシアとEUの関係を分断し、経済的にロシアを締め上げたいアメリカ支配層はウクライナでのクーデターを準備していたようだが、2014年2月が選ばれたのは、ロシアがオリンピックで動きにくいと考えてのことだと見られている。このクーデターでEUとロシアとの関係促進を妨害することに成功したが、この後にロシアは中国へ接近、アメリカの本性を見た中国もロシアとの関係を強める方向へ動き出した。今では戦略的パートナーになっている。アメリカの「陰謀」は裏目に出た。ウクライナではクーデターに反発する人も少なくなかった。特にヤヌコビッチの地盤だった東部や南部ではそうした傾向が強く、クリミアではロシアの構成主体になるかどうかを問う住民投票が3月16日に実施された。投票率は80%以上、そのうち95%以上が加盟に賛成した。国外からの監視団も受け入れ、日米に比べれば遥かに公正なものだったが、西側は今でも「民意」を受け入れようとしていない。クリミアを制圧しそこなったことはアメリカの支配層にとって大きな痛手。ここは黒海に突き出た半島で、セバストポリは黒海艦隊の拠点になっているからだ。クーデター後、西側の政府やメディアはロシア軍が侵攻したと宣伝したが、そうした事実はなかった。ソ連消滅後の1997年にロシアはウクライナと条約を結び、基地の使用と2万5000名までの駐留がロシア軍に認められていたのだが、これを侵略部隊だと主張したのだ。この条約は1999年に発効、その当時から1万6000名のロシア軍が実際に駐留していた。2014年4月10日にアメリカ海軍はロシアを威嚇するために黒海へイージス艦のドナルド・クックを入れ、ロシアの領海近くを航行させた。それに対してロシア軍のSu-24が近くを飛行したのだが、その際にジャミングで米艦のイージス・システムを機能不全にしたと言われている。その直後にドナルド・クックはルーマニアへ緊急寄港、それ以降はロシアの領海にアメリカ軍は近づかなくなった。アメリカはウクライナでの戦乱を拡大、ロシア軍を引き込もうとした可能性もある。クーデター後に西側の有力メディアはロシア軍が侵攻してきたという事実に反する「報道」を展開するが、これは「予定稿」だったのではないだろうか。ロシア政府が自重したため、西側の「報道」は単なる嘘になった。そのロシア政府は2015年9月30日、シリア政府の要請を受けて空爆を開始、アメリカ軍とは違い、ダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力を本当に攻撃して戦況を一変させた。空爆だけでなく、早い段階にカスピ海の艦船から26基の巡航ミサイルを発射、全てのミサイルが約1500キロメートル離れた場所にあるターゲットに2.5メートル以内の誤差で命中したとされている。その後、地中海に配置されている潜水艦からもミサイル攻撃を実施したという。こうした巡航ミサイルをロシアが保有していることを知り、アメリカ側は震撼したという。ロシアが供給したT90戦車も威力を発揮している。潜水艦から発射され、海底1万メートルを時速185キロメートルで航行、射程距離は1万キロに達する遠隔操作が可能な魚雷の存在をリークして警告するということもロシアは行った。CFR/外交問題評議会が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いと主張されている。アメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てると見通している。これはネオコンの考え方と同じだが、これが間違っていることをシリアでロシア軍は明確に示した。アメリカは意外と弱い、昔の表現を使うと「張り子の虎」だという見方が政界に広がっている。こうした現実を見てヘンリー・キッシンジャーは2016年2月10日にロシアを訪問したのだろう。そこでロシアとの関係修復を訴えるドナルド・トランプの勝機が生じた。そうした流れをアメリカの好戦派は引き戻そうとしている。情報と資金を独占し、国という機関が巨大資本に対抗できないシステム、つまりファシズム体制を構築しようとしているのだ。そうした流れの中、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)を復活させようという計画が動き出しても不思議ではない。トランプが当選した後、アメリカではCIA、司法省、FBIなど情報機関や治安機関、あるいは有力メディアを使って選挙結果をひっくり返し、戦争体制へ入ろうとする動きが本格化した。そうした動きの内幕を明らかにする電子メールの存在が明らかになっているが、民主党だけでなく共和党の議員も動きは鈍い。好戦派に楯突く度胸はないのだろう。かつて、ソ連のミハイル・ゴルバチョフはアメリカの脅しに屈し、ソ連を消滅させる道筋を作ったが、ウラジミル・プーチンに同じことを期待することはできない。21世紀に入り、アメリカの好戦派は1992年2月に作成された予定を実行するため、成功体験にすがり、全てが裏目に出ている。ロシアに対する脅しは核戦争を誘発させかねない。そうした展開を回避しようとしたのがトランプだったが、今ではクリントンやオバマと似た方向へ動き始めている。FBIゲートは破滅への道から抜け出すチャンス。まだチャンスが残っているかどうかはわからない。(了)
2018.01.27
ドナルド・トランプ大統領がFBIの事情聴取を受けることに疑問を持つ人がいる。民主党や有力メディアがキャンペーンを続けてきたロシアゲート、つまりロシア政府が2016年の大統領選でトランプを勝たせるために介入したという話だが、その主張を裏付ける証拠は示されていない。本ブログでも指摘してきたが、この主張が正しいなら電子情報機関のNSAが証拠を握っているはずで、特別検察官を任命する必要はなかった。遅くとも2015年6月にはヒラリー・クリントンを当選させることを支配層が決めたという噂が流れていた。2016年にWikiLeaksが公表したヒラリー・クリントンらの電子メールには、民主党幹部たちが2015年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールもある。そうした「陰謀」で最初に狙われた人物がバーニー・サンダースであり、トランプは2番目だ。そうしたクリントンを担いでいた勢力の陰謀を露見させる上で重要な役割を果たしたのがWikiLeaksの公表した電子メールだが、民主党や有力メディアは自分たちに都合の悪いその内容を封印する一方、ロシアがハッキングしたという宣伝を始めた。かつて、毎日新聞の記者だった西山太吉は「沖縄返還」にともなう復元費用400万ドルを日本が肩代わりする密約の存在を明らかにした。これが事実だということは後に確認されているが、この件でマスコミが攻撃した相手は西山記者だった。バッシングで使われたフレーズは「ひそかに情を通じ」だ。国民全てが関係する「公」の話が、個人的な「私」の問題にすり替えられたのだ。しかも、この「私」の問題もきちんと検証されたようには見えない。こうしたキャンペーンが毎日新聞の経営にダメージを与え、倒産の一因になったと見る人もいるクリントンのケースも同じパターンだ。有力メディアは問題の本質には触れず、人々を嘘で誤誘導している。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、その嘘を流し、ロシアとアメリカとの関係悪化を目論んだのはCIA長官だったジョン・ブレナン。ワシントンDC警察やFBIの報告書を見たとした上で、電子メールをWikiLeaksへ渡したのはDNCのコンピュータ担当スタッフだったセス・リッチだともしている。ハッキング話はインチキだということだ。そうした「陰謀」に早い段階からFBIや司法省の幹部が加担していたことを示す電子メールの存在が明らかになっているのだが、それを議員が公開するかどうかは不透明。全ての通信を傍受、記録しているNSAに弱みを握られている議員は少なくないだろう。好ましくないことをするように仕向けられ、それを記録されている人もいると言われている。買収も行われているだろう。イスラエル・ロビーに逆らうと次の選挙で当選できないことも常識になっている。1975年から76年にかけて、アメリカ上院では政府の情報活動を調査する特別委員会が設置され、秘密工作や監視システムの一端が明らかにされた。その委員会の委員長を務めたフランク・チャーチは次の任期を目指した1980年の選挙で落選、84年に59歳で死亡した。バラク・オバマ政権がサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする武装勢力を使ってシリアを侵略、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を編成した内幕を熟知しているマイケル・フリン元DIA局長をトランプが国家安全保障補佐官に任命すると、民主党や有力メディアは激しくフリンを攻撃、辞任させた。CIA、司法省、FBIの幹部には反トランプ派が多いが、そのひとりで司法長官代理を務めたサリー・イェーツはトランプの政策に反対、そのイェーツの発言を電子メールで賞賛していたアンドリュー・ワイツマンはロバート・ムラー特別検察官の側近だ。イェーツはフリンから事情聴取、ロシア大使との会話について質問しているが、その内容を知りたかったわけではない。その内容はNSAが盗聴し、記録していたからだ。その記録にある話を捜査官にしなかったとして偽証罪に問うたのだ。何も違法なことをしていないフリンを陥れるため、イェーツはトラップを仕掛けたということ。同じことをFBIはトランプに対して仕掛けようとしていると考えている人がいる。
2018.01.27
2011年3月からアメリカ、イスラエル、サウジアラビアぼ三国同盟を中心とする勢力がシリアへの侵略戦争を始めたことは本ブログで何度も指摘してきた。2003年3月のイラク、2011年2月のリビアに続く侵略で、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵部隊がその先陣を切った。そうした傭兵の登録リストがアル・カイダだということも本ブログでは繰り返し書いてきた。当初、アメリカを中心とする西側の政府や有力メディアは「独裁者による民主化運動の弾圧」という構図で宣伝したが、宣伝の裏側が明らかになって説得力をなくす。2012年には住民虐殺が伝えられ、西側はシリア政府の責任を押しつけるが、実際はサラフィ主義者など外国人傭兵だということが判明する。現地を調査した東方カトリックのフランス人司教もその事実をローマ教皇庁の通信社を通じて報告している。「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」とその司教は書いている。これは現在でも通用する話。2012年8月にはアメリカ軍の情報機関DIAがシリアで政府軍と戦っている戦闘集団について、その中心はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(DIAはアル・ヌスラと実態は同じだとしている)だと指摘した。バラク・オバマ大統領が言う「穏健派」は事実上、存在しないということだ。オバマ政権が進める政策は東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国を作ることになるとも警告していた。この当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。その警告は2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の台頭という形で現実になる。1月にファルージャで彼らは「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧している。その際にトヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が配信されたことも有名になったが、パレードを含め、ダーイッシュの行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはず。ところが静観していた。その間、オバマ政権の中でフリンはダーイッシュ派を使っているグループと対立、2014年8月にDIA局長を辞めさせられている。退役後、この問題をアル・ジャジーラの番組で問われたフリン中将は、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。売り出されたダーイッシュは人質の首を切り落とすパフォーマンスをするなど残虐さを前面に出し、そのダーイッシュと戦うと称してシリア政府の承諾を得ないまま空爆を始める。その空爆のターゲットがダーイッシュやアル・カイダ系武装集団でなかったことも本ブログでは書いてきた。(続く)
2018.01.27
アメリカでは2000年の大統領選挙で投票操作が指摘されている。例えば、勝利者を最終的に決めたフロリダ州での投票では怪しげなブラック・リストの存在や正体不明の「選挙監視員」による投票妨害があった。有権者に関する怪しげなブラックリストが作られ、正体不明の「選挙監視員」が徘徊、投票を妨害する行為があった。旧式の機械やバタフライ型投票用紙で投票が正確にカウントされていない可能性が指摘され、出口調査と公式発表との差も疑惑を呼んだ。ジョージ・W・ブッシュ候補の当選を確定させたのは、12月に連邦最高裁が出した判決によってである。2016年の大統領選挙でも事前に投票マシーンへの信頼度が揺らいでいた。2000年の選挙でブッシュを担いでいた勢力の中心にはネオコンがいたが、今回の占拠で彼らはヒラリー・クリントンの周辺に集まっていた。2015年6月の段階でクリントンを勝たせることが内定したとする噂が流れたが、その理由は同月の11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたからだ。ビルダーバーグ・グループについて本ブログでは何度か説明しているので今回は触れないが、欧米支配層が築いているネットワークを構成する機関のひとつだとは指摘しておく。こうしたことから、大統領選の前からクリントンを当選させるために投票数が操作されるのではないかと噂された。投票のコンピュータ化が進んだことから操作は2000年より簡単になっていたことは事実で、DESI(ダイボルド・エレクション・システムズ/現在の社名はプレミア・エレクション・ソリューションズ)の機械が実際の投票数と違う数字を集計結果として表示することを大学などの研究者が指摘されている。ハート・インターシビックという会社とミット・ロムニー家との関係も明らかにされた。(例えば、ココ、ココ、ココ、ココ)2016年にはWikiLeaksがヒラリー・クリントンらの電子メールを公表、その中にはバーニー・サンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう民主党の幹部に求めるものがあり、サンダースの支持者を怒らせることになった。民主党幹部たちが2015年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールもある。民主党がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNCの委員長だったドンナ・ブラジルも認めている。彼女はWikiLeaksが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。その書類にはヒラリーが民主党のファイナンス、戦略、そして全ての調達資金を管理することが定められていた。その合意は彼女が指名を受ける1年程前の2015年8月になされた。こうしたクリントンを当選させる流れに変化が生じていることを暗示するような出来事があり、話題になっている。2016年2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問し、ウラジミル・プーチン露大統領と会談して22日にはシリアで停戦の合意が成立したのだ。
2018.01.26
ドナルド・トランプもヒラリー・クリントンも親イスラエル派であることに変わりはないが、背景の色合いは違う。トランプがウラジミル・ジャボチンスキーからベンヤミン・ネタニヤフ首相につながる流れであるのに対し、クリントンにはジョージ・ソロスやリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドのように著名な富豪がついている。上院議員時代からクリントンはロッキード・マーチンのような戦争ビジネスの代弁者としても知られ、大統領選ではマイク・モレル元CIA副長官も公然と支援していた。モレルは2016年8月8日、テレビのインタビューでロシア人とイラン人に代償を払わせるべきだと語り、司会者からロシア人とイラン人を殺すと言うことかと問われるとその通りだと答えている。その後、同年11月にアメリカの領事館で副領事の死体が発見され、12月にはアンカラでトルコ駐在大使が射殺され、ロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部がモスクワの自宅でやはり射殺されている。翌年1月になるとギリシャでロシア領事が死亡し、インド駐在大使が心臓発作で死亡した。2月には国連大使が急死、心臓発作だと言われている。外交官ではないが、2015年11月にはロシアの放送局RTを創設した人物がワシントンDCで死亡、16年12月にはKGB/FSBの元幹部の死体が自家用車内で発見された。また、2016年9月にはウラジミル・プーチンの公用車がモスクワで暴走車に激突され、大統領専属の運転手が死亡している。モレルが言うところの代償とは、アメリカの中東支配戦略をロシアが崩壊させ、そのロシアにイランが協力したことに対する償いを意味している。本ブログでは何度も指摘していることだが、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力はリビアやシリアの自立した体制を倒すため、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心にした傭兵部隊を送り込んだ。これは1970年代の終盤、ジミー・カーター政権で大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーの戦術を踏襲したもの。ブレジンスキーはイスラム武装勢力を編成し、ソ連をアフガニスタンへ誘い込んで戦わせるという計画を立て、そうした秘密工作をカーター大統領は1979年7月に承認している。その2カ月後、アメリカに留学、コロンビア大学などで学んだ経験のあるハフィズラ・アミンがモハメド・タラキ首相を暗殺して実権を握るが、クーデターの直前にアミンが首都のカブールでCIAの工作員と会っていたとする説も流れている。アミンが最初にコロンビア大学へ入ったのは1957年。一旦アフガニスタンへ戻った後、1962年には博士号を取得するため、同大学の大学院で学び始めている。ブレジンスキーがコロンビア大学で教鞭を執り始めたのは1959年のことだ。ブレジンスキーの思惑通り、ソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻したのは1979年12月のこと。アミンは暗殺され、バブラク・カルマルが新たな大統領になる。1979年7月上旬にエルサレムで「国際テロリズム」に関する会議が開かれている。参加したのはアメリカとイスラエルで情報機関に関係していた人々。イスラエル側からは軍の情報機関で長官を務めた4名を含む多くの軍や情報機関の関係者、アメリカからの参加者にはジョージ・H・W・ブッシュ元CIA長官(後の大統領)やレイ・クライン元CIA副長官が含まれていた。会議の参加者は「テロの黒幕」はソ連だと主張、そこから反ソ連キャンペーンが始まる。本ブログでは繰り返し書いてきたが、この当時、アフガニスタンでCIAはイスラエルやサウジアラビアのほか、パキスタンなどの協力を受けて傭兵部隊を組織している。CIAの訓練を受けた戦闘員の登録リストがアル・カイダ。アメリカやイスラエルはソ連を「テロの黒幕」だと宣伝する一方、テロリストを養成していたわけだ。なお、エルサレムでの会議を主催した「ヨナタン研究所」はベンシオン・ネタニヤフによって創設されたシンクタンク。名称のヨナタンはベンシオンの息子、ベンヤミンの兄にあたるヨナタン・ネタニヤフに由来する。ヨナタンは1976年にウガンダのエンテベを襲撃したイスラエルの部隊を率いていた人物で、そのときに死亡している。ヒラリー・クリントンを支える人脈にはブッシュ一族もつながっているが、その一族のひとりであるジョージ・H・W・ブッシュがネタニヤフと関係の深いシンクタンクが主催した会議に参加していた。両グループは1980年代にイラクのサダム・フセインをめぐって対立するような時もあるが、手を組む時もあるわけだ。同床異夢とも言えるだろう。トランプは逆襲に転じる過程で政策を変更している。エルサレムをイスラエルの首都だと認めたのは周辺の人脈を見れば必然であり、これはアメリカ政界の総意でもある。大統領選の際にはロシアとの関係修復を訴えていたが、それは影を潜め、ウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づく世界制覇プランに従っているように見える。アメリカの巨大資本との関係を改善しようとすれば、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の復活もありえるだろう。ドルが基軸通貨の地位から陥落すればアメリカ中心の支配システムは崩壊、その後の世界は多極化するか巨大資本が国家を支配するシステムになるかだと見られている。後者はファシズムと言い換えることもできるが、そのためにはTPP、TTIP、TiSAを成立させ、ISDS条項によって巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作れないようなシステムを築く必要がある。そうなれば健康、労働、環境など人びとの健康や生活を守ることは困難。すべて巨大資本の「御慈悲」にすがるしかない。多極化を推進しているのはロシアや中国を中心とする勢力で、巨大資本はロシアや中国を屈服させるか破壊するしかない。これはクリントン陣営の政策でもあり、だからこそトランプのロシアとの関係修復を激しく攻撃したのだ。その点でトランプは妥協した可能性がある。(了)
2018.01.26
アメリカとダーイッシュとの関係を指摘した人物はマイケル・フリン中将以外にもいる。例えば、空軍のトーマス・マッキナニー中将は2014年9月、アメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで語った。またマーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言、10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語っている。2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べた。ダーイッシュはアル・カイダ系武装集団から派生したのだが、そのアル・カイダとはロビン・クック元英外相が指摘したように、CIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。こうした訓練は1970年代の終盤にジミー・カーター政権の大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが考えた戦略に基づいて始められた。CIAをはじめとするアメリカの好戦派とアル・カイダ系武装集団/ダーイッシュの関係をフリンは熟知、しかも背後にはDIAが存在している。こうした人物が国家安全保障補佐官に就任することは侵略戦争を推進している勢力にとって余りにもリスクが大きい。そうしたことから最初にフリンがターゲットになったのだろう。こうした攻撃を続けてきた反トランプ陣営は現在、逆襲されている。タイミング的には、トランプ大統領が12月6日にエルサレムをイスラエルの首都だと認め、アメリカ大使館をそのエルサレムに建設する方針を示してからだ。この決定を撤回するべきだとする決議案が国連総会で12月21日に賛成128カ国、反対9カ国、棄権35カ国で採択されているが、アメリカの状況は全く違う。この国には「1995年エルサレム大使館法」という法律があり、エルサレムをイスラエルの首都だと承認し、99年5月31日までにエルサレムにアメリカ大使館を設置すべきだとしている。しかも、昨年(2017年)6月5日に上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。アメリカとはそういう国であり、パレスチナ問題を公正な立場で仲裁することなど不可能な立場にある。エルサレムをめぐる問題の責任をトランプ個人に負わせるのは正しくない。イスラエルのロビー団体であるAIPACがアメリカで大きな影響力を持っていることは広く知られている。有力メディアに大統領候補として取り上げられていたトランプ、ヒラリー・クリントン、バーニー・サンダースのうち、トランプとクリントンはAIPACの会合でイスラエルを支持している。サンダースはこの団体の招待を断ったが、エルサレムをイスラエルの首都だと承認し、アメリカ大使館を設置すべきだとする法律を再確認する決議には賛成している。一般にユダヤ系富豪からの寄付はクリントンが多かったと言われているが、トランプも多い。タイムズ・オブ・イスラエル紙によると、クリントンの高額寄付者の上位5位まではユダヤ系、トランプの場合は上位2位までがユダヤ系で、トランプもイスラエルの影響を受けていると言える。クリントンの上位5位までの寄付者は、ドナルド・サスマン(2080万ドル)、JBとマリー・カトリン・プリッツカー(1500万ドル)、ハイムとチェリル・サバン(1250万ドル)、ジョージ・ソロス(1180万ドル)、そしてS・ダニエル・エイブラハム(960万ドル)で、いずれもユダヤ系。そのほかフィルムメーカーのスティーブン・スピルバーグ、ファッション・デザイナーのラルフ・ローレン、Facebookのダスティン・モスコビッツなども高額寄付者だ。それに対し、トランプに対する最大の寄付者はカジノ経営者のシェルドン・アデルソン。第2位はロシア系ユダヤ移民の息子であるバーナード・マーカスである。アデルソンは日本でカジノを経営させろと要求している人物だが、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と親しいことでも知られている。ネタニヤフの友人のひとり、チャールズ・クシュナーはトランプとビジネス上のつながりがあり、その息子であるジャレド・クシュナーの結婚相手はトランプの娘イワンカであり、サウジアラビアのモハマド・ビン・サルマン皇太子とも親しい。勿論、この人脈はエルサレムをイスラエルの首都とすることに賛成だ。ネタニヤフの父であるベンシオンはウラジミル・ジャボチンスキーの秘書だった人物。ジャボチンスキーは大イスラエルを主張する修正シオニストの祖であり、ハガナ(後のイスラエル軍)を創設した人物でもある。この一派は軍だけでなく情報機関とも関係が深いのだが、イスラエルの電子情報機関8200部隊はアメリカの情報機関とも深く関係、NSAが集めた情報も入手できると言われている。ストルゾクからペイジへの電子メールだけでなく、ヒラリー・クリントンの通信も把握しているだろう。(続く)
2018.01.25
