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合気道寒稽古4日目も楽しく終了しましたが、さすがに眠いので、どちら様のブログにもお邪魔できませんでした。お許しアレ。ペコリ
2008.01.31
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nagaya shop 「mitta」 マムのかわいい後輩が代々木駅のほどちかくに、築80年以上の長屋を手づくりで改装して、インテリア雑貨のお店mitta ミッタ を オープンしました。あなただけの宝ものにであえること間違いなしです。どうぞ、web.をのぞいてみてください。そしてお近くにおこしのときは寄ってみてくださいね。ガンバレ若造 キャンペーン でしたっ。勿論、合気道寒稽古4日目終了!
2008.01.31
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2006 3.7 撮影 多田師範合気道寒稽古三日目終了。体を動かすのが楽しくて楽しくて仕方ありません!おてんばに産んでくれた母にとっても感謝です。稽古終了後の自由稽古も若い友人と杖(じょう)の組あいとくれば最高です!ただひたすら上手になりたいために打ちあう・・・最高のひとときです。自分自身も上手になりたいし、相手も上手になって欲しい。そう思いながら何回も何回も打ち込んでいきます。ちょっとキツクやりすぎているかなあという思いがよぎるのですが、気持ちよくついてきてくれるので、ノンストップで組あいます。若い人が伸びていくことに立ち会えたり、見ることが出来る・・・これはとっても幸せなことです。残るところあと4日。楽しいなあ。。。 ペタシ!
2008.01.30
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日光東照宮 三神庫 想像の象インフルエンザよりファミリー復帰です!レオ0503さん、ヴィータちゃん、himekyonさんtokitsu-kazeさん 、もじゃさんtama339さん、ピーチクちゃん、あおによしさんコメントありがとうございました。 ペコリです。 咽が痛くて、体の節々が痛くて、熱が39.6度。まごうことなき、インフルエンザA型でしたが、タミフルのおかげで、一日で熱もひき、咽、体の痛みもとれました。・・・が、なんと35度台の低体温と吐き気。この低体温が不気味でした。本人、とてもだるそうでした。・・・が、これもクリア。熱が引かずにウンウンうなされるより一日でひくタミフル服用のほうがいいに違いありませんが、副作用があるのは確かなようです。あっ、飛び降りたりしませんでした(笑) 28日(月)~2月3日(日)の間は、マムのお稽古事、合気道の寒稽古です。一周間毎日、夜のお稽古にでます。毎日お稽古できるなんて嬉しいです!と、いうことで又もブログがおろそかになるやもしれぬ~・・・です。ペコリです。 山田ピンコ出ずっぱりデッス
2008.01.27
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輪王寺でいただいたお札思い立ったが吉日。とでも申しましょうか。発作的に出向いた日光山は多いに収穫がありました。第一目的の輪王寺での三輪先生の彫刻拝観。それに付随した生まれて初めての護摩祈願。とっても有意義でした。 東照宮、輪王寺大猷院には圧倒されました。鄙なる奈良好きのマムはずっと心に思いつづけていた、原初のお寺さんや仏像は極彩色のド派手なものだったはず・・・だよなあ・・・という迷いをあらわにされてしまいました。いにしえの頃、草民は現実の貧しさ、辛さに、この世の物と思えぬ、絵にも描けないほど美しい極楽浄土を求めたと思われます。山上憶良うたうところの貧窮問答歌の人々が古池(笑)をみたらますます落ち込むでしょう。 マムお気に入りです。我家のグーちゃんそっくり!侘寂というものは経済的な豊かさ、あるいは、ある程度の教養があってこそのもの。じゃあ、現代は経済的に潤い、教養があるかってっていうと・・・どうだろ?古めかしいものへのありがた信仰というものが大きいような・・・。そういう気がします。知り合いのおばあさんが、古寺を見てマムにいいました。「古い汚い建物のどこがいいのやらさっぱりわからない」。わかったふうなこというより痛快な一撃でした。 帰路の車中ツラツラ マムは上記のことを考えお弁当を食べ、ビールを飲み・・・なんてやてたら、あっというまに浅草についちゃいました。 *日光山に行く時は望遠鏡持参をおすすめします。*カメラは一眼レフに望遠だったら最高です。*日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる! *日光詣 10 日光で思う侘寂のこと
