2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全29件 (29件中 1-29件目)
1
7月から自動車リサイクル法の申請がはじまる。うちの事務所でもその対応としてチラシを作成することになった。 要点をまとめあげ文章として書くことはできてもレイアウトなどがなかなか難しい。キャッチコピーをどこにどうに配置すれば一番効果的か、このあたりから試行錯誤が続く。最後は家族総出。それはこっちであれはあっちでという具合、みんな感じ方や見方が違うのでかえって参考にならない。 結局自分が一番良いと思う配置と字体で作成することにした。「それやったら人に聞かんと最初からそうすればええのに」 家族それぞれ口をへの字に曲げ、ぼやきの連射攻撃を受ける。 上の娘の言葉が一番きつかった。「それにしても、こんなに苦労して作ったチラシ、配ってどれだけ効果があるんやろ? 疑問やな・・・」 みんなシュンとなった。「そやかて、なんでもやってみんとわからんのんとちがう?」 そうだそうだ。カミさんもたまには良いことを言う。 祈りを込めて、願いを込めてチラシを作成、一枚一枚頭を下げながら配って歩く。きっとわかってくれる。きっとうちに依頼してくれるはず。そんな気がするからチラシを作るのだ。
2004年02月29日
コメント(7)
家系図作成の看板は代書業とともに行政書士になる前から続けています。郷土史を研究する私にとってはいわばライフワークなんです。 一時期、行政書士MLなどでも職務上請求書を使っての家系図作成の賛否が話題になっていたことがある。意見の多くは否定的であった。じゃあ、あんたはどうなの? と問われると、いくらなんでも職権請求はまずいでしょうね、と答えることにしている。 江戸時代の身分が記載されていた壬申戸籍が封印されたので(昭和40年代)役所の戸籍で遡れるのはせいぜい幕末、嘉永年間あたり限度。その先を辿ろうと思えば各自の家にある過去帳に庄屋や寺院に保管されている人別明細書や寺請け寺送りなどの公文書、蔵屋敷に潜む古文書ということになる。探そうと思えばまだまだほかにもある。たとえば神社の奉納品や絵馬に玉垣、また名前や家紋や墓なども重要だ。 依頼者にはいつもこう言います。「私はメンデルの法則のような家系図には何ら興味はありません。そんなことは重要でもなんでもないからです。大事なのはそうした図式ができた過程なんです。人は出会いを繰り返しながら生きています。出会いの中で夫婦になって、出会いの中で子が生まれ、親子の縁ができるくるわけです。そうした出会いを探りたい、その出会いの面白さといいますかそうしたものに関心があるのです。 また家系図を辿ることで人の生き様が垣間見えてもきます。たとえば、あなたの三代前、つまりは曾祖父が岡山から大阪に出てきた。なぜでてきたのか? 知りたいと思いませんか? なぜなら大阪に出てきたからあなたの祖父と祖母が夫婦になってあなたのお父さんが生まれたんですから。岡山にいたらあなたはいなかったわけだ」「ご先祖が改名をしているんですが、どうしてでしょう?」 よくある質問です。当時の制度がわかれば簡単にわかることです。答えを言いましょうか? 明治になって徴兵制度(平安京に遷都した桓武天皇が廃止したんですね)が復活しましたよね。国民皆兵を標榜していますが、長男は兵役を免除されたんです。つまり次男であっても改名すればよかった(ただしそのためには多額のお金がいった)。多額のお金、そうですよね、もしご先祖が改名されているなら、かなりのお金持ちだったということが事実としてわかるんですね。 ところで断言します。私は家系図作成に職務上請求書は使いません! ではどうやって取得するのか? もちろんご本人に取って頂きます。傍系はご本人が理由を言って傍系に取って頂くようお願いしてもらってます。よほど偏屈な方でない限り、たいていは引き受けて下さいます。元はといえば親族ですからね。その際傍系の墓前や霊前に手を合わすことをわすれないようにご注意します。 普段は交流のない傍系宅で思わぬ発見をすることがあります。ご先祖の写真や書いたものを見つけることがあるのです。これは大いにあり得ますのでみなさんも試してみて下さい。どうしてここにこんなものがあるの? なんて驚きの発見をすることもあります。でも考えてみれば不思議でもなんでもないことなのです。だってそうでしょ、今は親族つき合いはしていないが、ご先祖の時代は切っても切れない血縁の仲だったわけですから。 家系図を作っただけでは私の仕事は半分も終わっていません。私の仕事はむしろこれからなのです。集めた資料に基づいて歴史考証をし、足らないところは肉付けし「ご先祖物語」を作成することなのです。ご希望があれば一冊の本にもいたします。 有史以来絶えることなく流れてきた血脈、ご先祖の歩んだ足跡を一冊の書物にして後世に残してゆく、とても意義ある大事なことだと私は思うのです。
2004年02月28日
コメント(0)
大阪府行政書士会は谷町筋を西に少し入ったところにある。その道筋に真宗大谷派に属する円周寺という寺院がある。周囲をビルに挟まれ谷底のような場所に建っている。初めて通る方など、倉庫か何かに間違えてしまうにちがいない。 いつもは気にもせず前を通り過ぎるのだが、昨日ばかりは少しちがった。私を呼ぶ声、いやちがう、誘う声がしたのだ。「うん?」とばかりに寺の方に目をやると、ガラスケースの掲示板に一枚の墨字で書かれた法話が張ってある。しかも読めと言わんばかりに目の前にある。立ち止まって読まざるをえないだろう。幸い周りには誰もいない。 老いも若きも 男も女も 当てにならんものを 当てにしながら生きている 平野 修 平野修が誰なのかどんな人なのかは知らない。おそらくは御堂は教務部の幹部か幹部だった人であろう。 相続の案件を抱えているから言葉がすんなり入ってくる。なるほど確かにそうかもしれない。当てにするからもめるのだ。 学生の頃、東洋思想に凝った時期がある。「南無阿弥陀仏」とは、すべて(南無)は阿弥陀如来にお任せすると言う意味である。だが決して世捨の思想ではない。仏教の三千大世界という大きな宇宙観から生まれた思想である。「色即是空」はスケベ心をあらわす言葉ではなく、色のあるのも(つまりこの世にあるもの、または形として目に見えるもの)などはもともと何もないものである(人間が作り出したものである、観念論)。何もないものを失っても亡くしても悲しむこともなければ残念がる必要もない。もともと何もないものだからである。 推仏派であった聖徳太子などもこの世は、 世間虚仮 唯仏是具 (真実をはなれた世間の事物は虚であり仮である) であると言った。 たまにはこんな法話を読むのも良いかも知れないな、と思った。