FBIの幹部だったピーター・ストルゾクが親しい友人のリサ・ペイジへ出した電子メールが司法省とFBIを揺るがしている。1月23日には上院国土安全保障委員会のロン・ジョンソン委員長が司法省とFBIの幹部が大統領選で当選したドナルド・トランプを引きずり下ろすための秘密会議を開いていたとテレビ番組の中で語っている。NSA史上最高の分析官のひとりと言われ、NSAの不正を内部告発したことでも知られているウィリアム・ビニーも指摘しているが、司法省やFBIが有力メディアとタッグを組んで進めてきた「ロシアゲート」が事実ならNSAから通信の傍受記録を取り寄せるだけで決着が付く。特別検察官を任命する必要はないということだ。特別検察官を任命したということはロシアゲートがインチキであることを示しているとも言える。いずれにしろ、ロシアゲートが作り話だということは最初から明白だった。トランプ陣営への攻撃で最初のターゲットは国家安全保障補佐官に内定していたマイケル・フリン中将。この人物は2012年7月から14年8月まで軍の情報機関であるDIA(国防情報局)の局長を務めていた。その間、2012年8月にDIAは「穏健派支援」を進めるバラク・オバマ大統領に対し、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団であり、そうした支援を続ければ東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があると警告している。その警告は2014年に現実となった。この年の1月にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はイラクのファルージャでイスラム首長国の「建国」を宣言、6月にファルージャを制圧したのだ。その際、トヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が配信されたことも有名になったが、そうした行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはず。ハイラックスの車列は格好のターゲットだが、アメリカ側は何もしていない。8月にはジェームズ・フォーリーの首をダーイッシュが切ったとする映像が公開され、ダーイッシュの凶暴さが伝えられた。その凶暴な武装集団を殲滅するという口実でアメリカは突如、動き始める。配下の国々を引き連れ、2014年9月23日にシリアを攻撃しはじめたのだが、その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。ダーイッシュはアメリカがシリアへ軍事侵攻する口実に使われたということだろう。その後、アル・ヌスラ(アル・カイダ系)やダーイッシュはシリアで勢力を拡大していくが、その理由は連合軍が本気で攻撃していなかったからにほかならない。その後、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは支配地を拡大、アメリカ主導軍はインフラを破壊、住民の犠牲が増えていく。つまり、DIAの警告通りになった。こうした展開の中、2014年8月にフリンDIA局長は解任される。退役から1年後の2015年8月、フリン中将はアル・ジャジーラの番組へ出演、ダーイッシュの出現が見通されていたにもかかわらず阻止できなかった理由を問われる。それに対し、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、その情報に基づいて政策を決定するのは大統領の仕事だと答えた。ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によるというわけだ。(続く)
2018.01.25
イランで王制が崩壊した1979年、アメリカのジミー・カーター政権はアフガニスタンで秘密工作を始めていた。計画の立案者は国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキー。ソ連軍をアフガニスタンへ引き込み、CIAが編成、武器/兵器を供給し、戦闘員を訓練した武装勢力と戦わせるという内容だった。この目論見通り、1979年12月にソ連軍の機甲師団がアフガニスタンへ入ってくる。CIAから訓練を受けた戦闘員、いわゆるムジャヒディンのコンピュータ・ファイルがアル・カイダ(データベース)だ。「自由の戦士」も「テロリスト」も編成時にはこのファイルが活用される。地政学的な側面からイラクを重視していたのがネオコン(シオニスト)。イラクに親イスラエル体制を樹立、トルコ、イラク、ヨルダンの親イスラエル国帯を築いてシリアとイランを分断、中東をイスラエルの支配下に置こうというわけだ。そのネオコンで中心的な存在だったポール・ウォルフォウィッツが1992年2月に作り上げた国防総省のDPG草案はそうした戦略が反映されている。本ブログでは何度も書いてきたが、そのウォルフォウィッツは1991年にウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に語っている。(3月、10月)イギリスやアメリカで作成された世界制覇プランはウォルフォウィッツ・ドクトリンの前にも存在する。中でも重要なものが1904年に発表されたハルフォード・マッキンダーのハートランド理論。彼は世界を3つに分け、ひとつはヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、ふたつめはイギリスや日本のような沖合諸島、そして最後に南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島と名付けた。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指している。また、ユーラシア大陸を囲むように、西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯が、またその外側に外部三日月帯が想定されている。イギリスと日本は内部三日月帯の両端にある外部三日月帯とされている。イギリスが明治維新を支援した理由を考える場合、この戦略を無視することはできない。時期的にマッキンダーの理論は後から発表されているが、考え方としては存在していた可能性がある。イギリスにとって日本はアジア侵略の拠点であり、日本人は侵略の手先ということ。現在の中東に当てはめるならば、日本はアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに近い。アメリカがアジア侵略の拠点にしたのはフィリピン。1898年にキューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メインが爆沈、アメリカはスペインが爆破したと主張して宣戦布告、スペインと戦争を始めた。この戦争で勝利したアメリカはスペインにキューバの独立を認めさせ、プエルトリコ、グアム、フィリピンを買収することになる。つまりこうした国々を植民地化した。ハワイも支配下におく。1901年に出版された『廿世紀之怪物 帝国主義』の中で幸徳秋水はアメリカの行為を帝国主義だと批判している。「米国にして真にキュバ叛徒の自由のために戦えるか、何ぞ比律賓人民の自由を束縛するの甚だしきや。」「それ他の人民の意思に反して、武力暴力をもって強圧し、その地を奪い富を掠めんとす。」この記述は基本的に今でも通用する。アメリカは帝国主義の国であり、フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディは例外的な人物だった。現在のアメリカにこうした例外的人物が登場することは不可能に近いだろう。アメリカは「自由と民主主義の旗手」でなく、「民主主義の伝道師」でもない。(了)
2018.01.25
2016年のアメリカ大統領選にロシア政府が介入したと同国の民主党や有力メディアは主張してきた。いわゆるロシアゲートだ。その疑惑を調査するとして司法省はロバート・ムラー元FBI長官を特別検察官に任命した。2017年5月17日のことである。しかし、そうした疑惑が事実ならその証拠を電子情報機関のNSAが持っているはずで、特別検察官を任命するまでもない。FBIはNSAにそのデータを提出するように求めれば良いだけのこと。それができないということはこの疑惑がインチだということを示している。ムラーのチームに所属していたピーター・ストルゾクは同僚のリサ・ペイジと電子メールの遣り取りをしているが、その中でストルゾクは自分自身がドナルド・トランプを嫌っていることを明らかにしている。2016年8月6日にペイジは「反乱」を促していた。このふたりがやりとりしていた電子メールのうち、2016年12月14日から17年5月17日までの期間のものが行方不明になっていた。勿論、行方不明になったというストルゾクとペイジの電子メールもNSAはそのコピーを保有している。ここにきて話題になっているのは2017年5月19日付けの通信文。ストルゾクはペイジに対し、ふたりには勝ち目がないと書いている。つまりロシアゲートは作り話だということを認めている。そこで、ストルゾクはムラーのチームに入ることを嫌がっていた。ストルゾクはヒラリー・クリントンの電子メールに関する捜査も担当していた。2016年7月にWikiLeaksは民主党全国委員会(DNC)を中心に遣り取りされていた電子メールを公表する。その中にはバーニー・サンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう民主党の幹部に求めるものがあり、サンダースの支持者を怒らせることになった。民主党幹部たちが2015年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールもある。民主党の候補者選びが公正でなかったことを示すもので大きな問題なのだが、民主党や有力メディアは「ロシアがハッキングした」という宣伝を始める。これは嘘だが、その嘘を流し、ロシアとアメリカとの関係悪化を目論んだのはCIA長官だったジョン・ブレナンだと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは語っている。ワシントンDC警察やFBIの報告書を見たとした上で、電子メールをWikiLeaksへ渡したのはDNCのコンピュータ担当スタッフだったセス・リッチだともいう。WikiLeaksの流した電子メールは外部からのハッキングでなく内部で入手されたと語る専門家がいる。そのひとりがNSAの不正を内部告発したウィリアム・ビニー。NSA史上、最高の分析官のひとりと言われている人物だ。民主党がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNCの委員長だったドンナ・ブラジルも認めている。彼女はWikiLeaksが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。その書類にはヒラリーが民主党のファイナンス、戦略、そして全ての調達資金を管理することが定められていた。その合意は彼女が指名を受ける1年程前の2015年8月になされた。この問題ではクリントンによる電子メールの扱い方や削除が問題になった。彼女は公務の通信に個人用の電子メールを使い、3万2000件近い電子メールを削除していたのだ。ジェームズ・コミーFBI長官(当時)は彼女が機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性を指摘、情報を「きわめて軽率(Extremely Careless)」に扱っていたとしていた。この「きわめて軽率」は元々「非常に怠慢(Grossly Negligent)」だと表現されていたのだが、それをFBIのピーター・ストルゾクが書き換えていた。後者の表現は、罰金、あるいは10年以下の懲役が科せられる行為について使われるという。クリントンが刑務所行きになることを防ぐために書き換えた疑いがもたれている。ヒラリー・クリントンの電子メールに関するFBIの捜査を司法省の監察局は2017年1月から調査、その過程でストルゾクとペイジとの間で交わされた数千件の通信を発見する。2015年8月15日から16年12月1日のもので、そのうち375件が下院司法委員会へ渡された。行方不明のものは含まれていないが、NSAはコピーを保有している。NSAも支配システムの一部であり、そのシステムを動かしている権力者の意向に沿って活動する。つまり、権力者のプランにとって邪魔な存在を監視、そうした人々を脅す材料を集めることが主な任務であり、権力者にとって都合の悪い情報は隠す。そうしたシステムから情報が漏れてくるのは権力抗争が起こっているときだ。今、アメリカでは支配層の内部で抗争が起こっている。
2018.01.24
シリアでCIAがクーデターを目論む4年前、1953年にカーミット・ルーズベルトとロッキー・ストーンはイランでクーデターを成功させている。同じことをシリアでも行おうとしたわけだ。イランはイギリスにとって重要な植民地で、ここでの略奪は国を支える重要な柱だった。そのイランで民主化が進み、イギリスの重要な利権だったAIOC(アングロ・イラニアン石油)の国有化をイラン議会は1951年に決定する。それに対し、イギリスではアン・キャサリーン・スウィンフォード・ランプトンという学者が1951年3月22日付けのタイムズ紙に匿名で、AIOC国有化はイラン国内で高まっている緊張を外に向けるために行われたとする記事を書いた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)そうした圧力もあってムハマド・モサデク首相は7月16日に辞任、アーマド・カバム・サルタネーが後任になる。これは国民の意思に反することだったことから5日間で色を辞することになる。21日にはモサデクが再び首相に選ばれた。当時、ソ連は中東を中立地帯にし、アラブ人に統治させようと提案していたが、これをアメリカやイギリスは拒否する。自分たちの利権を手放すことになるからだ。それに対し、イギリスはクーデターを計画、秘密工作を始める。その責任者としてランプトンが推薦した人物はオックスフォード大学で講師をしていたラビン・ゼーナー。1943年から47年までテヘランのイギリス大使館で広報の仕事をしていた。イギリスの対外情報機関MI6はブート作戦を作成、都市部の組織や南部の族長たちを使ってテヘランを支配下におこうとした。その一方、イギリスは単独でクーデターを成功させることが難しいと考え、アメリカに接触する。イランの利権が欲しいアメリカは協力することを決める。米英両国がモサデクの後継者と考えた人物はファジオラー・ザヘディ将軍。第2次世界大戦中、ナチスとの協力関係が問題になり、イギリスによって拘束された経歴の持ち主である。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)計画が動き始めるとモサデク派と見られていた主要な将校が誘拐され、殺害され、7月19日にになると、カーミット・ルーズベルトが「ジェームズ・ロックリッジ」の名前でイラクからイランへ入り、山間部の隠れ家から作戦を指揮することになった。アメリカでイランでの秘密工作を主導したのはジョン・フォスター・ダレス国務長官とアレン・ダレスCIA長官の兄弟。ふたりともウォール街の大物弁護士だった。1953年3月にアレンはNSC(国家安全保障会議)で革命の危機を訴え、それを阻止しないと全世界で算出されている石油の60パーセントをコミュニストに握られると主張したのだが、出席者の約半数はクーデター計画に反対する。アイゼンハワー大統領もモサデクの政策に反対していなかったようだ(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)が、ダレス兄弟の意思は固く、3月中にアイゼンハワー大統領は計画を承認、5月中旬にアレン・ダレスは部下をキプロスに派遣して現地のMI6要員と情報交換させている。ダレス兄弟にはモサデクを排除しなければならない事情があった。ふたりはサリバン・アンド・クロムウェルという法律事務所の共同経営者だが、この法律事務所の顧客リストにはAIOCも含まれていたのである。アメリカという国ではなく、法律事務所の利益のためにクーデターを成功させる必要があった。6月25日にモサデク政権を転覆させる準備の許可を弟のアレン、そしてカーミット・ルーズベルトに出している。モサデクを倒す目的で「エイジャクス(アイアース:トロイ戦争の英雄)作戦」が練り上げられたのはこの頃である。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)このクーデターはきわどいところで成功、米英の傀儡だったムハマド・レザー・パーレビを国王とする独裁体制を復活させることができた。1954年にAIOCは社名をBPに変更している。このパーレビ体制は1979年にイスラム革命で崩壊するまで続く。このイランをアメリカはイスラエルやサウジアラビアと共同で属国化、略奪の場にしようとしている。2011年にシリアへ侵略部隊を送り込んだ勢力の中にはこの3カ国以外に、サイクス-ピコ協定(オスマン帝国の領土分割などを定めた秘密協定)の中心だったイギリスとフランス、オスマン帝国の復活を夢見たトルコ、天然ガスのパイプライン建設をシリアに拒否されたカタールなどが含まれる。(続く)
2018.01.24
ジョン・F・ケネディ大統領(1961年〜63年)の甥、ロバート・F・ケネディ司法長官(1961年〜64年)の息子にあたるロバート・F・ケネディ・ジュニアはアメリカがシリアの体制転覆を目論む理由としてパイプライン建設の問題があると指摘している。民主的に選ばれたシリアの初代大統領シュルクリ・アル・クワトリは1949年3月、サウジアラビアの石油をシリア経由で運ぶトランス-アラビアン・パイプラインの建設に反対する。この建設計画の背後にはロックフェラーの利権が存在していた。そこでアメリカはアル・クワトリの排除を決断、CIAがクーデター計画を始動させ、その月の29日にはフッスニ・アル・ザイムの独裁体制ができあがるが、パイプライン建設を承認する前、1949年8月にこの体制は倒された。再び民主的な政権が誕生するのは1955年のこと。この時もアル・クワトリが大統領に選ばれた。それに対し、CIAは新たなクーデター計画を作成、1957年4月に指揮官としてカーミット・ルーズベルトとロッキー・ストーンがダマスカスへ入る。この際、ストーンはシリアの軍人や政治家を買収するために300万ドル持ち込んだという。クーデターにはムスリム同胞団が協力した。ところが買収工作は失敗、シリア軍はアメリカ大使館を襲ってストーンを拘束、テレビを通じてイランでのクーデターやシリアでのクーデター計画について「告白」させられている。ドワイト・アイゼンハワー政権はストーンの話を拷問による虚偽の告白だと主張したが、後に事実だということが判明している。その後、シリアでは親米派の政治家がパージされ、クーデターに加担した軍人は処刑された。1958年にはエジプトとアラブ連合共和国を結成するが、61年に分離。混乱を経て1970年に無血クーデターでハーフィズ・アル-アサドが実権を握り、71年3月に行われた国民投票でアル-アサドの大統領就任が承認された。この政権は宗派や民族の宥和を図り、体制は安定する。その息子がバシャール・アル-アサド。現在、シリアの大統領は選挙で選ばれている。(続く)
2018.01.24
日本にはアメリカを「自由と民主主義の旗手」と呼ぶ人もいるが、そのアメリカを支配してきた人々は民主的に選ばれた政権を軍事力、あるいはテロ活動で破壊してきた。つまり「自由と民主主義の破壊者」がその実態であり、彼らのターゲットのひとつがシリアにほかならない。アメリカによる侵略、破壊、略奪は大統領の個人的な資質によるのでなく、構造的な問題。大統領を交代させても問題は解決しない。しかも民主的な考え方の人物が大統領になることが困難になっている。公的な情報の全面公開、巨大企業や富豪から特権を剥奪し、資本の移動を制限、オフショア市場を禁止するなど民主的な「レジーム・チェンジ」が必要なのだ。シリアに限らず、欧米諸国は世界規模で植民地化を進めてきた。言うまでもなく植民地は露骨な略奪の仕組みであり、その仕組みがなければ欧米の資本主義体制は維持できなかった。当然、植民地では人々の意思が暴力的に封印され、富は奪われていく。植民地化は戦争から始まる。そこで、アメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将は戦争を不正なカネ儲けの手段だと言ったわけだ。有り体に言うなら、押し込み強盗だ。しかし、アメリカでは1932年の大統領選挙でこうしたカネ儲けに反対する人物が当選してしまう。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトだ。そこでウォール街の住人たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。この計画を議会で明らかにしたのがバトラー少将。クーデターを成功させるためには人望厚いバトラーを抱き込む必要があったのだが、その工作に失敗したということだ。バトラーはクーデター派の中心はJPモルガンだとしている。接触してきたクーデター派に対し、バトラーはカウンター・クーデターで対抗すると警告、またバトラーの話を聞いて取材したポール・フレンチの議会証言によると、クーデター派は「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と答えたという。JPモルガンは関東大震災以降、日本の政治経済に大きな影響力を持った巨大金融機関。そのJPモルガンの総帥と結婚した相手のいとこ、ジョセフ・グルーをハーバート・フーバー大統領はアメリカ大使として日本へ送り込んだ。安倍晋三の祖父にあたる岸信介はグルーと親しかったひとり。その前年に日本軍の奉天独立守備隊に所属する河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こし、1932年には「満州国」の樹立を宣言している。当然のことながら、植民地やファシズムに反対する姿勢を見せていたルーズベルト政権は日本の中国侵略に対して厳しい姿勢で臨むことになる。日本はアメリカの情勢変化に対応できなかった。日本の支配層はウォール街の傀儡で、ウォール街に従うことしかできないだからだ。植民地やファシズムに反対していたルーズベルトはドイツが降伏する前の月、1945年4月に急死、第2次世界大戦が終わると欧米諸国は植民地の継続支配と目論むのだが、それに異を唱える人物がアメリカの上院に現れた。1957年7月にジョン・F・ケネディ上院議員がアラブ世界の自己統治とアラブ諸国に対する帝国主義的な介入の終焉を訴えたのだ。ケネディは1961年に大統領となり、軍や情報機関の好戦派が目論んだソ連に対する先制核攻撃を阻止、63年6月にはアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える「平和の戦略」を宣言する。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1960年10月から62年9月までJCS議長を務めたリーマン・レムニッツァーやSAC司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたが、この目論見の前にもケネディ大統領が立ちはだかった。そのケネディは1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺される。(続く)
2018.01.23
言うまでもなく、シリアでの戦争は「内戦」でなく「侵略」だ。その戦争の始まりは1991年のことである。1991年7月にロンドンで開かれたG7首脳会議に出席したソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領は西側の首脳から新自由主義の導入を求められて難色を示し、その後、失脚する。替わって主導権を握ったのが西側の傀儡だったボリス・エリツィン露大統領。このエリツィンが独断で1991年12月にソ連を消滅させたわけだ。それを受け、1992年2月にネオコンの中心グループに所属するポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)を中心として国防総省のDPG草案が作成される。ソ連消滅でアメリカが唯一の超大国になったと認識、アメリカに屈服しきっていない国々を制圧して世界制覇を実現するというプランを作成した。これがいわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンである。このドクトリンに基づき、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。ソ連を消滅させ、ロシアを属国化したアメリカの支配層が中国に目を向けるのは必然。そこで東アジア重視を打ち出し、潜在的なライバルが実際のライバルへ成長することを防ぐために潰そうとする。そうした潜在的なライバルが出現する可能性がある地域としてヨーロッパ、東アジア、中東、南西アジア、旧ソ連圏が挙げられ、ラテン・アメリカ、オセアニア、サハラ以南のアフリカにもアメリカの利権があるとしている。目的を達成するため、アメリカは単独行動を辞さない、つまり国連を軽視するとも宣言している。このドクトリンは最初の草案でなく、第1草稿が存在する。それが作成されたのは1991年9月だ。その頃、ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に語っている。(3月、10月)1990年代に入ると有力メディアは戦争熱を煽るが、93年に大統領となったビル・クリントンは戦争を始めない。メディアがターゲットにした国はユーゴスラビアだ。その扇動に乗らないクリントン大統領はスキャンダル攻勢で苦しめられ、第2期目には戦争へと舵を切る。その象徴的な出来事が1997年の国務長官交代だった。戦争に消極的なクリストファー・ウォーレンから好戦的なマデリーン・オルブライトへ交代したのだ。オルブライトはヒラリー・クリントンと親しく、ズビグネフ・ブレジンスキーの教え子。オルブライトの教え子の中にはスーザン・ライスも含まれている。なお、コンドリーザ・ライスはオルブライトの父親の教え子だ。ウォルフォウィッツの予告通り、2003年3月にアメリカはイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、今も破壊と殺戮は続いている。そして2011年3月にシリアに対する侵略戦争が始まる。イラクを攻撃する際には大量破壊兵器が口実として使われたが、全くの嘘だった。シリアでは独裁者による民主化運動の弾圧、あるいは化学兵器の使用といったことが宣伝されたが、これも嘘だということが明らかになっている。(この話は本ブログで何度も書いてきたことなので、今回は割愛する。)2013年の夏になるとアメリカが強引にシリアへ本格的な軍事介入を始めるという話が伝えられ、9月3日には地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射されている。そのミサイルは途中で海中へ落下、後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だったと主張したが、実際に攻撃を始めたとも見られている。事前に通告はなく、発射実験だとする主張に説得力がないからだ。ジャミングなど何らかの手段で落とされたと推測する人もいる。その9月、駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンがバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近で、この発言は首相の意思でもあると考えられた。その当時、アメリカではマーティン・デンプシー統合参謀本部議長やマイケル・フリンDIA局長はアル・カイダ系武装集団を危険だと考え、シリア政府と接触していたと言われている。シリアに対する自国軍の直接的な攻撃を始めることにアメリカは失敗、そして売り出されたのがダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)。2014年1月にファルージャでダーイッシュは「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧した。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その後継を撮影した写真が世界規模で流れている。その際、アメリカ軍はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人からの情報などでダーイッシュの動きを把握していたはずだが、反応していない。パレードしている車列などは格好の攻撃目標のはずなのだが、アメリカ軍は何もしていないのだ。ダーイッシュとアメリカとの関係はアメリカの軍人や政治家も口にしている。例えば、空軍のトーマス・マッキナニー中将は2014年9月、アメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで語った。またマーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言、10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語っている。2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べた。そして2015年8月、マイケル・フリン元DIA局長はアル・ジャジーラの番組へ出演した際、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目だと指摘している。つまり、オバマ政権の「穏健派支援」がダーイッシュの勢力を拡大させたというわけだ。ロビン・クック元英外相が指摘したように、アル・カイダとはCIAから軍事訓練を受けたムジャヒディンのコンピュータ・ファイル。こうした訓練は1970年代の終盤にジミー・カーター政権の大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが考えた戦略に基づいて始められた。アル・カイダ系武装集団にしろ、ダーイッシュにしろ、アメリカの敵とは言えない。侵略の道具であり、アメリカが介入する口実として使われているだけだ。2012年5月、シリア北部ホムスで住民が虐殺された際、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと宣伝していたが、現地を調査した東方カトリックのフランス人司教はその話を否定する。虐殺を実行したのは政府軍と戦っているサラフィ主義者や外国人傭兵だと報告、その内容はローマ教皇庁の通信社で伝えられた。「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」とその司教は書いているが、これは現在でも通用する。
