全46件 (46件中 1-46件目)
1
アメリカ支配層は1999年からベネズエラの政権転覆を目論んできた。この年の大統領選挙で当選したウゴ・チャベスが自国をアメリカから独立させた、つまりアメリカの巨大資本から石油をはじめとする利権を取り戻したからだ。このときのアメリカ大統領はビル・クリントン。 2002年にアメリカ政府はクーデターを試みた。計画の中心グループにはエリオット・エイブラムズ、オットー・ライヒ、そしてジョン・ネグロポンテがいた。その際、アメリカ海軍の艦船がベネズエラ沖に待機していたとも言われている。 2009年にはフランス人のフレデリク・ローレン・ブーケが3名のドミニカ人とチャベス大統領を暗殺しようとしたとして逮捕されている。 ブーケのアパートにはプラスチック爆弾C4が500グラム、突撃銃14丁、マシンガン3丁、拳銃4丁、ショットガン5丁、さまざまな口径のカートリッジが2万近く、さらに電子起爆装置、ウォーキートーキー、防弾チョッキ、ガスマスクなどが保管されていたという。 裁判の過程でブーケは自身がフランスの情報機関DGSEのエージェントであり、イスラエルで訓練を受けたことを認めたと伝えられている。 そのほか何度も暗殺が試みられたと言われているが、そのターゲットになったチャベスは2013年3月に癌で58歳の若さで死亡した。 生前、チャベスはアメリカ政府が南アメリカの指導者を癌にしているのではないかと発言している。実際、癌を誘発する物質や発癌性ウイルスは存在する。 この発言の背景には、ブラジルのジルマ・ルセフ大統領、ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ元大統領、そしてパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領が相次いで癌になった事実がある。 アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領も甲状腺癌だとされて手術したが、後に癌でなかったとされている。なお、キルチネル大統領の夫、ネストル・カルロス・キルチネル元大統領は2010年に心臓病のため、60歳で死亡した。 チャベスの後継者として大統領に選ばれたのがニコラス・マドゥロ。チェベスのようなカリスマ性のない人物だったことからアメリカ支配層はベネズエラの植民地化は容易だと考えたかもしれないが、そうした展開にはならなかった。そして2014年5月、マドゥロ暗殺計画が明らかにされる。 その直前、2014年2月から5月にかけてベネズエラでは大規模な反政府行動があったが、その指導者のひとりがフアン・グアイドだと言われている。 ジャーナリストのダン・コーエンとマクス・ブルメンタールによると、グアイドはカラカスの大学を卒業した2007年にアメリカのジョージ・ワシントン大学へ留学している。 その頃にアメリカ支配層はベネズエラの体制を転覆させるために「2007年世代」を創設、2009年には挑発的な反政府運動を行った。こうしたベネズエラの反政府組織に対し、NEDやUSAIDを介し、毎年4000万ドルから5000万ドルを提供してきた。言うまでもなく、この資金の出所はCIAだ。 2007年世代が組織される2年前、つまり2005年にアメリカ支配層は配下のベネズエラ人学生5名をセルビアへ送り込んだ。そこにはCIAから資金の提供を受けているCANVASと呼ばれる組織が存在、そこで学生は訓練を受けている。 CANVASを生み出したオトポール(抵抗)!はスロボダン・ミロシェビッチの体制を倒すため、1998年に作られた組織。ジーン・シャープの理論に基づいて運動していたと言われている。 ユーゴスラビアの破壊に成功したオトポール!/CANVASは体制転覆の「輸出」を始める。その輸出先のひとつがベネズエラだったわけだ。 そして今年(2019年)1月に入るとアメリカのマイク・ペンス副大統領がグアイドに電話、その直後にグアイドは自らが大統領だと宣言、アメリカ政府はグアイドを「暫定大統領」だと承認した。昨年、アメリカ政府はベネズエラ軍の幹部に接触してクーデターを実行しようとしたが、説得に失敗したと言われている。そこでカラー革命方式を採用したのだろうが、これも順調には進んでいないようだ。
2019.01.31
イスラエル空軍機が1月11日にダマスカス周辺をミサイルで攻撃、その大半は短距離用防空システムのパーンツィリ-S1などで撃墜されたが、S-300は使われなかった。 この攻撃を受け、イラン議会の国家安全保障外交委員会で委員長を務める人物はロシアがこの防空システムを機能しないようにしたと批判したのだが、ロシアでの報道によると、シリアではこのシステムを扱う要員を訓練中で、準備が整うのは3月からだという。 イスラエルはシリアを攻撃する口実としてイランの存在を挙げているが、ここにきてシリア政府側の武装勢力内で「親ロシア派」と「親イラン派」の軍事衝突があったと報道された。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランスといった国々が送り込んだアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)、つまりジハード傭兵が壊滅状態になり、政府支持派の間で殺し合いが始まったという主張なのだが、それを裏付ける情報は見当たらない。 ジハード傭兵の主要な雇い主はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアだが、そのほかの国々もそれぞれ傭兵を雇った。現在でもトルコ系の傭兵はシリアで活動中で、傭兵同士の戦闘もある。ここにきてトルコ系は雇い主のトルコからの支援がなくなりつつあるようだ。 ところで、ジハード傭兵が創設されたのは1970年代終盤。ジミー・カーター政権で国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーの発案だった。パキスタンの情報機関から支援を受け、サウジアラビアが戦闘員と資金を提供、CIAが武器/兵器を提供して戦闘員を訓練するという構図ができあがった。 1990年代終盤のユーゴスラビア空爆や2003年のイラク侵攻ではNATO軍やアメリカ主導軍など正規軍が使われたが、イラクで行き詰まる。2007年までにアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始するが、その工作ではジハード傭兵が使われることになった。 大学時代にブレジンスキーの弟子だったと言われているバラク・オバマ大統領はムスリム同胞団を中心にした蜂起で体制を倒す計画を立て、2010年8月にPSD-11を出した。ムスリム同胞団を中心にした蜂起で体制を倒すというものだ。そして始まるのがアラブの春。 その流れの中、2011年春に三国同盟を中心とする勢力はリビアやシリアをジハード傭兵を使って侵略するが、その主力はムスリム同胞団とサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)だった。 オバマ政権はムスリム同胞団を重用したことからサラフィ主義者が反発、2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃されてクリストファー・スティーブンス大使が殺されるという出来事が引き起こされたとも推測されている。 ちなみに、領事館が襲撃される前日、リビアからシリアへ武器を輸送する工作の責任者だったCIAの人間と大使は会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていたという。 現在、アメリカ政府内ではドナルド・トランプ大統領の命令に反してシリアに軍隊を駐留させ続けようとする流れが主流になっている。シリア占領は議会や有力メディアの主張だ。それを正当化するための偽情報が流されているように見える。
2019.01.30
アメリカ政府はベネズエラのニコラス・マドゥロ政権を倒すために軍事力を行使することも厭わないとしている。その政府の一員、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官が記者会見の場へ持ち込んだノートに「5000名の部隊をコロンビアへ」と書かれていた、つまり記者たちにそのメモを見せたことが話題になっている。言うまでもなくコロンビアはベネズエラの隣国で、これまでも対ベネズエラ工作の拠点になってきたとされている。 マドゥロ大統領は昨年(2018年)9月中旬に中国を訪問、翌日には習近平国家主席と会談した。中国はベネズエラに多額の融資をする一方、石油を輸入している。12月上旬にはロシアを訪問、石油生産に関する50億ドル相当の契約をしたと報道されている。 中国やロシアとの経済的な結びつきを強めてきたベネズエラだが、昨年12月中旬にはロシアのTu-160戦略爆撃機と輸送機がベネズエラへ飛来、その後、2機のTu-160戦略爆撃機がベネズエラ軍のSu-30戦闘機とF-16戦闘機を伴ってカリブ海上空を約10時間にわたって飛行するというデモンストレーションを行った。 この恣意行動はベネズエラ軍のクーデター派をおびえさせることになったと言われているが、そもそもクーデター派に政権を転覆させる力はなかったようだ。現在、ベネズエラ軍はマドゥロ政権を支持していると言われている。アメリカの軍事侵攻を匂わせないとクーデター派を維持できない状況になっている可能性もある。 クーデターの機は熟していないと言えるのだが、ドナルド・トランプ政権は「暫定大統領」を宣言した国民議会議長のフアン・グアイドを承認した。要するに、アメリカ政府はベネズエラ大統領の解任を宣言、新大統領を選出したのだ。そこにベネズエラ国民の意思は反映されていない。そのシナリオを実行するための特使としてネオコンのエリオット・エイブラムズが任命された。 アメリカのクーデターにイギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イスラエル、あるいはアメリカが体制転覆に成功したブラジルやアルゼンチンなどは賛成しているが、ロシア、中国、インド、メキシコなどは反対。ロシア軍は出てこないという前提でアメリカ軍が動いた場合、極めて危険の状態になる。
2019.01.29
アメリカのマイク・ポンペオ国務長官は今年(2019年)1月25日、ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権を転覆させる工作を指揮する特使としてエリオット・エイブラムズを任命した。エイブラムズは現在、CFR(外交問題評議会)の上級特別会員だが、イラン・コントラ事件に連座したことで知られている。 ベネズエラの政権を転覆させる工作をアメリカ支配層が始めた最大の理由はウゴ・チャベスが1999年の選挙で大統領に選ばれたことにある。チャベスはベネズエラを独立国にしようとしたのだ。 2001年から2期目に入るが、その翌年にジョージ・W・ブッシュ政権はクーデターを試みている。その計画の中心グループにはエイブラムズも含まれていた。そのほかのメンバーはオットー・ライヒやジョン・ネグロポンテだ。作戦の一環としてアメリカ海軍の艦船がベネズエラ沖に待機していたとも言われている。 ライヒはキューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務め、ネグロポンテは1981年から85年までのホンジュラス駐在大使を務めてニカラグアの革命政権に対するCIAの秘密工作に協力、2001年から04年までは国連大使、04年から05年にかけてイラク大使を務めた。 このクーデターは失敗に終わるのだが、最大の理由は事前にチャベスへ計画に関する情報が伝えられていたことにある。当時、OPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスが知らせていたのだ。 ブッシュ・ジュニア政権は2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒し、破壊と殺戮で「石器時代」にすることには成功するが、親イスラエルの傀儡政権を樹立させることには失敗した。 フセイン体制の破壊はネオコンの戦略に基づく。ネオコンは遅くとも1980年代からイラクのフセイン体制を倒し、親イスラエル政権を自立させてシリアとイランを分断、中東全域を支配するという計画を立てた。 1991年12月にソ連が消滅するとアメリカ支配層は自分たちが唯一の超大国になったと考え、世界の覇者になるときが来たと考える。その戦略は1992年2月、国防総省のDPG草案という形で文書化された。 このときの大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はリチャード・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツ次官が中心になって作成されたことからこのDPG草案はウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。 イラクを親イスラエル体制にすることに失敗したネオコンだが、イラクに続いてシリアとイランを殲滅するというプランは放棄しない。(ココやココ) ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に書いた記事によると、ジョージ・W・ブッシュ政権は中東における最優先課題をイランの体制転覆におき、レバノンで活動しているイラン系のヒズボラ、イランの同盟国であるシリアを殲滅、そしてイランを倒すという計画を立てる。その手先としてスンニ派を使おうということだ。その中にはフセイン派も含まれた。 この工作の中心人物は副大統領のリチャード・チェイニー、国家安全保障副補佐官のエリオット・エイブラムズ、そして2007年4月までイラク駐在アメリカ大使を務め、国連大使に内定していたザルメイ・ハリルザドだ。 エイブラムズを特使に任命したポンペオは2017年7月、アスペン治安フォーラムでベネズエラの「移行」が期待できると語っている。当時、ポンペオはCIA長官だった。 ベネズエラの政権転覆作戦の一環としてアメリカのドナルド・トランプ政権はジョージ・ワシントン大学で学んだフアン・グアイド国民議会議長を「暫定大統領」として承認した。他国の大統領をアメリカ大統領が決めようとしているわけだ。 ベネズエラの石油利権を狙っていることは間違いないだろうが、例によってIMFもアメリカに協力、グアイドへ資金を提供していると伝えられている。
2019.01.28
東京琉球館で2月16日の午後6時から「シリアからアメリカ軍は撤退できるか」というテーマで話します。予約制とのことですので、興味のある方は事前に下記まで連絡してください。東京琉球館住所:東京都豊島区駒込2-17-8電話:03-5974-1333http://dotouch.cocolog-nifty.com/ ドナルド・トランプ米大統領は12月中旬、トルコ大統領と電話で会談した直後にシリアやアフガニスタンからアメリカ軍を撤退させることを決意、ジェームズ・マティス国防長官は命令書に署名しました。 しかし、マティスは2019年2月一杯で辞任すると表明、有力メディアや超党派の議員が決定に反発しています。政府内でもマイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官、シリア特使のジェームズ・ジェフリーはシリア東北部の永続的な占領を目指して活動しているようです。 撤退を始めたかのような報道もありましたが、そうした動きは見られず、武器/兵器がシリア東部にあるアメリカ軍の軍事基地へ運び込まれていると伝えられています。イラク西部でもアメリカ軍は軍備を増強、その基地にはイスラエルの情報機関員やダーイッシュの戦闘員が保護されているようです。 アメリカ軍のシリアからの撤退はイスラエルやサウジアラビアだけでなくイギリスやフランスも反対、シリアの再建も妨害しようとしています。1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが口にしたイラク、シリア、イランを殲滅するというプランをあくまでも実行しようとしているのでしょう。そのプランはロシアの属国化を前提にしているわけで、ロシアの再属国化と中国制圧も同時に進めなければなりません。シリアからの撤兵がスムーズに進んでいないのは、人類にとって危険な道を歩もうとする人がアメリカの世界戦略を動かしていることを示してます。
2019.01.27
ニコラス・マドゥロ大統領は昨年(2018年)9月13日に中国を訪問、翌日には習近平国家主席と会談した。中国はベネズエラに多額の融資をする一方、石油を輸入している。 ベネズエラはロシアとも関係を強めているが、そのロシアは昨年12月12日に2機のTu-160戦略爆撃機を輸送機と一緒に派遣、その爆撃機はベネズエラ軍のSu-30戦闘機とF-16戦闘機を伴ってカリブ海上空を約10時間にわたって飛行したと伝えられている。アメリカ政府やそのベネズエラにおける手先の勢力に対するデモンストレーションだと言えるだろう。 同日遅く、アメリカ政府はTu-160が14日にベネズエラを離れて帰国すると「勝利宣言」したというが、当初からロシア側は共同軍事訓練に参加するためとしているわけで、帰国は時間の問題だった。 ロシアが軍事介入する場合、Tu-160をベネズエラへ派遣する必要はない。シリアでも明らかなように、遠くからミサイルを発射すれば良い。ロシアが本気なら潜水艦からミサイルを発射することもできるのだが、姿を水面下に隠して行動する潜水艦はデモンストレーション向きではない。 アメリカの支配層がこれを単なるパフォーマンスであり、ロシアと中国はマドゥロ政権を見捨てると考えているのなら、アメリカの行動はエスカレートし、ラテン・アメリカで繰り返されてきた軍事クーデターを仕掛けるかもしれない。マドゥーロ政権がこれに耐えられるだけ安定しているだろうか?(了)
2019.01.26
ベネズエラに自立した政権が誕生した1999年からアメリカの政権は体制転覆を計画している。ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ、そしてトランプだ。 2001年に始まるブッシュ政権の場合、02年にクーデター計画を始動させた。計画で中心になったのはイラン・コントラ事件に登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そしてジョン・ネグロポンテ国連大使だ。 ネグロポンテは1981年から85年にかけてホンジュラス駐在大使を務めていたが、そのときにニカラグアの革命政権に対するCIAの秘密工作に協力、死の部隊にも関係する。2001年から04年までは国連大使、04年から05年にかけてはイラク大使を務めた。イラクではエル・サルバドルで死の部隊が行ったようなことが行われたが、その原因を作ったひとりだとみられている。 しかし、2002年のクーデターは失敗に終わる。OPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからウーゴ・チャベス大統領へ事前に計画が知らされたためだが、それでアメリカ支配層があきらめることはなかった。 例えば、ウィキリークスが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもアメリカはベネズエラでクーデターを計画している。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに操られている機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入、チャベス派を分裂させ、それによってアメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。 この計画も成功しなかったものの、チャベスは2013年3月、癌のために58歳の若さで死亡して排除された。アメリカは発癌性のウィルスを開発、実際に使っていると言われているが、チャベスのケースがそれに該当するかどうかは不明だ。 カリスマ性のあったチャベスが死んだことでベネズエラはアメリカ資本の手に落ちたと考える人もいたが、マドゥロがチャベスの後継者として大統領になる。彼はアメリカの経済攻撃に対抗するためにドル離れを決断、石油取引の決済に人民元を主とする通貨バスケット制を採用する方向へ動き出した。アメリカへ預けていた金塊も引き揚げている。(つづく)
