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シリアでの戦乱を終わらせるための交渉に、アメリカ政府はアル・カイダ系の武装集団を参加させようと目論み、ロシア政府と対立している。そうしたアメリカの動きの中で中心的な役割を果たしているひとりが2011年1月から14年2月までシリア駐在アメリカ大使を務めたロバート・フォードだ。シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すためのプロジェクトを指揮してきたのは、このフォードだと見られている。 シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒す目的で戦闘が始められたのは2011年3月のこと。フォードがシリア駐在大使に就任したのはその2カ月前。その戦闘ではトルコの米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、さらにイギリスとフランスの特殊部隊員が反アサド軍の戦闘員を訓練、武器/兵器を含む兵站を供給する拠点もトルコには作られていた。その後、兵站線や盗掘石油の輸送をトルコの情報機関MITが守ってきた。 当初から「シリアの反乱軍」は事実上、存在していない。これはリビアと同じ。内戦ではなく侵略戦争である。サウジアラビアやカタールのカネで雇われた傭兵が侵略軍の大半で、その中心はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。2012年8月にアメリカの情報機関DIAが作成した文書にも反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラはその別名だとしている)だとされ、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると報告されている。 存在しないに等しい「穏健派」をアメリカ政府が支援すれば、必然的にサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を助けることになり、その支配地がシリア東部に出現するとDIAは警告していたが、その通りになった。当然、大使だったフォードもDIAの警告を知っていたはずだが、無視。報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ISの勢力が拡大したのはオバマ政権が行った決断によるとしているが、責任の一端はフォードにもある。 フォードがシリア駐在大使に指名されたのは就任の前月、2010年12月だが、その前歴は胡散臭い。つまり、2004年から06年にかけて、イラクでジョン・ネグロポンテ大使の下で活動しているのだ。ネグロポンテは1981年から85年、死の部隊(殺人部隊)が暴れ回っていた時期にホンジュラス駐在のアメリカ大使で、侵略人脈のひとり。つまり血まみれの人生を歩いてきた人物だ。 イラクでネグロポンテが大使だった時代、そこで特殊警察コマンドの訓練をしていたのがジェームズ・スティール退役大佐なる軍人だが、1984年から86年にかけてエル・サルバドルへ軍事顧問団の一員として派遣されていた経歴がある。つまり死の部隊を使い、アメリカの巨大資本にとって邪魔な存在を殺害する作戦を背後から指揮していたということになるだろう。イラクでも死の部隊を編成していたという。 スティールはネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツに近いことでも知られている。ウォルフォウィッツは国防次官だった1991年にイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしたという。これは1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークの話。 軍事政権下のエル・サルバドルでは多くの人が殺されたが、1980年3月にはカトリックの大司教だったオスカル・ロメロも暗殺されている。アメリカの傀儡だった軍事政権による反対派の虐殺をロメロ大司教は強く批判していた。暗殺の黒幕は「死の部隊」を指揮していたロベルト・ダビッソン。アメリカが設立したSOA(現在の略称はWHISCまたはWHINSEC)で軍事訓練を受けた軍人だ。 大司教が暗殺される2カ月前、エル・サルバドルでは20万人が参加したと言われる大規模なデモがあったが、途中でデモの参加者が狙撃され、少なくとも21名が死亡、約120名が負傷した。政府側はデモ隊から最初に発砲したと主張したが、ロメロ大司教は国家警備隊が宮殿の内部から銃撃したと断言、無分別な虐殺だと非難した。 エル・サルバドル駐在大使だったロバート・ホワイトによると、ダビッソンは約12名を隠れ家に呼び出し、大司教暗殺の実行者をくじ引きで決めた。当たったのはフランシスコ・アマヤ・ロサ中尉だったが、実際に引き金を引いたのは射撃の名手だったウォルテル・アントニオ・アルバレスで、暗殺を決行した後、サッカー場で口封じのために殺されている。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, "Inside the League," Dodd, Mead, 1986) 有力メディアは軍事政権の肩を持っていたが、それでもこうした虐殺は少しずつ明らかにされ、アメリカ政府は批判される。1986年にはオリバー・ストーンが監督した「サルバドル」という映画も制作された。後にアメリカ支配層は自分たちが行った虐殺の経験を生かし、ターゲット国の政権が自分たちが行ったようなことをしているというストーリーを書き上げ、メディアを使って宣伝するようになる。自分たちは「善玉」として虐殺を繰り返しているのだ。フォードが行ったこともそうしたことである。
2016.01.31
ロシア軍のSu-34戦闘爆撃機が1月29日にトルコ領空を侵犯したとトルコ政府はその翌日に発表した。同政府は29日にロシア大使を召還して抗議、その翌日にはレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がウラジミル・プーチン露大統領に対して話し合いを申し入れたが、ロシア国防省は領空侵犯を否定している。 現時点では実際に何が起こったか不明だが、これまでエルドアン政権は嘘をつき続けてきた。これは同盟関係にあるアメリカ/NATO、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどと同じだ。 トルコ政府の場合、偽情報を発信するだけでなく、自分たちの悪事を明るみに出す行為を国家機密の漏洩にあたるとして弾圧している。例えば、昨年11月24日に同国軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜した際にもロシア軍機の領空侵犯を主張していたが、それに基づくと侵犯機は1.17マイル(1.88キロメートル)の距離を時速398キロメートルで飛行したことになる。時速1654キロメートルで飛べる航空機にとって異常な低速であり、説得力はない。 西側の嘘にロシアは事実で反撃するというパターンが定着しているが、その撃墜に関してウラジミル・プーチン露大統領は記者会見の際、ロシア側は事前にSu-24の詳しい飛行計画をアメリカ側に通告していた事実を明らかにする。この情報がトルコ軍にも流れ、いつ、どこをロシア軍機が飛行してくるかを知っていたということだ。 またアメリカは偵察衛星で監視しているはずで、しかもギリシャを拠点とするアメリカ/NATOのAWACS(早期警戒管制)機、そしてサウジアラビアもAWACS機も飛行していた。言うまでもなくAWACSは警戒のほか、作戦を指揮管制する能力を持っている。アメリカ/NATOはトルコ軍機がロシア軍機を撃墜しようとしていることを知りながら何もしなかったのか、撃墜を指揮していたのか、どちらかだろう。 ロシア側の説明(アメリカやトルコから否定されていない)によると、トルコ軍のF-16は午前8時40分に離陸、9時08分から10時29分まで高度4200メートルで飛行して午前11時に基地へ戻っているのに対し、ロシア軍のSu-24は午前9時40分に離陸、午前9時51分から10時11分まで高度5650メートルで飛行、16分に目標を空爆、24分に撃墜されている。ロシア軍機が離陸する1時間前にトルコ軍機は発進しているわけで、領空侵犯に対するスクランブルではなかった。 内部告発支援グループのWikiLeaksによると、エルドアン大統領がロシア軍機の撃墜を決めたのは10月10日。また、11月24日から25日にかけてトルコのアンカラでトルコ軍幹部とポール・セルバ米統合参謀本部副議長が会談したことも注目されている。状況証拠は撃墜の黒幕がアメリカだったことを示している。 こうした個別の出来事だけでなく、トルコ政府は構造的な嘘もついている。アル・カイダ系武装勢力やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を編成、戦闘員を訓練した上で武器/弾薬を含む物資を供給、さらにこうした集団が資金源にしている盗掘石油を売りさばく仕事にトルコ政府は協力している。 当初、盗掘石油の輸送はラッカ近くの油田からタンクローリーでシリア北西部へ運び、アザーズからレイハンルへ抜けてトルコのドーチョル港とイスケンデルン港へ運ぶルートが中心だったが、ロシア軍の空爆でこのルートが危険になったことからデリゾールの石油精製施設からイラクのモスルやザホへ運び、そこからトルコのバットマン製油所へ輸送するルートの比重を増やしたとロシア軍参謀本部は説明している。 こうした中、12月の初めにトルコ軍は25台のM-60A3戦車に守られた部隊をイラクの北部、モスルの近くへ侵攻させた。石油密輸の中継地として重要度が高まっている場所と重なる。親サウジアラビアの新聞アル・アラブが1月29日に伝えたところによると、トルコとアメリカの間で結ばれた秘密協定によってトルコ軍はイラク北部に駐留しているのだという。アメリカ政府の承認なしにトルコが動くとは考えにくいわけで、この報道には説得力がある。 その一方、イラク政府はトルコ軍によるイラク侵攻、占領に抗議している。当然の反応ではあるが、イラク政府もアメリカ政府には逆らえない現実がある。内心はロシアへ接近しているイラク政府がどこかの時点でアメリカ政府に反旗を翻す可能性もある。バラク・オバマ政権は危険なことをしていると言えるだろう。 トルコ政府以上にアメリカ支配層と緊密な関係にあると見られてきたイスラエル政府はトルコと違い、アル・カイダ系武装勢力やISへの好意的な見方を隠してこなかった。例えば、2013年9月にはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近で駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンがシリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。今年1月19日にはモシェ・ヤーロン国防相がINSS(国家安全保障研究所)で開かれた会議で、イランとISIS(IS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)ならば、ISISを私は選ぶと発言している。 ところが、同月26日に同国防相はギリシャでトルコが盗掘石油の購入という形でISに資金を提供していると非難した。そうした取り引きを止めるべきだというのだが、1週間で主張が大きく変化したわけだ。 以前にも本ブログで指摘したことだが、イラク、リビア、シリア、イランなどを敵視、体制転覆を目論んできた勢力、つまりアメリカ/NATO、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルは同床異夢。アメリカの内部も割れている。ロシアが空爆を始めてアル・カイダ系武装勢力やISが劣勢になってから「異夢」が顕在化したのかもしれない。
2016.01.31
安倍晋三首相と友好的な関係にあるらしいトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は言論弾圧に熱心だ。トルコからシリアへはアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を支える兵站線が延び、シリアやイラクでISに盗掘された石油はトルコへ運び込まれている。これは広く知られている話だが、その事実に触れる人物は軍人であろうとジャーナリストであろうと容赦なく刑務所へ送り込まれている。こうした物資輸送の実態を調べていたジャーナリストの死にトルコ政府が関係しているとも言われている。 シリアのバシャール・アル・アサド体制打倒を目指す勢力が戦闘を始めたのは2011年3月だが、その段階からトルコはその勢力へ軍事拠点を提供してきた。米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員が反アサド軍の戦闘員を訓練、武器/兵器を含む兵站を供給する拠点にもなっている。 昨年5月にはトルコのジュムフリイェト紙はシリアの武装勢力へ供給するための武器を満載したトラックを憲兵隊が摘発した出来事を写真とビデオ付きで記事にした。この輸送はエルドアン大統領の命令でトルコの情報機関MITが実行していたもので、同紙は「国家機密」を漏らしたことになった。11月26日に逮捕された同紙の編集長を含むふたりのジャーナリストは検察から終身刑を求められている。 この違法な輸送を昨年1月に摘発したトルコ軍の昨年1月にはアンカラのウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐も昨年11月28日に逮捕された。トルコでは政府の違法行為を摘発したり報道すると刑務所へ送られるのだが、トルコが所属するNATO、あるいは従属するアメリカがこうした行為を批判するようなことはない。 このように事実を明るみに出す憲兵やジャーナリストをエルドアン政権が弾圧している一因は自分たちの支配体制が揺らぎだしていると認識しているからだろう。昨年9月30日にロシアがアル・カイダ系武装集団やISへの空爆を開始、兵站線や石油の密輸ルートも攻撃しはじめたことが大きい。 ロシア政府は何機かの爆撃機を派遣し、カスピ海の艦船から巡航ミサイルで攻撃する程度で、大規模な介入とは言えないが、アメリカが主導する連合軍とは違って本当にアル・カイダ系武装集団やISを攻撃したことから戦況は一変、政府軍の反撃が始まって侵略軍側は慌てた。 司令部や武器/兵器庫が破壊されたことも大きいが、それ以上にアメリカ/NATOやペルシャ湾岸産油国を動揺させたのは兵站線(安倍政権が言うところの後方支援)への攻撃だろう。そうしたロシア軍機の攻撃を止めるためなのか、WikiLeaksによると、エルドアン大統領は10月10日にロシア軍機の撃墜を計画、同じ頃にアメリカはISへまとまった数のTOW(対戦車ミサイル)を供給したと言われている。 11月17日には何者かがシナイ半島を飛行していたロシアの旅客機を撃墜、24日にはロシア軍のSu-24爆撃機をトルコ軍のF-16が撃墜した。トルコ政府はロシア軍機がトルコ領空へ侵入したと非難しているが、ロシア政府はその主張を否定、撃墜の際にトルコ軍機がシリア領空を40秒間にわたって侵犯したと反論している。 トルコ側の主張では、国境線から1.36マイル(2.19キロメートル)の地点までロシア軍機は侵入、1.17マイル(1.88キロメートル)の距離を17秒にわたって飛行しただけ。Su-24は時速398キロメートルで飛行していたことになるが、この爆撃機の高空における最高速度は時速1654キロメートルで、トルコ説に基づく飛行速度はあまりにも遅く、非現実的だ。もし最高速度に近いスピードで飛んでいたなら、4秒ほどでトルコ領空を通り過ぎてしまう。トルコ側にとって脅威だとは言えない。 しかも、事前にロシア軍はアメリカ/NATO軍へ攻撃に関する詳しい情報を提供、ロシア軍機がどのようなルートを飛行するかを伝えていた。それだけでなく、その当時、中東地域を2機のAWACS(空中早期警戒システム)機が飛行中だった。ギリシャの基地を拠点とするNATOのものと、サウジアラビアのものだ。トルコ側はロシア軍機だということを承知で攻撃、その様子をアメリカ軍は見ていたはずで、トルコ政府はアメリカ政府の命令、あるいは承認のもとで攻撃したと考える人が少なくない。 以前からネオコン/シオニストなどはシリアとトルコとの国境地帯に「飛行禁止空域」を設定、アル・カイダ系武装集団やISを自由に行動させようと目論んでいたが、そうした人びとにとってロシア軍の存在は目障り。そこでNATO加盟国であるトルコがロシア軍機を撃墜し、その空域の制空権を握ろうとしたという見方がある。 本ブログでは紹介済みだが、アメリカのジョン・マケイン上院議員たちはエルドアン大統領に対し、アメリカの国防総省はバラク・オバマ大統領と対決する用意ができていて、これを知っているロシアはシリアから手を引くと伝えたとする情報も流れていた。 ところが、ロシア軍は怖じ気づくどころかミサイル巡洋艦のモスクワを海岸線の近くへ移動させ、最新の防空システムS-400を配備、約30機の戦闘機を「護衛」のために派遣、アメリカの対戦車ミサイルでも破壊できないT-90戦車も送り込み、トルコとの国境に近い地域はロシア軍によってコントロールされた。 窮地に陥ったバラク・オバマ政権はメディアも使ってロシアが「穏健派」を攻撃していると批判するが、そうした集団が事実上、存在しないことはアメリカ軍の情報機関DIAも2012年の段階でホワイトハウスに報告している。アメリカをはじめとする西側(日本だけではない)の有力メディアは腐敗が進み、支配層の宣伝機関に徹しているが、軍の内部にはまだ正常な感覚の持ち主がいるようだ。 同年8月にDIAが作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラはその別名だとしている)で、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると報告しているのだ。この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン陸軍中将によると、DIAの警告を無視してアメリカ政府が決定した政策によってAQI/アル・ヌスラやISは勢力を拡大、支配地を作り出せたのである。 こうしたDIAの警告をオバマ政権が無視した理由は、問題を作り出しているのがアメリカの好戦派だからだ。イラクのサダム・フセインを排除すべきだとネオコン/シオニストやイスラエルは1980年代から主張、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、1991年にはネオコン/シオニストで中心的な役割を果たしてきたポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしたという。この計画にエルドアン政権も加わったということだ。日本では1995年に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表されてから軍事体制の強化が本格化した。
2016.01.30
経済再生担当大臣だった甘利明の辞任が話題になっているようだ。UR(独立行政法人都市再生機構)の道路用地買収をめぐるトラブルに甘利大臣の秘書が介入し、補償金としてURに2億2000万円を建設会社へ支払わせ、その謝礼として500万円を受領、URと業者の産業廃棄物処理をめぐるトラブルでは別の秘書が環境省の課長やURの担当者と面談、国交省の局長に対する「口利き」の経費などと称して合計600万円以上を受領したとされている。この話が事実なら「絵に描いたようなあっせん利得」になると弁護士で元検事の郷原信郎は指摘している。 安倍晋三政権が推進してきた「アベノミクス」、TPP(環太平洋連携協定)、消費税率のアップなどで甘利大臣は中心的な役割を果たしてきた。その点を強調し、甘利擁護論を展開するマスコミ人もいるようだが、そうした政策の実態は日本社会の破壊にほかならない。 いわゆる第2次安倍内閣で推進されているアベノミクスは「大胆な金融緩和」が軸。その方針に基づき、日銀の黒田東彦総裁は「量的・質的金融緩和(異次元金融緩和)」を推進してきた。ETF(上場投資信託)買いで相場を押し上げ、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)に株式の運用比率を倍増させるということもしている。つまり政府/日銀による仕手戦。 原油相場の下落や侵略戦争によってサウジアラビアが財政赤字に転落、投機市場への資金投入が細るどころか減らさざるをえない状況の中、その補填をするように日本はアメリカ支配層から命令されている可能性が高い。世界から「狂っている」と言われている政策をさらに強化することになるのだろう。 1970年代から始まった金融規制の緩和やオフショア市場ネットワークの拡大で投機システムは整備され、資金は投機市場へ流れていく。「カネの世界」のバブルが膨らみ、庶民が生活する「モノの世界」では経済が縮小するのは必然だ。 今のような投機システムが存在しなかった19世紀にも不公正な手段で先住民や国民の財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちがアメリカにはいた。いわゆる「泥棒男爵」である。ジョン・D・ロックフェラー、J・P・モルガン、アンドリュー・カーネギー、エドワード・ヘンリー・ハリマン、アンドリュー・W・メロンなどが含まれている。 こうした人々は手にした富を実業の世界に投入、生産活動の基盤を築き、結果として工業を盛んにすることになるのだが、それはそうせざるをえなかったからだ。フリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンを理論的な支柱とする「自由主義経済」が世界的に広がると、生産活動に資金を投入する必要がなくなった。富豪たち、つまり資本家はカネ儲けが目的で、そこに商品を介在させる必要はなく、金融が肥大化し、「カジノ経済」と呼ばれるような状況になる。 投機市場の肥大化は現実の社会を破壊し、貧富の差を拡大させることになる。ある時点で庶民もそうした実態に気づき、何らかの行動を起こすことが予想される。そこで、庶民の動向を監視、そうした人びとの怒りを体制へ反映させる仕組みを壊し、念のため反乱にも備えておく必要がある。民主主義的なシステムの破壊だ。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、アメリカでは国内のファシズム化と国外での侵略が推進される。日本も同じ道を進んできた。 その結果、庶民の実質賃金は下がり続け、円安や消費税の税率引き上げで庶民の生活は苦しくなり、福祉政策の水準は引き下げられ、特定秘密保護法で支配層の犯罪的行為がばれることを防ぐ体制を作り、集団的自衛権で自衛隊をアメリカ軍の下請けにするだけでなく、TPPの導入で政府や議会を無力化しようとしている。 TPPで最大の問題はISDS(国家投資家紛争処理)条項にある。この条項によって巨大資本が国を支配する体制ができあがり、参加国はボリス・エリツィン時代のロシアのようになるだろう。当時のロシアは「規制緩和」や「私有化」で国民の資産が政府の腐敗勢力と結びついた一部の人びとによって略奪され、巨万の富を築いた人びとは「オリガルヒ」と呼ばれるようになった。オリガルヒは犯罪組織のフロント企業のような会社を拠点にして「ビジネス」を展開、ロシア政府はオリガルヒに支配された。庶民の貧困化は深刻になり、街は荒廃、街には売春婦が急増してロシアは破綻国家になる。 TPPが成立したなら、直接的な生産活動やサービスのルール、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを最終的に決めるのは巨大資本になる。政府、国会、裁判所はその支配下に置かれ、形式的にも民主主義は終わる。 西側では選挙という形式が存在しているかどうかで民主的かどうかが議論される。そうした意味では日本もアメリカも民主主義国家ということになるのだろうが、その実態が知られるようになっている現在、説得力はない。 アメリカで進行中の大統領選挙も無惨なもので、ワッハーブ派/サラフ主義者を中心とする武装勢力を生み出したズビグネフ・ブレジンスキーは「アメリカの民主主義にとって地球規模の不名誉」だと表現している。まだアメリカが民主主義国家だと言いたいのだろう。 しかし、ブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーが1973年から目にかけ、大統領にしたジミー・カーターは違った見方をしている。巨大資本や外国人が際限なく政治家に寄付できるという判決は「政治システムにおいてアメリカを偉大な国にしていた本質を壊した」と主張、大統領候補や大統領だけでなく、知事や議員を際限なく政治的に買収する寡頭政治にしたとしている。民主国家ではないということだ。 大企業の活動を規制し、労働者の権利を拡大しようとしたフランクリン・ルーズベルトは1938年4月29日、ファシズムについて次のように定義している。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
2016.01.29
富豪や巨大企業は昔から資産を隠し、租税から逃れるために努力してきた。「トリクルダウン」などは根拠がなく、妄想、あるいはペテンにすぎず、富豪や巨大企業へ流れた富の大半は社会へ還流されない。 ブルームバーグによると、ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーが昨年9月、サンフランシスコ湾を望むある法律事務所で講演した。そのテーマも税金を避ける手段。その中で、税金を払いたくない富豪に対して財産をアメリカへ移すよう、顧客へアドバイスするべきだと語ったという。アメリカこそが最善のタックス・ヘイブンだというわけである。 伝統的な税金の避難地としてスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどが知られているが、1970年代にロンドンの金融街(シティ)を中心とするオフショア市場のネットワークが整備されてカネの流れは変わった。そのネットワークはかつての大英帝国をつなぐもので、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが含まれている。 こうした動きに対抗するため、アメリカは1981年にIBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティー)を開設、これをモデルにして日本では86年にJOM(ジャパン・オフショア市場)をオープンさせたが、ここにきてアメリカが租税避難の主導権を握ったようである。ペニーはアメリカのネバダ、ワイオミング、サウスダコタなどへ銀行口座を移動させるべきだと主張、ロスチャイルドはネバダのレノへ移しているという。 ネバダにはカジノで有名なラスベガスがある。そこにあるラスベガス・サンズの所有者であるシェルドン・アデルソンはネオコンのスポンサーとして有名。ラスベガスのほか、ペンシルベニア、東南アジアのマカオとシンガボールでもカジノを経営している。カジノはその性格上、得体の知れない資金が動いているわけで、タックスヘイブンとの親和性は強い。 さらに、アデルソンは日本でカジノ・ビジネスを展開しようと考え、2013年11月には来日してIS議連の細田博之会長(自民党幹事長代行)にプレゼンテーションを行い、東京の台場エリアで複合リゾート施設を作るという構想の模型を披露しながらスライドを使って説明したという。その翌月、自民党などはカジノ解禁を含めた特定複合観光施設を整備するための法案を国会に提出した。 2014年2月にはアデルソン本人が来日、日本へ100億ドルを投資したいと語る。日本では賭博が法律で禁止されていることを無視、世界第2位のカジノ市場になると期待して事務所を開設すると表明した。5月にはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が日本政府高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が今年2月5日付け紙面で伝えている。 基軸通貨を発行する特権を利用したマルチ商法的な経済と軍事力を使った略奪で支えられているのが現在のアメリカ。システムの腐敗が進行し、崩壊は間近だと推測する人もいる。サウジアラビア王室の若い世代は激高しやすく、思慮深くもないようで、自らを窮地に追い込んでいる。ドルを支えてきたペトロダラーの仕組みも壊れつつあり、アメリカをタックスヘイブン化させてドルを回収しようと目論んでいるのかもしれない。 アメリカがタックスヘイブンとして注目されている最大の理由は腐敗と秘密。司法当局と金融機関とのなれ合いは目に余るものがあり、国家安全保障という名目で広がる秘密主義は民主主義を破壊してしまった。中国が主導して創設されたAIIB(アジアインフラ投資銀行)やNDB(新開発銀行)の不透明性を問題にする日本の政府やマスコミが透明度ゼロのTPP(環太平洋連携協定)や最先端のタックスヘブンであるアメリカに対して何か言っているのだろうか?
