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金正恩の叔母に当たる金慶喜がコンサート会場に姿を現し、話題になっている。金慶喜は2013年12月に処刑された張成沢の妻で、CNNやデイリー・テレグラフのような西側メディアは2014年に毒殺されたと伝えていた。そのほか、自殺説、脳卒中や心臓発作で倒れたとする話などさまざまな噂が飛び交っていたのだが、公の席に登場したことから死亡説は否定された。 朝鮮に関する情報が乏しいということは事実だが、それを利用して西側の有力メディアは西側支配層にとって都合の良い怪しげな話を流し放題である。 特に好まれるストーリーは権力者の周辺が粛清されるという話で、例えば、金正恩と親しい関係にあったという歌い手の玄松月。2013年にポルノ映像を売り、処刑されたと伝えられたが、翌年に嘘が明らかになった。2017年からは党中央委員会の委員だ。2016年には朝鮮人民軍総参謀長を経験した李永吉が処刑されたと伝えられたが、すぐに誤報だと判明している。 アメリカと朝鮮の首脳は2019年2月27日から28日にかけてベトナムのハノイで会談したが、決裂した。その際に朝鮮側で実務交渉を担当した国務委員会対米特別代表の金革哲(金赫哲)が処刑され、対米交渉を総括していた金英哲労働党統一戦線部長は「革命化措置」(強制労働および思想教育)を受けたと韓国で報じられたが、金英哲は健在、金革哲も処刑されていないようだ。 トランプ大統領は金正恩が核施設を廃棄する見返りに経済制裁の全面解除を求めたとしているが、朝鮮側は違う説明をしている。制裁を部分解除する条件として核施設の廃棄を提示したところアメリカ側は拒否し、核プログラムの完全的な廃棄を要求、さらに生物化学兵器も含めるように求めたというのだ。 ドナルド・トランプ大統領との交渉が決裂したことに金正恩労働党委員長はショックを受け、その責任を問われたとしているのだが、当時の状況から考えて、そうしたことはありそうにない。アメリカ支配層が交渉できる相手だと考えるほど朝鮮の首脳は愚かでないだろう。 2017年から金正恩の目は中国とロシアに向けられ、アメリカとの交渉は環境作りにすぎない。朝鮮側はアメリカ側が自分たちを屈服させ、支配したいのだということを理解していたはずである。決裂は織り込み済みだっただろう。
2020.01.31
ドナルド・トランプ米大統領が1月28日に発表したパレスチナ問題に関する「和平プラン」、トランプが言うところの「世紀の計画」はヨルダン渓谷やヨルダン川西岸を併合し、領空や領海、治安、水源などの管理をイスラエルが行うことを認めるもの。パレスチナ人は隔離される。これまでイスラエルが進めてきたアパルトヘイト政策、パレスチナの強制収容所化をアメリカ政府が承認するということだ。 ウラジミル・ジャボチンスキーが始めたシオニズムの一派、「修正主義シオニズム」はユーフラテス川とナイル川に挟まれている地域を支配するという「大イスラエル構想」を持っている。そのジャボチンスキーの秘書だったベンシオン・ネタニヤフの息子がベンヤミン・ネタニヤフ首相である。 ネヤニヤフと緊密な関係にあり、2016年のアメリカ大統領選挙ではドナルド・トランプに対する最大の寄付者だったシェルドン・アデルソンはアメリカのラス・ベガスとペンシルベニア、東南アジアのマカオとシンガボールでカジノを経営、日本にもカジノを作らせるように要求していた人物。2013年にはイランを核攻撃するべきだと語っている。 イスラエルを「建国」する際に大イスラエル構想を実現できず、1967年の第3次中東戦争からゴラン高原を占領しているものの、大イスラエルは達成できなかった。 イスラエル軍は1982年にファランジスト党を使い、レバノンにあったサブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプで無防備の難民を虐殺している。殺対された難民の数は数百人、あるいは3000人以上と言われている。 その衝撃は世界に広がり、歴史的にイスラエルと近い関係にあったイギリス労働党の内部でもイスラエルの責任を問う声が大きくなり、イスラエルを守るアメリカとの関係を見直すことにもつながった。 そこでアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議した。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。アメリカとイギリスのエリートを一体化させることが目的だが、その特徴のひとつは少なからぬメディアの記者や編集者が参加していたことにある。 難民キャンプでの虐殺があった当時、労働党の党首だったのはマイケル・フット。1983年からニール・キノック、そして92年にジョン・スミスが党首に選ばれる。 労働党の政策を元に戻したいイスラエルはトニー・ブレアに目をつけ、1994年1月に彼と妻をイスラエルへ招待、3月にロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介する。その後、ブレアの重要なスポンサーになった。 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、スミス党首が1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利し、党首になった。 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになった。 ブレアはジェイコブ・ロスチャイルドやエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドと親しいが、首相を辞めた後、JPモルガンやチューリッヒ・インターナショナルから報酬を得るようになる。 ブレアの親イスラエル政策を難民キャンプでの虐殺後へ戻したのがジェレミー・コービン。有力メディアが彼を「反ユダヤ主義」だと攻撃するのはそのためだ。 アメリカの政界ではイギリス以上にイスラエル信奉が強い。例えば、アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律がある。エルサレムをイスラエルの首都だと承認すべきで、1999年5月31日までにエルサレムにアメリカ大使館を設置すべきだという内容だ。2017年6月5日に上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。その流れの中でドナルド・トランプ大統領はエルサレムへ大使館を移動、イスラエルの首都だと認めた。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、イスラエルの政策には地中海の東側、エジプトからギリシャにかけての海域に存在すると言われている天然ガスも関係している。USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると、ここに眠る天然ガスは9兆8000億立方メートルに達し、原油も34億バーレルはあるという。
2020.01.30
東京琉球館で2月15日の午後6時から「2020年のアメリカ大統領選挙」というテーマで話します。予約制とのことですので興味のある方は事前に下記まで連絡してください。東京琉球館住所:東京都豊島区駒込2-17-8電話:03-5974-1333http://dotouch.cocolog-nifty.com/ アメリカの次期大統領を決める投票日は今年11月3日に設定されています。多くの候補者がいますが、この国の選挙は民主党と共和党の「2大政党」で争うのが基本で、それ以外の政党が出てくることは困難だと言えるでしょう。 大統領選挙というイベントは両党の候補者選びから始まります。よほどのことがない限り、共和党は現職のドナルド・トランプで決まりでしょうが、民主党は混戦になっています。 民主党全国委員会(DNC)の幹部はジョー・バイデン前副大統領を推しているようですが、CBSが行った世論調査ではバイデン支持は25%にすぎず、バーニー・サンダース支持の26%を下回っています。 続いてピート・ブティジェッジ支持22%、エリザベス・ウォーレン支持15%、一部から唯一のまともな候補者と言われているトゥルシー・ガバードは2%未満でした。バイデンがサンダースを上回る世論調査もありますが、民主党幹部がバイデンを候補者にすることは容易でありません。 2016年の大統領選挙ではアイオワ州の党大会でサンダースがヒラリー・クリントンの強力なライバルとして登場してきました。慌てたDNC幹部はサンダースを潰すための工作を始めますが、その一端を示す電子メールが明るみに出ます。 内部告発を支援してきたウィキリークスが2016年7月22日に公表したDNCに関係した1万9000件以上の電子メールと8000件の添付資料の中に、ヒラリーから民主党幹部へサンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう求めるものも含まれていたのです。 当然、サンダースを支持していた人びとは怒ります。そこでDNCや有力メディアはロシア政府が電子メールをハッキングしたと主張、メールの中身から人びとの関心をそらそうとしはじめました。それがロシアゲート始まりです。 ロシア政府がハッキングしたと主張しているのは軍や情報機関と契約しているクラウドストライクなる会社で、ハッキングされたとしているコンピュータを調べることができたのはこの会社だけです。 本ブログでも繰り返し書いてきましたが、アメリカの電子情報機関NSAの技術部長を務めたウィリアム・ビニーを中心とする専門家のグループもクラウドストライクの主張を否定しています。 そのグループの所属するスキップ・フォルデンは転送速度など技術的な分析からインターネットを通じたハッキングではないという結論に達しました。インターネットから侵入したにしてはデータの転送速度が速すぎ、内部でダウンロードされた可能性が高いのです。 内部でダウンロードしたとされているのはDNCのコンピュータ担当スタッフだったセス・リッチですが、7月10日に背中を撃たれて死亡しています。警察は強盗にあったと発表しましたが、金目のものは盗まれていません。その12日後にウィキリークスは電子メールを公開したわけです。 2014年にシリアではダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が出現、その残虐性を利用してバラク・オバマ政権はNATO/アメリカ軍による大規模な空爆を実施しようとしていると言われていました。2012年の段階でオバマ政権の政策はサラフィ主義者の広大な支配地域を生み出すことになるとアメリカ軍の情報機関DIAが警告していましたが、その通りになったわけです。その当時のDIA局長、マイケル・フリンはオバマの責任に言及しています。 2015年にはオバマ政権がシリアでリビア方式の戦争を始めると噂されていましたが、統合参謀本部議長が交代になった直後、シリア政府の要請を受けたロシア軍が介入してオバマ政権が育てたジハード傭兵を敗走させて状況は一変しました。 自分たちの計画をロシアのウラジミル・プーチン政権は粉砕してしまったわけです。その後、オバマやヒラリーはロシアへの恫喝をエスカレートさせ、核戦争をちらつかせています。その時にロシアとの関係修復を訴えて支持者を増やしたのがドナルド・トランプでした。 トランプは国家安全保障補佐官にDIA局長だったフリンを選びますが、CIA、民主党、有力メディアなどから激しい攻撃を受けて解任されてしまいます。 この後、トランプがホワイトハウスで主導権を握っているとは思えませんが、2016年にFBIや司法省がトランプを潰すために法律に触れることを行っていたことが発覚、14年にオバマ政権がウクライナでクーデターを成功させた後、ジョー・バイデンの息子であるハンター・バイデンがウクライナ当局の捜査対象になっていて、その捜査を父親が潰そうとしたことも明らかになっています。そのスキャンダルを潰すために民主党や有力メディアが始めたのがウクライナゲートだと見られています。 2016からアメリカの政界は激しい内紛が続いているわけですが、この戦いがさらに続き、実態が明るみに出ると司法システムのいかがわしさを多くの人びとが知ることになり、支配体制を揺るがすことになります。また戦いに負けた勢力は刑務所行きになるかもしれません。そうしたことについても考えて見たいと思います。
2020.01.29
西側の政府や有力メディアはシリア政府軍が昨年4月7日にドゥーマで化学兵器を使用したと主張、アメリカ、イギリス、フランスの3カ国は2018年4月14日にシリアを100機以上の巡航ミサイル(トマホーク)で攻撃した。その情報源はアル・カイダ系武装集団のジャイシュ・アル・イスラムやジハード傭兵の医療部隊と言われているSCD(シリア市民防衛/通称白いヘルメット)だ。 化学兵器が使われたとする主張を確かめるため、OPCW(化学兵器禁止機関)の専門家が調査、アメリカなどの主張に反する結論を出している。例えば調査チームのリーダーだったイアン・ヘンダーソン名義の文書によると、化学物質が入っていた筒状の物体は航空機から投下されたのではなく、人の手で地面に置かれていたことを証拠は示している。シリア政府軍が投下したのではなく、ジハード傭兵が置いた可能性が高いということだ。 OPCWの調査チームはそのように報告しているが、組織の上層部は最終報告書で調査チームの結論と逆の主張をした。報告書の捏造だ。その事実をヘンダーソンは国連の安全保障理事会で1月20日に証言することになるのだが、本人が会議場に現れることはなかった。アメリカがビザの発給を拒否したからだ。 同じように判断した西側のジャーナリストもいる。例えばイギリスのインディペンデント紙が派遣していたロバート・フィスク特派員は、攻撃があったとされる地域で治療に当たった医師らを取材、その際に患者は毒ガスではなく粉塵による呼吸困難が原因で担ぎ込まれたという説明を受けている。毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないという。 またアメリカのケーブル・テレビ局OANの記者も現地を調査し、同じ内容の報告をしている。ロシア系のRTは西側の有力メディアが化学兵器の被害者だとして報道した子どもとその父親を取材し、やはり化学兵器が使用されたという話を否定している。 ドゥーマにおける化学兵器の話も西側の政府や有力メディアが繰り返しているフェイク情報だということだが、その事実をできるだけ隠したいのだろう。そうした隠蔽工作を西側の有力メディアは「ファクト・チェック」と呼んでいる。 それまでの西側の政府や有力メディアはシリア政府が化学兵器を使ったと何度か主張しているが、調査が進むといずれも嘘が発覚している。それを反省したのか、2018年の時はOPCWの調査チームの現地入りを妨害、調査が始まる前にミサイル攻撃を実施している。 しかし、この攻撃でミサイルの約7割が無力化された。その1年前にアメリカ軍は地中海から59機のトマホークを発射しているが、その時に無力化された比率は約6割だった。 2018年には発射数を倍増、発射地点は地中海だけでなく紅海やペルシャ湾も加えたにもかかわらず無力化されたミサイルの率が高くなっている。その理由として、2018年に配備された短距離用防空システム、パーンツィリ-S1が効果的だったからだと言われている。 ミサイル攻撃がアメリカ側の思惑通りに進んだ場合、地上のジハード傭兵が総攻撃を始めてダマスカスを一気に制圧することになっていたようだ。この思惑通りに進めばOPCWの調査は実現せず、化学兵器話の嘘も問題にならなかっただろうが、ロシア製の防空システムが機能、調査は実施され、アメリカ側の嘘が露見することになり、事実を隠蔽する西側有力メディアの信頼度はさらに低下することになった。
