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小説の神様と言えば志賀直哉、われらがオダサク(織田作之助)の作品を下品だと罵った男だが、敵ながらうまい文章を書く人ではあった。 自らの出生の秘密と妻直子の過ちに思い悩む時任謙作を主人公とする「暗夜行路」は昭和12年に発表された日本を代表する小説である。一部ご紹介しましょう。 南禅寺の裏から疎水を導き、またそれを黒谷に近く田圃を流し返してある人工の流れについて二人は帰っていった。並べるところは並んで歩いた。並べないところは謙作が先に立っていったが、その先に立っている時でも、彼は後から来る直子の、身体の割にはしまった小さな足が、きちんとした真っ白な足袋で、褄をけりながら、すっすっと賢げに踏み出されるのを眼に見るように感じ、それがいかにも美しく思われた。そういう人が・・・そういう足が、すぐ後ろからついて来ることが、彼には何か不思議な幸福に感じられた。 好きだとか愛しているとか、一言も言ってませんが、読めばわかるようになっています。しかも臨場感まで伝わってくる。さすがにうまいもんですね。
2004年03月31日
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相続と離婚でのトラブルが後を絶たない。最近受けた相続は二世代前の相続が未だ完了していないという案件。子が子を産み、波紋のように四方に派生し、権利を有する人間を数えたら29人になった。「なんとか私の代でケリをつけたいんですが・・・」 相談者の思いは悲痛だ。「うーん」 各地から取りそろえた戸籍謄本の山を前に返答すらできなかった。 なんで今日まで放っておいたの? 家長制度がはばをきかせていた戦前だったら簡単だったのに。ため息の繰り返しだ。「さて、どこから攻めるか?」 一般的には外堀からだが、いきなり奇襲を突いて内堀(核)から攻めるのも一考かもしれない。 権利を主張する相手には義務の履行で反撃するのが普通だが、このような場合、人の道理や義理人情というきわめて日本的な武器で攻めるのが相手の狙撃をかわすには有効だ。 今回のように権利といってももはや実態を失っている。ということは、きわめて理不尽なことを主張しているということにもつながってくる。昨今急速に道理や義理人情というものがなくなりつつあるが、理不尽な主張を押し通すことで自らの立場や尊厳が傷つくおそれが出てきた場合には逆にそれらが自省をうながしてくれたりする。 逆に言えばそうした攻め方しかないように思う。権利はいくら理屈を酷使しようとも権利に代わりはないのだから。みんなの面子を立て、不満を残さないで解決するというのはなんとも難しい。
2004年03月30日
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ここしばらくTVの映りが不安定でおかしかった。原因はわかっていた。みじん埃だ。いまの家電はおしなべて基盤を使っている。基盤には金を使用している。なぜならこの金属は通電する際、抵抗が少なく、電気ロスがほとんど無いから、省エネ時代には欠かせないのだ。しかし弱点もある。基盤は何より埃を嫌うのだ。埃が通電を阻害、結果として機器は不安定になる。パソコンなども同じ。たまにはふたを開け、掃除機で埃を吸い取ってやりましょう。 テレビを直したら次はパソコン、電源ユニットが壊れたので取り換えたが、壊れるときに(OSの)システムを傷めたらしい。起動はスムーズだが終了時にやたら時間がかかるようになった。最悪の場合は再インストール。こちらはまだ原因が掴めないでいる。まだしばらくはかかるだろう。
2004年03月29日
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タウンページは現代を写す縮図だと思う。 そもそもタウンページというくらいだから、町の情報が簡単に取り出せるよう工夫されている。たとえば電話番号をはじめ、ページを繰るごとに趣向を凝らした広告枡がキャッチコピーで着飾り、衣装をまとい、目一杯の枝葉を広げて獲物を待ちかまえている。 そんなタウンページを繰っていて気が付いたことがある。広告にも時勢や商売の興隆が影響しているということだ。平たく言えば元気が良い業界とそうでない業界があるということだ。 まず元気の良いのが興信所、不倫調査に行方不明人の捜査。あと消費者金融の元気がよい。相変わらずが医療関係あたりか。 タウンページを繰っていて電話帳には大法則があることを再確認した。 行政書士のページ、なんと諸先輩先生を差し置き、市内では私の事務所がトップに出ているのだ。余分にお金を出しているわけではない。NTTに知り合いがいるわけでも特別なコネがあるわけでもない。しかし一番なのだ。なんのことはない、これは「あいうえお順」という法則のおかげなのだ。 なぜ一番が良いか? 理由はすごく簡単だ。 電話案内に電話を掛けてみればすぐわかる。「もしもし、八尾市で行政書士を捜してるんですが・・・」「行政書士さんですね、はい、現在8件の登録がありますが全て流しましょうか?」「いいえ、1件で結構です」「はい、かしこまりました。それではお名前は石井行政書士事務所さん、となります」「はい、結構です」 そしてテープから流れてくるのは、「イシイギョウセイショシジムショ。電話番号は・・・・・」 つまり8件目の方は全て流してもらわないかぎり、電話番号を読み上げてもらうことはないということです。名前でこんな得をしたのはもちろん初めてです。 余談ですが、この大法則が通じないところもありました。実は私の通っていた同志社大学では、どういうわけか、アルファベット順が基準なのです。「ア」行の方は同じですが、「イ」は「I」となりますのでなんと真ん中。欧米はアルファベット順だそうですね。
2004年03月28日