2016.01.28
【シリアへの軍事侵攻】 ジョー・バイデン米副大統領は1月23日、訪問先のトルコでアメリカとトルコはシリアで続いている戦闘を軍事的に解決する用意があると語った。「和平交渉」を目前に控えての発言だ。この交渉にアメリカ政府は戦闘集団、ジャイシュ・アル・イスラム(イスラム軍)を押し込んできた。この集団の創設者は2013年にオサマ・ビン・ラディンを賞賛していたという人物で、バラク・オバマ政権はアル・カイダから離れられず、このほかにも似たような背景を持つ人物を西側は交渉へ参加させるようだ。 軍事力を行使する口実として副大統領は「IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)」を持ち出しているが、この武装勢力はアメリカやトルコと深く結びついている。バイデン自身、2014年10月2日にハーバード大学で、シリアにおける「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べ、あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにISを増強させてしまったことをトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は後悔していたとも語った。 エルドアン大統領が後悔しているとは思えないが、トルコ、サウジアラビア、UAEがISやアル・カイダ系武装勢力を支援しているとする指摘は正しい。アメリカとイスラエルが抜けているところに発言の目的があるのかもしれないが、トルコがISやアル・カイダ系武装勢力を支援していると発言した事実は消えない。 そうした反アサド軍を編成したのはこの3カ国だけでなく、アメリカ、イギリス、フランスなども含まれる。アサド体制を倒し、自分たちにとって都合の良い傀儡体制と入れ替えるために使われている傭兵集団がISやアル・カイダ系武装勢力だ。エルドアン大統領の家族が盗掘石油の利権で大儲けしていることは本ブログでも繰り返し書いてきた。 バイデン発言の前日、アシュトン・カーター国防長官は陸軍第101空挺師団に所属する1800名をイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると語っていたが、シリア政府に要請されたわけでもなく、国連で認められたわけでもない状況でシリアへ派兵すれば、それは侵略行為にほかならない。【米国の侵略計画】 シリアの体制を転覆させるべきだと主張する人がアメリカ支配層の内部に登場するのは遅くとも1991年のこと。アメリカで軍事や外交を主導しているのはネオンコン/シオニストだが、その勢力で中心的な役割を果たしているひとり、ポール・ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語ったという。当時、ウォルフォウィッツは国防次官を務めていた。これは1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークの証言だが、同元最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がISを作り上げたとも語っている。 アル・カイダ系武装勢力やISの歴史は1979年から始まる。この年の4月、ズビグネフ・ブレジンスキー大統領補佐官の戦略に基づいてCIAはイスラム武装勢力の編成、育成、支援を開始した。戦闘員の多くはワッハーブ派/サラフ主義者で、その傾向は現在まで続いている。 そうした工作がすんなりと始まったのは、CIAがアフガニスタンで続けてきた活動に負うところが大きい。アメリカは1950年代の初めにムスリム同胞団系の集団と結びつき、イスラム共同体に食い込んでいた。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめている。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) 1979年7月にジミー・カーター大統領はアフガニスタンの武装勢力に対する秘密支援を承認し、12月にはブレジンスキーの思惑通り、ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻してきた。後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌のインタビューを受けた際、ブレジンスキーはイスラム武装勢力を生み出したことを後悔していないと語り、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998) ソ連軍と戦うイスラム武装勢力を西側では「自由の戦士」と呼び、そうした中から「アル・カイダ」は生まれる。指揮系統が明確でない、戦略がはっきりしない、といったことが言われたが、それは当然。アル・カイダは戦闘集団でないのだ。【傭兵としてのアル・カイダ】 故ロビン・クック元英外相が指摘したように、アル・カイダはCIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎない。アル・カイダはアラビア語でベースを意味するが、「データベース」の訳語としても使われる。つまり、アル・カイダは戦闘員の登録リストにすぎないということだ。 シリアとリビアの体制を転覆させる目的で2011年春から戦闘は始まり、リビアではその年の10月にムアンマル・アル・カダフィ体制が倒されている。その際、NATOの空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上軍が手を組み、カダフィ惨殺の直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。その様子はYouTubeにアップロードされ、デイリー・メイル紙も伝えている。 リビアでの体制転覆プロジェクトに参加した戦闘員は武器/兵器と一緒にトルコ経由でシリアへ入るが、その拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設で、アメリカの国務省は黙認していた。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。スティーブンスは戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使としてリビアへ入る。11月にリビアを離れるが、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。【分裂】 ベンガジの領事館が襲撃される前の月、つまり2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAはシリア情勢に関する報告書を作成、反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。DIAによると、アル・ヌスラとはAQIがシリアで使っていた名称。つまり、AQIとアル・ヌスラは同じだ。 今でもオバマ政権はシリア政府を倒すために「穏健派」を支援していると主張しているが、2012年の段階で反シリア政府軍はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だとDIAはオバマ政権に警告していた。なお、ISはこの集団から生み出されている。 アメリカ政府が「穏健派」を支援すれば、必然的にアル・カイダ系武装勢力など「過激派」が支援されることになり、サラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団の支配地がシリア東部に出現するとDIAは警告、その通りになった。報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ISの勢力が拡大したのはオバマ政権が行った決断によるとしている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、調査らしい調査をしない段階でアメリカ政府はアル・カイダが実行したと断定、2003年3月にはアル・カイダ系武装集団を弾圧していたイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、リビアやシリアではアル・カイダ系武装集団やそこから派生したISを使って体制転覆プロジェクトを進めているのがアメリカ。 そのアメリカがサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したとシーモア・ハーシュは2007年3月5日付ニューヨーカー誌に書いている。1991年にウォルフォウィッツが殲滅すると口にした3カ国のうちイラクはすでに破壊、残されたシリアとイランを倒そうということだ。 この工作にはイギリス、フランス、カタール、トルコも参加することになり、現在はトルコとサウジアラビアの動きが注目されている。そうした中、イスラエルのモシェ・ヤーロン国防相はトルコが盗掘石油の購入という形でISに資金を提供していると非難したようだ。中東/北アフリカの体制転覆プロジェクトに参加している勢力は当初から同床異夢だったが、ロシアによる空爆で彼らのシナリオが崩壊、内部対立が深刻化しているのかもしれない。
2016.01.27
アメリカ政府における好戦派のひとり、アシュトン・カーター国防長官は1月22日、陸軍第101空挺師団から1800名ほどをイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると主張した。占領状態のイラクでは政権をアメリカがコントロール、派兵を正当化する形を作ることは可能だろうが、シリア政府は明確に拒否、シリアへの派兵は侵略以外の何ものでもない。 シリア侵略軍、つまりアル・カイダ系武装集団やIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記する)の宣伝部門的な役割を果たしているSOHR(シリア人権監視所)によると、アメリカの特殊部隊はシリア北東部にある空軍基地を制圧したというが、CENTCOM(アメリカ中央軍)は否定している。ただ、情報会社のストラトフォーが公表した昨年12月28日に撮影されたという衛星写真には、700メートルの滑走路を1315メートルに延長する工事をしている様子が写っている。 ちなみに、SOHRは2006年にメンバーひとりで創設された「団体(ペーパー団体の疑いが濃厚)」で、CIAやMI6のような情報機関とつながりがあり、エドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトンやプロパガンダ機関のラジオ・リバティも後ろ盾になっていると言われている。勿論、SOHRを「反体制派」と呼ぶのは正しくない。そのSOHRの話を無批判に垂れ流しているメディアが存在するとするならば、そこも背景はSOHRと同じだということだろう。ネオコン/シオニストの書いたシナリオ通りにことが進まず、シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒せないことに苛立っているように見えるメディアも存在する。 アメリカ軍の全てを指揮している統合参謀本部の議長は2011年10月から15年9月までマーチン・デンプシー陸軍大将が務めたが、アル・カイダ系武装集団やISの勢力を拡大させるバラク・オバマ政権の政策を懸念した軍の幹部は2013年秋からそうした武装集団に関する情報をホワイトハウスの許可を得ず、シリア政府へ伝え始めたという。 前にも書いたように、DIA(国防情報局)が2012年8月に作成した報告書によると、シリアで政府軍と戦っている戦闘集団の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。アル・ヌスラはAQIがシリアで活動する際に使っている名称にすぎないという。この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン陸軍中将は、AQI/アル・ヌスラやISの勢力拡大をアメリカ政府の決定が原因だと語っている。 アメリカが2003年3月にイラクを先制攻撃した当時の大統領は共和党のジョージ・W・ブッシュであり、今は民主党のオバマだが、AQI/アル・ヌスラやISを使って自立した政権を破壊するという戦術に変化はない。その戦術を実行しているのはCIAと特殊部隊で、正規軍は当初から反対する意見が多かった。正当な理由がないうえ、作戦が無謀だということだ。 この無謀な作戦を進めたグループの中心的な存在はブッシュ・ジュニア政権で「摂政」とも言われたリチャード・チェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官、そしてポール・ウォルフォウィッツ国防副長官が含まれている。リチャード・ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失脚した後、副大統領から大統領へジェラルド・フォードが昇格した時代にこの3人は台頭、デタント(緊張緩和)派を粛清した好戦派仲間だ。 イラク侵攻作戦のベースになったのが1992年初めに国防総省で作成されたDPGの草案。この時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ(父親)であり、チェイニーは国防長官、ウォルフォウィッツは国防次官だった。そのDPG草案をベースにしてネオコン系のシンクタンクPNACが「米国防の再構築」という報告書を作成して2000年に発表、01年から始まるブッシュ・ジュニア政権の軍事戦略はこの報告書に基づいた。 当初の予定では、2001年9月11日(9/11)にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された翌年の春にイラクを攻撃する予定だったようだが、軍の幹部たちに抵抗される。 例えば、2002年10月にドナルド・ラムズフェルド国防長官に抗議して統合参謀本部の作戦部長を辞任し、06年4月にタイム誌で「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書いたグレグ・ニューボルド中将、翌年の2月に議会で長官の戦略を批判したエリック・シンセキ陸軍参謀総長、そのほかアンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将などだ。 こうした抵抗で開戦は約1年先に延びたが、結局はイラクを先制攻撃して破壊、殺戮、そして占領することになった。軍の幹部も好戦派、つまり戦争ビジネスと結びついたり、カルト的な考え方をする軍人に置き換えられてしまったようだ。そうした配置換えを進めたグループのひとり、ラムズフェルド国防長官の周辺では9/11から間もなく、イラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃するという計画ができあがっていたというが、1991年の段階でウォルフォウィッツが口にしていたのはイラク、シリア、イランの3カ国。イラクを破壊した段階で残されたのはシリアとイランだ。 アメリカがサウジアラビアやイスラエルと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したとシーモア・ハーシュが書いたのは2007年3月5日付けニューヨーカー誌。シリア、イラン、ヒズボラを敵と位置づける発言は国務長官時代のコンドリーザ・ライスも口にしていた。 そうした秘密工作の中心にはチェイニー副大統領がいて、その手先として使われると見られていたのはサウジアラビアの影響下にあったムスリム同胞団やサラフ主義者(ワッハーブ派)だ。実際、2012年8月におけるDIAの報告では、シリアで政府軍と戦っている戦闘集団の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系武装集団だとされている。 こうした事情を考えれば、アメリカがアル・カイダ系武装集団やISを本気で攻撃するはずはなく、ISが支配地を拡大するのは必然なのである。その間、イスラエルはシリア政府軍を攻撃してアル・カイダ系武装集団やISを支援していた。 状況が一変したのは昨年9月30日。ロシア軍がアル・カイダ系武装集団やISに対する空爆を開始したのだ。アメリカのように物資を「誤投下」することもなく、司令部、兵器/武器庫、トルコから運び込まれる兵站、さらにトルコへ運び出されていた盗掘石油の輸送車両も破壊され、ネオコン、イスラエル、サウジアラビア、トルコといった国々は窮地に陥った。 特殊部隊を使ったアル・カイダ系武装集団やISへの支援は続けているようだが、それでも支えきれなくなっている。政府軍による要衝の奪還が明確になれば、西側の宣伝マシーンも実態を隠しきれなくなるだろう。そうした中、出て来たのがカーター国防長官の発言だ。最後に自国の陸軍第101空挺師団を送り込み、自分たちが「テロリスト」に勝利したという宣伝をはじめるつもりだろうという見方もある。 他人の手柄を自分の手柄にするのは米英支配層の得意技。例えば、第2次世界大戦の最中、1941年6月ドイツ軍がソ連へ攻め込んだ時もそうだった。両国軍はスターリングラードで死闘を繰り広げ、1943年2月にドイツ軍は全滅、ソ連軍の反撃が始まる。 それまで傍観していたアメリカ軍だが、1943年7月にシチリア島へ上陸、44年6月にはノルマンディ上陸作戦を敢行してパリを制圧した。その後はハリウッドを利用してドイツ軍を打ち破ったのは自分たちだという宣伝を繰り広げ、今ではそのプロパガンダを信じている人が少なくない。シリアやイラクでも同じことを目論んでいる可能性があるが、ネオコンなどはシリアやイランの体制転覆を諦めていないだろう。軍隊の送り込みに成功したなら、次はイラクの占領体制を強化、シリアやイランの体制を転覆させるために使うかもしれない。
2016.01.26
巨大資本が世界を支配するファシズム体制を築くため、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の成立を西側支配層は急いでいるようだ。巨大資本が直接支配する体制へ移行しようとしている。 勿論、その核心はISDS条項。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ったなら、企業は賠償を請求できることになる。その請求について判断するのは正体不明、恐らく巨大資本の結びついた法律家だ。そうした仕組みが完成すれば、健康、労働、環境など人びとの健康や生活を守ることは許されなくなる。後は支配者の「御情け」にすがるだけだ。 アメリカが世界を支配するシステムの中心には基軸通貨を発行する特権がある。その特権をアメリカは失いそうな雲行きだ。ロシアや中国を中心としたグループが力を持った上、そのグループを潰すために仕掛けたはずの原油価格下落がアメリカやサウジアラビアを追い込んでいる。そのため、ドルを守るために考えられたペトロダラーの仕組みが揺らぎ、その支配システムに崩壊の危機が迫っているのだ。 現在、西側支配層が配下の「専門家」やメディアを動員、目指しているシステムに近い体制だった国がある。その一例がボリス・エリツィン時代のロシア。 1985年3月にソ連共産党の書記長となったミハイル・ゴルバチョフは90年に一党体制を放棄して大統領制を導入、初代大統領に選ばれる。東西のドイツが統一されたのはその1990年だが、その際、統一されたドイツはNATOにとどまるが、東へNATOを拡大させることはないとアメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連のエドゥアルド・シュワルナゼ外務大臣に約束した。勿論、その約束は守られていない。 アメリカ支配層の「約束」を信じた「お人好し」のゴルバチョフだが、1991年7月にロンドンで開かれたG7の首脳会談でショック療法的経済政策、いわゆる「ピノチェト・オプション」を強要された際には断っている。新自由主義的な政策で西側支配層を儲けさせろという要求で、ロシア国民の大多数を貧困化させることは明白だったからだ。 1973年9月11日にチリではCIAを後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトの軍事クーデターが実行され、独裁体制が成立した。CIAを動かしていたのは大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーだ。クーデターで合法的に選ばれていたサルバドール・アジェンデ大統領は死亡、軍事政権は自分たちの政策、つまりウォール街がカネを儲ける障害になる人びとを排除していく。一説によると約2万人が虐殺された。 アメリカ資本にとっての障害が排除された後、ピノチェト政権は「マネタリズム」に基づき、大企業/富裕層を優遇する政策を実施した。その政策を実際に実行したのがシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授といった経済学者の弟子たち、いわゆる「シカゴ・ボーイズ」である。 彼らは賃金は引き下げ、労働者を保護する法律を廃止、労働組合を禁止、つまり労働環境を劣悪化、1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。国有企業の私有化とは、国民の資産を略奪することにほかならない。こうした政策をロシアも導入しろとゴルバチョフは求められたのだ。 G7の直前、ロシア大統領に就任したのがボリス・エリツィン。西側支配層はゴルバチョフに見切りをつけ、エリツィンへ乗り換えたと見られる。一方、ソ連を存続させようとしていたグループはエリツィンがロシア大統領に就任した翌月、「国家非常事態委員会」を組織して権力の奪還を狙うものの、失敗する。エリツィンは党を禁止、西側支配層の支援を受けながらソ連の解体、消滅へ突き進んでいく。1991年12月8日にベロベーシの森でウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチと秘密会談を開き、エリツィンはソ連からの離脱を決めたのである。こうした動きを受け、ネオコン/シオニストは年が明けると世界制覇プロジェクトをDPGの草稿という形でまとめる。 エリツィンは独裁体制を整え、ジェフリー・サックスを含むシカゴ派の顧問団が作成する政策を推進する。1992年11月にエリツィンは経済政策の中心にアナトリー・チュバイスを据えるが、この人物が連携したHIIDなる研究所はCIAとの関係が深いUSAIDから資金を得ていた。 このチュバイスはエリツィンの娘、タチアナ・ドゥヤチェンコ(注)の利権仲間。現在に至るまで、アメリカの巨大資本の手先となり、私腹を肥やしているロシアの腐敗勢力はタチアナを中心に結びつき、独立の道を歩こうとするウラジミル・プーチンのグループと戦っている。 タチアナのグループと結びつき、「規制緩和」や「私有化」によってロシア国民の資産を略奪、巨万の富を築いた人びとを「オリガルヒ」と呼ぶ。こうしたオリガルヒは犯罪組織のフロント企業のような会社を拠点にして「ビジネス」を展開、ロシア政府はオリガルヒに支配された。庶民の貧困化は深刻になり、社会は荒廃、街には売春婦が急増してロシアは破綻国家になる。この状況を西側のメディアは肯定的に伝え、今では巨大資本による世界支配に賛成している。彼らにとってエリツィンは「善」であり、プーチンは「悪」だ。つまり、西側メディアの姿勢はぶれていない。 かつて、日本も似た体制を経験している。1923年9月1日に起こった関東大震災では復興資金の調達をアメリカの金融資本、JPモルガンに頼ったのだが、その影響で日本は新自由主義的な政策が導入され、日本の不況は深刻化、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になった。エリツィン時代のロシアと似た状況になったのだ。今、日本は同じ道を歩いている。 こうした経済政策を推進した浜口雄幸首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡し、32年2月には大蔵大臣でJPモルガンと最も親しい日本人だったという井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺され、5月には五・一五事件が引き起こされている。 現在、西側金融資本の餌食になったギリシャでは尻ぬぐいを押しつけられた庶民が窮乏し、大学では食費を稼ぐために学生が売春を強いられているという。その結果、売春の料金が大きく値下がりしているとも伝えられている。似た現象は西側各国で現れているようだが、TPP、TTIP、TiSAが成立すれば、参加国はこうした状態になるだろう。(注)タチアナは結婚相手が捜査の対象になったこともあって2001年に離婚し、すぐにエリツィンの側近だったバレンチン・ユマシェフと再婚した。ユマシェフの娘、ポリナ・ユマシェバが結婚したオレグ・デリパスカはイスラエル系オリガルヒで、ロシアのアルミニウム産業に君臨、ナサニエル・ロスチャイルドから「アドバス」を受けている一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている。