2020.01.28
リビアの戦乱に終止符を打とうという動きが出ている。今年に入り、1月12日からの停戦を目指す話し合いがモスクワで実施されたのもそうした動きのひとつ。 しかし、前途多難ではある。トリポリを拠点とするGNA(国民合意政府)のファイズ・サラージは署名したものの、ベンガジを拠点とするLNAのハリファ・ハフタルは署名せずに立ち去ってしまう。そこで1月19日にベルリンで停戦を目指す会議が開かれた。 国連が承認しているのはGNAだが、LNAのハフタルは1960年からCIAに保護されてきた人物で、彼に従う武装グループはアメリカで軍事訓練を受けている。 LNAはペルシャ湾岸の産油国やエジプトの支援を受け、捕虜になったLNAの空軍幹部によると、そのエジプトがF-16戦闘機でトリポリやミスラタのGNA軍を空爆しているという。その幹部によると、フランスの専門家チームが偵察、通信傍受、兵站活動を指揮しているともいう。 それに対し、トルコがGNAを支援するため、2019年5月頃から戦闘部隊をリビアへ派遣しているとも言われている。トルコは2011年3月から始まったシリア侵略にムスリム同胞団を中心とする武装勢力を送り込んでいたのだが、その武装勢力がシリアのイドリブに取り残されて扱いに苦慮している。 トルコ政府はシリアの戦乱を終息させるため、その武装勢力をリビアへ移動させるという見方もあるのだが、それによって戦闘が激しくなる可能性があるだろう。 しかし、リビアで新たな戦争が始まろうとしているとは言えない。2011年2月から戦乱は続いているのだ。その戦乱を引き起こしたのはアメリカ政府を操ってきたネオコン(シオニストの一派)にほかならない。アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、イスラエル、カタール、トルコといった国々がリビアを破壊し、問題を生み出したのだ。その侵略戦争に西側の有力メディアが協力したことも忘れてはならない。 ネオコンの戦略に基づいてジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを正規軍で先制攻撃したのが2003年3月。その攻撃によってサダム・フセイン政権は倒され、中東で地獄の門が開いた。 イラクでの戦争によって親イスラエル派の体制を樹立することがネオコンのプランAだったが、失敗する。イランに近い政権が誕生したのだ。そこでアメリカ政府はイラクを「石器時代」にするというプランBへ切り替える。ブッシュ政権は2007年のはじめ、スンニ派の武装勢力を使った傭兵戦へ向かって進み始めたのだ。的として想定されたのはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラ。 2009年にアメリカ大統領となったバラク・オバマはブッシュ政権の方針を引き継ぎ、2010年8月にPSD-11を出してムスリム同胞団を主力とする体制転覆プロジェクトを始めた。編成された武装集団はムスリム同胞団のほかサラフィ主義者も参加することになる。 リビアへの軍事侵攻にはフランスやイギリスも積極的に関与している。2011年3月上旬にイギリスは「外交チーム」をリビアへ送り込むが、その実態は破壊活動、秘密工作を専門とするSAS(特殊部隊)やMI6(対外情報機関)の集団。このチームはベンガジから約30キロメートルの地点で反政府軍に拘束されるが、2日後に解放され、帰国している。 この段階で戦闘は激しくなっていたが、アル・カイダ系戦闘集団のLIFGを主力とする地上部隊だけで政府軍に勝つことは難しい。そこで2011年3月17日に国連の安全保障理事会は飛行禁止空域の導入を決議した。これによってアメリカ、イギリス、フランスをはじめとするNATO軍はシリア上空での制空権を握ることになり、空爆が始まる。 NATO軍は8月20日に首都攻撃を開始、ムハンマド・アル・カダフィは首都トリポリから故郷シルテへ向かうのだが、そのシルテも10月20日に攻略され、カダフィは惨殺された。その数週間前からNATOはカダフィの動きを正確に把握していたと言われている。 そして反カダフィ軍による宗教的な弾圧、虐殺、民族浄化が始まるが、その一方で戦闘員や武器/兵器がシリアへ運び込まれていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。 例えば、2011年11月には元アムネスティ・インターナショナル事務総長で国連事務総長特別代表だったイアン・マーティンがアル・カイダ系戦闘員1500名をリビアからトルコへ「難民」として運んだとも報告されているほか(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Progressive Press, 2019)、12月になるとマークの消されたNATOの軍用機がトルコの軍事基地へ武器を運んできたと報道されている。 こうした侵略戦争による殺戮と破壊の結果、リビアは暴力に支配される破綻国家になった。教育、医療、電力料金が無料、農業は元手なしで始めることができるという国だったリビアは無残なことになっている。ヨーロッパを上回る生活水準を維持していたリビアは地上から消え、今は暴力が支配する破綻国家だ。 リビアのカダフィ体制を破壊した大きな理由のひとつと考えられているのは、カダフィがアフリカを欧米から自立させようとしていたこと。自分たちの通貨体制を作りだし、ドルやフランによる支配から抜けだそうとしたのだ。アフリカの資源を盗むことで自分たちの社会を維持している欧米の支配層にとっては深刻な事態だ。 フィナンシャル・タイムズ紙によると、リビアの中央銀行が保有する金の量は少なくとも143.8トンあった。ウィキリークスが公表したシドニー・ブルメンソールからヒラリー・クリントンへあてた2011年4月2日付け電子メールによると、リビア政府が保有していた金の量は143トン。同量の銀も保有していたという。カダフィはこの金は利用し、ディナールというアフリカ共通の通貨を導入しようとしていたのだ。
2020.01.27
NPT(核兵器不拡散条約)に基づき、核を平和利用する権利をイランに認めたJCPOA(包括的共同作業計画)が合意されたのは2015年7月のことだが、その5年前の5月、イランが保有する濃縮ウランをトルコへ運び出し、イラン国外で加工されたウラン燃料を運び込むことでイラン、ブラジル、トルコは合意している。 この交渉で中心的な役割を果たしたのはブラジル大統領だったルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ。イランのマフムード・アフマディネジャド大統領を説得して合意に到達したのだが、交渉の前にバラク・オバマ米大統領から合意に成功すればアメリカ政府も署名するという手紙を受け取っていたという。その約束は守られず、イランに対する制裁は強化された。 シルバに手紙を渡したオバマは、ヒラリー・クリントン国務長官と同じように、シルバがイラン政府と接触しないよう各国首脳に協力を求めていたという。後にオバマの手紙について知らされたクリントンは激怒したとシルバは語っている。 オバマ政権は2010年8月、ムスリム同胞団を使って中東から北アフリカにかけての地域からアメリカにとって目障りな体制を倒すプロジェクトを始める。そのために承認されたのがPSD-11。そして「アラブの春」が幕を開ける。 2011年春にはリビアとシリアへムスリム同胞団やサラフィ主義者を中心とするジハード傭兵を送り込み、戦争を始めた。イラク、シリア、そしてイランを殲滅するのはネオコンが1980年代から主張していた戦略で、「アラブの春」もイランの体制転覆を目指していただろう。 シルバがイランの核問題を話し合いで解決しようと動いたいた当時、アメリカは暴力的に中東から北アフリカにかけての地域を作り替えようとしていた。オバマ大統領が個人的にどう考えていたかは不明だが、政府としては戦争に向かって動き始めていた時期だ。その先頭に立っていたのがヒラリー・クリントンだと言えるだろう。ちなみに、彼女の側近中の側近、ヒューマ・アベディンはムスリム同胞団と関係が深い。 JCPOAが合意された2015年にオバマ大統領はシリアでリビアと同じような空爆を実施する準備を進めていた。NATO軍かアメリカ主導軍が空から攻撃、地上ではジハード傭兵というコンビネーションだ。その先にはイランの体制転覆という目標がある。 ジハード傭兵を支援するというオバマ政権の政策に反対していたマイケル・フリンは2014年8月にDIA局長を解任されてCIA出身のデイビッド・シェドへ交代、国防長官は戦争に消極的だったチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、統合参謀本部議長はジハード傭兵を危険だと考えていたマーチン・デンプシーから好戦的なジョセフ・ダンフォードへ交代した。 こうした交代が進んでいた時点ではロシア軍の介入をオバマ政権は想定していなかったように見える。1990年から91年にかけての湾岸戦争でネオコンはロシア/ソ連軍がアメリカへ軍事的に刃向かうことはないと信じ、シリアへの軍事介入もそうした前提で動いていたはずだ。 しかし、ロシア政府はシリア政府の要請で軍事介入、シリアの戦況を一変させる。その結果、ジハード傭兵は敗走し、ロシア軍の強さを世界に知らせることになった。ジハード傭兵が支配していた地域へはクルドの部隊が入り、今ではアメリカ軍が占領の中核になっている。
2020.01.26
イラクの首都バグダッドではアメリカ軍の撤退を求める人びとの抗議活動が続いている。その参加者はAPによると数百名、CNNによると数十万名、主催者によると250万名、400万名以上という報道もある。 アメリカの親イスラエル派のひとつであるネオコンは1980年代からイラクを制圧しようとしてきた。CIAと関係の深いサダム・フセイン政権を倒し、イスラエルの影響下にある体制を樹立してシリアとイランを分断、その上でシリアとイランを壊滅させるという戦略だ。イスラエルでは1996年にベンヤミン・ネタニヤフが首相になるが、このネタニヤフに対し、ネオコンはこの戦略を売り込む。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、そのネオコンの中心グループの属すポール・ウォルフォウィッツは国防次官だった1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。(3月、10月) ネオコンの戦略で動いていたジョージ・W・ブッシュ政権は統合参謀本部内の反対を押し切り、2003年にイラクを先制攻撃してフセイン政権を倒した。そして親イスラエル派の体制を樹立しようとするのだが、これは失敗してイランとの関係が強まっていく。 イランとイラクとの関係が深まった要因のひとつは両国ともイスラム教シーア派が多数派だからである。イラク人の5割強がシーア派。スンニ派系のフセインの体制ができたのはイギリスが支配グループとしてスンニ派を選んだからだと言われている。 そこでブッシュ政権はイラクで使う手先をスンニ派に戻す。これは2007年に3月5日号のニューヨーカー誌で調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが指摘している。スンニ派の過激派と手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰すことにしたというのだ。スンニ派の過激派とはアル・カイダ系武装集団で、その主力はムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)である。 これも本ブログで繰り返し書いてきたが、1960年代からイスラエルはイラクを揺さぶるためにクルドのバルザニ家を使ってきた。現在、アメリカはクルド自治政府のネチルバン・バルザニ首相を軸にする勢力を動かしているが、その祖父にあたるムスタファ・バルザニは1960年代後半からイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われている人物。その息子でネチルバンの叔父にあたるマスード・バルザニがムスタファの後継者だが、やはりイスラエルの影響下にあった。 バラク・オバマ大統領はムスリム同胞団と使うことに決め、2010年にPSD-11を出す。そして始まったのが「アラブの春」だ。オバマ政権もスンニ派を手先として使っている。 今ではフセイン体制の残党と手を組んでいるネオコンだが、フセインを倒した理由は親イスラエル派の体制を築き、シリアとイランを壊滅、イスラエルに中東を支配させるつもりだったはずだ。 欧米の親イスラエル派にしろ、イスラエルにしろ、イラクは中東支配の要石だと考えている。イラク国民がどのように言おうと、アメリカ軍はイラク占領を続けようとするだろう。それが中東に反米感情をさらに広めることになる。
2020.01.25
アメリカ軍が1月3日にバグダッド国際空港で暗殺したガーセム・ソレイマーニーはサウジアラビアとイランとの間で進められていた関係修復を目指す交渉のメッセンジャーだった。イラクのアディル・アブドゥル-マフディ首相によると、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。当然、それを知っての暗殺だったはずだ。アメリカ政府はサウジアラビアとイランとの間の緊張緩和を嫌っている。 サウジアラビアは2017年にロシアへ接近している。その年の10月にサルマン国王がモスクワを訪問、ロシア製防空システムのS-400を購入したいという意向を伝え、ロシア側は受け入れる姿勢を示した。 イランの現体制を壊滅させたがっているのはアメリカの親イスラエル派やイスラエル。そうした勢力に属すネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランを壊滅させるという願望を口にしていた。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツは1991年の時点でもそう語っていたという。当時、ウォルフォウィッツは国防次官だ。(3月、10月) アメリカのドル体制を支える柱のひとつであるサウジアラビアもイランの現体制を壊滅させる計画に参加していた。特に2017年6月から皇太子を務めているモハンマド・ビン・サルマンは積極的。2015年1月に国防大臣へ就任してから一貫した姿勢のようだ。 そのビン・サルマン皇太子の政策が現在、サウジアラビアを苦境に陥れている。特にイエメンへの軍事介入は深刻な影響をサウジアラビアへ及ぼしている。イエメンでの戦争の中で昨年9月14日にサウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設が攻撃され、石油生産に大きなダメージを与えた。 この攻撃ではUAV(無人機。ドローンとも呼ばれる)と巡航ミサイルが使われたようだが、アメリカの防空システムは機能しなかった。アメリカ軍への信頼度低下は石油施設の破壊以上に大きな問題かもしれない。 泥沼化したイエメンでの戦争についてサウジアラビア国王へ報告する人はほとんどいなかったとも言われている。その戦争を主導してきた皇太子を恐れてのことだが、例外的な人物のひとりが国王の個人的な警護の責任者だったアブドル・アジズ・アル・ファガム少将。この人物は昨年9月28日に暗殺された。 しかし、皇太子に対する国王の信頼度はその後も低下、イエメンでの戦争では副国防大臣で皇太子の弟でもあるハリド・ビン・サルマンがフーシ派と交渉しているとも言われている。 サウジアラビアとイランとの交渉で仲介役を演じているのがイラク政府。つまり、イラクのアブドゥル-マフディ政権もアメリカ側にとって好ましくない存在になっている。 そのイラクで現在、アメリカの手先として動いているのはサダム・フセイン政権を支えていたスンニ派とイスラエルの影響下にあるクルド。アメリカがクルドを操るために使っているのはクルド自治政府のネチルバン・バルザニ首相だ。 ネチルバンの祖父にあたるムスタファ・バルザニはクルドの指導者だったが、1960年代後半からイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われている。その息子でネチルバンの叔父にあたるマスード・バルザニがムスタファの後継者だが、やはりイスラエルの影響下にあった。
