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久しぶりに予想をいい方向に裏切ってくれる面白いSFを見ました。だいたいこれ系のエイリアンものはB級だからなあ。ダンスでB級と言ったらかなりいい方ですが,映画では違いますからね。舞台は南アフリカってところがまず気に入りました。これがワシントンだのロスだのだと、『またか』って感じです。ドキュメンタリー風に作られていて、主人公を含め回りの人たちのシリアスなインタビューが織り交ぜられているので、見て行くうちにまるで本当に起きていることのような気がして来るんです。1982年にヨハネスブルグ上空に突然やって来た宇宙船。宙に浮いたまま動かないので軍隊が行ってみると、餓死しかかったエビみたいな宇宙人がうようよしてました。仕方なくその宇宙船の下に難民キャンプを作って、エビちゃんたちを収容。第九地区と呼ばれるようになります。このエイリアンたち、超高度な武器とか技術を持ってるのに全部人間に没収されていきなりサバイバル生活を強いられるんですね。多分人間だって、そんな状況に置かれたら車や冷蔵庫なんか一人じゃ作れないし同じような惨めな生活になるんでしょうね。彼らはキャットフードや腐りかけた生肉なんかを好み、そのスラム化した地区に居着いてしまいます。人間側からはエイリアン立ち退き運動が盛んになり、MNUが設立され,そこの職員ヴィカスがリーダーとなって、もっと人里離れた第十地区に彼らを移送することになりました。今や180万に増えたエビちゃんたち、中には頭のいいのもいるんですよね。故郷の星に帰るためにゴミをあさりながら20年間少しずつ液体燃料を精製していた科学者クリス(という名のエビちゃん)とその息子。地下に秘密の実験室を持っていて、母船に帰るための宇宙船も隠していました。クリスって見た目は悪いですけど尊敬に値する非常に高潔なエイリアンで、それに対して人間のヴィカスの方は、軽薄なお調子者なので、エイリアンの方がえらく見えたりするんですよ。クリスは移送計画に抵抗します。せっかく作ってた宇宙船が見つかっちゃいますからね。クリスの家を探索中,誤って彼の精製していた液体をヴィカスが浴びてしまうんです。これが今までになかった大変な事件の引き金でした。液体を浴びてから少しずつヴィカスの様子が変わって来ます。なんとエビちゃん化が始まるんです。この半人間半エビちゃんの貴重なDNAを、エイリアン研究しているMNUは欲しがります。変体しながら逃げまくるヴィカス。もう人間は味方ではありません。思いあまって第9地区に逃げ込んだヴィカスは、そこでクリスにあの液体がどれほど貴重なものだったかを聞かされます。人間対エビちゃん、人間対ヴィカスの血みどろの戦いが続くんですが、ヴィカスの変体が進むにつれてだんだんエビちゃんの味方になって行く自分が、なんとなくアバターの時に似てると思いました。みそっかすヴィカスも、最後にはいいとこ見せます。数年前まで黒人に対する人種差別で大きく問題視されていた国が、いまやエイリアンに対する差別問題でゆれています。(フィクションですが...)これは凄いブラックユーモアなんでしょうね。多分一回見ただけでは分からないようなたくさんのネタが画面のいろんな部分に仕込まれているんでしょう。公式サイトもなかなか凝ってます。予告編はこちらです。第9地区
2010/04/30
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最近、ネーブルオレンジにはまっています。ビール全然飲まなくなって、水分補給はオレンジなんて1年前なら考えられない状況。身体には良さそうですけどね。食べ方は非常にシンプルで、6つに包丁で切って厚い皮だけ剥いてそのままムシャムシャ。糖度12度以上がお勧めです。ところで、スペインではオレンジュースと言えば必ず生絞りでした。自販機でもそうなんです。(こちら)オレンジがゴロゴロ入ってる販売機がバルセロナ空港にあって感動しました。売れ行き悪くて腐ったりしないんだろうか。ちょっと心配でした。
2010/04/29
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偶然か必然か。この映画では、未来のことすべてが決められているといっています。地球の運命を知ってる(knowing)宇宙人がいるんですね。いつ、どこで、どんな災害が起こるか。人類滅亡の日はいつか。50年前に小学校に埋められたタイムカプセルが開けられ、子供たちは当時の子供たちの描いたメッセージを一人一人が受け取ります。ケイレブが受け取ったのは、びっしりと数字の書かれた意味不明の紙。その暗号を解読したのは、父親で宇宙物理学者のジョン(ニコラス・ケイジ)でした。そして大変なことに気づいてしまいます。『もうすぐ、人類は滅亡する。』滅亡の原因は、太陽の異常活動です。巨大な太陽フレアが地球にも到達して、焼き尽くすという話し。人類はなにか対策はないのかと、見終わった後とってもがっくりきましたね。こういった宇宙現象は予測不能ということなのかもしれませんが、いままで築いて来た全てのものが一瞬にして焼き尽くされてしまうんですもの。人間が絶滅危惧種を保護するように、宇宙人も地球が破壊する前に人間を含めた地球生物のいくつかを保護しようと乗り出して来るんですが、人類としては打つ手なし。大将と映画館を出てから、『それじゃ、人類救出のためにどんなことができるか。』いろいろ議論しましたけど、結局、こんなに備えなしでは人類の存続は不可能という結論になりました。無力ですね。自分の身体の中で、今滅亡しかかっている風邪菌の気持ちがわかる気がしました。(早く滅亡してくれ!)予告編はこちらです。ノウイング
2010/04/28
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なぜか分からないけど『そういうもんだ』と信じていて、ずーっと後になって間違っていたことに気付く、みたいなのありませんか?思い出すだけで心の中で『あ″ー!』って叫んでしまうような情けない思い込み。私は『チーズ』でした。皆さん、写真撮るときどんなかけ声で撮りますか?私が子供の頃、『チーズ』っていうのが主流だったんです。一体誰がそんなこと言い出したのか、なんで(写真=チーズ)なのか、私には意味が全然分かってなくて、それでもいつも『はい、チーズ』っていって言われるままに、『チーズ』って言ってたんですよね。そのせいで、私の子供の頃の写真は全部口が『ズ』の形になって写ってるんです。みんな笑ってるのに、一人だけ口がタコみたいに尖ってるんですよ。中学になってから、『シャッター押すまで、チのところで止めとく。』ってことを友達に教えられて、己のアホさを嘆きましたよ。なんで『チーズ』なのか、どうしていままで疑問に思わなかったんだろう。ああ、私の小学校時代の写真は全部抹殺して欲しい。笑顔で写真に写るためならなんで、『カニ』とか『工事』とか『おうち』とか、口が最後に笑った形になる単語にしなかったんだろうなんて、『チーズ』って言い出した知らない人を責めたり。寅さん映画だったか『チーズ』を『バター』と言って写真撮ってるシーンで偉そうに笑ってましたけど、『ター』の方が『ズ』よりマシなくらいですよ。皆さんはそんな思い込み、ありませんか?