2008.01.27
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輪王寺大猷院表門(仁王門)日光山は輪王寺、輪王寺大猷院廟、東照宮、二荒山神社の二社一寺で成り立っています。二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)は観音菩薩さまがおすみになるという補陀洛山(ふだらくさん)より名前がついたとされています。 二荒山神社では、カフェカーテン及びお手水舎をゲットしました。 さあて、二荒山神社に長居は禁物です。帰りの電車の時間が迫っています。急いで、「輪王寺大猷院(たいゆういん)」へまいりましょう。 1月13日(土) 午後大猷院(たいゆういん)は三代将軍家光の廟(墓所)です。祖父である家康公に遠慮して東照宮に較べて質素を旨としたといわれていますが、どうしてどうして、細工の緻密さは東照宮以上です。トップの写真の表門を潜るとマムちゃんコレクションのお手水舎。 輪王寺大猷院御水舎 3つ目のお手水舎ゲットです。 二天門(雷門)正面左右に「持国天」、「広目天」の二天をまつるところから二天門といいます。 広目天背面には「風神」、「雷神」が安置されています。 総天然色、金銀瑠璃色に見るほどに侘び寂びの概念が打ち砕かれたいきます・・・。二天門を潜ると石段です。 上りきると「夜叉門」があらわれます。 輪王寺大猷院夜叉門(牡丹門) 正面、背面の左右に夜叉がおさめられていますが、牡丹の彫刻が所狭しとほどこされており、別名「牡丹門」といわれています。 夜叉の背後の牡丹の彫りは大胆にして優美で見事でした。お待たせいたしました。凄いの一語につきる「大猷院拝殿(唐門)」ですっ! さあ、見せますよ~。 どうです!!!すごいでしょ。「大猷院」。拝殿の中も金ピカ。 日光山輪王寺発行「日光大観」よりふすまは狩野探幽の絵ね。本殿の外観。 本殿には入れません!奥の院に通じる「皇嘉門」です。 皇嘉門脇の青銅の灯篭です。いかがでした?大猷院。東照宮はよく聞きますが、大猷院はまったく知りませんでした!もう、時間がありません。駆け足で、もどりますよ~。 瑞垣 夜叉門をあとにいや~、行ってよかった来てよかった 日光山。でしたっ。 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.26
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家人1名がインフルエンザになってしまいました! マムは予防接種をしていますが、大事をとって、早寝を心がけます。ということで、少しの間、ブログ更新および皆様のブログへの訪問もひかえさせてくださいね。 まだ、「日光詣」は終わっていませんが、あしからず、ペコリ。 1月某日実家の兄からクール宅急便が。中身は本場の「ふぐ刺し」。薬味からポン酢までいたれりつくせりで入っていました。仲良きことは善哉善哉です。がっつりお箸にとって豪快な一気食いです。おいしゅうございました。。。
2008.01.23
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日光案内人の、ナビマムでっす!マムの後方にありますのは「本地堂」でございます。 はっきり言って、このままスキー場へいけます。寒がりですが、実は冬が大好き。寒い日に、暖かい色合いの暖かい上着を着こんで歩くのが大大好きです。このウェアはライオンの模様です。へっぽこスキーヤーのマムが近付いてきたら、皆がすぐ逃げるように、あるいは崖から落っこちたらすぐわかるようにとイカちゃんが買ってくれました。 1月13日(土)横道にそれてスミマセン!だって、飽きちゃってさっ。が、だってもさってもありませんね。「本地堂(薬師堂)」をご案内しましょう。ここは「鳴き龍」で有名です。 このお堂の内陣天井には龍が描かれています。その真下で拍子木をうつとルルルルルって龍の鳴き声がするの。はい、実際しました。その直後、観光客が手を二回打ったの。そしたら、即、お怒りの声。「ここはお寺です!手を叩いてはいけません」。ちょっと 待ったアァ。。。変じゃない?だって、東照宮って神社じゃないのぉ。ということで、お久しぶりのマムの「知ってもなんにも得しない」情報のはじまりはじまり。。。 仏教のお話です。仏教が日本に入ってきたとき、すでに神道がまつられていたわけ。で「蘇我&聖徳太子(仏教派)」対「物部(神道)」が戦って仏教派が勝ったのはご存知のこと。じゃあ、神道排除に傾いたかというとそうではなくて、融合政策がとられていきました。神仏習合思想ですね。「八幡大菩薩」とかいうでしょっ。ここ、東照宮はまさに神仏習合のいい見本ね。