2020.01.24
ブラジルの検察官や政府高官の携帯電話盗聴でジャーナリストのグレン・グリーンウォルドが共謀したと同国の検察当局は主張している。ハッキング・グループをけしかけ、助けたいうのだ。それをグリーンウォルドは否定している。 盗聴の内容はグリーンウォルドを含むジャーナリストが昨年6月にインターネット・メディアのインターセプトで明らかにされた。アメリカの巨大資本にとって好ましくないルイス・シルバを失脚させ、刑務所に監禁するために裁判官と検察官が共謀していたのだ。 最初の裁判を担当したセルジオ・モロ判事は捜査が始まった直後から検察側の責任者だったデルタン・ダラニョールに裁判や投獄に関するアドバイスや指示をしていた。この捜査はバラク・オバマ政権の司法省が支援していたと言われている。 2018年10月にブラジルでは総選挙があったのだが、その年の1月に連邦裁判所がルーラに対して禁錮12年余りの判決を言い渡したことから立候補はできなくなった。検察側もルーラに犯罪行為があったと確信できなかったが、立候補を阻止するため、強引に捜査を進めていたことも報道で判明した。 選挙の結果、大統領に選ばれたのは軍事政権時代に拷問を行っていたカルロス・アルベルト・ブリリャンテ・ウストラを公然と支持していたジャイ・ボウソナル下院議員。ボウソナル政権は今年1月に始まるが、司法大臣に選ばれたのはモロだ。ボウソナルがグリーンウォルドを攻撃している理由はここにある。 ルーラの同志で大統領だったジルマ・ルセフも2016年5月に停職となり、8月に大統領の座から引きずり下ろされている。替わって大統領に就任したミシェル・テメルはアメリカ巨大資本の手先として知られ、彼を含むクーデター派の中心グループは犯罪捜査の対象になっていた人物。そのテメルは今年3月に逮捕されたが、新自由主義の体制は維持されている。 インターセプトが2016年9月に公表した映像によると、新自由主義に基づく政策、つまり私有化や規制緩和によって富をアメリカやブラジルの富裕層や巨大資本へ集中させようという計画を進めなかったルセフをアメリカ支配層は懲罰するとテメルは語っている。 このテメルは汚職容疑で2019年3月に逮捕された。テメルの同志としてアメリカの巨大資本の手先として働いてきたエドアルド・クニャ下院議長はスイスの秘密口座に数百万ドルを隠していることが発覚している。 まだ刑務所にいたシルバにジャーナリストのぺぺ・エスコバルがインタビュー、シルバはブラジルをドル依存から離脱させるつもりだったと語っている。その考えを彼がオバマ大統領に伝えたところ、アメリカ側は激しく反応し、ブラジルの政府や主要企業に対するNSAの監視が厳しくなったという。 アメリカの支配層が隠しておきたい事実をグリーンウォルドは明らかにしたわけだが、その点はウィキリークスのジュリアン・アッサンジと同じ。そのアッサンジをアメリカの司法当局が2011年初めに起訴しているとする話は民間情報会社ストラトフォー内でやりとりされた電子メールの中に記載されている。この話はケレン・ドワイアー検事補が裁判官へ書いた文書の中にも記載されている。 そのアッサンジをエクアドル政府は2012年6月に政治亡命者と認め、ロンドンのエクアドル大使館で保護するのだが、アメリカ政府の意向でイギリスの警察がアッサンジの拘束を狙っていることから軟禁状態になった。 状況が変化したのは2017年5月。エクアドルの大統領がラファエル・コレアからレニン・モレノへ交代したのだ。そのモレノ政権に対してIMFは2019年3月、エクアドルに対する42億ドルの融資を認めると発表した。その代償としてアッサンジを引き渡すということだ。 そして4月11日にイギリス警察はエクアドル大使館へ乗り込んでアッサンジを逮捕する。アッサンジの弁護団メンバーによると、すでに取り下げられている事件で出頭しなかったことではなく、アメリカからの引き渡し要請に基づくものだという。 アッサンジはイギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束された。そこでアメリカの国防総省、FBI、CIAに所属している人びとの尋問を受けているようだが、その際にBZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されているとも伝えられた。それだけでなく外部との接触が厳しく規制され、弁護チームも監視下で会うことが要求されているという。食べ物の差し入れや基本的な医療行為も拒否されているようだ。 アメリカやその配下の国々の支配層は自分たちが大多数の庶民から監視されることを極度に恐れている。
2020.01.23
中国で大規模な流行が懸念されている新型のコロナウィルスは人から人へ感染するようだ。アメリカがイラクを先制攻撃へ向かって動いていた2002年から03年に37カ国で広がり、774名が死亡したSARSもコロナウィルスだった。 2009年にはメキシコとアメリカの国境線地域で「豚インフルエンザ騒動」が起こり、1000人以上の人が感染して100人を超す人が死亡したと報道された。WHOも「緊急事態」だと認定している。 過去に流行したインフルエンザには固有名詞のつけられたものもある。例えばロシア革命の直後、1918年から20年にかけて猛威をふるい、2000万人から1億人が死亡したと言われている「スペイン風邪」。名前だけで判断するとスペインで出現したように思えるが、実際はアメリカのカンザス州だった可能性が高い。 このスペイン風邪と同じ型のインフルエンザが1977年に流行した。「ソ連風邪」と呼ばれている。このインフルエンザも出現した地名から名づけられたわけではない。これは中国の北西部で流行し始め、そこからシベリア、ソ連(当時)の西部、あるいは日本などへ広がったと言われているのである。研究室に保管されていたスペイン風邪のウイルスが何らかの理由で外部に漏れたとする説もある。 話題になったという伝染病にはエボラ出血熱もある。2008年にコンゴ、11年から12年にかけてウガンダで患者が見つかっている。2014年にはギニアから始まり、リベリアやシエラ・レオネなどへ広がり、1万人以上が死亡したと言われている。 その際、現地で治療にあたっていたふたりのアメリカ人、ナンシー・ライトボールとケント・ブラントリーも感染、アメリカへ運ばれて治療を受けた。これまで有効な治療法がなく、多くのアフリカ人が死んでいるのだが、このアメリカ人ふたりは快方に向かい、血液中にウイルスの痕跡が見られなくなったブラントリーは入院先の病院から21日に退院したという。 両者はリーフバイオ社とデフィルス社が開発していZMappが投与されたほか現地で回復した少女の血が輸血されたとされ、リベリアでZMappを投与された3名のアフリカ人医師も快方へ向かっているという。エボラの治療法を知っている人びとがいたのではないかとささやく人もいる。 アメリカには生物兵器研究を開発している機関が存在する。その中心地はフォート・デトリック(かつてはキャンプ・デトリック)という基地。日本に医学界を中心に実施された生物化学兵器の開発で生体実験を担当していた「第731部隊」の研究者を尋問、保護し、研究資料を持ち去ったのもこの機関だ。 2001年9月11日に世界貿易センターと国防総省本部庁舎が攻撃された後にアメリカでは憲法の機能を停止させる愛国者法が制定されるが、その成立に反対する議員もいた。トム・ダシュル上院議員とパトリック・リーヒー上院議員だ。このふたりに炭疽菌で汚染された手紙が送られてくるのだが、その背後にフォート・デトリックが見え隠れしている。 このフォート・デトリックやテュレーン大学の研究者がギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで何らかの研究をしていたと伝えられている。2014年7月にはシエラレオネの健康公衆衛生省からテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明が出た。 バラク・オバマ政権は2014年にウクライナでクーデターを成功させたが、その前からロシア政府はアメリカやNATOが軍のバイオ研究所をウクライナ、ジョージア、カザフスタンなどロシア周辺で建設していることに懸念を示していた。こうした研究所がウクライナで最初に建設されたのは2010年だが、その後、リビウ、オデッサ、ルガンスクなどで作られていると言われている。
2020.01.22
アミル・モハメド・アブドゥル・ハーマン・アル-マウリ・アル-サリビなる人物がダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の新しいリーダーになったと伝えられている。この武装集団をその前に率いていたとされているアブ・バクル・アル・バグダディは2019年10月にアメリカの特殊部隊デルタ・フォースに襲撃された際に自爆したという。 ダーイッシュに限らないが、1970年代の終盤からイスラム武装勢力の大半はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を主力とする傭兵。つまりリーダーが誰になっても大きな問題ではない。司令部は別に存在しているからだ。 傭兵システムの始まりはズビグネフ・ブレジンスキーの秘密工作にある。1970年代の初めにイギリス外務省のジェームズ・クレイグがムスリム同胞団を使った工作を働きかけていたという。 1993年から96年にかけてパキスタンの首相を務めたベナジル・ブットの特別補佐官だったナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめている。イギリスの働きかけが影響しているのかもしれない。 その延長線上にブレジンスキーの秘密工作はあるのだが、その工作ではサウジアラビア政府が戦闘員と資金を提供、パキスタンの情報機関、イスラエル、王制時代のイランが協力している。集められた人びとをCIAなどが訓練、武器/兵器や情報を供給していたのだ。 イギリスの外務大臣を1997年から2001年まで務めたロビン・クックも指摘しているように、CIAの訓練を受けたムジャヒディンの登録リストがアル・カイダ(データベース)。つまりアル・カイダという武装組織は存在しない。 アフガニスタンに隣接するパキスタンの協力は絶対に必要なのだが、ズルフィカル・アリ・ブットを首相とする政権にそうしたことを期待することはできない。ズルフィカルはベナジル・ブットの父親だ。 そこでズルフィカル・ブット首相の政権を倒す必要があったのだが、1977年にムスリム同胞団のムハンマド・ジア・ウル・ハクを中心とする軍人がクーデターを成功させ、その目的を達する。ベナジル・ブットは1979年に処刑された。 ダーイッシュもそうしたジハード傭兵のひとつ。2004年にAQI(イラクのアル・カイダ)として組織され、06年にISI(イラクのイスラム首長国)が編成された際の中核になったと言われている。 2010年にISIのリーダーになったのがアブ・バクル・アル・バグダディ。2013年に活動範囲がシリアへ拡大、ダーイッシュと呼ばれるようになった。2014年に売り出された当時のダーイッシュは残虐性を演出、アメリカ軍のシリア空爆の口実に使われる。 リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が2011年10月に倒されると、侵略勢力は戦闘員と武器/兵器をシリアへ移動させるのだが、その際にNATO/アメリカがアル・カイダ系武装集団と連携していることが明確になってしまった。 そこでバラク・オバマ大統領は穏健派を支援しているのだと強弁するのだが、それをアメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月の段階で否定、その政策の危険性を指摘する報告書を政府へ提出した。 その報告書はシリアで政府軍と戦っている主力をサラフィ主義者やムスリム同胞団だとし、戦闘集団としてアル・カイダ系のアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げていた。 オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していたのだが、オバマ政権は支援を継続した。 2014年に入るとその警告が現実になる。1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧する。 その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられ、広く知られるようになるのだが、そうしたパレードは格好の攻撃目標だが、アメリカ軍は動かなかった。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などでアメリカの軍や情報機関は武装集団の動きを知っていたはずだ。 2012年7月からDIA局長を務めていた軍人はマイケル・フリン中将。2014年にダーイッシュが出現した後にフリンへの攻撃が強まり、14年8月に退役させられている。 2016年の大統領選挙で勝利したドナルド・トランプはこのフリンを国家安全保障補佐官に据えると、民主党や有力メディアは総攻撃をかけて辞任に追い込んだ。その後、ロシアゲートに絡んで有罪を認めていたが、その主張をここにきて取り消している。無実でも検察と戦って勝つことが困難だという事情はアメリカでも同じだ。フリンが冤罪だということは本ブログでも指摘してきた。
2020.01.21