2018.01.23
クルド勢力、SDF(シリア民主軍)やYPG(クルド人民防衛隊)が支配しているシリア北西部のアフリンに対する攻撃をトルコ軍は始めた。砲撃のほか、空爆も実施、地上ではトルコ政府の影響下にある武装勢力による攻撃も行われているようだ。現在、クルドの後ろ盾になっているのはアメリカ。バシャール・アル・アサド政権を倒して傀儡体制を樹立させるために送り込んだサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵部隊、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)がロシア軍によって壊滅の瀬戸際まで追い詰められたため、新たな侵略の手先としてクルドに目をつけ、シリアのクルドはアメリカ側についたということだ。クルドはシリアだけでなくイラク、イラン、トルコなどでも生活している。2006年にはアメリカ軍のラルフ・ピータース中佐が描いた中東の再分割案ではクルドの国を作ることになっていたが、クルドと呼ばれている人々はそれほど強く結びついているわけではない。例えば、イラクのクルドはソンニ語を話し、アラビア文字で記述する。シリアやトルコのクルドはクルマンジ語を話し、ラテン文字をを使う。そのうち、イラク北部のクルドは1960年代からイスラエルの指揮下にあるバルザニ親子が指揮してきた。息子のマスード・バルザニは昨年(2017年)9月25日にイラクのクルド勢力は独立を問う住民投票を実施、圧倒的な90%以上が賛成したとされているが、重要な油田があるキルクークが反マスード派クルドとイラク軍によって制圧されてしまい、破綻した。キルクークをマスード派が押さえ続けたとしても、イラクを含む周辺国がクルドが制圧している油田地帯からの石油搬出を拒否しているので独立は厳しかった。その一方、シリアのクルドは幹部がアメリカ側へ寝返った。アメリカの支援を受けたクルドはデリゾールの東側に広がる油田地帯を押さえたが、石油や天然ガスをどのように運び出すかという問題は解決されていない。現在、アメリカはクルドへの支援物資を運ぶためにトルコのインシルリク空軍基地を使っているようだが、これもトルコとアメリカとの関係がさらに悪化すれば難しくなるだろう。アメリカはシリア北部に「満州国」のような傀儡国家を建設する姿勢を見せているが、これに刺激されたシリア政府が軍事攻撃を仕掛けてくるのを待っていると推測する人もいる。そうした展開になれば新たな戦争が始まり、アメリカ、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランスといった侵略勢力が形勢を逆転するチャンスが生まれると期待しているのではないかという見方だが、今のところシリア政府もロシア政府も自重している。クルドを中心に手先になる武装勢力をアメリカは編成中だが、アメリカ軍もシリアに居座る姿勢を見せている。レックス・ティラーソン国務長官は1月17日にスタンフォード大学でそうした計画を口にした。その理由はダーイッシュの復活するのを防ぎ、中東全域で政治状況を変化させることだというが、マイケル・フリン元DIA局長は退役後、アル・ジャジーラの番組に出演した際にダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。フリンがDIA局長だった2012年8月、DIAはバラク・オバマ大統領が主張していた穏健派への支援という主張を否定する報告をホワイトハウスに提出した。反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると書いている。DIAも指摘しているように、アル・ヌスラはAQIの別名で、実態は同じだ。この報告書では、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告されている。その点をアル・ジャジーラの番組で質問されたのだ。本ブログでは何度も指摘してきたことだが、ダーイッシュを作り上げたのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力。そのダーイッシュが売り出される2年前にはアメリカ軍の情報機関DIAが警告している。その警告をオバマ政権は無視した。シリアへの侵略に失敗したサラフィ主義者やムスリム同胞団を中心とする武装勢力のメンバーをアメリカの軍や情報機関は救出、一部はクルドと合流させ、一部はアフガニスタンへ運んだと言われている。そのアフガニスタンでの戦闘も激しくなる兆候を見せている。アフガニスタンはCIAが資金源にしてきた麻薬の原料、ケシが栽培されているほか、希少金属がある。そこでアメリカとしてはアフガニスタンを押さえておきたいのだろうが、それだけでなく、中国が計画している一帯一路(陸のシルクロードと海のシルクロード)のうち陸のルートをアフガニスタンで寸断したいのだろうと見る人もいる。1991年12月、西側がソ連を消滅させることに成功すると、ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、世界制覇プランを作成した。それがウォルフォウィッツ・ドクトリンだということは本ブログでも繰り返し書いてきたこと。その前提であるロシアの属国化がウラジミル・プーチンの出現で崩れたのだが、それでも世界制覇を実現しようともがいているのが現在のアメリカ支配層だ。破綻した経済を誤魔化すため、米英は1970年代から資金を転がし、投機市場へ吸い込む仕組みを作り上げた。それを可能にしたのはドルが基軸通貨であり、産油国が決済をドルに限定したことが大きい。つまり、ドルが基軸通貨の地位から陥落したなら、アメリカを中心とする支配システムは崩壊する。アメリカ支配層としては、ドルの地位を揺さぶっているロシアと中国を屈服させるか潰すしかない。そこまでアメリカは追い詰められているということだ。安倍晋三政権を含む日本の支配的な地位にある人々はそのアメリカに従属、自国をアメリカの戦争マシーンに組み込みつつある。これは1992年から続いている作業だ。その口実として使われているのが「朝鮮の脅威」。かつて大東亜共栄圏の建設を口実にして東アジアを侵略したのと同じ構図だ。
2018.01.22
シリアの北部を支配しているクルド勢力、SDF(シリア民主軍)やYPG(クルド人民防衛隊)をアメリカ政府は自分たちの手先として使おうとしている。そのクルド勢力を敵視するトルコ軍はシリア北西部アフリンに対する攻撃を始めた。別に複雑な話ではない。山岳地帯のため、トルコ軍の戦車部隊が入ってくる可能性はないと見られているが、空爆の可能性はある。トルコの軍事介入をシリア政府は批判する一方、クルド勢力の一部が外国勢力、つまりアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟からの支援を受けていると指摘している。この点はトルコ政府の認識も同じで、SDF/YPGを中心としてアメリカ軍が組織しつつある「シリア国境軍」を完成前に「溺死」させるとしている。本ブログでは繰り返し書いているように、アメリカ政府がクルドと手を組んだのは、1970年代終盤からアメリカの好戦派が手先に使ってきたアル・カイダ系武装集団、そこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)をシリア政府の要請で2015年9月30日に軍事介入したロシア軍がほぼ殲滅したため。アメリカがアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュと戦ってきたかのように主張する人が今でもいるようだが、これは遅くとも2011年10月、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された時点で明確になっていた。侵略戦争が始まった同年2月の時点で「知る人ぞ知る」状態だったが、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その様子はYouTubeにアップロードされたのだ。その事実はデイリー・メイル紙も伝えている。これは象徴的な出来事だった。シリアでも2011年3月に侵略戦争が始まったが、リビアでカダフィ体制が崩壊するとアメリカなど侵略の後ろ盾はアル・カイダ系武装集団や武器/兵器をシリアへ移動させる。これは西側メディアも伝えていた。そうした移動工作の中心がCIAであり、国務省が協力している。そうした工作はベンガジにあったCIAの施設が使われ、アメリカ領事館も拠点だった。当時のCIA長官はデイビッド・ペトレイアスであり、国務長官はヒラリー・クリントンだ。当初、アメリカをはじめとする西側の政府や有力マスコミは独裁政権による民主化運動の弾圧というシナリオを宣伝していたが、その嘘はすぐに発覚、バラク・オバマ政権は「穏健派」というタグを持ち出して武装勢力への支援を正当化する。しかし、2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)はそうした穏健派の存在を否定している。反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だと指摘しているのだ。アル・カイダ系武装集団の主体はサラフィ主義者やムスリム同胞団であり、オバマ政権が支援している相手はアル・カイダ系武装勢力だと言っていることになる。しかも東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告していた。つまり、ダーイッシュの台頭を見通していたのだ。この報告書が作成された当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すという計画をアメリカの好戦派は放棄していないようだが、難しい状況ではある。サラフィ主義者の支配国という目論見も実現できそうにない。そこでアメリカなど三国同盟はクルドの国を作ろうとしている。シリア政府の承諾を受けずにシリアへ軍事侵攻したアメリカ軍は14カ所に基地を建設したと伝えられている。このうち12カ所は北部、2カ所は南部。その一部にはイギリス軍、フランス軍、あるいはクルド系の武装勢力も使用している基地がある。今後の展開次第ではシリア、トルコ、ロシアが対クルド戦争で連携する可能性もあるが、そうなるとクルド、アメリカ、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランスと軍事衝突することも否定できない。今年(2018年)1月6日、地中海に面した場所にあるロシア軍が使用しているフメイミム空軍基地とタルトゥースにある海軍施設が13機の無人機(ドローン)に攻撃された。そのうち7機はロシア軍の短距離防空システムのパーンツィリ-S1で撃墜され、残りの6機は電子戦兵器で無力化されている。13機のドローンは100キロメートルほど離れた場所から飛び立ち、GPSと気圧計を利用して事前にプログラムされた攻撃目標までのコースを自力で飛行している。しかもジャミングされないような仕組みになっていたという。攻撃の際、目標になったフメイミム空軍基地とタルトゥースの海軍施設の中間地点をアメリカの哨戒機P-8A ポセイドンが飛行していたこともロシアは明らかにした。これまで武装勢力が使ったドローンの航続距離はせいぜい2キロメートルにすぎず、今回の場合は飛行した距離が格段に長い。一見、手作りのように見えるドローンだが、高度の技術が使用され、専門知識を持つものが製作しているとロシア国防省は指摘している。搭載されていた爆弾に使われていた爆薬、ペンタエリトリットの製造元の候補として、ウクライナのショストカにある工場が挙げられている。
2018.01.21
安倍晋三政権は地上配備型の「イージス・アショア」を日本へ導入するが、このシステムが使用するランチャーは攻撃型の巡航ミサイルであるトマホークと同じで、ソフトウェアーを変更すれば攻撃用の兵器になるという。そこでロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は1月15日に懸念を表明したのだが、それに対して日本側はこのミサイルシステムについて、このシステムは日本が独自に管理し、国民の生命と財産を守る純粋に防衛的なものだと反論したと伝えられている。言うまでもなく、日本のあり方を決めているのはアメリカの支配層。システムを日本人が操作するかどうかに関係なく、アメリカの戦略、戦術に従って運用される。ヨーロッパの場合、アメリカ支配層はロナルド・レーガン政権時の約束を無視してNATOの勢力圏を東へ拡大、ロシアの国境線近くにミサイルを配備した。ミサイルを配備する理由はイランの脅威。説得力は全くない。日本のイージス・アショアや韓国のTHAAD(終末高高度地域防衛)も同じことが言える。日本がロシアに「心配するな」と言った16日、アメリカ軍はグアムにB-52を配備し始めた。アメリカ本土のルイジアナ州バークスデール空軍基地から6機のB-52と300名の兵士が移動してくるようだ。グアムにはそのほかB-1爆撃機の部隊が存在、ミズリー州のホワイトマン空軍基地からは3機のB-2ステルス爆撃機が派遣されている。1990年代から日本政府は急ピッチで自国をアメリカの戦争マシーンに組み込んできた。ジョセフ・ナイ国防次官補(当時)が作成、1995年2月に公表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が幕開けだ。このレポートが公表される前年の8月に日本では防衛問題懇談会が「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」を発表している。委託したのは細川護熙首相(1993年8月〜94年4月)だが、提出されたのは村山富市首相(1994年6月〜96年1月)だった。この報告書は「国際平和のための国連の機能強化への積極的寄与」を掲げていたことからアメリカ支配層の怒りを買うことになる。細川首相は武村正義官房長官の更迭に向かって動いたが、これはアメリカからの圧力、あるいは命令があったからだと言われている。樋口リポートを読んだアメリカの好戦派は「日本が自立の道を歩き出そうとしている」と反発、国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、ナイ・レポートにつながったと言われている。人脈的にも内容的にもナイ・レポートの基盤は1992年2月に作成されて国防総省のDPG草案、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。作成の中心が国防次官だったポール・ウォルフォウィッツだったことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。ウォルフォウィッツに協力していたのが彼の教え子でもあるI・ルイス・リビー、考え方の基盤はアンドリュー・マーシャルに負っていた。当時の国防長官はリチャード・チェイニーだ。1991年12月にライバルだったソ連が消滅、ロシアを属国化することに成功したことからウォルフォウィッツたちはアメリカが唯一の超大国になったと認識、比較的大きな中国を潰すために東アジア重視を打ち出すと同時に、潜在的なライバルを破壊しようとする。そうした潜在的なライバルが出現する可能性がある地域としてヨーロッパ、東アジア、中東、南西アジア、旧ソ連圏が挙げられ、ラテン・アメリカ、オセアニア、サハラ以南のアフリカにもアメリカの利権があるとしている。全世界を支配したいということだろうが、こうした目的を達成するため、アメリカは単独行動を辞さないとも宣言している。つまり国連を軽視するということで、樋口レポートの考え方と衝突する。ウォルフォウィッツ・ドクトリンの第1草稿が書かれたのは1991年9月のことだが、その頃、ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に語っている。(3月、10月)この第1草稿が書かれる2カ月前、ロンドンでG7首脳会談が開かれ、そこにはミハイル・ゴルバチョフも招かれていた。ここでゴルバチョフは新自由主義の導入を要求され、難色を示したと言われている。その翌月にソ連ではクーデター未遂があり、西側の完全な傀儡だったボリス・エリツィンが主導権を握って12月にソ連を独断で解体してしまった。そして1992年2月に作成されDPG草稿が今でもアメリカでは戦略の基本になっている。大統領選挙中、ドナルド・トランプはこれから離れる姿勢を見せていたが、今ではしっかり結びついた。日本もこの戦略に従って動いている。経済が破綻し、ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうなアメリカは窮地に陥っている。世界の覇者になるためには中国とロシアを屈服させるか、破壊するしかない。そうした状況の中、日本はイージス・アショアを導入したのだ。
2018.01.20
ヒラリー・クリントンを担いでいた勢力がFISA(外国情報監視法)を不正に利用していたとする4ページの覚書がアメリカの支配層を揺さぶることになるかもしれない。その覚書を見た議員の中にはウォーターゲート事件以上の権力乱用だとし、文書の秘密指定を解除して速やかに公開すべきだとする人もいる。本ブログでは繰り返し書いてきたが、2016年の大統領選挙でドナルド・トランプを勝たせるためにロシア政府が介入したとする「ロシアゲート」は事実に基づかず、作り話の可能性がきわめて高い。トランプを敵視するFBI幹部が政治的に動き、国家安全保障補佐官への就任が予定されていたマイケル・フリン元DIA局長に対して罠を仕掛けたことなどが明らかになっている。2016年から民主党や有力メディアはトランプとロシアとの関係を宣伝していたが、当局が表立って動き始めたのは昨年(2017年)3月に下院情報委員会でアダム・シッフ議員が大統領選挙にロシアが介入したとする声明を発表してから。その声明の根拠はイギリスの対外情報機関MI6のオフィサーだったクリストファー・スティールの報告書だった。この報告書の信頼度がきわめて低いことはすでに判明している。そのスティールと会うため、FBIのチームはシッフ発言の5カ月前にヨーロッパへ出向いたともされている。ロシアという「外国勢力」を巻き込むことでトランプは「外国勢力のエージェント」だという容疑が生じ、監視や捜索の対象になった。そうした手段で情報を収集するためにはFISC(外国情報裁判所)の許可が必要だが、ここはフリーパスに近い。そこで、FBIやCIAはトランプ陣営の情報を自由に入手できるようになり、その情報をクリントンを勝たせるために使ったようだ。すでにFBIはスキャンダルまみれになっているが、今回の覚書で情報機関や治安機関はさらに厳しい状況に追い詰められる可能性がある。
2018.01.19
アメリカ軍はシリアに居座るとレックス・ティラーソン国務長官はスタンフォード大学でのスピーチで語った。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が復活するのを防ぎ、中東全域で政治状況を変化させることが目的だという。ちなみに、ダーイッシュをほぼ壊滅させたのは、シリア政府の要請で2015年9月30日に軍事介入したロシア軍だ。現在、シリアへ侵攻、占領しているアメリカ軍の数千名(正確な数は不明)と言われ、14カ所に基地を建設したと伝えられている。このうち12カ所は北部、2カ所は南部にある。中にはイギリス軍、フランス軍、あるいはクルド系の武装勢力も使用している基地も存在する。シリア政府軍やロシア軍の攻撃を受けていた地域からアメリカ軍、あるいはCIAが救出したアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュの戦闘員の一部がそうした基地に運び込まれ、そこから出撃しているという情報もある。シリアに対する侵略戦争が始まったのは2011年3月のことだが、その前の月にリビアでも戦闘が開始されている。リビアにおける反政府軍の主力はLIFGだが、この組織はアル・カイダ系。途中、NATO軍と連携していることも明白になった。しかも、2011年10月にムアンマル・アル・カダフィが惨殺された後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その様子はYouTubeにアップロードされた。その事実をデイリー・メイル紙も伝えている。2001年9月11日移行、「アル・カイダ」はテロリストの象徴になり、アメリカが軍事侵略する口実に使われていたが、元々は1970年代の終盤からアメリカが始めたアフガニスタンでの秘密作戦から生まれた代物。1997年5月から2001年6月までイギリスの外務大臣を務めた故ロビン・クックが2005年7月に指摘したように、アル・カイダはCIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎない。アル・カイダはアラビア語でベースを意味するが、「データベース」の訳語としても使われる。ちなみに、この指摘をした翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡した。享年59歳だ。ダーイッシュは2014年に売り出された武装集団だが、その2年前、2012年8月にそうした勢力の登場は警告されていた。リビアのカダフィ体制が倒された後、リビアからシリアへ戦闘員と武器/兵器がシリアへ運ばれていることが発覚、バラク・オバマ大統領は「穏健派」をなるタグを持ち出して誤魔化そうとした。自分たちが支援している反シリア政府軍は「穏健派」だから問題ないというわけだ。しかし、DIA(国防情報局)は2012年8月、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だと指摘、つまりバラク・オバマ政権が宣伝していた「穏健派」は存在しないとホワイトハウス向けの報告書に書いているのだ。しかも、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告されていた。つまり、ダーイッシュの出現を見通していたのだ。本ブログでは何度も書いてきたが、この報告書が作成された当時のDIA局長がマイケル・フリン中将。ドナルド・トランプ政権の最初の国家安全保障補佐官だ。現在、アメリカ軍やCIAはシリア政府軍と戦う新たな戦闘集団を編成しているようだが、その中にはダーイッシュの戦闘員や幹部も含まれている。シリアでの不法占領を継続する理由としてダーイッシュを持ち出すのは笑止千万な話だ。アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュがシリア政府軍やロシア軍に敗北した後、アメリカ政府は新たな手先としてクルドを使おうとしている。それに反発、すでにクルド系武装勢力に対する攻撃を始めているのがトルコだ。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は2016年6月下旬、15年11月24日のトルコ軍機によるロシア軍機の撃墜を謝罪してロシアへ接近している。そして2016年7月15日にエルドアン政権の打倒を目的とした武装蜂起があったが、これは失敗する。武装蜂起の直前、ロシアからクーデター計画に関する情報がトルコ政府へ伝えられたとも言われている。このクーデター計画の背後にはアメリカでCIAに保護されているフェトフッラー・ギュレンがいて、アメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官が関係しているとトルコ政府は主張している。アメリカ軍やCIAはトルコ軍とクルド勢力との軍事衝突を防ぎたいかもしれないが、アメリカ軍とトルコ軍、NATOに加盟するふたつの国の軍隊が衝突する可能性もある。このまま軍事的な緊張が高まった場合、周囲を敵に囲まれた形になるクルド勢力とアメリカ軍はどのように戦うつもりなのだろうか?