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朝晩はまだまだ冷えるが、日が昇るとさすがに春を実感する。春はあけぼの、と詠んだのは清少納言、実にうまい形容である。 昨夜の食卓にはエンドウ御飯が載った。糟糠の妻のコメントによるとハウス栽培とのこと。高知かどこかの産だったとか。いつものことながら、実によくわかる説明、家族一同納得だ。 ところで数日前、日本電○広告とかいう会社から封書が舞い込んだ。中を開け、四つ折りの紙面を広げてみると請求書だ。 あっ、あのことだな、とピンときた。実はタウンページに囲み広告を載せているのだ。別紙に証拠として切り抜いた広告が貼付してあったことからも間違いはない。年間料金が印字された加入者負担の赤書きの郵便局の振替払込用紙が同封されていた。 あまり期限もない。支払わないと、と思いながら、局に用事があったときは支払い用紙を忘れたり、持ち合わせがなかったりで、日が過ぎていた。 で、昨日の昼、午後から局へ行くので請求書を確認していると、「あれっ?」と、違うことに気が付いた。 そもそも担当者の話では、支払いは月払い、いつものNTTの請求書に加算してありますので、ということだったからだ。 年払いを申し出た記憶はないが、まっ、一度に支払ってそれはそれでもよいと思った。 それにしても金額が微妙に違うのである。高いのだ。計算機を叩いてみた。消費税を加算してもちょっと違う。 そこで紙面をくまなく読んでみた。 笑った。実に巧妙にできている。この請求書は官公署向けの電話帳に広告を掲載する際の料金なのであった。 そもそも官公署を相手に私の事務所の広告をする意味があるのだろうか? まさに吹飯ものの請求書だった。 舞い込むといえば、まもなくツバメが飛来する頃である。わが家にはもう30年来、毎年ツバメが飛来するのだ。その間、何度か巣が落ちるというアクシデントもあったりしたが、ずっと続いている。だからこの時節になると無意識に空を見上げてしまうのだ。 平成16年の春はまもなく本番である。
2004年03月27日
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あまたある外食レストランの中の「B○G △OY」というのがわが町八尾にある。営業してから結構年数が経つ。「カッパ寿司」に「函館市場」や「家族亭」に「ユニクロ」が軒を連ねる道路にあるので否が応でも目に付く。 子どもたちの好物であることと値段が手頃で、いつ行ってもそんなに待ち時間がないこともあって、ときどき利用する。 このレストランは早稲田ラグビーカラーを似せたかのように、路面頭上に突き出す電飾看板も赤黒で、店自慢の「手ごねハンバーグ」の文字は黄色だ。 目立つことにかわりはないから配色はどうでもよい。 店内の雰囲気も客の扱いも悪くない。ソファのゆったり感などは一級だと思う。肝心のハンバーグの味もそこそこうまいし、わずかの追加出費で付加される飲料等のサービスも悪くない。100点はごますりだとしても80点はつけられる店だ、と満足はしている。 ただひとつだけ気になることがあるのだ。それは「手ごね・・・」という文字。 中学のときに家庭科の実習でちらし寿司を作らされたことがあった。とにかく上にはごますりで下にはきつく当たる、ド派手化粧の婚期を過ぎた女教師はみんなの反感を買っていた。むかっ腹がたつ嫌な教師だったのだ。後は言わない。みなさんの想像に任せます。 というわけで、私の中での「手ごね」とはツメの垢や鼻くそに鼻水が充填されている、そんなイメージがあるのだ。それ以来、にぎり寿司なら何ら抵抗はないのに「手ごね」という言葉だけは病的なまでに過剰な反応を示すようになってしまっているのだ。繰り返しになるが、潔癖性でもない、トイレの後でもときどき手を洗うのを忘れる、普通のオッサンだが、「手ごね」という言葉だけはどうにもゴメンなのだ。 この日記を読まれた「B○G △OY」関係者の方、できれば「手作り」にかえていただけませんでしょうかね、後生ですから。
2004年03月26日
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昨日は雨が降っていたため予定を変え、徒歩で最寄りのJR志紀駅へ。そこから天王寺経由で谷町四丁目(行政書士会会館)へと向かった。 昔は天王寺といえばなんといってもアポロ。ロックキャンディーズ時代の谷村新司(桃山学院大生だった)がバンドを組んで頑張っていた。あと、駅北側のビル2階にジャズ喫茶があった。名前は忘れた。今天王寺と言えばMIOか? 構内の各路線をつなぐホーム中央の路線橋にはいろんな店が並んでいる。シュークリームで有名な何とかパパとかケーキ屋さんとかがある。「詳しいことは知らん」「えっ、どうして?」って誰か聞いてください。 えへん。ごほん。「甘いものには興味がないから!」 いずれにしても、どの店も結構な賑わいなんだが、中でもうどん屋が私のごひいき店。 きのうも帰路、いつものように店前の自動発券機でコイン投入、いつものように「きつね&たぬき270円」のボタンを押す。 のれんを潜ると気配で客とわかるのか、条件反射的に厨房越しからおばちゃんが大きな顔を突き出す。「○れっしゃい!」 「い」がないのがいかにも浪速のおあはん風だ。「きつねとたぬき」と私「あん?」「きつねとたぬき」「えっ?」「だから、きつねとたぬき」「?????」 待つことしばし。「はーい、一丁」 おばはんの野太い五本の指に支えられた「熱々、湯気ふうふうのうどん鉢」が私が待つ配膳台に押し出されてきた。 中を見るなり、「何これ?」と私。完全にポカンとしていた。「ご注文の、きつねとたぬき、です」 おばはんのしたり顔に、思いついた言葉が、「実は、きつねとたぬきはどっちがうまいのか、同時に食べて試してみたかったんですわ。えらい無理言うてすんまへんなあ・・・」 実はこれにはわけがあるのだ。先日来から金銭消費貸借契約の件でお客さんと詐欺師にはめられた話や詐欺師をやりこめた話をさんざん聞かされていた。「きつねとたぬきの化かし合いですな」と言って笑っていた。IT風に言うと、そういう情報が私の学習機能にインプットされていたのだった。 それがいつしか「きつねとたぬき」の話として集積記憶回路に保存され、プログラムミスでこうした場面で出てきてしまったというわけだ。 それにしても生まれて初めてうどんとそばの混じった油揚げ入り「麺類」を食べた。うまいもまずいもないというのが正直な感想。 いずれにしろ呆けの初期症状として、おそらくは生涯忘れることのない、記念すべき日となるはずである。 話は変わりますが「僕と彼女と彼女の生きる・・・」のラストにはずっこけてしまいました。盛り上げるだけ盛り上げといて、いざ鎌倉という時に萎えてしまってます。物語としては最悪、一番悪い形。シュールリアリズムの鉄則もなければ構造主義のかけらもない。ああいう終わり方では観客は絶対にスッキリしないし、続編すらも困難な終わり方。最初からずっとよかっただけに、あれでは素人のこしらえた学芸会の脚本と同じだ。