これをもっと難しい言葉でいうと「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」と、いいます。これを簡単にいうと、「本当は仏教の仏です(本地)が、日本では神道の神としてやってます(垂迹)」ってことです。でね、鳴龍で有名なここがなんで本地堂(ほんじどう)っていうかっていうと・・・。徳川家康は、なんと薬師如来の化身と考えられていたの。だから「本当は仏教の仏(本地仏)」なんですと本当の姿として薬師如来を安置したの。ゆえに「本地堂」と言います!フ~。 長々と書いたわりに得することが少ない!・・・いえ殆どない。久し振りに ペコリ です。 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.21
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奥社へ通じる坂下門このあたりから・・・つぎからつぎのゴージャス叶姉妹攻撃、行けども行けども行きつかぬ混沌にマムの頭はこんがらがって整理が追いつかず、何がなんだかわからなくなってきました!コマッタ。。。 どうにもこうにも1月13日(土)午後 坂下門内の装飾 小さな門ですが、手抜きゼロ。豪華です。坂下門を潜ると、207段の石段です。 一段の石の高さがかなりあるので、室生寺の奥の院への階段500段をなんなく上ったマムも最後は膝が笑いだしました。 奥社拝殿に着きました! 拝殿内部をご覧ください。写りが悪いですが、内部の上部の装飾の凄いこと。凄いとしか言えないマムの語彙の貧困さが、悲しいです。 この拝殿の裏にまわると青銅製の鋳抜門があり、その奥に、東照大権現・徳川家康の神柩を納めた宝塔があるわけです。 この鋳抜門をよ~く見てぇ。 気が抜けない! それが、東照宮ねっ。 この奥に神君は眠っておいでです。神柩を納めた宝塔は以外なことにシンプルです。 ここまでの道、豪華絢爛たる空間の連続のせいか、神君のおいでの宝塔には意表をつかれました。静かで、モノクロの風景でした。徳川幕府の開祖の神柩はここに、納められています。 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.20
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唐門歩け歩けが功を成して体がポッポとしてきて氷点下の寒さはどこえやら。 1月13日(土)午後陽明門を入った正面、東照宮の最も重要な本社への正門・・・「唐門」にやってきました。現在この門を潜るのは、正月や大祭など祭典の時か、国・公賓相当の方の参拝の時だけだそうです。 以外と見過ごされるのが唐門の門柱です。昇り龍、下り龍がほどこされています。 この唐門は白で統一されていますが、彫刻でいっぱいです。七福神やらウサギやら朝見の儀の様子やらがほどこされています。一見、質素ですが、とっても凝っています。 唐門 内部「眠り猫」のいる廻廊へまいりましょう。朱塗りの廻廊は220メートルにおよびます。長押には霊獣・動物・花・鳥・果物の彫り物がいっぱいです。 お待たせいたしました。眠り猫さんの登場です! 奥宮への入口、潜り門の長押にあり、左甚五郎作として超有名。この猫を見るためにちゃんとお立ち台が用意されているのには笑ってしまいました。写真は、お立ち台に立って必死になって標準レンズでいっぱいいっぱい撮ったものです。 これは眠り猫さんのお隣さんです。これも可愛いよねっ。我家のグーに似ています。 三猿見て、陽明門も見て、眠り猫も見たわけで、もう満足ですかぁ?飽きちゃいましたぁ?でもまだあるの。奥社が!で、それが200段以上の石段の先なわけで、きついの。次回はその奥社をご案内しましょう。 奥社に通じる坂下門天井 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.19
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東照宮 陽明門陽明門はすごい!「一切の空間を埋め尽くす彫刻群」をお楽しみあれ!!!さっさぁ~ 近寄ってみましょう。 1月13日(土)午後 もっともっと近寄ってみましょう。 おびただしい「龍」・・・ではなくて「息」たち。龍のようで龍ではありません。原型は鰐らしい・・・。 「唐獅子」と後ろには儒教の「聖賢人」の彫刻。 「唐子の知恵遊び」。写りが悪く残念ですが、真ん中の白い部分です。唐子が鬼ごっこや竹馬などで遊んでいるんですよ。 白い柱に注目してください。「グリ紋」とよばれる「渦巻き文様」で彫られています。陽明門の12本の柱のうち、内側の右から2本目だけが他の柱と逆に下向きになっていて、「魔除けの逆柱」と呼ばれています。 獅子の後ろの1枚板の透かし彫り! これらも1枚板に彫られたものです。 マムは上を向きすぎて首が痛くなっちゃいました。これでもずいぶん見落としがあると思います。あ~、もう一度 いきたいなぁ っと。 どうです。堪能していただけましたか?マムは一眼レフを使っていますが、残念ながら標準レンズしか持っていません。望遠を持っていたら、きれいな写真が撮れたのですが・・・残念です。 お次は唐門と、お待たせしました。「眠り猫」の登場ですっ。 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.17