2019.01.26
アメリカのドナルド・トランプ政権もベネズエラのニコラス・マドゥロ政権を倒そうとしている。今年(2019年)1月23日には国民議会議長のフアン・グアイドを「暫定大統領」だと宣言、その「暫定大統領」をアメリカ政府は承認した。合法政権を倒し、新自由主義を導入して石油資源をはじめとする利権を手にしようという露骨な内政干渉であり、侵略行為だ。 昨年9月8日付けのニューヨーク・タイムズ紙に掲載された記事によると、ドナルド・トランプ政権は17年からベネズエラの反体制派の将校と秘密裏に会い、マドゥロ政権の転覆について話し合っている。 2017年7月、CIA長官だったマイク・ポンペオはベネズエラの「移行」が期待できるとアスペン治安フォーラムで語っているが、これは口先だけではなかったと言えるだろう。 翌月の8月にトランプ大統領はベネズエラへの軍事侵攻を口にし、ニッキー・ヘイリー国連大使はベネズエラに対して「独裁制」を許さないと語った。 しかし、歴史を振り返れば、大多数のアメリカ政府は巨大資本の意向を受けて民主的な政権を倒し、独裁体制を樹立してきたことがわかる。アメリカ政府がいう独裁制とは巨大資本のカネ儲けにとって邪魔な体制を意味する。 2018年5月22日にベネズエラ政府はトッド・ロビンソン米大使と上級外交官のブライアン・ナランジョに対し、「軍事的な陰謀」を目論んだとして48時間以内に国外へ出るように命じた。アメリカ国務省はベネズエラ政府の主張を否定していたが、クーデターが計画されていたとしても不思議ではない状況にあったことは間違いない。この年の8月にカラカスで行われた軍事パレードでは爆弾を搭載した数機のUAV(無人機)があった。(つづく)
2019.01.26
イスラエル空軍機がダマスカス周辺をミサイルで攻撃、その大半は短距離用防空システムのパーンツィリ-S1などで撃墜されたようだが、被害も出たと伝えられている。 昨年(2018年)9月にシリア沖でロシア軍の電子情報支援機Il-20が撃墜された後、ロシア政府はその責任がイスラエルにあると非難してシリア政府軍へ防空システムのS-300 PMU-2を引き渡したが、それ以降、イスラエル軍はシリアへの空爆をやめていた。 そのイスラエルがシリアへの空爆を再開したのは12月25日のこと。このときにイスラエル軍のF-16戦闘機はダマスカスとベイルートの民間空港へ着陸しようとしていた旅客機を盾に使い、非難されていた。 今回のイスラエル軍機による攻撃を受け、シリア政府は国連の安全保障理事会がイスラエルによるシリアの主権侵犯を止めさせられないなら、自衛権を発動してテル・アビブ空港を攻撃すると警告した。 シリアでは戦乱で破壊された国土の再建へ向けて動き出しているが、EUはそれを妨害するために「制裁」を強めようとしている。それに対し、イスラエルによる侵略と破壊に抗議してBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動を推進しているのは市民。そうした動きを支配層は取り締まろうとしている。 アメリカをはじめ、西側諸国はイスラエル支持を隠そうとしていないが、そのイスラエルはこれまでシリアへの攻撃についてノーコメントだった。ところが今年1月15日までイスラエル軍の参謀総長だったガディ・エイゼンコットは退任直前、イスラエル軍はシリアを空爆する一方、ゴラン高原にいる反シリア政府武装勢力へ武器を供給してきたことを認めている。ベンヤミン・ネタニヤフ首相も攻撃を認めた。 勿論、イスラエルの破壊と殺戮は知られているが、イスラエルが沈黙を守れば、気づかないふりをすることができる。ところがイスラエルが認めてしまうと、イスラエルを支持するかどうかではなく、イスラエルの攻撃を支持するかどうかが問われることになる。攻撃を支持するということになれば、シリアからの軍隊引揚げにブレーキがかかるだろう。イスラエルは西側の「同盟国」を脅しているとも解釈できる。
2019.01.25
犯罪組織を描いた小説や映画は少なくないが、特に目立つのはマフィアとヤクザ。マフィアはコーザ・ノストラとも呼ばれているようだ。 マフィアは19世紀に誕生したと言われている。シチリア島の支配システムが封建制から資本主義制へ移行する過程で土地所有者が細分化され、土地を管理する形態のひとつとして島の西側で広まったという。 イタリアがファシズム体制になるとマフィアは弾圧されて消滅寸前になるが、それを復活させたのがアメリカ軍。1943年7月にイギリス軍とともにシチリア島へ上陸したが、その際、マフィアの協力を受けている。 戦争が終わってからシチリア島ではマフィアのボスが行政を支配するようになるが、それは大きな影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むためでもあった。マフィアにはアメリカ支配層の手先という側面もあるのだ。 アメリカやイギリスがあわててシチリア島上陸作戦を敢行したのは、1942年11月にドイツ軍がスターリングラードの戦いで壊滅、翌年の1月に降伏したため。 1941年6月に始まったドイツ軍のソ連侵攻、つまりバルバロッサ作戦では310万人が投入された。西側に残されたのは90万人のみ。ドイツ軍がソ連で壊滅したということは、第2次世界大戦の勝敗が決したということでもあった。 日本でヤクザ、つまり広域暴力団が出現するのは第2次世界大戦の後。敗戦で支配体制が揺らいだ日本では労働運動が盛んになり、そうした動きに対抗するために法務総裁(後の法務大臣)だった木村篤太郎が考えた反共抜刀隊の構想から始まる。博徒やテキ屋を統合、組織化しようとしたのだ。 この構想は途中で挫折したが、広域暴力団に発展する下地になった。ヤクザという呼び名が広まるのもこの後。暴力団系の右翼団体が少なくない理由もここにある。 広域暴力団の中で特に大きな存在が田岡一雄の作り上げた山口組だろう。現在は山口組、神戸山口組、任侠山口組に分裂しているが、その影響力はまだ大きい。 山口組が強大な力を持つようになった一因は港湾労働者を支配するという支配層の要望。民主化の進展で労働者は組合を結成して闘争を展開、荷がストップする事態が生じていたのだが、それをなんとかしてほしいということだ。 1949年に国鉄を舞台にして引き起こされた「怪事件」で労働運動は大きなダメージを受けたが、海運も陸運と同じようにコントロールする必要があった。1950年に朝鮮半島で戦争を始めたアメリカ軍も荷の流れを止められては困る。 当時の物流は海運が中心で、神戸港と横浜港が特に重要な存在だった。神戸港を管理することになったのが田岡であり、横浜港は藤木企業の藤木幸太郎だったと言われている。 アンダーグラウンドの世界の秩序を維持するために警察が広域暴力団を利用したという側面もある。敗戦直後の混乱期、警察が手を出せない領域の管理を担当することになったのが広域暴力団だった。ある広域暴力団の組長が同郷の警察官僚と連携していたという噂もある。 また、関東の暴力団の場合、警視庁の刑事部長や4課長と月に1度程度の頻度で会っていたとも言われている。溝口敦の『五代目山口組』に登場する「山口組最高幹部」によると、「警視庁の十七階に何があるか知らしまへんけど、よく行くいうてました。月に一回くらいは刑事部長や四課長と会うようなこと大っぴらにいいますな」という。(溝口敦著『ドキュメント 五代目山口組』三一書房、1990年) 時代の変化にともない、広域暴力団に対する締め付けは厳しくなったが、それによってアンダーグラウンドの世界の構図が変化しているようだ。そうした変化に日本の支配層(アメリカ支配層の傀儡)が対応できているとは思えない。
2019.01.24
ロシアの巨大石油会社のユーコスを支配していたミハイル・ホドルコフスキーはソ連時代、若い女性を「ロシア人モデル」としてニューヨークへ送り出していた。 このホドルコフスキーが生まれたのは1963年6月のことである。父親はユダヤ教徒、母親はロシア正教徒。ソ連時代に彼はコムソモール(全ソ連邦レーニン共産主義青年同盟)の指導者を務め、ソ連が消滅した1991年12月には28歳だった。 ソ連では1985年に書記長となったミハイル・ゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を推進する。そうした中、1989年にホドルコフスキーはリチャード・ヒューズなる人物と「ロシア人モデル」をニューヨークへ送るビジネスを始めた。 この年にホドルコフスキーはメナテプ銀行を設立するためのライセンスを取得する。違法送金やマネーロンダリングが目的だった可能性が高い。 この怪しげなビジネスをソ連当局も怪しみ、モデルに対する出国ビザを出し渋るのだが、ホドルコフスキーのKGB人脈に助けられて入手できたという。この若者はKGBとつながっていたわけだ。(Mark Ames, “Russia’s Ruling Robbers”, Consortium news, March 11, 1999) 本ブログでもすでに指摘したが、ソ連はジョージ・H・W・ブッシュなどCIAのOBグループとKGB中枢の腐敗グループが手を組んで実行したハンマー作戦で消滅した。CIAとKGBを結びつけたのはイスラエルのモサド。KGBの腐敗グループには1982年から88にかけてKGB議長を務めたビクトル・チェブリコフ、KGBの頭脳と呼ばれたフィリップ・ボブコフなどが含まれていた。 ソ連消滅後、ロシアに君臨したのがボリス・エリツィン。ホドルコフスキーはエリツィン政権を支える顧問のひとりに就任した。国民の資産を奪う新自由主義的な政策を推進したグループに属していたということだ。 ホドルコフスキーは1995年にユーコスを買収、中小の石油会社を呑み込み、その一方でモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になっている。金融、エネルギー、メディアは支配に必要な道具だ。 ユーコスは西側から資金を調達していたが、投資会社のカーライル・グループも調達源のひとつ。この投資会社にはジェームズ・ベイカー元米国務長官をはじめ、フランク・カールッチ元米国防長官、ジョン・メジャー元英首相、ジョージ・H・W・ブッシュなどが幹部として名を連ねていた。 この一方、彼はジョージ・ソロスの「オープン・ソサエティ基金」をモデルにした「オープン・ロシア基金」を2002年にアメリカで創設、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルド卿を雇い入れた。彼がキッシンジャーやロスチャイルドの影響下にあったことを示唆している。 ホドルコフスキーはユーコスの発行済み株式のうち25から40%をアメリカの巨大石油会社、エクソン・モービルとシェブロンへ売り渡そうとしていたが、ウラジミル・プーチンに阻止されてしまった。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,“ Next Revelation Press, 2015) エリツィン時代、クレムリンの腐敗勢力と手を組んで巨万の富を築いたホドルコフスキーのような人物はオリガルヒと呼ばれている。プーチンが実権を握るとオリガルヒの一部はその政権への従属を誓い、他はロンドンやイスラエルへ逃げる。ホドルコフスキーはロシアに残ってプーチンと対立する道を選んだが、オリガルヒの活動は違法なものだったことから逮捕されてしまう。 日本では中曽根康弘、小泉純一郎、菅直人、野田佳彦、安倍晋三など新自由主義に基づく政策を推進する人物が総理大臣を務めてきた。ロシアほど劇的な形ではないが、オリガルヒは生まれつつある。そうした集団の不正をマスコミは暴こうとしないが、蟻の穴から堤も崩れるということはある。
2019.01.24
アノニマス(匿名)を名乗るハッカー集団が昨年(2018年)11月、あるNGOに関する文書を公開した。そのNGOはインテグリティ・イニシアティブ。イギリスの軍と情報機関による極秘の心理作戦を実行、その活動範囲はアメリカにも拡大し、同国の国務省、FBI、DHS(国土安全保障省)、あるいは有力シンクタンクに強力な同盟者を育成していることが明らかになった。原資の200万ドルはイギリスの外務省が出したという。 プロジェクトの内容は第2次世界大戦が終わって間もない頃にアメリカで始まった情報操作プロジェクト、モッキンバードに似ていると言われている。 モッキンバードで中心的な役割を果たしたのは4名。ウォール街の弁護士でOSSやCIAに君臨していたアレン・ダレス、やはりウォール街の弁護士でアレンの側近として破壊工作を指揮していたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で国際決済銀行初代頭取の孫であるリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。 フィリップ・グラハムの妻、キャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主。フィリップはジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺している。キャサリンの父は世界銀行の初代総裁だ。ニクソン辞任で副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領時代、政府内からデタント派が粛清されてネオコンが台頭したことは本ブログでも繰り返し書いてきた。 ウォーターゲート事件の取材は若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが中心になって行われたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校で記者としては素人に近い。事実上、取材はバーンスタインが行ったようだ。 そのバーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 当然のことながら、CIAの工作は国境を越える。フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。 彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているというのだ。2017年1月、56歳のときに心臓発作で彼は死亡する。出版されたはずの英語版は市場に出てこなかった。 インテグリティ・イニシアティブも人びとがロシアに敵意を持つように誘導する。そのネットワーク内に含まれるウィリアム・ブラウダーはアメリカ支配層の対ロシア戦争で重要な役割を果たしている。 この人物はボリス・エリツィン時代のロシアでクレムリンの腐敗勢力と手を組んで巨万の富を築いたひとり。不正な手段で手に入れた資産をロシアから持ち出すために使われた銀行のひとつ、リパブリック・ナショナル銀行ニューヨークを創設した人物とヘルミテージ・キャピタル・マネージメントなる会社を共同で創設したのがプラウダーだ。 この金融ネットワークでマネーロンダリングしていたとロシア当局はにらみ、ブラウダーが雇っていたセルゲイ・マグニツキーが2008年に逮捕される。マグニツキーを弁護士だとする人もいるが、実際は会計士。経済犯罪の鍵を握る人物だったと言われている。 そのマグニツキーは取調中に死亡、西側では拷問で殺されたと宣伝されてきた。この人物は心臓病を抱えていたことから病死だと考える人が少なくないが、口封じされたと疑っている人もいる。ブラウダーは2013年に欠席裁判で懲役9年の判決を受けているが、ロシアの逮捕令状要請はインターポールが拒否している。 インテグリティ・イニシアティブが重要視しているのはドイツだが、その矛先はイギリス労働党のジェレミー・コービン党首やドナルド・トランプ米大統領にも向けられている。西側の有力メディアやアメリカの民主党が盛んに宣伝しているロシアゲートの発端になった根拠薄弱で信頼度の低い報告書を作った元MI6オフィサーのクリストファー・スティールはブラウダーにも雇われていた。 日本のマスコミが権力者の走狗にすぎないことは言うまでもないが、日本で崇拝者が少なくないアメリカやイギリスをはじめとする西側の有力メディアも同類だ。
2019.01.23
トルーマン・カポーティという小説家の作品に『叶えられた祈り』というものがある。そこに登場するミス・セルフはある種のサービス業を営んでいるのだが、その仕事内容を説明する中で「客を脅迫したり、何か困らすようなことをしたら、とてもこわい報いが待っているわ。その報いって、ここをクビになるだけなんてなまやさしいものじゃないわよ。」(川本三郎訳、新潮文庫)と口にする。 こうした業種は日本にもあり、仕組みも似たようなものだろう。そうした仕組みがあるので有力者も安心してサービスを受ける気になるはずだ。 しかし、そうした世界へ足を踏み入れると弱みを握られることになる。その事実を忘れてはならない。犯罪組織だけでなく、情報機関がそうした業種に手を出している理由もそこにある。 そうしたサービスが行われていることを知らずに会社へ入った人にとって、その仕事は不正行為にほかならない。告発に至り、間接的に客を困らせることもありえる。会社だけでなく、警察、検察、マスコミなどがもみ消しに失敗した場合、「とてもこわい報い」があるかもしれない。
2019.01.22
第2次世界大戦で日本が降伏して3年後、東京大学の学生だった山崎晃嗣は友人たちと東京都中野区で金貸しを始めた。「光クラブ」である。 まだ社会が混乱している中、彼らは多額の資金を調達することに成功するが、1949年7月に物価統制令違反で山崎は逮捕され、出資者の信頼を失う。その年の11月に山崎は青酸カリを飲んで死んだ。光クラブの残党は名古屋、そして京都へ流れたと噂されている。 この事件は小説の題材になり、例えば三島由紀夫は『青の時代』、高木彬光は『白昼の死角』という作品を残している。『白昼の死角』は1979年に映画化された。 戦後の混乱期に大儲けした高利貸しに森脇将光なる人物もいる。慶応大学を中退して日本橋で金貸しを始め、政界に深く食い込んでいた。造船疑獄などのスキャンダルにも名前が出てくる。金貸しの過程で入手した情報を記した森脇メモは有名だ。石川達三が九頭竜川ダム汚職事件を描いた小説『金環食』にも登場している。この作品は1975年に映画化された。 森脇の後、1980年代までそれなりの存在感を示していた高利貸しが何社かあり、やはり政界にもつながっていた。そうした会社へは必然的に政界の秘密が集まるが、そうした情報は韓国の独裁政権へ流れていたとも噂されている。 1980年代の半ばには投資ジャーナルや豊田商事が詐欺容疑で摘発される。投資ジャーナルは証券投資、豊田商事は金の地金を使って資金を集めていた。 豊田商事の会長だった永野一男は1985年6月18日に自宅マンションで刺殺される。その日に逮捕されるという情報を聞きつけ、集まっていたマスコミ取材陣の目の前での凶行だった。投資ジャーナルを率いていた中江滋樹が逮捕されたのはその翌日、19日のことである。 永野の手元には多額の資金が集まっていたはずだが、住んでいたマンションはそれに見合っているとは思えない代物で、奇異に感じた人もいた。セキュリティがしっかりしていれば、そうした事態にはならなかったはず。豊田商事が集めた資金の相当部分は某大物政治家へ流れていたとも噂されている。 その1985年、フジテレビが放送を始めた「夕やけニャンニャン」内のアシスタントで女子高生だった「おニャン子クラブ」が人気を博す。その仕掛け人が秋元康。後に秋元は商工ファンド出身の人物らとAKBを作り上げることになる。
2019.01.22