2004年03月25日
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バタバタ、忙しそうにしているけど儲かっていないことを竹田さん(栢野さん?)に言わせるとバタビンというそうですが、なら、気ばかり焦って忙しげに振る舞っているのはイソビンか? まずは東大阪の府税事務所で納税証明をあげ、ついでに中環沿いにあるAIWAの営業所に事務所の壊れたコンポを担架で運び込み、続いてN火災に立ち寄り、きれいな事務員の手から書類を略奪、軒続きの友人宅のドアをこじ開け、どういうわけか台所に置いてある不要のMOをひったくり、一旦帰所。一豊の妻には及ばぬがそこそこ妻の手料理粗食をかき込み、長原まで自転車で15分、そこからいつものように地下鉄に乗って谷町4丁目、書士会の宅建業申請研修会へ滑り込みという案配。肝心の研修会場到着予定時刻が未定というイソビン度で。
2004年03月24日
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府立高の合格発表日は受験生にとっては運命の日だ。大学のようにあちこち受けられない分、その心労は考える以上に大変だろうと思う。 うちの娘は私学専願だった。自分の能力と将来の進路や希望を考え、私学を選んだ。志望校がすんなり決まったわけではない。公立か私学か、昨年の10月頃まではかなり迷っていた。 当初娘にとって公立と私立は「自由と束縛」と捉えていた。誰だって自由がよいに決まっている。ところが自由にはどこまでも自己責任に基づくものであることを知って、考えを変えたみたいだ。 勉学をしないと将来の進路や希望が叶わない。自由の中でそれができるのかできないのか。どうやら自分に自信がなくなったようである。 3月の初め、高校から宿題をどっさり頂いてきた。はやくも受験勉強の始まりか。五教科分の問題集、4月8日には提出とのことで、遊んでいる時間がなくなった。 昨日は娘の携帯がよく鳴っていた。公立を受けた友人たちからメールが来ていたのだろう。友人たちはさぞかし落ち着かないにちがいない。だってそうだろう、滑り止めに受けた私学などには心情的にも行きたくもないはずだ。 それにしても、まもなく発表だ。そして娘の携帯もさぞかしやかましく鳴りだすことだろう。
2004年03月23日
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かつての学友にお遍路をされている方がいる。 知ったのは全くの偶然。何気なく立ち寄った本屋の書棚に記憶にある名前を見つけて取り出してみた。巻末のプロフィールを確認。やはり私の知っている彼女だった。 卒業後は東京で長らく教員をなされていたらしい。その後どういう経過があったのか不明だが数年前に退職され、今はお遍路をされながら執筆活動をされている。すでに数冊、お遍路に関する本を上梓されている。見つけたのはその中の一冊、文庫本にもなっているらしいから、この手の本としてはかなりの売れ筋なのだろう。 メールアドレスが書いてあったのでメールを送ってみた。「失礼なことにおぼえておりません。あのサークルの仲間で現在も付き合っている方はいません。でも嬉しいです。機会があったらお遍路先でお逢いいたしましょう」 返メールにはこう書かれてあった。 遠い昔、同じクラスになったこともない、ただ少しの間同じサークルで侃々諤々、抽象論を交わした仲にすぎない。私的なつき合いももちろんなかったから無理もない話だ。 お名前は「佐藤孝子」女史、書棚で見かけられ、気に入られたら是非ご購入を。アマゾンや楽天でも検索できますよ! 西国三十三カ所は夭逝した長男の供養のため、カミさんとまだ幼かった子どもたちとで二回満願した。子どもたちが巣立つ時に持たせるやるつもりで掛け軸に納経帳を人数分作った。自分たちはもう少ししたら笈摺を揃えるつもりでいる。 あと余裕ができれば(時間はいっぱいあるので)、夫婦でぜひ四国八十八カ所参りがしたいと思っている。もちろん子どもに手がかからくなってからのことだが、さて、いつのことやら・・・。 ここで少しレクチャー。 笈摺(おいずる)というのは、白い半纏(はんてん)のこと。昔は背が三幅仕立てになっていて、父母の無い人は白、父母の健在な人は左右を赤中央を白。片親の者は左右を白く中央を赤と決められていたらしいです。現在は着用する人は少なく、霊場の御宝印をいただき、「こよなき極楽浄土への身支度」のときに遺族に着せてもらうようです。
2004年03月22日