今から60年前の1月19日、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が日米地位協定とともに締結された。日本側で文書に署名したのは岸信介(総理大臣)、藤山愛一郎(外務大臣)、石井光次郎(法務大臣)、足立正(日本商工会議所会頭)、朝海浩一郎(駐米特命全権大使)だ。 1951年9月にサンフランシスコのプレシディオ(第6兵団が基地として使っていた)で署名された日米安保条約を失効させて、新たな条約として批准されたもの。1951年のものを旧安保条約、1960年のものを新安保条約とも呼ぶ。旧安保条約が署名されたその日、同じサンフランシスコのオペラハウスで「対日平和条約」が結ばれている。 日本に限らず、アメリカが結ぶ軍事同盟の大きな理由はふたつある。相手国を侵略の拠点にすること、そして相手国を支配し続けることだ。 イギリスやハリー・トルーマン以降のアメリカはソ連/ロシアを侵略する動きを見せているが、これは本ブログで繰り返し書いてきた長期戦略に基づいている。その最終目標は世界支配だ。 これは制海権を握っていたイギリスが考えた戦略で、ユーラシア大陸の周辺部を支配して物流をコントロール、内陸国を締め上げていくというもの。 これをまとめ、1904年に公表したのが地政学の父とも呼ばれている地理学者のハルフォード・マッキンダー。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もこの戦略に基づいているが、その後、この戦略が放棄された兆候は見られない。 それに対抗してロシアはシベリア横断鉄道を建設した。ロシアが建設しているパイプライン、中国が推進している一帯一路もそうした対抗策だと言えるだろう。 NATOの場合、加盟国には秘密工作部隊が設置されている。中でも有名な組織がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を続けた。狙いは左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することにあり、「緊張戦略」とも呼ばれている。 そうした秘密工作部隊は各国の情報機関が管理、その上にはアメリカやイギリスの情報機関が存在している。手先として右翼団体が利用された。 イタリアでグラディオの存在が浮上したのは1972年のこと。イタリア北東部の森にあった兵器庫を子供が発見し、カラビニエッリと呼ばれる準軍事警察が捜査を開始するものの、途中で止まってしまう。 再開されたのは1984年。事件は右翼団体ONがイタリアの情報機関SIDと共同で実施していたことが判明する。SIDは1977年に国内を担当するSISDEと国外を担当するSISMIに分割され、情報の分析を担当するCESISが創設されていた。 ジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年7月、SISMIの公文書保管庫の捜査を許可せざるをえなくなり、同年10月に首相は「いわゆる『パラレルSID』グラディオ事件」というタイトルの報告書を公表した。グラディをの存在と活動を公式に認めたのである。 グラディオの創設に関わっていたフランチェスコ・コッシガは大統領を辞任するが、2007年に興味深いことを話している。2001年9月11日に引き起こされた世界貿易センターと国防総省本部庁舎への攻撃はCIAとモサドがアラブ諸国を非難するために計画、実行したことを欧米の民主勢力は知っていると書いたのである。(“Osama-Berlusconi? «Trappola giornalistica»,” Corriere, 30 novembre 2007) アメリカと軍事同盟を結んでいる日本にも秘密工作部隊が存在しているのかどうかは不明だが、あっても驚かない。 1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、5月にドイツが降伏たが、その直後にウィンストン・チャーチル英首相はソ連への奇襲攻撃を目論んでいる。そして作成されたのがアンシンカブル作戦。これは参謀本部の反対で実現せず、アメリカでの原爆実験の成功で核攻撃へ彼の気持ちは移っていく。 アメリカでも好戦派がソ連に対する核攻撃計画を作成しはじめるが、そうした流れの中、1950年代に沖縄の軍事基地化が進んだ。沖縄を先制核攻撃の出撃拠点にしようとしたわけである。 沖縄で基地化が推進されていた1955年から57年にかけて時期に琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーはアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行した軍人で、1960年に統合参謀本部議長となった。 1954年にソ連を攻撃するための作戦を作成したSAC(戦略空軍総司令部)を指揮していたカーティス・ルメイもダレスやレムニッツァーの仲間で、1961年に大統領となったジョン・F・ケネディと対立する。 ダレスたち好戦派は1957年初頭にソ連を核攻撃する目的で「ドロップショット作戦」を作成。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、攻撃は1963年後半に実行されることになっていた。 しかし、その前にはケネディ大統領という大きな障害があった。この障害が排除されたのは1963年11月22日。テキサス州ダラスで大統領は暗殺されたのである。 NATOにしろ日米安保条約にしろ、その目的は侵略と支配であり、防衛の要素があるとしても、侵略と支配を前提にしての話だ。
2020.01.20
イラク政府はロシア製防空システムS-300を購入するための交渉をロシア政府と進めているとイラン駐在イラク大使が1月13日に語ったという。アメリカ政府はS-300を購入したなら制裁すると恫喝しているが、それを無視した動きだ。イラク側はアメリカへの信頼感をなくしている。 ノウリ・アル・マリキ元イラク首相によると、2013年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が売り出される直前の2013年にその部隊がシリアとイラクの国境沿いに集結していることを示す航空写真などをアメリカは彼らに示していたという。 マリキは2006年から14年にかけて首相を務めたが、遅くとも2011年の段階でアル・カイダ系武装グループ、つまりジハード傭兵の動きを懸念していた。そこでアメリカ政府に対し、F-16戦闘機を供給するように要請、契約に漕ぎ着けている。 しかし、その戦闘機は納入されなかった。新たな支援要請もアメリカから断られ、ヘリコプターの部品なども手に入らなくなったという。 遅くとも2007年の段階でアメリカ政府はサダム・フセイン政権の残党を含む武装グループと手をくんでいる。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日号のニューヨーカー誌に、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派の過激派と手を組むことにしたと書いているのだ。 マリキ政権は2013年6月、ロシアに支援を要請して受け入れられ、数日のうちに5機のSu-25近接航空支援機がイラクへ運び込まれた。急な要請だったこともあって不十分ではあったが、この一件でロシアに対する信頼感は高まっただろう。 2014年4月に行われた議会選挙でマリキを党首とする法治国家連合が勝利したものの、フアード・マアスーム大統領はハイダル・アル・アバディを指名した。ロシアへ接近しているマリキを嫌ったアメリカ政府の意向だと言われているが、そのアバディも、そして現首相のアディル・アブドゥル-マフディもマリキと基本的に同じ道を歩む。 イラクの議会は1月5日、同国内に駐留している外国の軍隊は国外へ出るように求める決議を採択した。アメリカ軍は出て行けということだが、イラク側の意思をアメリカは拒否、居座るとしている。そのアメリカから武器/兵器を購入する愚かさをイラク人は理解している。 昨年7月、トルコのフルシ・アカール国防相はアメリカのマーク・エスパー国防長官に対し、S-400は選択の結果ではなく、必要なので買うのだとしている。トルコにしろイラクにしろ、アメリカは自国にとって脅威になっている。 ありそうにないことだが、もし日本に自立した政権が誕生してアメリカ軍に出て行くように求めた場合、同じ問題が立ちはだかるはずだ。
2020.01.19
アメリカと中国は貿易交渉で「第1段階の合意」に達し、両国は1月15日、合意文書に署名した。これで貿易戦争は一段落するとみられているが、合意の内容は以前から中国が提案していたものにすぎないと指摘されている。 今回の合意をアメリカの「制裁」で中国が情報した結果だと言うわけにはいかない。ドナルド・トランプ政権が「制裁劇」に幕を下ろしたのだと言うべきだろう。貿易戦争を続け、どこかの時点で中国が製品を売らないと言った時点で生産が放棄されたアメリカでの生活は破綻する。 アメリカから政策的に製造業が国外へ出され始めたのは新自由主義が広まり始めた1970年代のことだった。その象徴的な存在が自動車産業の中心だったデトロイトである。 バラク・オバマ大統領は2011年2月、アップルのCEOだったスティーブン・ジョブスに対し、同社のiPhoneをアメリカで生産しないかともちかけるが、アメリカへ戻ることはないと言われてしまう。中国では必要な組立工やエンジニアを集めることが容易で、生産規模を柔軟に変更でき、供給ラインが充実しているうえ、労働者の技術水準が高いからだという。日本も似たような情況だと言われている。 こうした情況を逆転させるためにもアメリカは中国を屈服させ、支配する必要がある。生産力のある中国を自分たちのものにできれば、その生産力を自分たちのものにできるからだ。アメリカが中国と真の意味で友好的な関係を築くことはないだろう。他者から奪うことで体制を維持している彼らが考えていることは支配だけである。 アメリカが1月3日に暗殺したイランのイスラム革命防衛隊で特殊部隊を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーはイランとサウジアラビアとの関係修復交渉のメッセンジャーだった。その際、イラクのPMU(人民動員軍)で副司令官だったアブ・マフディ・ムハンディも殺している。 サウジアラビアはイランやイラクのほかロシアへ接近しているが、イランやイラクはロシアのほか中国とも関係を深めてきた。ロシアから中国へ天然ガスを運び込むパイプラインがすでに稼働しているが、アメリカから経済戦争を仕掛けられているイランも中国へエネルギー資源を供給、イラクも戦乱で破壊されたインフラを再建するため、中国へ代償としてエネルギー資源を供給する方向で動いている。 昨年11月にアメリカはクーデターでエボ・モラレス大統領を排除したが、その背景にはリチウムの利権があると見られている。この資源の輸出先として注目されていたのが中国だ。 アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動していることは本ブログでも繰り返し書いてきたが、ここにきて力を入れているのが台湾。ここには吾爾開希など1989年に中国で展開された新自由主義派の活動家が入り込んでいる。 1989年1月、アメリカではジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任した。元CIA長官だが、この人物はエール大学の学生だった当時、CIAにリクルートされたと見られている。ブッシュの父親はウォール街の出身で、巨大資本の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった人物だ。ダレスはCIAの最高権力者だった。 そのブッシュとエール大学からの友人で、やはりCIAにリクルートされたと言われているジェームズ・リリーが1989年4月に中国駐在大使に就任している。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、大使を辞任した後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。 リリーが大使に就任する5日前に新自由主義派の胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。胡耀邦と組んで新自由主義を推進していたのが趙紫陽である。活動の指揮者と見られているのはジーン・シャープ。 学生の間では新自由主義の支持者が少なくなかったようだが、労働者の間では逆。貧富の差が拡大していることへの不満が高まり、社会は不安定化していた。そこで中国政府は軌道修正を図るのだが、それに激怒したのがアメリカということだ。その年の5月に戒厳令が敷かれた。なお、天安門事件についてはすでに書いてきたので今回は割愛する。 抗議活動が沈静化した後、方励之、柴玲、吾爾開希などの指導グループはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。香港へ逃れた活動家は約400名と言われている。吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡った。この逃走ルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのMI6で、今でも機能しているという。 台湾では1月11日の総統選挙があり、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得している蔡英文が再選された。東アジアでもアメリカの影響力は低下しているが、それをNATOが補充するとも言われている。勿論、日本もアメリカの手先としてカウントされているはずだ。アメリカは台湾周辺で軍事的な緊張を高めるかもしれない。
2020.01.18
テヘランのイマム・ホメイニ空港を飛び立ったウクライナ国際航空の752便が1月8日朝、イスラム革命防衛隊の防空システムで撃墜された。この件で新たな疑惑が浮上している。 撃墜は離陸して数分後の出来事。近くをアメリカ軍機が飛行(イランのレーダーに誤表示された可能性もある)していたとする話もあるが、撃墜に使われたとみられるTor-M1のシステムが侵入されていたのではないかというのだ。 防空担当者はIFF(敵味方識別装置)を使っていたが、752便の前に飛び立ったカタール航空8408便は問題がなかった。ところが、その約1時間後に離陸したウクライナ機を防空担当者は敵機だと考え、ミサイルを発射している。 そこで注目されているのが2012年にウィキリークスが公表した情報会社ストラトフォーの電子メール。会社の内部でやりとりされた2009年2月26日付けメールの中に、イスラエルが特定のUAV(無人機)の「データ・リンク」コードをロシアへ提供、その見返りにロシアはイスラエルへイランのTor-1のコードを教えたと書かれているのだ。 ストラトフォーの電子メールに書かれていることが事実だとするなら、そうした情況の中でロシアはイスラエルへイランの防空に関わる重要な機密情報を提供したことになる。 ちなみに、2008年5月から12年5月までのロシア大統領はドミトリー・メドベージェフ。その間、2011年3月に国連の安全保障理事会でリビア上空に飛行禁止空域を設定することを認める決議が採択されたが、その際、ロシアは棄権している。 この決議はアメリカ、イギリス、フランスなどリビア侵略を狙う国が制空権を握ることが目的だった。それにもかかわらず棄権したことにプーチンは激怒したと言われている。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒されることは必至だったからだ。 カダフィ体制が倒された際、カダフィ自身は惨殺された。破壊と殺戮の果て、現在のリビアは「石器時代」と化した。暴力に支配される破綻国家だ。これを西側では「民主化」と呼ぶ。 752便の撃墜はアメリカ軍によるガーセム・ソレイマーニー暗殺から人びとの関心をそらす役割を果たしているように見えるが、そのソレイマーニーはイスラム革命防衛隊の特殊部隊を指揮していた人物。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)などジハード傭兵を壊滅させる上で重要な役割を果たしてきた。 ソレイマーニーの暗殺を最も望んでいたのはイスラエルだろう。例えば昨年10月にはイスラエルの情報機関モサドのヨシ・コーエン長官は公然とソレイマーニー暗殺を口にしている。
2020.01.17