2004年02月27日
コメント(0)
たばこをやめたら3年目あたりから花粉症に悩まされるようになった。子どもの頃は植垣に繁茂する小笹をへし折っては杉鉄砲をこしらえて遊んでいた。あっそうそう、若い世代の方はご存じないと思いますので杉鉄砲をご存じない方のために簡単にレクチャーしますね。 小刀で(昔はカッターナイフなどという代物がなかったため、工作用の小刀を使ったものです)杉の実の直径に合う小笹を見つけて切りとり、竹ひごを押し手となる小笹の筒に差し込み、砲身部分のほうに杉の実を充填、押し手の筒を少しだけゆっくり差し込めばOK! あとは一気に押し出せば、小気味よい(空気音)破裂音と共に標的めがけて杉の実が飛び出すという仕掛け。 なんだ、水鉄砲と同じしゃないの? そうですね、仕組みや原理は全く同じ。要は水か杉の実かの違いだけ。 ここまで書いて終わるところが、終わらずに続いてしまう。これはもう私の習性なのでしょう、頭の中が独りでに浮遊、創作の世界へと飛躍しはじめるのです。私? 空想の世界で飛び跳ね、にんまり笑っているだけです。 もし今、杉鉄砲が流行ったら・・・、いったいどうなる? 杉鉄砲によるいたずらに業を煮やし、国会で杉鉄砲不法所持違反罪などという、とんでもない法案が通過するかもしれない。 ミサイルや原爆よりも杉の実が飛んでくることほうが怖い? こんな話を聞きつけた北あたりがノドンや覚醒剤の代わりに杉鉄砲を大量生産、アルカイダなどの協力を得て世界各国にばらまき、自爆テロ以上の被害が起きるかも知れません。 笑いごとではありませんぞ。ほんと花粉症というのは罹っている人にとってはとてもやっかいで憂鬱で辛い病気なのです。たらりと透明の水ばな垂らした受付嬢などとても恥ずかしくて出社などできませんからね。
2004年02月26日
コメント(0)
思わぬ人から封書をいただいた。同業の方である。以前チラシ配布の記事を読んでぜひチラシを見せていただきたいのですが、と厚かましいお願いをした。どうやら覚えていてくださったようで送って下さったのだった。この場をお借りして御礼申しあげます。ありがとうございました。 昨日は難波で行われた「不動産証券化セミナー」に参加してきた。流動化と資産デフレをどうにかしようと国土交通省の肝いりで行われている全国縦断セミナーである。 会場のナンバプレスは200人を超える参加者で一杯。新たなビジネスを取り込もうという意欲ある人たちで熱気ムンムンだった。 ところで娘にコンポを買ってやろうと思うのですが、メーカーや機種で迷っています。音で選ぶならONKYOなんですが、多機能のVICTORも捨てがたい魅力があって・・・・。詳しい方がいらっしゃいましたらぜひ教えて下さい!
2004年02月25日
コメント(0)
「黒い御飯」 永井龍男 虎ちゃんという、いつも頓狂なことを言ってみんなを笑わせるわたしの友だちの八百屋の子は、私たちの仲間の前で突然こんな事を言ったことがある。「たっちゃんとのお父つぁん、偉いんだってさぁ!」「なぜ?」 仲間たちの顔と顔を見比べる虎ちゃんのいたずらな顔を、私は薄気味悪く、そして間が悪げに見つめる。「だって髭はやしてるんだもん!」「ちぇっ! 髭を生やしているもんはどうして偉いの、ええ虎ちゃん」 私は激しい侮辱を感じて突っかかっていく。するとほかの仲間が、とぼけたことを言う。「あたい髭をはやした、電車の運転手を見たことがあるよ」 そういう私たちの、子どもらしい皮肉の混じった会話は、私の父が大儀そうに社から帰ってきて、わたしたちや仲間のはたを通っていった後の、夕暮れの中で交わされたような気がする・・・・・・。 しかし、あまり父のことを語りすぎた。 うーん。ここでは最後の作家として永井龍男の独白、「そういう私たちの、子どもらしい皮肉の混じった会話は、私の父が大儀そうに社から帰ってきて、わたしたちや仲間のはたを通っていった後の、夕暮れの中で交わされたような気がする・・・・・・。しかし、あまり父のことを語りすぎた」 という言葉によって何より雄弁に、うら寂しい、当時の薄幸の父を物語っています。わずか二、三行にして、多くを想像させうる文章を書ける作家はそういません。しかし名手永井をしてもかなり推敲を要したと思われる箇所ですね、きっと。 追憶する場合、こういう手法(茶化しておいて反省するという手法)がとても効果的でインパクトがあり、有効です。いろんな作品を読むことでこうしたテクニックを身につけると、気の利いた、うまい文章が書けるようになるわけです。 残り3回です。私の家での位置のあと、いよいよ題名である「黒い御飯」に迫ります。
2004年02月24日
コメント(0)
昨日は堺の津久野まで墓参り。亡き母の死を報告するためだ。津久野にはカミさんの母親の実家がある。 家原墓地は行基が開いたという。おそらく共同墓地としては日本最古ではないだろうか。墓地は馬の背のような高台にある。歩きでは少し辛い感じだ。北を除いて三方が見渡せる。ちょうど雲が切れて春の陽がまぶしかった。 近くに家原寺がある。学問の菩薩である文殊菩薩を祀る、こちらも由緒ある寺だ。大阪に住む受験生が合格祈願をするところ、北部は天神祭で有名な北の天満宮、河内地方は道明寺天満宮、そして泉州部はこの家原寺なのである。ほかにもいろいろあるがメジャーはこの御三家。 家原寺は元々八尾市の老原にあった寺だと言われている。古代、難波津に着いた渡来人は小舟に乗り換えて大和川を遡上、柏原の国分手前で石川に入り、貴志あたりで船を下り、竹之内街道から飛鳥に入った。竹之内街道には今も「下の飛鳥」と呼ぶ地区があったりする。このあたりから柏原にかけての山の西側斜面には河内葡萄の産地、あの黒木瞳がCMにでている「蝶谷の梅酒」本社もこのあたりにある。この葡萄作りを教えたのも行基だといわれている。 