2010/04/27
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先日のグランプリの様子を久しぶりにビデオで撮りました。ところが、シャイな私達はビデオをセットした位置から大変遠いところ、もしくは死角となるところでほとんど踊っていたため、他の選手に隠れてちらっとしか映ってませんでした。そこへバーバラさんからありがたい贈り物が届きます。至近距離で、ずっとビデオで追って下さっていたんですね。踊りは大した事無いんですが、映像が美しくて見とれました。先週レッスンに早速そのDVD持って行ってまずサマンサ先生に見て頂きます。サマンサ先生もゲホゲホの風邪です。(私が移したのかも)先生はサンバが気になったとのことで、大将が出だしから絞られていました。続いて師匠にも見てもらいます。師匠のレッスンは全く踊りなし。ずっと説法で終わりました。師匠って実はお話大好きなのかも。すごい表現も跳び出しましたよ。『音の隙間をボディビートの粒子で埋めて行くのね。』オー原子物理学か。私の骨の隙間は脂肪の粒子でびっしり埋まってますけどね。『身体の中を流れるエネルギーの太い波がね...』哲学的な話しも出たりして、大将は知ったかぶってましたが私はほとんど顔全面に『?』マーク出しっぱなしでした。『この話し、難しいでしょ。』『はい。わたしはどーすればそれを体得出来るのでしょうか。』まるで禅問答のようでした。結論から言うと、答えは自分で見つけろってことのようです。師匠の教えているプロの先生方でもなかなかそれを体得するのは難しいようで、でも私達のよく知ってるある先生はそれがやっと分かったと言ってたそうです。実際、その先生方の踊りを私達はとても好きなので目指す方向は分かります。なんて言えばいいのか、磨き抜かれた玉のような全ての角が取れた、しかも非常にパワーを感じる踊りなんですね。細かく『そこ直せ、ここ直せ』って言われても、自分で何故そうしなければならないのかをはっきり理解しない限りまた堂々巡りで踊りが戻ってしまうだけなので、自分で悟るしかないようです。いつかそれが理解出来て、体現出来る日が来るまで、修行は続きます。
2010/04/26
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ルパン生誕100周年を記念して作られた作品だそうです。2004年フランス・イタリア・スペイン・イギリス合作映画。子供のころ、これ系の本は図書館にあるのを全部読みましたが、彼は殺人はしない庶民の味方、おしゃれな紳士、変装の達人、そして天才的怪盗でした。ところが映画の方はそれよりは遥かにセクシーでワルでちょっとコミカルなルパンだったですね。あのモンキーパンチの『ルパン三世』の血筋っていうのが凄く納得出来ます。お話はルパンの子供時代から20代の活躍が中心で、『カリオストロ伯爵夫人』がベースになって作られています。不老薬のお陰で美しさを保ったまま超長生きしているカリオストロ伯爵夫人と、ルパンと、ルパンの父親が、三つの十字架に秘められた王家の財宝の隠し場所を競い合います。『813』とか『奇岩城』とかの要素も出て来たり、19世紀のルーブル美術館が出て来て見ていてワクワクしました。ルパン自身は殺人はしない主義なんですが、周りの人間が殺人鬼ばっかりなもんで、ちょっとドロドロしてる上、オトナ向けフランス映画なのでご家族で楽しむなら『ルパン三世』の方がいいでしょうかね。先日ご紹介したシャーロック・ホームズもそうでしたが、なんか完結してそうでいて続きが出来そうなそんな終わり方でした。ルパンの息子も登場します。監督・脚本がジャン=ポール・サロメ、原作は皆さんご存知モーリス・ルブラン。もう一つ驚いたのは、カリオストロ伯爵夫人を演じたクリスティン・スコット・トーマスがフランス語ペラペラだったことですね。私が一番好きな俳優レイフ・ファインズと『イングリッシュ・ペイシェント』という映画で共演してたんですが、調べてみたらイギリス人ですけどフランス人の医者と結婚してパリに住んでるんみたいです。彼女は2010年のカンヌ映画祭のオープニングで司会を務めることになっているとのこと。予告編はこちらです。Arsene Lupinワルツ上手です。
2010/04/25
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スペインの世界選手権で私達が参加したのはIDSFというアマチュアの国際団体が主催するものだったんですが、同時開催でプロの試合の行われていたんです。それがIPDSCという2006年にIDSFが中心になって設立された世界プロフェッショナル競技団体で、日本では2007年にJPBDAが参加しています。私達が踊った同じフロアで、プロの世界選手権も行われていたんですね。実はさっきまで知りませんでした。YouTubeに優勝したイタリアの選手、ステファノ・デフィリッポ&オルガの動画が出てて、あれっと思ったんです。彼は確か去年アマで世界一を取ったあとパートナーをクリクリビーにとられて、別の女性と組んでターンプロしたはずだったのに、なんで同じフロアで踊ってたの?そしたら、プロの試合もやってたんですね。大将が会場で『デフォリッポがいたよ。』って言ってたんで、まさかねと思ってたら、本人だったみたい。こちらです。stefano and olga cha cha cha champions
2010/04/24
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また、ルンバウォークでもめています。もう何度もレッスンしてるしブログにも書いてるんですけど、いつのまにか形が崩れて来て、お互いに相手のルンバウォークが許せなくなる時があるんです。練習の始めに『あんたのウォークは間違ってる!』と言い合い始めて全く練習にならなかったので、初心に戻ってエスパンのレッスンビデオを見ることにしました。ビデオ見てもよく分かりませんでした。確かに大将の言う通りかもしれないんですが、まだ納得できてません。自己解釈で間違った方向に練習してもしょうがないので、またレッスンで聞いてみようと思います。自分ではこんな風に踊ってるつもりなんですけど、端から見たら全然違うんだろうなあ。スラビックとカリーナのルンバウォーク
2010/04/23
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<鉄子の部屋>去年山手線命名100周年記念のチョコレート電車をご紹介しましたが、似たような色の阪急電鉄の方も今年100年だそうで、こんな記念電車が走ってました。でもこちらはチョコじゃなくてマロンですよ。マルーンカラーと呼ぶんだそうです。先日グランプリで大阪に行った時、十三(じゅうそう)の駅で撮ったものです。あんまり関東地方の方にはなじみがないかもしれませんが、関西に行くとよく利用してました。こちらのサイトでは、十三や岡町、梅田駅の今昔の様子が見られますよ。お得な一日記念乗車券もあります。
2010/04/22
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まだ咳が続くのでザビエル先生のところに伺いました。もらってあった薬が切れて、職場で内蔵が飛び出るくらい咳き込んでしまいちょっと怖くなったから。先生もすっかりダンス競技会事情に詳しくなって来て、『この前の試合はどうでした?』なんて言われてしまいます。マットレスのカビが原因なんじゃないかって話しもしてみました。『カビが肺に入ると咳が長引くことがあるんですよね。』一応、結核かもしれないからレントゲン撮りましょうなんてことになってしまいます。この日は6時過ぎに検査の方が続々と来られて混んでたんですけど、ひたすら咳をこらえつつ順番を待ちました。もし結核なんてことになったら、競技会でお会いしたみんなに菌をバラまいて来たことになるしただ事じゃないです。そうなると入院になるから、火山の噴火以前にブラックプールだって危ういぞ。カビで肺が真っ白なんていう人の話をテレビで見たことも思い出して気持ちはますます暗い方向へ。名前が呼ばれて診察室に入ると、ザビエル先生が『肺の方は大丈夫ですね。競技会って何曲くらい踊るんですか?』この先生、面白いです。私のレントゲン写真はもう出来ていて、まっさらな肺と元気な肋骨が並んでおりました。毎日牛乳ばっかり飲んでるから、『咳しすぎて肋骨が折れました』なんてことには絶対にならないな。結局、頑固な風邪が養生しないせいで居座ってるだけってことになって、またお薬をもらって帰ってきました。ゴールデンウィーク前になんとか治って欲しいものです。皆さんは何か免疫力アップのためにされてることはありますか?