ロシアのドミトリー・メドベージェフ首相が辞任した。ウラジミル・プーチン大統領が年頭の演説を行った直後のことだ。メドベージェフはロシア国民からの人気がなく、プーチン政権のマイナス要因と見られているので、辞任自体は大統領にとってダメージではない。 メドベージェフは西側の巨大資本と結びついているグループに属すと見られている。ロシアでは1990年代のボリス・エリツィン時代に西側と結びついたクレムリンの腐敗勢力が国民の富を盗み、オリガルヒと呼ばれる富豪が出現する一方、大多数の人びとは貧困化した。その経験によって西側に抱いていた幻想から抜け出したロシア人は少なくない。メドベージェフがロシアで嫌われている理由のひとつはそこにある。 現在でもロシアの経済分野では西側人脈が大きな影響力を保持していると言われている。経済が動かなくなると体制は維持できない。ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトと似た問題を抱えていると言える。 ルーズベルトはJPモルガンをはじめとするウォール街の住人たちと対立、そのウォール街の住人たちは1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していた。 そのクーデターを成功させるため、軍に大きな影響力を持っていたスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとして失敗し、クーデターも実行されなかった。ただ、その計画内容はバトラーが得た情報や彼と親しいジャーナリストの取材内容が議会の証言という形で記録されている。 その際、JPモルガンはバトラーが民主主義的な考え方をする人物だということを懸念、JPモルガンと関係の深いダグラス・マッカーサーをクーデターの指導者として考えていたという。ちなみに、1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこがJPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻である。 エリツィン時代、ロシアの経済政策を決めていたハーバード大学教授のジェフリー・サックスはジョージ・ソロスと親しい新自由主義派。サックスの下で働いていたのがソロスの知り合と言われるエゴール・ガイダルだ。 アナトリー・チュバイスなる人物もロシア経済に君臨してきた。この人物もサックスに近く、エリツィンの娘で腐敗勢力の中心とも言われるタチアナ・ドゥヤチェンコの利権仲間としても知られている。 このガイダルとチュバイスを動かしていたひとりにラリー・サマーズがいる。ハーバード大学教授、世界銀行主任エコノミスト、財務次官、財務副長官、財務長官を務め、その後ハーバード大学の学長に就任した人物。サックスとはハーバード大学仲間だ。 この新自由主義派がロシアを完全に制圧したのは1993年3月だろう。ロシア国民の資産を略奪する政策を進め、国家緊急事態を宣言したエリツィン大統領に議会が抗議、議会ビルに立てこもるのだが、エリツィン大統領は戦車にビルを砲撃させた。その時に殺された人の数は100名以上とも1500名とも言われている。こうした虐殺に対し、西側の人びとは寛大だ。 そうした過去をロシアの人びとはメドベージェフの背後に見ているだろう。彼が首相を辞任した後に何が起こるかは不明だが、多くのロシア国民は西側の巨大資本と結びついた勢力の粛清を望んでいるはずだ。
2020.01.16
マイク・ポンペオ国務長官は1月13日にスタンフォード大学のフーバー研究所で講演、ガーセム・ソレイマーニーの暗殺はアメリカへの挑戦を抑止することが目的だと語った。ドナルド・トランプ大統領はソレイマーニーの存在がアメリカにとって差し迫った脅威であるように説明していたが、そうしたおとぎ話に執着すると自らを追い込むことになるので、軌道修正を図っているのかもしれない。 ネオコンはライバルだったソ連が1991年12月に消滅した直後、政界制覇にとって邪魔な存在を潰し、支配力の源泉になるエネルギー資源を支配する政策を国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で打ち出した。ポンペオの発言はこの方針に沿っている。 DPG草案は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが中心になって作成されたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。この政策が作成された当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ。DPG草案作成の最高責任者は国防長官のリチャード・チェイニーだ。 この政策のアイデアを考えたのは国防総省内部のONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルだと言われている。 マーシャルは親イスラエル派で、冷戦時代にソ連の脅威を誇張した情報を流し、CIAの分析部門と対立していた人物として知られている。マーシャルのソ連脅威論を広める役割を負っていたCIAのチームBの中にウォルフォウィッツも参加してた。マーシャルは中国脅威論の発信源でもある。 バラク・オバマ政権のネオコンはロシアとEUを分断し、ロシアへの軍事的な圧力と強めるためにウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行した。2014年2月のことだ。それを見たロシアと中国は急接近し、今では戦略的な同盟関係を結んでいる。 オバマ政権は2010年の終わりからムスリム同胞団を使い、中東から北アフリカにかけての地域で「カラー革命」を仕掛けた。いわゆる「アラブの春」だ。 その一環で2011年春にはリビアやシリアでムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とするジハード傭兵に軍事侵略を始めた。その実態を誤魔化すため、西側ではこの戦争を「内戦」と呼ぶ。 リビアでの戦闘でアメリカ/NATOがアル・カイダ系武装集団と連携している事実を知る人が増え、2014年には新しいタグ「ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)」をつけた武装集団を売り出している。 ダーイッシュを含むジハード傭兵の武装集団は2015年9月にシリア政府の要請で介入したロシア軍によって壊滅状態になるが、地上でダーイッシュと戦っていたのがソレイマーニーの率いる部隊。アメリカ軍がソレイマーニーを暗殺した後、ダーイッシュは「神の御業」だと賞賛しているのだが、この暗殺によってアメリカは中東での孤立を深めている。
2020.01.15
イランのイスラム革命防衛隊の特殊部隊コッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーとPMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官をアメリカ軍がバグダッド空港で暗殺して以来、中東でアメリカの支配力が急速に低下している実態が明らかになってきた。 ソレイマーニーがイラクを訪問したのは、イランと敵対関係にあったサウジアラビアとの関係改善を目指す交渉の一環だった。これはイラクのアディル・アブドゥル-マフディ首相が明らかにしている。 昨年の10月上旬にサウジアラビアはイランと緊張緩和について話し合うことをイラク首相に約束しているが、そのサウジアラビアからの申し出に対する回答をソレイマーニーは持ってイラクを訪問したという。その10月にイスラエルの情報機関モサドのヨシ・コーエン長官は公然とソレイマーニー暗殺を口にしていた。 殺人をアメリカが請け負ったように見えるが、アメリカにはイランだけでなくイラクを恫喝する必要にも迫られていた。昨年9月にアブドゥル-マフディ首相は中国を訪問、石油施設の建設など経済的な結びつきを強めることで合意している。2015年にも似た内容の合意があったのだが、これはアメリカの圧力で立ち消えになっていた。 昨年9月の合意に対してもアメリカは圧力を加えてきたという。アメリカの命令を拒否すると、大規模な反政府デモを行わせ、アブドゥル-マフディを辞めさせると脅したという。実際、2019年10月にデモが始まる。リビアやウクライナと同じようにアメリカはスナイパーを配置、デモ隊と治安部隊を銃撃して双方を殺害して混乱を図った。アブドゥル-マフディは辞意を表明、次の首相が決まった段階で辞任することになる。 現在、アメリカやイスラエルは手先としてスンニ派を使っている。2003年にスンニ派を基盤とするサダム・フセイン体制を倒したが、親イスラエル派の体制を樹立することに失敗、親イラン派が実権を握ってから方針を変更したと見られている。 その方針変更を最初に指摘したのは調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュ。2007年にニューヨーカー誌に掲載された記事の中で、ジョージ・W・ブッシュ政権はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派と手を組むことにし、スンニ派であるフセイン体制の残党と手を組んだとしている。 そうした情況のイラクだが、ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。万一、日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだろうが、そこまでしなければ世界はアメリカに従わなくなっているということでもある。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだが、そうしたことを実行する力さえなくなりつつある。
2020.01.14
ウクライナ国際航空752便の撃墜でアメリカ軍の責任がロシアで指摘されている。テヘランのイマム・ホメイニ空港を離陸して数分後、イランのイスラム革命防衛隊が誤って撃ち落としたのだ。 その当時、アメリカ軍の軍用機が数機、近くを飛行(イランのレーダーに誤表示された可能性もある)し、混乱した防空の担当者が旅客機を誤って撃ち落とした可能性があるという分析がある。ウクライナ機に対してもサイバー攻撃が仕掛けられ、空港へ戻ろうとしたことも考えられるが、航空機の内部で爆発があった可能性も指摘されている。 理由はともかく、アメリカ軍機が飛行する中、ウクライナ機は空港へ引き返そうとし、イラン側はアメリカ軍機がテヘランに向かっていると誤認、ミサイルを発射したという見方だ。この辺は今後、詳しく調査する必要がある。 そこで指摘されているのが2018年9月17日にシリア沖でロシア軍の電子情報支援機IL20をシリア軍が誤って撃墜したケース。撃墜の直前にイスラエル軍のF16がシリア沖に飛来してシリアへの攻撃を開始、そこでIL20は基地へ戻ろうとしていたのだが、イスラエル軍機のうち1機がロシア軍機を盾にするように飛行していた。 当初、ロシア国防省は撃墜のタイミングでフランス海軍のフリゲート艦オーベルニュがミサイルを発射していると発表していた。ロシア側はイスラエルが意図的にIL20とイスラエルの戦闘機を誤認させたしてイスラエルを非難している。 ウクライナ機が撃墜される情況を作り出したのは、アメリカ軍によるガーセム・ソレイマーニーとPMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官の暗殺である。ソレイマーニーは革命防衛隊で特殊部隊を指揮してきた軍人で、イランとサウジアラビアとの間で進められていた関係修復のやりとりでメッセンジャー役でもあった。 昨年の10月上旬にサウジアラビアはイランと緊張緩和について話し合うことをイラクのアディル・アブドゥル-マフディ首相に約束しているが、そのサウジアラビアからの申し出に対する回答をソレイマーニーは持ってイラクを訪問したとイラク首相は語っている。当然、アメリカはそうした事実を知っていただろう。 ノウリ・アル・マリキ政権時代からイラクでは反米感情が高まっている。ソレマーニー暗殺の2日後、1月5日にはイラク国内に駐留している外国の軍隊は国外へ出るように求める決議がイラク議会で採択されている。アメリカ軍やその同盟国の軍隊は出て行けということだ。 そして暗殺の喪が明けた直後の1月8日早朝、イラン軍はアメリカ軍が駐留しているアイン・アル・アサドやエル・ビルの基地をミサイルで攻撃、イラン側によると、約80名のアメリカ軍関係者が死亡、200名近くが負傷したという。アメリカ側の反応が鈍いことから相当数の犠牲者が出ているだろうと考える人は少なくない。この推測が正しいなら、アメリカの防空システムは機能しなかったことになる。 1月7日にはロシアのウラジミル・プーチン大統領がシリアを突如訪問し、バシャール・アル・アサド大統領と会談した。「年始の挨拶」ではないだろう。 イランのさらなる報復攻撃にブレーキをかけ、本格的な戦争へ突入することを避ける一方、経済的な「制裁」を正当化する口実として752便の撃墜はアメリカ政府にとって好都合だと言えるだろう。 イランと本格的な戦争を始めるためには100万人規模の軍隊が必要だと考えられている。イランを占領するためには約240万人を導入しなければならないという分析もある。つまり、全アメリカ軍を投入してもイランとの戦争はできないということだ。 そうしたこともあり、アメリカは「経済制裁」で各国を攻撃してきた。それが有効な最大の理由はドルが基軸通貨であり、そのドルを発行する権利をアメリカが握っているということにある。 イラク議会はアメリカ軍に領内から出ていくように求めているが、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラクは銀行口座にアクセスできなくなると警告したという。イランのイスラム革命の後にも同じようなことを行った。そうした金融システムが信頼できないことは言うまでもない。
2020.01.13
テヘランのイマム・ホメイニ空港を飛び立ったウクライナ国際航空の752便を1月8日朝、誤って撃ち落としたとイラン革命防衛隊は11日に認めた。撃墜の責任者が隠したのかもしれないが、イラン側の対応は良くなかったと言えるだろう。エンジンで火災が発生して空港へ引き返す途中だったとするイラン側の説明が事実なら、それで攻撃機と誤認したのかもしれない。 この撃墜をアメリカ側は目一杯利用しているが、中東を巡る情勢がこの出来事で大きく変わる可能性は小さいだろう。アメリカは1月3日に革命防衛隊のカリスマ的な軍人ガーセム・ソレイマーニーを暗殺したが、そのソレイマーニーはイランとサウジアラビアとの間で進められていた関係修復交渉のメッセンジャー役を果たしていた。 ソレイマーニーが暗殺された際、イラクの武装組織PMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官も殺されているが、ロイターがアメリカ政府高官の話しとして、アメリカは同じ日にイエメンを訪問中のイラン軍幹部を暗殺しようとして失敗したと伝えている。 そのイエメンではアリ・アブドゥラ・サレーハ政権とフーシ派の戦争が2004年から続いている。2003年にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、それに抗議するためにフーシ派がモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和するんだが、イエメン政府はそうした行為を弾圧、首都のサヌアで800名程度を逮捕している。この弾圧が切っ掛けで戦闘が始まった。 2009年には「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」が創設され、その年にサウジアラビアはイエメンに空軍と特殊部隊を派遣したと伝えられている。 2011年にサレーハ大統領は辞任、副大統領だったアブド・ラッボ・マンスール・アル・ハディが翌年2月から新大統領を務めることになる。任期は2年なので2104年2月までだが、ハディはイエメンに権力の基盤がなく、さっさとサウジアラビアへ逃走した。 サウジアラビアの国防大臣にモハマド・ビン・サルマンが就任した2015年、同国は100機におよぶ戦闘機、15万名の兵士、さらに海軍の部隊を派遣(国境を越えているかどうか不明)した。攻撃にはアラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、クウェートなどの国も参加し、アメリカも物資や情報の面で支援したとされている。イエメン攻撃を始めたビン・サルマンは2017年から皇太子に就任した。 その後、イエメン情勢はサウジアラビアにとって好ましくない方向へ進み、昨年9月14日にフーシ派は18機のUAV(無人機。ドローンとも呼ばれる)と7機の巡航ミサイルでサウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設した。深刻な事態である。 そして9月28日、サルマン・ビン・アブドラジズ・アル・サウド国王から最も信頼していた警護責任者のアブドル・アジズ・アル・ファガム少将が射殺され、その翌日にはイエメンのフーシ派軍がサウジアラビアの3旅団を壊滅させたと発表している。 国王へ皇太子の行状を報告していたというアル・ファガム少将はジェッダにある友人の家で個人的な諍いから殺されたとされているが、実際は宮殿で殺されたとする情報がある。皇太子が何らかの形で殺害に関与していた疑いがあるのだ。 国王の信頼を失った皇太子はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やアメリカの傭兵会社に頼らざるをえないと言う人もいるが、ネタニヤフの立場は揺らぎ、イランに対する核攻撃の準備をしているという噂もある。そうした中、皇太子の弟であるハリド・ビン・サルマンが注目されている。 サウジアラビアは戦争どころの状態ではなく、イランとの和平交渉は続ける必要がある。