2016.01.25
キエフのクーデター政権はロシアへの債務返済ができなくなり、デフォルト状態。それでもIMFはルールを変更して融資を続け、反クーデター派が支配している東部のドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)をクーデター軍は攻撃している。そうした中、キエフ政府軍の兵士20名以上が死亡、200名以上が入院するという出来事があったようだ。致死性のウイルスが研究施設から漏れ、感染した結果だという。当然、住民へ感染する可能性もある。 問題の研究施設はハリコフから30キロメートルの場所にあり、アメリカ軍の専門家が働いているのだが、以前からロシア政府はアメリカやNATOが軍のバイオ研究所をウクライナ、ジョージア(グルジア)、カザフスタンなどロシア周辺で建設していることに懸念を示していた。生物兵器の研究、開発、生産、散布の拠点になっている可能性があると考えるのは当然だろう。こうした研究所がウクライナで最初に建設されたのは2010年だが、今ではリビウ、オデッサ、ルガンスクなどで11施設に達すると見られている。 アメリカが細菌兵器の研究や開発を進めているだけでなく、実際に使っている疑いも持たれている。2013年12月からアフリカ西部のギニアでエボラ出血熱が広がりはじめ、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染、大きな騒動になったが、この時もそうした噂が流れた。その際に注目されたのがアメリカの研究者である。 アメリカ軍には生物化学兵器を研究開発しているグループが存在する。その拠点がメリーランド州のフォート・デトリック。日本医学界の手先として生体実験を行っていた旧日本軍「関東軍防疫給水部本部」、いわゆる「満州第七三一部隊」も関係したところだ。そこの研究者とテュレーン大学の研究者が数年にわたってギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで活動していたのである。感染が問題になり始めた2014年7月、シエラレオネの健康公衆衛生省はテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。 8月2日には現地で治療にあたっていたふたりのアメリカ人、ナンシー・ライトボールとケント・ブラントリーが感染、アメリカへ運ばれて治療を受け、ふたりは快方へ向かったという。ふたりはリーフバイオ社とデフィルス社が開発している「ZMapp」が投与されたほか、現地で回復した少女の血が輸血されたとされている。 突然、治療法が見つかったというわけだが、WHOのマーガレット・チャン事務局長は9月13日にエボラ出血熱のアフリカ西部における流行はコントロール不能な状態になっていると語っている。この人物、2009年には豚インフルエンザが大流行していると宣伝、日本で「タミフル」なる薬を売る手助けをした過去がある。タミフルを開発したギリアド・サイエンス社では1997年から2001年までドナルド・ラムズフェルドが会長を務めていた。ちなみに、2005年12月4日付けのサンデー・タイムズ紙によると、数十名のインフルエンザ患者を治療したベトナムの医師はタミフルが効かなかったと話している。 そして9月16日、バラク・オバマ米大統領はナイジェリア、リベリア、シエラレオネへ3000名程度の部隊を派遣すると言い始める。「エボラとの戦争」だが、アメリカが軍隊を派遣する場合、多くは資源が絡んでいる。アフリカの西部に石油が存在していることは有名な話であり、シエラレオネは世界最大のダイヤモンド産出国だ。 エボラ出血熱が最初に発見されたのは1976年で、場所はザイール(後のコンゴ)。ウラニウムやダイヤモンドなど資源の宝庫で、かつてはベルギーの植民地だった。1960年2月に独立、6月の選挙でパトリス・ルムンバが初代首相に選ばれる。 アメリカの支配層は裏取引を拒否し、民主化を目指すルムンバを危険だと判断、同年8月にドワイト・アイゼンハワー米大統領はアレン・ダレスCIA長官に対してルムンバの排除、つまり暗殺を許可、CIA支局長だったローレンス・デブリンがクーデターと暗殺の2本立て工作を開始する。 結局、9月にモブツ・セセ・セコというアメリカ支配層に選ばれた人物がクーデターを成功させ、12月にルムンバは家族を助けようとして拘束されてしまった。 1960年にアメリカで行われた選挙で当選したジョン・F・ケネディが大統領に就任するとルムンバの排除が困難になるとアメリカ支配層は考えたはずだが、実際、就任の3日前に彼は刑務所から引き出され、ベルギーのチャーター機でルムンバの敵が支配する地域へ運ばれて死刑を言い渡され、アメリカやベルギーの情報機関とつながっている集団に殴り殺された。 当然、CIAの承認を受けての殺害であり、ルムンバの移送をデブリン支局長は事前に知らされていたが、ケネディには伝えていない。1月26日にダレス長官はコンゴ情勢についてケネディ大統領に説明しているが、このときにもルムンバ殺害について触れなかった。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) エボラ出血熱が発見された後、この病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘の研究「プロジェクト・コースト」が1980年代の前半から南アフリカで進められた。その中心にいた科学者がウーター・ベイソン。 1985年にベイソンはイギリスのある研究所を訪ね、デイビッド・ケリーという研究者に会った。この研究者は兵器の査察官になるのだが、2003年7月、アメリカが偽情報を撒き散らしながらイラクを先制攻撃した際、変死している。公式見解は手首を切っての「自殺」だが、それにしては出血が少なすぎ、心臓の活動が停止した後に切った、あるいは切られた疑いが強いのだ。死の直前、イギリスの治安機関MI5がケリーからベイソンの件で話を聞いたと言われている。 しかし、ケリーの死は別の出来事と関係している可能性が高い。イラクを先制攻撃した当時、アメリカの国務長官だったコリン・パウエルは2002年3月28日にトニー・ブレア首相がアメリカの軍事行動に加わるとメモに書いている。つまり、この時点でブレアは軍事侵略に同意していた。 ところが、その当時、イギリスでも開戦を認めるような雰囲気ではなかった。そこでアメリカやイギリスの政府はイラク攻撃を正当化するために「大量破壊兵器」を宣伝、ブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を2002年9月に作成した。パウエルのメモが書かれた半年後のことだ。 イラクが45分で大量破壊兵器を使用できると主張するその報告書の内容は外部にリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載した。この報告書をパウエル国務長官は絶賛したが、大学院生の論文を無断引用した代物で、内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。 それに対し、2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 その結果、2003年3月20日にイギリス軍はアメリカ軍に付き従ってイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、今でも殺戮と破壊は続いている。その実態は本ブログで何度も書いてきたので、今回は割愛する。
2016.01.24
2017年にはフランスで大統領選挙、ドイツでは議会選挙が予定されている。アメリカ支配層の傀儡と見られているフランソワ・オランド仏大統領やアンゲラ・メルケル独首相は自国の利益に反する政策を進めてきたのだが、それに対する批判が高まり、自立の方向へ動きはじめた。当然、アメリカ支配層との間で摩擦が起こる。 そうした中、難民の大量流入が問題になっている。その結果、EU崩壊の可能性も出てきた。特に深刻なのはドイツで、年明け早々、ケルンでは女性が難民と見られる集団に襲われるという出来事があり、メルケル政権に対する批判は強まった。 難民を大量に生み出した最大の原因はネオコン/シオニストの戦略にある。ジョージ・H・W・ブッシュ(父親)政権で国防次官を務めていたネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツは1991年にイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にする。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後にはドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃するという計画ができあがっていた。 アメリカ軍が率いる連合軍は2003年3月にイラクを先制攻撃し、2007年3月5日付けのニューヨーカー誌にシーモア・ハーシュはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。実行部隊としてサウジアラビアと緊密な関係にあるムスリム同胞団とワッハーブ派/サラフ主義者が想定されるのは当然だ。 そして2011年の春、リビアとシリアの体制を転覆させるプロジェクト(アラブの春)をNATO諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルは開始、その手先としてアル・カイダ系の武装集団を利用された。リビアでこの事実が明確になった後に出てきたのがIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)である。 アメリカ支配層の命令というだけでなく、中東/北アフリカの利権に目が眩んだEUの支配層も体制転覆プロジェクトに参加していたが、難民問題が発生するとも警告されていた。そして、その通りの展開になっている。「難民」のタグを付けた侵略軍がEUへの侵略を始めているようにも見える。 実際、ドイツでは難民の間から、ISの戦闘員が難民としてドイツに入り込んでいるという話が出ている。その危険性は当初から指摘されていたことだが、具体的な事例が指摘されているのだ。 EUの内部ではアメリカの命令に服従している政府への不満が「エリート」の中でも高まり、アメリカ離れが進んでいる。そうした場合、「特殊作戦」を実行するのがアメリカ流。イタリアでは1960年代から80年代にかけてNATOの秘密部隊、グラディオが極左を装って爆弾攻撃を繰り返している。いわゆる「緊張戦略」だ。同じように、ISの戦闘員を利用して「テロ」を実行、EUのファシズム化を進める可能性がある。 戦闘員を含む難民の大量流入はそうした「特殊作戦」の一環のようにも見えるが、昨年9月の段階で、難民をドイツへ誘導するツイッターの3分の1以上はイギリスとアメリカから発信されたものだったという。今後、EUが自立の道を歩もうとしたなら、潜入した戦闘員が行動を起こすと考えるべきだろう。EUが破綻、リビア化すれば、ロシアにとっても深刻な事態だ。
2016.01.23
原油相場の下落が続いている。WTI原油の場合、2014年6月には1バーレルあたり110ドル近かった価格が年末までに大きく値下がりし、年明け直後に50ドルを切り、今年1月15日には30ドルを割り込んだ。2014年9月11日にアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王が紅海の近くで会談、それから加速度的に下げ足を速めたことから原油相場を引き下げる謀議があったとも噂されている。 相場引下げの目的はロシアにダメージを与えることにあったと言われた。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制をNATOとアル・カイダ系武装集団LIFGがクーデターで倒した後、ロシアは体制転覆プロジェクトを阻止するため、積極的に動き始める。その国のあり方はその国の国民が決めるべきことだという主張だ。その結果、シリア、イラン、ウクライナなどでネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの好戦派は思い通りにことを運べなくなる。 アメリカの好戦派が最終的に狙っているターゲット国は中国とロシアではあるが、シリアやウクライナを制圧する前にロシアを揺さぶろうとして同国が大きな収入源にしている石油の相場を引き下げようとしたと見られている。 ラテン・アメリカではアメリカから自立する動きがあるが、その原動力になってきたのはベネズエラの石油。そのベネズエラでは相場の下落が大きな問題になっている。昨年のインフレ率は275%、今年は720%になると予測され、経済が破綻する恐れがある。その影響はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)へも波及するだろう。 それだけでなく、相場下落を仕掛けたと言われているアメリカとサウジアラビアで経済が揺らぐ事態になっている。アメリカでは金利がまだゼロに近いというものの、それでもシェール・ガス/オイル業界がコスト割れで春には破綻する企業が続出する恐れが出てきた。巨大石油資本による吸収が進むかもしれないが、金融機関への悪影響は避けられないだろう。 何度も書いているように、アメリカは基軸通貨を発行できるという特権で生きながらえてきた国で、それを支える仕組みのひとつがペトロダラー。流通するドルを産油国が回収して財務省証券や高額兵器という形で固定、投機市場へ資金を流し込んでハイパーインフレをバブルに変換させるということもしてきた。 その中心的な存在であるサウジアラビアが石油相場の下落とイエメン侵略による戦費負担の増加で厳しい状況になっている。IMFによると、同国の2016年における財政赤字は19.4%、5年以内に金融資産は底をつくと予測しているようだ。サウジアラビアの現体制が崩壊し、民主化されたならアメリカのドルが基軸通貨の地位から陥落する可能性が高まり、支配システムは大きく揺らぐ。 そうした中、ロシアはこうした国々ほどにはダメージを受けていないようだ。ロシアの通貨ルーブルも同時に急落したため、ルーブルで決済すると問題はないということになってしまう。ロシアの石油生産コストも不明な点がある。しかも、ロシアには中国という強力な同盟国が存在する。 その中国はAIIB(アジアインフラ投資銀行)や新開発銀行(NDB)を創設するだけでなく「一帯一路(シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード)」を推進、米英が支配する経済システムに対抗しようとしている。国内経済の育成をないがしろにしているという意見もあるようだが、米英の金融界が支配する体制から脱却することなしに真の独立はないことも確かだ。アヘン戦争以降、米英の侵略と戦ってきた中国としては、反攻の時がきたと考えているかもしれない。
2016.01.23
今でもバラク・オバマ政権で主導権を握っているネオコン/シオニストは「イスラエル第一派」。イスラエルの好戦派と一心同体の関係にある。イスラエルでは1970年代から好戦派が主導権を握り、現在のベンヤミン・ネタニヤフ首相もそうした勢力。シリアやイランの体制転覆を公然と主張している。ネオコンも同じであり、シリアやイランを「ロシアに任せる」ということはない。 イラクに侵攻したトルコ軍はモスルの北に基地を建設しているが、アメリカ軍はシリア領内、トルコとの国境に近い場所に基地を建設、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)への支援の拠点にしている疑いが持たれ、約2000名の援軍もトルコから派遣されているとも伝えられている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃するとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。1991年の時点で国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしたので、その後、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンが増えたことになる。 しかし、アメリカ軍の中枢である統合参謀本部のには、こうした侵略計画に反対する参謀が少なくなかった。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエルが2002年3月28日に書いたメモの中で、イギリスのトニー・ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わると書かれていることが明らかにされている。 この時点でブッシュ政権はイラクに対する先制攻撃をはじめるつもりだったようだが、実際にアメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃したのは1年後の2003年3月20日のこと。統合参謀本部の中に戦争を無謀だとする意見が少なくなかったためだという。 実際、イラク攻撃を批判する将軍は少なくない。例えば、2002年10月にラムズフェルド国防長官に抗議して統合参謀本部の作戦部長を辞任して06年4月にタイム誌で「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書いたグレグ・ニューボルド中将をはじめ、議会で長官の戦略を批判したエリック・シンセキ陸軍参謀総長、さらにアンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将などだ。 こうした抵抗を封印するため、ブッシュ政権は軍隊の粛清を行い、幹部を好戦派に入れ替えた。信仰の基づく好戦派もいるようだが、多くは戦争ビジネスと関係を結んでいる人たちだと見られている。 しかし、それでも無謀な戦争に反対する軍人はいて、例えばDIA(国防情報局)の長官を務めたマイケル・フリン中将もISの勢力を拡大させた原因はアメリカ政府の決定にあると語り、オバマ政権の責任を明確にしている。フリン中将が長官だった2012年8月、DIAは反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告書を作成している。 2011年10月に統合参謀本部議長となったマーチン・デンプシーもISを危険視、ロシアやシリアとも手を組む姿勢を明確にしていたが、今年に入って状況が変化する。戦争に慎重なチャック・ヘーゲルが2月に退任、次の長官になったアシュトン・カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。デンプシーも9月に退任、後任に選ばれたジョセフ・ダンフォードはロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言している。つまり、オバマ政権も戦争に慎重な軍人を粛清、ロシアと戦争を始める姿勢を見せている。こうしたアメリカ側の動きに対するロシア側の解答がシリアにおける空爆の開始だ。 何度も書いているように、ネオコンがアメリカで表舞台に登場してくるのは1970年代のこと。そうした流れを作る上で重要な役割を果たしたのがベトナム戦争と第3次中東戦争だ。 1967年の春、イスラエルはゴラン高原のシリア領へトラクターを入れて土を掘り起こし始め、シリアは威嚇射撃する。次にイスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、シリアは迫撃砲や重火器を使うというようにエスカレート、銃撃戦に発展していった。 こうした状況の中、この年の5月15日にエジプトは緊急事態を宣言、2個師団をシナイ半島へ入れてイスラエルとの国境沿いで防衛態勢をとらせるのだが、その5日後にイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道が流れ、エジプトはアカバ湾の封鎖を宣言した。 イスラエルはこの封鎖を「イスラエルに対する侵略行為」と主張するが、親イスラエル派で有名なリンドン・ジョンソン大統領もイスラエルに対し、戦争を自重するように求めている。 そこでイスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官がアメリカを訪問した。帰国後、同長官はジョンソン大統領が開戦を承諾、イスラエルの撤兵を求めることもないと説明している。そして6月5日にイスラエル軍はエジプトに対して空爆を開始、第3次中東戦争が勃発、イスラエルが圧勝する。アメリカは6月8日に情報収集戦リバティをイスラエルの沖に派遣するが、そのリバティをイスラエルは攻撃してアメリカ兵34名を殺し、172名を負傷させた。アメリカの艦船だと知っての攻撃だったが、アメリカ政府は誤爆だとするイスラエルの弁明を受け入れ、電子情報機関NSAはこの時の交信を記録した大量のテープを破棄したという。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) アメリカには宗教国家としての側面があり、自国軍を「神軍」だと信じる人が少なくないようだ。そうしたカルト的な考え方をする人はアメリカ軍がベトナム戦争で苦しむ状況を受け入れられず、不満を募らせていく。そこで注目されたのが第3次中東戦争だ。 この戦争で圧勝したイスラエルに「神の軍隊」を見たアメリカのカルト(キリスト教原理主義者)はシオニストに接近する。そうした中、デタントへ舵を切ったリチャード・ニクソン大統領はウォーターゲート事件で失脚、替わって登場したのは副大統領だったジェラルド・フォードだった。 この政権ではデタント派が粛清されるのだが、その粛清で中心的な役割を果たしたとされているのが大統領首席補佐官だったラムズフェルドや大統領副補佐官だったリチャード・チェイニー。当時、軍備管理軍縮局にいたウォルフォウィッツも粛清で重要な役割を果たしたという。 ラムズフェルドはジェームズ・シュレシンジャーに替わって国防長官に納まる。彼はアンドリュー・マーシャルONA室長やフリッツ・クレーマーの意見に従って動いていたとされている(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” HarperCollins, 2009)のだが、クレーマーは内政より外交を優先、外交の本質は政治的な強さと軍事力であり、外交政策で最も重要なことは超大国のパワー・バランスだと考えて経済面は軽視していた。そして現在、アメリカは経済面から崩壊しつつある。