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やれやれ。またまた言論出版の自由か? 言いたいことが自由に言えない、暗い時代の残滓をいまも引きずり、抑圧とか弾圧とかいうすでに化石化した言葉を正義の御旗とするマスコミの、首尾一貫した論調にはもううんざりだ。 戦後マスコミがどれだけ言論の自由とやらを後ろ盾にし、その報道でいたずらに世間を迷わしては騒がし、世の中の常識を覆し、結果として風紀を乱し、社会の規律を壊してきたか、その罪を秤にかけたら政府自民党どころの騒ぎではないはず。偏重された報道、偏見を持った社説、それが売りだとわかっていても読者は簡単に騙されるのだ。 政治家や事業家は嘘をつくがマスコミは嘘をつかないという神話を作りあげるのに「言論出版の自由」というのは長い間格好の題材だった。 それが視聴率重視、紙面販売数量重視の昨今、勇み足がすぎて「やらせ」報道まで平気でやってのける。もはや命を懸けて守ってきた本来の言論出版の自由が「好き勝手に報道する自由」にすり替わってしまっているのが現状ではないのか。少しは恥を知れ。 暗い時代、暗い政権を擁護してきたマスコミが(彼らは一様にせざるをえなかったと自己弁護するが、結果的に擁護したんならそんな言い訳は見苦しい。素直に反省すればいいことだ)その自省から言論の自由を掲げるのは結構なことだし文句は言わない。 しかし、言論の自由は公共性や社会性のあるものに限られるべきであって、個人のプライバシーにまで言論の自由を振りかざすのは大人げないというより、幼稚そのもの。 少なくとも私は田中角栄の孫のことなど関心もないし、知りたくもない。のぞき見趣味も持ち合わせていないし、知る権利を主張する気もさらさらない。むしろマスコミ報道の真偽について大いに、身を乗り出したくなるほど関心がある。 今回の「週刊文春」の記事の内容は知る術もないが、裁判所が下した判断である以上、尊重しなければいけないし、すべきである。今こそマスコミは無知な一般大衆を味方につけた世論を後ろ盾にせず、正々堂々、法論争を展開すべきである。今回に限って言えば、マスコミの雄弁は後ろを振り返って世論に向かってするより、真正面の、長年の怨敵である司法に対してすべきである。
2004年03月21日
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仕事柄、権利や義務を確かめるため他人の戸籍を請求したりする。 戸籍謄本には人と人のつながりを書いてあるだけなのだが、これが結構作家魂を揺さぶってくれたりするのだ。 兄弟姉妹7人いるが、調査対象者はその中で一人だけ腹違い(妾の子)、幼くして養女に出され、どういう訳か短期間で戻され、すぐまたよそへ養女に出されている。大きく×を付けられた名前に物言わぬ無念さを感じてなんだか無性に泣けてくる。「どうして私だけこんな不遇な境遇なの?」「それは妾の子だったから」「でも私のせいじゃない!」「でも、それが世間というもの」 後年この女性は家庭を持つがまもなくして夫と幼い二人の子を残し、若い男と蒸発をしてしまう。非業な生みの母の汚名をまとい、わが子に会うことも許されず、いつしか男にも飽きられたのか捨てられ、過労から病魔に襲われ、身体の自由を奪われ、ついには誰にも看取られず、涙する人もなく、車に引かれて放置されたままの小動物のようにひっそりと死んでいった。 親の血を子が引き継ぐとはよくいうが、これも不浄な血がなせる業か。そうではあるまいと信じたいが、生まれ持った性根や業というものがそうさせるのかもしれない。やり場のない諦念にも似た感情がわき上がってくる。 場所は京都で時は秋だった。北山の杉木立に秋の気配はまだなく、緑の茂みは我関せずとばかりに、吹き抜ける古都の気まぐれな風に身を任せ、四方に揺れていた。
2004年03月20日
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日本が勝ってアテネ行きが決まった。20歳の娘は大のサッカー好き。TVの前でかぶりつきだ。時折コメントが入る。小職はチビチビやりながら頷くばかりである。「きょうの平山はダミーやね。平山の身長に脅威を感じ、彼へのマークがきつくなる。つまりはほかの選手へのマークが甘くなる。それが山本監督の狙いなんやろね」 と私に同意を求めてくる。 鋭い観察だ、と思った。私も昔はサッカー選手だった。俊足のハーフバックで中学時代は府の代表、高校時代は弱小チームながら一年から守りの守護神だった。今の選手でいえばジャパンの宮本選手あたりを想像してもらえればありがたい(どこがやねん?)、冷静沈着なプレーは玄人好みだった。 とにかくジャパンは勝った。「どこか若い頃の根津甚八似の大久保はよかった! 幼児虐待多発の大阪はさすがに暗いが、セレッソ大阪の今後は明るいよ」「明るいと言えばナショナルだ! 明るいナショナル、明るいナショナル・・・えっ、いつの間にパナソニックになったの?」 なんだかんだと言っても、いよいよアテネ。「アテネエ」なんて飲み屋のお姉ちゃんに甘えている場合ではない。「白い巨塔」も終わったのだ。あとは来週の「僕と彼女と彼女・・・」の最期を看取るのが中年ギャラリーの勤め。 一杯飲んで、わけのわからんことをほざきながらジャパンの勝利に浮かれて騒いでいると、そのうちカミさんの原爆が落ちる。原爆は怖い。マジで怖いのだ。足蹴りにはじまり、枕によるモグラたたきと続く。いやいや、うちはそれだけでは終わらないからすごい。 なんといっても究極の下着の糊付けイジメは強烈だ。ばりばりの下着はか弱き柔肌には堪えられないほど辛い。一度経験されるといい。その凄さ、惨さというのがわかるはずだ。 律令制度の刑罰には五段階あって、そいれぞれ「苔」「杖」「ズ」「流」「死」(うちのATOKはバカだからヒットする漢字が出ないのだ)というのがあったが、カミさんのは「ズ」に近い。 いつの日か、おそらく時節は夏だろう。木にくくりつけられ、「ミンミン」鳴く石井行政書士の姿を見る時が来るはずだ。確証はないが、どうもそんな気がする。そんな雲行きなのだ、最近。
2004年03月19日