2020.01.12
ウクライナ国際航空752便の墜落では、2014年7月17日にウクライナの上空で撃墜されたマレーシア航空17便(MH17)との類似性を指摘する声も聞く。この旅客機はアムステルダムからクアラルンプールへ向かう途中だった。 現在でもブーク・ミサイル・システムで撃ち落とされたという説を唱える人はいるが、撃墜されて間もない2014年7月23日に現地入りしたBBCの取材チームはそうしたことを示す証拠や証言がないことを確認している。ウクライナの制圧を目論んでいた勢力にとって都合の悪い情報だ。その映像をBBCはすぐに削除したが、コピーがインターネット上を流れた。 その映像に登場する住民によると、旅客機の近くを戦闘機が飛んでいた。キエフ軍の航空機が民間機の影に隠れながら爆撃しているという話も映像に記録されている。現場の周辺では防腐剤のような臭いがしていたともいう。 また、旅客機の残骸を調査したOSCE(欧州安全保障協力機構)の調査官も榴散弾ではなく左右から銃撃された可能性が高いと話している。コックピットの下の部分にいくつもの弾痕があるのだが、入射穴と出射穴があり、榴散弾ではなく左右から銃撃された可能性が高いというのだ。今回の752便墜落の宣伝ではこの指摘がシナリオに取り入れられている。 ロシア国防省はMH17と同じコースを同じ高度でSu-25が飛行していたと説明していた。戦闘機と旅客機との距離は3から5キロメートルだったという。Su-25を実際に操縦した経験のある人びとによると、1万2000メートルから1万4000メートルの高度までは到達でき、MH17を撃墜することは可能だ。MH17とほぼ同じルートを40分弱の差でウラジミール・プーチン露大統領を乗せた航空機が飛行する予定だったとする未確認情報も流れていた。 この撃墜を調査するとしてオランダが主導するJIT(合同調査チーム)が編成された。そのほかベルギー、オーストラリア、ウクライナ(クーデター政権)、そしてマレーシアが含まれている。EUの拠点であるベルギー、アメリカの属国であるオーストラリア、撃墜の実行犯と疑われているウクライナ、そして旅客機が所属するマレーシアだ。 しかし、マレーシアのマハティール・ビン・モハマド首相によると、JITの主張を裏づける証拠がない。同国の調査官はMH17のフライト・レコーダーを調査することを拒否されたという。そうしたこともあり、マハティール首相はJITの結論に納得していないという。同首相もウクライナのクーデター派が実行した可能性を指摘している。JITはロシア人3名とウクライナ人ひとりの合計4名の国際逮捕状を発行するというが、オランダの主任検察官はこの4名が撃墜に関与したことを示す証拠はないとしている。 MH17が撃墜されたのはバラク・オバマ政権がネオ・ナチのグループを使い、ウクライナでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を追放することに成功してから2カ月後の出来事だった。 クーデターの主な目的はEUとロシアとの関係を絶つことにあったが、ロシアの重要な軍事基地があるクリミアの制圧も目指していたはずだ。 ところが、クーデターの実態を知ったクリミアの住民は3月16日の住民投票でウクライナからの離脱とロシアとの統合を求める意思を示した。投票には80%以上の住民が参加、95%以上が加盟に賛成したのだ。 ヤヌコビッチの支持基盤でロシア語を話す住民が多い東部や南部でもクリミアに続く動きが現れるのだが、そうした中、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、その2日後にクーデター政権の大統領代行がウクライナ全域の制圧作戦を承認している。 4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作に関する話し合いがあったと伝えられている。現場では国務次官補だったビクトリア・ヌランドが主導的な役割を果たしていたが、クーデターの責任者はバイデンだったする指摘もある。 そうした地域の中にオデッサという港湾都市がある。ここも戦略的に重要な場所だ。その年でも住民はクーデターに反対する行動を起こすが、5月2日にキエフのクーデター政権はネオ・ナチのグループを使ってそうした住民を虐殺した。これは本ブログで繰り返し書いてきた通りだ。そしてドンバスで戦闘が始まった。ウクライナのクーデターに反対する軍人や治安部隊員が合流しているので戦闘能力は高いと言われている。 オバマ政権はキエフでのクーデターに成功したものの、南部や東部では計画通りに進まなかった。ドンバスでは戦闘が泥沼化、むしろキエフの送り込んだ部隊は厳しい状況に陥る。そして7月17日のMH17撃墜だ。 イランのイスラム革命防衛隊の幹部で特殊部隊を率い、イランとサウジアラビアとの間で進められていた関係修復のやりとりでメッセンジャー役だったガーセム・ソレイマーニーをアメリカ軍がイラクのバグダッド空港で暗殺したのは今年1月3日のことだった。 暗殺の喪が明けた直後、1月8日早朝にイラン軍はアメリカ軍が駐留しているアイン・アル・アサドやエル・ビルの基地をミサイルで攻撃、イラン側によると、約80名のアメリカ軍関係者が死亡、200名近くが負傷したという。 アメリカ側の反応が鈍いことから相当数の犠牲者が出ているだろうと考える人は少なくないが、この推測が正しいなら、サウジアラビアに続き、ここでもアメリカの防空システムは機能しなかったことになる。これでイラン側が報復を止めるかどうか不明だが、アメリカが何らかの軍事的な行動に出れば報復するだろう。 防空システムを含むアメリカ軍の能力、サウジアラビアとイランとの和平の動き、それを妨害するアメリカ、イラクの政府や議会がアメリカに突きつけている軍隊の撤退とアメリカ側の拒否などの問題がアメリカ政府の上にのしかかっている。人びとの注意をそらす必要がある。そうした中、アメリカにとって都合良くウクライナの旅客機が墜落した。そのウクライナでも現在の政府はロシアとの関係修復に動いている。(了)
2020.01.11
1月8日の朝、テヘランのイマム・ホメイニ空港を飛び立ったウクライナ国際航空の752便はその数分後、高度8000フィート(2400メートル)の地点で何らかの重大な事態が発生し、墜落した。この墜落で176名が死亡したが、その大半はイラン人とカナダ人。イラン側の説明では、エンジンで火災が発生して空港へ引き返す途中で墜落し、爆発したという。 それに対し、1日以上を経過してから西側で752便はイランのミサイルで撃墜されたという外交的な宣伝がはじまる。10日になるとAP通信がアメリカ、イギリス、カナダの匿名情報源からの話としてイランのミサイルで撃墜された可能性が高いと報道、ロイター通信が続いた。 映像も流されているが、それが何を意味しているかわからない代物。今のところ墜落の原因を特定できるような情報はない。ICAO(国際民間航空機関)でさえ、調査が行われる前の推測は避けるように釘を刺している。 しかし、プロパガンダは調査が始まる前が勝負。調査で不都合な情報が出てくる前に、自分たちにとって都合の良いイメージを人びとに植えつける必要があるからだ。 今回の出来事で大々的な宣伝を展開している西側の政府や有力メディアが戦争を始め、続けるために嘘をつき続けてきたことも忘れてはならない。詳細は割愛するが、その一部は本ブログでも取り上げた。この事実は今回の墜落の真相を明らかにする上で重要なファクターのひとつだ。 アメリカの有力メディアとCIAとの関係は1977年代に広く知られるようになった。そうした実態を明かしたひとりがウォーターゲート事件の取材で有名になったカール・バーンスタインである。 バーンスタインは1977年に同紙を辞め、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いた。CIAが有力メディアをコントロールしている実態を暴露したのだ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。 CIAが有力メディアを情報操作のために使うプロジェクトを「モッキンバード」と呼んだのはジャーナリストのデボラ・デイビス。1979年に『キャサリン・ザ・グレート』というタイトルの本を出版している。そのほかフランク・チャーチ上院議員を委員長とする情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会でCIAと有力メディアとの関係は明らかにされた。 これも本ブログで繰り返し書いてきたことだが、ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。 彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているというのだ。2017年1月、56歳のときに心臓発作で彼は死亡する。 有力メディアが権力システムに組み込まれていることを示す一例がソンミ事件だろう。1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落において住民がアメリカ軍の部隊によって虐殺したのだが、その際、そうした行為を目にしたはずの従軍記者、従軍カメラマンは報道していない。 この虐殺が発覚したのは内部告発があったからである。虐殺の最中、現場近くを通りかかった偵察ヘリコプターのパイロット、ヒュー・トンプソン准尉が村民の殺害を止めたことから生き残った人がいたことも一因だろう。 そうした告発を耳にし、調査の上で記事にしたジャーナリストがシーモア・ハーシュ。従軍記者ではない。1969年11月のことだ。 この虐殺はCIAが特殊部隊と組んで実行していたフェニックス・プログラムの一環で、この秘密作戦を指揮したひとりであるウィリアム・コルビーはCIA長官時代に議会でこれについて証言、自身が指揮していた「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と明らかにしている。解放戦線の支持者と見なされて殺された住民は約6万人だとする推測もある。 ソンミ村での虐殺はアメリカ陸軍第23歩兵師団の第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊の第1小隊によって実行された。率いていたのはウィリアム・カリー中尉。虐殺から10日後、ウィリアム・ウエストモーランド陸軍参謀総長は事件の調査をCIA出身のウィリアム・ピアーズ将軍に命令する。ピアーズは第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIAの台湾支局長を務めていた。事件を揉み消すために人選だろう。 第23歩兵師団に所属していた将校のひとりがコリン・パウエル。ジョージ・W・ブッシュ政権の国務長官だ。2004年5月4日にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、彼は自分も現場へ入ったことを明らかにしている。 ジャーナリストのロバート・パリーらによると、パウエルはこうした兵士の告発を握りつぶし、上官が聞きくない話は削除する仕事をしていたという。その仕事ぶりが評価され、「異例の出世」をしたと言われている。 アメリカは従属国の軍隊を引き連れて2003年にイラクを先制攻撃したが、その直前にイラクが「大量破壊兵器」を保有、アメリカへの攻撃が迫っているかのような宣伝が展開されたが、その宣伝でもパウエルは重要な役割を果たした。(つづく)
2020.01.11
イランとサウジアラビアとの間で進められていた関係修復のやりとりでメッセンジャー役だったイスラム革命防衛隊のガーセム・ソレイマーニーをアメリカ軍がイラクのバグダッド空港で暗殺した。戦争行為以外の何ものでもないが、本ブログでもすでに指摘したように、アメリカが本格的な戦争を始めることは困難である。 イランと本格的な戦争を始めるためには100万人規模の軍隊が必要だとされているが、イラクでの経験から考え、イランを占領するためには約240万人を導入しなければならないという分析もある。 予備役を投入してもアメリカ軍にそれだけの戦力はなく、どうしてもイランを破壊したいなら相当数の核兵器を使うしかない。イランとの戦争にはNATO加盟国も二の足を踏むだろう。 通常兵器での戦争ならロシアや中国は表立って動かないとみられているが、核戦争なら話は別だ。つまり全面核戦争に発展する恐れがある。 通常兵器でロシアや中国が表立って戦争に介入しないだろうと見られている一因は、アメリカ軍がイラン軍に勝てないと推測されているからだ。しかも、現在の情況を考えるとイラクもアメリカとの戦争に加わる可能性がある。 ソレイマーニー暗殺の喪が明けた直後、1月8日早朝にイラン軍はアメリカ軍が駐留しているアイン・アル・アサドやエル・ビルの基地をミサイルで攻撃した。 イラン側によると、その攻撃で約80名のアメリカ軍関係者が死亡、200名近くが負傷したという。アメリカ側の反応が鈍いことから相当数の犠牲者が出ているだろうと考える人は少なくない。その後、アメリカ政府が軍事力の行使に否定的な発言をするようになったことも、そうした推測を補強している。 アングロ・サクソンは軍事的に圧倒的な強さを持つという前提で支配システムが成り立っている日本。この国の支配階級にとって都合の悪い事実が明らかになりつつある。
2020.01.10