2016.01.22
イスラエルのモシェ・ヤーロン国防相は1月19日、INSS(国家安全保障研究所)で開かれた会議で、イランとISIS(IS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)ならば、ISISを私は選ぶと発言したという。 これまでも、シリアやイランの現体制を倒すためならアル・カイダ系武装集団やISと手を組むという意思をイスラエル政府は隠していない。例えば、2013年9月には駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンはシリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近だ。 口先だけでなく、イスラエルは実際にアル・カイダ系武装集団やそこから派生したISを支援してきた。例えば、2015年1月18日には、ISを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊をイスラエル軍は攻撃し、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺している。シリアへの空爆をイスラエルは何度も実行している。 イラクの北部を支配しているクルド系の武装集団をイスラエルが支援してきたことは知られているが、そのイスラエル軍のユシ・オウレン・シャハク大佐が2015年10月、ISと行動を共にしていたところを拘束されている。また、シリアでは、反政府軍の幹部と会っていたイスラエルの准将が殺されたという。負傷した反シリア政府軍/ISの兵士をイスラエルは救出、病院へ運んだうえで治療しているとも伝えられている。 アメリカ/NATOがアル・カイダ系武装集団LIFGを利用していることはリビアを侵略してムアンマル・アル・カダフィ体制を破壊した際、明確になった。2011年10月に体制が倒された直後には反カダフィ勢力の拠点だったベンガジの裁判所にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていた。その直後に戦闘員と武器/兵器はトルコ経由でシリアへ移動、シリアでの戦闘が激しくなる。 アメリカ政府は反シリア政府軍の支援を正当化する口実として「穏健派」なるタグを利用していたが、どのようなタグを付けようと侵略に変わりはない。しかも、その「穏健派」は事実上、存在しないことをアメリカ軍の情報機関DIAが報告している。 2012年8月にDIAが作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると報告した。アル・ヌスラはAQIの別名だという。この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン陸軍中将はAQI/アル・ヌスラやISの勢力拡大をアメリカ政府の決定が原因だと語っている。 ムスリム同胞団はワッハーブ派の強い影響を受け、アル・カイダ系武装集団の主な戦闘員はワッハーブ派。つまり、シリアで体制転覆を目指して侵略した戦闘員の多くはサウジアラビアの国教であるワッハーブ派の信徒たち。こうした戦闘集団の新しいタグがISだ。 アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの同盟関係は1970年代の終盤、アフガニスタンでの秘密工作から続いているのだが、この三国同盟は遅くとも2007年にはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したようだ。2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートがそうした事実を明らかにしている。 イスラエル第一のネオコン/シオニストで中心的な役割を果たしてきたポール・ウォルフォウィッツは国防次官だった1991年、イラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしたという。これは1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークの話だ。この年の1月にアメリカ軍はイラクを攻撃したのだが、その際にジョージ・H・W・ブッシュ(父親)大統領はサダム・フセイン体制を倒さないまま停戦、それに怒ったウォルフォウィッツの発言だった。
2016.01.21
現在、世界を不安定化させている最大の要因はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟である。トルコはアメリカが支配するNATOの加盟国であり、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領を中心とする勢力へはサウジアラビアから資金が流れているとも言われ、三国同盟に付随した国だ。 この同盟をリードしているのはネオコン/シオニスト。その中核グループに属しているポール・ウォルフォウィッツは国防次官だった1991年にシリア、イラン、イラクを5年以内に殲滅すると語ったという。これは欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の元最高司令官、ウェズリー・クラーク米陸軍大将の話だ。いずれもネオコンの意に従わず、西側巨大資本の利益に反する政策も実行していた国。傀儡政権と入れ替えたいということだ。ウォルフォウィッツの「予言」はビル・クリントンが大統領になったことで実現しなかったが、21世紀に入ってネオコンが実権を握るとイラクは破壊された。 1991年12月にソ連が消滅、それを受けてネオコンは国防総省のDPG草案という形で世界制覇プロジェクトを92年はじめにまとめた。それをベースにしてネオコン系のシンクタンクPNACが「米国防の再構築」という報告書を作成、2000年に発表する。2001年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権の軍事戦略はこの報告書に基づく。 この戦略は戦乱を旧ソ連圏や中東/北アフリカへ広げることになり、世界を不安定化させた。その戦略が破綻して自分たちの足下が揺らぎはじめたのが昨年。最大の問題はサウジアラビアで、IMFによると、同国の2016年における財政赤字は19.4%、5年以内に金融資産は底をつくと予測しているようだ。 そうなるとドルを基軸通貨とする体制を支えることが困難になり、投機市場が縮小、アメリカを中心とする金融システムが崩壊する可能性が高まる。ガザ地区からシリアを制圧して地中海東岸で発見された天然ガスを独占、「大イスラエル」を実現して油田を支配できなければイスラエルも存続が困難になる。 支配システムが揺らぐ中、サウジアラビアのサルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド国王はトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と会談、その数日後、1月2日にシーア派の指導的立場にあったニムル・バキル・アル・ニムル師を処刑してシーア派を挑発して中東の軍事的な緊張を高めた。 実際、処刑の後、シーア派の信徒は各地で抗議活動を展開し、イランの首都テヘランのサウジアラビア大使館やメシェドのサウジアラビア領事館へは数十本の火炎瓶が投げ込まれる。建物の一部が焼失する事態に発展した。サウジアラビア外相はイランとの外交関係の断絶を宣言したが、イラン政府の対応は冷静で、挑発には乗っていない。 ニムル師は自由選挙を求め、サウジアラビアにおけるシーア派の権利が尊重されないならば、東部地域を分離すべきだとも主張していた人物。東部地域にはシーア派が多く住んでいるのだが、そこは油田地帯でもある。シーア派に武装蜂起させ、そこを制圧して油田支配を確かなものにしようとしたとする見方もある。 支配層の利益を守るため、新自由主義は緊縮財政を要求する。支配層へカネをばらまくため、庶民から搾り取ろうとするわけである。もしサウジアラビアもそうした政策を採用し、軍事費が増大する一方で庶民に対する生活費の補助を打ち切ったならば、街に溢れる失業者がこれまでと同じように従順でいる保証はない。 サウジアラビアはペトロダラーという仕組みを支え、ドルが基軸通貨としての地位から陥落してアメリカの支配システムが崩れることを防いできたが、それだけでなく、エジプトをはじめ多くの国々にカネをばらまくことで国際的な影響力を維持してきた。財政赤字が続くという事態になると、ドルを中心とする経済システムは崩壊、国際的な影響力も失う。 大量の核兵器を保有するアメリカやイスラエルは最終的に核兵器で脅しをかけ、世界を屈服させようとするかもしれないが、中国やロシアには通じない。それでも脅しをかけ続ければ核戦争が始まるだろう。 2011年3月8日、東電福島第1原発が3基の原子炉でメルトダウンを起こして膨大な量の放射性物質を地球上に放出しはじめる3日前、都知事だった石原慎太郎の核兵器に関する発言をイギリスのインディペンデント紙は掲載、その中で彼は1年以内に核兵器を作れるとした上で、核兵器があればアメリカに頼らなくても「外交」でき、中国は尖閣諸島に手を出さないだろうと語っている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの好戦派も似たようなことを考えているように思える。
2016.01.20
国際情勢を理解するためには、アメリカに「テロ部隊」が存在するという事実を直視しなければならない。その源流は1944年夏にアメリカのSO(秘密工作部)とイギリスのSOE(特殊作戦執行部)が共同で編成したジェドバラ。その人脈は第2次世界大戦後も存続、NATOの秘密部隊として各国で「左翼」を装って破壊活動を展開してきた。こうした秘密部隊が存在することは1990年10月にイタリアのジュリオ・アンドレオッチ政権が公式に認めている。こうした秘密部隊の存在を否定するのは「トンデモ説」ということだ。 イタリアの秘密部隊は「グラディオ」と呼ばれているが、1972年2月にイタリア北東部の森で子供が偶然、兵器庫を発見したことからその存在は明るみに出る。捜査が進めばイタリアの情報機関にとどまらず、CIAの存在が浮上することは必至だったが、途中で捜査は止まってしまう。 そうした事実を1984年にフェリチェ・カッソン判事が気づいて捜査は再開され、イタリアの対外情報機関SISMIの公文書保管庫の調査をアンドレオッチ首相は1990年7月に許可せざるをえなくなる。そしてグラディオの存在を示す文書が出てきたのだ。そして同年10月に政府は報告書を公表した。その後、NATO加盟国にはグラディオと同じような秘密部隊が存在していることを人びとは知ることになる。 捜査が再開される2年前、1982年7月にローマのフィウミチーノ空港で搭乗しようとしてた女性が持っていたスーツケースの底から極秘のスタンプが押された書類が見つかっている。その女性の父、リチオ・ジェッリはグラディオと関係が深い非公然秘密結社P2のリーダー。ジェッリによると、その文書はCIAから受け取ったのだという。 アメリカ側は文書を偽物だとしているが、その文書には、友好国(つまり属国)の政府がコミュニストの脅威に対する警戒心をゆるめている場合、友好国の政府や国民を目覚めさせるために特殊作戦を実行しなければならないと書かれている。擬装テロを実行するということだ。 実際、イタリアでは1960年代から1980年代までグラディオが「極左」を装って爆弾攻撃を続け、クーデターも計画していた。こうした偽旗作戦によって左翼勢力に対する国民の信頼をなくさせ、さらに社会不安を高めて治安体制を強化することが狙いだった。いわゆる「緊張戦略」だ。この戦略はジェッリの娘が持っていた文書に書かれていたことと符合する。 グラディオが活動したイタリアはフランスと同様、コミュニストの力が強い国だった。こうした国々で第2次世界大戦の際にドイツ軍と戦っていたレジスタンスの主力もコミュニストで、それに対抗するためにジェドバラは作られたとも考えられている。 戦後、ジェドバラはOPCとして生まれ変わり、1950年10月にはCIAに吸収され、52年8月には秘密工作を実行する「計画局(The Directorate of Plans)」の中核になった。1970年代に入ると議会で秘密工作の実態が暴露され、73年3月に名称を「作戦局(The Directorate of Operations)」に変更、2005年10月からはNCS(国家秘密局)になった。本ブログでは何度か指摘したが、OPCは1949年に国鉄を舞台にして引き起こされた3怪事件を実行した疑いもある。 ジェドバラが編成された1944年にはドイツ陸軍参謀本部第12課(東方外国軍課)の課長を務めていたラインハルト・ゲーレン准将がSOを指揮していたアレン・ダレスに接触している。ゲーレンは情報将校で、ソ連を担当していた。 1944年6月にアメリカ軍はノルマンディー上陸作戦を実行しているが、1942年8月から43年2月まで続いたスターリングラードの戦いドイツ軍は壊滅、ソ連軍は西へ向かって進撃をはじめていた。それを見て慌てた米英支配層はノルマンディー上陸を敢行したわけである。そうした中、ゲーレンたちはソ連情報をダレスたちに売り込んだわけだ。 CIAの秘密工作はNATO加盟国だけでなく、例えば1947年から48年にかけてアルバニアのコミュニスト勢力を倒すためにイギリスと共同で「バリュアブル作戦」を展開した。この作戦で中心的な役割を果たしたイギリスのデイビッド・スマイリー大佐はジェドバラと深く関係している。1953年にはウクライナを不安定化させるためにAERODYNAMIC作戦を始めるが、その手先として育成されたのがネオ・ナチ。その延長線上に現在のウクライナはある。 こうした秘密工作、破壊活動の手先として1970年代の終わりから育成され、使われているのがワッハーブ派の戦闘集団。戦闘員の登録リストがアル・カイダ。シリアで活動しているアル・ヌスラ/AQIもそうした集団で、IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュとも表記)はそこから派生した。軍事訓練と武器/兵器の供給はアメリカ、資金の提供はサウジアラビア、さらにイスラエルが支援という形が当初から続いてきたが、シリアではトルコの存在が大きい。 こうした国々の前に立ちはだかったのがロシアで、アメリカやサウジアラビアはロシア経済を破壊する目的で石油相場を下落させたと言われている。ところが、その相場下落でサウジアラビアが財政赤字になって投機市場が揺らぎ、アメリカではシェール・ガス/オイル産業が厳しい状況になっている。サウジアラビア経済が破綻するとペトロダラーの仕組みは崩壊、ドルは基軸通貨の地位から陥落する可能性が高まる。そこからサウジアラビアが傭兵を雇い続けられるのかという問題が生じる。場合によってはサウジアラビアに対して傭兵が牙をむく可能性も出てくるだろう。
2016.01.20
安倍晋三政権は情報統制に熱心で、本人たちが事実を見たがらないだけでなく、国民が事実を知ることも嫌う。現実から逃避し、妄想の世界にどっぷり浸かるという点は旧日本軍の作戦参謀やネオコン/シオニストと似ている。 その妄想を生み出すのは信仰であったり、イデオロギーであったり、欲望であったりするのだが、ともかく安倍晋三もそうした妄想の世界に生きているひとりであり、見たくない事実を突きつけられると怒りの感情が吹き出すようだ。 2001年1月30日にNHKは「女性国際戦犯法廷」を題材にしたETV特集「問われる戦時性暴力」を放送したのだが、元従軍慰安婦の証言シーンがわずかしかなく、日本軍の行為について法廷が下した結論にも触れていない。44分枠の番組が40分に短縮されていることに疑問を持つ人も少なくなかった。 その後、明らかになったのは、放送前日の29日に松尾武放送総局長(当時)と、国会対策担当の野島直樹・担当局長(同)らが中川昭一や安倍晋三に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会したということ。安倍の立場は、「強制性があったことを証明する証言や証拠がない」というものだ。 この番組の改変は裁判になり、東京高裁は2007年1月29日に判決を言い渡した。それによると、松尾放送総局長や野島国会担当局長が国会議員などと接触した「際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされた」ため、「松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受けとめ、その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。」 勿論、人間は自分の立場が「公正・中立」だと考えがちで、安倍や中川は自分たちが好ましく思っている、あるいは信じる歴史解釈に則って番組を作れと要求したと言えるだろう。 安倍がカルト教団と関係が深いことは広く知られている。安倍が敬愛しているらしい祖父の岸信介は笹川良一や児玉誉士夫とともに統一協会と結びつき、統一協会の教祖、文鮮明をアメリカの当局が脱税容疑で摘発した際には、中曽根康弘と岸がロナルド・レーガン大統領に恩赦を求めている。2006年5月には、安倍晋三本人が統一協会の関連団体「UPF(天宙平和連合)」が開いた集会に保岡興治元法相らとともに祝電を送った。 安倍政権は「秘密保護法」や「安保関連法制」など、戦争の準備を思わせる法律を強引に制定させようとしてきた。昨年6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍首相は「安保関連法制」に関する発言の中で、「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。週刊現代のサイトが紹介、外国でも話題になった。 アメリカは全世界で侵略を進めている。21世紀に入ってからだけでもアフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなどがすぐに思い浮かぶ。自国軍が直接、侵略するだけでなく、アル・カイダ系武装集団やネオ・ナチを傭兵として使ってきたことは本ブログでも繰り返し、書いてきた。 支配層による検閲が行われるのは、支配層にとって好ましくない情報が発信されていることを意味している。アメリカの場合、情報の発信源が支配層に支配され、記者の選別も進んでいるので検閲は必要ない。日本では自主規制や自主検閲が徹底しているため、これまで支配層が前面に出た検閲をする必要はなかった。現在、日本のマスコミが揺れているのは、マスコミが追いつけないほど支配層が情報の統制を強化しているからだろう。それほど事実が支配層にとって脅威になっている、つまり彼らにとって状況は悪くなっているとも言える。
2016.01.18