2010/04/21
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マットレスのカビ落としってありますか?ホームセンターで聞いたら冷たく『ない』と言われてしまいました。寝具売り場で聞いてみても、カビないようにマメに干さないとダメなんですよねなんて言われてしまいます。フローリングにマットレス敷きっぱなしなんていうズボラなことはしてはいけないそうですね。ああ。お気に入りのマットレスだったのに。花粉の季節になってからは全然干してませんでした。さらにここ1ヶ月続いた咳系の風邪で夜中に3回も寝汗で着替えるという事態が続き、気がつけばカビ。下に敷いてあった除湿用マットも限界を超えていたようです。もう取り返しがつきません。大将が裁ちバサミ持って大手術。中までかびてないかもしれないから、ということで何層にもなってるマットレスの表面3層を切り刻みました。これ、高いマットレスだったから捨てたくないんです。そして近所のニトリで安いパイプベッド買いました。先月オープンセールの時、買っとけば良かったな。ベッドって寝ると、天井が低くなりますね。お掃除ルンバ君もベッドの下をすーいすいです。
2010/04/20
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会場には続々と選手が集まって来ていました。ほとんど知ってる顔ばっかりなんですが、なぜかみんな私達がスペインに行って来たことも詳しい成績も知ってて、会うたびに『おめでとう』と言ってもらえて、なんでみんな知ってるんだろうとビックリでした。(このブログの読者はそんなにいないはずなんです)そんな中、別の天女のような美人さんがまた現れて挨拶して下さったんですね。hitomiさんがハンサムなご主人と今やC級ダンサーとなられた息子さんのケンちゃんとともに応援に来て下さったんです。前にお会いした時より背が2倍くらいに伸びた感じですね。これからが楽しみです。今日のメインイベントは午後のスタンダード・グランプリですが、その前にジュニアとシニアのラテン選手権が行われました。全日本選手権シニアラテンのエントリーは16組。一次予選。2ヒートに分かれて戦います。サンバ、チャチャ、ルンバ、パソ。一種目踊る度ごとに、なぜかとても息切れがしました。スペインでは1次予選からジャイブがあってもわりと平気だったのに、なんだろう。鼻つまってるせいかな。まさか体育館のある五月山の標高が高いから酸素薄いとかじゃないよね。『そんなはずないやろ。』大将は関西に来ると、なぜかすぐに関西弁になります。なんか他人みたい。しかもルンバでしくじり、パソでは踊ってる最中に鼻が垂れてしまいました。かっこわりー。(お願い見ないで)次は準決勝。勝ち進んだ11組がフロアに進みます。今度は4種目連続なので、途中で鼻が垂れたら最悪と思い、胸の隙間にティッシュ押し込んでフロアへ。いざとなったら、曲の合間に鼻噛む!しかし今回は集中力が切れなかったのか鼻垂れませんでした。結構いい感触だったんで、決勝行けるんじゃないのなんて思ってたんですけど撃沈でしたね。思ってた以上の撃沈ぶりでした。あとで福島のドニーさんと話してたんですけど、海外と日本は審判の観点が違うんですね。ドニーさんは海外遠征経験豊富で、今年度も日本代表です。もちろんどの審判が見てもいい踊りが最高には違いないんですが、そのへんの傾向と対策をすっかり忘れてました。最も踊り分けられるほどのテクが私達にはないんですけどね。とにかくまず日本で代表に選んでもらわなければ、先に進めません。さて実は私達、今年ブラックプールに行くことにしています。去年鹿児島のグランプリの時に、ドニーさんたちと『一緒に行く?』みたいな話ししてたんですね。それから大将が難病になったりして、うだうだしてた2月半ば、ドニーさんから電話がかかって来ました。ブラック行くならそろそろ申し込みをという内容。難病ですから治るってことはないし、今行かないと一生行けないかもしれないということで一大決心して行くことにしたんです。ドニーさんのパートナーのゲイナーさんにいろいろ教えてもらいながら申し込みのファックス送ったり、飛行機予約したりして、『とうとう私達もヨーロッパ遠征だね。』なんてはしゃいでから3日後くらいでした。スペイン遠征の電話がかかって来たんです。大将の病気のこともそうですけど、それよりブラックプールとかぶって金銭的にもどーすんのよって感じでした。まあでもこれだって『今行かないと一生行けないかもしれない』わけですからね。浪速のマリトー組も一緒に行くということですので、試合のあと、打ち合わせを兼ねた昼食会を予定していたんです。このメンバーの他にも去年からブラック参戦の神奈川のカップルもいて、さらに埼玉のメロンチョコさんカップルも、優勝した日本代表も入ったりしてなんだか訳の分からん凄くにぎやかなランチタイムになりました。結局、打ち合わせ的なことはほとんどしませんでしたが、ダンス談義は果てしなく続き、私達は新幹線の予約時間がありましたから途中で退散。試合の結果は残念なものでしたが、楽しいご飯が食べられたからまあいいかって感じですかね。大阪らしいものは食べずに終わったな。楽天で買って食べましょ。(おわり)
2010/04/19
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来年のスタンダード全日本代表の一組目を決める大会が大阪で開催されました。合わせてジュニアとシニアラテンのそれぞれの全日本代表もここで一組目が決定します。来年の世界選手権はジュニアがロシア、シニアがベルギーと言ってましたね。こういった大会は毎年場所を変えながら年2回ずつ行われてそれぞれの優勝者が世界選手権に派遣されます。先日私達が行ったシニア2の戦いは自費で行かなくてはならないのに対し、こちらは旅費を出しもらえるので是非とも優勝して出場権と費用をゲットしたいところです。さて、私達が出場するのは全日本シニアラテン選手権(34歳以上)の戦い。前日夕方に新幹線で大阪入りし、十三という駅で泊まりました。これ、十三(じゅうさん)と書いて『じゅうそう』と読むそうです。ホテルは駅からしばらく歩いたラブホ街にあって、ラブホの方が安いし風呂も広いしいいんじゃないかなんて言い合いながらチェックイン。パック旅行だったので小さな特典が付いてて、ホテルの売店で売ってる『たこやん』なる甘いお菓子を一箱もらいました。折角だから、なんか大阪らしいもん食べようと外に繰り出します。関西というだけあって、さすがに関東より日没がほんの少しですが遅いですね。6時半でもまだ明るくて、空には爪痕のような白く細い月が浮かんでいました。私の生まれ育った東京下町にも似たごちゃごちゃした駅前から、自転車と人が交錯しまくるアーケードを進むと、そろそろ売りつくし店じまいを始めている様子。7時で終わりなんでしょうか。早いですね。大阪らしいもんてなんだろうね。やっぱりこなもん?たこ焼きやお好み焼きの店は何件かありましたが、お好み焼きをおかずにしてご飯にみそ汁なんて、生粋の関東人の私からしたら有り得ない食事スタイルなので、なんかもっと心にもぐっと来るようなものはないのかと歩き回ります。ありましたよ。巨大なカニのオブジェで有名なお店が。でも入り口の値段表見てすぐにユーターンでしたね。スペインで大散財でしたから、会計係の私としては夕食に一人2500円なんて絶対無理。結局、『餃子の王将』で落ち着きました。はっきり言って、家の近くにもあるんですけどね。全面禁煙だし、本場の餃子はなんか違うかもしれないと思って。大将は、『あー、懐かしいなあ。関西の餃子の味や。』なんて言ってましたけど、私には近所の王将と同じに思えましたね。でも二人でたらふく食べても2千円切るこの安さはたまりません。相変わらず咳が出まくる風邪が治らず、ドーピングの心配もないからといって、咳止めやら抗炎症薬やら抗生物質やら眠くなる薬を王将さんとこの水でガンガン飲んで、ホテルに帰るとさっさと寝てしまいました。さっさと寝たせいで1時頃目が覚めます。