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どうみても巻毛の象・・・ですこれでもか、これでもかとあらわれる鳥獣木花に唐子等にマムは呆然! おそるべし日光東照宮。口をあんぐり開けて立ち止まらないで歩きましょう。 1月13日(土)午後有名な陽明門の前には一対の鐘楼があります。右手が鐘楼、左手が鼓楼と名付けられています。 鐘楼巻毛の象はこの鐘楼・鼓楼の前にいます! 鐘楼の前の「鐘楼」 鼓楼の前の「廻り燈篭」巻毛がついていると、なんだか外人さん風です。だって、日本人には当時、巻毛はいなかったでしょうから。奈良時代の文殊菩薩像さんなんかを観ると巻毛の獅子に乗っておいでなのですが、普賢菩薩さんが乗っておいでの象には巻毛がないんですよ。 面白いですね。「どの時代から、何故に象は巻毛つきになったか」なんて卒論を書くと面白いんですけれどね。 この鼓楼の斜め後ろには、もうひとつ意匠のちがう「廻り燈篭」が控えています! これも豪華。東照宮は、あっちにもこっちにも叶姉妹がいるようです。 次なる叶姉妹は、一切の空間を埋め尽くす彫刻群といわれ、日が暮れても見終えない、あるいは見飽きないといわれる、国宝「陽明門」のお出ましですっ。 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.16
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雪がふっているのか、木に積もった雪が舞っているのやら・・・。寒さにめげずご案内しましょう。 1月13日(土)午後トップのきらびやかな写真の下には、 この建物は手水舎です。奈良の手水舎とは大違いです。豪華絢爛金銀珊瑚の世界です。 サイフォンの仕組みで水が湧き出すそうです。1618年に佐賀藩主・鍋島勝茂が奉納したもの。 水の流れをあらわすデザイン。きめこまやかなデザインが各所にに見られる東照宮はどんな意匠家がいたのでしょうか。光琳のような大プロデューサーがいたのかしら? この日光山詣、300枚の写真を撮ってしまいました。いつものことながら、収拾がつかず大変です。さて、次回はまたもや豪華絢爛たる「巻き毛の象さん」のご案内です。 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.15
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三神庫の妻装飾「想像の象」東照宮の装飾にはいたるところに象がでてきます。当時の日本人で象を見たことがある者は皆無に等しいわけですから、大きくて牙があってと、想像がふくらんで、最強の生き物・・・徳川家の威信にぴったりだったのでしょうねえ。第一目的を果たし、お坊様のご加持に力を得、お汁粉で体もあたたまり元気がみなぎるマムのひさしぶりの歩け歩けです。あるこ~ あるこ~わたしは元気ぃ~~っと、日光東照宮をご案内いたしましょう。 1月13日(土) 正午輪王寺大護摩堂裏手を左に入ると東照宮表参道にでます。進むほどに道幅が狭くなる・・・東照宮を神秘的にみせるために遠近法をもちいられているときいています。 東照宮一ノ鳥居一ノ鳥居はとっても大きくて、「東照大権現」の額は畳一帖あるそうです。 五重塔五重塔の初層の軒下には十二支の彫刻がほどこされています。 上下どちらも、表門(仁王門)の装飾です。猛々しい象や、鳥獣花木がほどこされています。 こちらは三猿で有名な厩舎、神厩舎です。 三猿はひとつの物語になっています。 母猿が手をかざし子猿の将来を見ています。子供の時は悪いことを、「見ざる、言わざる、聞かざる」。 一人立ちせずに座っている子猿。 志を抱いて天を仰ぐ子猿。 崖っぷちにて困難に立ち向かう三猿。 恋に悩み、物思いに耽る。 結婚して荒波を乗り切る猿。 子を授かり、子猿も親になる。お終いお次は、コレです。この建物はなんだと思います。ゴージャスです。奈良でもアップしましたが、これにくらべたら質素ったらありゃしません。次回をお楽しみに。ウフ。 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.14