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富豪の大家さんから依頼があった。「三ヶ月家賃が溜まってるんや。あんたの「力」でどないかして払ってもらえんやろか?」 力と言われても、私はカミさんを張り飛ばす力もないんですが、行政書士法にある通り、正当な事由がないかぎり依頼は引き受けざるをえない。「で、支払っていただければ良いんでしょうか?」「まっ、当面はそういうことやが、なんせ年寄り夫婦やから・・・」 支払いよりも居座られるのがイヤだ。即刻あんたの「力」で追い出して欲しいとのこと。 私にはそんな「力」はない、といくら言ってもこの大家は聞く耳すら持たない。笑うばかりで、その笑みの裏側には「それがあんたの仕事やがな」と、いかにも威圧的で断定的な笑いが嫌味なほどふてぶてしい。「ははあん、ということは年金生活者かなにかですか?」「うん。年金でももろう取ればそれでいいんやが、若い時分に掛けてないとかで、それもないらしい」「じゃあ、今の収入は?」「腕の良い建具の職人らしいが、なにせ年寄りで、しかもこの不況、日払いの仕事が不安定で」 午後、ほかの案件で面談のはずだったがキャンセルだったので、依頼案件の借家人の家へ向かった。とりあえずは事情聴取。 玄関のたたきに腰を掛け、話すこと1時間、その間二間しかない家の中の様子を探る。 ガラス障子が開いているので中が丸見えなのだ。履き物はしっかりそろえてあった。華美なものは何もないが、掃除だけは行き届いているな思った。老夫婦にとって月45000円の家賃支払いがいかに苦しいことか、よくわかった、と同時に、大家の追い出したい理由もうっすら解けた。 大家にとっては「追い出したらすべて終わりだが」、老夫婦にとってはそれからがいっそう大変だ。私は追い出すのが仕事ではない。みすみす路頭に迷う人を見捨てるほど非人情ではないつもりだ。 ノンバンクからの借入もあるとのこと。返済額は月20000円、収入が不安定すぎるので予定が未定とのこと。 私はみんなうまくいって欲しいと願っている。そんなことを話し、とりあえずは今月分は全額納入、さらに1万円でも余計に支払ってください。それで問題を一ヶ月先送りし、その間に対策を練りましょうと進言した。 頷いてくれたが、約束を守ってくれる保証はどこにもない。とにかく収入そのものが絶対的に少ない家庭なのだ。詳しく聞いているうちに、「なんとしてでも生活保護を受けるしかありませんな」という結論に達した。 さっそく明日市役所へ行ってくるからということで退去した。実はタバコの匂いがきつく、一刻も早く逃げ出したい気分だった。 ほかにも思いつく手がある、にはある。しかし今はこの線でいってみようと思う。こういう場合、いたずらに選択肢を増やすと迷いが出てしまい、結局うまく行かないことが経験上多いからだ。 家賃督促が身の上相談になってしまった(苦笑)
2004年03月18日
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このところどういうわけか詐欺絡みの受任がやたら多い。 景気が悪いといろんなところで人を騙してお金をぶんどる人が増えてくるようだ。 話を聞いてみると被害者はみなさん良い人ばかり。人を疑うことを知らない人たちが多い。 人間の良さが災いし、こうした事件の被害者になるというのもなんだか当たり前のようでいて、どこか不条理というか矛盾しているような気もする。なぜならまじめに生きる人が災いを受けるとするなら神や仏は無力だということになる。大げさな言い方だが、人類の精神的支柱が揺り動くことにもなる。 映画やドラマなどで悪いことをした人が更正する際、「これからは真人間になります」と宣言したりする。この真人間とは一体どういう人間なのか。宣言者とは対になる言葉だとするなら、真人間は騙されやすい人間ということになる。もっとも、騙して人から恨みを買うより、騙されて悔しい思いをするほうが良いのかも知れないが・・・、なんだか変な話だ。 悪いことをしたら、いずれ罰が当たる、と神仏は言うが、罰が当たる前に騙された人が沈んでしまってはどうにもやるせない気がする。 きょうも行方調べ。ここしばらくは毎日のように「小為替同封」をしている。郵便局との窓口ともすっかり顔なじみになった。
2004年03月17日
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神戸に叔母さんが住むAさんから「イカナゴのくぎ煮」を頂いた。市販のものは妙に粘っこいが、頂いたくぎ煮はサラサラ、箸にまとわりつくことはない。味? もちろん美味であった。 次がホタルイカ。こちらは氷見市に住む友人が送ってくれた。おそらく送料のほうが高かっただろうと思われる。酢みそで食べるのだが一番だが、丸ごと食べると目玉が固くて口の中で歯とかち合わせする。行儀が悪いが箸の先で目玉をくり落としながら酢みその上に。 その次がイイダコ。濃口醤油で甘辛く煮る。今の時期、イイダコの頭の中には卵が一杯詰まっている。もちもち歯にまとわりつくような感触がたまらない。イイダコは近くに住む長姉がくれた。 最後は大トロ。顧客の建設会社社長が持ってきてくれたのだ。さぞかし高かっただろうにと思ったが、下請けから頂いたので遠慮なくということだった。それにしても脂が乗りきっていて、よい艶だ。枚数を数えてみると9切れ。さすがにこればかりは家族で等分に分配。自由博愛平等主義を重んじるわが家の良きところだ。 ところがあまりが出る。あまりはどうすべきか、と悩んでいたら、黒柴の愛犬ナルがワンと吠えた。このひと吠えで決った。わが家にも、まもなく春がやってくる。そんな気配を感じた夜だった。
2004年03月16日
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栢野さんの本を読んでます。人生いろいろ、と歌にもありますが、ほんといろいろですね。しかし大事なことは自分を冷静に観るということ。自分が見えないようでは成功はおぼつかない。でも凡人は人のことは結構見えるけど自分のことは観ようとしても見えないもの。 このあたりに忸怩たるものを感じ、本を読んでいると「きっかけ」というものの偶然性が実は運命的なのだということを知る。じゃあ、何がきっかけなのか、まずそこがわからなければどうしようもない。おそらくはピンとくるものなのだろうとは思うが・・・。
2004年03月15日