CIAによるクーデター、要人暗殺、住民皆殺し作戦、電子情報機関の存在などがアメリカ議会で明らかにされたのは1970年代だった。政府機関による犯罪的な行為が明るみに出る過程で内部告発が果たした役割は小さくない。そこで1970年代の後半から内部告発を難しくするようにシステムは変更され、「民営化」も進められた。そして、メディアの内部からは気骨あるジャーナリストが排除されていく。 それでも抵抗は消えず、内部告発を支援するウィキリークスも作られた。創設者のひとりであるジュリアン・アッサンジはアメリカの支配層に狙われ、2010年にスウェーデン当局が逮捕令状を発行したことからロンドンにあるエクアドル大使館から外へ出られなくなった。 話はふたりの女性がスウェーデンの警察でアッサンジにHIVの検査を受けさせられるかと相談したことから始まる。この訴えで逮捕令状が出され、スウェーデンのタブロイド紙が警察のリーク情報に基づいて「事件」を報道して騒動が始まるのだが、翌日には主任検事が令状を取り消す。レイプした疑いがあるとは認めなかったからだ。 しかし、その決定を検事局長が翻して捜査の再開を決める。その直後にアッサンジはスウェーデンを離れた。逮捕令状の請求はその2カ月後のこと。 2017年にスウェーデン当局は捜査を中止、逮捕令状を取り消すのだが、11年にアメリカは秘密裏にアッサンジを起訴していた。これは裁判所へ提出された文書の中に記載されている。 アッサンジに逮捕令状が出る半年ほど前、ウィキリークスはブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵から提供された映像を公開している。 その中には2007年7月、バグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名をアメリカ軍のヘリコプターが銃撃、殺害する場面を撮影したものも含まれていた。ヘリコプターの兵士は口頭で戦闘員を攻撃しているように報告しているが、映像を見れば非武装の人間だとわかる。 だからこそマニングは内部告発したのだろうが、彼は2010年5月、アメリカ陸軍のCID(犯罪捜査部)に逮捕され、17年5月まで収監された。 マニング以外にも政府機関の不正行為を告発した人たちはいる。例えば電磁情報機関NSAの不正を明らかにしたウィリアム・ビーニーやエドワード・スノーデン、イランへ核兵器に関する資料を渡してイラン侵略の口実を作るというCIAの危険な作戦を組織内部で警告したジェフリー・スターリング、そしてCIAなどによる拷問を告発したジャニス・カルピンスキーやジョン・キリアクだ。 カルピンスキーはイラクのアブ・グレイブ刑務所で所長を務めていたが、所内での拷問が明らかになった後、2004年1月に停職となる。それに対して彼女はその年の6月、BBCに対して刑務所内で拷問が行われていたセクションを管理していたのは軍の情報部であり、彼女は実態を把握していなかったと主張した。 刑務所内で撮影された写真については、兵士が独断で撮影することはありえないとも指摘した。カルピンスキー本人も命令していない。 彼女によると、グアンタナモから来ていたジェオフリー・ミラー少将は拘束されている人々を犬のようなものだと表現、そうした人々が自分を犬以下の存在だと信じさせることでコントロールが容易になると主張していたという。2004年7月には、刑務所にイスラエル人の尋問官がいたとも話している。 後にカルピンスキーは准将から大佐へ降格になった。 キリアクはCIAの元分析官。2007年12月にABCニュースのインタビューで、CIAの同僚から聞いた話として、ウォーターボーディングと呼ばれる拷問が行われていると語っている。それが問題になり、結局、2013年に懲役30カ月の判決を受けた。 スノーデンはロシアへ逃げ込む形になった。 権力者は庶民に知られたくない情報を隠す。その口実として安全保障がしばしば使われるが、実態は犯罪的な行為の隠蔽。日本で成立した特定秘密保護法の目的もそこにある。権力者が内部告発を厳しく取り締まるのは自らの悪事が露見することを防ぐためにほかならない。そこで、「一罰百戒」ということで内部告発者を痛い目に遭わせるわけだ。 かつて雪印食品の牛肉偽装を内部告発した西宮冷蔵の社長は事業の継続が困難な状況になったというが、その理由は不正を告発するような会社とは取り引きできないという会社が多かったからだ。AKSだけでなく、マスコミ、警察、検察の闇に光を当てることになった女性も厳しい状況に陥っている。
2019.01.21
イラク西部、シリア、ヨルダン、サウジアラビアに接するアル・アンバールでアメリカ軍の動きが活発化している。すでにアル・アンバールにアメリカ軍は基地を2カ所に建設しているが、新たな軍事基地を建設するための場所を探していると伝えられている。アメリカ軍の基地からシリア国境までダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の部隊が安全に移動できるようなルートを建設するという。 1月10日にイギリス兵5名がデリゾールで殺され、16日にはアメリカ人4名(うち2名は兵士)がマンビジュで死亡、それを利用してシリアからアメリカ軍を撤退させるというドナルド・トランプ大統領の決定を翻そうという動きもある。これまでアメリカを含む侵略勢力はアル・カイダ系グループやダーイッシュといったタグをつけた戦闘集団の存在を口実にして軍事侵略してきたが、その手法はまだ使われているようだ。 イラクでの報道によると、同国の治安を担っているハシド・アル・シャービ(人民動員軍)の現地司令官は、アメリカ軍がシリアとの国境周辺を偵察して入手した情報、あるいはハシド・アル・シャービから入手した情報をシリア東部にいるダーイッシュへ渡しているという。 この司令官はシリアからアメリカ軍が撤退しているとする話も否定する。アメリカ軍はシリア東部に建設した軍事基地を増強するために物資を運び込み、イラク西部、シリアとの国境近くをアメリカ軍の軍事的な拠点にしつつあるようだ。 シリアとリビアへの侵略戦争をバラク・オバマ政権が始めたのは2011年春のこと。その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が破壊された時点でアメリカ/NATO軍とアル・カイダ系のLIFGとの連携が広く知られるようになる。 オバマ大統領は穏健派を支援していると宣伝したが、アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)が2012年8月にホワイトハウスへ提出した報告書には、サラフィ主義者やムスリム同胞団がシリアの反政府軍の主力で、戦闘集団としてアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘)の名前を挙げている。さらに、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があると警告されていた。その警告はダーイッシュという形で2014年に出現する。現在、アメリカ軍が軍事基地を新設、ダーイッシュをてこ入れしているのはその地域だ。 トランプ米大統領が2000名のアメリカ軍を撤退させる命令書にジェームズ・マティス国防長官は署名したものの、2019年2月一杯で辞任すると表明した。マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官、シリア特使のジェームズ・ジェフリーはシリア東北部の永続的な占領を目指して大統領の決定を無効化しようと政府の内部で活動している。 アメリカにはシリアの永続的な占領を望む人びとが少なくない。超党派の議員や有力メディアが軍隊の撤退に反対を表明しているのだ。その中にアメリカ中央軍も含まれている可能性が高い。
2019.01.20
東京電力の福島第1原発で炉心溶融の大事故が起こったのは8年前の2011年3月11日。巨大地震が原因だ。内部の詳しい状況は不明だが、溶けた燃料棒を含むデブリが格納容器の底部へ落下、地中へ潜り込んでいる可能性もある。勿論、コントロールなどできていない。 イギリスのタイムズ紙はこの原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定していた。日本政府は2051年、つまり32年後までに廃炉させるとしていたが、数百年はかかるだろうと考えるのが常識的な見方だ。つまり日本政府は非常識だということになる。廃炉作業が終了したとして、その後、10万年にわたって放射性廃棄物を保管する必要があると言われている。 しかし、日本では政府だけでなく有力メディアも原発事故がなかったかのように、放射性物質の影響はないかのように振る舞っている。事故を意識せずに生活している日本人は少なくないだろう。 衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いていた: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。 言うまでもなく徳田毅は医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で、医療関係差には人脈があり、これは一種の内部告発。これだけ被曝して人体に影響がないとは考えられない。政府も東電、おそらくマスコミもこうした情報を持っていたはずだ。 その後、徳田毅は2013年2月に国土交通大臣政務官を辞任、11月には姉など徳洲会グループ幹部6人を東京地検特捜部が公職選挙法違反事件で逮捕、徳洲会東京本部や親族のマンションなどを家宅捜索した。徳田は自民党へ離党届を提出、14年2月に議員を辞職している。 徳田の告発とリンクした話がアメリカでも明らかになっている。3月12日には1号機で爆発があり、14日には3号機も爆発、15日には2号機で「異音」がり、4号機の建屋で大きな爆発音があったとされている。 その後、建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片についてNRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で語っている。発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測するというのだ。マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を発見している。 事故は地震が原因だったとはいえ、地震国である日本で地震が起こるのは当たり前。その対策を回避してきた政治家、官僚、そして電力会社には重大な責任がある。東京電力がすべての損害の賠償をするのは当然のことだが、その責任は大幅に減免された。 責任回避に成功した彼らは原発の再稼働を目論む。そのひとつが東電の柏崎刈羽原発だが、泉田裕彦知事(2004年から2016年)は「福島事故の検証なしに再稼働の議論はしない」と言い続けた。 泉田は2016年の選挙にも立候補する意向を示していたが、地元の新潟日報が中古フェリー購入に関する疑惑を報道、泉田はその報道を否定したが、立候補を撤回した。 この選挙で当選した米山隆一は知事になってから再稼働に反対、県独自で福島第1原発事故などの検証作業を進めるのだが、2018年4月に週刊文春が知事の女性問題に関する記事を掲載、それが原因で辞任する。 2018年の選挙は事実上、自民党と公明党が支持する花角英世と立憲民主党などが推薦する池田千賀子の争いになったが、原発の再稼働や安倍晋三政権の政策について語らなかった花角が当選した。 柏崎刈羽原発の再稼働を目指してきた東京電力ホールディングスなどにとって好ましい結果だったのだろうが、再稼働が実現するかどうかは不明だ。この原発は2007年7月の新潟県中越沖地震で施設が壊れ、危険な状態だったと言われている。福島第1原発の事故がなかったかのように考えられない新潟県民は少なくないようで、原発の再稼働に反対する声は小さくない。 そうした騒動の中、2015年に新潟を拠点とする「アイドル・グループ」としてNGT48は設立される。マーケットの規模が大きくないこともあり、その当時、新潟が選ばれたことに首をかしげる人もいた。 そのNGT48でメンバーに対する襲撃事件が引き起こされたのだが、会社、警察、検察、マスコミなどは、その事件がなかったかのように振る舞い始めている。
2019.01.19
メンバーがマンションの自室前で襲われた山口真帆の所属しているグループ名はNGT48である。このグループの運営管理会社はAKS。この社名は主要創設者のイニシャル、つまり秋元康(A)、窪田康志(K)、芝幸太郎(S)に由来、48は「芝(しば)」からとられたとも言われている。週刊文春や週刊新潮はこの会社の実態を熟知しているはず。両誌ともかつてAKSの暗部に切り込む記事を掲載したこともあった。 AKS傘下のグループ合同のコンサートが1月18日に開かれ、NGT48も参加したのだが、山口真帆を含む数人の姿はなかったようだ。彼女の健康状態、置かれた状況を心配する人は少なくない。 山口を襲撃した事件は本人がSHOWROOMでの動画配信やツイッターで事件を明らかにし、問題になった。山口によると、支配人だった今村悦朗は被害者である彼女との約束を守らず、事件から1カ月の間何もしなかったという。そこで「私が言わないと何も変わらないから」と考え、「私はもうどうなるか分からないから」という覚悟で告発したとしている。 デイリー新潮に登場する芸能担当記者によると、「山口さんが動画を配信し、ツイッターを公開しても、NGTの関係者などは芸能メディアに『山口には少し精神的な問題がある』と、あたかも狂言であるかのように匂わせるなどしていました」。 こうしたもみ消し工作に失敗、ここにきて始めたのは出来事の流れとの整合性を無視したエピソードによる山口の証言の否定。その山口は現在、どこでどのような状態になっているのかは不明だが、今村は1月14日付でAKS東京本社の取締役室付に異動し、これからもNGT48やAKB48のサポートを行う予定だという。
2019.01.19
2011年春から始まったシリアやリビアに対する軍事侵略の主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。アル・ヌスラやダーイッシュといったタグがつけられている戦闘集団だ。いわばジハード傭兵。 リビアへの侵攻はシリアより1カ月早く、2011年2月に始まった。3月には国連の安全保障理事会がアメリカなどの要請を受けて飛行禁止空域の導入、つまり制空権を握り、米英は艦船から巡航ミサイルを発射、5月にはNATO軍機が空爆を開始、10月にはムアンマル・アル・カダフィが惨殺される。その間、地上ではアル・カイダ系武装集団のLIFGがNATO軍と連携して動いていた。 リビアでカダフィ体制が崩壊すると侵略勢力は戦闘員や武器/兵器をシリアへ集中させるが、その過程でアメリカなどがアル・カイダ系武装勢力を使っていたことが発覚、そこでバラク・オバマ政権は「穏健派」を支援していると弁明する。 その弁明に冷水を浴びせたのがアメリカ軍の情報機関DIA。オバマ政権が支援している武装勢力の主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団で、アル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)といったタグをつけているとする報告を2012年8月にホワイトハウスへ提出したのだ。オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。2012年当時のDIA局長はマイケル・フリン中将だ。 この警告は2014年にダーイッシュという形で現実なった。この武装勢力は同年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧する。その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられ、広く知られるようになった。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などでアメリカの軍や情報機関は武装集団の動きを知っていたはず。つまりパレードは格好の攻撃対象だったはずなのだが、そうした展開にはなっていない。しかもトヨタ車はアメリカ政府がFSA(自由シリア軍)、つまりシリア侵略のために送り込まれた傭兵部隊へ提供したものだと言われている。ダーイッシュが売り出された後、フリンDIA局長は退役に追い込まれた。 売り出し直後のダーイッシュは残虐性をアピール、西側では報復の雰囲気が作られ、アメリカ主導軍がシリアで勝手に空爆を始める。その空爆でシリアのインフラは破壊され、市民が殺され、その一方で武装勢力へは「誤投下」で物資を提供することになった。ダーイッシュの占領地域は拡大、ダマスカスへ迫る。 2015年にオバマ大統領は戦争体制を整備する。つまり2月に国務長官をチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、9月に統合参謀本部議長をマーティン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させたのだ。ヘイゲルは戦争に慎重な立場で、デンプシーはサラフィ主義者やムスリム同胞団を危険だと考えていた。カーターやダンフォードは好戦派だ。 統合参謀本部議長が交代になった数日後の9月30日にロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュなど武装勢力の支配地域は急速に縮小していく。アメリカ主導軍と違い、ロシア軍は本当にダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力を攻撃したのだ。 これに対し、侵略勢力のひとつだったトルコの戦闘機が11月24日にロシア軍機を待ち伏せ攻撃で撃墜、ロシアを脅した。この作戦はアメリカ側の命令、あるいは承認で行われたと考えられている。 しかし、戦争の長期化で国内経済が苦境に陥ったトルコは翌年にロシアへ接近する。まず2016年6月下旬にエルドアン大統領は撃墜を謝罪、7月13日にはトルコ首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆した。軍事蜂起(クーデター未遂)が引き起こされたのはその直後、7月15日のことだ。黒幕はアメリカだと見られている。 ロシア軍はアメリカ軍との直接的な軍事衝突を避けるために攻撃を手控えたりしてきた。アメリカ側の妨害がなければ早い段階でジハード傭兵を壊滅させることができただろう。 敗走するジハード傭兵に代わってアメリカ支配層が使い始めたのがクルドだが、その結果としてNATO加盟国のトルコとの関係が悪化する。そしてダーイッシュは現在、壊滅寸前。そうした状況に追い込んだのはアメリカだとトランプは宣言、軍隊の撤退を宣言したわけだ。 しかし、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランスはバシャール・アル・アサド政権の打倒を諦めていない。アメリカ支配層の内部にもそうした考え方は多く、その中には議員、有力メディア、閣僚も含まれている。(了)
2019.01.18
シリアへ軍事侵攻していたアメリカ軍とイギリス軍に死傷者が出ていると報道されている。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の攻撃でイギリス兵5名がデリゾールで殺されたと1月10日に伝えられたのに続き、16日にはアメリカ兵4名がマンビジュで死亡したという。 アメリカ軍に死傷者が出たことを受け、「米のシリア撤退暗雲」と脳天気な主張をする人が現れた。アメリカ軍とイギリス軍はシリアを侵略、勝手に軍事基地を建設して不法占拠してきたのだという認識が欠如している。この犠牲を撤退中止の口実にしたいのではないか? シリア政府の承認を受けないまま空爆を開始、地上部隊を侵攻させ、約20カ所に軍事基地を建設したのはバラク・オバマ政権。そのアメリカ軍をシリアから撤退させると決断する直前、ドナルド・トランプ大統領はトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と電話で話をしていた。その直後、アメリカ国務省はトルコへのパトリオット・ミサイル販売を承認している。 アメリカ軍撤退の決定は超党派の議員や有力メディアだけでなく、政権内からも強い反対の声が上がった。その中には国防長官のジェームズ・マティス、国家安全保障補佐官のジョン・ボルトン、国務長官のマイク・ポンペオ、そしてシリア特使のジェームズ・ジェフリーも含まれている。マティス長官は撤退の命令書に署名したものの、2019年2月一杯で辞任すると表明した。こうした圧力もあり、トランプ大統領は撤退を遅らせる意向を示している。 その一方、クルド勢力も対策を話し合っているという。拘束していた約1100名のダーイッシュ戦闘員と2080名の関係者を解放するかどうか議論されたというのだ。12月23日にトランプの撤退命令を非難したフランスのエマニュエル・マクロン大統領とクルド勢力はこの件についてパリで話し合ったとも伝えられている。米英軍に死傷者が出たことで「米のシリア撤退暗雲」という流れは撤退に反対する人々にとって好都合だ。(つづく)