まだあと4時間眠れる。私なんかたくさん眠れて幸せな方です。グランプリには日本全国から数多くの選手が集結しますが、皆さんそれぞれ仕事や家庭の事情で大変な思いして来られてるんですよ。前回スペインでご一緒させて頂いた静岡のスーさんたちは夜中の2時に出て徹夜で車で来たなんておっしゃってました。私達は5時半起きで体育館の開場前にやって来たんですが、その時にはすでに行列が出来ていて、スーさんたちもいらっしゃいました。スーさんのパートナーさんはスペインの会場で買って来たゴージャスなドレスで参加。フラメンコのドレスみたいでとっても素敵なデザインでしたね。西部ブロック以外の選手とグランプリ出場の選手は入り口すぐのきれいな控え室が与えられていて、一番乗りだったので陣地取り放題。相変わらず風邪薬でボーっとしてる私のもとへ、そのとき天女のような美人さんがやって来たんですね。『川端でーす。』大将の知り合いかな。軽く会釈してやり過ごす私に、大将が驚いて『バーバラさんだよ!』って言いました。え? 川端さんじゃなくて?どう聞き間違えたら『バーバラ』が『カワバタ』に聞こえたんでしょうか。髪型がアップじゃなかったせいか判別出来ませんで、本当に失礼いたしました。しかも由緒正しき地元の名菓を頂いてしまい、かわりに『たこやん』渡すわけにもいかないし、ほんとにどうもすいません。帰りの新幹線でしっかり頂きました。たいへん美味しゅうございました。(つづく)
2010/04/18
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この季節にぴったりの桜の歌をご紹介します。セレソ・ローサ『タブー』でご紹介したペレス・プラード楽団がアメリカ進出後に『Cherry Pink and Apple Blossom White』というタイトルで発表し、ヒットチャートで26週連続チャートインの快挙を成し遂げたそうです。こちらがその演奏。Cerezo Rosa, de P?rez Prado この曲からはどうもソメイヨシノのイメージが浮かばないんですが、もっと色の濃い八重桜くらいがちょうどいいでしょうかね。競技会でもよく使われています。Michael & Joanna - Cha cha
2010/04/17
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ニューヨークで人気弁護士と不動産会社の女社長の夫婦っていったら、かなりセレブ感が漂ってきます。演じているのはヒュー・グラントとサラ・ジェシカ・パーカー。 旦那の浮気で別居生活を続けている二人でしたが、ある日、二人して殺人現場を目撃してしまいます。相手はプロの殺し屋でまだつかまってません。証拠隠滅ために狙われる二人を警察は保護のために西部劇の時代みたいな田舎に送りますが、あまりの生活のギャップに戸惑うばかり。しかし離婚寸前だったこの二人が新しい世界で生活を再構築することで何となく仲直りみたいなムードになってくるんです。ところが居場所を突き止めた殺人犯がそんな田舎町にやってくるんですね。二人の運命はいかに。何の予備知識もなしにこれも飛行機の中で見たんですが、意外な展開で面白かったです。公式サイトはこちらです。噂のモーガン夫妻
2010/04/16
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アイスランドで火山が噴火して、ヨーロッパの空の便が大混乱してるそうですね。ロンドンのヒースロー空港もパリのシャルル・ドゴール空港も、ヨーロッパ各国の空港が全面閉鎖されたほか、運行停止が5000便、約60万人に影響が出たなんて、近年まれに見る大事件です。ジェットエンジンが異物を吸い込むと危険という話しは聞いたことありますけど、鳥みたいな大きいものじゃなくて、火山灰なんかも危険らしいですね。自分勝手な言い分ですけど、2週間前じゃなくてよかった…。世界選手権なんてほとんどみんな飛行機利用ですから、選手も審判も集まらなくて中止になっちゃうところですよね。この噴火の影響で氷河が溶けて大洪水も発生しているとか。アイスランドって読んで時のごとく寒い国なんですよね。縁あってアイスランド人の女の子と1ヶ月ほど同室だったことあるんですけど、彼女は気温が20度超えたら屋外プールで泳いでましたからね。私に『なんで泳がないの?』って聞くんですけど、日本では普通その気温じゃ泳がないでしょう。ブラックプールに向けてそろそろ渡英を考えている選手たちにとってもニュースから目が離せないんじゃないでしょうか。そういえば桜島も火山活動が活発化している様子。中国でも地震があったし、なんか地球が言いたいことあるみたい。宇宙からはこんな地球の様子がどんな風に見えているんでしょうか。
2010/04/15
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風邪はひき始めが肝心なんていうフレーズがCMで使われてますが、確かにそれは一理ある気がしますね。ひき始めにちゃんと薬を飲んだり養生できなかったせいか、もう咳の風邪に1ヶ月近く悩まされています。近所のクリニックのザビエル先生にも3回もリピーターしてしまいました。『咳喘息じゃないの?』とか『レントゲンとってもらった方がいいんじゃないの?』なんて、私に移して自分だけとっとと治った大将は言います。ザビエル先生のお見立てによるとこれは間違いなく『風邪』だそうで、『スペイン風邪』みたいなインフルエンザ系のものでもないようです。長引いてるのは、花粉症や黄砂なんかのアレルギー合併症もあるんでしょうかね。そういえばスペインでは花粉飛んでませんでした。日本に帰って来てからますます症状が悪化した感じ。今年は例年より寒いみたいで、その分花粉の時期も長引くのかもしれませんが、もうあと少しの辛抱かなあ。もう桜も散りかかってるのに、近くの山では雪が降った様子。咳止めも花粉の薬も眠くなる成分が入ってるので、ずっとボヤーっとした日常です。なんか気がつけばいつのまにかもう4月も半ばじゃないですか。人生もこんな風にボヤーっとしてるうちに終わってしまうんでしょうか。そんな暗い気持ちを一新するために、昼休みに職場でやってた『リフレッシュ・エクササイズ』に参加して来たんです。先着80名とか書いてあったんですけど、雨のせいか出足が鈍く、30人くらいの出席だったでしょうかね。ゴルフボールを使って、頭の先から足裏まで順番にツボ押ししていく約40分のコースで、どこ押してもえらく痛いんです。特に頭のてっぺんなんか、みんななんで平気なの?って不思議なくらい痛かったですね。先着80名っていうのは先生が用意してるゴルフボールが80個だったからなのかな。でも不思議と終わったあとボヤーっと感が少し薄れて、なんか目がしゃきっとした感じになりました。調子悪いときって、身体の血流やらリンパやらいろんな流れが悪くなってるのかもしれませんね。なんか咳も出ないぞ。(雨降って、飛んでるもんが少ないせいかもしれませんが) ボヤーっと人生過ごしそうな気がしたら、なんかいつもと違うことに挑戦してみて下さい。頭のてっぺんグリグリするとかね。これ、効きますよ。
2010/04/14
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グリム童話もディズニーのフィルターを通すと、夢と希望の全く別のお話しになってしまうんですね。白雪姫が本当は怖い話ですと言う映画を以前ご紹介しましたが、カエルの王様だってこんなに素敵なファンタジーじゃなかった気がします。貧しいけれどとってもまじめで料理の腕は抜群な女の子ティアナ。彼女の夢は自分のレストランを持つこと。一生懸命働いてようやく夢が叶いかけたとき、カエルになったどことか国の王子様と知り合います。悪い魔法使いの手にかかってこうなってしまったようですが、プリンセスのキスで元に戻れるからキスしてちょうだいっていうんです。この時たまたまお金持ちの友達の家のパーティに呼ばれててお姫様みたいな格好してたんですけど、本当は貧しいティアナ。親切心でキスしたものの,自分まで悪い魔法が伝染してカエルになってしまうんです。えー!?ってかんじですよね。さて二人は無事に人間に戻れるのでしょうか。冒険の始まりです。スペインから日本に戻る飛行機の中で見たんですけど、テンポがよくて歌もいいし、ホロっとくるシーンもあったりして結構楽しめました。公式サイトはこちらです。プリンセスと魔法のキス