イラクを公式訪問したコッズ軍のガーセム・ソレイマーニー司令官をアメリカ軍はバグダッド空港で暗殺したが、その理由としてドルの問題が語られている。 本ブログでも書いたことだが、9月14日にはイエメンのフーシ派による攻撃でサウジアラビアの石油施設が大きなダメージを受け、9月28日にはサルマン国王が最も信頼していた警護責任者のアブドル・アジズ・アル・ファガム少将が射殺されている。イエメンへの軍事侵攻を主導してきたモハメド・ビン・サルマン皇太子に対する国王の信頼度が低下しているとも言われている。 サウジアラビア国王は2017年10月にロシアを訪問して防空システムのS-400に関心を示し、昨年10月にはイランと緊張緩和について話し合うことをイラク首相に約束している。その半月ほど後にロシアのウラジミル・プーチン大統領がサウジアラビアを訪問した。アメリカの強い影響下にあると考えられているサウジアラビアだが、その影響から逃れようとしているようにも見える。 アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回の暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだという見方があるのだが、そうした脅しにはアメリカ離れを加速させるという側面もある。 脅すためにアメリカは実際に武力を使わざるを得ない情況なのだが、それによってアメリカの軍事力が見かけ倒しだということが明らかになっていることも大きい。ここにきてのアメリカによる脅しはイランだけでなくイラクでも反米感情を高めてしまった。 イラン軍はアメリカ軍が駐留しているイラク西部のアイン・アル・アサド空軍基地やエル・ビルを攻撃した。アメリカ側は犠牲者が出ていないように説明しているが、イラン側は約80名のアメリカ軍関係者が死亡したと主張している。 アイン・アル・アサド空軍基地は暗殺に使われたUAV(無人機。ドローンとも呼ばれる)が飛び立った場所であり、エル・ビルはシリアを占領しているアメリカ軍向けの物資が保管されているのだという。
2020.01.09
暗殺されたガーセム・ソレイマーニーの喪が明けた直後の1月8日の早朝、イラン軍はアメリカ軍が駐留しているイラク西部のアイン・アル・アサド空軍基地やエル・ビルを含も2基地に対して約35機のミサイルで攻撃、犠牲者が出ているとも伝えられている。50分後にエルビル空港近くの米軍基地などに対して第2波の攻撃があったという。 ソレイマーニーが暗殺された後、イランのゴムにあるジャマカラン・モスクには報復を象徴する赤い旗が掲げられた。イラン・イラク戦争の際にも掲げられなかったもので、その意味するところは重い。 アメリカ軍は6機の戦略爆撃機B-52をディエゴ・ガルシアへ送り込んでいるが、8日早朝の攻撃を受けてアラブ首長国連邦の基地から米軍のF-35が飛び立った。それに対し、自分たちを攻撃した航空機が離陸した国も報復攻撃の対象になるとイランは警告している。 一方、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は1月7日に正教会でクリスマスの礼拝に出席した直後、シリアを突如訪問し、バシャール・アル・アサド大統領と会談している。 現在、ドナルド・トランプ政権でイラン攻撃を含む好戦的な政策を推進しているのはマイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、マーク・エスパー国防長官だろう。 このグループと同じ考え方だったジョン・ボルトンは2019年9月に国家安全保障補佐官を解任された。そのボルトンがNSC(国家安全保障会議)へ引き込んだリチャード・ゴールドバーグは、ソレイマーニー暗殺の翌日にNSCを「個人的理由」で辞めたと伝えられた。 この人びとは単に好戦的というだけでなく、ユダヤ人至上主義の信奉者でもある。アーリア人とアーリア至上主義者が違うように、ドイツ人とドイツ至上主義者が違うように、ユダヤ人とユダヤ至上主義者は本質的に違う。 ユダヤ至上主義の歴史は古く、そうした考えを否定したユダヤ人のひとりがイエスだった。新約聖書の研究者である田川健三によると、「ヨハネの黙示録」の原著者もそうした考え方の持ち主だったが、この文書には大きな問題があるという。原著にユダヤ至上主義に基づく妄想を書き加えた人物がいるというのだ。田川はギリシャ語の原文を分析、思想の違いとギリシャ語の語学力の違いからその結論に到達したとしている。 書き加えられた箇所ではユダヤ人以外皆殺しという主張が展開されているのだが、キリスト教ファンダメンタリストと呼ばれている人びとは、その書き加えられた部分に心酔している。彼らが2011年3月11日に三陸沖で巨大地震が発生した際に喜び、殺戮と破壊を望み、核戦争を待望する心情には根深いものがある。
2020.01.08
アメリカ軍が6機の戦略爆撃機B-52をディエゴ・ガルシアへ送り込みつつあるとCNNの軍事担当がツイッターに書き込んでいる。 ディエゴ・ガルシアはインド洋の真ん中にある島で、イギリスが不法占拠、それをアメリカが使っている。ICJ(国際司法裁判所)は同島を含むチャゴス諸島をモーリシャスへ返還するようにと勧告しているが、米英は無視してきた。この島にもアメリカの秘密刑務所が存在していると言われ、マレーシア航空370便が消息を絶った際、この基地に降りたのではないかと噂された。 中東ではアメリカに従属していた国が自立の動きを見せている。トルコの離反は本ブログでも繰り返し書いてきたが、サウジアラビアもアメリカから離れつつある。言うまでもなく、サウジアラビアは重要な産油国であり、石油取引を利用して発行されたドルをアメリカへ還流させるペトロダラーの仕組みを支えてきた。サウジアラビアの自立はアメリカの支配システムを揺るがすことになる。 サウジアラビアのロシアへの接近が注目されたのは2017年10月のことだった。サルマン国王がロシアを訪問し、防空システムS-400の購入で合意したと報じられたのだ。その半年前、アメリカ海軍の駆逐艦2隻、ポーターとロスが巡航ミサイルのトマホーク59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射したものの、6割が無力化されるという出来事があった。それがサウジアラビアの動きに影響した可能性もある。 なお、2018年4月にアメリカ軍はイギリス軍とフランス軍を巻き込み、100機以上のトマホークをシリアへ向けて発射したが、7割が無力化されている。2017年には配備されていなかった短距離用の防空システムのパーンツィリ-S1が効果的だったと言われている。 そして2019年9月14日にサウジアラビアを震撼させる出来事があった。イエメンでサウジアラビア軍と戦っているフーシ派が18機のUAV(無人機。ドローンとも呼ばれる)と7機の巡航ミサイルでサウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設に大きなダメージを与えたのだ。 アメリカのマイク・ポンペオ国務長官はイランによる攻撃だと主張、モハメド・ビン・サルマン皇太子のほかイギリス、フランス、ドイツも同意しているものの、情況証拠はフーシ派の発表が正しいことを示している。そして9月29日にフーシ派はナジュランでサウジアラビアの3旅団を壊滅させたと発表、その際に映像も公開した。 9月14日の攻撃はアメリカ製の防空システムが無能だということを明らかにした。破壊された石油施設の周辺には88基のMIM-104 ペトリオット・システムが配備されていて、そのうち52基は日本も導入を進めているという新型のPAC-3。しかもペルシャ湾にはアメリカ海軍に所属する3隻の駆逐艦(イージス艦)がいたのだが、攻撃を防げなかったのだ。 ところで、アメリカ軍によるガーセム・ソレイマーニーの暗殺を受け、イランのゴムにあるジャマカラン・モスクには報復を象徴する赤い旗が掲げられた。これはイランの歴史で初めてのことだという。イランの報復があれば、アメリカはイランの52カ所を攻撃するかもしれないと脅しているが、その一方でイランとの戦争を望んでいないともしている。イランとの戦争を始めた場合、サウジアラビアとの関係が決定的に悪くなる可能性があることも影響しているだろう。
2020.01.07
イラクのバグダッド空港はアメリカ軍が安全に責任を負っている。その空港でアメリカ軍はイランの要人を暗殺した。その要人とはイスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われているコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーだ。この暗殺によってイランでアメリカに対する怒りが噴出しているが、それだけでなく、イラクでもアメリカへの反発が高まっている。 その暗殺でイスラエルの果たした役割とサウジアラビアのイランとの関係修復の動きが話題になっている。 ソレイマーニーと一緒にPMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官も殺された。そのPMUの施設をアメリカ軍は12月29日に空爆、25名以上の戦闘員を殺したと伝えられているが、この攻撃にもイスラエルが関与していたと言われている。 アメリカやイスラエルがPMUを憎悪する理由のひとつは、この2カ国が手先として使ってきたダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)を殲滅する上で重要な役割を果たしたからだという。 今回の暗殺でサウジアラビアも注目されている。その切っ掛けはイラク首相のアディル・アブドゥル-マフディの発言。昨年の10月上旬にサウジアラビアはイランと緊張緩和について話し合うことをイラク首相に約束しているが、そのサウジアラビアからの申し出に対する回答をソレイマーニーは持ってイラクを訪問したというのだ。中東の緊張緩和をアメリカとイスラエルは嫌ったということになる。 サウジアラビアはアメリカやイスラエルと手を組み、新自由主義的な経済政策を推進、シリアやリビアへの侵略を支援、イエメンへ軍事侵攻してきた。そうした政策の中心にはモハメド・ビン・サルマン皇太子がいたのだが、そうした政策はことごとく失敗、サウジアラビアを苦境に追い込んだ。そこで皇太子は父親である国王のサルマン・ビン・アブドラジズ・アル・サウドからの信頼も失ったと言われている。 そのサルマン国王が最も信頼していた警護責任者のアブドル・アジズ・アル・ファガム少将が9月28日に射殺された。ジェッダにある友人の家で個人的な諍いから殺されたとされているが、宮殿で殺されたとする情報がある。その殺害に皇太子が関係していたとしても不思議ではない。イランとの関係修復にサウジアラビアが動いたということは、皇太子の力が衰えたことを意味するのだろうが、そうなるとアメリカ政府やイスラエル政府にとっては好ましくない展開だ。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカの親イスラエル派に属すネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランを制圧する計画を持っていた。まずイラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を築き、トルコ、イラク、ヨルダンの親イスラエル国帯でシリアとイランを分断、その上で両国を破壊するというものだった。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ネオコンの中心グループを形成するひとりのポール・ウォルフォウィッツは、1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると語っている。(3月、10月) イスラエルに中東全域を制圧させようというわけだが、それが実現できればイスラエルが中東のエネルギー資源を握ることになる。必然的にイスラエルは圧倒的な支配力を手に入れることになるが、そうした野望は崩れ、ウォルフォウィッツの世界制覇プランは破綻した。アメリカ政治の表舞台で主役を演じてきた民主党と共和党の芝居は幕が下り始めている。
2020.01.07
イラク議会は1月5日、イラク国内に駐留している外国の軍隊は国外へ出るように求める決議を採択した。アメリカ軍やその同盟国の軍隊は出て行けということだ。 これはイラク国内で言われてきたことだが、イラクを公式訪問したコッズ軍のガーセム・ソレイマーニー司令官をアメリカ軍が空港で暗殺したことで議会の決議になったと言える。空港の安全を守ることはアメリカ軍に課せられた義務だった。 2006年5月から14年9月までイラクの首相を務めたノウリ・アル・マリキもアメリカを批判しつづけてきた。 マリキ政権は遅くとも2011年の段階でジハード傭兵の動きを懸念、アメリカ政府に対してF-16戦闘機を供給するように要請し、契約している。ところが戦闘機は納入されず、新たな支援要請も断られてしまう。ヘリコプターの部品なども手に入らなくなったという。 そこでマリキ政権は2013年6月、ロシアに支援を要請して受け入れられ、数日のうちに5機のSu-25近接航空支援機がイラクへ運び込まれた。 その2013年にマリキはアメリカから、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の部隊がシリアとイラクの国境沿いに集結していることを示す航空写真などの情報を示されたとしている。 その年にアメリカの政府や有力メディアはシリアが化学兵器を使ったと宣伝している。前年、つまり2012年8月にバラク・オバマ大統領は、シリアに対する直接的な直接的な軍事介入のレッド・ラインを生物化学兵器の使用だとしていたが、同じ月にアメリカ軍の情報機関DIAはオバマ政権にとって都合の悪い事実を報告している。 リビアでアメリカ/NATO軍がアル・カイダ系武装集団と連携、その武装集団がムアンマル・アル・カダフィ体制を崩壊させた後、NATO軍は戦闘員と武器/兵器をシリアへ移動させていた。 そうした報道に対し、オバマ大統領は「穏健派」を支援しているのだと主張していたが、DIAはサラフィ主義者やムスリム同胞団が反シリア政府軍の主力だと指摘していた。その反政府軍としてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだと指摘されていた)だともしていた。 アメリカ政府は2013年にリビアと同じように軍事介入する予定で、その口実に化学兵器話を使おうとしたのだが、化学兵器を使用したのは、そうした反政府軍だとする調査報告も相次いだ。 2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月に攻勢をかける。この際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が配信されて名前は世界に売られた。 2013年の段階でアメリカ側はシリアとイラクの国境沿いに武装集団が集結していることを把握していたわけで、14年の動きも知っていたはず。何しろ、アメリカの情報機関や軍は衛星や航空機による偵察、通信傍受、人間による情報活動などで常に情報を収集し、分析している。 こうした展開になることを2012年の段階でDIAから警告されていたオバマ政権がダーイッシュを攻撃するはずはなかったとも言える。その当時、DIA局長だったマイケル・フリン中将が言っていたように、ダーイッシュによるシリア東部からイラク西部にかけての地域の占領はオバマ政権の政策だった。 2014年4月にはイラクで議会選挙があり、マリキを党首とする法治国家連合が勝利したが、マリキは選挙前の3月、反政府勢力へ資金を提供しているとしてサウジアラビアやカタールを批判、その一方でロシアへ接近していた。 通常ならマリキが首相を続けたはずだが、アメリカはこの人物を好ましくないと判断したようで、首相選定に介入する。マリキは外され、ハイデル・アル・アバディが選ばれた。 ところが、アバディになってもアメリカに対する批判はイラクから消えない。そうした反米感情を恫喝で抑え込んできたのがアメリカだが、ソレイマーニーの暗殺でアメリカはレッド・ラインを超えてしまった可能性がある。
2020.01.06