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東武日光線 車窓より1月13日(土)東武日光線きぬ103号浅草 8時発日光山 10時着 三輪途道(上原三千代)先生の作品、七福神にひかれて輪王寺・・・の 巻です。 日光山 輪王寺天台宗大本山766年 勝道上人開基栃木県日光市山内2300 ● 浅草駅から東武日光線特急(スペーシア) で1時間50分、東武日光駅下車。 (新宿発もあります)● 東北新幹線 JR宇都宮駅で日光線に乗り 換えて約45分、JR日光駅下車。JR・東武日光駅からの交通 ● 東武バス「世界遺産めぐり」 山内まで約10分です。 実は、日光 はじめてです。三輪先生の作品・七福神のことがなければ、日光山詣ではおもいつかなかった・・・でしょう。ご縁だなあと、しみじみ思いました。そして、そのことを護摩堂で確信しました。 三仏堂日光山の寒いこと!木々につもった雪はまるで桜の花のようでした。 三仏堂には金色に輝く、千手観世音菩薩さま、阿弥陀如来さま、馬頭観世音菩薩さまがおわします。 1000部の経典がおさめられているという相輪とうの向こうに今回の第一目的の大護摩堂が見えてきました!ワクワクどきどき胸の振り子がビュウンビュウン揺れてきます。喜びはおさえて寝て待て(?)って、 気持ちを鎮め、なにげに入っていきます。ところが、遠くてよく見えない!内陣にはいり近付くには護摩祈願をお願いするしかない。と、いうわけでよこしまですが護摩祈願を申し出てめでたく内陣へ。ご本尊の五大明王や十二天のご機嫌をうかがいながら三輪先生の七福神にすりよっていきます。三輪先生の手になる四たいの七福神、恵比寿神、布袋尊、福禄寿神、寿老人さんたちは金色に輝いておいででした。木造に金箔ですので表情を読み取るのが難しいのですが、布袋様は福々しく愛らしい笑みを浮かべておいでで、福がこちらにやってきそうでした。まさに大量満足です。さわると温かみがあるのではと思えるお像でした。 さて、よこしまな思いでうけるはじめての護摩祈願。実は思いがけないことに、お坊様のお話がよかったわけです。とても誠実・実直そうな好男子のお坊様は自然体でお話をされます。以外と自然体で話をするのって難しい・・・ですよ。 「ひとつじゃなくて、なんでもお願いしてください」。お坊様からこう言われたのははじめてのような気がします。今までは、「そんな欲張らんとひとつに・・・」とよくいわれ、諭されてきたました。ふっと、マムのはっていたいらない気がここで落ちました。「護摩を焚く炎を必死のお願いがとおり仏様に届きそれが炎をとおしてあなたがたにもどります。・・・・・・吐く息にのせて願い事をおくり、吸うときに仏様から力をいただく・・・・・・」。 三輪先生の東大寺重源上人模刻みたさに思いがけず写経場にはいり写経をした時といっしょです。今回も思いがけず護摩祈願をしていただいた。ご縁、あるいはなにかに導かれている・・・そういうことをちょっと感じてしまうのですが・・・。 護摩祈願が終わり、再度七福神を観て年若いお坊様に質問をしました、らっ。おわかりにならなかったので、恥をかかせて申し訳ないと思いつつ、祈願をしてくださったお坊様にお尋ねしたら、らららら!「メールをくださった方ですか?」と逆に言われてびっくり。マムは年末に七福神のことを問い合わせていたのです・・・が、マム自身すっかりそのことを忘れていました。それから、三輪先生とのことがツーカーで繋がってしまったのです。ここでもマムはご縁を強く感じてしまったのです。 「ご縁やら導かれるやら、なんと辛気臭いことか」とお読みの皆様 お思いのことと思います。マムも辛気臭いことが嫌いなんだけれどこれもあれもそちこちも年のせいとお許しあるいは笑ってくださいね。 護摩祈願・・・おすすめします。 体がとっても冷えてガチガチなってしまいました。お汁粉をたべて温かくなったところで東照宮へまいりましょう。 追記 1/14昨年12月にだした輪王寺さんへのメールのやりとりを確認したところ、とてもご丁寧に教化部長さんが お返事をくださっていました。お忙しいのにありがたいことです。そして、それがちゃんと護摩祈願をなさるお坊様に伝わっていたのが驚きです。今回の「日光山詣1」にマムが導かれている気がすると記載しています。それに対してのヴィータちゃんのコメントに、ナルホドと思えたのでここに転載しますね。「たぶん、自分のアンテナが研ぎ澄まされてて、導かれるというより、うまくキャッチできているんだと、思いますよー。」 *日光山詣1 日光山輪王寺と三輪途道先生 *日光詣 2 東照宮・三猿物語*日光詣 3 東照宮・御水舎 *日光詣 4 東照宮・巻毛の象 *日光詣 5 日暮れても見飽きぬ東照宮陽明門 *日光詣 6 東照宮・眠り猫登場! *日光詣 7 東照宮・奥社 *日光詣 8 東照宮・本地堂(鳴き龍)のゆえん *日光詣 9 輪王寺大猷院は凄すぎる!