2010/04/13
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<コロンブスとパエリアの巻>旅の醍醐味の一つは、ご当地のおいしいものを食べることです。スペインに来て、肉攻め以外まだスペイン料理を味わっていなかったので、最終日こそ本場のパエリアを食べようと意気込んでいました。そういえばスペインに来てフラメンコも闘牛も見てなかったです。まあ、日本に来た観光客がみんな日本舞踊や歌舞伎見るって訳でもないですからね。寿司だって食べない人もいるだろうし。シッチェスから国鉄に乗ってサンツ駅へ。このサンツ駅って、何でもある大きな駅ですので困ったときのサンツ駅と覚えておきましょう。大きな荷物を預けるコインロッカーもありました。前に書きましたがトイレもあります。(スペインではトイレない駅が一般的です)FCバルセロナのオフィシャル・ショップもあります。メッシのユニフォーム買おうかとのぞいてみたんですが、高かったですね。6000円くらい。楽天で買う方が安いです。ここで地下鉄に乗り換えて、初日に果たせなかった旧市街巡りの続きを時間の許す限りすることにしました。空は真っ青に晴れ渡り、港の周りにはガラクタ市が軒を連ねていました。露天やストリートパフォーマンスでにぎわうランプラス通りを抜け、コロンブスがアメリカ大陸発見後、イサベル女王に謁見したといわれる王の広場まで、入り組んだ旧市街を散策。素晴らしいゴシック建築のカテドラルは修復中で、その階段にはみんな思い思いに腰掛けて、明るい太陽のもとギター弾きのパフォーマンスに耳を傾けていました。たくさんお店があってどこも混んでいるので、その中の一つに入ってみます。幸い英語のメニューもある店だったのでシーフード・パエリアとスペインのオムレツ、トルティーヤを頼みました。こちらがそのパエリア。この日は朝から大将のトイレ受難日だったんですが、ここでも大変なことをやらかします。厨房の脇にトイレがあって、ちょうど人が出て来たところだったので、大将に『開いたよ。』って言ったんですね。そそくさと彼がトイレに駆け込んだとき、なんか厨房のコックさんが包丁持った右手を振りながら『ちょっと待て!』みたいなこと言ってたみたいなんですけど、意味が分からずにいました。実はここ、女子トイレだったんです。あとからそれを知った大将は、そのあとお店を出るまでずっと小さくなってました。今回の旅は競技がメインですから十分な観光が出来たとはいえませんが、短い割には充実した日々だったと思っています。次なる目標はなんでしょう。右手で海を指しているコロンブスにならって、大将も新大陸を目指しますか。長い旅行記に最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございました。(おわり)
2010/04/12
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<美しき青き地中海の巻>2010年4月4日。この日も試合があるので朝食会場には髪をきっちりとまとめたダンサーがちらほら見受けられましたが、私達はエントリーしていないので遠慮なく食べまくりました。大小二つのポットがそれぞれのテーブルに配られ、熱いコーヒーとミルクが入っていて、これを混ぜてカフェオレにするんですね。すごくおいしいんです。いろんな種類のパンにハム、チーズ、サラダ、ヨーグルト、フルーツ、お願いするとオムレツなんかも焼いてくれます。思いっきり朝食を食べたのは3泊してこの日が初めてでしたね。明け方に降っていた雨が丁度上がったところでした。シッチェスの街をまだ観光していなかったので、海沿いを歩いてみることにします。ここはスペインのゴールドコーストと呼ばれる美しい海岸線が有名で、夏になると海水浴客で浜は埋め尽くされるようです。映画祭でも有名。大将も私も地中海に触れるのは初めてでした。海岸できれいな石を拾い、青い地中海を眺めながら日曜日のミサが行われている教会に向ってゆっくりと歩いて行きました。道はほとんど一方通行なんですが、みんな路上駐車で、間にはさまれた車は絶対出せないだろうと思われるギリギリの縦列なんです。犬を飼ってる人が多くて飼い主がフンの始末をするなんて言う掟はないようなので、そこらじゅう犬の糞だらけ。さらに分煙もないみたいだし、歩きタバコの規制もないみたいで吸い殻もたくさん落ちてました。まあ、そんなことを気にしなければとても美しいところです。教会にたどり着く前に、大将がトイレに行きたいと言い出します。前にも書きましたが、スペインは公衆トイレがほとんどありません。しかたなく海沿いのBARでオレンジジュースをたのんでトイレをかりました。生絞りの美味しいジュースですけど、一杯5ユーロ(625円)は高いですよね。教会に続く大きな建物では展示会をしていたので見て行くことにしました。1910年にアメリカ人の財閥がここに来て、フィッシャーマンハウスと病院を買い取り改築して住んでいた大きな屋敷。今後2年間は改修工事で見られなくなるので、今だけ無料開放しているとのこと。ヨーロッパ中から集めたと思われる貴重ななコレクションを展示していました。絵画にガラス工芸、銀製品、家具やシャンデリア、船の模型のコレクション、特にすごかったのはキリスト教関連のコレクションです。中でもルネッサンス以前と思われる宗教画は、当時の人々のすがるような想いを受け止めて来たようでちょっと寒気すら覚えましたね。 昼前にホテルをチェックアウトして、石畳を犬の糞をよけながらゴロゴロ鞄を引いて駅に向います。もうこれでシッチェスともお別れ。また来ることがあるんでしょうか。民家の庭先にはライラックの花がきれいに咲いていました。(つづく)
2010/04/11
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<オープン戦出場の巻>少しでも腹ごなしにと思って、ホテルから会場までゆるい坂道を歩いて登りました。2010年4月3日、この日はスタンダードのシニアII世界選手権が行われていて、会場も控え室も昨日以上の混雑です。受付は随時行っていて、私達は提携ホテルに宿泊しているので参加費は無料でしたが、そうでない選手はエントリー料を背番号と引き換えに支払うようです。ジュニアやユースの試合も合わせて行われていて控え室で一緒だったんですが、隣にいたスペインの選手が私も同じレベルだと思ったのか気軽に話しかけて来ました。『ねえ、手袋持ってない?』『持ってないけど、何に使うの?』『セルタン塗るのよ。』いま?そんな即効性のあるセルタンがあるんでしょうかね。私は日本を出る前に塗って来ましたけど。コスチュームに着替えてBフロアに行くと、昨日世界選手権に出場してたメンバーも何組かいました。今日はシニアIのオープン戦です。困ったことに足がむくんで靴が入りません。予備にもう一足持って来てたんですが、なんとホテルに置いて来てしまいました。こういうときピッタリの靴って困りますね。少しだけ練習時間があって、フロアが解放されます。ジュニアからシニアまでいっせいにフロアに殺到し、サンバで交錯してひっくり返った選手がいました。大柄の女性で『あの子たちがぶつかって来た』みたいに指差して文句言ってましたけど、指差されたジュニアは泣きそうでしたね。さて、1次予選。5時半開始でした。36組が3ヒートに分かれて、サンバ、チャチャ、ルンバ、パソ、ジャイブの5種目を踊ります。審判はロシア、イタリア、ウクライナ、ドイツから一人ずつ、スペインから2人の計7人。やっぱり足が疲れてる感じはありましたけど、無事2次予選に進みました。