2018.01.19
ソンミ村での虐殺が広く知られるようになったのは1969年11月のこと。この事件に関するシーモア・ハーシュの記事が報道されたのだが、虐殺の直後に従軍していた記者やカメラマンはその事実を知っていたにもかかわらず報道していない。後の国務長官、コリン・パウエルは少佐としてベトナムへ派遣されているが、彼もこの事件について知ったいたことを明らかにしている。(長くなるのでこの話はこれ以上深入りしない。)ところで、エルズバーグにキング牧師を暗殺したのはFBIのチームだと話したのはブラディ・タイソンなる人物。アンドリュー・ヤング国連大使の側近で、エルズバーグは1978年に開かれた国連の軍縮特別総会で親しくなったという。タイソンは下院暗殺特別委員会に所属していたウォルター・ファウントロイ下院議員から説明を受けたとしているが、ファウントロイ議員はその話を否定している。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)キング牧師が人種差別と戦う切っ掛けになる出来事が引き起こされたのは1955年12月。アラバマ州モンゴメリーで公営バスで白人に席を譲ることを拒み、ジム・クロウ法(人種分離法)違反の容疑でローザ・パークスが逮捕された事件を切っ掛けだ。その後、キング牧師は公民権運動の指導者として知られるようになり、FBIの監視対象になる。しかし、この段階では要注意人物にすぎない。危険人物と見なされるようになるのは1967年4月4日だと考える人もいる。この日、キング牧師はニューヨークのリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると宣言したのだ。ロン・ポール元下院議員によると、当時、キング牧師の顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。そうした発言はジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視した。その結果、支配層の中でリベラル派とされる人々と対立することになる。差別反対は許されても戦争反対は許されないとポール元議員は考えている。FBIは1950年代に国民監視プロジェクトのCOINTELPROを開始、CIAは1967年8月にMHケイアスという監視するプログラムを始めている。当初、COINTELPROはコミュニストをターゲットにしていたが、途中でその矛先を平和運動に向ける。CIAも監視対象は戦争に反対する人々だ。デタント(緊張緩和)に政策を切り替えようとしたリチャード・ニクソンがスキャンダルで排除され、ロシアとの関係修復を訴えたトランプが激しく攻撃されたことも偶然とは言えないだろう。キング牧師暗殺から2カ月後、次の大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員はカリフォルニア州ロサンゼルスのホテルで殺された。上院議員を暗殺したのは60センチ以上前を歩いていたサーハン・サーハンだとされているが、検死をしたトーマス・ノグチによると、議員の右耳後方2.5センチ以内の距離から発射された3発の銃弾で殺されたのだという。この結果は現場にいた目撃者の証言とも合致する。サーハン・サーハンが犯人だとするならば、議員の前にいた人物の発射した銃弾が議員の後ろから命中したことになる。(了)
2018.01.18
こうして始められたベトナム戦争は泥沼化、1965年10月にはアメリカ国内で組織的な反戦運動が始まり、67年にはマクナマラ国防長官の指示で「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」が作成されている。この報告書の要旨、つまり好戦派にとって都合の悪い部分を削除したものをニューヨーク・タイムズ紙は1971年6月に公表する。これがいわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」だ。この報告書を有力メディアへ渡したダニエル・エルズバーグはその後、宣誓供述書の中でキング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたことを明らかにしている。エルズバーグは1964年からマクナマラ国防長官の下で特別次官補を務め、2年間を南ベトナムで過ごしている。その時の上司はCIAの破壊工作部門に所属し、旧日本軍の略奪物資を回収するプロジェクトに参加していたエドワード・ランズデール少佐(後に少将)。その後、ランズデールはCIAのキューバに対する秘密工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる。ベトナム戦争でCIAは軍の特殊部隊と手を組み、反米色が強いと見られる地域の住民を皆殺しにする秘密作戦、フェニックス・プログラムが1967年から始められた。「解放戦線と関わりを持つと殺される」という恐怖心をベトナム人に植えつけるための一種の心理戦だったと見る人もいる。似た戦略をCIAはその後も繰り返す。例えばラテン・アメリカにおける「死の部隊」、そして中東におけるアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。フェニックス・プログラムを提案したNSC(国家安全保障会議)のロバート・コマーは1967年5月にDEPCORDS(民間工作と革命的開発支援担当のMACV副官)としてサイゴン入りし、MACVとCIAは共同でICEXを6月に始動させている。本ブログで何度か言及しているジェドバラにその人脈はつながる。ICEXはすぐ、フェニックス・プログラムと呼ばれるようになるが、それを現地で指揮したひとりが後のCIA長官、ウイリアム・コルビーだ。このコルビーがエルズバーグにペンタゴン・ペーパーズを明らかにするよう命令したとも言われている。CIA長官時代、コルビーは議会で情報機関の秘密工作の一端を明らかにし、支配層の逆鱗に触れることになった。1968年3月16日にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で住民がウィリアム・カリー大尉の率いる部隊に虐殺されている。犠牲者の数はアメリカ軍によるとミ・ライ地区だけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライ地区とミ・ケ地区を合わせて504人だという。この虐殺もフェニックス・プログラムの一環だった。(続く)
2018.01.17
ドナルド・トランプ大統領が批判されているひとつの理由に彼の差別的な言動がある。そのトランプは2016年の大統領選挙、あるいはその選挙で当選した直後はロシアとの関係を修復しようとしていた。その政策は彼を当選させた一因だが、有力メディアはそれが許せずに「ロシアゲート」なる話を作り上げ、特別検察官の任命につながった。大統領選挙でライバルだった民主党のヒラリー・クリントンは戦争ビジネスや巨大金融資本を後ろ盾にする人物だ。1929年1月15日に生まれたマーチン・ルーサー・キング牧師は人種差別と戦い、ベトナム戦争に反対、そして50年前の1968年4月4日に暗殺されている。キングと親しくしていたロバート・ケネディは同じ年の6月6日に殺された。いずれのケースもロバートの兄で大統領だったジョン・F・ケネディと同じように公式見解は単独の個人的な犯行だが、「政府機関」が暗殺に関与したと疑う人は少なくない。1968年2月、アメリカがベトナム戦争で負けていると印象づける出来事があった。解放戦線が南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン)や古都のユエなどで攻勢、北爆の停止とパリ和平会談の開催へとつながったのだ。アメリカ支配層は大きく揺れていた。アメリカはドワイト・アイゼンハワー政権の時代にベトナムへ軍事介入を始めていたが、ケネディ政権で国防長官を務めたロバート・マクナマラの回顧録によると、大統領は1963年10月にアメリカ軍をベトナムから撤退させる決断をしていた。(Robert McNamara, “In Restrospect”, Random House, 2005)そのために出されたのがNSAM(国家安全保障行動覚書)263だが、これは副大統領から昇格したリンドン・ジョンソン大統領が取り消し、本格的な軍事介入へと進んだ。軍事介入を正当化するために使われたのが1964年8月の「トンキン湾事件」。アメリカの駆逐艦マドックスが8月2日に、また4日にマドックスと僚艦のC・ターナー・ジョイが北ベトナムの魚雷艇に砲撃されたとジョンソン大統領は宣伝、7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決したのだ。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)そして1965年2月には報復と称し、北ベトナムに対する本格的な空爆「ローリング・サンダー作戦」を始めた。このトンキン湾事件はOPLAN34Aと名づけられた計画が関係していた。この計画をジョンソン大統領は1964年1月に承認、統合参謀本部直属の秘密工作部隊SOG(特別作戦グループ、後に研究監視グループに名称変更)が編成された。そのメンバーは陸軍のグリーン・ベレー、海軍のSEALs、そして空軍特殊部隊から集められ、司令官は陸軍大佐が務めている。(John L. Plaster, "SOG," Simon & Schuster, 1997)この作戦の一環として1964年7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島、ホンメとホンニュを攻撃、北ベトナムは高速艇を派遣して対抗した。攻撃した哨戒艇は姿を消してしまうが、そこではアメリカの駆逐艦、マドックスが情報収集活動をしていたのだ。31日にはSEALsのふたりが20名の南ベトナム兵を率いてハイフォン近くのレーダー施設を襲撃している。この襲撃に対する報復として北ベトナムは8月2日にマドックスを攻撃したと言われている。なお、マドックスを攻撃した北ベトナムの艦船はアメリカ軍機などの攻撃で撃沈された。(続く)
2018.01.17
ドナルド・トランプ大統領は自国の情報機関や治安機関を信用していないようで、私的な情報機関を設置しようとしていると伝えられている。本ブログでも書いたように、その中心は1997年に傭兵会社のブラックウォーター(2009年にXE、11年にアカデミへ名称変更)を創設したエリック・プリンスだという。この人物は海軍の特殊部隊SEAL出身で、熱心なキリスト教原理主義者。今は未公開株を取り引きするフロンティア・リソース・グループを経営、軍事的サービスを提供するフロンティア・サービス・グループの会長を務めている。プリンスの姉、ベッツィ・デボスはトランプ政権で教育長官を務め、夫のディック・デボスは「アムウェイ」の創設者。また副大統領のマイク・ペンスは親友のひとりだという。大統領選でロシアとの関係修復を訴えていたトランプは支配層の好戦派、つまり1992年2月にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)を中心に作成された国防総省のDPG草案(通称、ウォルフォウィッツ・ドクトリン)に賛同している勢力から激しく攻撃された。これは1991年12月にソ連が消滅、アメリカが唯一の超大国になったと認識して作られた世界制覇プランだ。冷戦の終結で世界が平和になると考えた人は冷戦の本質を見間違っていたと言えるだろう。ライバルだったソ連が消えたことにより、西側、特に米英の支配層は民主主義者を装う必要がなくなり、侵略戦争を公然とはじめた。それが西側支配層の正体だったのだ。実際、アメリカが1950年代からソ連や中国に対する先制核攻撃を計画していたことも明確になっている。好戦派が攻撃のチャンスだと考えていたのは1963年の後半だが、この計画を潰そうとしたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月に暗殺された。(この辺の詳しい話は本ブログで何度か書いているので、今回は割愛する)ウォルフォウィッツ・ドクトリンに従い、1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補は「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成、日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込む作業が本格化した。この報告書が発表されるより前の細川護熙政権、あるいは2009年から10年にかけての鳩山由紀夫政権はプランすると考えられたようで、潰されている。冷戦後における日本の政治、経済、軍事、安全保障をこのドクトリン抜きに考えることはできない。これに触れない議論は意味がないとも言える。好戦派が担いでいた候補者がヒラリー・クリントン。上院議員時代にはロッキード・マーチンの代理人と呼ばれるほど戦争ビジネスに近く、国務長官時代に投機家のジョージ・ソロスの指示に従って政策を決めていたほか、リン・フォレスター・ド・ロスチャイルド(エベリン・ド・ロスチャイルドの妻)と頻繁に連絡を取り合っていることも漏洩した電子メールで判明している。つまり巨大金融資本ともつながっているのだ。クリントンを公然と支援していたCIAの幹部だった人物もいる。マイク・モレルがその人だ。2011年7月から9月、また12年11月から13年3月までCIA長官代理を務めている。なお、2010年5月から13年4月まで副長官。CIAから離れたのはクリントンを支援するためだった。2011年春、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力はリビアとシリアに対する侵略を始める。その主体はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で編成された傭兵部隊、つまりアル・カイダ系武装勢力だ。リビアでは2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制が倒されたが、そのときにアル・カイダ系武装勢力とNATO軍との連携が明確になった。リビアから戦闘員や兵器がシリアへ運ばれたことも露見している。そこでバラク・オバマ政権は「穏健派」を支援すると主張するのだが、それを否定したのがマイケル・フリン中将が局長を務めていたDIA。この情報機関は2012年8月にシリア情勢に関する文書を作成、オバマ政権へ提出しているが、その中でシリアにおける反乱の主力をサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)だと指摘している。こうした武装勢力が西側、湾岸諸国、そしてトルコから支援を受けていることも明らかにしている。つまり、オバマ大統領が言うところの穏健派は過激派だということ。DIAはアメリカ政府が方針を変えなければシリア東部にサラフ主義の支配地が作られると予測していたが、これは2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実になった。トランプは当初、このフリンを国家安全保障補佐官に選んだわけだ。クリントンの暗部を暴く電子メールがWikiLeaksなどが公表すると、ロシア政府にハッキングされたというキャンペーンが民主党や有力メディアによって始められる。それにCIAやFBIが協力しているが、そうしたハッキングがあったわけではない。NSAの通信傍受システムを設計する一方、情報機関の不正を内部告発したウィリアム・ビニーも指摘しているように、NSAは全ての電子メールを記録している。削除されたメールを含め、FBIが要請すればNSAは電子メールを渡すことが可能だ。ロシア政府がハッキングしたという主張が事実なら、その証拠をNSAは握っているということで、それを出せないと言うことは証拠がない、つまりハッキング話が嘘だと言うことを意味する。ダナ・ローラバッカー下院議員によると、昨年8月に同議員はロンドンのエクアドル大使館でWikiLeaksのジュリアン・アッサンジと会談、リークされた電子メールの情報源がロシアでないことを示す決定的な情報を提供する容易があると聞かされた。この情報をローラバッカー議員はジョン・ケリー大統領首席補佐官に伝えたのだが、この情報はトランプ大統領へは知らされていない。「ロシアゲート」の幻影を維持しようとしている人間はトランプ政権の内部にもいる。2017年4月6日、アメリカ海軍の駆逐艦、ポーターとロスから巡航ミサイル(トマホーク)59機がシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射され、少なくとも数機は目標へ到達したという。その2日前、4月4日に政府軍が化学兵器を使用、その報復だということだったが、その主張には根拠がない。そもそもシリア政府軍は化学兵器を2013年に廃棄、現在、そうした兵器を保有しているのはアメリカが支援してきた反シリア政府軍だ。その後、その主張を否定する調査結果も出ている。ジャーナリストのロバート・パリーによると、4月6日の早朝にマイク・ポンペオCIA長官はドナルド・トランプ大統領に対し、シリア政府側は化学兵器を使用していないと説明している。空爆の前、アメリカ側へ通告があり、アメリカ軍もCIAも状況を詳しく知っていた。6月25日にはジャーナリストのシーモア・ハーシュも同じ内容の記事をドイツのメディアに書いている。ハーシュによると、4月4日に聖戦主義者の幹部が会議を開くという情報をつかんだロシアとシリアは攻撃計画を立て、その内容をアメリカ側へ伝えている。CIAにも直接、ロシアから攻撃に関する情報が伝えられていた。その情報が何者かによって現地のアル・カイダ系武装集団へ伝えられたと推測する人もいる。現在のホワイトハウスは、大統領がCIAやFBIを信用できないと考えても仕方のない状況にある。現在、特別検察官を務めているロバート・ムラーは好戦派の暗部を隠蔽してきた人物。ジョン・ブレナン前CIA長官とジェームズ・クラッパー元国家情報長官は昨年7月21日にアスペン治安フォーラムでCNNのウルフ・ブリッツァーと対談、もしトランプ政権がムラーを解任したなら官僚は大統領の命令を無視するべきだとしていた。歴史的に見て、イギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAが金融機関と関係が深いことは本ブログでの何度か書いた。クリントンにはそうした勢力が付いていたのだが、トランプの背後ではイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の人脈(モサドも含む)が動き始めている。そしてエリック・プリンス。しかも、デビッド・ペトレイアス元CIA長官の弟子と言われるH. R. マクマスターがトランプ政権で国家安全保障補佐官を務めている。シリアやリビアに対する侵略が始まった当時のCIA長官がペトレイアスであり、国務長官がクリントン。権力抗争が収まる気配は感じられない。
2018.01.16
兵器産業や傭兵会社にとって戦争はビジネスチャンスにほかならず、そうした企業に融資したり投資している金融機関にとっても同じことが言えるだろう。国の機関では軍、情報機関、治安機関の権益が拡大する。アメリカが戦争を続ける理由をここに求める人がいても不思議ではない。しかし、戦場になった国では破壊と殺戮が繰り広げられて悲惨なことになる。軍需産業が「死の商人」と呼ばれるのはそのためだ。それに対し、そうした企業を儲けさせる、つまり戦費を負担する庶民は困窮、国は疲弊して衰退する。アメリカが戦争を続けられるのは、世界が不換紙幣であるドルを基軸通貨として受け入れてきたからだ。アメリカ支配層は必要なだけドルを発行できる。が、勿論、発行されたドルを放置しておけばハイパーインフレになってしまう。本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカ経済は1970年頃までに破綻している。そこで1971年にリチャード・ニクソン大統領はドルと金の交換を停止すると発表した。ドルを兌換紙幣から不換紙幣に切り替えたわけだ。1973年から世界の主要国は変動相場制へ移行する。そうした状況でドルの貨幣価値を維持するための仕組みが考えられている。そのひとつがペトロダラー。つまり産油国に対して石油取引の決済をドルで行うように求め、世界がドルを集める環境を作った。集まったドルはアメリカの財務省証券を買ったり、1970年代にロンドンのシティを中心に整備されたオフショア市場へ沈めたり、金融規制の大幅な緩和で準備された投機市場へ流れ込んでいく。投機市場はバブルになり、相場は暴騰、評価益で巨大資本や富豪たちの資産は飛躍的に膨らむ。その資産力は支配力につながった。日本にもペトロダラーと同じ仕組みが存在しているように見える。企業がアメリカで売った商品の代価として受け取ったドルを日本はアメリカへ還流させなければならないが、企業は利益を確保したい。そこで日本政府は庶民のカネでドルを買い、アメリカへ還流させてきた。もし日本政府が保有するアメリカの財務省証券を売却したなら、その責任者は社会的な地位、資産、収入を失うことになるだろう。いや、そうなる前に処分されるに違いない。この仕組みは世界がドルを基軸通貨として認め、投機市場へ資金が流入し続けることが前提になっている。ドルが基軸通貨の地位から陥落、相場が天井を打つと加速度的にアメリカの支配体制は崩壊していく。アメリカの傀儡である安倍晋三首相は黒田東彦日銀総裁と組んで「量的・質的金融緩和」を実施してきたが、それによって流れ出た資金も投機市場へ向かう。そうした道筋ができあがっているわけで、安倍や黒田もその程度のことは認識しているだろう。投機市場の縮小を防ぐため、ETF(上場投資信託)やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)も利用されている。こうした政策で彼らが日本経済を回復させようとしているわけではない。アメリカの支配システムを支えようとしているのだ。資金の流れ以上に深刻な問題がドルの立場。すでにロシアや中国を中心としてドル決済を放棄する動きが広がっているのだ。つまり、ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうになっている。中国が創設したAIIB(アジアインフラ投資銀行)やNDB(新開発銀行)、あるいは推進中のプロジェクト「一帯一路(シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード)」は不気味だろう。アメリカやイギリスは遅くとも20世紀の初頭から世界制覇、つまり世界帝国の建設を目指すプロジェクトが存在する。ユーラシア大陸の沿岸を支配し、その三日月帯でロシアを締め上げ、最終的には制圧しようとしている。その三日月帯の東端部に中国、朝鮮半島、そして日本がある。ジョージ・ケナンにしろ、ズビグネフ・ブレジンスキーにしろ、そのベースにはこの戦略があった。アメリカが戦争をカネ儲けのために使っていることは事実だろうが、それは短期的な目的にすぎない。米英支配層には中期的、そして長期的なプランがある。その中長期的なプランを支えている仕組みが今、揺らいでいるのだ。その原因である中国やロシアを制圧、あるいは破壊しない限り、米英中心の支配システムは崩壊するだろう。世界規模で軍事的な緊張が高まり、ロシアとの関係改善を訴えたドナルド・トランプが有力メディアから激しく攻撃された理由はそこにある。
2018.01.15
