Comments
Freepage List


17.知られざる大御心
《昭和二十年二月、岩田幸雄氏(註・元海軍航空本部嘱託)が、当時の杉山
陸軍大臣私邸に招かれ、杉山陸相から次の如くその胸中を聞かされていたのです。
「岩田君、君は軍籍のない一民間人であるにも拘らず、この戦争では、日本軍
のために挺身して偉大な貢献をして呉れ心から感謝している。
その苦労に報いるためにも、一日も早く新兵器(原子爆弾)を開発し、劣勢を
挽回すべく懸命の努力をしていたが、事情があって残念ながら新兵器製造は
中止した。
実は御上(天皇)から強いお叱りを受けたのだ。
君の提出して呉れた秘録映画から、各国が新兵器開発に血眼になっている
様子がよく判り、自分としては猶予は赦されず、製造を急がせていた。
そして完成すれば最初ハワイに落とし、その威力を示し、戦況を日本軍有利に
導く計画であった。
わが日本軍がウランを入手し、新兵器開発が今まさに現実のものとなった
段階で、東条首相がその旨天皇陛下に上奏した。
戦局は極めて困難な状況下にあり、起死回生の決定打として、天皇にお喜び
いただけるものと思って申し上げたのだが意外に強い口調で反対された。
その理由として、
「数カ国が新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用
すれば、他国も全力を傾注して完成させ使用するだろうから、全人類を滅亡
させることになる。
それでは、人類絶滅の悪の宗家に日本がなるではないか、またハワイに投下
する計画とのことだが、ハワイには、日本の同胞が多数移住し、現地アメリカ
人民と共に苦労し、今日を築きあげたところだ。
そのような場所に新兵器を使用することには賛成できない。」
と申された。
東条首相は、天皇陛下の御意思に反することは出来ないと云うことであったが、
自分としては敗戦となれば日本が滅びてしまい、全てを無くすと考え、製造
促進を主張し意見が衝突した。
『参謀総長の立場に在る者として日本を敗戦に導くことは出来ない。
戦争とは結果に於いて勝利を得ることが肝要であり、今の日本は手段を
云々できる時ではない。
勝てば天皇にお喜び頂けるに違いない、そして天皇が希求される世界平和を
実現出来るではないか。』
と東条首相を説得したが、同意が得られず、私は昭和十九年(1944年)二月、
参謀総長の座を東条に譲り野に下った。
しかし、同年七月東条内閣が総辞職する事態となり、小磯内閣が誕生し、
自分は再び陸軍大臣として入閣したので、飽く迄自分の責任に於いて、
秘密裡に新兵器開発を急がせていた。
ところが、新兵器を積むロケットの燃料製造過程で誤爆事件が突発し、
再度天皇陛下の知られるところとなった。
天皇陛下に呼ばれた私は、『まだやっていたのか!』と強く叱責され、
誠に面目なく、これ以上開発を進めることは出来なくなった。
私は、日本が勝っても負けても此の責任はとる覚悟だ。
例え勝てたとしても天皇陛下の大御心を煩わせた罪は万死に価いする。
更に多くの部下を死に至らしめた責任から逃れることはできない。
此処で話した事は誰にも話さないで呉れ給え。
此の事を知っている者は天皇陛下と東条と自分だ。
何れにしてもその時が来れば自決してお詫びする覚悟だ。」
この貴重な一篇の秘話にこそ、天皇の真実像を窺い知ることが出来、
人類撲滅の核兵器を断固阻止され、八紘為宇、世界の恒久平和を
希求されて止まなかった昭和天皇の御遺徳を偲ぶことができるので
あります》(河内正臣氏より寄稿)

ついに万策も尽き、終戦に対する8月9日の御前会議では、ポツダム宣言を『 和製原爆と昭和天皇 (わせいげんばくとしょうわてんのう) 』
受諾するべきという東郷外務大臣に同意する平沼枢密院議長と米内海軍大臣、
それに対して一億玉砕で本土決戦をするべきという阿南陸軍大臣に同意する
梅津陸軍参謀総長と豊田海軍軍令部総長ということで意見はまとまらず、
鈴木総理が天皇陛下のご聖断を仰いだ際には、陛下も目に涙を浮かべながら
こう仰せられたそうです。
「・・・このような状態で本土決戦に突入したらどうなるのか、
自分は非常に心配である。
或は日本民族は、皆死んでしまわなければならなくなるのでは
なかろうかと思う。
そうなったらどうして、この日本という国を子孫に伝えることが出来るか。
自分の任務は祖先から受けついだ、この日本を子孫に伝えることである。
今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、
その人達が将来再び起ち上がって貰う外に、この日本を子孫に伝える
方法はないと思う。
それにこのまま戦を続けることは、世界人類にとっても不幸なことである。
自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持ちも考え、自分のことはどう
なっても構わない。
堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした
次第である。」
乃木将軍は、大変高潔な人格の方で、戦争で殺し会う事の愚かさを深く思索し、彼の直属の部下だった私の祖父に、日露戦争後、もう戦争をすべきではない事、人間の成長は、学問や教育や文化を通して、精神を成長させる方向にある事を語り、祖父にも、軍人でなく教育者に転身を勧めたそうです。『 ★今年のピカイチホラー映画『新感染』★ 』
明治天皇は、日本の未来の危機を防ぐ為に、学習院の院長に乃木氏を任命され、4年間、皇太子だった昭和天皇のご指導を依頼され、ご自分が伝承を受けていた事や学びえた古代史等重要な事を、乃木氏を通してお伝えになったそうです。
それは、孤立化した厳しい環境状況の中で、日本の未来を思う明治天皇の、真摯なお取り計らいだったのです。



PR
Keyword Search
さそい水さん