話を戻そう。家原寺は竜華寺や日義寺などとともに大和川の両岸に配置し、渡来人から後進国だと思われていた日本のがんばりを誇示する建物でもあったのだ。後年、聖徳太子が上町台地の高台に黄金輝く四天王寺を建てたのは渡来人を意識してのものだったのである。そしてこの四天王寺はマルコポーロを通じて西洋に紹介され、黄金の国ジパングという夢を西洋人に植え付け、さらにジパングを目指せ! とあの大航海時代を迎えるのである。 都が平城京となってからは大和川沿道には渡来人の往還が途絶えた。道が変わったのである。当然家原寺をはじめ他の寺もさびれていった。寺の多くは廃寺となった(私の住まいする田井中にも五条宮という伽藍があったそうだが、今は畑の中に盛り土をし、申し訳程度に小さな石碑が立つだけである) 廃寺同然であった家原寺を誘致したのが津久野の住民であった。文殊菩薩を手厚く祀り、今日に至っている。
2004年02月23日
コメント(0)
父は小心な、曲がったことのできない(しかし道で拾ったぽっちりの金ならば、そっとしまっておくような)ほんとうの小人であった。不幸者の私は父を吝嗇な人と思っていた。しかし、父はそれより仕方なかったのだ。父は咳が出た。それには長い間薬がいった。そええに、私たちのような暮らしをしている者には、明日の保証がちっともないのだ・ことに父のような病弱な人にはその感じが強かったであろう。「もし明日にでもどうにかしたら・・・・・」 何事に対してもまず父の頭にはそうした言葉がひらめいたであろう。父は少しずつ、少しずつ、恥ずかしいほど少しずつ貯蓄をした。 頬のこけた、髭を生やした顔、そうして自分で染め直した外套を着て、そろそろ、下駄を引きずるようにして歩いてくる父の姿が、私の心に蘇る。それは、もうかなり病が重くなってからの姿だ。父はいよいよ動けないという日まで勤めた。 どんな父親なのだろうという読者の好奇心に答えるかのように、ようやくにして父の全貌が明らかになりました。ここで書かれている文章は子どもの私ではなく後年、作家となった永井龍男の視線です。淡々としてますが(常に感情を排するのがプロ)、「父はいよいよ動けないという日まで勤めた」という文章の行間には狂おしいまでの父への愛情を感じさせてくれます。それにしても、ひとつとして無駄のない文章ですね。
2004年02月22日
コメント(0)
「黒い御飯」 永井龍男 家からその印刷所へ行くまでの十五分ばかりの道に、そこには活動写真などもあるのだが、五日おきに縁日がたった。ちょうど、お弁当を持って行く日が縁日であったことがある。縁日には、近所の子どもたちは申し合わせたように、二銭ずつもらうのが例であった。その日はお弁当を持ってそこへくるまで、縁日を忘れていた。むろん、昼間の分はつかった私は、はっとした。母はもう一銭しかくれない。皆が二銭ずつ持っているのに、自分には一銭しかないということが、どんなに寂しいことであろう。「父にねだってみよう」 道を歩きながら私は考えた。それはかなり言いにくい。望みのないことだった。父はけちんぼだったから。包みからお弁当を出して、もじもじしていたが、思いきって言ってみた。父はがま口から二銭銅貨を出して、私の手へのせてくれた。あの大きな重い二銭銅貨を。(こんなことのあったせいであろうか、今でもあの不便な二銭銅貨は、ひと昔とでもいったような懐かしい重みを持っているように感じられる)そうして、その夜は大尽二でもなった気で縁日を歩き回った。 がま口から二銭銅貨を取り出し、私にくれたというだけで父の様子がまったく書かれていない。すべては私中心に書かれている。こういう書き方をするのは、変に父の表情や言葉を書くことよって、読者の想像力を殺ぐ危険性があるからである。あえて書かないことによって読者の父に対する想像力は高められるのです。 小説には書き込むより書かないことのほうが良い場合がたくさんあります。お節介は禁物、言い訳やまともな理由付けは逆に想像力を殺ぎ、凡としたものとなります。日常社会でも、得体の知れない人ほど興味や関心を寄せますよね。あれと同じです。
2004年02月21日
コメント(0)
「黒い御飯」 永井龍男----私はよくそこへ夜業のある時などにお弁当を届けに行った。蚊をつぶした新聞紙のようになった、校正刷りがたくさんあって、印刷所特有の、鉛や、紙や、インキの湿った臭いが、薄暗くなった狭い部屋の内にただよっていた。 明かり取りのすりガラスが鈍色に明るく、夕暮れのもつ蒼さに透けて、痩せた父の頭の上に四角くあった。 「とうさん、ほんのちょっとしか箸をつけなかったんだが、お前たべないか」 ある時(あるいは二、三度ばかり)父はそう言って、昼に弁当屋からとった弁当の残りを差し出したことがあった。父がけちんぼなのを考えると悲しくなることもあった。薄暗くなった部屋の内で父の視線と私の顔があったとき、私はそれをよけて不機嫌に言った。 「たべない」 私は憂鬱になった。どうしてこんなことをする父であろう。残ったものなんか、さっさとやってしまえばよいのに。私は横町の家に帰ってからも、つまらなかった。 昔は食べものを決して粗末にしないで家族みんなで食べあったものだ。貧しくて幼い時期から働きに出ている兄たちとちがって、子どもにはそのことがまだよくわからない。 また作者は子どもの視点で書くことで、普段はけちんぼだという子どもの父親観と対比させることで、病弱な父親の素性や親としての奥行きを際だたせている。憂鬱になったり、家に帰ってからもつまらなかったと書き添えることで父に対する子の失望感をうまく表現している。
2004年02月20日
コメント(0)