間にユースの試合があったんですが、みんなオトナっぽいんですよね。私なんか色っぽさで完全に負けてましたよ。2次予選は2ヒートシャッフルで5種目でした。昨日も一緒だったウェールズの選手はここで敗退。連日の試合はシニアには酷ですよ。汗で濡れた冷たいコシュチュームをまた着て夜9時頃、準決勝。ドレスの予備も持って来たんですけど、それもホテルに置いて来てしまいました。今度は1ヒートです。連続5曲はこの大会で初めて。すぐに結果が分かって、私達はここで終わりでしたが、決勝も見てきました。みんな凄いスタミナありますね。肉ばっかり食べてるからでしょうかね。踊り終わるとすぐに折りたたみ式の表彰台がフロアに展開されて、優勝は昨日世界選手権で2位だったロシアの選手でした。ここは女性がもの凄く上手いんで注目を集めてましたね。いいなあと思ったのは、優勝すると国旗掲揚とともに国家が流れるんですね。なんか感動的でした。いつか日の丸を揚げたいです。2位はイタリアのカップル。二人とも小柄なんですけど、隙のない踊りでした。3位はスペインのカップル。パソで1位をとったそうです。さすがお家芸といったところでしょうか。スタンダードの世界選手権はまだAフロアで続いていて、終わるのが夜の11時半ごろの予定。それに合わせてホテルの送迎バスが来るので、まだ1時間以上待たなければなりませんでしたからタクシーで帰って来ました。またホテルのレストランで食事でしたが、お肉はもう十分食べましたので温野菜とチーズのサラダとパンで軽くすませました。(つづく)
2010/04/10
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<グエル公園とグリル・アラカルトの巻>朝早めに行けば教会の中も見られるかもしれないと、世界選手権の翌朝、シッチェスから電車を乗り継いで再度サグラダ・ファミリアに行ってみました。ところが既に遅く、入場券を買うための行列がこの大きな教会を一周しています。諦めきれずにちょっと並んでみましたが、なかなか進みそうもないのでついに断念。復活祭のゴールデン・ウィークですからね。観光地はどこも混んでるんです。 大将お勧めのグエル公園に行くことにしました。ガウディの作品の一つで、世界遺産にも登録されたバルセロナを一望出来る公園です。地下鉄を降りてしばらく行くと、とんでもない急な坂が目の前にそびえ立ちます。『こんぴらさんみたい...。』ただ、こんぴらさんと違うのはエスカレータがついてるんですよ。助かりました。 公園にはたくさんの観光客がいて、一緒に写真撮ってくれるフラメンコ・ダンサーや、ずっとベサメ・ムーチョのギター弾き、扇子やスカーフを売ってる露店があったり、大変なにぎわいでした。ちょうど日本人の団体さんがいてまぎれて少し説明を聞いてしまったんですが、この公園に使われているタイルは廃材を利用したエコなものだそうです。この日は夕方から試合だったので、あまり歩き回って疲れたくなかったんですが、見るもの全てが珍しくて広い公園をしっかり歩いてしまいましたね。昼過ぎにシッチェスの駅に戻り、たまにはホテルじゃないところで食事しようと駅前のモールに入りました。地下に大型のスーパーが入っていて、1階は魚屋さん、肉屋さん、八百屋さんなどの専門店街になっています。地中海で捕れるんでしょうね。ウツボなんかも売ってました。その一角にフードコートのようなちょっとした食事が出来るところがあって、黒板に本日のお勧めランチが書いてありました。スペイン語ですから当然分かるはずもないんですが、字の並びが『グリル・アラカルト』みたいなイメージだったんですね。そこで食べてる老夫婦もいるし、お値段も15ユーロでまあまあですから試してみることに。ところが、これが予想を遥かに上回る凄いアラカルトだったんです。最初にチキンのパイ包みが出て、野菜サラダがどーんと出たまでは良かったんですが、次が黒くてブニュブニュの見た事無いソーセージがごろっと出て来ました。美味しいんですけど、脂っぽいしもうこの辺でお肉はいいかなあと思ってたんですね。ところが続いて存在感のあるチョリソー・ソーセージ。これには参りました。畳掛けるように、さらに骨付きステーキが出て来ちゃいます。この日は土曜日で、2時になると周りのお店がいっせいに店じまいを始めましたが、肉攻めはまだ続きました。ここまでが前菜だったのかな。その後、皿からはみ出すような本格サーロイン・ステーキが出て来たんです。大将が病気になってから動物性脂肪を避けて魚ばっかり食べてた私達。こんなにお肉ばっかり食べて大丈夫なんでしょうか。私の心配をよそに、大将は久しぶりの好物のお肉を嬉々として食べまくっています。まだデザートがあるんです。このお店の人はスペイン語のみだったんですけど、後ろで食べてた老夫婦が少し英語が分かって通訳してくれました。『チョコアイスかチョコケーキのどちらにしますか?』肉攻めの次はチョコ攻めか...。(私はチョコが苦手なんです)『美味しかった?』なんて聞かれて、愛想笑いしちゃいましたけど、それよりこの老夫婦はこんなに食べて平気なのかな。私達と同じグリル・アラカルト食べてたんですよ。パンパンのお腹をさすりながら、このあと試合で踊れるんだろうかと正直不安を覚えました。(つづく)
2010/04/09
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<インタビューされるの巻>競技会場は丘の中腹に建つ半地下のようなフロアで、夕方6時過ぎ、まだ外は十分に明るかったんですが会場はカーテンが閉められて暗くなっていました。いつのまにか客席は超満員。選手入場口と退場口はカラフルなライト・スタンドに照らされ、フロアは熱気に包まれています。準決勝に残ったのは、ロシア、フィンランド、スコットランド、ウェールズ、ドイツ2組、スペイン5組、そして日本。2ヒート・シャッフルで行われました。さすがスペインだなあと感じたのは、パソドブレ。観客席から手拍子が起こったんです。ただのワン・ツー・リズムじゃなく、パン、パン、パン、チャチャ、、パン、パン、パン、チャチャ、とエスパーニャ・カーニの曲に合わせたフラメンコみたいな手拍子です。そして第2ハイライトのあと『オーレ!』の大合唱。闘牛場は行った事ないですけど、多分そのノリだと思いますね。スポーツ・チャンネルでIDSFの大会の様子はよく見ていたんですけど、そこで目にする光景が自分たちにも降ってきました。なんと、ヒートの合間にインタビュー受けちゃったんです。テレビカメラのライトがパット照らされて、私達にマイクが向けられます。『カタルーニャ地方に来られるのは初めてですか?』大将はスペイン自体が初めてですね。私はマドリードとグラナダだけ、カタルーニャは初めてでした。『どんな印象を持ちましたか?』風光明媚で気候も暖かく食べ物もおいしいし人々はみんな親切です。当たり障りのない答え。褒めとけば間違いない、みたいな。以前どこかの選手が日本の印象について聞かれてたのと全く同じこと言ってしまいました。『日本でもダンス競技は盛んですか?どんなクラス分けがされてるんでしょうか。』社交ダンスはとても盛んで、競技は細かいクラス分けがされています。A, B, C, Dクラスの下に数字の1, 2, 3, 4, 5, 6となっているんです。『あなたたちはどのクラスなんですか?』Aです。(一応今年は。去年はBだったのよねー。来年もBかも)『最後にお聞きします。なぜラテンなんですか?』スタンダードもやってるんですけど、たいして上手くないんです。(笑)『ありがとうございました。』このインタビュー映像はどこで流れたんでしょうかね。少なくとも日本では流れないだろうな。残念ながら決勝には残れませんでしたが、たくさんの貴重な体験をさせて頂きました。決勝は夜10時頃からと遅いのでここで帰ることにします。同じホテルに泊まっていたスーさんたちと、1階のレストランで夕食を食べ、1杯だけビールを飲みました。久しぶりのビールは美味しかったですね。長い一日でした。私達は明日も試合です。こちら準決勝の様子。スーさんが撮ってくれました。(つづく)