ビル・クリントン元大統領とヒラリー・クリントン元国務長官の夫妻がクリントン財団を利用して不正蓄財している疑惑があることは前回のブログで書いたとおり。この財団が設立された1997年にはクリントン政権の国務長官が戦争に消極的だったクリストファー・ウォーレンから好戦的なマデリーン・オルブライトに交代している。この人事を大統領に働きかけたのはヒラリー・クリントンだという。この政権ではネオコンのビクトリア・ヌランドが国務副長官首席補佐官を務めているが、この人物を政権に引き込んだのもヒラリーだったと言われている。この当時、クリントン夫妻は夫ビルのスキャンダルに対する弁護費用が嵩み、破産寸前だと噂されていたが、その後、そうした話はでなくなった。1998年の秋にオルブライトはユーゴスラビア空爆を支持すると表明、その年の10月にビル・クリントン大統領はリチャード・ホルブルックをセルビアに派遣し、コソボから軍隊を引き揚げなければセルビアを空爆するとスロボダン・ミロシェビッチ大統領を脅し挙げた。屈辱的な和平の条件だが、ミロシェビッチは受け入れ、10月の終わりに撤退計画を発表している。この合意を崩しにかかったのおが西側の好戦派を後ろ盾とするKLA(コソボ解放軍。UCKとも表記)。1996年2月にコソボ北部へ逃れていたセルビア人難民を襲撃することから活動を始めた武装勢力だ。決して親セルビアとは言えないヘンリー・キッシンジャーでさえ、1998年10月から99年2月までの期間で、停戦違反の80%はKLAによるものだと語っている。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009)他国を侵略したわけでもないユーゴスラビアを空爆するため、アメリカは作り話を流している。その一例は、ウィリアム・ウォーカーなる人物が1999年1月に始めた虐殺話。コソボにあるユーゴスラビアの警察署で45名が殺されたというものだ。しかし、実際は警察側とKLAとの戦闘だった。その様子はAPのテレビ・クルーが撮影していただけでなく、現場にはウォーカーのスタッフもいた。つまり間違いで偽情報を流したわけではない。これだけ図々しく嘘をつけるウォーカーはエル・サルバドル駐在大使だった当時、つまり1989年にアメリカの手先である軍事政権が行ったカトリックの司祭6名とハウスキーパーやその娘が殺害された際、その調査を妨害している。殺害の様子を目撃した隣人のルチア・バレッラ・デ・セルナをカトリック教会側は安全のために国外へ脱出させる。この脱出にはフランス外務省が協力していたが、そうした動きを察知したウォーカーたちは目撃者に接触し、証言内容を変えなければエルサルバドルに送り返すと脅したと伝えられている。詳細は割愛するが、ユーゴスラビアを先制攻撃して体制を倒して傀儡政権を樹立させる目的でアメリカは大々的なプロパガンダを展開した。その手先として有力メディアだけでなく広告会社が使われている。クリントン政権の終盤、1999年にはトルコからアメリカへフェトフッラー・ギュレンが逃げ込んでいる。1980年にトルコではCIAを後ろ盾とする軍事クーデターがあったが、この武装蜂起にギュレンも参加していた。この権力奪取はNATOの秘密部隊、カウンター・ゲリラが実行したもので、CIAの破壊工作部門が黒幕だ。それ以降、ギュレンはCIAの手先として活動、アメリカにスリーパーのネットワークを構築してきたと言われている。ギュレンとそのグループを守る中心人物は元CIA幹部のグラハム・フラー。この人物の娘が結婚した相手の甥ふたりは2013年のボストン・マラソンにおける爆破事件で容疑者とされている。1980年代にフラーはズビグネフ・ブレジンスキーの作戦に基づき、アフガニスタンでスンニ派武装勢力を動かしていた。こうした背景があるため、CIAがギュレンを守っても不思議ではないが、FBIもギュレンの暗部に触れることを許さない。ところで、クリントン財団が注目される切っ掛けになったのが2010年1月12日にハイチで起こった巨大地震。10万人とも32万人とも言われる人が死亡したと言われ、相当数の人がアメリカへ流れ込んでいる。その一方、財団には支援金が集まったのだが、その処理が不透明で、どの程度がハイチの人々へ渡されたか不明。そこで財団に疑惑の目が向けられたわけだ。クリントン夫妻には、ウラニウムと金を採掘しているカナダの会社、ウラニウム・ワンの買収に関わる疑惑も存在する。2013年にロシアの会社ロサトムが子会社のARMZを通じてウラニウム・ワンを13億ドルで買収したのだが、この買収でキックバックなど不正な資金の遣り取りが疑われ、上院司法委員会でも調査が進んでいるのだ。キックバックの一部はクリントン財団へ流れているとも伝えられている。ビル・クリントンはモスクワにおける講演で50万ドルを受け取った。ロサトムに買収された当時のウラニウム・ワン会長のイラン・テルファーからは財団へ235万ドルが寄付されている。この件では、会計の透明性と外国政府の賄賂に関する法律であるFCPA(外国不正行為法)の違反が指摘されている。この取り引きに疑惑はないと有力メディアは主張しているが、バラク・オバマ大統領が買収を許可する前の段階でFBIはキックバックなど不正行為の証拠をつかんでいると伝えられている。ロシアの核関連産業へ潜り込んでいるFBIのスパイからそうした情報を得ていたというのだ。ところが、情報源に対し、ロレッタ・リンチ司法長官(2015年4月から17年1月まで)は口外を禁止する。次の司法長官、ジェフ・セッションズもウラニウム・ワンと買収など違法行為とは無関係だと主張していたが、これは崩れてきている。1980年代もそうだったが、支配層の内部で対立が激しくなると暴露合戦が始まり、通常は封印されている違法行為が明るみに出たりする。今、アメリカではそうした展開になっているようだ。
2018.01.15
ドナルド・トランプ大統領がDACA(the Deferred Action for Childhood Arrivals)の会議でハイチ、エルサルバドル、アフリカ諸国を愚弄したと報道されている。アメリカでは子ども時代に不法入国した外国人の強制国外退去を延期、就労許可を与えているのだが、トランプは大統領に就任した直後、この措置を撤廃すると表明、それに対して議会は修正を加えた上で存続しようとしていた。この問題を話し合った席でトランプの問題発言が飛び出したというのだが、大統領はこの発言を否定している。大統領はハイチからの不法移民を特に問題だとしている。この国では2010年に大きな地震があり、アメリカ政府は約1万人の軍隊を派遣した。その際に多くの人がアメリカへ不法入国、それに対して6万人近くへ強制退去させない処置をとってきた。トランプ大統領はその措置を止めるとしている。地震が起こった当時、アメリカの国務長官はヒラリー・クリントン。つまり災害対策の政府における責任者はクリントンで、USAID(形式上、国務省の管轄下にあるが、実際はCIAの資金を流すルート)の資金を監督する立場にあった。国連特使には夫のビル・クリントンが就任している。ビルはクリントン-ブッシュ基金やクリントン財団の理事長で、ハイチ再建暫定委員会の共同委員長でもあった。ハイチには限らないのだが、クリントン財団は「慈善事業」を名目にして多額の寄付を集めている。ハイチの場合、60億ドルから140億ドルを財団は集めたと見られているが、その内容は明らかにされていない。私腹を肥やしている疑いが濃厚なのだ。しかも、国際規模でチャリティーを行うために必要な正規の手続きを踏んでいないという。法律的に問題を抱えているわけだ。2016年の大統領選挙でヒラリー・クリントンが勝てば、バラク・オバマが大統領の間に恩赦を与える手はずになっていたが、トランプが勝ったため、シナリオに狂いが生じたようだ。ハイチには金鉱脈があって潜在的に豊かな国なのだが、今は貧しい国と見なされているいる。資源の開発が進まず、失業率は70%を超すという。ヒラリーの弟、トニー・ローダムは金の利権に食い込んでいるようだが、大多数の庶民はその恩恵に浴していない。今後の見通しも暗い。そうした状況を作り出した責任の大半はフランスとアメリカにある。1492年にクリストファー・コロンブスが西インド諸島にやって来た当時にはモンゴロイド系の人々が住んでいたハイチだが、その後スペインが植民地化、1697年にはフランス領になる。そのフランスはアフリカで多くの人を拉致し、奴隷として連れてきた。そのフランスで1789年に革命があり、92年には王権が停止されて共和制が宣言されている。こうした動きはハイチにも波及し、トーサン・ルーベルテュールが率いる奴隷が蜂起した。それに対し、アメリカの初代国務長官で第3代大統領でもあるトーマス・ジェファーソンは奴隷の蜂起がアメリカへ波及することを恐れ、「ブリュメール18日」(1799年11月9日)のクーデターで実権を握ったナポレオン・ボナパルトと手を組んで独立を妨害した。ナポレオンはハイチに軍事介入し、奸計を使ってルーベルテュールを拘束、ヨーロッパに連行したのだ。ルーベルテュールはそこで獄死している。その後、独立運動はジャン・ジャック・デサリーヌが引き継ぎ、1804年に独立を宣言したが、その際に逆襲を恐れてヨーロッパ系の支配者たちを殺害、1806年にはデサリーヌ自身が暗殺された。なお、アメリカがハイチを承認したのは1862年、エイブラハム・リンカーン政権のときである。ウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺された後、副大統領から昇格して大統領となったシオドア・ルーズベルトは海兵隊を1915年にハイチへ軍事侵攻させて占領、この状態はニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任する1934年まで続いた。1957年にフランソワ・デュバリエが実権を握ると、彼は秘密警察を使った恐怖政治でハイチを支配、71年からは息子のジャン・クロード・デュバリエが独裁者として君臨した。このデュバリエ体制は1986年まで続いている。この体制をアメリカ支配層は容認している。アメリカ支配層を震撼させる事態が生じたのは1990年のこと。解放の神学を唱え、アメリカによる軍事独裁体制を使ったラテン・アメリカ支配に反対するジャン・ベルトランド・アリスティド神父が大統領選挙で当選したのである。その翌年には軍事クーデターが試みられているが、その背後では、アメリカの情報機関が介在していたとも言われている。ちなみに、このときのアメリカ大統領はジョージ・H・W・ブッシュ。1993年に大統領となったビル・クリントンは翌年、ハイチに軍隊を入れる動きを見せ、そこでハイチの軍部は政権を放棄した。ところが、2000年の大統領選でアリスティド神父が復活、再びクーデターが実行されてアリスティド政権は倒された。このときのアメリカ大統領はジョージ・W・ブッシュ、つまりH・Wの息子だ。ヒラリー・クリントンは投機家のジョージ・ソロスやリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドのような富豪のほか、ロッキード・マーチンの代理人とも言われるほど戦争ビジネスに近く、ウォール街やコンピュータ産業とも結びついているが、そうした勢力の思惑だけでなく、クリントンの個人的な事情からトランプを大統領の座から引きずり下ろさなければならない事情があると言えるだろう。
2018.01.14
シリアの西部、地中海に面した場所にあるフメイミム空軍基地とタルトゥースにある海軍施設を攻撃した無人機(ドローン)は手作りのように見えるが、高度の技術が使用され、専門知識を持つものが製作しているとロシア国防省は指摘している。攻撃の際、目標になったフメイミム空軍基地とタルトゥースの海軍施設の中間地点をアメリカの哨戒機P-8A ポセイドンが飛行していたこともロシアは明らかにした。攻撃は100キロメートルほど離れた場所から飛び立った13機の無人機(ドローン)によって行われたが、GPSと気圧計を利用、事前にプログラムされた攻撃目標までのコースを自力で飛行、ジャミングされないようになっていたという。アメリカ、イスラエル、サウジアラニアの三国同盟を中心とする勢力は2011年3月からサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵集団を使ってシリアに対する侵略戦争を開始した。当初、西側の政府や有力メディアは「独裁者による民主化運動の弾圧」というシナリオを使っていたが、すぐに嘘が発覚する。西側メディアは現地からの報告という形で弾圧を宣伝していたが、その重要な情報源のひとつとされたのがシリア系イギリス人のダニー・デイエムなる人物。シリア政府の弾圧を訴え、外国勢力の介入を求める発言を続けていた。リビアと同じようにNATO軍、あるいはアメリカ軍を介入させてバシャール・アル・アサド政権を倒して欲しいということだが、デイエムのグループが「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像が2012年3月にインターネット上へ流出、嘘がばれてしまう。2012年5月にはシリア北部ホムスで住民が虐殺され、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと宣伝されたが、現地を調査した東方カトリックのフランス人司教はその話を否定する。虐殺を実行したのは政府軍と戦っているサラフィ主義者や外国人傭兵だと報告、その内容はローマ教皇庁の通信社で伝えられた。「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」とその司教は書いている。2012年8月にはアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)が反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラの実態は同じだとしている)だとバラク・オバマ政権へ報告している。当時、オバマ大統領は「穏健派」を支援すると主張して物資を供給していたが、そうした穏健派はいないという警告だ。これはホムスを調査した市況と同じ結論である。DIAの報告は、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告していたが、これは2014年以降、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実になった。この報告書が書かれた当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。2013年になると化学兵器による攻撃が問題になり、西側の有力メディアはシリア政府が使っていると宣伝するのだが、これは正しくないとする情報や分析が次々と出てくる。そうした中、オバマ政権はシリア近くの基地にB52爆撃機の2航空団を派遣し、5隻の駆逐艦、1隻の揚陸艦、そして紅海にいる空母ニミッツと3隻の軍艦などの艦船を地中海に配備して攻撃の姿勢を見せる。これに対抗してロシア政府は空母キラーと呼ばれている巡洋艦のモスクワを中心に、フリゲート艦2隻、電子情報収集艦、揚陸艦5隻、コルベット艦2隻がシリアを守る形に配置したと報道されている。攻撃が予想されていた9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発の弾道ミサイルが発射されたが、2発とも海中に落ちてしまう。発射されたミサイルをロシアの早期警戒システムがすぐに探知、その事実を公表したこともあり、その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表した。事前にイスラエルは発射実験を発表していないことから、アメリカ軍やイスラエル軍は実際に攻撃を始めたと見られている。迎撃ミサイルや機銃が使われた事実はないようで、ジャミングで落とされたのではないかという説が有力だ。ちなみに、イランの核開発をめぐり、P5+1(国連安保理常任理事国とドイツ)がイランと暫定合意したのはその2カ月後だ。そして2017年4月6日、アメリカ海軍の駆逐艦、ポーターとロスから巡航ミサイル(トマホーク)59機がシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射され、少なくとも数機は目標へ到達したという。4月4日に政府軍が化学兵器を使用したというのだが、これも根拠のないもので、その主張を否定する調査結果が出ている。そもそもシリア政府軍は化学兵器を2013年に廃棄、現在、そうした兵器を保有しているのはアメリカが支援してきた反シリア政府軍だ。ジャーナリストのロバート・パリーによると、4月6日の早朝にマイク・ポンペオCIA長官はドナルド・トランプ大統領に対し、シリア政府側は化学兵器を使用していないと説明している。空爆の前、アメリカ側へ通告があり、アメリカ軍もCIAも状況を詳しく知っていた。6月25日にはジャーナリストのシーモア・ハーシュも同じ内容の記事をドイツのメディアに書いている。ハーシュによると、4月4日に聖戦主義者の幹部が会議を開くという情報をつかんだロシアとシリアは攻撃計画を立て、その内容をアメリカ側へ伝えている。CIAにも直接、ロシアから攻撃に関する情報が伝えられていた。その情報が何者かによって現地のアル・カイダ系武装集団へ伝えられたと推測する人もいる。2013年の失敗を反省、この攻撃ではジャミングを想定して59機という数のミサイルを発射、目標に到達したものもあったようだ。この時にロシア側から流れてきたのは短距離防空システムの必要性。その後、S-300、S-400だけでなくパーンツィリ-S1の配備が進んだとも言われている。今回の攻撃で使われたドローンがジャミングの影響を受けない仕組みになっていたのはロシア側の対応を見たかったのかもしれない。パーンツィリ-S1が有効だったことも確認されたが、ジャミング以外の電子戦兵器が何だったのかは不明だ。ドローンを使ったのは武装勢力かもしれないが、技術を供与した科学技術の進んだ国が背後にいる可能性は高い。このドローンが離陸した地域にいる武装勢力のスポンサーはアメリカとトルコだが、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領にはロシアのウラジミル・プーチン大統領からトルコ以外の国が関与していると伝えられたという。アメリカ、あるいはアメリカと緊密な関係にある同盟国だということだろう。
2018.01.13
1970年代の終盤、ジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンを不安定化するための戦闘集団を編成、秘密工作を始めて以来、アメリカはイスラエルやサウジアラビアと戦略的な同盟関係にある。CIAと密接な関係にあると言われているブレジンスキーはデイビッド・ロックフェラーと親しく、このふたりに目をかけられて大統領になったのがカーター。つまり、カーター政権では大統領より国家安全保障補佐官の方が格上だった。ちなみに、デイビッドの兄であるネルソン・ロックフェラーと親しいことで知られているのがヘンリー・キッシンジャー。ネルソンはCIAの秘密活動を統括する工作調整会議の議長を経験した人物で、またキッシンジャーは破壊(テロ)工作を目的とする秘密機関OPCに所属していたことがある。つまりキッシンジャーとブレジンスキーは背景が似ている。キッシンジャーは1943年2月にアメリカ陸軍へ入り、その翌年には第84歩兵師団の訓練施設があったルイジアナ州キャンプ・クレイボーンへ配属、そこで知り合ったフリッツ・クレーマーに見いだされて出世街道を歩き始める。クレーマーの紹介で第82歩兵師団の司令官を務めていたアレキサンダー・ボーリング中将の通訳兼ドライバーとなったキッシンジャーは後にアメリカ陸軍の情報分隊(後の対敵諜報部/CIC)へ配属され、第2次世界大戦にはOSSで破壊工作を指揮していたアレン・ダレスに目をつけられる。大戦中、西ヨーロッパでドイツと戦っていたレジスタンスはコミュニストの影響力が強く、それに対抗する目的で米英はゲリラ戦を目的としてジェドバラなる戦闘集団を編成、その人脈は戦争が終わってからOPCの中核メンバーになる。その創設を控えた1947年秋からキッシンジャーは新組織のためにハーバード大学で外国人学生を秘密裏にリクルート、本人もOPCの仕事をするようになったのだ。1950年にキッシンジャーはアレン・ダレスの作戦調査室でコンサルタントとして働くようになるが、その一方で1951年から71年にかけて「ハーバード国際セミナー」の責任者を務めている。1953年に中曽根康弘が参加したセミナーだ。セミナーに参加する3年前、中曽根はスイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席しているが、この団体はアメリカの「疑似宗教団体」で、CIAと結びついていると言われている。MRAと結びついてから中曽根は出世していく。日本人としては岸信介や三井高維もMRAに参加していた。(グレン・デイビス、ジョン・G・ロバーツ著、森山尚美訳『軍隊なき占領』新潮社、1996年)アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟が誕生する上で重要な出来事が1975年3月にサウジアラビアで引き起こされている。アメリカ支配層とは一線を画していたファイサル国王が執務室で甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されたのだ。ジャーナリストのアラン・ハートによると、クウェートのアブドル・ムタレブ・カジミ石油相の随行員として現場にいたビン・ムサイドはアメリカで活動していたモサド(イスラエルの情報機関)のエージェントに操られていたという。ギャンブルで負けて借金を抱えていたビン・ムサイドに魅力的な女性を近づけ、借金を清算した上で麻薬漬けにし、ベッドを伴にしたりして操り人形にしてしまったというのだ。(Alan Hart, “Zionism Volume Three,” World Focus Publishing, 2005)ファイサル国王が殺される7カ月前、アメリカではリチャード・ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任している。ニクソンには赤狩り、闇資金、あるいはベトナム戦争の和平遅延工作など良くない話がついて回るが、その一方でデタント(緊張緩和)を目指し、中国を訪問して友好関係を結ぼうと試み、そしてイスラエル軍が占領地から撤退することを求めた国連安保理の242号決議に基づいていパレスチナ問題を解決しようとしていた大統領でもある。この決議ではパレスチナ人の権利が正当に認められていないとする意見があるが、占領地を手放すことを認めないイスラエルからみるとニクソンは許しがたい存在だった。ニクソンはバーノン・ウォルタースCIA副長官にPLOと交渉させたが、イスラエルに対しては和平に応じて占領地から撤退するように求めている。1974年6月のことだ。交渉の仲介役はファイサル国王だった。8月に入るとニクソンはイスラエルから長期にわたる軍事支援を求められたが、これを断り、包括的和平に応じるまでイスラエルへの全ての武器供与を中止するつもりだと同月6日、キッシンジャーに話している。ニクソンが大統領を辞任すると演説したのはその2日後のことだ。(ウォーターゲート事件とCIAとの関係は本ブログでも何度か触れたことがあり、今回は割愛する。)ファイサルの後を継いだハリド国王は政治に熱心とは言えず、健康上の問題もあり、その時代から親米派で有名なファハド・ビン・アブドル・アジズが第一副首相として統治している。1982年から2005年までファハドは国王としてサウジアラビアに君臨した。1983年から2005年まで駐米大使を務めたバンダル・ビン・スルタンはブッシュ家と親しいことで知られ、バンダル・ブッシュと呼ばれるほどだ。2005年から15年までは国家安全保障会議の事務局長を務め、12年から14年までは総合情報庁(サウジアラビアの情報機関)の長官だった。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。ハーシュによると、工作の中心にはリチャード・チェイニー米副大統領、ネオコン/シオニストのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてバンダル・ビン・スルタンだという。サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とする戦闘員を使ってターゲット国を侵略する工作で、2011年春に顕在化した。(侵略について今回は立ち入らない。)金融資本/CIAと密接な関係にあるブッシュ家と親しいバンダル・ビン・スルタンだが、昨年(2017年)11月4日から始まったサウジアラビアの大粛清では拘束されたと伝えられている。粛清したのは国王の息子であるモハンマド・ビン・サルマン皇太子だが、独力で実行したわけではない。この皇太子は昨年9月にイスラエルを極秘訪問、10月25日から28日にかけてはドナルド・トランプ大統領の義理の息子にあたるジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを極秘訪問したと伝えられている。クシュナー親子はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフに近く、ネタニヤフと緊密な関係にある富豪のシェルドン・アデルソンは大統領選挙でドナルド・トランプ陣営に対する最大のスポンサーだった。その関係からトランプ大統領はビン・サルマンとにつながる。ネタニヤフ首相の父親はウラジミール・ジャボチンスキーの秘書を務めていた人物だ。それに対し、前皇太子のムハンマド・ビン・ナーイフはヒラリー・クリントンに近い。当初の予想ではクリントンが大統領になると見られていたことからビン・ナーイフが皇太子になったが、実際はトランプだったので交代になったと見る人もいる。モハンマド・ビン・サルマン皇太子の人脈もムハンマド・ビン・ナーイフ前皇太子の人脈も破壊と殺戮によって自分たちのプランを実現しようとしてきた。似たもの同士とも言えるが、最終目標が違うように見える。前者は大イスラエルを実現すること、後者はロシア(ハートランド)を制圧して世界制覇を実現することが目標なのではないだろうか?(続く)
2018.01.13
アメリカの有力メディア、つまり新聞、雑誌、放送は今でも偽報道を続けているが、その一端を隠し撮りという手法で明らかにしてきたのがプロジェクト・ベリタス。(ココやココやココやココ)インターネットはそうした有力メディアの情報が嘘だと明らかにする手段になってきた。勿論、インターネットも圧倒的な資金力と情報力を持つ支配層に支配されているが、事実が漏れ出る隙間は存在しているからだ。そのインターネットに対する検閲システムが強化されているが、そうした仕組みのひとつがシャドー・バンニング、いわば闇検閲だ。支配層にとって都合の悪い情報をインターネット上から消し去るのだが、その際、発信者であるユーザーがその事実に気づかないようになっている。SNS(ソシアル・ネットワーキング・サービス)の世界ではそうした仕組みの存在は以前から指摘されていたが、ツイッターでもそうした検閲が行われていることが示された。膨大な情報を処理するため、検閲システムは自動的に学習(マシーン・ラーニング)して削除すべきかどうかを判断しているようだ。支配層が許容する枠組みからはみ出た思想や情報を排除することが検閲の目的。人々が気づかないような方法で排除できれば言論の自由が存在していると錯覚させることができるわけだが、アメリカには言論の自由があり、そこを拠点とする有力メディアは「本当のこと」を伝え、言論の自由を支えているという妄想を抱いている人、あるいはそう信じた振りをしている人には不必要な仕組みだ。