「黒い御飯」 永井龍男 小学校も終えることができずに、小さい時から工場通いをし続けてきた兄が、工場の帰りに鞄を買って来てくれた。A社の給仕に出ている二番目の兄がそれへ名前を書いてくれる。 そうして明治何年かの四月一日、母はいそいそした私の手を引いて小学校の門をくぐった。私はきっと、次兄の着古した紺がすりの縫い直したのを着、新しいごわごわの袴と、新しいカバンと新しいぴかぴかする帽子をかぶって、しかし、はたの者から見た私の姿は、袴にはかれ、帽子にかぶられ、カバンにさげられていたに違いない。きっとその日はよい天気であったろう。 父は体が弱かった。八、九年も、同じ印刷所の校正係をつとめていた。その間、ほかの仲間たちはどんどんよい位置を占め、社も発展していった。しかし父はいつもガラス戸のはまった寒い、暑い厚生室の中で、赤い筆を持っていた。 どうです? うまいもんでしょう。貧乏という言葉も不遇という言葉も、入学の嬉しい気分など一言も書いてませんが、よい天気であったろう、と書くこと行間からにじみ出していますよね。 わずか10枚あまりの作品ですが読後感(中身の濃さ)は50枚以上あります。 文学を鑑賞する際、ストーリーも大事ですが、こうした表現力のうまさが加わって生きてくるんですね。いわば脇役ですが、主役を生かすも殺すもすべてこの脇役の演技力なんですね。 この作品の続きを読みたいですか? すでに廃刊になっているとおもわれるので読むことはできないと思います。それで明日からしばらくこの続きを書くことにしますね。
2004年02月19日
コメント(2)
ぼちぼち仕事の合間に自分の確定申告をしないといけない。個人所得と不動産所得そしてカミさんの申告分である。今まではこれに法人分まで加わっていたから大変だった。 昨今、弥生などというウインドウズ上で動く会計ソフトがあって、その操作性などがわかりやすいとえらく人気だ。昔々、私がパソコンをいじりだした頃はみんな自分でインタプリタソフトをこしらえたものだった。 ハンドメイドの良さは自分にぴったり合っているということ。このソフトも仕組みは前時代的だが、実に痒いところに手が届いていたと得意になって販売ののソフト会社を興し、実際いくらか商品として売り出した。 2000年問題の時には問い合わせが何件かあった。まだ動いてるの? とビックリした。 どこのソフト会社も同様だったと思うが、こしらえた時は1,2年でバージョンアップをするつもりでいた。それがウインドウズの登場で様子が一変してしまい、インタプリタやコンパイラなどは埒外となり、変化を希望しないユーザーだけが孤島に取り残されてしまったのだった。 あの2000年騒動で一番困られたのは高価なNC機械を導入されていた工場主だった。そもそも制御用ソフトのほとんどに作動不能疑惑があったのだ。私も数件だったが請われて直したことがあったが、他人の癖が一杯詰まったソフトをいじるというのは大変なのだ。結局かなりの時間をソフトの解析に費やした。あれほど報酬額に合わない仕事もめずらしいと思う。 現在使用している会計ソフトは弥生のMSDOS版。ウインドウズ版のような便利さはないが、記帳するだけなら断然早いし間違いも少ない。おまけに他人が使いたくても使えないところが守秘という観点から最高だ。他ソフトでデータの圧縮をしてやれば1.2MのFDに数年分は楽々入る。電源投入一発起動でサクサク、キビキビ動く。マウスも不要でクリックも無し。手書き感覚で入力できるのはありがたい。
2004年02月18日
コメント(0)
朝から娘と受かった高校へ入学手続。そのあと制服等の寸法測定、帰宅したのが昼前、昼ご飯をかき込んで車を大東市へと走らせる。同市で受任案件2件、八尾市に帰ってきて1件だった。 まずは交通事故賠償請求、依頼人が再入院ということで心配したが早期退院のということで安堵。次が依頼人の顧問税理士を交えての不動産詐欺に対する告訴状作成案件、最後は地元、FPとしての仕事、相続時清算課税選択の申請書説明と取り寄せ書類の確認。 最後の訪問宅を出たのが午後8時すぎ、空腹感よりもやたらビールを浴びるように飲みたい気がした。 それにしても2件目は話を聞き取り、整理するのに3時間かかった。その間猛烈にして絶えることのないタバコの煙害、鼻腔をはじめとした体中の感覚や感触が痙攣状態、大げさでなく断末魔にも似た悲鳴をあげていた。 家に帰ってきて、まずはスーツにファブリックを吹き付け、鼻をかむ、うがいをする。どうでもいいけど煙草をこの世からなくせないものか? と心底から思った。
2004年02月17日
コメント(2)
子どもの頃、どういうわけかよくシャックリをした。あわててご飯を食べるからだと祖母や母に笑われたものだ。たしかに、あのころは野球に熱中していて、帰宅するころにはお腹はペコペコ、がさがさ行儀悪くご飯をかきこんでいた。 夏休みなど朝起きたら真っ先にいつもの空き地へ。野球に飽きたら鬼ごっとや缶蹴りと、昼ご飯など忘れて遊び回っていたものだ。空腹を我慢するあまり胃が痛くなったこともあった。 あのころ現在漫画家で活躍中の六田登がサードで私がキャッチャーだった。サインはすべて私が作って出し、六田は驚異の三番バッターだった。六田には弟もいてこいつがまたすばしこかった。 シャックリのほかに魚の骨がよく喉に刺さったりした。シャックリも辛いがこちらも食べるたびに引っかかるのでなんとも居心地が悪かった記憶がある。 さすがに大人になってからは、しゃっくりも骨も刺さらなくなったが、かわりに日常のわだかまりが胸のつかえとなって心に居座るようになってしまった。 こちらはかなりやっかいだ。取ってはまた出来、出来ればつぶすが一向に止む気配がない。どうやらいたちごっこの様相を呈してきているようで、遅まきながらこちらとしても長期戦の覚悟をしているところである。
2004年02月16日
コメント(2)
今朝の新聞によると春一番が吹いたのは大阪では3年ぶりだとか。わが家の梅の木にも紅色の花が咲いている。これからは日々緩やかながらも気温が上昇、街路路の桜が芽吹きはじめると、あとは一気に春到来だ。 草木の中でも桜は福山雅治や森山・・などの歌がヒットしたこともあってなんだか良いイメージができている。 国策で桜の植樹を推奨していた時期もあってか、学校などの校章には桜をあしらったものも数多い。しかしもともと桜は木の芽時の代表とされたり、詐欺師の補助者を意味したり、肉の固い馬肉を表す言葉で使われたり、虫が付きやすい木として嫌がられていたそうな。 作家坂口安吾は「桜の下」で咲誇る桜の気狂わしいまでの妖気をみごとに描写している。人を気狂るわしくさせるのは桜という木が持つひ弱そうだがどこか確固とした華という芯があって、それが人を惑わせるのではないだろうか。 個人的には桜より5月に咲き乱れるサツキの方が断然好きだ。なんともも明るい感じがいい。サツキの群生を眺めていると元気が湧いてくるし、気まで晴れてくる。私のとっては滋養の木なのかもしれない。サツキ見学のあと、陽光降り注ぐ公園のベンチでうっかりうたた寝をしても桜の時期のように花冷えもない。体全体で春を満喫できるのもサツキが好きな理由かもしれない。