日本の「エリート」が隷属しているアメリカの好戦派、つまり軍事力で世界を制覇しようとしている勢力は追い詰められてしまった。自分たちが過去に描いた「予定」を放棄することができないため、破綻に向かって走り続けているのだが、その後を追いかけている日本にも同じ運命が待っている。いや、それ以上に悪い状況へ陥るかもしれない。 アメリカやイギリスの支配層は20世紀の初頭から基本的に同じ戦略を推進してきた。その戦略をまとめ、1904年に公表したのがハルフォード・マッキンダー。西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」を、またその外側に「外部三日月地帯」を想定した。そのふたつの三日月地帯でハートランド、つまりロシアを締め上げて支配しようというのだ。 現在、アメリカの好戦派は東アジアから東南アジアにかけての地域で中国を軍事的に包囲する「東アジア版NATO」のようなものを構築しつつある。その枢軸として想定されているのが日本、フィリピン、ベトナムの3カ国で、そこに韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしている。 中国が食い込み、パイプラインを建設していたミャンマーは「民主化」でアメリカの支配下に入ったが、BRICSのインドは勿論、インドネシアやタイはアメリカと一線を画してきた。そのインドネシアやタイなどが「テロリスト」の攻撃を受けている。中国に接近していた韓国もアメリカに脅されたようだ。台湾の再属国化も狙っているだろう。「一帯一路(シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード)」を進める中国としては台湾関係の重要度はかつてほど大きくないが、中国に対する軍事的圧力を強めようとしていうアメリカにとっては大きな問題だ。 活発に動いているアメリカだが、国の力が弱まっていることが背景にある。社会システムを崩壊させ、生産を放棄したのだから当然。そのことを好戦派も理解できているようで、支配者としての立場を維持するためにプロパガンダ(洗脳)体制、監視システム、蜂起や暴動を鎮圧する能力などを強化してきた。そうした仕組みを動かすため、アメリカでは「愛国者法」(Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001/USA PATRIOT Act)が作成された。この法律が制定されてからアメリカでは憲法が麻痺、ファシズム化が進行中だ。 そのアメリカには憲法を無視してもかまわないと主張する法律家の集団が存在する。アメリカのエリート校として知られるエール大学、シカゴ大学、ハーバード大学の法学部に所属する法律家や学生が1982年に創設した「フェデラリスト・ソサエティー」がその集団で、議会に宣戦布告の権限があるとする憲法はアナクロニズムだと主張、プライバシー権などを制限、拡大してきた市民権を元に戻し、企業に対する政府の規制を緩和させるべきだとしてきた。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、司法省の法律顧問として「拷問」にゴーサインを出したジョン・ユーもフェデラリスト・ソサエティの熱心な活動家として知られている。 この集団の影響を受けたのか、安倍晋三政権は「民意」だけでなく、憲法を無視しているのだが、それに飽き足らないのか、憲法を改め、「国家緊急権」を導入しようという動きもある。「合法的クーデター」を認める憲法を作ろうとしている。 日本国憲法を変えろという要求はアメリカからのものだ。この憲法は日本が降伏した翌年、1946年11月3日に公布され、その翌年の5月3日に施行された。日本の侵略を受けたアジアの人びとだけでなく連合国の内部でも厳しい意見が渦巻き、侵略の象徴だった靖国神社を破壊し、最高責任者だった天皇の戦争責任を問うべきだとする人が少なくなかった。 そうした連合国の声が日本へ波及する前に「天皇制」を維持する憲法をアメリカの支配層は作ろうとしたのだろう。その第1条は次にように定めている:「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」 大戦の終盤、ドイツが降伏する前の月に反植民地、反ファシズムを掲げたフランクリン・ルーズベルト大統領が執務室で急死した。ウォール街のクーデター派にとっては願ってもない好運。その後、ニューディール派の力は急速に低下してルーズベルトと対立していたウォール街の代理人たちがホワイトハウスで主導権を握ってしまう。 本ブログでは何度も書いてきたが、ウォール街の支配者はルーズベルトが大統領に就任した直後、1933年から34年にかけてクーデターを計画している。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人、スメドリー・バトラー海兵隊少将、また同少将から話を聞いて取材したジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言している。 ふたりの証言によると、ウォール街のクーデター派はドイツのナチス、イタリアのファシスト党、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」などを参考にしていた。まず、新聞を利用して大統領を攻撃、50万名規模の組織を編成して圧力を加え、大統領をすげ替えようとしていたのだ。フレンチによると、「コミュニズムから国家を守るためにファシスト政府が必要だ」とクーデター派は主張していたという。こうした計画を阻止するため、バトラーはウォール街の大物たちに対し、クーデターにはカウンター・クーデターで対抗するので内戦を覚悟しろと通告した。 クーデター派の中心はJPモルガンだというが、この巨大金融機関は関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼った相手。それ以降、日本の政治経済に対して大きな影響力を持つようになり、最近の用語を使うならば、「新自由主義」を導入させて貧富の差は拡大、不況は深刻化して東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になった。 日本でJPモルガンと最も親しくしていたのは井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じて井上はJPモルガンに接近、浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めた。 その井上を1932年に血盟団が暗殺するが、その年にJPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこにあたるジョセフ・グルーが駐日大使として日本へやって来た。戦後、グルーは日本の民主化を止めて戦前回帰させたジャパン・ロビーの中心的存在でもある。一般に「知日派」と呼ばれているが、「疫病神」と言うべきだろう。 大戦後、1945年11月から46年10月にかけ、ドイツではニュルンベルクで「国際軍事裁判」が開かれたが、この当時、アメリカの支配層はナチスの残党や協力者の逃走を助け、保護、さらに雇用した「ブラッドストーン作戦」、またナチスの科学者を保護し、自分たちの研究開発に役立てようという「ペーパークリップ作戦」を実行していた。アメリカの戦時情報機関OSSのウィリアム・ドノバン長官や破壊活動を指揮していたアレン・ダレスのような人びとはナチスの幹部だったヘルマン・ゲーリングも助けようとしていたが、これは失敗、ゲーリング本人は服毒自殺している。 ホワイトハウスで主導権を握った親ファシズム派は日本国憲法の民主的な要素を排除しようと考え、改憲を要求しはじめる。そして2004年、リチャード・アーミテージは自民党の中川秀直らに対し、「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と伝えたという。アメリカの好戦派が日本に求めていることは一貫している。改憲の大きな目的は日本人をただ働きするアメリカの傭兵集団にすること。相手は中国とロシア。日本の戸籍を「アル・カイダ(データベース)」として機能させようとしているかもしれない。
2016.01.17
安倍晋三など好戦派が導入を目論んでいる「国家緊急権」とは「クーデター権」にほかならない。アメリカ支配層の傀儡である一部の「エリート」が全権を握るための仕組みで、アメリカで行われていることを真似したのだろう。 アメリカでは似た仕組みを使って憲法を麻痺させ、世界制覇を目指して侵略戦争を始めた。その準備は1980年代の前半から始まっているが、始動する引き金になったのは2001年9月11日の出来事。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省(ペンタゴン)が攻撃されたのだが、そのショックを利用し、攻撃と無関係なアフガニスタンとイラクを先制攻撃したのが始まりだ。 アメリカは1970年代の後半、ソ連と戦わせる目的でワッハーブ派で構成される戦闘集団を編成した。軍事訓練と武器/兵器の供給はアメリカが担当、司令官の人選はパキスタンの情報機関、資金はサウジアラビアが提供、イスラエルも協力していた。戦闘員の大半が信じているワッハーブ派という宗派はサウジアラビアの国教。そうしたプランを考えたのがズビグネフ・ブレジンスキーだ。1979年12月、ソ連軍はブレジンスキーの思惑通り、アフガニスタンへ侵攻してくる。 こうして養成された戦闘員のリストを「アル・カイダ(データベース)」と呼ぶのだと2005年7月に指摘したのは1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クック。なお、この事実を書いた翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡してしまった。享年59歳。 2001年9月11日以降、アル・カイダは「テロ」の象徴となり、国内のファシズム化と国外での軍事侵略を正当化する口実に使われることになった。そのアル・カイダ系武装集団LIFGとNATOが連携していることが発覚したのは2011年、リビアでムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された際。LIFGのリーダーがその事実を認め、カダフィが惨殺された直後にはベンガジの裁判所にアル・カイダの旗が掲げられ、その様子を撮影した映像がすぐにYouTubeにアップロードされた。イギリスのデイリー・メール紙などもその事実を伝えている。その後、新しい「タグ」としてIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)が登場してくる。 日米の支配層が国家緊急権を発動させたいと考えた場合、アル・カイダの仕組みを利用することも考えられる。傭兵を集め、「国家緊急事態」を演出できる。「9/11」のように都合良くクーデターの引き金になる出来事が起こるとは限らないが、そうした出来事を演出することは可能。柳条湖事件のように、偽旗作戦を実行するということだ。 柳条湖事件とは、中国侵略を正当化するため、日本が仕組んだ偽旗作戦。1931年9月、独立守備歩兵第2大隊第3中隊付きの河本末守中尉が部下6名を連れて柳条湖へ向かい、今田新太郎大尉が用意した爆弾を南満州鉄道の線路に仕掛けて爆破(音だけだったとの説もある)、その爆破音を合図にして第3中隊長の川島正大尉は部下を率いて中国軍を攻撃して「満州事変」を始めたのだ。その後、約4カ月で中国東北部を占領している。 日本のエリートが服従しているアメリカの支配層は他国を侵略し、自分たちに都合の良い体制へ作り替え、私腹を肥やしてきた。名誉勲章を2度授与された伝説的なアメリカ海兵隊の軍人、スメドリー・バトラーは1931年に退役した後、35年に『戦争は犯罪稼業』という本を出した。軍隊は支配層のために押し込み強盗を働き、用心棒として利権を守る存在だと主張しているが、全くその通りである。 バトラーは1898年に16歳で軍隊へ入るが、その半年後、同年7月にはキューバで任務に就いている。その年の2月にアメリカ海軍のメーン号がハバナ港で爆沈するのだが、それをスペインによる破壊活動だとアメリカ側は主張、4月に戦争を始め、キューバだけでなくプエルトリコ、グアム、フィリピンを手に入れた。今では自作自演説が有力だ。つまり侵略を正当化するための偽旗作戦だった可能性が高い。 バトラーが退役した翌年にはアメリカで大統領選挙があったのだが、大学を卒業してから鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、ウォール街を後ろ盾にしていたハーバート・フーバー大統領は再選されなかった。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。ルーズベルトは支配層の出身だが、巨大企業の活動を規制して労働者の権利を認めようとする一方、ファシズムや植民地に反対する姿勢を見せていた。 この選挙結果に衝撃を受けたウォール街の大物たちはクーデターを企てる。この事実はバトラー少将と彼ら過剰を得て取材していたジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言している。当然、その内容は公的な記録として残され、日本でも確認が可能だ。ルーズベルトは病気だと新聞を使って宣伝、在郷軍人会を動員して大統領の座から引きずり下ろしてファシズム政権を樹立させようとしていたという。 軍隊で人望の厚いバトラーを抱き込まなければクーデターは成功しないと巨大資本は判断、彼に接近するのだが、拒絶される。「ファシズムの臭いがする何かを支持する兵士を50万人集めるなら、私は50万人以上を集めて打ち負かす」とカウンター・クーデターを宣言、内戦を覚悟するように伝えた。1934年の議会証言でバトラーはこの事実を証言している。 このクーデターで中心的な役割を果たしたと言われているのがJPモルガン。その総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻の従兄弟であるジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として日本へ赴任している。グルーの妻、アリスは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代に日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)で大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后(九条節子)と親しい関係を築いたという。 グルーを駐日大使に任命したのはフーバーだったが、1933年にアメリカの大統領は政策が大きく違うルーズベルトへ交代する。状況がそのように変化したにもかかわらず、日本は中国侵略を進め、泥沼にはまり込んでいった。 しかし、この侵略戦争で日本の支配層が負けたとは言い難い。略奪した財宝は行方不明のままで、最高責任者だけでなく、特高警察や思想検察の人脈は戦後も生き残って要職につき、新聞の責任も問われなかった。少なからぬ軍人や特務機関員がアメリカの下で働き始めている。 日本が略奪した財宝は第2次世界大戦後、アメリカの一部支配層が回収したと見られている。「ナチ・ゴールド」と同じ構図だ。それに対し、侵略を受けたソ連や中国は疲弊、惨勝とも表現された。アメリカの支配層が戦争で甘い汁を吸ったことは間違いないが、おそらく、戦争に懲りていない日本の「エリート」も少なくない。その子ども、孫の世代になると、欲望だけが残っているようだ。そして「国家緊急権」が出て来た。
2016.01.16
1月14日、インドネシアの首都ジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があり、攻撃グループの5名を含む7名が死亡したという。IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)が攻撃を認めているようだ。 このISは傭兵の集まりで、多くの戦闘員はワッハーブ派/サラフ主義者、つまりサウジアラビア王室の強い影響下にある人びと。少し前のデータだが、シリアで戦っている傭兵の41%はサウジアラビア人、19%がリビア人、シリア人は8%にすぎない。そのほかチェチェンなどからも参加、インドネシアからは最近数年間で約700名がシリアへ渡り、ISなどの戦闘集団へ参加していると言われている。 インドネシアではこの手の爆破事件がしばしば引き起こされてきたが、その背景を知るには1965年までさかのぼる必要があるだろう。この年の9月30日に小規模な若手将校グループが6名の将軍を殺害してジャカルタの主要箇所を占拠、その反乱をスハルト将軍を中心とする部隊が制圧、コミュニストと見なされた人びとが虐殺されていく。犠牲になった人数は30万から100万人と推計されている。 1945年にインドネシアが独立を宣言して以来、大統領を務めていたのはスカルノ。この事件当時も大統領はスカルノだったが、アメリカの支配層には敵視されていた。スカルノのほか、インドのネルー、ユーゴスラビアのチトー、エジプトのナセルらの提唱で1961年にユーゴスラビアのベオグラードで「非同盟諸国首脳会議」が開かれ、植民地主義の清算と冷戦への不関与を打ち出したことが大きい。 その当時、アメリカではウォール街の勢力がフランクリン・ルーズベルト時代の植民地に反対する政策を転換させつつあったが、新たな障害としてジョン・F・ケネディ大統領が登場していた。ケネディは植民地主義に反対、巨大企業の活動を制限し、ソ連との平和共存への道を歩もうとしていた。ケネディ大統領は非同盟主義に近い立場だったと言える。 必然的にケネディ大統領や非同盟諸国はアメリカなど西側の巨大資本と対立することになった。本ブログでは何度も紹介しているように、当時、アメリカの好戦派はソ連に対する先制核攻撃の準備を進めている。それほど彼らはソ連を憎悪していた。 ケネディ大統領の反対もあってソ連に対する先制核攻撃は実行できなかったが、1963年11月22日にそのケネディ大統領が暗殺される。そして1965年9月30日の事件だ。その後、コミュニストと見なされた30万とも100万人とも言われる人が殺されたわけだが、この事実だけでもコミュニストがクーデターを計画していなかったことを示している。計画していたなら内乱になっていたはず。実際は一方的な虐殺だった。「9月30日事件」は「クーデター未遂」でなく、アメリカの巨大資本やその手先が実行した「クーデター」だったと見るべきだろう。 インドネシアを独立させようとしていたスカルノは1955年の総選挙と57年の地方選挙で勝利、その際にコミュニストも勢力を伸ばした。この選挙ではアメリカがスカルノを中傷するプロパガンダを展開したが無駄で、そしてスカルノ政権は外国資産の国有化を始める。 プロパガンダが機能しなかったため、アメリカ支配層はCIAを使って暴力的に体制を転覆させようとする。1957年から沖縄、フィリピン、台湾、シンガポールなどで戦闘員を訓練、兵站基地も設置した。そして1958年、スカルノが日本を訪問しているときにインドネシアで最初の蜂起が決行される。反乱グループの中心は旧貴族階級と地主で、スマトラ島を拠点としていたインドネシア軍の将校が参加していた。この蜂起は失敗、そして非同盟諸国会議につながる。 それに対し、アメリカ支配層は自分たちの手先を育成していく。例えば、フォード財団は貴族階級出身のインドネシア人をアメリカの大学に留学させて訓練、育成された「近代的エリート」は、後に「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれているようになる。1965年9月30日以降、こうしたグループが反対勢力の殺戮でも中心的な役割を演じるが、その際、イスラム教徒もアメリカ支配層の側についている。インドネシアには、イタリアのグラディオのように、アメリカ支配層が破壊活動のネットワークを張り巡らせている。 クーデターの2年後、息子を連れてインドネシアへ渡ったアメリカ人女性がいた。学生時代に結婚したインドネシア人男性は1966年に帰国、スハルト派について活動したと言われている。その男性と再婚した女性は大学を卒業してから太平洋を渡ったわけである。女性はインドネシアでUSAIDやフォード財団の仕事をする。 本ブログでは何度も書いているように、USAIDはCIAと緊密な関係にある。その女性の名前はアン・ダンハム。オバマ大統領の実母だ。インドネシア人男性は養父ということになる。 こうして築いた支配システムをアメリカの支配層が放棄するとは思えない。今でも生きているだろう。しかも、今回の爆破事件で声明を出したISはアメリカ支配層と深く結びついている。ISはアル・カイダ系武装集団から派生、アル・カイダはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルを意味している。 CIAはソ連軍と戦わせるために戦闘員を育成した。この工作を考えたのはズビグネフ・ブレジンスキー。1979年7月にジミー・カーター大統領はアフガニスタンの武装勢力に対する秘密支援を承認している。当時、ブレジンスキーは大統領補佐官という肩書きだったが、立場はブレジンスキーが上。デイビッド・ロックフェラーとブレジンスキーがカーターに目をつけ、大統領にしたのだ。ブレジンスキーの指示でカーター大統領は動いていた。 この武装勢力に参加していた戦闘員の大半はワッハーブ派/サラフ主義者。軍事訓練と武器/兵器の供給はアメリカが担当、資金を提供していたのはサウジアラビア。イスラエルやパキスタンも協力していた。この構図の一部は「イラン・コントラ事件」という形で1980年代に発覚している。 今回のインドネシアでの爆破はアメリカ支配層からのメッセージ、中国との関係を断ち、アメリカが行っている対中国戦争へ参加しろという脅しだと考える人もいる。その推測が正しいかどうかはともかく、東南アジアでの破壊活動に中国政府は強く警戒しているだろう。 それだけでなく、中国には新疆ウイグル自治区の問題もある。トルコの情報機関MITの手引きで、新疆ウイグル自治区からカンボジアやインドネシアを経由してシリアへ入っているとも言われ、中国の国内で戦闘を始めようと目論んでいる可能性は高い。その黒幕はアメリカの好戦派だ。中国での工作はCIA東京支局から指示が出ていると見られている。 アメリカ好戦派の思惑通り、シリアでバシャール・アル・アサド体制が倒れてワッハーブ派が支配するようになれば、中東/北アフリカの広い地域がリビアのようになり、戦闘員は出身国へ戻り、戦乱は世界へ拡がる。ロシア軍が乗り出した最大の理由はそこにある。ロシア軍の攻撃に耐えられず、逃げ出す場合とは脅威の次元が違う。
2016.01.15
1月12日にバラク・オバマ米大統領は最後の一般教書演説を行った。自分の業績を自画自賛するものだったが、嘘の羅列で、その中から真実を探し出すことは難しい。 その演説が行われる数時間前、ペルシャ湾でイラン領海へ侵入したアメリカ軍の艦船に乗っていた10名のアメリカ兵をイラン軍が拘束した。兵士が携帯していたGPSで領海の侵犯は確認されたが、ミスだったとしてすぐに解放されている。この出来事のため、オバマ大統領の演説は影が薄くなった。 領海を侵犯した艦船を拿捕、乗組員を拘束したことをアメリカのメディアは非難、共和党の大統領候補でイラン・コントラ事件にも関係していたジェブ・ブッシュはオバマを弱腰だと攻撃したという。 昨年11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機が領空を侵犯したわけでないロシア軍のSu-24爆撃機を待ち伏せ攻撃で撃墜したが、そのときにアメリカの政府やメディアはトルコの肩を持った。今回、イラン軍は領海を侵犯したアメリカの艦船を拿捕、アメリカからの攻撃にそなえてミサイルをアメリカ軍の空母に向けて発射する態勢に入ったようだが、発射した場合に文句を言う権利をアメリカは放棄していたことになる。 昔からアメリカのメディアは支配層のプロパガンダ機関にすぎず、第2次世界大戦後にはモッキンバードという情報操作プロジェクトが存在していたことは本ブログで何度も書いた通り。そのプロジェクトで中心的な役割を果たしたひとりはワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハム。 フィリップの死後、社主を引き継いだのは妻のキャサリン。世界銀行の初代総裁、ユージン・メイアーの娘で、ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを辞任に追い込んだことで知られている。日本では「言論」の象徴であるかのように言われているが、彼女は1988年にCIAの新人に対して次のように語ったと言われている: 「我々は汚く危険な世界に生きている。一般大衆の知る必要がなく、知ってはならない情報がある。政府が合法的に秘密を維持することができ、新聞が知っている事実のうち何を報道するかを決めることができるとき、民主主義が花開くと私は信じている。」 ウォーターゲート事件を追いかけいたのはふたりの若手記者、つまりボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインだ。ウッドワードはエール大学の出身で、1965年に卒業してから海軍へ入り、69年から70年にかけてトーマス・モーラー海軍作戦部長(後に統合参謀本部議長)とアレキサンダー・ヘイグとの連絡係を務めていた。当時、ヘイグはヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官の軍事顧問だった。 ウッドワードがワシントン・ポスト紙の記者になるのは1971年。その際、元海軍長官で同紙のポール・イグナチウス社長の口添えがあったという。つまりコネ入社。1年間の編集を経て記者になるが、その時に上司だったベンジャミン・ブラドリーは大戦中、海軍情報部に所属していた ウォーターゲート事件では「ディープ・スロート」なる情報源が登場する。その情報源とつながっていたのはウッドワードだが、実際の取材はバーンスタインが行ったと言われている。そのバーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞めた。 その直後、彼はローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書き、CIAとジャーナリズムの世界との関係を暴露する。それによると、まだメディアの統制が今ほど厳しくなかった当時でも400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) こうした背景を持つアメリカの有力メディアは軍事的な緊張を高める方向へ世論を誘導しようとしてきた。ネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの好戦派、つまり安倍晋三政権が服従している勢力は外交が嫌いで、全てを軍事力で解決しようとしている。イランの問題も例外ではない。オバマ大統領がイランと話し合いで核問題を解決しようとする方向へ舵を切って以来、好戦派はその流れを変えようとしてきた。 イランを敵視、アメリカ軍を使って破壊しようと目論んできたのはネオコン以外にも存在する。イスラエル、サウジアラビア、トルコなどだ。このうちサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド国王とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が会談した数日後、1月2日にサウジアラビアは同国でシーア派の指導的立場にあったニムル・バキル・アル・ニムル師を処刑してシーア派を挑発した。 処刑の後、シーア派の信徒は各地で抗議活動を展開し、イランの首都テヘランのサウジアラビア大使館やメシェドのサウジアラビア領事館へは数十本の火炎瓶が投げ込まれる。建物の一部が焼失する事態に発展、サウジアラビア外相はイランとの外交関係の断絶を宣言したが、イラン政府の対応は冷静で、挑発には乗っていない。 こうした流れの中、アメリカ軍の艦船は「絶妙のタイミング」イランの領海を侵犯したと言える。今後、軍事的な緊張を高めるショッキングな出来事が「偶然」、どこかで引き起こされるかもしれない。