2018.01.12
2015年の段階ではヒラリー・クリントンが次期大統領(2017年〜21年)に内定したと言われていたが、16年の2月にはその流れに変化が見られた。そうした中、クリントン関連の電子メールが明らかにされ、その中にはリビアやシリアに対する侵略工作や民主党幹部の不公正な動きなどに関する情報が含まれていた。この問題ではクリントンが機密情報の取り扱いに関する法規に違反した疑いも浮上する。彼女は公務の通信に個人用の電子メールを使い、しかも3万2000件近い電子メールを削除していたのだ。これについて、FBI長官だったジェームズ・コミーは彼女が情報を「きわめて軽率(Extremely Careless)」に扱っていたとしていた。しかし、当初の表現は「きわめて軽率」でなく、「非常に怠慢(Grossly Negligent)」だった。それをFBIのピーター・ストルゾクが書き換えていたのだ。後者は罰金、あるいは10年以下の懲役が科せられる行為について使われる表現で、クリントンが刑務所行きになることを防ぐために書き換えた疑いがもたれている。このストルゾクは恋愛関係にある同僚に対し、反トランプのメッセージを送っていたとも報道されている。また司法長官代理を務めたサリー・イェーツはトランプ大統領の中東旅行禁止に反対、そのイェーツの発言を電子メールで賞賛していたアンドリュー・ワイツマンはムラー特別検察官の側近。ストルゾクも昨年8月までロバート・ムラー特別検察官の元でロシア政府による大統領選挙への介入疑惑を調べていた。本ブログでは何度か指摘しているが、ロシア政府がアメリカの有力メディアや民主党が言うように大統領選挙に介入したなら、NSAが証拠を握っているはずで、特別検察官を任命する意味はない。アンドリュー・マッカビFBI副長官もヒラリー・クリントンとの関係が注目されているひとり。妻のジル・マッカビは2015年3月にバージニア州上院議員選挙への出馬を表明、67万5000ドル以上をクリントンと親しいテリー・マコーリフなどから受け取っていたのだが、その時、アンドリューはFBIのワシントンDC担当。つまりクリントンの電子メール捜査を指揮する立場にあったのだ。特別検察官のロバート・ムラーも問題視されている。2001年9月4日から13年9月4日にかけてFBI長官を務めている人物だが、長官就任から1週間後にニューヨークの世界貿易センターの3棟とバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎が攻撃(9/11)されている。この事件の真相を上手に隠蔽したと陰口をたたかれているのだ。9/11の直後、事前にFBIは攻撃に関する情報を入手していたと内部告発したFBIの翻訳官だったシベル・エドモンズはフェトフッラー・ギュレンについても事実を公表しようとした。このギュレンもアメリカ支配層の内紛で重要な意味を持っている。2016年6月下旬にレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に対し、15年11月24日のトルコ軍機によるロシア軍機の撃墜を謝罪してロシアへ接近した。トルコでエルドアン政権の打倒を目的とした武装蜂起が引き起こされるのは2016年7月15日のことだ。これは政府側の反撃で失敗に終わるが、その直前にロシアからクーデター計画に関する情報がトルコ政府へ伝えられたとも言われている。このクーデター計画の背後にはアメリカでCIAに保護されているフェトフッラー・ギュレンがいて、アメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官が関係しているとトルコ政府は主張している。ギュレンのグループが登場してくるのは1980年。この年にトルコではCIAを後ろ盾とするクーデターがあり、軍事体制へ移行した。この権力奪取はNATOの秘密部隊、カウンター・ゲリラが実行したが、ギュレンもクーデター派に加わっていた。それ以降、ギュレンはCIAの手先として活動、アメリカに「スリーパー」のネットワークを構築してきたと言われている。ギュレンとそのグループを守る中心人物は元CIA幹部のグラハム・フラー。この人物の娘が結婚した相手の甥ふたりは2013年のボストン・マラソンにおける爆破事件で容疑者とされ、兄は射殺された。弟は重傷を負い、外で証言できない状態だ。1980年代にフラーはズビグネフ・ブレジンスキーの作戦に基づき、アフガニスタンでスンニ派武装勢力を動かしていた。その事実をFBIの翻訳官だったシベル・エドモンズが公表しようとしたところ、FBI長官だったロバート・ムラーが発言を禁止、エドモンズは解雇されてしまう。エドモンズは、9月11日の攻撃を事前にFBIは知っていたと内部告発したことでも知られている。エドモンズによると、ギュレンがマネーロンダリングを行い、テロ関連の活動をしていることをFBIは20年ほど前から知っていたが、黙認してきた。ギュレンは資金が潤沢で、アメリカに140以上の学校網を作り上げている。アメリカ支配層との関係が悪化したエルドアンはギュレンに関する情報を入手しようと考え、アメリカの会社に調査を依頼している。その会社を経営していたのがマイケル・T・フリン中将と息子のマイケル・G・フリン。中将はバラク・オバマ政権がアル・カイダ系武装勢力を操り、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を生み育てたことを熟知しているが、それだけでなくアメリカにおけるCIAの「テロリスト網構築」にも足を踏み入れようとしていた。9/11の調査を妨害して真相を隠蔽したと言われるムラー特別検察官はギュレンの問題も封印しようとしてきた。トランプ大統領の義理の息子であるジャレッド・クシュナー、その父親であるチャールズ・クシュナーの親子はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やサウジアラビアのモハンマド・ビン・サルマン皇太子と緊密な関係にある。トランプと激しく対立してきたヒラリー・クリントンの後ろ盾には投機家のジョージ・ソロスやサウジアラビアのムハンマド・ビン・ナーイフ前皇太子、バンダル・ビン・スルタン(アメリカ駐在大使や総合情報庁長官を歴任)、さらに巨大金融資本や戦争ビジネスが含まれている。(続く)
2018.01.12
シリアの西部、地中海に面した場所にあるフメイミム空軍基地とタルトゥースにある海軍施設が13機の無人機(ドローン)攻撃されたが、ロシア軍の短距離防空システムのパーンツィリ-S1で7機が撃墜され、6機は電子戦兵器で無力化されたとされている。損害はほぼなかったという。100キロメートルほど離れた場所から飛び立ったドローンはGPSと気圧計を利用して攻撃目標までのルートを自力で飛行、ロシア国防省によると、攻撃の際にはターゲットの空軍基地と海軍施設の中間地点でアメリカの哨戒機P-8A ポセイドンが旋回していた。アメリカやトルコの影響下にある「穏健派」が支配するイドリブの南西部地域から飛び立ったという。ドローンを製造するために必要な部品は容易に買えるとアメリカ側は主張しているが、それを利用して攻撃に使われたドローンを設計、組み立てることは容易でない。高度の科学力を持つ国からの支援があったと考えられている。イラクやアフガニスタンでアメリカ軍に対してドローンが使われることもあるようだが、それはせいぜい2キロメートルからのものだ。フメイミム空軍基地は昨年(2017年)12月にウラジミル・プーチン露大統領が訪問した場所。シリアを侵略するためにアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力が送り込んだ傭兵、つまりアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)をほぼ壊滅させたと宣言している。この宣言は事実。三国同盟と手を組んでいた国のうちトルコやカタールは離脱し、武装勢力も分裂しているようだ。現在、アメリカはクルドと手を組む一方、新たな武装勢力を編成中で、そこへはアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュが合流していると伝えられている。
2018.01.11
支配層の間では2015年5月頃、次期大統領をヒラリー・クリントンにすることが内定していた可能性が高いのだが、16年に入ると状況に変化が生じる。2月にヘンリー・キッシンジャーのロシア訪問は象徴的な出来事だったが、民主党の内部でも流れが変化していた。バーニー・サンダースを支持する声が高まり、有力メディアからの逆風に遭遇する。クリントンとサンダースは国内問題で対立していた。クリントンはジョージ・ソロスやリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドのような富豪を後ろ盾とし、ロッキード・マーチンという戦争ビジネスの代理人とも言われ、巨大金融資本とも結びついているのに対し、サンダースは金融改革を打ち出し、社会的な弱者を救済する政策を掲げていた。国際問題では軍事力の行使に消極的で、ロシアとの関係を悪化させる政策にも反対。ドナルド・トランプもロシアとの関係修復を訴えていたが、イスラエルとの関係ではトランプやクリントンと違い、一線を画す姿勢を見せていた。民主党と共和党の大統領候補のうちで、イスラエル・ロビーであるAIPACからの招待を断ったのはサンダースだけだ。ただ、そのサンダースでも昨年(2017年)6月にアメリカ上院で行われたエルサレムをイスラエルの首都と認めてアメリカ大使館をそこへ建設するべきだとする採決で賛成している。そのサンダースを民主党の幹部や有力メディアは攻撃することになった。WikiLeaksが明らかにした電子メールでもそうしたDNC(民主党全国委員会)の幹部によるサンダース潰しの動きがわかる。結局、民主党の候補者選びでサンダースを離脱させることにDNCは成功するが、その前にトランプが立ち塞がり、大方の予想を翻してトランプが勝利する。WikiLeaksなどによって明らかにされたクリントンの電子メールでDNCの不公正な動きを知ったサンダース支持者が離れたことも無視できない。明らかにされた電子メールがクリントン陣営にダメージを与えたことは間違いない。その内容がダメージの原因だが、DNCや有力メディアは内容を問題にせず、ロシア政府がハッキングしてWikiLeaksに流したと叫び始め、ロシアゲートなる幻影を流し始めた。冷戦時代の洗脳が今でも効力があるようで、西側にはロシア嫌いが多く、この幻影に飛びついた人は少なくない。しかし、本ブログでは何度も書いているように、その主張が事実なら証拠をNSAは握っているはずで、FBIもすぐそれを手に入れることができる。そうした証拠が提示されていないのは、証拠がないからだとしか考えられない。少なからぬ情報関係者は技術的な分析から、電子メールは内部から漏れていると指摘している。ロシアゲートに国家機関が介入する切っ掛けは、アダム・シッフ下院議員が昨年(2017年)3月に下院情報委員会で行ったアメリカ大統領選挙にロシアが介入したという発言。同議員の主張はクリストファー・スティールという元イギリス情報機関員の報告書に基づいているのだが、FBIのチームはシッフ発言の5カ月前、2016年10月にスティールと会うためにヨーロッパへ出向いたとされている。スティールはイギリスの対外情報機関MI6のオフィサーだった人物で、MI6のために働いていたアレキサンダー・リトビネンコのケース・オフィサーだったとも言われている。情報機関を離れてからはオービス・ビジネス・インテリジェンスという民間情報会社を経営している。このスティールが作成した報告書は伝聞情報や噂話をつまみ食いした代物で、信頼度は低い。フリンに対し、ロシア政府の高官と接触するように支持したのはトランプの義理の息子、ジャレッド・クシュナーだと伝えられている。この人物はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフサウジアラビアのモハメド・ビン・サルマン皇太子と親しい。フリンがロシア政府高官と接触した目的は、2016年12月23日に予定されていたイスラエルのヨルダン川西岸などへの違法入植を非難する国連安全保障理事会の決議について話し合うことにあったという。なお、この決議は賛成13カ国、棄権1カ国で採択されている。勿論、棄権したのはアメリカ。この報道が正しいなら、イスラエルを支援するというクシュナーの政策に基づいてロシア政府の高官と接触したことになる。つまり、ロシアゲートではなくイスラエルゲートだ。ただ、イスラエルを支持するという政策は民主党を含め、アメリカ議会の圧倒的多数が支持している。「ミフスド教授」は「プーチンの姪」とパパドプロスの会談をアレンジしてくれただとする記事をニューヨーク・タイムズ紙が12月30日に載せた。大統領選挙でトランプの政治顧問を務めていたパパドプロスは2016年5月、ロンドンのバーでオーストラリアの外交官に対し、モスクワはヒラリー・クリントンのキャンペーンにダメージを与える目的で盗み出されたと思われる数千件の電子メールを持っていると聞いたと話したとしている。それを知ったFBIが7月に捜査を始めたというわけだ。パパドプロスによると、彼にその話をした「ミフスド教授」は「プーチンの姪」とパパドプロスの会談をアレンジしてくれたというのだが、第2次世界大戦の最中、子どもだったプーチンの兄弟はレニングラードで死亡しているため、姪はいない。この「教授」はかなり如何わしいということだ。ちなみに、プーチンの兄弟が死んだ当時のレニングラードはドイツ軍とフィンランド軍に攻撃されていた。29カ月間包囲され、約70万人が餓死したという。プーチンが戦争回避に努める理由のひとつはこの体験にあるとも言われている。パパドプロスがFBIに協力しはじめたのは昨年(2017年)10月の前半で、そのひとつの結果としてFBIのチームがスティールとあったという筋書きだ。その直前、トランプのキャンペーンで幹部だったポール・マナフォートがビジネス仲間と一緒にマネー・ロンダリングなどの容疑で起訴されていた。勿論、この起訴で「ロシアゲート」の捜査が進展したなどということはない。この容疑はロシア疑惑と無関係だが、パパドプロスとFBIとの取り引きに関係していると考える人はいる。FBIの上層部には反トランプ派がいた。司法長官代理を務めたサリー・イェーツもそのひとりで、トランプ大統領の中東旅行禁止に反対している。そのイェーツの発言を電子メールで賞賛していたアンドリュー・ワイツマンはムラー特別検察官の側近だ。トランプは安全保障分野をマイケル・フリン中将を据えた。DIAはフリンが局長を務めていた2012年8月、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラの実態は同じだとしている)で、バラク・オバマ政権が「穏健派」に対する軍事支援を継続したなら、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告している。いうまでもなく、サラフィ主義者の支配国はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実になった。退役後、アル・ジャジーラの番組に出演したフリンはこの報告について質問され、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると明言しているが、その通りだ。バラク・オバマ政権はリビアやシリアを侵略、ウクライナでクーデターを実行するために偽情報を流し、サラフィ主義者やイスラム同胞団を中心とするスンニ派武装勢力、あるいはネオ・ナチを傭兵として使い、他国を侵略、破壊と殺戮をもたらしたが、その実態をフリンは熟知している。そのフリンをイェーツは事情聴取した。その段階でマイケル・フリン中将とセルゲイ・キスリャク駐米露大使との会話をNSAが盗聴した記録をFBIは持っていた。後にFBIはフリンを偽証したと主張、フリンもそれを認めるが、中身は問題にされていない。記録と証言との間に違いがあるというだけのことだ。(続く)
2018.01.11
アメリカの好戦派が1992年2月、ソ連が消滅した直後に打ち出した世界制覇プランは同国を含む西側の支配層を束ね、ロシアや中国にも大きな影響力を及ぼしていた。そのプランに基づいてユーゴスラビアなど旧ソ連圏を解体して支配、イラク、シリア、リビアなどの国々を侵略し、破壊と殺戮を繰り広げたわけだが、シリアでバシャール・アル・アサド政権を倒して傀儡体制を築くという目論見に失敗、戦争が長引くにつれて離反する国が増えたうえ、アメリカの支配層内で対立が深刻化したと言えるだろう。2016年のアメリカ大統領選挙でヒラリー・クリントンを勝たせることが内定したとする噂が流れたのは2015年6月のことだった。この月の11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたからだ。ビルダーバーグ・グループはオランダの王子だったベルンハルトとポーランド人のユセフ・レッティンゲルによって創設された団体。レッティンゲルの案にベルンハルトが共鳴したようだ。レッティンゲルはウラジスラフ・シコルスキー将軍の側近だった人物で、第2次世界大戦の前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動していた。1939年9月にドイツ軍がポーランドへ軍事侵攻した当時、ポーランド軍将兵の多くはシコルスキー将軍に忠誠を誓っていた。そのシコルスキーはイギリスの援助を受け、ロンドンで亡命政府を作っている。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage Press, 1995)レッティンゲルとベルンハルトが結びついたのは1952年のこと。ふたりの活動はドワイト・アイゼンハワーがアメリカ大統領になってから軌道に乗る。1950年から53年にかけてCIA長官を務めたウォルター・ベデル・スミスはベルンハルトの友人だった。スミスを介してふたりは心理戦の専門家であり、フォーチュン誌やLIFE誌の発行人でジョン・F・ケネディ大統領暗殺を撮影したフィルムを隠したことでも知られているC・D・ジャクソンと知り合い、ジャクソンの紹介でジョン・S・コールマンという人物と知り合う。コールマンは後にビルダーバーグ・グループのアメリカにおける責任者になった。そのほかアメリカ側の中心メンバーはCFR(外交問題評議会)と重なり、ジョン・フォスター・ダレスやヘンリー・キッシンジャーも含まれる。ビルダーバーグ・グループには上部組織が存在した。ヨーロッパの統合を目指し、アレン・ダレスなどアメリカのエリートがウィンストン・チャーチルの協力を受けて設立したACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)。このACUEで委員長を務めたウィリアム・ドノバンは戦時情報機関OSSの長官で、アレン・ダレスの友人。ふたりはウォール街の弁護士だ。次期アメリカ大統領はヒラリー・クリントンだという流れに変化が現れたのは2016年2月10日のことだった。ヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談、22日にはシリアで停戦の合意が成立したのだ。そして2016年にWikiLeaksはヒラリー・クリントンらの電子メールを公表するのだが、その中にはバーニー・サンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう民主党の幹部に求めるものがあり、サンダースの支持者を怒らせることになった。民主党幹部たちが2015年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールもある。民主党がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNCの委員長だったドンナ・ブラジルも認めている。彼女はWikiLeaksが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。その書類にはヒラリーが民主党のファイナンス、戦略、そして全ての調達資金を管理することが定められていた。その合意は彼女が指名を受ける1年程前の2015年8月になされた。この問題ではクリントンによる電子メールの扱い方や削除が問題になった。彼女は公務の通信に個人用の電子メールを使い、3万2000件近い電子メールを削除していたのだ。ジェームズ・コミーFBI長官(当時)は彼女が機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性を指摘、情報を「きわめて軽率(Extremely Careless)」に扱っていたとしていた。この「きわめて軽率」は元々「非常に怠慢(Grossly Negligent)」だと表現されていたのだが、それをFBIのピーター・ストルゾクが書き換えていた。後者の表現は、罰金、あるいは10年以下の懲役が科せられる行為について使われるという。クリントンが刑務所行きになることを防ぐために書き換えた疑いがもたれている。削除されたメールを含め、NSAは遣り取りされた全ての電子メールを記録しているはずで、FBIがその気になれば入手できるとNSAの不正を内部告発したウィリアム・ビニーは指摘する。ロシア政府がハッキングしたという主張が事実なら、その証拠をNSAは握っていることも確実だ。それを出せないと言うことは、証拠がない、つまりハッキング話が嘘だと言うことを示している。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが民主党全国委員会(DNC)から漏れた電子メールについて電話で語った音声がインターネット上で公開されている。彼はワシントンDC警察やFBIの報告書を見たとしたうえで、電子メールをWikiLeaksへ渡したのはDNCのコンピュータ担当スタッフだったセス・リッチだとしている。また、その漏洩した電子メールはロシア政府がハッキングしたとする偽情報を流し、ロシアとアメリカとの関係悪化を目論んだのはCIA長官だったジョン・ブレナンだとも語っている。同じ趣旨のことはリッチの両親が雇った元殺人課刑事の私立探偵リッチ・ウィーラーも主張していた。この探偵はセスがWikiLeaksと連絡を取り合い、DNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間に遣り取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルがセスからWikiLeaksへ渡されているとしていた。WikiLeaksのジュリアン・アッサンジはリッチについてDNCの電子メールを提供した人物だと示唆、射殺事件に関する情報提供者に2万ドルを提供するとツイッターに書き込んでいる。また、WikiLeaksはハーシュの発言をツイッターで紹介した。ダナ・ローラバッカー下院議員によると、昨年8月に同議員はロンドンのエクアドル大使館でWikiLeaksのジュリアン・アッサンジと会談、リークされた電子メールの情報源がロシアでないことを示す決定的な情報を提供する容易があると聞かされる。アッサンジ逮捕を諦めることが条件だったようだ。この情報をローラバッカー議員はジョン・ケリー大統領首席補佐官に伝えたのだが、この情報はトランプ大統領へは知らされなかった。「ロシアゲート」の幻影を維持しようとしている人間はトランプ政権の内部にもいる。(続く)
2018.01.10