2004年02月15日
コメント(0)
創作をする上で大切なのは時代の認識。戦国時代の会話で、「うっそー!」なんて書いたら興ざめもいいところ。 イソップ童話に「北風と太陽」というのがあった。それぞれの力を競い合い話は古今東西どこにでもある話だが、年末のボブサップ対曙を引き合いに出すまでもなく興味あるものなのである。 話を「北風・・」に戻そう。どちらの服を先に脱がすかが争点で勝ったのは太陽だった。しかし今の時代ならどうだろう? 結果は太陽の負けだと思う。クーラーをガンガン効いた処に長い間いると寒くて寒くて仕方がないのが現代。 悪を退治する話も昔からよくある話。桃太郎などは代表的だ。あの物語、今の子どもが読むと????の連続なのだそうだ。 まず、なんと言ってもおむすび欲しさに怖い鬼相手に命を懸けるなんて考えられないらしいのだ。この話は白米のおにぎりを腹一杯食べるのが夢だった時代の話。 「鶴の恩返し」などは今でも通用する話だ。夫のために夜なべをして働く健気な妻、妻の稼ぎが大きいので家庭は次第に裕福になっていく。決して働く姿を覗かないでくれと懇願されていたのにある夜、夫は禁断のドアを開けてしまう。そしてそこで見たものは売春だったんでしょうね。この話など焼き回せば現代でも使えますよね。うーん、急に妻の羽振りがよくなったりしたらやばいですよね。でも案外身近にあったりしそうな話ですね。
2004年02月14日
コメント(4)
昨日合格発表があった。どうにか合格。ひとまずやれやれである。わが家にもしばし安息の日々が訪れるはずだ。 規模の小さな学校、進学率が良いというのが評判で今年も専願だけで定員をはるかにオーバーしていた。 この不景気で月謝の安い公立高校が人気らしい。しかし入学してからの学力向上が大変らしく、大学受験希望生徒のほとんどが高い月謝を支払い予備校に通っているのが現実だとか。 ならば予備校になど通う時間もない(徹底したカリキュラムで学校が教えてくれる=娘の学校は一日8~9時間で週6日制、夏休みは15日間程度、そのほか春休み冬休みは特別補講習)私学のほうが結果としては安くなるはずだ。上の子も私学だったが、私学助成金なども利用でき、トータルをそろばんではじくとそう割高ではない。むしろ教員の質がよい分優れていたりする。 ただ問題がないわけではない。厳しい、まるで修行僧のような勉強漬けの生活についていけるかどうか、なのだ。一番心配しているのはここ。がんばり屋で、負けず嫌いではあるが、あるとき、そんな生活がイヤになって投げ出してしまわないともかぎらない。 将来は医療系の大学に進みたいらしい。そんな思惑があって選んだ学校、当面親としてはしっかり頑張って欲しいと銃後の援助をするしか術がない。がんばれ我が娘よ!
2004年02月13日
コメント(2)
「アリとキリギリス」という童話があった。 アリは厳しい冬を過ごすために春夏秋の3シーズンを黙々と野山の食べ物を貯蔵することに専念している。一方のキリギリスは3シーズン好き放題、歌ったり気まま勝手に遊びまくったり、アリの働くばかりの生活をバカにし、おなかが空いたら身近にある果物をほおばるだけで蓄えようとはしない。 やがて来冬。暖かい暖炉を前にしてアリは蓄えてあった食べ物を食べている。外は一面の雪景色だ。そこには行き場を失ったギターを背負ったキリギリスの姿が。空腹で今にも倒れそうだ。みかねたアリがキリギリスに住処に招き、食べ物を与え、暖を取ってやる。キリギリスが自分の過ちに涙を流して後悔する。 確かこんな話でしたよね。 うーん、昔の社会は確かにこんなのだったんでしょう。しかし現在はちがいますよね。働きアリはリストラされてポイ。蓄えなどあっという間にスッカラカン! 当てにしていた生命保険や個人年金も肝心の保険会社が先に死んでしまってしまうし、苦労をして大きくした子どもたちにはスネをかじられるだけで、まるで当てにはできない。 一方、歌を歌ったり踊ったりしているTVの人気者キリギリスは一発当てれば不景気そこのけ、豪邸を建てるわ、高級車に乗るわ、でこの世の春の贅沢三昧。黙々働くばかりのアリの何十人分も稼いでいたりする。 どうも今はキリギリスの時代のようである。 アリの時代(働くだけでよい時代)に才能は必要ではなく、頭と体力と持久力だけで勝負だったが、キリギリスの時代はどうやら才能で勝負する時代のようだ。同じ行政書士でも片方が四苦八苦の時でももう一方は月に100万以上を楽々と稼ぐ。この差はもはや運不運の問題ではなく、才能の違いだと言わざるを得ない。じゃあキリギリスになったらといわれても、アリはキリギリスになんかなれっこない。だから問題は深刻なのだ。 いずれにせよ、いくら頭が良くても学歴があってもお金を稼ぐ才能がなければ食ってはいけない、そんな時代になったことだけは間違いないような気がする。
2004年02月12日
コメント(3)
昨日からどうも変だった。微熱にのどが痛みがなんとも気になっていた。 朝、入試の面接に出かける娘を玄関まで見送り、床に戻ったときには関節の節々が痛み出した。熱を測ってみると38度5分、ああ、38度線を越えて北側。これはヤバイと葛根湯を飲んで布団にもぐり込み、ネコのように丸くなって寝た。 目が覚めて時計を見ると正午過ぎ、昼ご飯は? と子機でカミさんを呼び出すが出てこない。そういえばダイアナがどうのこうのと言っていた。下着屋へ行ったのだろう。 携帯電話を入れてみる。「どないしんたん?」「昼ご飯」「食べるん?」「当たり前やろ」「ご飯食べれるんやったら風邪とちゃうなあ」「まだ熱はある」「そらそうやろ、熱なかったら死人や」「ないんか?」「あったけど、多分食べへんやろうとおもうてナルにやったわ」 ナルに? 犬に食べさせたのだ。「ほんまにお腹すいてんのん?」「わからん」「ほな、ビールでも飲んで寝とき。夕ご飯は買っとくから」 カミさん邪魔くさそうに電話を切る。おそらくダイアナ仲間と「サンマルク」あたりでお茶をしているのだろう。 以上、わが家の上下関係がおわかりいただけたと思う。 で、指示されたとおり私は缶ビールを一本空けて床に入ることにします。 おやすみ(笑)