2008.01.13
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実は日光山にいます!雪がちらつきキラキラととってもきれいで、「三輪途道の七福神を求めて日光山」のはじまりでーす。
2008.01.13
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2007 12.16 東大寺 講堂跡お正月休みのひと日。テーブルの上に転がるふたのない赤マジック発見!かたわらで口をあけて寝っ転がっている、イカくん。犯人はイカに違いない!「マジックのふたがないよ~。乾いちゃって使いものにならない。なんでないのよ」と、おおげさに言うマム。ゆ~っくりイカくんのマブタがひらく。これが、また大きな目なのよね。「オレがさっき使った」と一言。で、ばさっと音がするみたいにまた、マブタをとじて寝ちゃいました。結局、マジックのフタはどこよ~。赤いマジックのフタは見つからずじまい。 翌日のこと。アチャ~グレースのウン○の中に完全無欠の赤い実、発見。 以上、なんでも食べちゃう100歳なグ~ちゃんの食欲ぼけ最新情報でした。
2008.01.09
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グレース、通称グーは18才になりました。日がな一日寝ています。歩けますがすぐこけます。それもおもいっきり!骨皮筋子なので、骨折するのではと心配です。テーブルの角にすごい勢いで体をぶつけます。で、我家はダンボールだらけで今ではこのざまです。 自慢のコルクの床は、グレが滑ってはならじと、おんぼろパッチワーク仕様。ある日ある時、気ままなお散歩。道路工事のおじさんに声をかけられました。「おや、クロちゃん。えらく痩せちまって、病気だなあ」病気じゃありません。お年寄り・・・100才くらいなだけ! このごろ、ご飯も起きあがって食べられません。横に寝そべったまま食べます。勿論、いまだにマムの手を食べ物と間違えて本気で噛みつきます。水を飲むときは頭を持っていないと容器に顔をつっこんでしまいます。お手洗いも、ささえてあげないと途中でひっくり返ってしまいます。そんなこんなで、100才のグーをマムらは、ねこっ可愛がりしていますが、ファミリー全員みごとに腰をやられてしまいました。
2008.01.07
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錫杖 鎌倉時代 重文錫杖(しゃくじょう)は僧侶が仏道修行のために持つべき18種の道具のひとつです。蛇や害虫を避けるため、揺すったり地面を打って音をだします。合図やリズムをとるためにも使われました。頭部の六個の輪は六波羅蜜をあらわしています。どんな音がするのかなあとマムはうっとりするわけですが・・・ですが、ですがぁ。マムはふと我にかえりましたっ。ここで言っておきます。お寺さん・仏像好きじゃなくちゃあ東京国立博物館・法隆寺宝物館は面白くない!抹香臭いだけ! 汎用性に欠ける女それがマムでっす!本の話と仏像さんの話をするとき、ホント楽しそうにしてる・・・らしいです。ペコリで ペタシ です!◎前編 法隆寺宝物館はまるで深海のよう
2008.01.07
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塔鋺(とうまり) 奈良時代8c 響銅製鋳造詳細はコチラ美しいですね。破綻ゼロの完璧な姿です。ふくよかで無限の広がりを感じさせる胴に繊細な上下の造形が緊張感をあたえます。いくら観ても観飽きるということがありません。これが奈良時代の作品です。 博物館庭内の法隆寺宝物館には、法隆寺より皇室に奉納された宝物が、戦後、国に移管され展示されています。それらが一堂に安置された様子はみごとです。300点以上の宝物は正倉院御物より古いものが多く含まれています。 法隆寺宝物館明るいエントランスから入ると1階の展示第2室は一転してまるで深海のように暗く、そこには50体以上の重文の仏像が整然と安置されています。 入場者はまばらでとても静かな海の底です。 2階展示室には木工、金工、書画などがおさめられていますが、多くが国宝です。 水瓶 飛鳥~奈良7~8c響銅製鋳造詳細はコチラ壮観でしょ。手前より三つ目は聖徳太子の王子所用と伝えられており「王子形水瓶(おうじがたすいびょう) 」と称されています。トップ画像の塔鋺(とうまり)も2階に展示されています。 この法隆寺宝物館にくるといつも法隆寺の凄さを思い知らされるマムです。正倉院の御物と違って誰もが入れるように展示されているというのは嬉しいかぎりです。ところが、誰もが観られるということは誰もありがたらず観に来ない!東京国立博物館の隅で水辺に影を落として佇んでいますよ。このお宝の館は。 宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝、およびムンク展は多くのブログに記載されているので敢えてアップはしませんね。ただ、ムンク展に関しては思春期が出展されていず残念でした。 ムンク 1894年 思春期
