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わかの目には、そんなふうに女性の裸が見えることがある。
「銀座や渋谷の街のまっ昼間の通りで、店も賑やかにやっているし、男
も女も大勢歩いている、もちろん全員洋服を着ていますよ。その中で、
特定の女性だけがオフロ屋さんにいるみたいに裸なのです。
もし、本当に、きれいな女性が全裸で歩いているのだったら、若い男
の人は文句言わないでしょうが、なんたって、みんな騒ぎ出すでしょう。
お巡りさんだって見過ごさないでしょう。でも、誰も全然気にもせずに、
あっちへ行く人もこっちへ来る人も、すぐ傍を通っても振り返りもしな
いで歩いていくのです。わたしにだけ、裸に見えているのです。
すると、わたしの頭の中で、『この人は、今年のミス日本に選出され
た人だから、日本の女性として理想的な身体だ。参考によく見ておきな
さい』……って、そういうふうに言うのね。わたし、頼まれて女性の健
康のことも見るでしょう。病院で検査できない、検査方法がないとか、
検査すると危険なものとか、診断がわからないのも見ます。だから、特
別に参考にしろっていう意味で神が見せるんです」
「その女性が、颯爽として、上品に、優雅に、天使みたいに全裸で歩い
てくるのです。
きれいな身体ですよ。よく、絵みたいにきれいって言いますが、そう
じゃないわ。絵より、本人のほうがきれいです。あの絵になっているよ
りもずっと、こう言ったら絵かきさんにも美術館にも悪いけど、絵より
もきれいでした。そういう人が歩いていたの。
髪の毛はふつうより長いぐらいです。四十センチぐらいかしら。風で
さっと横になびいたとき少し見えました。そのぐらいの長さね。絵ほど
長くはなかったです。これはきっと絵かきさんが、そういうヴィーナス
の画想にあわせて、髪の毛をずっと膝のほうまで長くして描いたのです
ね」
「髪の毛は何色ですか?絵と同じでしょうか?」
「金髪ね。絵に描いてあるのと同じ色です。さっき、フィレンツェのア
トリエに入って行って、ここのアトリエで支度しているみたい。服を脱
ぐまねして、――わたしにはもともと裸に見えていますから、脱いでい
るかっこうに見えたわけですけど。
アトリエには画家がいて、この大きい画布が画台に乗せてります。
女性がモデル台に立って、この絵のまん中の人と同じポーズで立って、
絵かきがこの絵を描き始めるの。だんだん完成していくのだけど、そう
したら、どっちがどっちだかわからなくなっちゃって、……こっちが本
人で、あっちが絵だって思っていたら、反対だったりして、そうしてい
るうちに一つの絵になって、この絵のまん中に固定されちゃったのです」
「そのとき、ヴィーナス本人は、どういう服を着ていましたか?」
「わたしも、当時、どういう服装だったか、ちょっと見てみたかったけ
ど。何も着ていないで歩いていたから……かかえている物も見えません
でした。まわりを歩いていて、彼女を振り返っていた街の人は、昔の
外国の古風な服を着ていましたけど……」
「先生、画家は見えますか?」
「……見えています。それで、この画家(ボッティチェリー)は、心の
中で、《ボクは恵まれている。このひと、フローレンス一番の美女を
モデルにして、ヴィーナスを、青春の女神の絵を描けるのは、とても幸
せだ、いい絵を描いて、歴史に残るようにしたい》
そう思って、張り切って描いていたのです。絵かきって、ふつうは
やさ男でしょう。でも。この画家は、柔道をやるみたいなガッチリした
人です。こういう人が、よくこういう絵が描けるなって思うみたいな……。
わたしの主観かもしれませんが、画家は、この息を吹きかけている天使
にちょっと似ているの」
もしかして、そこにボッティチェリーは自画像を描きこんだのだろう
か。そういう可能性もあるだろう。
「そのモデルの女性の名前はわかりますか?」
「最初、どこかのときに、女性のきれいな声で、『ボッティチェリー』
って聞こえたから、チェリーって桜でしょう、この女性の名前かなと思
ったんです。でも違いました。画家の方の名前だったのです。このヴィ
ーナスが、画家を『ボッティチェリー』って呼んだのです。女性の名前
は、シモネッタです。さっき、この画家が、この女性をそういうふうに
呼びました。『シモネッタ!……』って。
でも、シモネッタなんて変だって思いましたよ。日本語じゃ、変なよ
うに聞こえるでしょう。……からかわれているのだかわからなくて、す
ぐにはあなたに言えないでいました。
この画家が、モデルの女性に、『シモネッタ、ポーズ、こういうふう
にしてみて……』って指示するのね。
そう言われて、このきれいな女性は『ハイ』と答えて、言われたとお
りにしました。この絵にあるのとは違うポーズです」