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どういうわけか、大事な時に来客が多くなる。今回もそうだ。あすは建設業経理事務士の試験、普段の不勉強を挽回すべく、追い込みをかけているが、そんなわけで中断のしっぱなしとなる。きょうも10時に運送屋さんが来られる。案件は交通事故。物損で相手とうまく示談ができないでいるのだ。長くても1時間ほどでお帰りいただく予定だが、ほかにも相談したいことがあるというから、果たしてうまく行くかどうか。 試験は年一回、落ちたら一年先、気ばかり焦る。パレートの法則を当てはめれば私など残りの80に入るはず。なんとしてでも20を目指す。 そんなことを考えながら事務所に張られた、 人に感謝、物に感謝 を仰ぎ見る。「いかんいかん、わざわざお客さんが来てくださるというのに、おまえはどうしてイライラしているのだ」
2004年03月13日
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きょうは末娘の卒業式。カミさんと行くはずだったが家の前で交通事故。軽トラと同じ中学の女子生徒が出会い頭衝突、けがのほうは擦り傷だけで(けど打ち身が心配)、本院も元気で、たいしたことはなさそうだが、目撃者のカミさんは卒業式に遅れるとか言ってすたこら退散、「あんた最後まで責任もって見届けたりや」との捨てぜりふを吐いて近隣のおばはんたちと連れ添って出ていった。「責任もってて、おれ加害者とちがうがな?」「野次馬根性丸出しの、世話好きの、そんな大人の責任という意味やん」 そんな責任聞いたこともない、が、まっ現場にいるわけだし、仕方がないか。 連絡先を聞けば両親は仕事だとか。中学に電話を入れると先生が走ってきた。事態を確認、本人が元気そうなので「卒業式でバタバタしてまして・・・先に病院へ送って下さい。式が終わり次第あとから追いかけますので」とこちらも退散。 結局、目撃者でもない私が残ることに。きっちり車の運転手には営業用名刺を渡しましたが、セールストークなどはとても出来ない状況で・・・・・。
2004年03月12日
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昨日の陽気からすると「春うらら」はもうすぐ。田畑の畦にはスミレや菜の花が咲き乱れ、清流にはメダカがスイスイ泳ぎ、見る者を楽しませてくれます。 春といえば大阪の旅行会社では今「ハルウララ応援ツアー」なるものが話題を呼んでいるそうです。 デビュー以来勝ったことがない最弱の競走馬がハルウララ。何とか勝たせてあげて! とのファンの声にあの武騎手が騎乗するとの噂?があるらしい。みなさん春といえば球春甲子園が代名詞ですが、今年は高知競馬場が熱いようです。 ところでわが家の今年の春は「新子」からやってきた。近所の奥さんの実家が愛媛で漁師をされている。そこから送られてきた新子をお裾分けしてもらったのだ。 人から物を貰うにも、なぜか重なることが多い。隣の家からは釣ってきた魚を頂いたし、ちょっとしたトラブル相談を受けただけなのに村人からはケーキを頂き、顧客の社長さんからは香港土産のナポレオンを頂き、パソコンの調子がおかしいというので駆けつけ、1時間ほどかかって直したら、ビールギフト券を20枚も頂いた。 夕食時、目の前に並ぶ頂戴物を手に取りながら末娘がコメント。「なんでお金くれへんのかな?」「・・・・・・」みんな沈黙。「絶対お金のほうが有り難いって」「・・・・・・」またまた沈黙。「くれはるだけありがたいと違うのん?」 やっとカミさんが口を切った。 毎年わが家の四月はタケノコ責めだ。みんな掘ってきたとか貰ったといってお裾分けをしてくださるのだ。 なにも春だけに限らない。近隣の老人などは畑のネギやキャベツや白菜などいろんな物をくださったりする。数ある中でうちに物を下さる、そうした人々の心が実に嬉しく感じるのです。 人に感謝、物に感謝、です。
2004年03月11日
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昼間穏やかで暖かくても夕刻になると風が強くなり気温がぐんぐん下がったりする、変な気候ですね。 変といえは若村麻由美夫妻と水野真紀夫妻に対するマスコミの取り上げ方。 片方はうさんくさい悪者扱いで片方は若きプリンスとプリンセス。宗教家でも大宗教ならこういう報道の仕方はしなかったはず。抗議を申し込むと戦前を例に持ち出し、報道の自由だのとか、なんだかんだと伝家の宝刀を振りかざすのが彼らのやり方。 プライバシーにしてもそうだ。殺された幼子の顔写真は遺族の了解もなく平気で出す。そのくせ少年法だからと殺した少年の顔写真は伏せ通す。亡くなれば人格もプライバシーももはやない解釈しているようで、遺族の心情など全くお構いなし。 そのくせやたら同情や憐憫の意を表し、被害者宅前や犯行現場でカメラを回し、善良な市民がどうしてかくも凶悪な犯罪の犠牲者にならなければならないのかと正論をぶったりする。 鳥インフルエンザで自殺されたご夫婦もマスコミによって集って叩かれた。若村麻由美の件と同様、悪者に仕立てあげられたのだ。あのご夫婦が鳥インフルエンザを培養していたなら非難もすべきだし、責任を問い詰めるべきだ。しかしそれは司法の手によって公平になされるべきもの。ペンの自由で事実確認もせずいい加減な憶測で書くべくものではないはずだ。 きょうは告訴状1本、欠陥住宅の修理請求通知書1本、運送業さんがパニクッて持ってこられた決算書の作成する予定。あすは午後から書士会主催の経営事項審査改正に関するセミナーに参加するのでなんとしてでも今日中には終わらせないとこちらがパニクッてくる、
2004年03月10日