2004年02月11日
コメント(2)
末娘がK高校を受けている。私立専願。本人は理科系の大学に進み、将来は薬剤師か理学療法士になりたいとのことで進学校を受験したのだ。 朝5時半に起き、家族みんなで朝食を食べ、天満宮のお守りを手に家を出たのが6時半すぎ。早いんじゃないのか?と思って聞けば、同じ高校を受ける友だちと待ち合わせているとのこと。 どうも娘は私に似て数学が得意なのである。小学生の娘が「わからないわからない」とさかんに首を傾げるのでどんな問題化と聞いてビックリしたことがある。「よしこさんが時速2キロの早さで家から駅に向かう途中、郵便局に立ち寄った。人がたくさんいたので時間がかかってしまい、遅電車に乗り遅れそうになったので時速40キロの自転車で駅まで走った。おかげで電車には間に合った」 たしかこんな問題だったように記憶している。時間と距離の問題だが、日頃の娘の出来なら簡単なはず。「どこがわからんのかな?」 と聞くと、「答えはわかるんやけど、自転車のところがわからへんねん」「自転車?」「誰の自転車やろと思うて。それに駅前には自転車を放置したらアカンことになってるのに・・・預けたと書いてない」 次の日学校で娘は先生に「よしこさんの素行の方が問題だ」と言ったとかで、みんなで大笑いしたことがあった。 笑った日からすでに5年ほど経っている。子どもの成長は加速度的。私などこのところ3回に一回は逆説教をされる始末。 親という字は「木の上に立って見る」と書く。下の子ということもあるが、少々曲がろうともじっと見ていてやるつもりでいる。 あと1時間半ほどで試験が終了する。どんな顔で帰還するだろうか、気にならないと言えば嘘になる。
2004年02月10日
コメント(2)
説明ではなく、描写をしようの続き。 形容詞で表現するのではなく、また手あかの付いた表現ではなく、読者に想像させるような表現力を習得することが必要です。純文学であれ、サスペンスであれ、エロ小説であれ、この想像させる表現力がないとお話にならないですから。 1・びっくりした、おどろいた × 2・きれいな女性、美しい黒髪 × 3・背が低い × 以上3点は説明文、これを描写文にすると以下のようになる。 1・不意に誰かに背中を思い切り叩かれでもしたかのようだった。突然のことで一瞬息が詰まってしまった。 さぞかしビックリしただろうなと思わせるような描写表現、どうしても思いつかなかったら会話にしてやる。 「おい、あんまり人をびっくりさせるもんじゃない」 2・すれ違うと同時に義彦は振り返った。肩まで伸びた黒髪が夏の日射しと潮風を浴びて艶やかに光っていた。あれほど目鼻の整った女性を見たのは生まれて初めてだと義彦は思った。 3・台所の戸棚にあと少しで手が届かない。「ああっ、もうちょっとなのに」 せめて平均的な高さだったら易々と届くのに。腹立たしくなった由美子は持っていた内輪で戸棚をぱちんと叩いた。 こういうのは工夫して書けば書くほどうまくなります。コツもわかってきますよ。
2004年02月09日
コメント(2)
市販の小説作法などで、「説明ではなく描写表現する」ということを書いているのは少ないと思います。ひどいのになると「思ったこと、感じたままを書きなさい」なんて無茶苦茶無責任なことを平気で書いているのもある。 映画などではこのあたりとても工夫されていますから参考になります。 たとえばスタローンの「ロッキー」、幕が開くなり、上下灰色のスエット姿のロッキーが走っている。時折腕が鋭く前に伸び、シャドーをするがただただ黙々と走っている。走る背景には野原や丘が流れ、出演者の紹介字幕が終わるまで延々と走り続けるロッキー、ひどい汗だ。やがて音声が混じりはじめると、街の中、ガードレールをくぐり、下町独特の風景、立ちんぼ、立ち小便をする男、逃げ回る男とパトカー、そのような雑踏を身軽くよけながら走るロッキー、走るロッキーに甲高い声をかける商店主・・・・・。 これが描写なんですね。ちょっとだけ解説しましょうかね。この冒頭シーンでロッキーがボクサーであること、しかしトレーナーらしき人はいなく、住んでいるところからも金持ちではないことがわかる。「ははあん、ボクサーか、しかしボクサーにしてはもう若くない。しかも貧乏だな」、映画を見る人なら誰でもそれを察します。ひとことも何も言ってないのに、冒頭だけでこれだけのことが表現されているわけです。「ジェラシックパーク2」の冒頭も同様です。いきなり宇宙から地球が映し出されます。そして地球に向かってカメラは落下していく。グングン高度が下がっていく。画面には大陸の緑が大写しになってくる。さらに落下、ジャングルだ。ジャングルの中、帯のようにまっすぐ伸びる一本の道、その道を一台の車が走っている。白いクルーザー。どこへ何のために行くのか? このカメラ操作で、ここが地球で、人里離れたジャングルの中で、とてつもないあの恐竜たちが住む動物園であることを強調、さもありそう、と思わせているのです。そしてカメラが現実のアングルに戻ったとき、観客はすっかりこの架空の世界に同化してしまうわけですね。 自分の技量がいかほどのレベルか、永遠に謎ですが、測定する方法はあります。人の作品を読むことです。自分より技量の劣っている人の作品を読むと実によく粗(アラ)がわかります。「下手やな」と思います。これホントです。二、三行読むだけですぐわかります。もっとも自分よりレベルが上の人のはわかりませんが(笑)、これもホントです。
2004年02月08日
コメント(2)