2019.01.18
新潟県を拠点とするNGT48のメンバーが住むマンションで引き起こされた暴行事件に関し、同県の花角英世知事は1月16日、事件によって「NGTの存在がより世に知られるようになったのは事実」と語り、批判されている。 この花角知事は2018年6月に行われた選挙に自民党と公明党の支持を受けて立候補、立憲民主党などが推薦する池田千賀子を破って当選した。同年4月に出た週刊文春の記事で当時の知事、米山隆一が辞職、それを受けて選挙は実施されている。 新潟県は原発が集中している県のひとつだが、米山は東京電力の柏崎刈羽原発をの再稼働させることに慎重な姿勢を示し、県独自で福島第1原発事故などの検証作業を進めていた。 池田は原発の再稼働に反対、森友学園や加計学園問題に対する安倍晋三政権の対応を批判していたが、花角はこうした問題への考え方を表明していない。立候補の直前、花角は国土交通省の海上保安庁次長だった。 花角は会見で「正常な状態に戻ってほしい」とも口にした。「騒ぎ」が早く収まって欲しいということだろう。 この「騒ぎ」の原因はNGT48メンバーに対する暴行事件。昨年(2018年)12月8日午後9時ごろ、メンバーの山口真帆が自宅の玄関先で男から顔をつかまれて押し倒されそうになるなどの暴行を受け、その事件に対する会社側の対応に不審を抱いた被害者である山口が1月8日に動画配信やツイッターで事件を明らかにしたため。 この自宅とはオートロックのマンション。彼女は廊下に人がいないことを確認して自分の部屋へ入りかけたとき、部屋へ侵入しようとする男が現れてもみ合いになり、その間に別の男が前の部屋から現れたという。そのときにエレベータの音がし、それに男たちが気をとられた瞬間に廊下へ本人も飛び出し、その様子をうかがっていた彼女の友人が警察や信頼できるスタッフに連絡したと言う流れだ。 暴行に加わったのは「新潟市内の無職の男性と同居する大学生」。9日に新潟県警はふたりを逮捕したが、新潟地検は28日、両名とも不起訴にした。 当初、ふたりは山口のファンだとされたが、実際は別のメンバーと親しかったことが判明する。しかも「捜査関係者によると、今回の事件が計画的な犯行だったことが分かっている。」という。突発的に起こったのではなく、襲う目的でオートロックのマンション内へ入り込み、女性の部屋へ押し入ろうとしていたのだ。それでもふたりは不起訴になった。 会社側の対応も不自然。デイリー新潮に登場する芸能担当記者によると、「山口さんが動画を配信し、ツイッターを公開しても、NGTの関係者などは芸能メディアに『山口には少し精神的な問題がある』と、あたかも狂言であるかのように匂わせるなどしていました」。 12月8日から1月8日、会社側には1カ月間の時間的な余裕があった。その間に問題を処理すれば事件は表面化しなかったわけだが、会社側は被害者の信頼度を低めて加害者を守ろうとした。情報が封印されることを前提に警察や検察は動いたと見られても仕方がないだろう。ところが会社側が「後手に回って」もみ消しに失敗した。 情報の封印に失敗したことから会社だけでなく、警察、検察、そして週刊文春の責任が問われる展開になっているのが現状。この人たちには隠さなければならない何かがある、そう思う人が現れても不思議ではない。 もし山口が動画配信やツイッターで事件を明るみに出さなかったなら、計画的に山口を襲ったふたりは無罪放免、山口は精神的に不安定であるということにされ、「正常な状態」が続いて警察や検察の対応も問題にならなかった。週刊文春と襲撃グループとの関係も表面化せず、「文春砲」とやらでターゲットを潰し続けたのだろう。 ところで、「メンバーが黒幕」ならこうした流れにはなっていなかったはず。ある大きなシステムの末端で活動しているゴロツキの愚かな行為のため、そのシステムの存在が露見しかかっているのかもしれない。事件のもみ消しに失敗、そこで個人的な問題に矮小化するか、最悪の場合は何らかの形で口封じということもありえる。そう思われても仕方のない展開になっている。
2019.01.17
今年(2019年)1月15日までイスラエル軍の参謀総長だったガディ・エイゼンコットは退任直前、イスラエル軍はシリアを空爆する一方、ゴラン高原にいる反シリア政府武装勢力へ武器を供給してきたことを認めた。シリア政府は武装勢力がイスラエルから供給されたと見られる武器/兵器を保有していると主張してきたが、その主張が認められたと言える。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、2013年9月には駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンがバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近で、この発言は首相の意思でもあると考えられた。 イスラエル軍が不法占拠しているゴラン高原で同軍がダーイッシュを支援していることも知られていた。2016年11月にゴラン高原でダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)とイスラエル軍が交戦、ダーイッシュの戦闘員4名が死亡したというが、イスラエルの国防大臣だったモシェ・ヤーロンによると、交戦後にダーイッシュ側から謝罪があったというが、この話はイスラエルとダーイッシュとの関係を示している。 ダーイッシュが売り出されたのは2014年。1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧した。その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」が行われ、その様子を撮影した写真が世界に伝えられてグループは広く知られるようになったのである。この小型トラックはアメリカ政府が反シリア政府軍であるFSA(自由シリア軍)へ提供したものだった。 かつてアメリカ軍は避難民の車列を爆撃して多くの死傷者を出したことがあるが、この「パレード」は攻撃しなかった。偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで武装集団の動きをアメリカ側は知っていたはずだが、何もしなかったのだ。 こうした事態が生じることをアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年の段階で警告していた。DIAが8月にバラク・オバマ大統領へ提出した報告書の中で、シリアの反政府軍はサラフィ主義者やムスリム同胞団が主力で、戦闘集団としてアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げている。オバマ政権は「穏健派」を支援しているとしていたが、そうした勢力は存在しないことを知らせていたとも言える。 また、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告していたが、その警告がダーイッシュという形で現実なったのである。2012年当時のDIA局長はマイケル・フリン中将。ダーイッシュが売り出された2014年、フリンは退役に追い込まれた。 退役後の2015年8月、アル・ジャジーラの番組に出演したフリンは司会者からダーイッシュの出現を阻止しなかった責任を問われたが、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目だと答えている。 シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒そうとした外国勢力はアメリカだけでなく、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランス、トルコ、カタールなどが含まれていた。後にトルコやカタールは離脱したが、残りの国は今でもアサド政権の打倒を諦めていない。 アメリカのドナルド・トランプ大統領は同国軍をシリアから撤退させるとしているが、アメリカ軍はシリア東部に建設した軍事基地を増強するために物資を運び込み、イラク西部、シリアとの国境近くをアメリカ軍の軍事的な拠点にしつつある。
2019.01.16
人心を操作する上でショー・ビジネスは重要な役割を果たしてきた。その影響力を西側の支配層が知ったのはベトナム戦争当時だろう。 ベトナムでテト攻勢があった1968年当時、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズやミック・ジャガー、ビートルズのジョン・レノン、ドアーズのジム・モリソン、あるいはジミー・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンなどのロック・スターも戦争に反対する意思を示していた。 こうした人々が戦争反対で連携した場合、支配層は侵略戦争の継続が困難になる可能性が高かったのだが、こうした支配層にとって幸運なことに、平和を訴えるスターたちは次々に死んでいく。 例えば、レノンやヘンドリックスにグループを結成しようと持ちかけていたというジョーンズは1969年7月にプールで死亡(殺人の目撃証言がある)、その5ヶ月後にはオルタモントの音楽フェスティバルでローリング・ストーンズの演奏中にメレディス・ハンターという若者が銃を構えながらステージに登るという出来事もあった。 1969年にはマフィアがヘンドリックスを誘拐、マネージャーになった元MI6(イギリスの対外情報局)マイク・ジェフリーが自身のマフィア人脈を使って救出したとされているが、ジェフリーが誘拐を計画したとも疑われている。ヘンドリックスを麻薬漬けにしたのはジェフリーだともいう。モリソンが変死した2ヶ月後、ヘンドリックスは問題のマネージャーを解雇、その翌日にヘンドリックスは死亡した。1970年には反戦コンサートへの参加を計画してジョプリンがヘロインの過剰摂取で死亡している。 1970年代に活動を休止していたレノンは1976年にビートルズの再結成に向けて動き始め、1980年10月にはシングル曲「スターティング・オーバー」をまた、11月には「ダブル・ファンタジー」というアルバムを発表して本格的に音楽活動を再開させた。 新曲を発表する前年、1979年12月にNATOは83年にパーシング2ミサイルをNATO加盟国に配備することを決定、核戦争を懸念する声が世界的に高まり、反戦/反核運動が盛り上がっていた。そのタイミングでレノンが復活することを支配層が恐怖したことは想像に難くない。レノンは1980年12月、マーク・チャップマンに射殺された。 モリソンは別の側面でも注目されている。父親のジョージ・ステファン・モリソンはトンキン湾事件当時、アメリカ海軍の空母ボノム・リシャールの艦長としてそのトンキン湾にいたのだ。 フランク・ザッパの父親、フランシス・ザッパが情報機関の仕事をしていたことも知られている。化学戦の専門家だったのである。 親イスラエル派として有名なトニー・ブレアはイギリスの首相になる前、1994年1月に妻のチェリー・ブースとイスラエル政府の招待で同国を訪問、帰国して2カ月後にはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、レビーはブレアの重要なスポンサーになる。 そのレビーは音楽業界で成功した実業家。1960年代から70年代にかけて興行主として活動、マグネット・レコードを創設、後に会社を売って資産を築いている。 ハリウッドや有力メディアと情報機関との関係は本ブログでも繰り返し書いてきたが、アメリカの音楽業界にも情報機関のネットワークが張り巡らされている。1977年にリリースされたイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の中に「1969年からスピリッツはない」という歌詞がある。アメリカ音楽界の状況と理解することも可能だ。 日本も似たような状況になっているだろう。
2019.01.15
芸能プロダクションAKSの松村匠取締役らが1月14日、配下の「アイドルグループ」NGT48を巡る事件に関する記者会見を開いた。会見にはNGT48劇場支配人に就任した早川麻衣子、そして副支配人の岡田剛も同席している。 その事件とは昨年(2018年)12月8日午後9時ごろ、NGT48のメンバー、山口真帆が自宅の玄関先で男から顔をつかまれて押し倒されそうになるなどの暴行を受けたというもの。暴行に加わった「新潟市内の無職の男性と同居する大学生」は9日、新潟県警に逮捕されたが、新潟地検は28日にふたりを不起訴にした。 それがここにきて問題化したのは、会社側の対応に不審を抱いた被害者が1月8日にSHOWROOMでの動画配信やツイッターで事件を明らかにしたため。 デイリー新潮に登場する芸能担当記者によると、「山口さんが動画を配信し、ツイッターを公開しても、NGTの関係者などは芸能メディアに『山口には少し精神的な問題がある』と、あたかも狂言であるかのように匂わせるなどしていました」。AKS側は事件をもみ消そうとしていたと言われても仕方がない。 山口の説明によると、廊下に人がいないことを確認して自分の部屋へ入った直後、部屋へ侵入しようとする男が現れてもみ合いになり、その間に別の男が前の部屋から現れた。エレベータの音に男たちが気をとられた瞬間に廊下へ本人も飛び出し、その様子をうかがっていた彼女の友人が警察や信頼できるスタッフに連絡したという流れだ。AKS側はそうした証言と違ったストーリーを語っている。 スポーツ紙が指摘していたが、なぜ男はオートロックで簡単には入れないマンションへ侵入できたか、山口の話が事実なら「向かいの部屋」に住んでいたのは誰か、AKSの話に出てくる帰宅時間を教えたメンバーと事件に関与した男に面識はあったのか、運営側は山口が告発するまでなぜ沈黙していたのかといった疑問があった。 13日には、山口の帰宅時間を教えたメンバーと犯人グループに面識のあったことが分かったと報じられている。しかも、「捜査関係者によると、今回の事件が計画的な犯行だったことが分かっている。」という。AKS側は警察で事情聴取を受けたメンバーがいたことも隠していた。 山口の行動がなかった場合、事件は封印されただろうが、告発の直後、山口が襲われた事実を 一部のマスコミ が警察などへの取材で確認したと報じる。これで山口に「精神的な問題」があるとするAKSのリークは効力を失った。 こうしたAKSの工作にも関与していた疑いがある事件当時の支配人、つまり現場の責任者は早川麻衣子でなく今村悦朗。人事異動で彼が支配人ではなくなったことをAKSは14日未明に公式サイトで発表した。事件発覚後、今村は表に出ず、事情説明すら行っていない。 1月9日には山口が公演の中で「お騒がせして申し訳ありません」などと謝罪、それがAKSへの批判を強めることになった。運営側は本人の意思だというが、それが事実だったとしても、そうしたことをさせるべきではない。被害者が謝罪するという異様な光景は外国でも話題になった。 この事件ではAKSだけでなく、警察、検察、そして週刊文春の問題も浮上した。警察と検察は対応の問題だが、週刊文春は犯人グループを含むゴロツキ集団を情報収集のために雇っていたという噂が流れたのだ。 そこで話題になったのは新潟県の米山隆一知事の辞任。昨年4月の出来事だ。週刊文春が掲載した知事の女性問題に関する記事が切っ掛けだった。 知事は東京電力の柏崎刈羽原発をの再稼働させることに慎重な姿勢を示し、県独自で福島第1原発事故などの検証作業を進めていた。つまり、原発を推進したい日本の支配層にとって目障りな存在だった。 山口の告発がなければAKSの問題は闇に葬られ、AKSと不良グループとのつながりも話題にならなかった。問題を引き起こした構図が放置されれば山口がグループを辞めざるをえなくなった可能性が高いが、その場合、運営側は『山口には少し精神的な問題がある』と宣伝するつもりだったのだろう。そうしたシナリオは告発で狂った。しかも週刊文春、警察、そして検察にも問題は飛び火している。その背後にある深い闇に光が当たった場合、海の向こう側へも飛び火するかもしれない。 AKS、週刊文春、警察、検察の闇に光を当てることになった山口の勇気は賞賛に値する。が、内部告発者が苦難の道を歩まざるをえなくなることも否定できない。例えば、2002年に雪印食品の牛肉偽装を内部告発した西宮冷蔵の社長。不正を告発するような会社とは取り引きできないということで事業の継続が困難な状況になったという。日本には不正が蔓延している。
2019.01.14
日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長を訴追するための予審手続をフランスの司法当局は始めたと伝えられている。2020年に開催が予定されている東京オリンピックの招致に絡む贈賄容疑だという。 昨年(2018年)11月19日に東京地検特捜部は日産自動車の会長だったカルロス・ゴーンと代表取締役のグレッグ・ケリーを逮捕したが、これと竹田の予審手続を関連付ける見方もあるようだが、フランス当局が捜査を開始したのは2016年だ。 国際陸上競技連盟(IAAF)の会長だったラミン・ディアクの息子に関係するシンガポールの銀行口座に約2億2300万円の送金があり、IOC委員の買収が目的だったのではないかという疑惑が持たれたとされている。この支払いを認めたのが招致委員会の理事長だった竹田だった。 竹田恒和の父、竹田恒徳もJOCの委員長だった。任期は1962年から69年、つまり1964年の東京オリンピックを挟んだ時期にあたる。 竹田恒徳は昭和天皇のいとこにあたり、ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、1937年から敗戦まで秩父宮雍仁の下で組織的な財宝の略奪、いわゆる「金の百合」を指揮していた。この秩父宮と竹田恒徳はジョセフ・グルーと近い関係にある。 グルーはいとこのジェーンが結婚した相手はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥。グルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。 こうした背景があるため、グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていた。特に親しかったとされている松岡洋右の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。 第2次世界大戦で敗北した日本の進む方向を決めたのはウォール街を後ろ盾とするジャパン・ロビーだが、その中心的存在もグルー。日本の戦前レジームと戦後レジームはつながっているのだ。 金の百合で略奪された財宝はフィリピンに集められ、そこから日本へ運ばれる手順になっていたが、途中で日本への輸送が不可能になり、相当量がフィリピンに隠された。その隠し場所を聞き出すために日本軍の将校を尋問したのがエドワード・ランズデール。表面的には軍人だが、実際は戦時情報機関OSSのオフィサーだった。 竹田は戦後、邸宅を堤義明の西武グループに売却、そこに建てられたのが高輪プリンスホテルだ。敗戦で資産を失ったという演出だったが、実際は資産を隠していたと言われている。堤義明は1989年から90年にかけてJOCの会長を務めた。 竹田恒和は日本とアメリカの深層海流とつながっている。フランス支配層はそこを意識しているのだろうか?