アメリカのNSC(国家安全保障会議)でオフィサーだったひとりの人物が去った。イランの大量破壊兵器への対抗策を担当していたというリチャード・ゴールドバーグだ。ゴールドバーグがNSCを辞任したのは、ドナルド・トランプ政権の内部でも批判が高まったからだという。イランのコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーを暗殺するという無謀な行為と無関係ではないだろう。 この人物をNSCへ引き込んだのは国家安全保障補佐官だったジョン・ボルトンで、元々はイスラエルや親イスラエル派の好戦的な人びとが2001年に設立したFDD(民主義防衛財団)で上級顧問を務めていた。 FDDの母体になったとされているのがEMET(ヘブライ語で「真実」を意味する)というシンクタンク。この団体を考えたのひとりはエドガー・ブロンフマン。ベア・スターンズでジェフリー・エプスタインの顧客だった人物で、イスラエルの情報機関と関係が深いと言われている。 FDDやEMETの主要スポンサーのひとりがシェルドン・アデルソン。アメリカのラス・ベガスとペンシルベニア、東南アジアのマカオとシンガボールでカジノを経営、日本にもカジノを作らせるように要求していた人物で、アメリカのドナルド・トランプ大統領へ多額の献金をしていたほか、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と親しいことでも知られている。 EMETやFDDはその凶暴性からイスラエルや親イスラエル派の中でも批判されているようだが、その背後にはメガ・グループというイスラエル系の団体が存在している。このグループはイスラエルの情報機関に大きな影響力を持つという。 メガ・グループは1991年に創設されたが、創設者のひとりはチャールズ・ブロンフマン。エドガーの弟で、エドガーもこのグループの幹部だった。 この兄弟は酒造で有名なブロンフマン家に属し、父親はサミュエル・ブロンフマン。この人物はエプスタインと同じように、有力者のスキャンダルを調べ上げ、あるいは作り上げ、その弱みを利用して操っていたと言われている。
2020.01.05
アメリカ軍はイスラム革命防衛隊のコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーとPMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官を暗殺した後、PMUの幹部が乗った車列を空爆して6名を殺害したと伝えられている。 シリアの東部からイラクの西部にかけて、つまりダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が一時期支配していた地域にアメリカは軍隊を配備し、ジハード傭兵の部隊を再編していた。そうしたジハード傭兵を殲滅したのがPMUだ。 一連の攻撃の背後にはイスラエルの意思があると言われているが、イラクで1960年代からイスラエルの手先として活動してきたのはバルザニ親子が率いてきたクルドの一派。父親のムスタファはイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われている。その息子がマスードだ。 2003年にアメリカはイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒したが、その後に親イスラエル派の体制を築くことに失敗した。今の政権は親イラン派だ。 そこで2007年までにジョージ・W・ブッシュ政権はフセインを支えていた軍人と再び手を組む。ダーイッシュにはそうした軍人が合流したと言われている。 また、かつてはマルクス主義の影響を受けたイランの武装組織だったムジャヒディン・ハルク(MEKまたはMKO)はイスラム革命後に力を失ってイラクへ逃れ、それまでのイデオロギーを放棄してカルト化してアメリカやイスラエルの影響下に入ったと言われている。アメリカがこの組織を「テロリスト」のリストから外したのはそのためである。 そうした勢力をアメリカは使っているが、そうした作戦の前に立ちはだかってきたのがPMUと言えるだろう。PMUが新たなヒズボラになることを恐れているとも言われている。 ソレイマーニーを暗殺したかったのはイスラエルだろうが、アメリカ軍が代行した。その結果、軍事的な緊張が高まっているわけだが、それに対処するためにアメリカ軍は緊急展開部隊の第82空挺師団から750名をイラクへ派遣、さらに3000名を増派すると言われている。 全面戦争の可能性は小さいと言われているものの、アメリカに対してイランが何らかの報復をすることは予想されている。ただ、予想外の展開になることは珍しくない。
2020.01.04
イスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われているコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーが1月3日の早朝、バグダッドの空港でアメリカ軍に暗殺された。UAV(無人機、ドローン)による攻撃だったようだ。ソレイマーニーは使節団の一員として到着したところで、PMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官も殺されたと伝えられている。死亡したのはこの2名を含む7名だという。イラク軍の司令官2名をアメリカの海兵隊が拘束したとも伝えられている。 この攻撃は事実上アメリカによるイランへの宣戦布告だと見る人もいるが、バグダッドではアメリカ軍による拘束が続いているとも言われ、クーデターが進行中のようにも見える。 アメリカ軍は12月29日にPMU(人民動員軍)の施設5カ所を空爆して25名以上の戦闘員を殺害、バグダッドにあるアメリカ大使館の周囲で数千人が抗議活動を繰り広げるという事態が生じたものの、すでに引き上げている。大使館周辺での混乱、あるいは襲撃を利用してアメリカは何らかのアクションを起こそうとした可能性があるが、それは失敗に終わったとも言える。 イランに対する攻撃は大義がなく無謀だということでアメリカ軍の内部では反対の声が少なくない。本ブログでは繰り返し指摘してきたが、中央軍やNATO軍は「関東軍」化している。イスラエル、あるいはイスラエルの背後にいる勢力の意向に従い、強引にイランとの戦争に突入する気かもしれない。 昨年(2019年)7月にイスラエル軍はF-35でイラク領内の施設を破壊した。その際、イラク、あるいはシリアにあるアメリカ軍の基地が利用され、そのターゲットはイスラム革命防衛隊に関係していると言われている。
2020.01.03
2020年代に入った。ドルを基軸通貨とするアメリカ中心の世界秩序は2030年まで持たないのではないかと推測する声を聞くが、その推測が正しいなら、残された時間は10年を切ったということになる。その前に自分たちにとって都合の良いタイミングで潰す可能性もある。 1980年代からアメリカは製造業を国外へ出す一方、企業を解体して切り売りしてきた。帳簿に書き込まれる数字のために生産手段を捨て去ったとも言える。その数字を投機市場という仕組みの中で動かすことで膨らませていくが、これは幻影にすぎない。こうした金融マジックを教義とする信仰を新自由主義と呼ぶ。 その金融マジックで世界に君臨してきたアメリカは、言うまでもなく、大きな問題を抱えている。生産能力がなくなっているのだ。公教育の破綻はアメリカの再建を困難にしている。支配層は新たな宿主を探しているのだろうが、大多数の庶民は破綻国家へ捨て去られることになりかねない。 アメリカの支配層が的を絞っている相手はロシアと中国だろう。両国の支配は遅くとも20世紀初頭から始まるアングロ・サクソンの長期戦略でもある。この戦略に基づいている私的権力がロシアや中国との平和共存を受け入れるとは思えない。 1991年12月にソ連を消滅させることにアングロ・サクソンは成功、20世紀の間はロシアでの略奪によって大儲けできた。ソ連消滅とロシアの属国化を前提として、ドル体制後のシステムも考えていただろうが、そのプランは21世紀に入って崩れ去る。ロシアが曲がりなりにも再独立に成功したからだ。 経済面ではドルが基軸通貨だということを利用して攻撃を続けるだろうが、軍事的にはNATOを使うようだ。アメリカ軍の内部には新自由主義に反発する声もあり、むしろNATOや中東を担当する中央軍の方が利用しやすい。NATOの「関東軍化」とも言えるだろう。 そのNATOは支配地域を東部へ拡大してロシアとの国境線に到達、南では中東から北アフリカへ活動範囲を広げ、さらに太平洋へ出てオーストラリア、インド、日本と結びつこうとしていると言われている。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、日本の支配層は自国軍をイギリスの傭兵部隊にすることで自分たちの地位を維持し、富を膨らませてきた。侵略の手先として動きながら私腹を肥やしてきたのだ。 途中、従属相手はイギリスからアメリカへ交代したが、中身に大差はない。これが天皇制官僚体制であり、明治維新から現在に至るまで続く基本構造だ。 アングロ・サクソンがヘゲモニーを失ったなら、明治体制も崩れる。日本の国土や住民がどうなろうと、明治体制で甘い汁を吸い続けてきた人びとはアングロ・サクソンのために尽くすことになるのだろう。
2020.01.02
イラク軍の指揮下にあるPMU(人民動員軍)の部隊がアメリカ軍に攻撃され、戦闘員25名以上が殺されたことを受け、バグダッドにあるアメリカ大使館の周囲で数千人が抗議活動を繰り広げていると伝えられている。 アメリカ大使館がある場所は警備の厳しい通称「グリーン・ゾーン」にある。大使館員は避難、アメリカ軍の「危機対応特別目的海兵空地任務部隊」がクウェートから派遣されたようだ。 抗議のために集まった人の中にはPMUの隊員も含まれてとする話も流れているが、イラク国民がアメリカに良い感情を持っていないことは確かだろう。イラク政府も同じだ。2006年5月から14年9月までイラクの首相を務めたノウリ・アル・マリキもそうしたひとり。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の創設でバラク・オバマが重要な役割を果たしたとマリキは2019年2月24日にイラクの地方局で語っている。 マリキによると、2013年に反シリア政府軍の部隊がシリアとイラクの国境沿いに集結していることを示す航空写真などの情報をアメリカは示していたという。当然のことながら、アメリカ軍はそうした武装勢力の動きを監視していたわけだ。 本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカのバラク・オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を手先に使って中東から北アフリカにかけての地域を制圧しようとした。そして「アラブの春」が始まる。 その段階でマリキ政権はジハード傭兵、つまりムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とする武装勢力の動きを懸念、アメリカ政府に対してF-16戦闘機を供給するように要請、契約した。 マリキはF-16でオバマ政権が手先にしているジハード傭兵を攻撃しようとしていたわけで、契約は守られなかった。新たな支援要請も断られ、ヘリコプターの部品なども手に入らなくなる。 2011年10月にリビアでアメリカ/NATO軍と手先のアル・カイダ系武装勢力はムアンマル・アル・カダフィ体制を崩壊させ、カダフィ自身を惨殺、その後に戦闘員と武器/兵器をシリアへ移動させた。戦力をシリアへ集中させたわけだ。 そうした行為の危険性をホワイトハウスに警告したのがアメリカ軍の情報機関DIAだった。その時のDIA局長がマイケル・フリン中将である。 DIAが提出した報告書には、シリアで政府軍と戦っている武装勢力の中心がサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘されていた。つまり「穏健派」ではない。アル・カイダ系とされるアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の存在も記述されている。ちなみにアル・ヌスラの主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団だ。 そうした警告を無視する形でオバマ政権はシリアの「過激派」を支援、懸念されたようにシリア東部からイラク西部にかけての地域がダーイッシュによって支配されるようになる。 2015年8月、アル・ジャジーラの番組でダーイッシュの勢力を拡大させた責任を問われたフリンは自分たちの任務は正確な情報を提出することにあると反論、その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目だと指摘した。 アメリカがジハード傭兵を編成、戦力を増強していることを理解していたマリキ政権は2013年6月、ロシアに支援を要請して受け入れられた。数日のうちに5機のSu-25近接航空支援機がイラクへ運び込まれている。素早い対応だった。 2014年にダーイッシュが売り出された。その年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルが制圧された。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その様子は撮影され、世界に配信された。 その間、2014年3月にマリキ首相はサウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると批判していたが、その背後にはアメリカがいただろう。ジハード傭兵の動きをアメリカの情報機関や軍は衛星や航空機による偵察、通信傍受、古典的な人間による情報収集などでダーイッシュの動きを把握していたはずで、ダーイッシュのパレードは絶好の攻撃目標。ところがアメリカ軍は動かなかった。ジハード傭兵の危険性を警告していたフリンはその年に退役へ追い込まれている。 ダーイッシュが速いペースで支配地域を拡大できた一因として、一部のイラク軍幹部が戦闘を回避したことが挙げられている。武器/兵器を置いて逃げたのである。マリキ首相もそのように認識していたようで、何人かの将軍を解任した。 2014年4月に行われた議会選挙ではそのマリキを党首とする法治国家連合が勝利した。通常ならマリキが首相を続けたはずだったが、フアード・マアスーム大統領はハイダル・アル・アバディを指名した。アメリカ政府の意向だと言われている。アメリカ政府はイギリスのマンチェスター大学で博士号を取得したアバディをコントロールできる人物だと見ていたのだろう。 2015年にオバマ政権は国防長官や統合参謀本部議長を交代させ、好戦シフトをとる。リビアと同じようにNATO軍の航空機とジハード傭兵の地上部隊が連携してシリアに対する本格的な軍事侵略を始めるという雰囲気が出てきた9月30日、ロシア軍がシリア政府の要請で介入、ジハード傭兵の支配地域は急速に縮小していく。 こうした展開を見たイラク政府はロシア政府に対し、シリアで行っているような空爆をイラクでも実施するように求めるかもしれないという報道もあった。 アメリカの支配層はイラクでも従属度が高いとみられる人物を首相の座に据えてきたが、思惑通りには進んでいない。似たことはイランでも行われて失敗している。 フセインを排除して親イスラエル派の体制を樹立しようとして親イラン政権を出現させ、その親イラン政権を潰すためにフセイン派の残党と手を組んだのだが、混乱が収まる気配は感じられない。親イスラエル派体制を樹立するというプランを放棄し、シリア、イラク、イランを含むイスラエル以外の中東全域を「石器時代」にしようとしているのかもしれない。
2020.01.01
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