>ところで作家の石井さんは、平均して1日あたりどれ位執筆に時間を費やされていますか?よろしければ、教えてください。 今は業務に専念しておりますので、書く時間はありません。ただし浮かんだアイデアはそのつどメモ書きしてはおりますが。 大江健三郎さんが「文学ノート」(だったか?)、アレがこないと書けない、と嘆いておられます。アレというのは、突如、津波のように押し寄せてくる創作意欲のことだと思いますが、たしかにアレがこないと書けないですが、アレがなくても書かなきゃと念じて書いている間にアレが来るときだってあります。まっ、このあたりは人それぞれですが。 少なくともマンガなどで机の周りに書き崩した原稿用紙の花が散らかっているというのは絶対にありませんよ。もしそんな状態だったら書けませんから。もし書けたとしてもピントがぼけた駄作に決まってますから。 いくら書いても満足な作品などありえません。ありえませんが最低5回ぐらいは書き直します。書き直して書き直してそれでも不満足、その繰り返しです。作品をこしらえようとすれば相当な体力と気力と知力と持久力が要ります。 いつでも書き出せるよう常に準備はしています。映画「ビッグウエンズディ」の伝説の大波を待つサーファー少年達のように、いつかアレが来たら一気に書き上げるぞ!って。私の場合アレが来たら500枚や1000枚ぐらいは一週間ぐらいで書き上げる自信はあります。走馬燈のように次から次へと物語が展開し、プロット通りに升目を埋めていく作業の充実感は飲食睡眠を忘れるぐらい。恍惚の極み、堪えられませんよ。 絵画や彫刻と同じで、下絵が大事です。小説の場合はプロットと言いますが、あらすじをさらに詳細にしたもの。映画のシナリオよりは短いですが。映画のシナリオはプロット作りには役立ちますよ。いきなり本文は書かない、いや書けない。プロットで十分に題材を煮詰めてから。 書き出しの三、四行が一番大事です。それでほぼ決まりと断言してもいい。作家の資質はこの序文でおおよそわかりますよ。
2004年02月07日
コメント(2)
依頼は車対車の物損事故。できれば保険は使いたくないというAさんが相談に来られた。 こうした物損事故の算定方法は、修理代+評価損+代車料+その他(衣服や眼鏡など)を合計したものとなります。評価損については買ったばかりの新車が対象で今回の場合はいずれの車も年数車ということで計算からは除外しました。 今回の事故は信号機のない住宅地の交差点で発生。直進車のAさんと右折車のBさんが接触したというもの。過失割合はAが3でBが7ということになった。 Aさんの被害額は修理費50万円、レンタカー7万円 で57万円 Bさんの被害額は修理費20万円、レンタカー5万円 で25万円 お互いに過失がありますので、過失割合からそれぞれの負担額を算出することになります。 Aさんの負担額は、25万円×0.3+57万円×0.3 =246000円 Bさんの負担額は、25万円×0.7+57万円×0.7 =574000円 つまり今回の場合ですとBさんは自分の車を修理した上にAさんに対して324000円を支払わなければならないということになります。 きょうは寒さもおさまり天気がよいのでこれから信貴山詣りをしてきます。信貴山内の千手院には全国ではここだけという珍しい銭亀大明神が奉られています。石臼の上に財布を乗せくるくる回す、この回転がスムーズならばスムーズなほど「お金の巡りが良くなる」と言われ、たくさんの人の信仰を集めています。毎年我が家の初詣は産土の社を参ったあとはこの信貴山へ行きます。寒風吹く山上、山間から大和平野を望みながらの参拝は一年の始まりにはいい感じです。
2004年02月06日
コメント(4)
自民党が34年ぶりに消費者保護基本法の抜本改正をもくろんでいる。改正の趣旨として、近年の消費社会の成熟などをふまえ、消費者を市場経済の中軸としてとらえ直すというもの。もっとわかりやすく言えばこれまでの保護される立場だった消費者がより賢明になっている現実(?)をとらえ、消費者側にも商品選択の責任を一端を背負わせようというもの。ついては企業への事前規制やチェックが自主的な規制や事後チェックにシフトチェンジする。 もしこの改正案が通れば今後消費者は正しい商品知識で武装しているものと推定され、これまでのように法律による保護が受けられにくくなる。ついてはオー157やBSE、遺伝子組み換えなどの知識が必要となってくる。 成熟しているのは物質社会だけ。親が子をいじめたり、平気で人を殺したり、経済観念の欠如した人がヤミ金地獄に陥るなど、成熟社会に住む人間は成熟どころか退化していると認識するのがまともではないだろうか。 日本はご承知のように資本主義社会。実際に資本活動をしている活動家の意見や主張が政治に反映する社会なのだ。いくら首相が替わっての基盤に資本主義がある限り、中に計算違いはあっても勤労者や消費者の味方ではないことを知るべきだろう。今回の改正案などはまさに資本主義ならでは(資本家の意向を受けた、厳しい事前規制の枠をはずそうとするもの)の改正だと思う。 環境法やPL法など企業にとってはコストアップを迫るだけの厳しい法律が相次いで成立しているが、今回の改正案を見るにつけ、古今東西、いつの世も民衆はアメとムチによって飼い慣らされているのだ。企業中心というが、企業が成り立たなければそこで働く労働者の生活も成り立たない。頭では、理屈ではわかるのだが・・・・・。
2004年02月05日
コメント(2)
三重の仙人さんから「詳細については、文学少年の石井会員のレポ-トに期待しよう!」とのご指名を受けましたので。ところで三重の仙人さん、少年は壮年の間違いでは?(笑) 結論から申しますと、節分の巻きずし丸かぶりはやはり大阪が発祥の地のようです。 諸説あるのですが、新見公立短大の岩崎竹彦教授が調べられた次の4つがどうやら一般的のようです。 まず1番目、 幕末から明治初期にかけ、大阪船場で商売繁盛、無病息災、家庭円満を願ったことから。 2番目、 船場の色街で女が階段の中段に腰をかけ、丸かぶりしたら願いが叶ったという故事にちなんで。 3番目、 節分の頃は新しい香物が漬かる時期で、江戸時代中期、香の物入り巻き寿司を切らずに丸のまま恵方を向けて食べ、縁起をかついだ。 4番目、 船場の旦那衆の節分の日の、艶っぽい遊びが発端。 資料ですが、大阪歴史博物館(谷町4丁目)には戦前のチラシが保存されています。チラシには「節分の日に丸かぶり 1本20銭」とあり、さらに古いものでは1932年、心斎橋筋の本福寿司のチラシには女性が丸かぶりしているイラストまで入っているそうです。 ここまでがさわりでここからが本題。 ところで仕掛け人は誰なのでしょうか? 誰が何のためにこんなことを仕掛けたのでしょうか? 推理のはじまりはいつも?からはじまります。作家としてこの題材を殺人事件に仕立てあげるにはどのように調理すればよいのでしょうか。 