2019.01.14
昨年(2018年)11月19日、東京地検特捜部は日産自動車の会長だったカルロス・ゴーンと代表取締役のグレッグ・ケリーを逮捕した。 ゴーンに限らず、新自由主義が蔓延した世界では巨大企業の経営者が法外な報酬を得ると同時に大多数の人々は貧困化、その不満は高まっている。 生産活動を軽視する新自由主義はカネの転がしがシステムの中心に据えられている。不動産を担保にして高利でカネを借り、相場が上昇すれば不動産の担保価値が膨らんで融資余力が生じ、さらに借金するというのもそうした仕組みのひとつだ。 そうした転がしを続けているとシステムは不安定化し、どこかの時点で崩壊する。場合によっては人為的に破裂させることもある。破裂のタイミングがわかれば儲けられるからだ。2008年9月に倒産した投資銀行のリーマン・ブラザーズは他の巨大金融機関を助けるための人身御供だという説はそうしたところから出ている。 この倒産劇の後、巨大金融機関は「大きすぎて潰せない」として庶民のカネで救済、犯罪行為が発覚してもその幹部は「大物すぎて処罰できない」ということになった。それ以降の金融界は無法地帯だ。 これが現在の世界であり、日本も例外ではない。ゴーンはその世界の住人だが、彼が特殊な存在だとは言えないだろう。 前にも書いたことだが、ゴーンなどは日本人重役と対立していたと言われている。ゴーンの出身母体であるルノー側は日産との経営統合、あるいは合併を目論み、それに対して日本人重役が反発していたのだ。ルノーは日産自の株式の43%を、日産自はルノー株の15%を保有、両社の会長を務めるゴーンが統合後の新会社を率いる見通しだとされていた。ゴーンは2014年4月にロシアでの自動車販売を推進する姿勢を見せていたが、これはアメリカ支配層を刺激したはずだ。 ルノーと日産の経営一体化を進めるようにゴーンへ求めていたのはルノーの筆頭株主であるフランス政府だという。そのトップは言うまでもなくエマニュエル・マクロン大統領だ。 ロシアとのビジネスを推進しようとしてアメリカに睨まれたEUの会社のひとつはドイツのフォルクスワーゲン。アメリカからの圧力をはねのけ、2015年9月4日からロシアでエンジンの生産を始めているのだ。 工場が動き始めた2週間後、アメリカのEPA(環境保護局)がフォルクスワーゲンが販売している自動車の一部が排ガス規制を不正に回避するためのソフトウエアを搭載していたと発表している。 ゴーンの逮捕は日本の刑事司法制度の実態を世界に知らせることになった。見込み捜査、自白偏重、不透明な取り調べ、代用監獄、人質司法、長期拘留といった問題が指摘されてきたが、最近では司法取引という新たな闇が加わっている。監獄を刑事施設と言い換えても本質に変化はない。弁護士を伴わない証人喚問は日本の「革新勢力」も大好きだ。 日本の刑事司法制度が民主的でないことは以前から世界に知られていた。2013年5月にジュネーブで開かれた国連拷問禁止委員会の「第2回日本政府報告書審査」でも日本側は批判されている。 この審査でモーリシャスの委員から日本の刑事司法について「弁護人に取調べの立会がない。そのような制度だと真実でないことを真実にして、公的記録に残るのではないか。」と指摘されている。「自白に頼りすぎではないか。これは中世のものだ。中世の名残りだ。」とも言われたという。 この指摘に対し、外務省の人権人道大使だった上田秀明はそうした疑念を自らが証明してしまう。「日本は、この分野では、最も先進的な国の一つだ」と彼は発言、会場で笑い声が起こったのだが、問題はその後。「笑うな。なぜ笑っているんだ。黙れ!黙れ!」と叫んだのである。日本を知る世界の専門家はモーリシャスの委員と同じように考えているだろう。 もっとも、司法当局が信頼できない国は日本に限らない。アメリカの場合、本ブログでも繰り返し書いてきたように、「ロシア疑惑」を証拠なしに宣伝しているのはFBI、司法省、特別検察官。こうした組織に「正義」を期待するべきではない。 エレクトロニクス技術は1970年代から急速に発展、不特定多数のターゲットを追跡、情報を記録、分析するシステムの開発も進んだ。 その中で能力が高く注目されたのがINSLAW社のPROMIS。このシステムに関する報告が1979年3月と80年3月に法務総合研究所の『研究部資料』に載っている。このとき駐米日本大使館の一等書記官だった原田明夫は「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を推進した人物だ。 そのシステムの優秀さに目をつけた司法省は詐欺的な手段を使った盗み、トラップドアを組み込んで国際機関、各国の政府機関、金融機関などの売っている。 INSLAW社は司法省を訴え、ワシントン破産裁判所は1988年に、ワシントン連邦地裁は1989年にそれぞれINSLAW社の主張を認めている。つまり司法省がシステムを盗んだと認定したのだ。1992年には下院の司法委員会が司法省による盗みを認める報告書を発表した。 しかし、控訴裁判所は「破産裁判所と連邦地裁に裁判権がない」という理由で原判決を破棄。最高裁判所は1997年、イラン・コントラ事件で偽証して有罪になったロバート・マクファーレン、あるいは証券詐欺や銀行詐欺などでロサンゼルスの連邦地裁で有罪の評決を受けたアール・ブライアンの証言に基づいて司法省がシステムを盗んだという主張を退けた。
2019.01.13
アメリカのマイク・ポンペオ国務長官は1月9日に突如イラクを訪問し、クルド人自治区のアルビールでマスード・バルザニと会った。アルビールとバグダッドの中間に位置し、重要な油田があるキルクークの近くには相当数のアメリカ軍が展開しているという。そうしたアメリカ軍のパトロール部隊にイスラエルの情報部隊が紛れ込んでいるとも言われている。 マスード・バルザニと父のムラー・ムスタファ・バルザニはイラクにおけるクルドの指導者だが、1960年代からイスラエルの傀儡で、ふたりともモサドのエージェントだと言われている。バルザニ親子はイスラエルの手先としてイラクを不安定化させる役割を果たしてきたのだ。 2015年9月30日にシリア政府の要請でロシア軍がシリアでの戦闘に介入、アメリカ主導軍とは違って本当にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)やアル・カイダ系諸グループを攻撃、その支配地域を急速に縮小させた。 そこでバルザニの一派はクルドの支配する「満州国」を建国しようと目論む。2017年9月にはこの勢力はクルドの独立を問う住民投票を実施、90パーセント以上の住民が賛成したとされたものの、キルクークが反マスード派クルドとイラク軍によって制圧されてしまい、破綻した。この時点でバルザニ派はクルドをコントロールする力を失っていたわけだ。 アメリカのドナルド・トランプ大統領はシリアから2000名のアメリカ軍地上部隊を撤退させる意向を示し、その意向に従ってジェームズ・マティス国防長官は撤退の命令書に署名したのだが、ネオコンや有力メディア、あるいはリベラルを自称する人々などは撤退に反対している。 トランプ政権内でも反発は強く、マティスは辞任を表明、ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官、そしてシリア特使のジェームズ・ジェフリーも大統領と対立し、図らずもアメリカの権力構造を露呈させることになった。 現在、アメリカ軍はイラクにおける戦力を増強していると言われている。そうした中、ポンペオはイスラエルの指揮下にあるクルドの指導者に会ったわけだが、この指導者、マスード・バルザニのクルド内での影響力はかつてほど大きくない。
2019.01.12
ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官とマイク・ポンペオ国務長官がそれぞれ中東を訪問、シリアからアメリカ軍を撤退させるとしたドナルド・トランプ大統領の発言を否定すると同時にその発言を肯定するというアクロバティックなことを行っている。 中東を侵略、ロシアを軍事的に恫喝してきたネオコンや有力メディア、あるいはリベラルを自称する人々から批判されているトランプの決定はトルコ政府との会談が発端だと推測する人もいる。 トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権はクルド勢力を「テロリスト」だと位置づけ、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)やアル・カイダ系諸グループと同じだと主張、攻撃する姿勢を見せている。アメリカ軍がクルド勢力を守ろうとすれば、アメリカ軍とトルコ軍、NATOに加盟する国の軍隊同士が衝突する可能性があるわけだ。トランプはそれを恐れたと考える人もいる。 しかし、アメリカなしに中東で現在の立場を維持することが難しく、イランの体制を転覆させたいイスラエルやサウジアラビアの現支配層はトランプの決定に激怒、この2カ国とつながる西側支配層も怒った。 ボルトンによると、トランプ大統領は彼に対し、トルコ軍によるクルド人殺害を許さないと語ったとした上で、トルコの軍事作戦はアメリカの承認を受けて行うように要求した。 エルドアン大統領はこの発言に激怒、自分たちは「テロリスト」と戦うのだと強調。トルコのメブルト・チャブショール外相はイランやロシアの外相と会談、アメリカ軍の撤退問題で連携することを求めた。 前にも書いたように、トランプ政権内ではポンペオ国務長官、ボルトン国家安全保障補佐官、そしてシリア特使のジェームズ・ジェフリーはシリア東北部、つまりユーフラテス川の北、イラクと接している地帯の永続的な占領を目指して活動している。 2011年3月からアメリカのバラク/オバマ政権はイスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランス、トルコ、カタールなどと手を組み、ジハード傭兵をシリアへ送り込んで侵略戦争を開始するが、その翌年にアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)がホワイトハウスへ提出した報告書は東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があると警告していた。 2014年に売り出されたサラフィ主義者を主体とする戦闘集団、ダーイッシュは東部シリアからイラクにかけての地域を占領、その支配地域はダマスカス近くまで迫った。 2012年から14年にかけてDIAの局長を務めていたマイケル・フリン中将は退役後、2015年8月にアル・ジャジーラの番組で、ダーイッシュを出現させた政策の実行を決めたのはオバマ大統領だと語っている。その政策をネオコン、有力メディア、自称リベラル派などは批判しなかった。 クルドはイラクやシリアの山岳部で生活していたが、二つの地域のクルドは別の存在。イラクのクルドが使う言語はソラニ語で文字はアラビア文字、シリアのクルドはクルマンジ語でラテン文字だ。 イラクのクルドはイスラエルの指揮下にあり、指導者のバルザニ親子はモサドのエージェントだったとも言われていたが、すでにこの構造は崩れ、イラク政府と連携しているようだ。それと入れ替わりのようにして、シリアのクルドがアメリカの支配下に入った。そのシリアのクルドが現在、シリア政府との関係を強めようとしている。 アメリカの権力者は中東の支配構造を維持しよとしているが、その構造は崩れつつある。その流れを止めることは簡単でない。
2019.01.11
アメリカとEUとの利害対立が強まっている。エネルギー源の問題は特に顕著だ。例えば、現在ロシアとEUは新たなパイプライン、ノード・ストリーム2の建設計画を進めているが、アメリカはこの計画を潰そうとしている。イランからの石油輸入も止めるために圧力を加えてきた。 本ブログでは何度も指摘してきたように、アメリカやイギリス、つまりアングロ・サクソン系の支配層はユーラシア大陸の周辺部、つまり西ヨーロッパ、パレスチナ、アラビア半島、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ地域を支配して内陸部を締め上げようというのだ。この地域をハルフォード・マッキンダーは内部三日月帯と名付けた。 その西端の外側にあるのがイギリス、東端の外側が日本。こうしたイギリスの世界制覇戦略において日本は重要な意味を持っている。19世紀にイギリスは中国(清)を略奪するためにアヘン戦争を仕掛けたが、内陸部を支配するための地上部隊が圧倒的に不足、そこで日本が目をつけられたのだ。国家神道の日本を作り上げた明治維新もその後の日本の大陸侵略もそうした視点から見直す必要がある。 内部三日月帯という包囲網を築くためにはパレスチナとアラビア半島を支配する仕組みが必要だが、その仕組みとして機能しているのが1948年に作られたシオニストの国であるイスラエルと1932年に作られたワッハーブ派の国であるサウジアラビアだ。 この海の包囲網を機能させる上で1869年に完成したスエズ運河の役割も重要。この運河は1875年にイギリス系企業の所有になり、82年にイギリス軍は運河周辺の地域を占領する。この運河が存在しないなら、船はアフリカ大陸の南端を回らなければならない。 第1次世界大戦(1914年から18年)と第2次世界大戦(1939年から45年)でヨーロッパ、ソ連/ロシア、中国などは破壊と殺戮で疲弊、イギリスやアメリカの支配層が世界に君臨する時代に入った。(詳細は割愛) 第2次世界大戦の終盤にイギリスのウィンストン・チャーチル首相がイギリス軍、アメリカ軍、ドイツ軍でソ連を奇襲攻撃しようとしていたことも本ブログで繰り返し指摘してきた。ドイツ軍との戦闘でソ連は消耗、侵略のチャンスだと考えたのだろう。 つまり、大戦後、ソ連が軍事侵攻してくるような状況にはなかった。そこで組織されたNATOの主要な目的はヨーロッパの支配。NATOが組織される前から「NATOの秘密部隊」は編成され、そのひとつがイタリアで爆弾テロを繰り返したグラディオだ。 イタリアと同じようにコミュニストの力が強かったフランスでも米英は秘密工作を実行している。フランスで1947年に社会党政権が誕生すると、その内部大臣だったエドアル・ドプは右翼の秘密部隊が創設されたと語っているが、これがフランスにおける「NATOの秘密部隊」。その年の夏、アメリカとイギリスの情報機関は秘密部隊を使い、クーデターを目論む。そのクーデターでシャルル・ド・ゴールを暗殺しようとしたという。 この計画は成功しなかったが、1961年になるとOAS(秘密軍事機構)という秘密組織が作られた。ド・ゴールに反発する軍人らによって構成されていたが、その黒幕はCIAの破壊工作(テロ)部門。OASはこの年の4月にマドリッドで開いた会議でクーデターを計画する。 この年、アメリカではジョン・F・ケネディが大統領に就任していた。この計画を知ったケネディはジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。選挙期間中、ケネディは「タカ派」だと見られていたが、実際は違った。 ケネディの発言はクーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということを意味しているわけで、CIAは驚愕する。その後、ド・ゴール大統領は計画に参加していたと見られるフランスの情報機関SDECEの長官を解任、SDECEの暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。 それでも諦めないOASの一派は1962年8月にパリでド・ゴール大統領の暗殺を試み、失敗している。暗殺計画に加わったメンバーは9月にパリで逮捕され、全員に死刑判決が言い渡されたが、実際に処刑されたのはジャン-マリー・バスチャン-チリー大佐だけ。ド・ゴールを救ったケネディ大統領は1963年11月に暗殺された。 ド・ゴール大統領は暗殺未遂から4年後の1966年にフランス軍をNATOの軍事機構から離脱させ、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出した。ド・ゴールはNATOの正体を熟知していた。 フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのはソ連消滅の4年後、1995年になってからのこと。完全復帰はその14年後だ。 その間、2003年にアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権はイラクを戦争攻撃した。大量破壊兵器を口実に使っていたが、これが嘘だということは攻撃前から指摘されていた。この攻撃にフランスやドイツは参加していない。 当時、フランス大統領としてアメリカ政府の姿勢を批判していたジャック・シラクはド・ゴールの流れをくむ政治家だという。そのシラクは大統領を退任した直後、2007年からスキャンダル攻勢にあい、職員架空雇用の容疑で起訴されて2011年には執行猶予付きながら禁固2年が言い渡された。 現在、EUはイランとの貿易を継続する方策を検討しているらしいが、アメリカ支配層の圧力で前に進んでいない。その間、イランはロシア、中国、トルコ、イラク、インドなどの国々との関係を強めている。 2014年にバラク・オバマ政権がウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを進めた際、ビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使との電話での会話がインターネット上に公開された。その中でヌランドは話し合いでの解決を模索していたEUへの不満を「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という表現で表している。イランやノード・ストリーム2の問題でもアメリカ側は同じようなことを口にしているかもしれない。
2019.01.10