2008.01.06
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男前です!顔は彫りが深くて、しかっり八の字ヒゲ。胸からお腹は筋肉割れ!ちょっとしたボディービルダー。これねっ。これさっ。実は、弥勒菩薩パキスタン、ガンダーラ 2Cところ変われば品変わる。時代が違えばあばたもえくぼ(マム作)。中宮寺の弥勒さんと較べてくださいね。 まっ、現中国では日本でいうところの七福神の布袋さんが弥勒さんなんだから驚くにしかずかしら。で、はじまりはじまり。 国立東京博物館仏像の道 展~2008年4月6日(日)まで はっきり言って東京国立博物館および西洋美術館は苦手です。なぜか、頭が痛くなってくる・・・威圧感がだめなのね・・・多分。でもね、 「仏像の誕生したガンダーラから中国、朝鮮半島、日本の仏像20点余を選び、それぞれの時代、地域で、どのような仏像が作られ、人々の信仰を集めていたのかをたどってみたいと思います。 」 って言われたら行かなくっちゃねえ。その上、6日で終わっちゃうムンク展のただ券も貰っちゃってるし。卑しいよなあ!ムンクは好きだけれど、今更でもなかろうに。ただだと聞くと反射的に手が出るの。 文句たれないで入るべし! 入って、お会いしたのがトップを飾った男前の弥勒さんです。大乗仏教・・・大きな舟にみ―んな乗っちゃえ式のゆるい戒律の一派が、勃興することで仏像が盛んに造られることになります。それまでは偶像禁止ね当然、最初は彫りの深い大陸顔なわけね。シルクロードを伝って・・・ ↓↓↓飛鳥~奈良時代 薬師寺蔵 聖観音菩薩立像のようになっていくわけです。個人的な話この聖観音菩薩さまの、お顔はマムは嫌いです。なんだかとっても人間ぽい。そこがダメですね。仏像のお顔は人知を離れた、あるいは透徹した美しさや強さがあらまほしき、ね! 今ひとつ、ゆるい展示内容でしたが、男前弥勒菩薩さんを観られたのは善哉善哉でした。さあて、このあと「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」展法隆寺宝物館ムンク展(国立西洋美術館)へ、いくわけです。物凄く疲れちゃいました。奈良だといくらでも動けて、時間もたっぷりあって・・・なのに東京だとマムは途端に動きが鈍くなっちゃいます。
2008.01.05
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我家のグレースそっくり! 代々木八幡宮にて前回のブログ「西遊記(下)」で予告しましたとおり代々木八幡宮ですっ。 代々木八幡宮ご祭神応神天皇(おうじんてんのう) 例祭日9月23日 ご由緒鎌倉時代の初期、荒井外記智明によって創建された。境内には縄文時代の堅穴式住居(復元)などがある。〒151-0053 渋谷区代々木5-1-1 03-3466-2012 小田急線「代々木八幡駅」 徒歩5分営団千代田線「代々木公園駅」 徒歩6分 マム注お式あげれます!55,000円衣装持ちこみ可駐車場10台50人列席可挙式写真撮影可 ご存知と思いますが、この八幡さまは作家・平岩弓枝さんの、ご生家です。幼い頃の思い出話にこの八幡さまはよく出てきます。例えば、「子の刻参り」の話。平岩さんは2度、「子の刻参り」にあらわれた女性を目撃されたそうです。宮司であられたお父様がお気づきになり諭されて思いをとどまられたそうです。若い嫁が、姑憎しでことにおよんだとのことです。それはそれは恐ろしかったとのことです。 平岩さんのお話から大きなお宮さんを想像していたのですが、こぢんまりした杜でした。が、戦前はあたり一面田畑だったわけで、ちょっとした「鎮守の森」だったと想像できます。 本殿の脇には、日本武尊をまつったお社やお稲荷さんが鎮座おわします。 榛名社 日本武尊 稲荷社 豊受大神 お稲荷さんって「お狐」さんですよね?どうみてもワンコ(トップ画像)の我愛犬グレース顔やら、これってネズミでしょっ、とつっこみをいれたくなる石像まであります。 もちろん、どこから見てもまごうことないお狐さんも!なんだかコ~ンコ~ンって聞こえそう。思ったより小さいとはいえ境内は鬱蒼とした杜で、マムは大きな椎の木や欅を見てはここに五寸釘をうちつけたのかなあ・・・なんて想像します。やっぱりロウソクを2本頭にくっつけるのかなあ?蝋がたれてあつくないかなあ?髪が焼けなくなくなあい・・・アレ?失礼しました・・・ペコリひと昔前は闇が漆黒として存在したわけだから迫力ある怖さだったろうと思います。 境内にはこの近辺でとれた(魚じゃあるまいし)遺跡、竪穴住居が再現されています。でね、境内の脇に平岩弓枝さんちがあります。ちゃんと表札が掛かっていますよ!中はみえませんけどね。 さてっ!マムはここになにしに来たか!!!代々木八幡宮名物の蓬田やすひろ画伯の描くところの絵馬を購入しにやってきたわけです。お見せしましょうではないか!ささっさあ コレクターが多いそうです。もち、マムもそのひとり。
