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『 [シンガー・ソングライター EPOさん]母親からの虐待~急性ストレス障害(1)母のウソ 壊れた自分 』
毎日がめまぐるしく過ぎていた1987年。その日はサザンオールスターズ・桑田佳祐さんのラジオ番組にゲスト出演の予定だった。
外出の準備をしていたら、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると母親が立っていた。幼児期から、自分への虐待を重ねてきた手には、包丁が握られていた。
「やめて――」。大声を上げたものの、母親は真顔で自分に切りつけてきた。
「本当に死を覚悟しました」と振り返る。
なんとか母親を振り切って、タクシーで所属レコード会社に逃げ込んだ。そこに、今度は父親から電話がかかってきた。
「そちらの所属アーティスト、EPOの父親だが、娘から自分の妻が暴行を受け、けがをした。警察に連絡すると本人に伝えてくれ」
加害者が被害者から暴行されたと、正反対のウソをつく――。しかも、母親と娘の間柄で。
「それを聞いた瞬間、自分自身が壊れました。過呼吸になり、意識を失っちゃったんです」
救急車で運ばれ、そのまま病院のベッドで眠り続けた。急性ストレス障害だった。
恐怖におびえた日々、自分を責め続けて大人に
救急搬送された病院で意識が戻ったのは2日後。
「急性ストレス障害は一過性のもの。今は心を休めなさい」との医師の言葉に従い、短い休養を取った。
症状は回復し、仕事に復帰したが、心の傷は癒えない。娘が暴力を振るったという母親の虚言を妄信し、当初は自分を責めた父親への絶望感も残った。
母親のうそ、被害妄想、言葉の暴力などの虐待は、子どもの頃から日常的だった。恐怖におびえて、気が休まる時がなかった。
「母は精神疾患の境界性パーソナリティー障害でした。同性が大嫌い。女で生まれた私が脅威だったようでした」
鏡を見て、身なりを直した瞬間に激しく殴られた。小学生までは、男子のように髪の毛を刈り上げられた。
境界性パーソナリティー障害を持つ人は、感情や行動が不安定になりがちだが、誰もが攻撃的なわけではない。母親の場合、幻覚、幻聴、思い込みなどが高じて、娘への虐待という形で表れた。
このような環境で育つと、「怒られるのは私が悪かったから」と常に自分を責める子どもが多い。「自分の存在を肯定できないまま、私は大人になったのです」
一方、高校生で活動を始めた音楽では、周囲の人間関係に恵まれ、気がつくと人気歌手になっていた。
明るくポップな音楽、過酷な半生とは真逆…癒やしの曲作りへ転換
母親の異様な行動は、20代になっても続いた。留守のマンションに忍び込み、私物をチェックしたり、著名人である実の娘のありもしない作り話や、うわさを近所で流したりした。
当時の作風は、毎日を前向きに楽しむ女の子の姿を、ポップなメロディーに乗せた明るい曲ばかり。本人の過酷な半生とは真逆のイメージだ。
「母に受け入れてもらいたい気持ちと同様に、周囲の期待に応えたいとの思いだけで歌を作っていましたね」
急性ストレス障害から回復した頃、仕事に大きな転機がやって来た。英国の大手レコード会社との契約がまとまり、日本の音楽界を飛び出す決意をした。
現地のプロデューサーからは「あなたの声質は、人の心を癒やす方に使うべきだ」と進言された。やりたかった音楽の方向を示唆され、やっと自分の居場所がはっきりわかった気がした。
「明るくポップな音楽は好き。でも、当時の私を表現したものではなかった」
英国でアルバム、シングル2曲を発売し、新しい音楽作りへの確信を深めた。
帰国後、活動を再開した。かつての売れ線から離れ、人の心に寄り添うような深みのある旋律や歌詞の作品が増えた。ヒットは出にくいジャンルだが、支えてくれるファンは多かった。
母と絶縁…44歳にして、生まれて初めての幸せな日々へ
音楽家として大きく成長したものの、母親からの嫌がらせが続いていた。それでも突き放しはしなかった。
「つながりを切ることに罪悪感と葛藤がありました。やはり親ですから」
転機になったのは、たまたま受けた催眠療法。施術の間、子どもの頃から心の中に凍結されていた悲しみが一気にあふれ出してきた。
このとき決意した。
「母に振り回される人生は終わり。自分が幸せになることを自分に許す、と」
二度と会わないことを母親に通告。一切の関係を断った。44歳にして、生まれて初めての穏やかで幸せな日々が始まった。
同時に「同じ苦しみを持つ人に体験を役立てたい」と、自分を救ってくれた催眠療法やカウンセリングを学ぶため、米国の専門大学に入学。日米を往復しながら、フロリダ州認定セラピスト、補完医療施術師の資格を取得した。
現在は、沖縄と神奈川県葉山でカウンセリングスタジオ「ミュージック&ドラマ」を運営する。
2015年には、アルバム「愛を~LOVE IS ON~」を発表した。自身が1980年代に置き去りにしてきた明るさが戻ったような、元気な作品になった。
「これが今の私の等身大のポップミュージック。ずっと自分に正直な歌を作っていきたいです」
(文・染谷一)

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