2010/04/08
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<踊れそうに見えない女の巻>3次予選はすぐに始まりました。24組2ヒートシャッフルです。ここまで来ると、みんな動きがよくなって上手い選手が目について来ます。ドイツの選手は男性がビール腹なんですけど凄くラテンテイストがあって、最初スペイン人かと思ってたくらい。ロシアの選手は女性がダントツに上手くて、ボリショイバレエ出身なんじゃないかと思わせる半端ない柔軟性を見せつけていました。選手宣誓していたスペインのカップルは、観客から絶大な声援を受けてハッスルした踊りを見せています。ここは男性がとても上手かったですね。紫の上下で決めて靴まで紫。気合いが入ってます。 私達は最初のサンバが1ヒートで、チャチャ、ルンバ、パソ、ジャイブが2ヒートでした。チャチャではプシー・キャット・ドールズの『キサス・キサス・キサス』がかかって、オクサナの真似して『フー!』とか手上げちゃった私。かなりハイな気分になってました。ところがノリ過ぎて曲の中盤くらいでリズムをはずし、リスタート出来ずに二人してオタオタ。審判の目が集まって来るのが分かりました。まずい。早くなんかしないと!実はぶつかったりして中断したらスプリット・キューバンブレイクから始めようって打ち合わせしといたんです。今までそんなことは起こらなかったんですけど、考えといてよかったです。おかげで準決勝に進めました。選手控え室は鍵のないトイレと洗面台が2つ付いた個室で、それが10個くらいあるんです。フロアに一番近いNo.6の部屋に私達はいたんですが、3次予選が終了して控え室に戻ると、英語で選手宣誓していたウェールズの選手が同じ部屋にいました。彼らも準決勝に進めたようです。『もう足が痛いから明日は出たくないわ。』『何言ってるんだよ。僕らはそのために来てるんじゃないか。』そのウェールズの選手は、シニア1のオープン戦で世界ランキングの上位を狙っているんだそうです。私達には縁のないような話しでしたが、どうやってポイントをゲットしていくのかと聞いてみました。ヨーロッパ各国で頻繁に開催されているIDSFのオープン戦に出場して、年間を通じて得点の高い6つの試合の合計点でランキングが決まるそうです。優勝すると200ポイント、準優勝で100ポイントみたいに得点が決まっていて、試合によってもポイント数が違うとのこと。そういえば以前日本に来てたグレゴールとリサも、来週はハンガリー、その次はリトアニアといった感じで毎週のようにヨーロッパのいろんな国で試合に出てると言ってました。まあ、ヨーロッパに住んでればそれも可能かもしれませんけどね。私達が今回こういったIDSFの大会に参加したのは初めてで遠く日本から18時間かけてやって来たと言うと、労をねぎらう言葉をかけてくれました。『それは、準決勝に残るに値するよ。遠いねー。』彼らはブラックプールの近くに住んでるそうで、ブラックプールにも出ると言っていました。さて、準決勝は6時過ぎから。ここからフロアに続く1階席が有料になります。スーさんたちが降りようとしたら入り口のガードマンに止められたそうです。そこにはブラック・スーツに身を包んだちょっと太めのサングラスの男性が立っていました。そろそろ準決勝が始まるので私が降りて行こうとしたら、その強面のガードマンに止められてしまいます。スペイン語で何やらまくしたてられて、あっけにとられてしまいました。何言われてるのかさっぱり分からないんで、英語で聞き返しても向こうもこっちの言ってることが分からない様子。そこへやはり同じ控え室だったスペイン人の女性が通りかかって助け舟を出してくれました。『シーシー、○×△セニョーラ』どうも『準決勝に残ってない選手は立ち入り禁止です。』と言われてたようです。それで、『この人も残ってるわよ。』と言ってくれたみたい。そのスペイン人の女性はパウダー式のセルタンを黒光りするほど塗っていていかにも踊れそうなムードだったんですが、私はそうでもなかったんでしょうかね。フロアに行って大将に言ったら、『ボクは何も言われなかったよ。』だそうです。ちょっとショック...。(つづく)
2010/04/07
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<日の丸を掲げての巻>ファンファーレが鳴っていよいよ選手入場です。スペイン、ドイツ、フランス、イギリス(イングランド、ウエールズ、スコットランドと分かれていました)、デンマーク、スウェーデン、スロベニア、オランダ、ベルギー、カナダ、ポルトガル、アメリカ、ロシア、南アフリカ、イタリア、フィンランド、オーストリア、ポーランドそして、日本。スペインを先頭に、アルファベット順にそれぞれ各国代表が大きな国旗を掲げてフロアを一周します。日本はイタリアの後ろでした。(iの次がjだから)大将は日の丸もったままずっとスーさんを探して、とうとう出番になってしまい、行進しながらもまだ落ち着きません。『キョロキョロしないほうがいいよ。』日本語で小さくつぶやく私。パレードに参加してなかった選手も結構多くて、フランスなんか大選手団のはずなのに一組しかいなかったですからね。この時には観客席にかなりのお客さんが入っていて、行進曲に合わせて手拍子が起こっていました。なんかオリンピックみたいだなあ。『ぼくが日の丸もって行進する日が来るなんて思いもしなかったよ。』私だってそうですよ。会場にはローカル・テレビ局が入っていて、クレーン付きの大きなカメラでこの様子を撮影していました。入場行進が終わり中央に整列すると、選手宣誓です。普通日本では選手宣誓って右手上げて『われわれ選手一同は...』みたいなセリフを選手団を背に向けて暗記していいますよね。ところがここでは、代表のスペイン・カップルがスペイン語で、ウェールズのカップルが英語で選手宣誓したんですが、選手の方を向いて渡された紙をボソボソ読んでるだけだったんです。『選手はドーピング違反を犯さず、実力で戦います』といった気合いの入らない内容のちょっと長い手紙でも読んでる感じでした。私達の前にいたイタリア選手団なんて、知り合いのオランダの選手かなんかと雑談しちゃって、『わたしたち今日のラテンより、明日のスタンダードがメインなのよ。』『エー、両方出てんの?うちは明日のスタンダードだけよ。』なんて言い合ってるんですよ。『あたしたちに言ってくれれば、もっと気合いの入った選手宣誓してあげるのにね。日本語で。』私もつい大将に話しかけてしまいましたよ。セレモニーが終わり、また行進曲に乗って選手団はフロアを一周して退場です。すると退場口の近くにスーさんたちがカメラ持ってニコニコしてるじゃありませんか。『いやー、パレードの意味が分かってなくてさ。一応ここには来たんだけど着替えてなかったから。』私達の試合が行われていたのはパレードと同じAフロアで、ちょっと離れたBフロアでは午前中ヒップホップの大会が行われていました。2次予選は15時半くらいに始まる予定でしたが、それまでBフロアは開いていたので練習することにします。他の国の何組かの選手も練習に来て、スーさんたちもジャイブの練習してましたね。Bフロアにはダンス用品を売るお店がたくさんブースを出していて、ドレスや靴、化粧品、アクセサリー、音楽CDなどみんな魅力的でした。日本で買うよりは安いんだろうなとは思ったんですけど、そんな心の余裕はなく金銭的余裕もなかったので見てみないふりしてたんです。あとで聞いたらスーさんはしっかりドレス買ったらしいです。いーなー。さて、2次予選。リダンスで敗者復活した9組を含め、48組が5ヒートで戦います。またサンバ、チャチャチャ、ルンバ、パソ、ジャイブの5種目。ここからシャッフルが始まって、種目によって出るヒートが変わります。ヒートによる不公平感をなくそうってわけですね。自分でしっかり出番を把握しておかないと大変。でも中には分かってなくて出遅れた選手もいたみたいです。スーさんたちがチャチャで『自分たちはここでいいのか?』みたいに審判に聞いて、どうも出番じゃなかったらしくフロアから出て来たのでヒヤっとしましたが、もっとあとのヒートだったようで胸を撫で下ろしました。まだ私達も余裕がなくて、自分のことで精一杯だったんですね。結果はすぐに出ます。フロアの入り口近くの廊下の暗がりで、ちょっと狭くて見にくいんですが、日本の試合のように得点票のようなものはなく、ただ上がった選手の番号がプリントされてペラっと貼ってあるんです。しばらくすると終わってしまった選手の決定した順位が張り出されていました。スーさんたちは惜しくもここで敗退。ジャイブがまだ慣れてなくてとおっしゃってましたね。こっちの選手はみんなジャイブ上手いんですよ。日本ももっと早い段階からジャイブ入れた方がいいんじゃないでしょうか。多分スタンダードのヴェニーズ・ワルツもヨーロッパの選手はみんな上手いと思いますね。(つづく)