シリア西部にあり、トルコに接しているイドリブで軍事的な緊張が高まっている。ロシア軍機が空爆を実施、シリア政府軍も攻撃の準備を整えつつあるようだ。 2015年9月30日にシリア政府の要請でロシア軍が介入してからサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団を中心とする戦闘集団の支配地域は急速に縮小、その戦闘集団は戦力をイドリブに集中させてきた。 ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)問題に関するアメリカの大統領特使、ブレット・マクガークは昨年2017年7月、イドリブについて、2001年9月11日からアル・カイダの最も大きな避難場所だと表現していた。 このアル・カイダはロビン・クック元英外相が2005年7月に指摘したように、CIAの訓練を受けたムジャヒディンの登録リストにすぎない。アラビア語でアル・カイダはベースを意味、データベースの訳語としても使われる。 そうしたリストを使って編成される武装集団には様々なタグがつけられてきた。イドリブで最も大きなグループはトルコの影響下にあるタハリール・アル・シャーム。かつてはアル・ヌスラと呼ばれていた。 アメリカ軍の情報機関DIAが2012年8月に政府へ提出した報告書によると、アル・ヌスラはAQI(イラクのアル・カイダ)と実態は同じ。 AQIが中核になって2006年にISI(イラクのイスラム首長国)が編成され、13年に活動範囲がシリアへ拡大するとダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)と呼ばれるようになった。そのダーイッシュが売り出されたのは2014年。ダーイッシュは残虐性を演出、アメリカ軍のシリア空爆の口実に使われた。アル・ヌスラとダーイッシュの実態は同じだと言えそうだ。違うのはタグ。いずれもジハード傭兵と呼べるだろう。 こうしたジハード傭兵はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟、イギリスとフランスのサイクス-ピコ協定コンビ、パイプラインの建設でシリアと対立したカタール、そしてオスマン帝国の再興を夢見るトルコなどに支えられてきた。 その中心はアメリカ。そのアメリカの大統領だったバラク・オバマは2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を中心とするグループを使って政権転覆プロジェクトを始めた。2011年春に侵略戦争が始まったリビアとシリアはアメリカ政府の主要ターゲットだ。 イドリブからジハード傭兵が排除されたなら、残るはユーフラテス川の北側、シリアの東北部。このクルドが支配する地域にアメリカ軍は18カ所とも20カ所以上とも言われる軍事基地を建設してきた。イギリス軍やフランス軍も基地を持っている。 クルドの後ろ盾になっているアメリカもクルドと敵対しているトルコもNATO加盟国。トルコと戦いたくないアメリカはクルドにとって頼りになる存在とは言いがたい。 かつてアメリカ陸軍第75歩兵連隊の車列が入り、アメリカ、イギリス、フランスの特殊部隊が増強されていたと言われているマンビジからクルド軍が撤退、シリア政府軍は代わりに入った。アメリカを信頼するに足りない国だとクルドは気づいたのだろう。 そのアメリカは現在、ぐらついている。ドナルド・トランプ米大統領は2000名のアメリカ軍を撤退させると決め、ジェームズ・マティス国防長官は命令書に署名したが、その一方でこの決定に抗議して今年(2019年)2月で辞任すると表明した。 また、マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官、シリア特使のジェームズ・ジェフリーはシリア東北部の永続的な占領を目指して大統領の決定を無効化しようと政府の内部で活動している。 イドリブをシリア政府軍が奪還、クルドが政府側と話し合いを始めているだけでなく、イラクでもアメリカ軍に出て行くよう求める声が高まり、中東諸国の政府はダマスカスとの関係を修復させつつある。現在、アメリカ軍はダマスカスとバグダッドを結ぶ要衝、アル・タンフを不法占拠、武装勢力を支援している。アメリカとイギリスの特殊部隊がそこで反シリア政府軍を訓練、軍事演習も実施したと伝えられている。アメリカはそのアル・タンフを維持することも難しくなるかもしれない。
2019.01.09
1991年12月にソ連が消滅、それを受けてポール・ウォルフォウィッツは翌年の2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。このときウォルフォウィッツは国防次官だが、長官はラムズフェルドと一緒にフォード政権で登場したリチャード・チェイニーである。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンはソ連の消滅でアメリカが唯一の超大国になったことを前提にしているのだが、21世紀に入ってロシアが再独立、筋書きが狂ってしまう。ジョージ・W・ブッシュ政権の第2期目にはロシアが無視できない存在になったことを否定できなくなる。 ブッシュ・ジュニア政権はウォルフォウィッツのプラン通りにイラクを先制攻撃で潰し、次のバラク・オバマ政権はジハード傭兵を使ってリビアとシリアの体制転覆に乗り出す。その先にはイランがあるのだが、ロシアの抵抗もあり、シリアのバシャール・アル・アサド政権の打倒に失敗してしまう。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、2015年にオバマ政権は戦争体制に入る。シリアをNATO軍、あるいはアメリカ主導軍で攻撃しようとしたのだが、その前年にウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを実行した。その最前線にいたのがネオコンのビクトリア・ヌランド。やはりネオコンの中心グループに所属するロバート・ケイガンの妻だ。 ウクライナのクーデターで政権の転覆には成功したが、クリミアの制圧には失敗、しかも2015年9月30日にはシリア政府の要請でロシア軍が介入、アメリカなど外部勢力が送り込んだジハード傭兵は敗走していく。 2016年の大統領選挙でドナルド・トランプの資金的な後ろ盾はシェルドン・アデルソン。この人物はカジノ経営者でイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と親しい。ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官もアデルソンの影響下にある。 ネタニヤフ首相の父親、ベンシオン・ネタニヤフはニューヨークでウラジミール・ジャボチンスキーの秘書として働いた。ジャボチンスキーは1925年に戦闘的シオニスト団体「修正主義シオニスト世界連合」を結成した人物だ。 大統領選挙でトランプのライバルだったヒラリー・クリントンも親イスラエル派だが、両者には違いがある。クリントンの背後には軍需産業や巨大金融資本が存在、世界的投機家でロシア支配を目論んでいるジョージ・ソロスの指示で動いていたことがわかっている。つまり最重要ターゲットはロシア。それに対し、アデルソン、ネタニヤフ、ボルトンなどは大イスラエルの実現であり、最重要ターゲットはイランだろう。 イスラエルの力が相対的に衰えている現在、アメリカ軍がシリアから撤退するということをボルトンが反対するのは当然。イラクへ移動することさえ認められないのだろう。 2016年の大統領選挙に立候補した人物のうち、AIPACで演説しなかったのは民主党のバーニー・サンダースだけだった。そのサンダースを潰してヒラリー・クリントンを候補者にしようとしたのが民主党の幹部たちであり、それを明らかにしたのがウィキリークスだった。 アメリカ支配層は犯罪の容疑者ではないウィキリークスのジュリアン・アッサンジを秘密裏に起訴、サンダースへの批判を展開している。これだけ露骨なことをせざるをえないほど親イスラエル派は追い詰められているとも言える。(了)
2019.01.08
アメリカではマルコ・ルビオ上院議員を中心とするグループがBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)を法的に禁止しようとしている。昨年(2018年)12月22日に連邦予算の一部が失効しているが、その問題よりイスラエルを守ることを優先しているわけだ。 政府機関の一部が閉鎖される直前、ベン・カーディン上院議員とロブ・ポートマン上院議員はどさくさ紛れに、アメリカ企業がイスラエル・ボイコットに参加できないようにしよう目論んでいたが、そうした動きが続いていると言える。 繰り返しになるが、アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律があり、エルサレムがイスラエルの首都だと認めた上で、1999年5月31日までにそこへ大使館を建設するべきだとしていた。 その法律は歴代大統領の判断もあって実現しなかったのだが、2017年6月にアメリカ上院はその法律を再確認する決議を賛成90、反対0、棄権10で採択している。それがアメリカ上院議員の意思であり、そうした中から今回の法案も出てきた。 アメリカの政界はシオニズム、つまりイスラエル至上主義に覆われている。そうした状況を作り出す仕組みの中心に存在しているのがAIPAC。そうした考え方に基づいて動いている人々がネオコンで、その影響は民主党にも共和党にも及んでいる。 現在、ネオコンで中心的な役割を演じている人々は若い頃、ヘンリー・ジャクソン議員の事務所で訓練を受けていた。その中にはリチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、エリオット・エイブラムズ、ダグラス・フェイス、エイブラム・シュルスキーも含まれていた。 そうした一団が表舞台に登場してくる切っ掛けは1972年の大統領選挙。このときに民主党ではジョン・F・ケネディに近く、戦争に反対していたジョージ・マクガバンが支配層の思惑に反して候補者に選ばれたのだ。 民主党の内部ではマクガバンを潰すためにCDMなる反マクガバン派のグループが形成されるが、その中心になったのがジャクソン議員、ジャクソンが影響を受けたひとりがフリッツ・クレーマーである。 クレーマーはドイツ生まれで、熱烈な反コミュニストとして有名。第2次世界大戦中、ヘンリー・キッシンジャーに目をつけて出世街道に乗せたことでも知られている。大戦後、クレーマーは陸軍参謀部の顧問に就任した。 実際にネオコンが表舞台に登場してくるのはジェラルド・フォード大統領の時代。フォードはリチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚したことを受けて副大統領から昇格したのだが、大統領に就任するとデタント派を粛清していく。特に重要だと考えられているのが国防長官とCIA長官の交代だ。国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、CIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代した。 ジャクソン議員の事務所で教育されたひとりであるウォルフォウィッツは1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。(2007年3月、10月)(つづく)
2019.01.08
2001年1月にジョージ・W・ブッシュが大統領となり、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。 その10日ほど後、クラーク元欧州連合軍最高司令官はアメリカ軍の中枢、統合参謀本部でイラクを攻撃するという話をスタッフから聞く。その数週間後、国防長官の周辺で攻撃予定国のリストが作成されていたことをやはり統合参謀本部でクラークは知らされている。そこに載っていた国はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランだった。 ブッシュ・ジュニア政権は詳しい調査をせずに攻撃は「アル・カイダ」が実行したと断定、2003年にはアル・カイダ系武装集団と対立していたサダム・フセイン体制下のイラクを先制攻撃した。その際に口実として使われた「大量破壊兵器」の話は嘘だった。 この攻撃でフセイン体制は崩壊、フセイン自身は処刑された。当初の計画ではイラクに親イスラエル派の体制を築くことになっていたが、実際はイラクの多数派であるシーア派の政権が誕生し、イランとの関係が深まる。 そこでブッシュ・ジュニア政権は方針を転換、スンニ派と手を組むことにする。そしてシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作をイスラエルやサウジアラビアと開始したという。イラクに続いてシリアとイランを破壊するのはウォルフォウィッツ・ドクトリンのプランだ。 2009年1月に大統領はオバマに交代、大統領は2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を使った侵略計画を承認した。そして「アラブの春」が始まり、2011年2月にはリビア、同年3月にはシリアでムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とするジハード傭兵が侵略戦争を始める。1970年代終盤にブレジンスキーがアフガニスタンで行った秘密工作と基本構造は同じだ。 リビアではNATOとアル・カイダ系武装集団のLIFGが連携して体制転覆に成功、アメリカ主導軍は兵力をシリアへ集中させたが、ここで躓く。偽情報の流布は発信源の実態が露見して思惑通りに進まず、化学兵器話も嘘がばれた。 2015年9月にオバマ政権は国防長官や統合参謀本部議長を好戦派に交代させ、リビアと同じようにNATO軍、あるいはアメリカ主導軍を軍事侵攻させる態勢を整えたのだが、ロシア軍がシリア政府の要請で介入して失敗に終わった。 こうしたアメリカ支配層の侵略は嘘で支えられている。そうした嘘が知られるようになると、アメリカ支配層の嘘を暴く情報が嘘だという偽情報を流し始めたが、そうした嘘に踊らされる人ばかりではない。 アメリカの支配層が第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃からモッキンバードと呼ばれる情報操作プロジェクトを始めたことが知られている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いているが、それによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、ウド・ウルフコテもメディアとCIAとの関係を告発しているひとり。 彼によると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことで、多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているとしている。 その結果、ヨーロッパの人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっているとしていた。そして2014年2月、この問題に関する本をドイツで出版した。その英訳本も出たはずなのだが、手に入れることはできない。日本語訳が出たという話も聞かない。 こうした本を出版できるドイツではアメリカの実態を知る人が比較的多いようで、最近実施された世論調査では55パーセントの人がドイツの脅威だと考える国としてアメリカを挙げている。「悪魔化プロパガンダ」のターゲットになっているロシアより1ポイント低いだけ。ちなみに、日本で「悪魔化プロパガンダ」のターゲットになっている朝鮮は27パーセント、中国は16パーセントだ。(了)
2019.01.07
シリアからアメリカ軍を撤退させるというドナルド・トランプ大統領の決定に対する批判は有力メディアや議会だけでなく政府内からも出ていた。ジェームズ・マティス国防長官は撤退の命令書に署名したものの、今年(2019年)2月一杯で辞任するとしている。 そうした反発は強烈なようで、ロイターによると、国務省の高官は撤退の日程を決めていないと語ったという。何年か何十年か何百年かわからないということ。大統領の決定を無効にしようという動きが国務省にもあるということだろう。 アメリカ軍の撤退が問題になっているという話は、アメリカ軍が存在していることが前提になる。バラク・オバマ政権はシリア政府の承認を受けず、地上軍をシリア領内へ侵攻させて基地を建設したのだ。イギリスやフランスが建設した軍事基地を合わせると、そうした基地は20カ所以上に達するとも言われている。 こうした侵略のスタートは1992年2月に作成された国防総省のDPG草案、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はリチャード・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツ次官が中心になって作成されたことからそう呼ばれているわけだ。 チェイニーやウォルフォウィッツはネオコン、つまりシオニストの一派。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていた。(2007年3月、10月) ウォルフォウィッツ・ドクトリンはアメリカが唯一の超大国になったことを前提にした世界制覇プランだが、1993年1月に始まったビル・クリントン政権の第1期目はこのプランに従って動いていない。 1993年9月2日付けのウォール・ストリート・ジャーナル紙にボスニアへの軍事介入を求める公開書簡が掲載されたのも同政権への不満が背景にある。 ちなみに署名者にはイギリスのマーガレット・サッチャー元首相、アメリカのジョージ・シュルツ元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、ズビグネフ・ブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官、ポール・ニッツェ、ジョージ・ソロス、ジーン・カークパトリック、アルバート・ウールステッター、ポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パールが含まれている。 侵略戦争を始めるのは第2期目、マデリーン・オルブライトが国務長官に就任してから。オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの教え子で、ヒラリー・クリントンと親しいと言われている。 1999年3月にNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃、4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館が爆撃された。大使館を爆撃したのはB2ステルス爆撃機で、目標を設定したのはCIAだ。3機のミサイルが別々の方向から大使館の主要部分に直撃している。(つづく)
2019.01.07