この日初めて、ボッティチェリーの《ヴィーナスの誕生》から始まっ
て、《受胎告知》を経由して、レオンルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》
まで、長谷川わかと一緒に見た。生きた講義を受けることができたので
ある。
というよりも、彼ら、画家もモデルも、絵も、むこうから来てしまった。
幻影を見るというようなものではない。出現者と相互に会話や論議が
できるし、打てば響くように、働きかければ、ちゃんと応じてくれる。
存在濃度は90パーセントで、輪郭は濃い。
こういうことができるのは、西洋美術史や文化史の研究に非常に有益
ではなかろうか。特定の絵を指定して、その画家が過去にリアルに絵を
描いている様子や、画想、そのときの社会背景や環境などがわかるので
ある。これによって、絵を勝手に解釈することもなくなる。美術史に具
体性が出て、研究者や鑑賞者にとっても有益であろう。
このテストの日は、11月3日だったが、調子が出てきて、12月末の
NHKの『紅白歌合戦』や『ゆく年くる年』の除夜の鐘、新年の特別番組
など、ベッドにあお向けに寝て、目を閉じて視ていた。長谷川わかは、
白黒より霊感で視るカラーテレビのほうがずっと面白く、とても楽だと
言っていた。ラジオは昔からラジオなしで聴いていた。

『それからずっとあとになって、ルーブル美術館にあるワタクシの絵が
日本にまいりました時に、大勢の方がご覧になってくださいましたから』
『それで、展示会が始まると、日本の方がたくさん見に来てくださって、
五重ぐらいの行列になりました。ワタクシもお礼のために、絵のある所
から入口まで、端から端まで、何べんも会釈しながら回りました。この
いま着ている緑色の正装で、みなさまに感謝を表しながら、歩いて回っ
たのです。何日もそうしていました。
それで、また上野公園や駅のそばを見て、秋葉原にも行きました。四角
いガラスの箱に絵が写る、そういうのにレオンルド・ダ・ヴィンチさん
が描いてくれたワタクシの絵を展示していただいた時ですから、みんな
映っていました』

長谷川わかの説明によると、人間死ねば言語が共通になって、通じる
のはこういうことだという。アメ玉はひと粒ずつ小さい紙に包んでひね
られている。アメそのものはアメだ。外国人がなめても甘い。それを、
“チョコレート味”とか“chocolate taste”とか、フランス語、イタ
リア語、ドイツ語などの表示の紙で包んでひねる。アメが原言語で、包
む紙は、各言語である。神や霊感者は外国人や死亡した人と、原言語で
通じるので、コミュニケーションの時は直接にパッと自動包装される。
レオナルド・ダ・ビンチは、「『云うと云えちゃうんだ』」と云ってい
た。重力の作用みたいなもので、通訳はいない。
長谷川わかが訳しているわけでもなく、“神”が訳しているわけでも
ない。“死ぬと言語が共通になるのだ”と、“神”がこれまでに何べん
も長谷川わかに云っていた。

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さそい水さん