東アジアで軍事的な緊張が高まることを望み、そうした状況を作り出しているのはアメリカであり、日本はその戦略に従っている。それに対し、韓国は戦争による破壊と殺戮を避けようとしているのだ。アメリカの好戦派を代表するネオコンはソ連が1991年12月に消滅した直後、92年2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。作業で中心的な役割を果たした人物が国防次官だったポール・ウォルフォウィッツだったことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。冷戦の終結は戦乱の幕開けを意味していた。世界を冷戦へと導いたのはイギリスの首相だったウィンストン・チャーチルだ。ドイツが降伏した直後、チャーチル首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令している。そして5月22日に提出されたのが「アンシンカブル作戦」だ。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始めることになっていた。この作戦は参謀本部が拒否したため、実行されていない。チャーチルは7月26日に退陣、翌1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、冷戦の幕開けを告げた。1947年にはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたという。1947年にはアメリカの外交官、ジョージ・ケナンがフォーリン・アフェアーズ誌の7月号に匿名で論文「ソ連の行動の源泉」を発表し、ソ連は基本的に西側との共存を望んでいないと主張、警戒を呼びかけている。その年の5月にアメリカ議会はギリシャやトルコへ合計4億ドルの援助を与えることを決め、封じ込め政策が始まった。ケナンが書いた草案に基づいてNSC(国家安全保障会議)は1948年にNSC10/2を作成し、それにベースにして心理戦や破壊活動を目的とする秘密機関OPC(政策調整局、当初の名称は特別プロジェクト局)を設置した。1950年10月にOPCはCIAに吸収され、翌年1月にはアレン・ダレスがCIAの計画担当副長官に就任、同年8月には全体を統括する副長官になる。計画担当副長官の後任はOPC局長だったフランク・ウィズナー。1952年8月にはOPCが中核になり、CIAの内部に計画局が設置された。1953年1月にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任すると2月にダレスはCIA長官に納まる。この政権で兄のジョン・フォスター・ダレスはすでに1月から国務長官に就任していた。1970年代に入ると秘密工作の一端が知られるようになり、1973年3月に計画局は名称を作戦局へ変更、2005年10月にはNCS(国家秘密局)に衣替えした。封じ込め政策はハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が1904年に発表した理論に似ている。彼は世界を3つに分けて考えた。第1がヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、第2がイギリスや日本のような沖合諸島、そして第3が南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島。世界島の中心がハートランドで、ロシアを指している。広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを制圧できれば世界の覇者になれると考え、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯と、その外側に想定する外部三日月地帯で締め上げようとしたのだ。日本は外部三日月地帯の一部と見なされた。イギリスにとって日本は東アジア侵略の拠点であり、日本軍は彼らの手先ということ。だからこそイギリスは長州の後ろ盾になって明治維新を成功させ、日本の軍事力や生産力の向上に協力したと考えられる。この維新が民主主義を目指していなかったことは自由民権運動の弾圧を見ても明らか。明治政府は1872年に琉球を併合、74年には台湾派兵、75年には江華島へ軍艦を派遣して朝鮮を挑発した。そこから日清戦争、日露戦争、そして中国侵略へと続く。本ブログでは何度も書いてきたが、日本がウォール街の影響下に入るのは関東大震災以降。戦前も戦後も日本はウォール街の属国だ。そのウォール街と対立関係にあったニューディール派がホワイトハウスの主になったのが1933年。それから1945年4月までそうした状況が続く。その期間を含め、日本とアメリカとの関係を考える上でのキーパーソンが駐日大使だったジョセフ・グルーだ。植民地主義に反対したニューディール派のフランクリン・ルーズベルト、ソ連との平和共存を打ち出してベトナムからのアメリカ軍撤退を決めていたジョン・F・ケネディ、デタントへ舵を切ったリチャード・ニクソンといった大統領はいたが、全体の流れは侵略へ向かっている。ちなみにルーズベルトはドイツが降伏する前の月に急死、ケネディは暗殺され、ニクソンはスキャンダルで失脚した。第2次大戦後、日本は軍事力を放棄したことになっているが、旧日本軍の軍人は朝鮮半島や台湾で活動していた。中でも1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した白団は有名。多くの将校、下士官、兵士が蒋介石軍によって処刑される中、岡村寧次大将など一部の軍人は帰国してGHQ/SCAPに保護される。その岡村の下へ蒋介石は曹士徴を密使として派遣、岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して「台湾義勇軍」を編成することで合意している。富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになったことから義勇軍は白団と呼ばれるようになった。1951年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡る。白団へ軍事情報を渡していたのは富士倶楽部、つまり陸士34期の三羽烏と呼ばれた服部卓四郎大佐、西浦進大佐、堀場一雄大佐、あるいは海軍の及川古四郎大将や大前敏一大佐たち。服部はノモンハン事件で作戦指導を行った軍人で、アメリカとソ連との戦争は不可避だと考えていた。占領軍のG2(情報担当)部長だったチャールズ・ウィロビー少将から信頼されるようになる。1949年に服部大佐は市ヶ谷駅の近くに史実研究所をつくり、その後、約20年間に白団へ6000点ほどの資料(森詠の『黒の機関』によると、軍事図書7000冊、資料5000点余り)を渡しているが、その中には自衛隊の教科書も含まれていた。なお、白団メンバーのうち23名が自衛隊へ入っている。この当時からアメリカ軍と旧日本軍/自衛隊は連携して動いているわけで、アメリカが東アジアで戦争を始めたならば、つまり中国を侵略したならば、自衛隊も参加することになるだろう。
2018.01.09
日本のマスコミが強うそうな人々の流す話を垂れ流していることは言うまでもないが、だからといってアメリカの有力メディアを信奉するのも滑稽だ。アメリカの権力抗争にしろ、中東情勢にしろ、経済問題にしろ、西側の有力メディアに情報を頼ることはできない。アメリカのビル・クリントン政権はユーゴスラビアを、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラクをそれぞれ先制攻撃したが、その前に偽情報を流し、好戦的な雰囲気を広めていた。バラク・オバマ政権はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を主力とするアル・カイダ系武装勢力、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)をリビアやシリアへ侵略のために送り込み、ウクライナではネオ・ナチを利用してクーデターで政権転覆に成功した。オバマ政権も侵略を正当化する見え透いた嘘を有力メディアが流している。フランク・チャーチ上院議員を委員長とする上院特別委員会が1975年1月から情報活動に関する政府の作戦を調査、外国の要人暗殺、ベトナム戦争における住民虐殺プロジェクト(フェニックス・プログラム)、電子的な情報活動、秘密のプロパガンダなどの一端が明らかにされたのは1970年代の半ば、ジェラルド・フォード政権の時だった。この特別委員会は一般にチャーチ委員会と呼ばれているが、日本だけは1973年3月20日に聴聞会がスタートした上院外交委員会の多国籍企業小委員会をそう呼ぶ。なお、下院でも1975年2月に情報特別委員会が設置された。1975年にはネルソン・ロックフェラー副大統領を委員長とする委員会も設置され、アメリカにおけるCIAの活動が調べられた。ただ。ネルソン・ロックフェラーはCIAの秘密活動を統括する工作調整会議の議長だった時期があり、この委員会は秘密工作を隠蔽することが目的だったと考えられている。ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領が辞任したことを受け、フォードは副大統領から大統領へ昇格した人物。ウォーターゲート事件の調査ではワシントン・ポスト紙の若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが有名だが、そのバーンシュタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。有力メディアがCIAの影響下にある実態を明らかにしたのだ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。バーンシュタインはこの記事を書くため、ワシントン・ポスト紙を辞めざるをえない事情があった。アメリカの情報機関人脈は情報をコントロールして人心を操作するためにモッキンバードというプロジェクトを実行しているが、その中心になっていた4人のひとりがワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムなのである。そのほかの3人はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ。いずれも戦時情報機関のOSSや大戦後に創設されたCIAの幹部で、秘密工作に深く関わっていた。またダレスとウィズナーはウォール街の弁護士であり、ヘルムズは母方の祖父が国際決済銀行の初代頭取。グラハムの場合、妻のキャサリンは父親が世界銀行の初代総裁だ。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)2014年2月にはフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテもドイツでCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。ウルフコテによると、ジャーナリストとして過ごした25年間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないこと。彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっていると昨年(2017年)1月、心臓発作によって56歳で死ぬまで警鐘を鳴らし続けていた。昨年5月には英語版が出版されたはずだったが、流通していないようだ。
2018.01.09
アメリカの国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを5年で殲滅すると口にしたのは1991年のことだった。これは2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が語った話。(3月、10月)ウォルフォウィッツを含むネオコンにとってこの3カ国は戦略上、特別な存在だ。しかし、ウォルフォウィッツの「予言」は実現しなかった。1993年1月に大統領となったビル・クリントンがネオコンの多くを政府から排除したからだ。有力メディアはユーゴスラビアをはじめ旧ソ連圏での戦争を煽ったが、そうした戦争に政権は消極的だった。その第1期目、クリントン大統領はスキャンダル攻勢にさらされる。クリントン政権が戦争へ突き進むのは第2期目に入ってからだ。そうした流れの変化を象徴する出来事が国務長官の交代。1997年1月にウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ入れ替わったのだ。1998年にオルブライト長官はユーゴスラビア空爆を支持すると表明し、99年3月に欧州連合軍はユーゴスラビアを先制攻撃した。オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの教え子、父親であるジョセフ・コルベルの教え子にはコンドリーザ・ライスがいる。またスーザン・ライスはオルブライト自身の教え子。本ブログでは何度も書いてきたが、ブレジンスキーはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心に侵略部隊を編成、アル・カイダの生みの親とも言える人物である。そうした中、1997年10月にはモニカ・ルウィンスキーなる女性のスキャンダルが浮上した。リンダ・トリップなる女性がルウィンスキーと大統領との電話による会話を録音、公表したのだ。このトリップにルウィンスキーとの会話を録音するように勧めたルシアンヌ・ゴールドバーグは1972年の大統領選挙では戦争に反対していたジョージ・マクガバンをスパイしていたことで知られている。クリントン政権にはオルブライトのほか、ネオコンとして知られているビクトリア・ヌランドが国務副長官の首席補佐官を務めている。オルブライトとヌランドはふたりともヒラリー・クリントンと親しい。ヒラリーが好戦派を閣内へ引き入れたと言えるだろう。その後、ジョージ・W・ブッシュ政権下の2003年3月にアメリカ主導軍はイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、フセイン自身は処刑した。攻撃の口実とされた大量破壊兵器の話が嘘だったことは当時から指摘されていたが、強引に戦争を始めている。2009年にアメリカはカラー革命を仕掛けたが失敗、11年にはリビアとシリアへサラフィ主義者やムスリム同胞団を主力とするアル・カイダ系武装集団を投入する。リビアはその年のうちに破壊され、今では無法地帯化して奴隷売買が横行する破綻国家になった。中東や北アフリカの中でも最も文化水準が高く、平和な国をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力が侵略した結果だ。シリアはリビアより社会の一体感があり、政府軍も協力で侵略は難航した。しかもリビアの惨状を見てロシアが侵略に強く反対、2015年9月30日にはシリア政府の要請を受けてロシア軍が軍事介入、アメリカなど侵略勢力の手先として戦っていた武装勢力を壊滅させてしまった。そこでアメリカは現在、シリアでクルドと手を組んでいる。この勢力はユーフラテス川の北を支配、そこにアメリカ軍は13基地を建設済み。そこで新たな武装勢力「北部シリア軍」が編成され、軍事訓練を受け、出撃基地としても使われているとロシアやイランは主張している。その武装勢力にはSDF(シリア民主軍)やYPG(クルド人民防衛隊)だけでなく、アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に所属していた戦闘員も含まれているという。さらに、アメリカ政府はクルドの支配地を外交的に承認する動きも見せている。クルドを敵視するトルコ政府はSDFを攻撃する動きもあるが、実際に戦闘が始まった場合、アメリカ軍との交戦に発展するかもしれない。そうなると、NATO加盟国同士の戦いということになってしまう。トルコでの報道によると、イランへはCIAのマイケル・ダンドレアが約900名の工作員を送り込んで暴動を扇動、またイラクではイスラエルとサウジアラビアの支援を受けたバース党が権力の奪取を狙っていると伝えられている。
2018.01.08
韓国の平昌で2月9日から25日にかけて開催される予定の冬期オリンピックに朝鮮が選手を派遣する意向だと伝えられている。朝鮮では政権内で意思が統一されていないことがあるので確定的なことは言えないが、韓国とアメリカの合同軍事演習をオリンピックの後まで延期、南北の対話も実現する可能性がある。ドナルド・トランプ大統領は軍事的な圧力が朝鮮側を交渉の席へ引きずり出すことになったと主張しているが、実際にアメリカが行ってきたことは東アジアにおける軍事的な緊張をエスカレートさせ、中国の進める戦略を妨害すること。本ブログでは何度か指摘したことだが、朝鮮の核兵器開発(核兵器を保有していないとの説もある)やミサイル発射実験はアメリカや日本の好戦派にとって都合の良いタイミングで実施され、アメリカの戦争準備に貢献してきた。ネオコンなどアメリカの好戦派は遅くとも1992年2月、国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。この段階で日本もアメリカの戦争マシーンに組み込む作業が始まり、1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を出してからはその動きは本格化した。安倍晋三政権はその総仕上げを目論んでいる。それ以降、アメリカは世界制覇を実現するために破壊と殺戮を本格化させた。アメリカ支配層はヨーロッパで行ったように、東アジアにもミサイル網を築きつつある。例えば日本政府は地上配備型イージスシステム「イージス・アショア」の配備を決定、韓国へは政府の反対を押し切ってTHAAD(終末高高度地域防衛)を持ち込んだ。いずれも「防衛」が目的だとしているが、使われている発射システムが巡航ミサイルのトマホークと同じで、ソフトウェアを変えるだけで攻撃用ミサイルを発射することができる。中国の沿岸やロシアのサハリンは射程圏内だ。また、2015年に就航した「いずも」は艦首から艦尾まで平らな「全通甲板」を有し、垂直離着陸が可能なMV22オスプレイやステルス戦闘機のF35Bも離発着できると言われている。「護衛艦」という曖昧な呼び方をされているが、強襲揚陸艦と考えるべきだろう。アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスは19世紀に経済の破綻を略奪で埋め合わせようとして中国(清)へアヘンを密輸出、中国側が取り締まりを強化すると1840年に戦争を仕掛け、植民地化の第一歩を印した。アヘン戦争だ。その際、アメリカ人の中にも麻薬取引で大儲けした人たちがいる。アメリカは19世紀の終わりにフィリピンを植民地化して以来、中国での利権獲得を目指してきた。その長期戦略は今も生きているように見える。アヘンの取り引きで大儲けした会社のひとつがジャーディン・マセソン商会。その会社は1859年にふたりの人物を日本へ派遣している。ひとりは長崎に来たトーマス・グラバーであり、もうひとりは横浜にオフィスを開いたウィリアム・ケズウィック。日本ではグラバーが有名だが、どちらが大物かというと後者。1862年に香港へ戻り、86年にはロンドンで会社の幹部になっている。彼の父親もジャーディン・マセソン商会の人間で、母方の祖母は同商会の共同創立者であるウィリアム・ジャーディンの姉にあたり、ケズウィック家は香港上海銀行と深くつながる。この銀行は麻薬取引の資金を扱っていたが、そうしたことからウィリアム・ケズウィックは青幇の杜月笙と親しくしていた。その縁で蒋介石とも関係がある。1863年6月に長州は5名の若者、つまり井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)を横浜からロンドンへ送り出すが、渡航の手配をしたのはグラバーで、その際にジャーディン・マセソン商会の船が利用されている。一方、アメリカがアジア侵略を本格化させるのは1898年。キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メインが爆沈した責任をスペインに押しつけて戦争を始め、勝利する。アメリカは「独立」という名目でスペインからキューバを奪い、プエルトリコ、グアム、フィリピンを買収、ハワイも支配下においた。フィリピンは中国を侵略する橋頭堡として位置づけられる。その当時からアメリカを支配していたのは巨大資本。1923年に日本で関東大震災が起こると、復興資金の調達を頼ったアメリカの巨大金融機関JPモルガンが日本の支配者になる。このJPモルガンの総帥だったジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日大使として1932年に来日した。戦後日本の進む方向を定めたジャパン・ロビーの中心人物もこのグルーだ。この1932年に行われた大統領選挙でウォール街が担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北、ウォール街の大物たちは33年にクーデターを計画している。しかし、この計画は海兵隊のスメドレー・バトラー少将が1934年にアメリカ下院の委員会で告発して発覚、少将の知り合いでクーデター派を取材したジャーナリストのポール・フレンチによると、クーデター派は「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と主張していたという。(Public Hearings before the Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session)現在、東アジアでの軍事的な緊張が緩和される兆候が見られるが、その一方でアメリカはイスラエルやサウジアラビアとイランへの侵略を目論んでいる。シリアへ送り込んだサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする武装勢力が敗北、追い詰められたイスラエルとサウジアラビアはアメリカ引きずり込むことに成功したようだが、中東にしろ東アジアにしろ、ロシアや中国が黙っているとは思えない。この両国はすでに腹をくくっている。
2018.01.07
新聞や放送といった既存の巨大メディアがプロパガンダ機関化していると指摘され始めてから久しい。本ブログではしつこく書いているが、アメリカでは第2次世界大戦が終わった直後から情報を統制する目的のプロジェクト、モッキンバード(今回はこれについての説明を割愛する)が実行された。西側の「公式情報」を流す役割を負っているのは西側の有力メディア。アメリカでは遠距離通信法が1996年に制定され、巨大資本によるメディア支配が進んだ。この当時に大統領を務めていたビル・クリントンはイギリスへの留学経験がある。ジョン・F・ケネディ大統領の顧問だったリチャード・グッドウィンによると、クリントンはイギリスへ留学してした頃にCIAから雇われ、留学生仲間を監視していた経歴の持ち主である。(Robin Ramsay, “Politics & Paranoia”, Picnic, 2008)そうした既存メディアに対する情報統制に風穴を空けたのがインターネットだが、すでにアメリカ支配層はインターネット規制を本格化させている。例えば、Googleは西側の「公式情報」に反する情報を流しているサイトが検索で上位にこないようアルゴリズムを変更、Facebookはアメリカやイスラエルの政府に従い、アカウントを削除しているという。確かに、そうした現象は見られる。インターネットの世界では、早い段階から怪しげな動きがあった。例えば、クリントン政権時代の1999年にはIn-Q-TelというCIAのファンドが創設され、情報産業に影響力を及ぼす仕組みを作り上げているが、その前に国防総省は1994年頃にハイランド・フォーラムというネットワークを作り、ペンタゴンの内部と外部の交流を図っている。1994年当時、スタンフォード大学の博士課程で学ぶ学生の中にセルゲイ・ブラインとラリー・ページはウェブがいた。このふたりはインターネットを調べ、ページをランキングするアプリケーションを開発、これがGoogleの検索サービスにつながる。この際、ふたりへ流れていた資金にはMDDS(巨大デジタル・データ・システム)プロジェクトのものも含まれていたが、その背後にはCIA(中央情報局)、NSA(国家安全保障局)、DARPA(国防高等研究計画局)が存在していた。ブラインは定期的にふたりの研究者へ報告しているのだが、そのふたりはそのプログラムに加わっていた研究者だ。GoogleやFacebookに限らず、コンピュータ関連の会社は程度の差こそあれ、アメリカやイスラエルの情報機関と結びついている。本ブログや拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』(三一書房)でも書いたが、1970年代の終わりに開発された不特定多数のターゲットを追跡、情報を集め、分析するシステムPROMISはアメリカやイスラエルの情報機関がトラップドア(外部から情報を自由に入手できる)を組み込んで全世界に売りさばいていた。全世界で使われているマイクロソフトのOS(オペレーティング・システム)、ウィンドウズからは1998年、セキュリティ機能をコントロールするソフトウェアに2種類のカギが存在していることが発見されている。ひとつはマイクロソフトが作業に使うカギだが、もうひとつの目的は不明だ。そのほか、マイクロソフトのプログラムからKEYとNSAKEY、ふたつのカギが見つかっている。ウィンドウズ2000の場合、カギは3種類あった。(Duncan Campbell, "Development of Surveillance Technology and Risk of Abuse of Economic Information Part 4/4: Interception Capabilities 2000," April 1999)電子的な情報活動ではアメリカのNSAとイギリスのGCHQ、そして両機関が連合したUKUSAが有名だが、イスラエルにも強力な電子情報機関が存在する。「8200部隊(ISNUとも呼ばれている)」がそれで、NSAやGCHQと連携している。この部隊の出身者は民間人として30から40の会社を興し、そのうち5から10社はウォール街で株式が取り引きされているとも伝えられている。こうした「民間企業」からもイスラエルの情報機関は情報を得るわけだ。(James Bamford, “The Shadow Factory”, Doubleday, 2008)UKUSAはこの8200部隊の協力でイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の電話を盗聴、閣僚の電子メールも監視していたという。また、2001年12月にアメリカのFOXニュースはイスラエル系企業によるスパイ疑惑を報じた。疑惑の対象になったコンバース・インフォシーズはアメリカの捜査当局へ盗聴技術を提供していたが、同社の盗聴用プログラムには「裏口」があり、捜査機関の盗聴内容は筒抜けだったと疑われている。FOXニュースによると、アムドクスなるイスラエルを拠点とする通信関連会社はアメリカをはじめ世界各国の巨大電話会社25社と契約、顧客に対する請求内容などを管理している。同社が通信の内容を傍受することは難しいと考えられているが、誰が誰に電話したかという記録を外部に提供することは可能だ。NSAはFBIやCIAに対し、アムドクスから情報が漏れていると警告していたという。1997年にホワイト・ハウスに新しい電話回線をベル・アトランティックが設置した際にアムドクスが協力していることから、ホワイト・ハウスの電話がイスラエルの情報機関に監視されている可能性を指摘する声も聞こえてくる。