軍事クーデターで実権を握ったオーグスト・ピノチェトは1979年に健康管理から年金、教育まで全てを私有化しようと試み、関税を撤廃、資本や売買の規制を緩和、交換レートを固定した。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003) 一連の規制緩和でチリの民間部門は外国の金融機関から多額の資金を調達、1980年代に入ると債務額は倍増。債務危機が起こると外国の金融機関は銀行の国有化を求め。国有化された彼らの債権は私有化された国有企業の株券と交換することが許された。その結果、チリの年金基金、電話会社、石油企業などチリの重要な企業を外国の投資家は格安のコストで支配することになる。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003) 当然のことながら、こうした政策で庶民は貧困化、その子供は教育を受けるチャンスを奪われ、さまざまな不平等を再生産することになった。これが「チリの奇跡」だ。 新自由主義が庶民に塗炭の苦しみを強いることは事前に予測されていたことで、そのためには反対勢力を殲滅する必要があった。そうした意味でもピノチェトの軍事クーデターは重要な意味を持っている。 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は「少なくとも2025名」だというが、実際の犠牲者はそれを上回り、一説によると約2万人が虐殺されている。ブラジルの新大統領、ボルソナーロに言わせると、「ピノチェトはもっと多くの人間を殺すべきだった」。 21世紀に入った直後、ブラジルはアメリカから自立する動きを見せていた。その当時の指導者、ルイス・シルバやジルマ・ルセフをアメリカは議会を使って排除する。 議会でシルバやルセフの政治的な抹殺を先導していたのはブルーノ・アラウージョやエドアルド・クーニャだが、前者は巨大建設会社から違法な資金を受け取った容疑をかけられ、後者はスイスの秘密口座に数百万ドルを隠し持っていることが発覚した。 ブラジルを再び植民地化するためにアメリカ支配層が使った組織としてMBL(自由ブラジル運動)やEPL(自由を求める学生)が知られている。両団体を創設したキム・カタグイリはミルトン・フリードマンの新自由主義を信奉する「活動家」。MBLを率いているジュリアーノ・トレスとファビオ・オステルマンが学んだアトラス・リーダーシップ・アカデミーはアメリカの富豪、チャールズとデイビッドのコーク兄弟から資金が出ている。EPLのスポンサーもコーク兄弟だ。 シルバやルセフを支えていた人々はアメリカ巨大資本の支配システムを壊さなかった。資金力、情報力、軍事力で圧倒しているアメリカ支配層が反撃してくるのは必然だったと言える。 そのアメリカ支配層は邪魔な存在を皆殺しにしてきた。チリもそうだが、1965年のインドネシアは悪名高い。現在のインドネシアをカルト国家と呼ぶ人もいるが、確かに欧米権力層はカルトを支配の道具として使っている。その一例がワッハーブ派だ。 アメリカ支配層は支配の仕組みとしてNATOや日米安保のような軍事同盟も利用している。ボルソナーロがブラジルにアメリカ軍の基地を建設すると言っている意味もそこにあるはずだが、そうした事態になるとブラジル軍はアメリカ軍の支配下に入ることになる。それをブラジル軍が受け入れるかどうかが問題になってくるだろう。(了)
2019.01.06
ブラジルの新大統領、ジャイール・ボルソナーロは同国にアメリカ軍の基地を建設する意向を示している。 この人物はチリの独裁者だったオーグスト・ピノチェトを信奉、つまり表面的な手法はともかく、巨大資本に奉仕するという政治経済的な立場はドナルド・トランプよりヒラリー・クリントンに近い。フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領とは正反対の立場だ。軍事政権時代に拷問を行ったことで悪名高いカルロス・アルベルト・ブリリャンテ・ウストラも彼は褒め称えている。軍事政権時代に政治犯だったルセフも拷問されているが、その責任者でもあった。 ピノチェトは1973年9月11日、軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒した。アメリカの巨大資本がクーデターの資金を提供していたが、政権転覆に命令は大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー。その命令でCIAの秘密工作(テロ)部門が動いたのである。 アジェンデは国民の大多数である庶民の立場から政策を推進しようとしたが、これはラテン・アメリカに利権を持つアメリカの巨大資本やその代理人である現地の支配層にとって許しがたいことだった。 選挙期間中、CIAは新聞、ラジオ、映画、パンフレット、リーフレット、ポスター、郵便物、壁へのペインティングなどを総動員してプロパガンダを展開したが、アジェンデが勝利する。 それに対してチリの支配層は生産活動を妨害、アメリカの巨大金融機関はチリへの融資をストップ、世界銀行も同国への新たな融資を止め、1972年になるとトラックの運転手がストライキを実施、商店主、工場経営者、銀行なども同調して全国的なロックアウトに発展した。 こうした揺さぶりはNSC(国家安全保障会議)の「オペレーション40」が指揮していたが、キッシンジャーは軍事クーデターを計画する。CIA長官だったリチャード・ヘルムズの下、秘密工作(テロ)部門が動いた。 この計画はCIAの内部でも秘密にされていたが、それでも計画の一端は外部に漏れてしまう。例えば、ワシントン・ポスト紙のコラムニストだったジャック・アンダーソンが1972年3月にコラムで多国籍企業のITTがチリで秘密工作を実行していると暴露したのである。フランク・チャーチ上院議員を委員長とする「多国籍企業小委員会」はこの件に関する聴聞会を実施した。 それでも工作は続き、キッシンジャーたちはチリ軍を支配するために護憲派だった陸軍総司令官を暗殺、その後任も憲法を遵守する立場だったために排除した。 アジェンデは1973年8月にオーグスト・ピノチェトを陸軍総司令官に任命する。ピノチェトも護憲派だと判断したのだが、これが致命傷になった。 クーデター後、ピノチェトはシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授の政策、つまり新自由主義を世界に先駆けて導入する。その政策を実際に実行したのがフリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授の弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。(つづく)
2019.01.06
アメリカとイスラエルをつなぐネットワークは強力で、両国の情報機関も深く結びついている。アメリカ大統領は政策を決定する際、アメリカの情報機関からアドバイスを受けるのだが、シリアからの地上部隊撤退ではそうしたアドバイスを聞かなかったという。 ドナルド・トランプ大統領は2016年の大統領選挙でシェルドン・アデルソンが最大のスポンサーだった。この人物はカジノ経営者でイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフと親しい。つまり、トランプの後ろ盾はシオニスト(イスラエル至上主義者)。トランプ大統領は2017年12月にエルサレムをイスラエルの首都だと認めると宣言しているが、これはスポンサーの意向に沿うものだった。 もっとも、選挙戦のライバルだったヒラリー・クリントンも後ろ盾はシオニスト。彼女は投機家のジョージ・ソロスから政策面で支持を受けていたが、ソロスはロスチャイルドと結びついている。 トランプとクリントンは対立関係にあるが、その後ろ盾はいずれもシオニスト。エルサレムをイスラエルの首都だと認めるべきだとする考えは共通のものだ。 本ブログでもすでに書いたことだが、アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律があり、エルサレムがイスラエルの首都だと認めた上で、1999年5月31日までにそこへ大使館を建設するべきだとしていた。 その法律は歴代大統領の判断もあって現実にならなかった。そこで2017年6月にアメリカ上院はその法律を再確認する決議を賛成90、反対0、棄権10で採択している。 トランプもこうした世界で生きてきたのだが、ここにきてイスラエル離れを起こしているように見える。アメリカではイスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動を封印しようとする動きがあるが、これはBDSの影響力が強まっていることを示している。そうした反イスラエルの動きがトランプに影響しているのかもしれない。
2019.01.06
朝鮮の金正恩労働党委員長は今年(2019年)の元旦に行った演説の中で、ドナルド・トランプ米大統領といつでも会う用意があると発言、トランプ大統領は金委員長と再会談する準備はできていると応じた。 両首脳は昨年(2018年)6月12日にシンガポールで会談し、4月27日に韓国の文在寅大統領と金正恩委員長が合意した「朝鮮半島の非核化」を米朝首脳は再確認している。 アメリカ支配層の内部には東アジアの軍事的な緊張が緩和されることを嫌う勢力が存在していることもあり、後にアメリカ大統領は朝鮮半島の非核化を朝鮮の一方的な核兵器放棄に替えてしまう。そうした勢力は朝鮮半島の平和でなく、制圧を目論んでいるのだ。 本ブログでは何度か指摘したが、例えばリビアの場合、アメリカは2003年にムアンマル・アル・カダフィ政権に核兵器や化学兵器の廃棄を決めさせたが、約束に反して「制裁」を解除しなかった。 そして2010年にバラク・オバマ大統領はムスリム同胞団を使った侵略計画(PSD11)を作成、「アラブの春」という形で政権転覆に着手する。リビアは侵略され、カダフィ体制は崩壊、カダフィ自身は惨殺された。リビアは現在、破壊、殺戮、略奪が横行、暴力が支配する破綻国家だ。 ドイツの場合、東西ドイツ統一の後にNATOは東へ、つまりソ連/ロシアへ向かって拡大、今ではロシアとの国境線に到達している。ドイツが統一される際、国務長官だったジェームズ・ベイカーはソ連のエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、東へNATOを拡大することはないと約束したのだが、約束は守られなかった。ドイツのシュピーゲル誌によると、ロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックはアメリカがそのようにロシアへ約束したと語っている。 ベトナムの場合、アメリカは戦争で負けたが、1991年ソ連が消滅してから3年後、ベトナムに対する「制裁」を解除する代償として新自由主義を受け入れさせた。しかもベトナム戦争中にアメリカ側が行った犯罪的な行為は不問に付され、ベトナムの庶民は低賃金労働者として西側巨大資本の金儲けに奉仕させられている。 アメリカは朝鮮半島も支配、中国やロシアへの軍事的な圧力を強めようとしているのだろうが、このケースでは朝鮮と韓国は連携、その背後には中国とロシアが存在する。すでに韓国は中国やロシアとの経済的なつながりを強め、東アジア経済圏を構築しつつある。12月12日には韓国軍と朝鮮軍の兵士が互いに国境を越え、和平の機運を演出した。 それに対し、アメリカは東シナ海や南シナ海での軍事的な圧力を強めて威圧しようと目論んでいる。日本はアメリカに従って軍事力を増強中。ランディ・シュライバー国防次官補は同盟国、つまりオーストラリア、ニュージーランド、イギリス、フランス、カナダに対し、南シナ海における軍事的な影響力を高めるように求めた。そうしたグループには日本も含まれているだろう。 そうした中、2018年12月20日、日本海で韓国軍の駆逐艦と海上自衛隊のP1哨戒機との間で問題が発生した。 日本側は韓国軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に対して射撃統制追跡レーダー(STIR)を使ったと主張、それに対して韓国側はそうした事実はないと否定している。韓国側の説明によると、朝鮮の漁船を救助中の韓国艦船から500メートル以内を高度150メートルで自衛隊機は飛行し続け、それを韓国側は威嚇と受け取った。 日本側はレーダー照射を受けたことを裏付ける具体的な証拠があるとしているが、韓国側は日韓両国が共同で哨戒機が記録した電磁波の情報を分析しようと呼びかけている。
2019.01.05
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領によると、トルコとイラクは「対テロ」での協力を強めるという。クルドへの攻撃ということでトルコはシリアやイラクとギクシャクしていたが、状況が変化しつつある。トルコとクルドとの間にシリアが入って衝突を回避する形になっているが、トルコとイラクとの関係も修復の動きが出てきたわけだ。 アメリカの妨害はあったが、すでにイランとイラクは協力関係にあり、トルコとイランはロシアを仲立ちとする形で接近してきた。これまでアメリカの手先として「満州国」を作る動きを見せていたクルドはここにきてシリアとの関係修復を図っている。 他のアラブ諸国はトルコの影響力拡大を懸念、シリアを防波堤として支援する動きもあるようで、結果としてイスラム諸国の連携強化につながっている。 その一方、苦境に陥ったのがイスラエル。アメリカに頼らざるをえないのだが、ドナルド・トランプ大統領はアメリカ軍をシリアから撤退させるとしている。アメリカでは民主党も共和党も親イスラエルで、トランプ政権の少なからぬメンバーもイスラエルを支えるべきだと考えている。 トランプは何を考えているのか? 2016年の大統領選挙でトランプ陣営に対する最大のスポンサーは日本とも関係の深いカジノ経営者、シェルドン・アデルソン。この人物はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフと親しいことで有名だ。つまり、トランプはイスラエルと深く結びついていた。 ネタニヤフ首相の父親、ベンシオン・ネタニヤフはニューヨークでウラジミール・ジャボチンスキーの秘書として働いた。ジャボチンスキーは1925年に戦闘的シオニスト団体の「修正主義シオニスト世界連合」を結成した人物として知られている。 この団体は1931年にはテロ組織と言われているイルグンを組織、そこから飛び出したアブラハム・スターンが1940年に創設した新たなテロ組織がレヒ、いわゆるスターン・ギャングだ。 ここにきてトランプとアデルソンとの関係が悪化しているとも言われている。トランプはヘンリー・キッシンジャーともつながっていると言われているので、その人脈との関係が強化された可能性もある。 このまま進むとロシアを軸にして中東は安定へ向かう。アメリカ、イギリス、フランスの支配層はそうした流れを嫌っているはずで、どのようなタグをつけるかはともかく、新たな傭兵を送り込むつもりかもしれない。
2019.01.04
アメリカでは昨年(2018年)12月22日に連邦予算の一部が失効、政府機関の一部が閉鎖された。その直前、民主党のベン・カーディン上院議員と共和党のロブ・ポートマン上院議員はどさくさ紛れに、アメリカ企業がイスラエル・ボイコットに参加できないようにしよう目論んでいる。 イスラエルは1948年5月14日にパレスチナで作られた。その際、先住のアラブ系住民(パレスチナ人)は虐殺、追放されて難民化する。パレスチナに残ったアラブ系住民もいるが、そうした人々をイスラエル政府は軍隊を投入して殺戮、建造物を破壊、巨大な分離壁を建設してその内部にパレスチナ人を押し込めてきた。つまり、巨大な強制収容所を作り上げたのだ。海上封鎖して兵糧攻めを続けている。 イスラエルと同じようにイギリスによって作り上げられたサウジアラビアの政府はイスラエルと同盟関係にあるが、イスラエルによるパレスチナ人に対する残虐行為を非難する声は小さくない。 民間レベルではイスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動がヨーロッパを中心に展開されている。アメリカの上院議員はこのBDSにアメリカ企業が参加することを妨害しようとしたのだ。 ドナルド・トランプ大統領は2017年12月にエルサレムをイスラエルの首都だと認めると宣言しているが、これはアメリカ議会の意思でもあった。 本ブログでもすでに書いたことだが、アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律があり、エルサレムがイスラエルの首都だと認めた上で、1999年5月31日までにそこへ大使館を建設するべきだとしていた。 その法律は歴代大統領の判断もあって現実にならなかった。そこで2017年6月にアメリカ上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。議会の意思をトランプ大統領は尊重したとも言えるのだ。 日本は無縁のようだが、BDSはイスラエルに対する圧力になっている。そうした運動を封じ込めようという動きがアメリカでは議会だけでなく、教育の世界でも見られる。 テキサス州の養護学校で言語療法士として働いていたバヒア・アマウィは雇用契約の更新を拒否されたのだが、その原因はイスラエルに対する経済的な損害を与えるあらゆるボイコットに参加しないという内容の誓約書に署名することを拒否したことにあった。 バラク・オバマ政権が推進していたTPP、TTIP、TiSAといった国の主権を放棄する政策に反対していたエリザベス・ウォーレンもイスラエルを擁護、エルサレムをイスラエルの首都だと認める立場だ。 こうした問題をアメリカは以前から抱えていたのだが、ここにきて表面化してきた。それだけアメリカの支配力が弱まっているということだろう。
2019.01.03
アメリカ戦略軍が昨年(2018年)末、ツイッターで核攻撃を示唆する書き込みをして話題になった。
2019.01.03
アメリカのドナルド・トランプ大統領はシリアから2000名のアメリカ軍地上部隊を撤退させる意向を示し、その意向に従ってジェームズ・マティス国防長官は部隊をシリアから撤退させる命令書に署名したと伝えられている。30日以内に撤退を完了させることになっていたようだが、ここにきて撤退のペースを遅らせると言われ始めた。撤退に反対する人々からの圧力がそれだけ強いということなのだろう。 撤退方針が明らかになってから民主党だけでなく共和党の議員も大統領の方針に反対、有力メディアも批判している。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、ブレット・ステファンズもトランプの決定を批判しているひとり。昨年(2018年)12月26日付けの紙面で「トランプはイスラエルにとって悪い」というタイトルの意見を書いている。トランプ批判の本質に触れるタイトルだと言えそうだ。 ステファンズによると、イスラエルにとっての脅威はヒズボラ。中東や北アフリカへの軍事侵攻を正当化するために使われたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)ではない。 本ブログでも何度か指摘したが、イスラエルはアル・カイダ系武装集団やダーイッシュと友好的な関係にある。2013年9月には駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンがバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近で、この発言は首相の意思でもあると考えられた。 2013年にバラク・オバマ政権はシリアへの直接的な軍事侵略を正当化させるため、「化学兵器話」を使った偽旗作戦を2013年に始めていた。その話が嘘だということを示す証拠、証言が出てくる中、9月3日に地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射された。 そのミサイルは途中で海中へ落下、後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だったと主張したが、実際に攻撃を始めたと見られている。周辺国に対する事前の通告はなく、発射実験だとする主張に説得力がないからだ。ジャミングなどECM(電子対抗手段)が使われたと推測する人も少なくない。 イスラエル軍が不法占拠しているゴラン高原で同軍がダーイッシュを支援していることも知られている。2016年11月にゴラン高原でダーイッシュとイスラエル軍が交戦、ダーイッシュの戦闘員4名が死亡したというが、イスラエルの国防大臣だったモシェ・ヤーロンによると、交戦後にダーイッシュ側から謝罪があったという。 ダーイッシュが売り出されたのはオバマ政権の偽旗作戦が失敗した半年後の2014年初頭。1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧、その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられ、広く知られるようになったのである。 