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世の中、小説よりも奇なり、とよく言いますが全くその通りですね。 先日のご相談は女性(敢えて歳は書きません)、結婚前に付き合っていたセク友とのツーショットの件でご相談を受けました。 余談ですが、こういう呼び方をするのを小職ずっと知りませんでした。面談中なんども連発されるセク友に、学生運動時代の小職はきっと同じセクトの友だちの略かな、とぼんやり解釈しておりました。 で、問題なのはツーショット。先日自分によく似た女性が投稿雑誌に載っているとご主人から詰め寄られ、実際雑誌を見せられました。目の部分だけ備長炭で消されているものの、実によく似ているのです。乳房の上のほくろの形や笑うと出来る頬のえくぼなど言い逃れできないほどそっくりなのです。その場はなんとかシラを切り通しました、とのこと。 翌日、元彼の会社に電話、問いただしたら、あっさり白状。「悪気はなかったんや」 とのことですが今後のことを考えると不安でしようがない。「そこで先生、どうにかして下さい」 というご相談です。 撮ったのはバカチョンカメラ、ネガがあるらしい。とりあえずはこのネガの引き渡しを申し出、あっさりゲット。次に実印押印の念書を作成。もし破った場合は刑事告訴、さらには慰謝料を請求、これにも了承したため和解成立。強面の男だったらどうしようと思っていたら恐れるに足らずのふにゃチン、小心男。ああ、それにしてもどんな写真だったのか、ちらりでも観てみたかったです。 今は携帯カメラ時代ですよね。知らぬ間に撮られてITにばらまかれたら大変です。身に覚えあるみなさんは気をつけましょうね。
2004年03月09日
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きょうは内容証明2本、戸籍謄本2通を出したり請求したりする一方、宅建業法の瑕疵担保責任を根拠とする損害賠償請求書を作成する予定だが、肝心の、聞き取って概要を書き留めたメモ書きが見つからない。結局6時に起き、仕事をはじめてすぐに気づいて探し出し、見つかったのが7時前、「なにやってんの?」と笑われそうだが、確かに我ながらもこのドジ加減さには笑ってしまう。 業務が重なってくるとファイルの整理が大事になってくる。当たり前の話だが、当たり前のことをきちんとできないので困ってしまう。補助者用(カミさん)にと買った事務机の上には同不順の案件資料や書類がてんこ盛り状態なのだ。 そこで30入る引き出し型のファイルケースを買ったが、困ったことに一々引き出しを開けないと中身を確認することができない。表にシールを貼れば解決するが、まさか依頼者名は書けないし、案件を書くのも躊躇する。とにかく鍵がかからないから迂闊なことはできないのだ。 そこで「なぜか仕事がうまく行く人の習慣」に書いてあったハンガーホルダーを買うことに決めた。アスクルで明日来る? かどうかわからないが、とにかく良き解決策にはなるはずだ。
2004年03月08日
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宮本輝という在阪の作家がいる。たしか今でも伊丹市に住んでおられるはずだ。業界内での評判はあまり良くない人ということだが、浅田次郎や藤沢周平と同様、泣ける小説を書ける人だ。一時期インスタント珈琲のCMに出ていたのでご記憶の方も多いかと思う。 彼の代表作はなんと言っても川三部作と呼ばれるものだが、もちろんそれらもいいんですが、ためしに一冊読まれるなら「月光の東」をおすすめします。 中学の一時期級友だった塔屋米花という女性への淡い思い。中年になった主人公がふとしたきっかけから米花を探索する心の旅に出る。米花の辿ってきた半生を知るうちにすっかり小説という虚構の中にどっぷりのめり込んでいる自身を発見します。 なんといっても宮本輝の作品によく出てくるのが「人の死」で、つぎが「錦繍」などにも出てくる「中学時代の、どこか薄幸で、なぜか気になる女性」です。 ともすれば日常生活に忙殺され、ゆっくり自身を顧みる時間のない中年諸君にとっては、一読の価値あり、かと思います。文句なくいい小説です。
2004年03月07日
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昔は「痩身」だとか「ダイエット」といえば「美しくなる」ということで女性だけの関心事であった。 ところが近年は平均寿命が延びたこともあって、みんな健康には気を遣うようになった。特に成人病は目の前の天敵なのである。その中でも肥満は万病の元と言われ、美容目的だけでなく今は痩せることが健康を保つ大事なキーワードになっている。 関心がある=目にとまる、という数式が正しいとすれば、営業を考える上においてこの痩身とかダイエットというのは大事なキーワードということになる。 そこでいろいろ考えてみた。 ・特定調停ですっかりスリム! ・悪質商法にはクーリング・オフでダイエット! とここまではなんとかよかったが、 ・相続でなんと激痩! ・相続時精算課税選択制度利用ですっかりダイエット! となるともはやユーモアなどとは言えない気がしてきますね。
2004年03月06日
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人は常に求道者である。もうこれで良いなどというものはない。たどり着いたところがまた新たな一歩、始点なのだ。 ところが仏教の世界では、もうこれで良いと思われた方々がいる。そうした境地を悟りと呼ぶ、あの有名な釈迦如来をはじめ、大日如来、阿弥陀如来たちだ。東大寺の大仏は人間たちが想像上作りあげた如来ということでルシャナ仏と呼んでいる。 ついでに菩薩と呼ばれる方たちがいるが彼らはもう少しで悟りにたどり着けるであろうとされる修行僧のことを指す言葉である。仏教が西洋の宗教と大きく違う点は同じ求道者としての他者の存在を認めるかどうかである。 ところで我々凡人などには「もうこれで良い」という言葉など絶対に言えないものだ。もし、かりに言える方がいたとしたらその方のは悟りではなく奢りだ。「広き門より狭き門から入れ」とアンドレジッドは書いた。H風に解釈するまでもなく笑)、求道者(求穴者と呼ぶ方もあろうが)にとっては的を得た言葉である。「井の中の蛙 大海を知らず」という言葉がある。言葉通りで解釈の余地はないが、敢えて加えてみた。「しかし、空の高さは誰よりもよく知っている」 昨日は栢野氏の話や仕草の中に仕事に懸ける、ほとばしる情熱というか勢いを感じさせていただいた。私も生涯求道者であることを肝に銘じ、きょうから新たな気持ちで仕事と向き合おうと思っている。