2018.01.06
アメリカ政府はイランのデモを利用して揺さぶりをかけている。ウクライナのクーデターやリビアやシリアにおける体制転覆工作では、平和的なデモ、それを暴力集団が乗っ取り、暴力行為で治安当局を挑発、戦乱という流れだった。暴力行為には銃撃が含まれ、一般市民も犠牲になっている。イランでも似た手口が使われているようだ。こうした工作を隠すために使われるタグが「民主化」や「人権」。西側の有力メディアがプロパガンダの主力になることは言うまでもないが、1990年代以降、「人権擁護団体」が重要な役割を果たしてきた。イランでもHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)が登場、その事務局長は政府支持派のデモの写真を抗議活動の様子を撮影したものだとしてツイートしている。2011年にバーレーンで撮影された映像をイランにおける30万人のデモだとツイッターで伝えられたことを本ブログでも紹介したが、これまでもアメリカの侵略作戦にとって都合の良い偽情報は伝えられてきた。こうした偽情報を信じれば、支配者が定めた枠組みの中で民主化や人権を擁護している気持ちになれる。1990年8月にイラク軍がクェートへ軍事侵攻した。石油採掘をめぐる対立がこじれてのことだ。イラクのサダム・フセインが軍事力の行使を決断した一因はアメリカ政府がイラク軍のクウェート侵攻を容認するかのようなメッセージを出していたことにあるのだが、これは罠の可能性があるとPLOのヤセル・アラファト議長やヨルダンのフセイン国王は警告していた。そうした意見をフセインは無視したわけだ。この時も偽情報が流されている。イラク軍がクウェートへ攻め込んだ2カ月後、アメリカ下院の人権会議で「ナイラ」なる少女がイラク軍の残虐性を涙ながらに告発、アメリカで好戦的な雰囲気を高めることに成功した。この「告発劇」はPR会社のヒル・アンド・ノールトンが演出したもので、主演の少女はアメリカ駐在クウェート大使の娘。つまり、彼女は戦争を目撃していない。彼女の話は嘘だった。そして1991年1月にアメリカ軍を中心に編成された連合軍がイラクを攻撃する。1991年12月にソ連が消滅した直後、92年2月に国防総省のDPG草案という形でネオコンは世界制覇プランを作成した。これは本ブログで何度も書いてきたことだ。ボリス・エリツィンが大統領になったロシアはアメリカの属国。ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、自立した姿勢を崩そうとしない体制や潜在的なライバルを潰そうとする。手始めのターゲットにされたのがユーゴスラビアだ。1992年の段階で西側の有力メディアはユーゴスラビアを悪魔化して描くプロパガンダを開始している。そうした中、最も「活躍」したひとりがニューズデイのヨーロッパ支局長だったロイ・ガットマン。ボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと書いているが、彼は現地を取材していない。ヤドランカ・シゲリというクロアチアの与党HDZ(クロアチア民主団)の副党首に聞いた話を垂れ流したのだ。ガットマンの記事が発表されるとセルビア人によるレイプという話は西側で売れ筋のテーマとなり、多くのマスメディア関係者が現地を訪れている。そうしたひとり、アレクサンドラ・スティグルマイアーはボスニア・ヘルツェゴビナで実態を調べ始めるが、西側が望むような事実は見つけられなかった。レイプ証言を映像化しようと現地入りしたフリーランスのジャーナリスト、マーティン・レットマイアーもガットマンたちが伝えた話を裏付ける事実を見つけられない。レイプ現場とされた場所にはセルビア人警察官の未亡人が住む小さな家があるだけで、あるはずのスタジアムはなかった。セルビアの収容所でレイプされ、妊娠した女性で混雑しているとされた病院を取材したところ、スタッフは過去7ヶ月の間にレイプで妊娠した患者は3名だけだと語る。事実を重視したジャーナリストは西側の有力メディアから相手にされず、偽情報を流したガットマンは脚光を浴び、1993年にピューリッツァー賞を贈られている。シゲリは人権問題のヒロインとなり、1996年にはジョージ・ソロスと近い関係にあることで知られているHRWは彼女を主役にしたドキュメント映画を制作している。ちなみに、当時の状況について、ICRC(赤十字国際委員会)はガットマンたちとは違うことを言っている。つまり、戦争では全ての勢力が「不適切な行為」を行っているが、セルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はないというのだ。(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002)情報をコントロールし、人々を操ろうというプロジェクトをアメリカ支配層は第2次世界大戦後から始めている。モッキンバードだ。その中心人物はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだった。この4名は金融界との関係が深い。ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士であり、ヘルムズの母方の祖父は国際決済銀行の頭取だった人物。グラハムの妻、キャサリンの父親は世界銀行の総裁である。モッキンバードが始まった頃、アメリカ支配層は破壊工作(テロ活動)を目的とした秘密機関のOPC(政策調整局)を設置している。局長に選ばれたのはアレン・ダレスの側近だったフランク・ウィズナー。この点だけでもテロ活動とプロパガンダが密接な関係にあることがわかる。OPCの機関のベースになったジェドバラは大戦の終盤、米英の特殊工作機関、つまりイギリスのSOE(特殊作戦執行部)とアメリカの戦時情報機関OSS(戦略事務局)によって編成されている。OPCは1950年10月にCIAと合流、翌年1月にアレン・ダレスがCIA副長官になる。そして1952年8月にOPCを中心にして計画局(The Directorate of Plans)が編成された。そこが行った秘密工作の一端が1970年代に議会で明らかにされ、1973年3月に名称は作戦局(The Directorate of Operations)へ変更される。2005年に組織が手直しされ、現在はNCS(国家秘密局)として活動している。
2018.01.05
イランで反政府デモが行われ、死者も出ているようだ。当初は経済政策への小規模な抗議だったが、そこへMEK(ムジャヒディン・ハルク)が潜り込み、暴力行為に及んだ結果だという。抗議活動は小規模だが、西側メディアの取り上げ方は大きい。そうした御都合主義に憤った人物が2011年にバーレーンで撮影された映像をインターネット上にアップロードした。皮肉のつもりだったのだろうが、それをイランにおける30万人のデモだとして伝える人物が現れ、多くの人が注目するという皮肉な展開になった。2011年は「アラブの春」が話題になった年。バーレーンでは抗議活動に参加する人が次々と殺されたり行方不明者になっていた。そうした中、2月22日には20万人が参加したと言われるデモがあり、サウジアラビアからバーレーンへ約30両の戦車が運び込まれ様子も目撃されている。3月に入ると約1000人のサウジアラビア軍兵士とUAE(アラブ首長国連邦)の警官約500名がバーレーンへ派遣された。その後も大規模なデモが展開されたのだが、西側の有力メディアはペルシャ湾岸の西側と友好的な関係にある国々の好ましくない姿は報道していない。そこで2011年にアップロードした映像を再度、流したようだ。イランは遅くとも1991年の段階でネオコンから攻撃の対象だとされていた国のひとつ。元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官のウェズリー・クラークによると、この年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランの体制を殲滅するとしていた。(ココやココ)そのうちイラクは2003年3月にアメリカ主導軍が先制攻撃して破壊され、シリアはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を主体とする傭兵部隊の侵略を受け、ロシア軍の支援でその侵略部隊を退ける寸前までたどり着いたところだ。シリアでアメリカは新たな侵略の手先としてクルドを使い始めているが、その一方でイランへの侵略を本格化させている。イスラエルでの報道によると、昨年(2017年)12月12日にイスラエルの安全保障顧問のメイア・ベン-シャバートがワシントンDCでアメリカのH・R・マクマスター国家安全保障補佐官と会談、イランの問題について話し合ったという。また、ハーレツ紙によると、アメリカ政府はイスラエルに対し、イラン革命防衛隊のカッセム・ソレイマニ司令官の暗殺を許可したとも伝えられている。この司令官はシリアにおいてアメリカなどが送り込んだアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)と戦ってきた人物だ。
2018.01.04
イランの反政府行動で死者が出ていると伝えられている。イラン政府はアメリカが介入していると非難、ロシアは内政問題だと静観の構えだ。2018年にアメリカが、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がイランの体制転覆を狙って何らかの行動に出ることは予想されていたが、その幕開けなのかもしれない。ところで、アメリカ支配層は遅くとも1991年の段階でイランの体制転覆を狙う動きがあった。イラク、シリア、イランを殲滅するとポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が口にしたのは1991年のことだ。この話は2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が語っている。(3月、10月)ウォルフォウィッツが国防次官だったのは1989年5月から93年1月にかけてのことで、当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ。その頃、イラクとクウェートは石油採掘をめぐって対立し、交渉が進展しないことに業を煮やしたイラクが1990年8月にクウェートへ軍事侵攻、翌年1月にアメリカ軍主導の軍隊がイラクへ攻め込んでいる。いわゆる「湾岸戦争」だ。ウォルフォウィッツはネオコンの大物として知られているが、このネオコンはロナルド・レーガンが大統領だった1980年代からイラクのサダム・フセインを排除して親イスラエル政権を樹立させ、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯を形成し、シリアとイランを分断するという戦略を立てていた。そこで、ネオコンは湾岸戦争の際にフセインを排除(つまり殺害)するつもりだったのだが、ブッシュ・シニア大統領はフセイン体制を倒さずに戦争を止めてしまう。それの怒ったひとりがウォルフォウィッツで、イラク、シリア、イランを殲滅するという発言につながる。ブッシュ大統領の判断に反発したネオコンだが、湾岸戦争ではその後の戦略を決める光景を彼らは目にした。ソ連軍が介入してこなかったということだ。1985年3月から91年8月までソ連の党中央委員会書記長を務め、90年3月から91年12月までソ連大統領だったミハイル・ゴルバチョフ、その側近だったエドアルド・シェワルナゼ、このふたりは西側に好意的な感情を持つ人物で、そうしたこともソ連が強く出なかった理由のひとつだろう。シェワルナゼは外務大臣を務めていたが、外交の経験はなかった。1991年12月にはロシア大統領だったボリス・エリツィンが勝手にベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めて連邦を崩壊させる。エリツィンとその取り巻きはそれから約10年に渡り、西側の富豪たちと手を組んで旧ソ連圏の資産を略奪して私腹を肥やすことになった。その一方、1992年2月にウォルフォウィッツを中心とするグループは国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。このドクトリンを危険だと考える人はアメリカの支配層内にもいたようで、メディアにリークされて問題になった。そこで書き直されたようだが、その考え方は消えない。このプランに基づいて日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。ソ連の消滅でネオコンたちはアメリカが唯一の超大国になったと考えた。ソ連が消滅した後のターゲットとして考えたのは中国。そこで東アジア重視を打ち出すが、潜在的なライバルがライバルに成長しないよう、潰していくことも想定している。その潜在的なライバルとは東アジアや旧ソ連圏のほか、西ヨーロッパも含む。ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアの支配も重視している。1991年のウォルフォウィッツ発言はこのプランを先取りしたものだと言える。イラク、シリア、イランを含む中東の国々を属国化するため、アメリカやイギリスはこれまど幾度となくクーデターや暗殺を実行してきた。そのひとつが1953年夏、イランのムハマド・モサデク政権を倒したクーデター。当初、イギリスとアメリカの利害は対立していたが、途中から手を組んで秘密工作を進めている。モサデクがイギリスの利権を揺るがすと判断した同国の対外情報機関SIS(通称MI6)はクーデターを考え、アメリカのアレン・ダレスCIA長官に接触する。1953年4月にダレスは100万ドルの資金提供に合意した。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)ダレスCIA長官の兄、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は6月22日、イラン政府の転覆を準備する許可をアレンCIA長官、そしてCIAの中東担当で、破壊工作部門に所属していたカーミット・ルーズベルト(シオドア・ルーズベルトの孫)に出している。この時に作成されたのが「アイアス作戦」だ。ドワイト・アイゼンハワー大統領は7月に最終的なゴーサインを出している。それに対し、8月16日にモサデクを支持し、国王とアメリカに抗議するデモが始まる。アメリカのロイ・ヘンダーソン駐イラン大使はこのデモに抗議、18日にモサデクは警察や軍隊に命じてデモを止めさせた。19日になるとCIAが手配した反モサデクのデモが始まる。反政府デモの一部はモサデクを支持する新聞社や政党、政府施設などを襲撃、CIAのエージェントがテヘラン・ラジオを制圧して「モサデグ解任の命令が国王から出され、ファズロラー・ザヒディが新首相に就任した」とする情報を流した。(Brendan O'Malley & Ian Craig, "The Cyprus Conspiracy," 1999)結局、モサデクの支持派と反対派の衝突で約300名が死亡、一部では戦車での戦闘も行われている。国王が帰国したのは混乱が治まった後だ。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)クーデターに成功したアメリカは支配システムを築く一環として秘密警察の導入を決める。そして生まれたのがSAVAK(国家情報治安機構)。当然、SAVAK創設にはCIAが深く関係しているが、同じ程度重要な役割を果たしたのがイスラエルの情報機関モサドである。モサドとSAVAKとの関係は、CIAが1972年にまとめた報告書が指摘している。ズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代終盤にアフガニスタンで始めた秘密工作ではCIAの下、モサド、SAVAKがサウジアラビアやパキスタンの情報機関と同じように参加している。クーデターでアメリカの傀儡王制が復活したのだが、1978年の初めにイランを極秘訪問したイスラエルのモシェ・ダヤン国防相(当時)は同国で活動していた情報機関員から国王の様子が奇妙だとする報告を受け取っている。精神状態が不安定で、会談中に取り乱したり泣き出したりすることがあるというのだ。イラン国王の寿命はあと数年ではないかとする警告をテヘラン駐在の非公式大使ウリ・ルブラニがエルサレムへ伝えたのはダヤンがイランを訪問した数カ月後のこと。(Gary Sick, "October Surprise," I.B. Tauris, 1991)イラン王制は1979年1月に崩壊、2月1日にはアヤトラ・ホメイニがフランスから帰国した。この当時、アメリカやイスラエルが最も恐れたのはイランで社会主義革命が引き起こされること。それを防ぐため、ホメイニを中心とするイスラム革命を容認したとする見方もある。
2018.01.03
ロシアとの関係を修復するという方針を示したドナルド・トランプ大統領の動きを封じる切り札として「ロシアゲート」が使われてきた。その疑惑を調査するとしてロバート・ムラー元FBI長官が特別検察官に任命され、有力メディアと連携して調査を進めているというが、そうした疑惑が事実なら、その証拠を電子情報機関のNSAが持っているはず。FBIはNSAにそのデータを提出するように求めれば良いだけのことだ。それができないということは、この疑惑がインチだということを示している。FBIが疑惑を調べ始める端緒はジョージ・パパドプロスという人物の泥酔時の発言だとする記事をニューヨーク・タイムズ紙が12月30日に報じた。大統領選挙でトランプの政治顧問を務めていたパパドプロスは2016年5月、ロンドンのバーでオーストラリアの外交官に対し、モスクワはヒラリー・クリントンのキャンペーンにダメージを与える目的で盗み出されたと思われる数千件の電子メールを持っていると聞いたと話したとしている。それを知ったFBIが7月に捜査を始めたというわけだ。パパドプロスによると、彼にその話をした「ミフスド教授」は「プーチンの姪」とパパドプロスの会談をアレンジしてくれたというのだが、第2次世界大戦の最中、子どもだったプーチンの兄弟はレニングラードで死亡しているため、姪はいない。この「教授」はかなり如何わしいということだ。ちなみに、プーチンの兄弟が死んだ当時のレニングラードはドイツ軍とフィンランド軍に攻撃されていた。29カ月間包囲され、約70万人が餓死したという。プーチンが戦争回避に努める理由のひとつはこの体験にあるとも言われている。これまで、ロシアゲート事件の幕開けはアダム・シッフ下院議員が昨年(2017年)3月に下院情報委員会で行った発言だと考えられてきた。2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入したという同議員の主張はクリストファー・スティールという元イギリス情報機関員の報告書に基づいているのだが、FBIのチームは2016年10月、スティールと会うためにヨーロッパへ出向いたとされている。スティールはイギリスの対外情報機関MI6のオフィサーだった人物で、MI6のために働いていたアレキサンダー・リトビネンコのケース・オフィサーだったとも言われている。情報機関を離れてからはオービス・ビジネス・インテリジェンスという民間情報会社を経営しているが、生きている限り、情報機関員は組織との関係を断ち切ることはできない。組織から抜け出すためには裏切るか、死ぬしかないのだ。このスティールが作成した報告書は伝聞情報や噂話をつまみ食いした代物で、信頼度は低い。パパドプロスがFBIに協力しはじめたのは昨年(2017年)10月の前半だと伝えられている。ロシア人との接触でFBIの捜査官に嘘をついたと認めてのことだという。その直前、トランプのキャンペーンで幹部だったポール・マナフォートがビジネス仲間と一緒にマネー・ロンダリングなどの容疑で起訴されていた。勿論、この起訴で「ロシアゲート」の捜査が進展したなどということはない。この容疑はロシア疑惑と無関係だが、パパドプロスとFBIとの取り引きに関係していると考える人はいる。FBIの上層部には反トランプ派がいた。司法長官代理を務めたサリー・イェーツもそのひとりで、トランプ大統領の中東旅行禁止に反対している。そのイェーツの発言を電子メールで賞賛していたアンドリュー・ワイツマンはムラー特別検察官の側近だ。ところで、NSAは全ての通信を傍受、記録している。つまり、NSAで通信傍受システムを開発した人物を含む専門家が指摘しているように、トランプやその周辺の人々がロシア側と不適切な遣り取りをしていたならNSAが証拠を握っているはず。新たな捜査は必要ないのだ。ミュラーを特別検察官に据えたという事実が「ロシアゲート」のインチキを示している。実は、NSAの盗聴記録をFBIは持っていた。その記録からマイケル・フリン中将とセルゲイ・キスリャク駐米露大使との会話に問題ないことを承知の上で、イェーツはフリンから事情聴取、その記録に残っている話を捜査官にしなかったとして偽証罪に問うている。何も違法なことをしていない相手を陥れるため、イェーツはトラップを仕掛けたと言えるだろう。ダナ・ローラバッカー下院議員によると、昨年8月に同議員はロンドンのエクアドル大使館でWikiLeaksのジュリアン・アッサンジと会談、リークされた電子メールの情報源がロシアでないことを示す決定的な情報を提供する容易があると聞かされる。アッサンジ逮捕を諦めることが条件だったようだ。この情報をローラバッカー議員はジョン・ケリー大統領首席補佐官に伝えたのだが、この情報はトランプ大統領へは知らされなかった。民主党、FBI、情報機関、有力メディアなどが総掛かりで始めた「ロシアゲート」の幻影が消えかかっているのだが、この幻影を維持しようとしている人間はトランプ政権の内部にもいる。ロシアゲート疑惑の幻影が消えたとしても、中国やロシアとの軍事的な緊張を高めるアメリカの流れを止めることは難しいかもしれない。
2018.01.02
2018年が始まりました。時間の流れに変化があるわけではありませんが、心理的な区切り目であり、今年は世界史の大きな節目になる可能性があります。すでにアメリカを中心とする支配システムを支えてきたドル体制は崩れ始め、そのシステムは大きく揺らいでいます。それを暴力、つまり軍事力やテロ行為で世界を脅して安定化させようと試み、さらに揺れを大きくしているのが実態でしょう。帝国としてのアメリカは終焉を迎えようとしています。アメリカの支配層もその現実を受け入れざるをない状況で、その帝国に巣くうことを諦め、巨大資本が国を凌駕する力を手に入れて人々を直接支配する体制を築こうとしているように見えます。これは、かつてフランクリン・ルーズベルトが定義したファシズム体制にほかなりません。そうした支配のキーワードがISDS(国家投資家紛争処理)条項であり、それを組み込んだTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットで新たな世界秩序を実現しようとしたのでしょう。その新秩序を築くためにアメリカ帝国は使われています。それに対し、中国やロシアは主権国家の存在を前提とする多極化した世界というビジョンを示し、米英の指導層に引導を渡そうとしています。中露と米英との対立は外交的にも軍事的にも前者が優位にあり、後者は反撃のためにメディアを使ったプロパガンダで圧倒しようと試み、軍事的な緊張を高めて脅してきました。中露がそうした脅しに屈する可能性はゼロに近く、必然的に第3次世界大戦、つまり全面核戦争の危険性が高まります。それが2018年の世界です。安倍晋三政権が戦争の準備を進めている理由もそこにあるのでしょう。こうしたアメリカの好戦的な姿勢を西側のメディアは報道したがりません。危機的な状況を日本のマスコミは気づいていない、あるいは気づかない振りをしています。本ブログはそうした世界をウォッチし続けます。今後も本ブログへの支援をよろしくお願い申し上げます。櫻井 春彦
2018.01.01
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