このパレードの写真を見て奇異に感じた人は少なくない。アメリカの軍や情報機関は偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで武装集団の動きを知っていたはずで、攻撃できたはずなのだが、そうしていないからだ。このトヨタ車はアメリカ政府がFSA(自由シリア軍)、つまりシリア侵略のために送り込まれた傭兵部隊へ提供したものだと言われている。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAはオバマ政権が支援している武装勢力はサラフィ主義者やムスリム同胞団を主力とし、戦闘集団としてアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げている。また、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。その警告がダーイッシュという形で現実なったのである。 2012年当時のDIA局長はマイケル・フリン中将。ダーイッシュが売り出されるとオバマ政権内で対立が激しくなり、フリンは解任されてしまう。 そのフリンは2015年8月にアル・ジャジーラの番組へ出演したが、その際にダーイッシュの出現を見通していたにもかかわらず阻止しなかった責任を司会者から問われる。 それに対し、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目だとフリンは答えている。つまり、オバマ政権の「穏健派支援」がダーイッシュの勢力を拡大させたというわけだが、これは正しい。 アメリカやその同盟国とダーイッシュとの関係をフリンだけが指摘していたわけではない。 例えば、アメリカ空軍のトーマス・マッキナニー中将は2014年9月にアメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで語り、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言、10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語っている。2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べた。 クラークによると、遅くとも1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅するプランが存在していたことを明らかにしている。国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツがそう語っていたというのだ。(ココやココ) 1991年1月にアメリカ主導軍はイラクへ軍事侵攻した。ネオコンはサダム・フセインを排除(殺害)するつもりだったが、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領はフセイン体制を倒さずに停戦してしまう。フセインの体制を倒した場合、中東が混乱してアメリカの利権にとって良くない展開になる可能性があると考えたのだろう。 しかし、ネオコンはこの決定に激怒するのだが、ソ連軍が出てこなかったことを見てほくそ笑む。ソ連軍を気にせず軍事侵略しても大丈夫だと考えたのだ。ソ連が消滅した後、そうした考えは強まったはずだ。ソ連が消滅した直後に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンが好戦的な内容だった一因はそこにあるだろう。 クラークによると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから6週間ほど後、国防長官の周辺で攻撃予定国リストが作成され、そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。イランが最重要ターゲットだ。 しかし、2001年以降、ネオコンの世界制覇プランを揺るがす事態がロシアで進行していた。ウォルフォウィッツ・ドクトリンはソ連の消滅とロシアの属国化が前提になっているのだが、ロシアが再独立に成功したのだ。 それでもネオコンをはじめとする好戦派は予定通りにプランを進めようとしている。イラクとリビアを破壊したが、シリアでは送り込んだサラフィ主義者やムスリム同胞団を中心とするジハード傭兵が敗走、それを受けて雇い入れたクルドもシリア政府と関係を修復しようとしている。そうした中、トランプ大統領はアメリカ軍の撤退を決定したのだ。 その決定に反対している人は政府内にもいるのだが、アメリカ軍の撤退に反対するということは、侵略に賛成していたことを意味する。いつアメリカ軍の地上部隊をシリアへ侵攻させることが認められたのだろうか? トランプ大統領が撤退を決めた当時、アメリカ軍、イギリス軍、フランス軍を併せるとシリア領内に20カ所の軍事基地が建設されていたとも言われている。そうしたことをアメリカなどはシリア政府の承諾を受けずに実行した。 リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された後、アメリカ政府は戦闘員や武器/兵器をシリアへ集中させた。そこで2012年に入るとシリアでの戦闘が激しくなり、シリア北部ホムスで住民が虐殺されるということも引き起こされた。この虐殺は政府軍が実行したと西側の政府や有力メディアは宣伝していたが、証拠は示されていない。逆に、そうした主張を否定する情報は少なくなかった。 ホムスの虐殺を現地で調査した東方カトリックのフランス人司教も西側の政府や有力メディアが流す話を否定していた。虐殺を実行したのは政府軍と戦っているサラフィ主義者や外国人傭兵だというのだ。サラフィ主義者の大半はサウジアラビアなど外国から入ったのであり、事実上、シリアは外国から侵略されていたのである。 その報告はローマ教皇庁の通信社が伝えている。その司教によると、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」とその司教は書いている。その報告から7年。司教の発言は今でも生きている。
2019.01.02
アメリカにとって日本は属国であり、自分たちの利益を実現するための道具にすぎない。アメリカ支配層と同盟関係にあると言えるのはイギリスやイスラエルの支配層だけだろう。 それを象徴する連合体が存在する。アメリカのNSAとイギリスのGCHQを中心とする電子情報機関で編成されたUKUSA(ユクザ)だ。 このUKUSAはファイブ・アイズと呼ばれることがある。それはNSAとGCHQのほかにカナダのCSE、オーストラリアのASD、ニュージーランドのGCSBがその連合体に参加しているからだが、最初の2カ国と残りの3カ国では立場が全く違う。 言うまでもなく、この5カ国はアングロ・サクソン系。イスラエルとは緊密な関係にあり、アングロ・シオニストと総称されることもあるが、他の「同盟国」に主体性はない。そうした「同盟国」の大半には情報機関が存在するが、いずれもアメリカ支配層の指揮下にあると見られている。 かつてソ連の内務官僚は支配下の国々をコントロールするため、各国の情報機関を利用していた。同じことをアメリカの支配層も行っている。さらに、NATO、ANZUS、安全保障条約といった軍事同盟も支配のために使われてきた。 日本には世界情勢を客観的に分析せず、闇雲に軍事力を誇示したがる人が支配層にも被支配層にもいる。そうした人々を操ってきたのがファイブ・アイズの支配層だが、歴史の転換期に日本人を暴走させ、その結果の責任をすべて負わせようとする可能性は否定できない。(了)
2019.01.01
ケネディ大統領が暗殺された翌年の1964年に中国が初めて核実験を実施、日本政府はこの出来事にすぐ反応、内部で核武装への道を模索する動きが具体的に出始めている。(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983) NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年にアメリカを訪問した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。 佐藤首相は1967年の訪米時、「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守ると言うことを期待したい」とアメリカ側に求め、ジョンソン大統領は「私が大統領である限り、我々の約束は守る」と答えたという。(「“核”を求めた日本」NHK、2010年10月3日) その一方、日本政府は1969年2月に西ドイツ政府と秘密裏に会談し、核武装によって超大国への道を歩もうと持ちかけたという。 この提案を西ドイツは拒否したというが、それでも日本側はあきらめない。10年から15年の期間で核武装すると想定、核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などについて調査し、技術的には容易に実現できるという結論に達している。 日本政府が西ドイツ政府と秘密会談していた1969年にアメリカの大統領はリチャード・ニクソンになっているが、その大統領補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装するべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) それに対し、1977年1月から81年1月までアメリカ大統領だったジミー・カーターは日本の核武装に反対、兵器級のプルトニウムを生産させないために高速増殖炉の常陽からブランケットを外させたという。 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。例えば、東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設向けににアメリカ政府が提供した技術の中には「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。 ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東京電力の福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。トレントに限らず、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信している。 ロナルド・レーガン時代のアメリカでは増殖炉計画がスタート、1980年から87年にかけての期間にエネルギー省は160億ドルを投入したというが、87年に議会はこの計画への予算を打ち切る。そこで目をつけられたのが日本の電力業界。共同研究という形で研究資金の大部分を負担させ、その代償として核関連の技術を格安の値段で売り渡しすことにしたのだ。そして高性能プルトニウム分離装置がサバンナ・リバー・サイトからRETFへ移転されたのである。 福島第1原発が事故を起こす3日前に出たインディペンデント紙、つまり2011年3月8日付けの紙面には石原慎太郎のインタビュー記事が掲載されていた。それによると、外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうと石原は発言したという。核兵器で脅せば相手は屈するというネオコン的な発想だ。 こうした発想が石原だけのものではないだろう。どこかの時点で日本政府が隣国を核兵器で威嚇しても不思議ではない。ロシアのウラジミル・プーチン政権は核兵器の使用が破滅的な結果をもたらすと再三警告しているが、それを日本の支配層、つまりネオコンのようなアメリカ支配層の代理人が理解できるかどうかは不明だ。少なくとも石原は理解できていなかった。(つづく)
2019.01.01
第2次世界大戦は1939年9月に始まった。領土問題の交渉が進展しないことに業を煮やしたドイツがポーランドに軍事侵攻、それを見たイギリスとフランスがドイツに宣戦布告したのだが、それから半年ほど戦闘らしい戦闘は行われていない。いわゆる奇妙な戦争だ。 戦闘が始まるとイギリス軍やフランス軍は簡単に総崩れの状態になるのだが、アドルフ・ヒトラーは機甲部隊に前進をやめるように命令している。少なくとも結果としてヒトラーはイギリス軍が撤退する余裕を与えたわけだ。 1941年5月にはドイツのルドルフ・ヘス副総統が単身、飛行機でスコットランドへ飛ぶ。イギリス側の要人と何らかの話し合いがもたれたはずだが、詳細は今でも不明だ。 その翌月、ドイツ軍はバルバロッサ作戦を開始する。西部戦線へ90万名を残し、300万名以上をソ連に向かわせたのである。常識的に考えると西を守るために半数は残しておくべきなのだが、ヒトラーの命令でこの非常識な作戦は実行された。イギリスはそれを傍観する。 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入するのだが、11月に入ってからソ連軍が反撃を開始、ドイツ軍は壊滅し、翌年の1月に降伏する。 それまで傍観していたアメリカやイギリスがワシントンDCで緊急会議を開いたのは1943年5月。そして米英両軍はその年の7月にシチリア島へ上陸する。ハリウッド映画で有名になったオーバーロード作戦は1944年6月、ドイツの敗北が決定的になってから1年半後のことだ。 サンライズ作戦が実施された直後、ドイツが降伏する直前の1945年4月にルーズベルト大統領は執務中に急死、ホワイトハウスはファシズムを信奉するウォール街の住人に奪還された。 ドイツが降伏するとウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令。5月22日にはアンシンカブル作戦が提出されている。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が実行されなかったのは参謀本部が拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) チャーチルは7月26日に退陣するが、その10日前にアメリカのニューメキシコ州で原子爆弾の爆破実験が実施され、成功した。翌1946年3月に彼はアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、「冷戦」の幕開けを告げている。その翌年、1947年にはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。 その後、アメリカ支配層はソ連に対する先制核攻撃の準備を本格化させるのだが、佐藤栄作首相の密使を務めた若泉敬によると、「重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本国政府と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする」というアメリカ側の事情に対し、日本政府は「かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたす」ということになっていたという。(若泉敬著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋、1994年)(つづく)
2019.01.01
歴史は大きな節目にさしかかっている。アメリカを中心とする支配システムを支えてきたドル体制が揺らぎ、新しいシステムへ移行する可能性が高まっていると考える人は少なくない。新秩序をどのようなものにするかで軍事的にも経済的にも緊張が高まっている。 そうした中で日本はアメリカ支配層のコントール下、軍事力を増強してきた。本ブログでは繰り返し書いてきたが、1992年2月にネオコンが作成した世界制覇プランに基づき、日本は95年からアメリカの戦争マシーンに組み込まれてきた。そのひとつの結果が目の前に出現しつつある。 イージス・アショア、MV22オスプレイ、F-35Bといった兵器をアメリカの軍需企業を設けさせるだけのために購入するわけではない。ARDB(水陸機動団)の創設と同じようにアメリカの軍事戦略が深く関係、その戦争マシーンの一部として機能するために必要なのだ。 第2次世界大戦後、アメリカの軍事戦略は中心に核兵器が据えられた。例えば、SAC(戦略空軍総司令部)が1954年に作成した計画では、600から750個の核爆弾をソ連へ投下、約6000万人を殺すことになっている。この年の終わりにアメリカ軍はヨーロッパへ核兵器を配備した。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 1957年になるとアメリカ軍の内部でソ連に対する先制核攻撃を準備し始めるている。(James K. Galbraith, “Did the U.S. Military Plan a Nuclear First Strike for 1963?”, The American Prospect, September 21, 1994)この年の初頭、アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦を作成、300個の核爆弾をソ連の100都市で使うことにしている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 核攻撃を実現するためには核兵器を運搬する能力が必要。そのためには兵器を小型化し、戦略爆撃機やICBM(大陸間弾道ミサイル)を準備する必要がある。しかも相手国、つまりソ連がそうした準備のできない段階で攻撃しなければならない。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、リーマン・レムニッツァーJCS議長やSAC司令官だったカーティス・ルメイを含む軍の好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったというが、その計画を当時の大統領、ジョン・F・ケネディが阻止、そのケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺されてしまった。 ライマン・レムニッツァーやカーティス・ルメイはアレン・ダレスCIA長官やチャールズ・キャベルCIA副長官とも手を組んでいたが、ダレスは1961年11月に、またキャベルは1962年1月に解任された。 レムニッツァーは統合参謀本部議長の再任が拒否され、1962年9月に退任、通常は退役なのだが、エリザベス2世女王に近いイギリス軍のハロルド・アレクサンダー元帥の口添えで欧州連合軍最高司令官に就任している。 アレクサンダーは1940年5月から6月に行われたダンケルク撤退を指揮したが、レムニッツァーをアレン・ダレスに紹介したのもこの人物。レムニッツァーとダレスは1945年3月にナチスの幹部と秘密交渉を行った。サンライズ作戦だが、その前からアメリカ側の一部はドイツ側と秘密裏に接触、戦後のことを話し合っている。これはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断で行われていた。(つづく)
2019.01.01
全46件 (46件中 1-46件目)
1