2004年03月05日
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ひととよう、とかいう女性歌手が唄う歌だ。誘い込むような流れ込むような出だし、歌全体のリズムが良いし歌詞もなかなかのものだ。桜の森山○○朗もそうだが、最近の若者の歌には静かな落ち着き、鑑賞に堪えうる歌が多いように思う。ひと頃の何を唄っているのか、どたばた騒がしいだけの歌はすっかり影を潜めたかのようである。(もちろん死に絶えたわけではなくどこかで棲息しているはずではあろうが) 歌とは本来こうあるべきものである。つまり世代を超えた人に傾聴してもらい、口ずさんでもらうものなのだ。耳が痛くなるような声でがなり散らして唱うのも手法としてはそれはそれで良い。しかしそもそも万人に聴いてもらえなくては歌そのものの価値は低いと言わざるを得ない。かりに一部の好事家の絶大なる支持を得たとしてもそんなのは、単なる騒音でしかなく、ただただ、はた迷惑なだけである。 ここで問われているのは表現力だ。騒音だと感じられるような方法でしか表現できないようならその歌は失敗作である。探せば有るはずである。それをできる表現者こそ万人の支持を得る真の表現者なのである。
2004年03月04日
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卒業式を来週に控え、これまで学校にあったものを持ち帰れとでも指導されているのか、ときどき居間に見たこともないテストの束や何重にも巻かれた画用紙がドサッと投げ出した状態になっている。自分の部屋はきれいにするのに、とカミさんがぼやきながら一枚一枚広げてはパッキングケースに押し込んでいる。 はらりと一枚床に落ちた。原稿用紙だ。なにやら書いてある。何々とばかり手にとって広げた。 毎年納税週間に国税局が学生に税に関する作文を募集している、その応募作品だった。元々文章を書くのが好きな子だったが、ずいぶんうまくなったな、と感心した。おそらくこの日記を読むことがないと思うので掲載することにします。 「無駄づかい」 納税は国民の義務であり、収入に応じて一定のお金を納める。納められたお金で学校や河川や道路等、安全や健康を保つために使われているのだということを私は知っている。 しかし税金がどういう仕組みで、誰の判断で分配されているのか、これまで知りたいとも思わなかったし、気にもしなかった。 ところが先日、テレビである人が、一日の利用が数台しか見込めない過疎の村に高速道路を造って税金を無駄づかいしている。そんな地方の田舎に大切な税金を使うのはもったいない。もっとたくさんの人が恩恵を受ける都会で使うべきだ、とたいへん怒っていた。 この人は税金の無駄づかい、を責めているのだと思うが、この人の言っていることが正しいのか、まちがっているのか、私にはよくわからない。 しかし人口の多い少ないということだけを基準にして税金を使うというのはよくないような気がする。なぜなら多数決の横暴そのものだからだ。 ところで、無駄づかい、という言葉がでると私は少し後ろめたい気分になる。というのも私は毎月、親から「こづかい」という名前の税金をもらっているからだ。「無駄づかいだけはせんといてや。お父さんやお母さんが働いて稼いだお金やねんから」 時々、買わなくてもいい物を買ってしまったりしてしまうクセがある。「買いたいからいうてもすぐ買わんと、一回はガマンすること」「余ったら来月分に残すこと」 私自身、「こづかい」をもらうのが当たり前になってしまっているが、親が倒産やリストラにあって、もらえない人もいるはずだ。「もらえるだけでも、ありがたいと思てな」 いつも母にこう言われる。 私も来年は高校生、こづかいもアップしてもらわないと困るので、これからは少し家事の手伝いでもしようかと思っている。 ついでにお父ちゃんのこづかいアップも言うてんか!
2004年03月03日
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「くらしの豆知識2004年度版」が刊行されている。 名前の通り暮らしに役立つ知識がてんこ盛りだ。 契約のトラブルにはじまり○×商法の手口、加工食品に関する蘊蓄、医療、インターネット、自己破産の手続き、介護福祉、車に関すること、相続、任意後見人などなど、これ一冊で行政書士不要という優れもの。 これだけ揃って定価がなんと驚くなかれ「450円」、しかも安心の税込み価格、ご家庭に一冊、わが家の守護神、発行は国民生活センター、発売は全国官報販売協同組合となっております。 この本のすごさはポケットサイズによくぞこれだけの情報をコンパクトに、しかもわかりやすく収めている点です。品揃えの豊富さではまさにキヨスク並みです。
2004年03月02日
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超有名なケリー・グリーソン氏の題名をそのまま使いました。 それにしても仕事が増えてくると自分の仕事能率の悪さがやたらと目立つようになってきますよね。まったく手をつけてない案件、中途半端で放置したままの案件、加えてプライベートな案件などが前後左右に重なってしまう、このように未消化のままというのは精神的によくない。いらいらというか「早くしないと!」という強迫観念がオーラのように全身を取り囲み、その呪縛に苦しむようになってしまい、せっかくの休みの日も好きなことに熱中すら出来ず、おかげで気分転換すらできない状態。 でも心配ご無用、このような悩みを解決するのは実に簡単なことなのです。そう、ケリー氏の言うように実行すればいいのです。「優先順位など付けず、まずは目の前にあるものから取りかかる」「言い訳言わずにすぐにやる」 とりあえずはこの2点、みなさんも実行されてはいかがです? それともまず本を買って読みますか。それもいいですね。でも読む時間がないって?(笑)
2004年03月01日
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