2016.01.14
かつて日本は石油を求めて戦線を拡大させ、事態を悪化させていった。似たようなことが中東/北アフリカ、さらに東アジアでも展開されている。その主体はアメリカ(ネオコン/シオニスト)、サウジアラビア、トルコなど。そうした動きの中へ日本を導こうとしているのが安倍晋三政権と彼らを操っている勢力、つまりアメリカの好戦派だ。現在、そうした目論見に抵抗できない仕組みが築き上げられようとしている。 そうした地域には戦略的に重要な場所がいくつかあるが、今、サウジアラビアに攻撃されているイエメンの対岸、ソマリアの隣にあるジブチ、あるいは南スーダンもそうした場所だ。ジブチへ日本政府は約47億円をかけて拠点基地を2011年に建設、南スーダンには陸上自衛隊・中央即応集団を派遣した。どす黒い欲望が渦巻き、血まみれの地域へ日本政府は自衛隊員を送り込んだということである。 アラビア海から地中海へ移動しようとした場合、通常、喜望峰を回ることはない。アラビア海からアデン湾へ入り、紅海を経由してスエズ運河を通過するのが普通だが、そのためにはジブチとイエメンにはさまれたバブ・エル・マンデブ海峡を通過しなければならない。この海峡は狭く、容易に封鎖できる。つまり、ジブチもイエメンも戦略的に重要な場所にあるということだ。 ジブチは小さい国だが、それだけ重要な場所にあるため、欧米諸国が小さい国を作って確実に支配しようとしたと考えることができる。そのジブチには自衛隊だけでなく、アメリカ軍も駐留している。JCTF(統合連合機動部隊)約1800名で、無人機の基地もあり、偵察だけでなく攻撃も実行されている。 ジブチの隣国、ソマリアも重要な場所にあり、この2カ国とエリトリアには「アフリカの角」という名前がつけられている。アメリカの支配層としては自立させられない。そのソマリアでCIAが秘密工作を実行する際、その工作資金はJCTFを経由して供給されるようだ。現在、サウジアラビアがイエメンを攻撃している理由もこうした地理上の問題が関係しているだろう。 南スーダンで戦闘が始まった大きな理由も石油にある。アメリカの巨大な石油会社シェブロンが1974年に現在のスーダンと南スーダンの国境周辺で油田を発見、南スーダンにあたる地域でSPLM(スーダン人民解放軍)が反政府活動を開始する。SPLMを率いていたジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にある特殊部隊の本拠地、フォート・ベニングで訓練を受けた人物だ。 内戦は1983年から2005年まで続くのだが、その途中、1990年代の終盤になるとスーダンでは自国の石油企業が成長してアメリカの石油企業は利権を失っていき、中国やインドなど新たな国々が影響力を拡大し始めていく。 そうした状況の中、アメリカでは2001年1月にネオコン/シオニストに担がれたジョージ・W・ブッシュが大統領に就任する。この年の9月11日にニューヨークの世界貿易センター、ワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて間もなく、この事件と無関係なイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃するというプランをドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺が作成する。 ブッシュ・ジュニア政権はイギリスやノルウェーと手を組み、スーダンの南部を拠点にしていたSPLMとスーダン政府を停戦させ、油田地帯は両者で分け合う形になった。南部は南スーダンと呼ばれるようになり、2011年7月に独立する。 その一方、スーダン西部にあるダルフールでも資源をめぐる戦闘が2003年から激しくなる。当初、欧米の国々は南スーダンの石油利権に集中、ダルフールの殺戮を無視していたが、ネオコンはダルフールへ積極的に介入した。その資源に目をつけた隣国チャドの政府が反スーダン政府のJEM(正義と平等運動)へ武器を供給したことも戦闘を激化させる一因になった。チャドの背後にはイスラエルが存在していると生前、リビアのムアンマル・アル・カダフィは主張していた。 そのカダフィ体制を倒すためのプロジェクトをアメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、カタールなどが始めたのは2011年2月のこと。アフリカを統合して欧米の宗主国を排除して自立しようと呼びかけていたカダフィは欧米支配層にとって目障りな存在だったが、その年の10月には惨殺された。それ以降、リビアは暴力が支配する破綻国家になり、現在はIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)が勢力を拡大させている。アフリカ大陸をアメリカが支配するため、2007年に組織されたのがAFRICOM(アフリカ統合軍)。司令部をアフリカにおけず、ドイツにおいた。 西側支配層は利権の独占を臨んでいる。1992年にネオコンがDPGの草案として作成した世界制覇プランの前提はアメリカが「唯一の超大国」になり、アメリカに逆らえる国は存在しないということ。中東やアフリカの資源を支配するだけでなく、中国、そして大資源国のロシアを完全に植民地化しようとしたのだが、ウラジミル・プーチンを中心とするグループがロシアを再独立させたことで全てのプランが狂っている。 それにもかかわらず、そのプランに執着している西側支配層へ従属することで自らの地位と富を確保しようと目論んでいるのが日本の「エリート」。ジブチや南スーダンへ自衛隊を派遣することは人的な意味においても、戦略的な意味においても危険な行為だが、安倍政権はそれ以上に危ういことを東アジアで行い、日本を破滅させようとしている。
2016.01.13
日米欧の大手メディアが報道の自由を放棄、偽情報を垂れ流して世界を戦争へと導いていることは本ブログで何度も書いてきた。こうしたことは事実の関心を持つ人びとの常識だろうが、事実ではなくドグマの世界にどっぷり浸かっているような人びとはアメリカ支配層を中心とする勢力のプロパガンダに踊らされている。西側の宣伝は「リベラル派」や「革新勢力」のドグマを利用しているので、こうした勢力も好戦的な雰囲気を高める上で重要な役割を果たしている。 最近ではシリアのマダヤをめぐる情報が話題になっている。昨年9月30日にロシア軍が空爆を始めてからシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために外部から侵入してきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)は劣勢で、マダヤにいた約1000名の侵略軍は政府軍に包囲されてしまった。住民を人質にして攻撃を防ぎ、生活物資の搬入を拒否して飢餓を演出、包囲を解かせようとしている。 そうした中、飢餓に苦しむシリアの子どもと称する写真をアメリカのCNN、イギリスのBBC、サウジアラビアのアル・アラビア、カタールのアル・ジャジーラなどが報道したのだが、そこに登場した少女はレバノンに住んでいて、「マリャナ」という名前だということが判明した。また偽情報だったのだが、アル・カイダ系武装集団は武器弾薬もあり、飢餓に苦しんではいないようだ。 イギリスでは19世紀から新聞を情報操作の道具として支配層が使っていた。例えば、タイムズ紙は一般に「エリート」と見なされている人びとを操るため、デイリー・メールなどはセンセーショナルな記事で「騙されやすい人びと」を操るための道具だったという。 第2次世界大戦後、アメリカでは情報操作を目的としたプロジェクトが実行された。一般に「モッキンバード」と呼ばれ、その中心人物はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムだ。ダレスは戦時情報機関のOSSで破壊活動を指揮、ウィズナーはダレスの側近で、ふたりともウォール街の弁護士。ヘルムズもダレスの側近で、祖父のゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家。グラハムはワシントン・ポスト紙の社主で、義理の父にあたるユージン・メイアーは世界銀行の初代総裁。 このワシントン・ポスト紙を「言論の自由」の象徴として崇めている人が日本には少なくない。ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだためだろう。その事件を追いかけた記者はボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインだが、実際の調査はバーンスタインが行った。そのバーンスタインは1977年にワシントン/ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に載せている。それによると、巨大資本による支配が今ほど進んでいなかった当時でも400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、ニューヨーク・タイムズ紙の場合は1950年から66年にかけて、少なくとも10名のCIAエージェントに架空の肩書きを提供していた。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 巨大資本による支配が進む1980年代以降、状況はさらに悪化、2003年にアメリカが主導する連合軍がイラクを先制攻撃したころには壊滅的な状況だった。「報道の自由が侵されている」という生やさしい話ではない。アメリカの有力メディアに多少でも関わったことのある人なら、こうした状況と真正面から向き合う必要がある。今でも西側メディアのプロパガンダを垂れ流している人は破壊と殺戮の共犯者だ。
2016.01.12
サウジアラビアとトルコが迷走しはじめている。この2カ国はアメリカやイスラエルとも手を組み、中東/北アフリカの支配構図を自分たちに都合良く書き換えようとしたのだが、ロシア軍が空爆を始めて以降、その目論見は崩れ始めた。当初の計画を放棄しない限り、サウジアラビアやトルコの現体制は崩壊、イスラエルも揺らぐことになる。アメリカも大きなダメージを受けるだろう。 四半世紀前、アメリカ軍を使って中東/北アフリカの支配構図を変えようと考えたのはアメリカのネオコン/シオニスト。ネオコンの中核グループに属しているポール・ウォルフォウィッツは1991年にイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると語ったとウェズリー・クラーク米陸軍大将は明らかにしている。当時、ウォルフォウィッツは国防次官だった。 2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュの書いた記事によると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したという。実行部隊としてサウジアラビアと緊密な関係にあるムスリム同胞団とワッハーブ派/サラフ主義者が想定されるのは当然だ。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書は、反シリア政府軍の主力をサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、その反政府軍を西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコが支援しているとしている。AQIはシリアで活動するときはアル・ヌスラという名前を使っているとも説明、バラク・オバマ政権の「穏健派」を支援するという政策を進めれば、こうした集団の勢力を拡大させることになり、シリア東部にワッハーブ派/サラフ主義者の支配地を生み出すことになると警告していた。その警告をアメリカ政府は無視したのだ。この警告をした当時のDIA局長、マイケル・フリン中将はオバマ政権の決めた政策がISの勢力を拡大させたとしている。 アメリカなどNATO諸国、サウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエルの政府はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すため、ワッハーブ派/サラフ主義者を利用してきたのだが、ロシア軍はそうした勢力を本当に攻撃、状況を変えた。 ロシアはネオコンが始めた世界制覇プロジェクトの前に立ちはだかり、サウジアラビアやトルコの野望を打ち砕こうとしている。そのロシアを攻撃するため、サウジアラビアはアメリカと組んで原油相場を引き下げ、産油国ロシアを追い込もうとしたと言われているのだが、その相場下落で現在、サウジアラビアが窮地に陥っている。 支配体制が揺らぎ始めたのだが、そこでサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド国王はトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と会談、その数日後、1月2日にシーア派の指導的立場にあったニムル・バキル・アル・ニムル師をサウジアラビアは処刑してシーア派を挑発する。 ニムル師は自由選挙を求め、サウジアラビアにおけるシーア派の権利が尊重されないならば、東部地域を分離すべきだとも主張していた。東部地域にはシーア派が多く住んでいるのだが、そこは油田地帯でもある。シーア派に武装蜂起させ、そこを制圧して油田支配を確かなものにしようとしたとする見方もある。イランとサウジアラビアが戦争を始めればアメリカ/NATOも巻き込まれることになり、イスラエルやネオコンの願いが実現することにもなるが、そうなると世界は大混乱だろう。サウジアラビアやトルコの現支配層は切り捨てられる可能性がある。
2016.01.11
未だに「SOHR(シリア人権監視所)」を「人権団体」と位置づけ、有り難がっている人もいるようだ。この団体は2006年に創設され、背後にはCIAのほか、アメリカの反民主主義的な情報活動を内部告発したエドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトン、またプロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在していると指摘されている。「人権」という文字を含む名前の団体だからといって、人権を尊重しているとは言えない。 内部告発を支援しているWikiLeaksが公表した文書によると、SOHRが創設された頃からアメリカ国務省の「中東共同構想」はロサンゼルスを拠点とするNPOの「民主主義会議」を通じてシリアの反政府派へ資金を提供している。2005年から10年にかけて1200万ドルに達したようだ。 この時期に秘密工作が始められたことを調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で明らかにしている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたというのだ。AQIを中心としてISI(イラクのイスラム首長国/後のIS)と呼ばれる武装集団が組織されたのはその前年、2006年のこと。 奴隷制国家のサウジアラビアはワッハーブ派/サラフ主義者の国でもある。ワッハーブ派はスンニ派の一部とされているが、その残虐性は特殊で、違う宗派だと考えるべきだろう。アル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)の戦闘員は多くがワッハーブ派だ。 2012年8月、アメリカ軍の情報機関DIAは、反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると報告した。この報告書によると、2011年3月にシリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍を支援、アル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したという。ムスリム同胞団がワッハーブ派の強い影響を受けていることは本ブログで何度か指摘した。 サウジアラビアではシーア派が弾圧されている。シーア派を「賤民」扱いすることで支配システムを安定化しようとしているのかもしれないが、そのシーア派には平和主義に徹した抵抗運動を続ける指導者がいた。ニムル・バキル・アル・ニムル師だ。 この指導者をサウジアラビアは不公正な裁判で処刑しようとしていると12月3日付けのアメリカ版アル・ジャジーラは伝えたのだが、その本社は記事をアメリカ以外で読めないようにブロックした。本ブログでは何度も書いてきたが、アル・ジャジーラはカタール王室が所有、その意向に反する報道はできない。人権弾圧の口実に「テロリズム」を使っているとは伝えられないのだろう。この段階でイスラム諸国にこの話が伝わったなら、処刑が困難になった可能性もある。 中東/北アフリカでアル・カイダ系武装集団やISを使った体制転覆プロジェクトをカタールはサウジアラビア、アメリカなどNATO加盟国、イスラエルと推進してきた。サウジアラビアの人権弾圧を伝えることは「国策」に反するということだ。同じことは西側のメディアでも言えるが。
2016.01.11
韓国の上空をアメリカ空軍の戦略爆撃機B-52が飛行、朝鮮を威嚇した。グアムのアンダーソン空軍基地から飛来したもので、1月6日に朝鮮中央テレビが「初の水爆実験に成功した」と発表したことを受けてのことだと見られている。B-52は昨年11月12日に南沙群島で中国が飛行場を建設中の島から12海里以内を飛行して中国を刺激している。間違いということになっているようだが、実際は意図的な飛行だろう。 ネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの好戦派は話し合いを嫌う。2014年2月にネオコンはウクライナでネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を利用したクーデターを成功させ、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領の排除に成功した。そこまでの過程で話し合いによる解決をEUは模索していたのだが、それに対し、ネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補は「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という表現を使って不満をぶつけている。暴力的に倒すべきだと考えていたわけだ。 イランの核問題を話し合いで解決する流れもネオコンは不満のようだが、サウジアラビア王室がシーア派のニムル・バキル・アル・ニムル師を1月2日に処刑したことで不穏な空気が漂い始めたのを見てニンマリとほくそ笑んでいることだろう。その後、イランはサウジアラビアがイエメンのイラン大使館を攻撃したと非難、両国の関係は急速に悪化している。イエメンでサウジアラビアは苦戦、クラスター爆弾を使ったと批判されている。 前にも書いたことだが、ニムル師を処刑する数日前、サウジアラビアのサルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド国王はトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と会談しているので、ここにきて追い詰められている両国が連携して軍事的な緊張を高めていることは確かだろう。ネオコンもこうした動きに反対ではないはず。 これも繰り返し書いてきたが、アメリカには朝鮮を攻撃する作戦が存在している。安倍晋三政権はその作戦に参加するつもりだろう。戦争になれば日本も攻撃されるということを忘れてはならない。先制核攻撃が成功しても、反撃はある。
2016.01.10