2008.01.05
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西遊記(下)より「双面、悟空と悟空何れが真なるや如何」おまたせいたしました♪初春にふさわしく・・・と、勝手にマムが思っています。満を持しての登場! 去年毎日新聞に連載された西遊記上・下巻はマムのお宝本です。上巻についてお読みでない方はどうぞコチラをご覧ください。マムちゃん熱く多いに語っていますから。 平岩弓枝 西遊記(下) ですっ。 牛魔大王と戦うカバーをはずすと 九頭ふ馬(くとうふば)があらわれる!本を購入したら、カバーをはずしてみて下さいね。以外に凝ったイラストがでてきたりするものですよ。さて、表紙をめくると、 素敵な表題紙があらわれます。で、↑表題紙をめくると、トップの画像、挿絵があらわれるわけです。きれいだから再度登場 願いましょう。 いいでしょう。これ。うっとりね。お次が目次。 目次にも挿絵。栞は緋色。 ブックデザイン 今井宏明挿画・挿絵 蓬田やすひろ 平岩弓枝さんのおさえた筆致はみごとで、線描の挿絵とあいあまって読む者のイメージを膨らませて天界をかけめぐり、幽界をのぞき、魔物と戦い、観音菩薩さまと釈迦如来さまのご慈悲を知ることができますよ。 「冬浅き奈良の西大寺編」に出てくる「善財童子」ですが、西遊記にもよく出てきます。西遊記では、「牛魔大王」溺愛の手のつけられない子供妖怪。その名も「紅孩児(こうがいじ)」。で悟空に退治されて観音さまの弟子となり、「善財童子」となるのです。 「羽根のある鳥が羨ましいとおもことがあります。長安の都を出て、長い長い月日が過ぎているのにまだ天竺は遠い。皇帝陛下はさぞ、まちくたびれておいででありましょう」・・・・・・・悟空が草の上に伸ばしていた三蔵の脚をそっとさすりはじめ、三蔵は慌ててその手を取った。通天河にて氷の大難に遭う より抜粋 三蔵子弟、東土に向うに最後の一難に当たる蓬田やすひろさんの挿絵は1章に15、6枚と豪華なことこのうえありません。上巻でも述べましたが、採算度外視の本好きが寄り集まって造った本といえます。文句なしに面白い!そして平岩さんの文章が端正!そのうえ泣かせる!むろんみんなが成長する!そうこうしながら知識欲を満たす!で、本作りの達者さに乾杯! 三蔵子弟、東土に向うに最後の一難に当たる14年の歳月を経て三蔵法師は5048巻の経典を天竺よりもちかえり太宗皇帝に捧げます。その褒美に釈迦如来さまは三蔵法師は 「栴檀功徳仏(せんだんくとくぶつ)」孫悟空 「闘戦勝仏(とうせんしょうぶつ)」猪八戒 「浄壇使者(じょうだんししゃ)」沙悟浄 「金身羅漢(こんしんらかん)」白馬 「八部天龍馬(はちぶてんりゅうま)」を、おあたえになります。が、彼等はその名誉、栄誉を捨て三蔵法師と共に旅に出ることを欲すのです。 以下は最終章より悟空は釈迦如来さまを正面から仰ぎ見て言います。「俺はお師匠様とも、仲間とも別れたくないのです。どこまでも一緒にいたい。もしも、立派な名前を頂いたから、お師匠様の傍らにいてはいけないというのでしたら、俺は闘戦勝仏にしていただかなくてけっこうです」・・・・・・三蔵が面を上げた。「もしお許しを頂けますならば、旅に出たいと考えております」・・・・・・八戒が応じた。「参りましょうぞ。行き行きて仏法にあだなす魔障の者共を退治しましょう」・・・・・・・観世音菩薩が声をはずませませた。「それこそ、そなたたちにふさわしい。如来様、私からもお願い申します、どうぞこの者達を新しい旅へ旅立たせてくださいませ」苦笑して、釈迦如来が呟かれた。「行くな、と申しても、彼らは行くであろうよ。善哉(よいかな)、善哉」 西遊記(下)平岩弓枝 作装画・挿絵 蓮田やすひろブックデザイン 今井宏明毎日新聞社 刊 \1,785 と、いうことで、マムは代々木八幡さまに初詣に行きました!えっ、なぜって。あのねっ、代々木八幡さんは平岩弓枝さんのご生家でなおかつ今はご主人が宮司さんで、なんと絵馬は、「蓬田やすひろ」さん作なの。ウフフ。どうだっ まいったか!西遊記(上)はコチラをどうぞ本を読む醍醐味を知っていただきたいなあとマムは思っています。
2008.01.04
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