江戸時代、北海の海産物を天下の台所大阪に運ぶ北前船というのがありました。昆布や海苔などもいったん大阪に荷揚げされ、大阪から米とともに全国に流布されました。昆布や海苔の多くは大阪で市販しやすいように荷直しされたり加工されたりしました。 飢饉や不景気となりますと華美を慎みます。とうぜん贅沢品の昆布や海苔の売れ行きが芳しくなくなる。寿司屋もさっぱり。さらに江戸時代などは御触書で規制したものですからさらに売り上げが落ちた。自然の産物だから収穫だけはきっちりある。すると値崩れもそうだが過剰在庫に。この在庫を処分一気に行うにはどうしたらいいか? そうした環境下で考え出されたのが節分に巻き寿司を!という発想。初詣の祈願より戎詣での繁盛祈願をありがたがるのが大阪人。いいことがある、福を呼ぶだの、とかく験を担ぐことが好きな、験を担ぐことで自らに気合いを入れる大阪人に受け入れられたのでは? 丸かぶりに関しては、寿司屋では一年で一番忙しいのが節分、そんなときに一本一本包丁を入れていたのでは間に合わない。その手間を省くために考え出されたとか。 で、小説にするなら、 ・・・事件は節分の夜に起こった。江戸時代から続く心斎橋の老舗の昆布屋の10代目が何者かによって毒殺された。捜査は難航。迷宮入りかと思ったときに一本の電話が中央警察にかかってきた。男は野太い声で、事件の真相は越前の北前船を洗えばかわるはずだ!とだけ入って電話を切る。捜査官は越前へ。資料館の復元された北前船をはじめ、船主の蔵に安置されていた当時の文書等の資料をくまなく調査していると、ある奇妙な事件を見つけ出した。時はご一新の翌年、大阪の昆布加工業者である某が・・・・・。 こんな感じですね。原稿用紙400枚から500枚程度の推理もの「福を呼ぶ丸かぶり殺人事件」ってな題でいかがでしょうか? プロットを組み立てればあとは時間との闘い。観光名所を取り込めば内田康夫風に仕立てあがりそうです。
2004年02月04日
コメント(5)
朝から依頼人の代理で郵便局へ。仕事は定期貯金の解約引き出しだ。自分でやればと思ったが入院中で動けないとのこと。 午後から土地の賃貸借契約のことで相談者宅へ。貸ビルを数件有する資産家とかいうふれこみだ。ついでに在留帰化についても相談があるとか。 そのあと時間があればT海上の営業所で自賠責の仮渡金請求に関する書類をいただくつもり。 そろそろ決算書の作成に取りかからなければいけない時期。まだあると思っていたら3月15日なんてすぐ。今夜から1時間ずつ記帳をするつもり。 ところで建設業経理事務士試験も迫ってきている(3月14日)。こちらもテキストを買ったまま。放置状態が気になる。まっ、先にほかの資格試験があったので仕方ないが・・・・・。いずれにしろ受験する限りは合格の二字が最終目標、受けただけでは、努力しただけでは意味がない。
2004年02月03日
コメント(0)
義母は4年前の2月に脳溢血で倒れ、以後ずっと病床での生活だった。肢体の自由を奪われ、言語を失い、視覚を失い、日によって出来が違う頼りなく、しかも感度の悪い聴覚だけが唯一我々とのつながり、パイプラインだった。さぞかしもどかしかったことだろう。 義母のことで真っ先に思い出すのがカミさんを貰いに行った時の言葉。「どんな人にもいくら努力しても運不運がありますよって、苦労はしょうがおまへん。けど、幸せは作れるものやと私は思うております。なあに難しいことやおまへん。お金なんかでは買えんような幸せ、うちの子にはそんな幸せを与えてやって欲しいんですわ。私からの頼みはそれだけです」と言われた。それまで軽々しく愛や幸福を語っていた自分が恥ずかしくなるほどの重い言葉だった。 で、幸せか? 結婚してから一度もカミさんに尋ねたこともない。どう思っているのだろうか? 確かめるものじゃない。きっと日常のふとした時に一瞬感じるものなのだろうと思う。理由はないがただ僕はなんとなくそんな気がするのだ。
2004年02月02日
コメント(0)
2月最初の日曜日の朝、大阪の冬空は晴れ渡り、風もなく、穏やかな陽光がただただ放水の如く降り注いでいる。私の心境といえば、中原中也の詩集「山羊の歌」同様、見たばかりの死にただ呆然としていた、とし、この陽光の恥じらいのなさに義憤めいた感情を覚えているといったところでしょうか。やはり人の死には荒れ狂う海のほうが似合うと思うのです。間違ってもこのような穏やかな陽光は場違いどころか、レッドカードにすべきです。 昨夜告別式のあと家の片づけを終えて帰宅したら午後10を過ぎていた。よく冷えたビールを飲む。旨い。その間娘達から順番に風呂に入り、床についたのが1時前。 カミさんは次女、長姉が15年前に亡くなっているので今は一人。義父は肺気腫という病気、入院こそしていないが自宅でずっと床に伏したまま。日常の看護は介護保険法に基づいて派遣されてくるヘルパーさんなどがお世話をしてくれている。 もちろん喪主は義父となるのだが、そんな事情で私が喪主代理。加えて式の世話をしてくれる隣組(自治会)には式に不慣れというか初体験の方がほとんどで、経験者といえば私(自分地で町会長をしております)、そんなわけで私にかかる負担が大きかった。出しゃばっても行けないし、言わないと式次第では困ることもあるし、とにかく大変でした。 これからまたカミさんの実家に行き、近隣への挨拶をしたあと、家の片づけをいたします。 早春といえば藤沢周平に同名の小説があります。彼にとっては珍しく現代小説です。若くして妻を亡くした男と婚期にあるひとり娘の物語、不倫の恋に陥ってもがく娘、助言すらうまくいえないで苦悩する男。男の反対を押し切り、ついに娘が家を出た。若い頃にローンで買った家、ローンを払い終えたときに待っていたのは妻を亡くし娘にも捨てられた哀れな初老男。そんな男が、荷物が引き出されすっかり空になった娘の部屋にたたずみ、ふと天井を見上げながら、「あああ、一人になるということはこういうことだったのか」 と諦念にも似た言葉を吐くところでこの小説は終わります。 小津安二郎タッチの味わいある小説です。「たそがれ清兵衛」で涙した中高年の皆さん、ぜひぜひご一読を。
2004年02月01日
コメント(2)
全29件 (29件中 1-29件目)
1