年明け後、世界的に株式相場が大きく値下がりしている。日本の場合、12月9日に下降相場入りが決定的になり、中旬には強引に株価を引き上げようとする痕跡もあるが、無駄だったようだ。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)やETF(上場投資信託)で買い上がろうという安倍晋三政権の仕手戦は破綻したと言えるかもしれない。 相場の動きを見ると、アメリカでは12月29日に17720.98だったダウ工業株30種平均が1月8日には16346.45、つまり1374.53下落。日経平均は12月1日に20012.40だったものが12月30日に19033.71、1月8日には17697.96。12月1日から2314.44、12月30日からでも1335.75の値下がりということになる。 相場が大きく動くとマスコミは理由をもっともらしく語るが、証券会社なり銀行なり商社なり、その相場に関係した仕事をしている企業からレクチャーを受け、それを垂れ流しているだけ。政府の意向に従い、企業にとって都合良く作られたストーリーにすぎない。資金の流れを決めた本当の理由は自分で考えるしかない。 配当を期待して株式を購入するという教科書的な前提に立てば業績や景気と株価は連動するということになるが、投機家は値上がりを期待して買っている。配当期待で買っている人は多くないだろう。日本では昔から「不景気の株高」ということわざがあるが、これは実際の生産活動が低迷、資金を流す先が株式市場しかないという状況で相場が上昇するからだ。アメリカ支配層は戦争の道具としても相場操縦を利用している。 相場との関係はともかく、ドルを基軸通貨とする仕組みが崩壊しはじめ、世界規模で経済システムが大きく揺れ動いていることは確かだ。アメリカの支配層は自分たちの欲望を満たすために社会システムを破壊、生産能力も放棄してしまった。社会の基盤を作る教育の仕組みも壊されたが、それでも支配層は満足できないようで、さらなる破壊を目論んでいる。要するに、日本やアメリカは破綻国家に向かって驀進中。そうした実態を庶民は肌で感じているはずだが、マスコミが写し出す幻影に惑わされて危機感はないようだ。 庶民を騙すため、「失業率」が使われることもある。さまざまの条件をつけ、例えば就職を諦めた人を失業者にカウントせず、率を低く見せるのは常套手段。やむなくアルバイトなどで糊塗しても失業者ではなくなる。就業者数が増えたと宣伝しているので中身を見ると、生産活動とは関係のない低賃金のサービス業ということだったりする。こうしたことは多くの人から指摘されてきたが、マスコミは触れたがらないようだ。そうしたアメリカを支えているのは基軸通貨を発行する特権と軍事力だ。 現在、ロシアや中国はドル離れを明確にしているが、そうした動きは以前からあった。例えば、イラクのサダム・フセイン政権は2000年に石油取引をドルからユーロに変更する姿勢を見せ、その2年後にはマレーシアの首相だったマハティール・ビン・モハマドが金貨ディナールを提唱、リビアのムアンマル・アル・カダフィはアフリカを自立させるために金貨ディナールをアフリカの基軸通貨にし、石油取引の決済に使おうとしていた。ちなみに、アメリカがリビアを攻撃した理由は保有する金143トンと石油利権だったことを暗示するヒラリー・クリントン宛ての電子メールが公表されている。 リチャード・ニクソン大統領は1971年にドルと金の交換を停止すると発表、ドルを基軸通貨の地位から陥落させないため、産油国に石油取引の決済をドルにするように要求した。集まったドルでアメリカの財務省証券や高額兵器を買わせ、だぶついたドルを還流させようとしたのだ。これがペトロダラーの仕組み。一種のマルチ商法だ。 その代償としてニクソン政権がサウジアラビアなど産油国に提示したのは、油田地帯だけでなく国の軍事的な保護、必要とする武器の売却、国を支配している人びとの地位を永久に保障するというもの。サウジアラビアとはこうした協定を1974年に結んだという。 そのサウジアラビアが財政赤字で危機的な状況だ。最大の原因は原油価格の大幅な値下がり。アメリカと手を組み、シリアやイランの後ろ盾になっているロシアにダメージを与えるために自らが仕掛けたとも言われている。技術的に生産を止められなくなっているとする説もあるが、いずれにしろ、石油相場の下落が自らの首を絞めることになった。この相場下落はアメリカのシェール・ガス/オイル業界も揺るがしている。 債券を発行し、緊縮財政に乗り出すらしいが、生活費の補助が打ち切られたならば、街に溢れる失業者がこれまでと同じように従順でいる保証はない。保有する株式や債券を売却することにもなるはずで、強烈な売り圧力になる。昨年後半から指摘されていたような展開になっている。 それだけでなく、昨年11月にロシアのエネルギー相は新しいロシア石油の指標を試験的に取り引きすると発表した。ペトロダラーの協定に拘束されない大産油国が独自の取り引きを始めるというわけで、ドル体制を揺るがす要因になるだろう。 日銀の黒田東彦総裁が推進してきた「量的・質的金融緩和(異次元金融緩和)」は金融/投機市場へ大量の資金を流し込む政策であり、アメリカのマルチ商法が破綻するのを引き延ばしてきたが、限界はある。破綻したとき、日本は大きな損害を受けることになるだろう。安倍晋三政権は日本人を地獄へ突き落とすことになる。株式相場の下落はその兆候かもしれない。
2016.01.10
イラクでアメリカに対する不満が高まっている。シリアでロシア軍の空爆がアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)の司令部や兵器庫だけでなく資金源になっている盗掘石油の関連施設や燃料輸送車を破壊、大きなダメージを与えているが、その事実がそうした気持ちを強めているようだ。 ロシア軍の効率的な攻撃にアメリカ軍も刺激を受けているようだが、最優先事項がシリアからバシャール・アル・アサドを追放することにあるアメリカとしては、本気でアル・カイダ系武装集団やISを攻撃できない。イラクでも事情は同じだ。 現在、アメリカはバグダッドの北にあるサラーフッディーン県やキルクーク県で活発に動いているが、その内容が問題になっている。アメリカ軍機が何らかの物資をISへ投下しているところを目撃されているのだが、その中に兵器も含まれていることが確認されてきた。 イラクの北部を支配しているクルド系の武装集団をイスラエルが支援してきたことは知られているが、そのイスラエル軍のユシ・オウレン・シャハク大佐が昨年10月、ISと行動を共にしていたところを拘束されている。シリアでも反政府軍の幹部と会っていたイスラエルの准将が殺されている。空爆でシリア軍を攻撃したりISの負傷者を治療するだけではないということだ。 すでにイラクはシリア、イラン、そしてロシアとISに関する情報を共有するため、バグダッドに統合調整本部を設置、ハイデル・アル・アバディ首相は同国もロシアに空爆を頼みたいという意思を10月初めに見せたが、アメリカに妨害されている。昨年10月20日にジョセフ・ダンフォード米JCS(統合参謀本部)議長がイラクへ乗り込んだが、そこでロシアへ支援要請をするなと恫喝したと見られている。 そのダンフォード議長が再びイラクを訪れ、イラク駐在アメリカ大使のスチュアート・ジョーンズと一緒にアル・アバディ首相と会談した。その直前、アメリカはミサイルなど8億ドル相当の兵器をイラクへ売却することを許可、イラク軍を支援する約束をしているのだが、ISへの支援を止める気配はない。 以前にも本ブログで紹介したように、アメリカ軍はISを攻撃する際には部隊の選定や攻撃の日時まで指定、イラクの対テロ、情報、治安の責任者はアメリカ側の意思で決められているという。本気でISと戦う意思のある部隊は排除されているのが実態のようだ。 そのひとつの結果がラマディをイラク政府側が奪還した際に見られた。昨年12月28日にイラク政府がラマディの奪還を宣言したが、攻撃の数日前には存在していた約2000名の戦闘員が制圧したときには消えていたのだ。市内には死体がいくつかあるだけで蛻の殻だった。アンバール県ではラマディやファルージャへの攻撃をアメリカ軍は遅らせ、ISの幹部をヘリコプターで救出したと疑う人もいる。
2016.01.08
朝鮮中央テレビは1月6日、朝鮮が初の水爆実験に成功したと発表した。その直前、豊溪里の核実験場の近くを震央とするマグニチュード5.1の地震が観測されている。人工的な原因で発生したと見られ、核実験が疑われていた。 ただ、水爆としては規模が小さい。水爆の爆破実験を成功させたという朝鮮政府の発表が正しいならば、小型水爆ということになり、製造に必要とされる技術水準はきわめて高いということになる。これまでの流れから考えるならば、国外、つまりアメリカ、ロシア、あるいはイスラエルから技術を持ち込んだとしか考えられない。そこで、水爆ではない可能性があるという判断につながるわけだ。韓国の国家情報院もそう考えているという。 朝鮮半島に石油/天然ガスのパイプラインを建設したいロシア、隣国で戦争が始まることを阻止したい中国、この両国にとって朝鮮の攻撃的な言動は迷惑だろうが、アメリカや韓国の好戦派から圧力を受けている朝鮮としては虚勢を張りたくもなるのだろう。 ちなみに、ロシア政府はエネルギーを外交戦略に使っている。そのエネルギー源である石油や天然ガスを東アジアへ運ぶパイプラインの建設を計画、4年ほど前から朝鮮に接近していた。計画を実現するため、ロシアは朝鮮に持っている債権の90%(約100億ドル)を帳消しにし、新たに10億ドルの投資をすると提案している。朝鮮にしても経済発展の起爆剤になりえる提案で、戦争をしたい状況ではない。 朝鮮戦争の記憶を朝鮮の国民も覚えているはずで、恐らく、戦争はしたくないはずだ。1950年6月25日に戦争は勃発したことになっているが、それより前から38度線の付近では1日に何度も軍事衝突が起こっていて、緊張は極度に高まっていた。「開戦」の2日前から、韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州を占領、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだった。日本では「右」も「左」も「保守」も「革新」も朝鮮が攻撃を始めたことにしているのだが、それはアメリカやその周辺国が主張しているだけのことだ。 その辺の経緯はともかく、日本の都市で住民を焼夷弾や原爆で虐殺したカーチス・ルメイが朝鮮戦争にも登場、大規模な空爆を実施している。アメリカ軍の空爆で朝鮮の78都市と数千の村が破壊され、ルメイ自身の話では、3年間に人口の20%にあたる人を殺したという。文句なしの大虐殺であり戦争犯罪だが、「国際世論」は意に介していない。この「国際世論」の正体はアメリカ支配層の意向であり、その支配層が君臨しているアメリカを日本の政府やマスコミは「自由と民主主義」の国であるかのように宣伝してきた。その日本の政府もマスコミも、必然的に国民も朝鮮人に対する虐殺を気にしていない。 かつて朝鮮はソ連と友好的な関係にあったが、そのソ連が1991年12月に消滅してしまう。それにタイミングを合わせるようにして統一教会が朝鮮へ接近している。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、1991年11月末から翌月上旬にかけて統一教会の文鮮明教祖が朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、93年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送っている。買収工作だろうが、少なくとも一時期は成功している。 21世紀に入るとロシアは再独立に成功するが、朝鮮では2004年4月に金正日総書記が危うく龍川の大爆発に巻き込まれるところだったと噂されている。爆発の2週間前にインターネットのイスラエル系サイトで北京訪問の際の金正日暗殺が話題になり、総書記を乗せた列車が龍川を通過した数時間後に爆発が起こったと言われ、暗殺未遂の疑いがあるとされたのである。 アメリカや日本には朝鮮や中国と戦争をしたがっている人びとがいる。例えば、アシュトン・カーター国防長官は2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張していた。この人物を国防長官へ据えたバラク・オバマ大統領も平和的な人物とは言えない。 そのアメリカでは1998年に金正日体制を倒して朝鮮を消滅させようという計画が作成されている。韓国が主導する新たな国を建設しようというのだ。これがOPLAN 5027-98だ。この計画を知ったのか、朝鮮はこの年の8月に太平洋へ向かって「ロケット」を発射した。海上自衛隊が能登半島の沖で「不審船」に対し、規定に違反して「海上警備行動」を実行したのは翌年の3月。 日本で「周辺事態法」が成立した1999年になると金体制が崩壊したり第2次朝鮮戦争が勃発した場合に備える目的でCONPLAN 5029が検討され始め、2005年にOPLAN(作戦計画)へ格上げされた。このほか、朝鮮への核攻撃を想定したCONPLAN 8022も存在している。 その間、2003年3月、アメリカ海軍の空母カール・ビンソンを含む艦隊が朝鮮半島の近くに派遣され、また6機のF117が韓国に移動し、グアムには24機のB1爆撃機とB52爆撃機が待機するという緊迫した状況になった。こうした動きにブレーキをかけたのが韓国の盧武鉉やアメリカ支配層の一部。 ところが、好戦派にとって好都合なことに、盧大統領は2004年3月から5月にかけて大統領としての権限が奪われ、08年の2月には収賄容疑で辞任に追い込まれてしまう。次の政権はアメリカの戦争ビジネスと関係の深い李明博だ。 2010年3月には韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域で韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没、5月頃から韓国政府は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。11月になると韓国軍は領海問題で揉めている地域において軍事演習を実施、朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。 日本の「エリート」が服従しているアメリカの好戦派は全世界に戦乱を広げているが、朝鮮に対しても軍事的な圧力を加えている。その威嚇に対抗する道具として使っているのが核兵器。この問題を解決したいなら、威嚇している勢力を押さえ込まねばならないのだが、日本はその勢力にカネを貢ぎ、これからは日本の若者の血も贈呈するつもりだ。
2016.01.07
何らかの非常事態が起きた場合に権力を総理大臣に集中させる「国家緊急権」なるものが議論されているようだ。自民党が公表した改憲草案に含まれているためらしい。 アメリカでは1950年代からそうした仕組みが具体的に導入されている。その当時から同国の支配層が先制核攻撃を計画していたことは本ブログで何度も指摘してきた。疲弊したソ連を「完全試合」で地上から消し去ることができると考えていたようだが、それでも核戦争になれば政府が壊滅する可能性もあり、そこでドワイト/アイゼンハワー政権は核戦争後に「秘密政府」を成立させることにした。そうした流れの中で1979年にFEMA(連邦緊急事態管理庁)が創設され、ロナルド・レーガン政権は82年にNSDD55を出してCOGプロジェクトを承認、NPO(国家計画局)が創設された。このプランの底流には国家緊急権の考え方がある。 このプロジェクトは秘密裏に進められていたが、1987年7月に開かれた「イラン・コントラ事件」の公聴会で下院のジャック・ブルックス議員が取り上げられている。証人として出席していたオリバー・ノース中佐に対し、「NSC(国家安全保障会議)で、一時期、大災害時に政府を継続させる計画に関係した仕事を担当したことはありませんか?」と質問したのだ。この計画がCOGプロジェクト。公聴会を開いた委員会の委員長だったダニエル・イノウエ上院議員はこの質問を遮り、「高度の秘密性」を理由にして、強制的に終わらせてしまった。 1988年になると大統領令12656が出され、COGの対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更された。何が「国家安全保障上の緊急事態」かは政府の主観的な判断に委ねられている。 この変更によって、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された際に「国家安全保障上の緊急事態」だとすることが可能になり、「愛国者法」(Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001/USA PATRIOT Act)が制定されて憲法の機能は停止、現在に至っている。つまりファシズム体制へ入った。 アメリカは「国家緊急権」の準備を始めて20年ほどで憲法の機能を停止させ、十数年にわたって憲法を麻痺させた状態を続けている。その経験を踏まえ、日本でも「国家緊急権」を導入しようとしているわけだ。これまで日米支配層が行ってきたことを考えれば、クーデターの準備だと言わざるをえない。 大震災や新たな原発事故だけでなく、クーデターを実行するために「非常事態」を演出するということもありえるだろう。ちなみに、東電福島第一原発の事故で政府が迅速に適切な対策を打ち出せなかったのは権力が総理大臣に集中していなかったからではない。原発の稼働が無謀だという事実の隠蔽を含め、情報を官僚が独占し、日頃の準備ができていなかったからだ。本当に日本の安全を考えるならば、秘密保護法を廃止して情報の公開を徹底することから始めなければならない。
2016.01.06
シルテを中心にリビアで勢力を拡大させているIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)は油田地帯や石油の積み出し港スルトを制圧したようだ。シルテにはISを率いているとされているアブ・バクル・アル・バグダディもいると言われている。昨年9月30日にロシア軍がシリアで始めた空爆でアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したISは敗走、活動の舞台をリビアへ逃げつつある。2011年の終盤から戦闘員はリビアからシリアへ移動したが、シリアで劣勢になってリビアへ戻りつつあるとも言えるだろう。 アル・バグダディが入る前、リビアでISを指揮していたと言われているのはLIFGのリーダーだったアブデル・ハキム・ベルハジ。LIFGはNATOと手を組み、ムアンマル・アル・カダフィ体制を倒したアル・カイダ系武装集団だ。 ロシアがシリアへ派遣した部隊は小規模だが、軍事の基本に則り、司令部や兵器庫を攻撃するだけでなく兵站ラインを破壊、ISなどが資金源にしている盗掘石油の生産施設と燃料輸送車も攻撃して大きなダメージを与えた。逆に言えば、これまでアメリカが主導する連合軍はこうした攻撃をしてこなかったということだ。 シリア政府の承認を受けることなく同国内でアメリカが空爆を始めたのは、2014年9月23日のこと。その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。 ロシアによる空爆がアル・カイダ系武装集団やそこから派生したISに大きなダメージを与えていることが明らかになる中、昨年12月28日にイラク政府はラマディをISから奪還したと宣言したが、攻撃の数日前には存在していた約2000名の戦闘員が消えていた。制圧のために入った市内は死体がいくつかあるだけで蛻の殻。ISの幹部はヘリコプターでどこかへ運び去られたとする話も伝わっている。 この攻撃も含め、イラクの場合、ISに対する攻撃は、部隊の選定や攻撃の日時決定もアメリカ軍が行っている。対テロ、情報、治安などの責任者はアメリカ側の意思で挿げ替えられるともいう。攻撃が始まる前にISの戦闘員をアメリカ軍は逃走させていたということになる。 ISとアメリカ軍が連携しているように見えるが、イランの義勇兵組織バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将によると、イラクのアメリカ大使館がISの司令部。アメリカ軍機が「誤投下」した物資をISが回収するということがあるようだが、それはミスでなく故意だとも准将は主張する。イラクのアリ・アクバル大隊の司令官はISとアメリカ軍が定期的に連絡を取り合い、物資の投下地点を相談していることを通信傍受で確認したともイランのFNAは伝えている。12月18日にアメリカ軍はファルージャでISと戦っていたイラク軍の部隊を「誤爆」、20名とも30名とも言われる兵士を殺害しているが、ISを支援するため、意図的に行ったと考える人もいる。 シリアでロシア軍が空爆を始めてからイラクでもISをめぐる状況は変化したようで、イラクのモスルとシリアのラッカを行き来していたアル・バグダディは昨年10月、自動車で移動中にイラクの空軍機に爆撃されて重傷を負ったとされている。イランでの報道によると、CIAとMIT(トルコの情報機関)は治療のためにアル・バグダディをラッカからトルコへ運び、そこで治療してからシルテへ移動させたようだ。本ブログでは何度か触れたが、トルコとイスラエルには反シリア政府軍の戦闘員を治療する施設がある。 リビアでISが勢力を拡大させていることをイギリスは懸念、特殊部隊のSASが攻撃しているとする報道もあるが、首を傾げる向きは少なくない。石油利権を確保するため、ISがシルテに拠点を築くのをアメリカが助けたとも言われている。 カダフィ政権が倒された後のリビアは武装集団が跋扈する破綻国家。体制打倒を主導したNATOやペルシャ湾岸産油国は自分たちに刃向かう独立志向のつよい政権を倒し、石油利権を手に入れるという目的に向かって今でも進み続けているが、それ以外にも「人権」や「民主化」といった看板を掲げ、リビア攻撃に賛成していた「リベラル派」や「革新勢力」もいた。そうした人びとはこうした現実をどのように考えているのかを語る義務がある。 リビアをISのように集団が制圧した場合、石油利権を手にするということだけではすまない。リビアの隣国、チュニジアの首都、チュニスの目と鼻の先にシシリー島があり、その先はイタリア半島、シシリー島の西にはサルデーニャ島があり、その目と鼻の先はヨーロッパである。アメリカの一部支配層はアル・カイダ系武装集団やISを使ってロシアや中国を攻撃する準備をしているが、その矛先がEUへ向く可能性もあるだろう。
2016.01.06
サウジアラビアにおけるシーア派の指導的立場にあったニムル・バキル・アル・ニムル師が1月2日に同国で処刑された。この国のサルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド国王がトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と会談した数日後のことだ。 処刑を受け、シーア派は各地で抗議活動を展開、イランの首都テヘランのサウジアラビア大使館やメシェドのサウジアラビア領事館へは数十本の火炎瓶が投げ込まれ、建物の一部が焼失する事態に発展、サウジアラビア外相はイランとの外交関係の断絶を宣言した。ここまではサウジアラビアのシナリオ通りという見方がある。 サウジアラビアやトルコはネオコンやイスラエルと手を組み、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を使って軍事侵略を繰り返し、残虐性をアピールすることで反イスラム感情を煽ってきたが、今回は「スンニ派対シーア派」という構図を作り出そうとする思惑も含まれているだろう。 ニムル師は自由選挙を求めていたほか、サウジアラビアにおけるシーア派の権利が尊重されないならば、東部地域を分離すべきだとも主張していた人物。2012年7月に逮捕された際、サウジアラビアの警官から銃撃されて足を負傷している。そして2014年10月にニムルは死刑を宣告されていた。 混乱の火を付けたサウジアラビアは現在、厳しい状況にある。始めた戦争が思惑通りに進まず、原油価格の引き下げが自らの首を絞めることになって財政赤字が深刻化、緊縮財政に乗り出そうとしているのだが、生活費の補助が打ち切られたならば、街に溢れる失業者がこれまでと同じように従順でいる保証はない。保有する株式や債券の売却を始めると投機市場が動揺、ペトロダラーの仕組み崩壊でドルを基軸通貨とする仕組みが揺らぐ可能性もあるだろう。 サウジアラビアはアメリカ、イギリス、フランス、トルコのNATO加盟国やカタール、イスラエルなどと手を組んでリビアやシリアで体制転覆プロジェクトを始めたが、9月30日にロシア軍がシリアで始めてから歯車が完全に狂っている。ニムル師の処刑直前にサウジアラビアとトルコの首脳が会った事実は興味深い。傭兵の雇用や提供を含む戦費を負担してきたサウジアラビア、兵站ラインの出発点で盗掘石油の輸送先でもあるトルコが最も追い詰められている。IS/アル・カイダ系武装集団をこの2カ国も使っている。こうした武装集団へ参加している戦闘員の多くはワッハーブ派だ。 2001年9月以降、アメリカ政府の政策を主導してきたネオコン/シオニストは中東/北アフリカやウクライナを戦乱で破壊、中東/北アフリカではワッハーブ派、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が戦闘員の中心になっている。ワッハーブ派はサウジアラビアの国教。リビアに続いてシリアを属国化し、さらにイランを破壊しようとしている。 アメリカが主導する連合軍は2003年3月にイラクを先制攻撃、ネオコンが1980年代から目論んでいたサダム・フセインの排除に成功する。このフセインを権力の座につけたのはCIAで、1980年代のアメリカでは彼をペルシャ湾岸産油国の守護者と見なす勢力が支配層の内部に存在、1991年の湾岸戦争でジョージ・H・W・ブッシュ政権はフセインを排除せずに停戦、ネオコンを怒らすことになる。その際、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語ったという。 フセインを排除した後、ネオコンは自分たちの傀儡政権を樹立しようとしたものの、失敗。その後、シーア派の政権が続くことになり、イランとの関係を深めていく。ヌーリ・アル・マリキを首相とする政権もシーア派が主導していたが、このマリキは2014年3月、サウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判している。 その翌月に行われた選挙の結果、第1勢力はアル・マリキを支える「法治国家連合」になって全328議席のうち92議席を獲得、シーア派連合では157議席に達し、本来ならマリキが次期首相に指名されるはずだったが、それを大統領は拒否している。アメリカの意向が影響した可能性が高い。その後もアメリカはイラクの強い影響力を保持、ロシアとの関係が強まることを阻止している。 イラクの場合、対テロ、情報、治安などの責任者はアメリカ側の意思で挿げ替えられ、ISに対する攻撃は、部隊の選定や攻撃の日時決定もアメリカ軍が行っている。ISの戦闘員が逃走できるようにしているわけで、その一部はシリアへの増援に使われている可能性もあるだろう。こうした情報が正確なら、ラマディ奪還は茶番だったということになる。 12月の初めにトルコ軍は25台のM-60A3戦車に守られた部隊をイラクの北部、モスルの近くへ侵攻させ、イラク政府の抗議にもかかわらず、居座っている。また、12月18日にアメリカ軍はファルージャでISと戦っていたイラク軍の部隊を「誤爆」、20名とも30名とも言われる兵士を殺害した。負傷兵も同程度いたという。イラク議会の安全保障国防委員会の委員長が公表した情報だ。 そして12月28日、イラク政府はラマディをISから奪還したと宣言した。攻撃の数日前には約2000名の戦闘員がいたはずなのだが、制圧のために入った市内は死体がいくつかあるだけで蛻の殻だったという。ISの幹部はヘリコプターでどこかへ運び去ったとする話も伝わっている。アメリカ軍の内部にはIS/アル・カイダ系武装集団を危険だと考えるグループを存在するが、1991年にウォルフォウィッツが口にしたプランを実現するため、そうした戦闘集団を利用しようとしていると言えるだろう。 IS/アル・カイダ系武装集団を使った政権転覆プロジェクトはロシアの空爆で崩れはじめ、シリアのことはシリア国民が決めるべきだとするロシア政府の主張に同調する流れができつつあるのだが、ネオコン、サウジアラビア、トルコはあくまでもシリアのバシャール・アル・アサド政権の打倒、イラン攻撃に執着している。 軍事侵略が思惑外れになり、政治経済的に窮地に陥ったサウジアラビアは、ニムル師を処刑することでイランを刺激して軍事的な緊張を高めて問題の外交的な解決を破綻させ、国内では戒厳令状態にして反乱を封じ込めようとしているのかもしれないが、すでにサウジアラビアがIS/アル・カイダ系武装集団のスポンサーだということも広く知られるようになっている現在、逆効果になる可能性は強い。
2016.01.04
昨年9月からアメリカの統合参謀本部で議長を務めているジョセフ・ダンフォード海兵隊大将は就任早々、ロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言したが、2011年10月から15年9月まで議長だったマーチン・デンプシー陸軍大将はアル・カイダ系の武装集団やそこから派生したISを最も危険だと考えていた。シリアからのバシャール・アル・アサド大統領排除を最優先しているバラク・オバマ大統領はデンプシー議長の警告に耳を貸さず、やむなく2013年秋からアル・カイダ系武装集団やIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)に関する情報をアメリカ軍は独断でシリア政府へ伝え始めた。先月の下旬、イギリスで発行されている「ロンドン書評」誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事で明らかにされている。 前にも書いたように、DIA(国防情報局)が2012年8月に作成した報告書によると、シリアで政府軍と戦っている戦闘集団の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。アル・ヌスラとは、AQIがシリアで活動する際に使っている名称にすぎないという。 サラフ主義者はワッハーブ派とも呼ばれ、アル・カイダ系武装集団やISに参加している戦闘員の大半を占める。ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化され、多くのメンバーはサウジアラビアで保護されたが、その際、ワッハーブ派の強い影響を受けた。 アメリカ政府は「穏健派」を支援すると主張してきたが、DIAは遅くとも2012年の段階でそうした集団は事実上、存在しないと考えていたことがわかる。これまでにも多くの人が指摘してきたように、「穏健派」の支援とはAQI/アル・ヌスラやISの支援にほかならず、アメリカ政府の政策を続ければサラフ主義者/ワッハーブ派の支配地がトルコやイラクにつながるシリア東部にできると警告していた。この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン陸軍中将は、AQI/アル・ヌスラやISの勢力拡大をアメリカ政府の決定が原因だと語っている。 アメリカの統合参謀本部がオバマ政権に反旗を翻したのは2013年秋だが、その年の9月に、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近として知られるマイケル・オーレン駐米イスラエル大使はシリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだとメディアに話していた。 アメリカ政府に対する反旗を政府側が気づかないはずはなく、統合参謀本部議長はデンプシーからダンフォードへ交代、その前、昨年2月には国防長官が戦争に消極的なチャック・ヘーゲルから好戦派で2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張したアシュトン・カーターへ交代している。好戦的な方向へオバマ政権は動いている。そして昨年9月30日にロシア軍は空爆を開始、AQI/アル・ヌスラやISは司令部や兵器庫を破壊されるだけでなく、資金源の盗掘石油に関連した施設や燃料輸送車も攻撃され、トルコから物資を運び込む兵站ラインもダメージを受けた。 アメリカはシリアだけでなくリビアやウクライナでも戦乱を拡大させている。それを主導しているネオコン/シオニストは「イスラエル第一」の人びとで、アメリカの衰退を意に介していない。それでもカネの力で議会を支配、巨大資本も動かしている。 シオニストがアメリカ政府に強力なネットワークを張り巡らせていることは1980年代に「イラン・コントラ事件」が発覚した際に判明、ジョージ・H・W・ブッシュ(父親)政権では国防総省を支配したが、それでも反対勢力は存在した。ビル・クリントン政権ではネオコンの影響力が弱まり、外部からの「提言」という形で働きかけるしかなかった。そうした中、クリントン大統領はスキャンダル攻勢をかけられた。 状況が一変するのは2001年9月11日。この日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、多くの人がショックで判断力を失っている間に国内のファシズム化と国外での軍事侵略を本格化させた。 ジョージ・W・ブッシュ(息子)政権はこの攻撃を利用してイラクを先制攻撃しようとしたが、統合参謀本部は攻撃に理由がなく、作戦が無謀だとして反対、開戦は約1年延びて2003年3月になったといわれている。 アメリカの正規軍には、シリアでAQI/アル・ヌスラやISを支援することに反対する勢力が存在しているが、逆にこうした武装集団を支援しているのがCIAや特殊部隊。正規軍とCIA/特殊部隊の対立という構図はベトナム戦争の際にも見られた。 CIA/特殊部隊はベトナムで住民皆殺しを目的としたフェニックス・プログラムを実行する一方、麻薬の密輸で資金を調達していた。ベトナムでは侵略者のアメリカと戦う「南ベトナム解放民族戦線」や北ベトナムを支援する農民は多く、兵站を叩く目的もあっただろう。1968年3月に引き起こされた「ミ・ライ(ソンミ村)事件」もフェニックス・プログラムの一環。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)この事件を1969年11月に書いたのもシーモア・ハーシュだ。この作戦に正規軍は組織的な関与をしていなかった。 1967年5月17日にアメリカ第6艦隊のウイリアム・マーティン司令官はソ連海軍が脅威だと発言、6月5日にはイスラエルがエジプトを空爆、第3次中東戦争が勃発する。その際にアメリカは上空から撮影した写真をイスラエルへ提供し、政治的に支援していた。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)アメリカ政府はエジプトを攻撃することだけを認めていたのだが、イスラエルを信用できないこともあって情報収集船のリバティを派遣する。 そのリバティをイスラエル軍は6月8日に攻撃する。午後2時5分に3機のミラージュ戦闘機が攻撃を開始、ロケット弾やナパーム弾を発射した。最初の攻撃で通信設備が破壊されたが、通信兵は2時10分に寄せ集めの装置とアンテナで第6艦隊へ遭難信号を発信することに成功、イスラエルはジャミングで通信を妨害し、その後もイスラエル軍は執拗にリバティに対する攻撃を繰り返した。 遭難信号を受信した第6艦隊の空母サラトガの甲板には、すぐに離陸できる4機のA1スカイホークがあり、艦長は戦闘機を離陸させる。イスラエルが攻撃を開始してから15分も経っていない。そこからリバティ号まで約30分で、2時50分には現場に到着できる。 リバティが攻撃されたことはリンドン・ジョンソン大統領へすぐに報告されたが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き替えさせるようにと叫んだという。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)このとき、在欧アメリカ海軍の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまり後のジョン・マケイン3世上院議員の父親も事実の隠蔽に荷担している。 アメリカ側がリバティへ戦闘機と艦船を派遣すると至急電を打ったのは3時5分。空母サラトガと空母アメリカがリバティを救援するために8機の戦闘機を派遣するように命令したのは3時16分。39分に艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃をしている。そして4時14分、イスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。この時の交信を記録した大量のテープを電子情報機関のNSAは破棄したという。(前掲書) もしイスラエルが目論んだようにリバティが艦隊へ連絡できないまま沈没、生存者がいなかったならば、ソ連軍に攻撃されたということにされた可能性もあり、米ソの軍事衝突に発展しても不思議ではなかった。「偽旗作戦」として側面もあったかもしれない。 アメリカとイスラエル、両国の支配層間で事件は決着したのかもしれないが、イスラエル軍がアメリカ軍の艦船を意図的に攻撃し、34名が殺され、172名が負傷した事実は消えない。こうした出来事もあり、アメリカ軍の内部にはイスラエルを快く思っていない人は今でも少なくない。そのイスラエルの中でも狂信的好戦勢力のためにアメリカ軍を働かせようとしているのがネオコン。その結果がアメリカにとってよくないことだとわかっているとき、どこまで政府や議会に軍人が従っていられるだろうか?買収されない軍人もいる。
2016.01.02
アメリカが日本を守ってくれると主張する人がいる。強そうに見えるアメリカに服従するための口実にすぎないだろう。何しろ、そのアメリカは侵略国家。そうした国と同盟関係を結んで集団的自衛権を行使することになると、日本もアメリカの侵略に荷担せざるをえなくなる。「敵に攻められたら」という話ではない。「アメリカが他国を侵略したら」日本はどうするかを議論しなければならない。 アメリカの同盟国であるトルコなどは一般に「テロリスト」と呼ばれているアル・カイダ系武装集団やIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を支援、ロシア軍機を待ち伏せ攻撃で撃墜している。ロシアが反撃しても不思議ではない状況であり、もし反撃したならNATOとロシアとの戦争に発展、NATOの中心的な存在であるアメリカもロシアと戦争をはじめることになり、日本も巻き込まれてしまう。しかも、歴史を振り返れば、アメリカは先住民の殲滅から始まり、侵略を続けてきた国だということがわかる。 アメリカの戦略空軍総司令部(SAC)が1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書(SAC Atomic Weapons Requirements Study for 1959)とその分析をアメリカの研究機関が公開したが、それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になる。1957年初頭に作成された「ドロップショット作戦」も先制攻撃が想定され、300発の核爆弾をソ連の100都市で投下、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。「核の傘」という議論はナンセンスなのだ。 フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディのように侵略を否定的に考えている大統領はいたが、例外的な存在だ。ルーズベルトは大統領就任の前に銃撃され、就任直後にウォール街を支配していた勢力はクーデターを目論んでいる。1945年4月、ドイツが降伏する直前にルーズベルトは執務室で急死、その後はウォール街がホワイトハウスで主導権を握る。また、ソ連との平和共存を訴えたケネディは暗殺された。 現在、アメリカでは議員の大半が買収されていると言われている。西ヨーロッパ諸国も同じであり、当然、日本の議員にも疑惑はある。ロシアでは政府や政府系機関の幹部が外国で銀行口座を持つことを厳しく規制しているようだが、買収を警戒しているのだろう。1970年代にロンドンのシティを中心として築かれたオフショア市場のネットワークは追跡が困難で、富豪や巨大企業は課税の回避、不正資金の隠匿、マネーロンダリングなどに使ってきた。犯罪組織もその恩恵に浴している。 買収に失敗したなら本当に命を狙うヒットマンが送り込まれるそうだが、最近、例えばリビアやシリアではワッハーブ派/サラフ主義者、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を中心とする戦闘員を「傭兵」として使って攻撃を仕掛けている。リビアやウクライナでは実際に政権を倒した。リビアの場合、NATOによる空爆とアル・カイダ系のLIFGによる地上戦が連携していた。 こうした構図は世界的に知られはじめた。日本の支配層は「言語」という壁に守られているようだが、英語圏におけるアメリカへの信頼感は限りなくゼロに近づいている。ドルが基軸通貨から陥落、軍事力の優位という幻影が消えたなら、信頼されていないアメリカは崩壊するしかない。ネオコンは恫喝して屈服させるしか能がないようなので、最後は世界を道連れにすると脅してくるかもしれない。
2016.01.01
現在、アメリカの支配層が進めている世界戦略は1992年の初めに国防総省でポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心に作成されたDPGの草案が出発点になっている。3月中に発表されることになっていた。1991年12月にソ連が消滅、「冷戦」に勝利したアメリカが唯一の超大国になったという前提で書き上げられたもので、新たなライバルが西ヨーロッパ、アジア、旧ソ連圏で出現することを防がなければならなず、エネルギー資源を抱える地域を制圧しなければならないとしている。 DPGの草案では西ヨーロッパや日本をアメリカ主導のシステムへ組み込むとしているのだが、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)はそのための仕組みとして機能するだろう。アメリカの支配層は軍事的な支配だけでなく、経済的にもヘゲモニーを握ろうとする。 ソ連が解体された後にできた国々をアメリカの軍事的なライバルと見なしていないが、それでもロシア自体、さらにロシアがウクライナやベラルーシなどと再統合されることを警戒している。DPG草案ではアメリカに対する脅威になるとしているが、実際は東へ拡大しているNATOがロシアの脅威だ。 結果としてソ連を消滅させる方向へ舵を切ったのはミハイル・ゴルバチョフ。1985年3月にソ連共産党の書記長に、また88年9月には最高会議幹部会議長に就任し、90年には一党体制を放棄して大統領制を導入、初代大統領に選ばれた人物だ。 1990年には東西ドイツが統一されたが、その際、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連のエドゥアルド・シュワルナゼ外務大臣に対し、統一されたドイツはNATOにとどまるが、東へNATOを拡大させることはないと約束したことが記録に残っている。勿論、その約束は守られなかった。 そのゴルバチョフに対し、西側支配層は1991年7月にロンドンで開かれたG7の首脳会談でショック療法的な経済政策、いわゆる「ピノチェト・オプション」を強要された。新自由主義的な政策を推進しろということだが、国民の大多数を貧困化させることは明白なため拒否、そこで西側支配層とゴルバチョフは対立することになり、ボリス・エリツィンが台頭してくる。G7の直前にロシアの大統領に就任した人物だ。 エリツィンがロシア大統領に就任した翌月、ソ連を存続させようとしていたグループは「国家非常事態委員会」を組織して権力の奪還を狙うものの、失敗。エリツィンは党を禁止、西側支配層の支援を受けながらソ連の解体、消滅へ突き進んでいく。 そして1991年12月8日にベロベーシの森でウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチと秘密会談を開き、エリツィンはソ連からの離脱を決めた。エリツィンは西側の傀儡であり、その娘の人脈が今でも西側支配層と結びついていることは本ブログでも指摘した。つまり、DPGの草案が作成された段階のロシアは西側支配層の属国にすぎなかったが、その体制が倒れる可能性もDPGは考慮していたということだろう。 ゴルバチョフを含むソ連の幹部たちはソ連の消滅を想定していなかったこともあり、エリツィンは独裁体制を一気に整えた。経済政策はジェフリー・サックスを含むシカゴ派の顧問団が作成することになる。 1992年11月にエリツィンが経済政策の中心に据えたアナトリー・チュバイスはHIIDなる研究所と連携するが、ここはCIAとの関係が深いUSAIDから資金を得ていた。チュバイスはエリツィンの娘、タチアナ・ドゥヤチェンコ(注)の利権仲間としても知られている。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015) 独裁色を強めるエリツィン大統領に対し、議員は国民の支持を背景にして1993年3月に立ち上がるが、エリツィン大統領は国家緊急事態を宣言して対抗、9月には議会を解散して憲法を廃止しようとする。議員の一部が議会ビル(ホワイトハウス)に立てこもるとエリツィンは軍隊を投入、戦車に議会ビルを砲撃させた。殺された人の数は100名以上、議員側の主張によると約1500名に達するという。 1993年9月2日付けのウォール・ストリート・ジャーナル紙には、西側の有名人が署名したボスニアへの軍事介入を求める公開書簡がに掲載された。署名した人物には、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相、アメリカのジョージ・シュルツ元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、ズビグネフ・ブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官のほか、ポール・ニッツェ、ジョージ・ソロス、あるいはネオコンとして知られているジーン・カークパトリック、アルバート・ウールステッター、ポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パールも含まれている。 そしてアメリカ/NATOの東への侵略が始まる。2014年2月にネオコン/シオニストが主導し、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を利用して行ったクーデターはその一幕にすぎない。この西側の好戦派は現在、ロシアから反撃を受けている。(注)タチアナは結婚相手が捜査の対象になったこともあって2001年に離婚し、すぐにエリツィンの側近だったバレンチン・ユマシェフと再婚した。ユマシェフの娘、ポリナ・ユマシェバが結婚したオレグ・デリパスカはイスラエル系オリガルヒで、ロシアのアルミニウム産業に君臨、ナサニエル・ロスチャイルドから「アドバス」を受けている一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている。
2016.01.01
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