2010/04/06
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<予選開始の巻>2010年4月2日、シニアIIラテン世界選手権の朝がついにやってまいりました。6時に起床、まだ外は暗くて太陽の昇る気配さえありません。7時頃ようやく日が昇って来て、朝食会場に行くと髪をきっちりまとめたいかにも競技ダンサーのカップルが何組もいます。それも世界規模で。折角の美味しそうなバイキングですけど、あんまり食べると動けなくなっちゃうからな、なんて考えながらお皿を持ってうろうろしてると、同じようにお皿持ってこっちをチラチラ見てる人がいました。『静岡のスーさんですか?』あたりでした。実はここで初めてもう一組の日本代表とお会いしたんです。スーさんたちは一足先にバルセロナ入りしていて、昨日は会場の下見もされていた様子。ホテルから大会会場への送迎バスは7時30分と7時50分の2本で、スーさんたちは先の便で会場に向われました。私達は後発のバスで行ったんですが、そこでアメリカ代表のリチャードたちと知り合いになりました。『日本チャンピオンなんでしょ?』『そーいうわけでもないんだ。(笑)』ヨーロッパ内ではいろんな国で開催されるオープン戦での交流が盛んですから大抵の選手は実力が知れてるみたいなんですが、ヨーロッパから遠い日本やアメリカの選手はどの程度の実力なのかお互い全くの未知数だったんです。特にシニアIIラテンの世界選手権は今年初めての開催ですので、私達もどんな上手い選手がいるのか全然分からなかったんですね。8時から受付があり、日本と同じような方式で背番号と安全ピンをもらいます。違うのは背番号が紙や布製じゃなく、プラスチック製だったことですね。サイズもちょっと小さめです。会場はホテルから1キロほどの丘の中腹にあり、周りには店も何にもないんです。しかも会場内の自販機は全部電源切ってあるし、お昼ご飯はどうなるんだろう、それより水が欲しい!受付でもらったチケットをフロアに持って行ったら、一人一本ずつ500mlの水とビスケットとオレンジくれましたけど、これで夜迄戦うのは過酷過ぎますよ。先に会場入りしていたスーさんの隣に陣地シートを敷き、練習着に着替えました。この陣地シートって、日本だけですね。練習から陣地に戻ってみたら、皆がその上で靴のまま着替えてるんです。『あの、それ、うちの...。』結局、自分が着替えるときだけ敷くことにして陣地たたみました。それにお着替えポンチョも日本独自の文化です。男性も女性も平気でパンツ一枚になっちゃうんですよ。スタンダードのオープン戦もあったんですけど、女性なんかいきなりドレスがーっと脱いじゃって、下にベージュのストッキング履いてるだけですからパっと見ハダカなんです。目のやり場に困りますね。男性もブリーフ一枚でうろうろするし。10時27分、一次予選開始です。審判は9人。スペイン、ノルウェイ、フィンランド、ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、イタリア、タイ、アメリカ各国一名ずつ。イタリア人の審判は昨日ホテルのエレベータで一緒だった人でした。76組が7ヒートに分かれ、サンバ、チャチャ、ルンバ、パソ、ジャイブの5種目を踊ります。アナウンスはスペイン語と英語で入りました。一次予選からジャイブがあるんですよ。私達は第3ヒート。静岡スーさんたちとは別のヒートでしたので写真撮ったり応援したりできました。朝早いせいか皆まだエンジンかかってないみたいでしたが、踊りはどうあれ表情はとても豊かですね。その時ハッと気付いたんです。『もっと思いっきり踊っていいんだ。』って。何となく日本の大会では、おさえた踊りと言うかカッコつけてるというか、弾けまくるみたいな事無く踊ってたんですけど、ヨーロッパのみなさんの踊りは心の底からダンスを楽しんでるって言うような、なにしろとても明るいんですね。『この人たちは、なんでプロじゃないの?』みたいなベラボーに上手い選手も中にはいて、世界は広いなーなんて感動していました。私達のルンバは相変わらず練習不足で棒読みの物語感があったんですが、それ以外は無難にまとめ一次予選が終わりました。この時アナウンスがあり、『13時45分からパレードがあります。重要なイベントですから選手の皆さんは絶対に参加して下さい。』みたいなことをスペイン語と英語でいってたんです。『パレードってなんだろうな。』と思ったんですが、それが各国選手団の入場行進だったんですね。1次予選で落ちた40組の選手にはリダンスのチャンスが与えられます。私達もスーさんたちも1次予選はクリアしてましたので、先にお昼を食べることにしました。会場の外に移動式のBARが出来てて、そこでみんなサンドイッチやピザを買って食べてたんです。もの凄く天気がよくて、湿気が少ないせいか空が真っ青でした。ホットドッグとオレンジジュース、それに水を大量に買って席に付きます。オレンジジュースは風邪ひいてたせいもあるかもしれませんがもの凄く美味しく感じましたね。必ずオレンジ丸ごと生絞りしてくれるんです。朝バスで知り合ったアメリカのリチャードたちはリダンスで敗者復活。ジャッジはそれぞれファミレスの注文の時に使うようなタッチパネルを持って審査していますので、集計があっという間です。パレードの時間が迫って来たので私達は控え室に戻り、コスチュームに着替えました。でもその時、隣にいるはずの静岡スーさんたちが行方不明だったんですね。『もう着替えて先に行ったのかな?』なんて言いってたんですが、フロアに入っても日の丸の元に集まってるのは私達だけでした。(つづく)
2010/04/05
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<スペインで迷子の巻>地下鉄でディアゴナル駅に行き、カタルーニャ広場に向かってグラシア通りを歩きます。ここはバルセロナのメインンストリートらしく、有名ブランド店があったりデパートがあったり、建物は歴史がありそうな重厚なものばかり。ガウディの建てたというカサ・ミラとかカサ・バトリョなんかを見ながらゆっくり歩いていたんですが、突然日が陰って来て寒くなったんですよ。ちょっとトイレ借りようかなとカタルーニャ広場の近所の大きなデパートに入りました。でもこれはきわめて日本人的な発想だったようです。バーゲンでもしてるのか店内は大変な混雑だったんですが、一番上の家具売り場まで探しましたけどどの階にもトイレがないんですよ。駅にもなかったんですね。そういえばコンビニもないです。『スペイン人てあんまりトイレ行かないんじゃないの。』そうなの?有料の公衆トイレがあるらしいんですけど、それもこのあたりでは見かけませんでした。みんなどうするんだろう。たくさんあるBAR(バル)というオープンカフェみたいな小さなお店で、コーヒーでも買ってトイレ借りるんでしょうかね。まだまだ旧市街は続きますが、もう帰ることにしました。競技会場の様子も見たいしね。(それよりトイレだ)地下鉄から国鉄に乗り換えるサンツ駅は大きい駅で、ここにはトイレがあります。シッチェスまでの切符を買って、空港から行ったときと同じSt.Vincenc行きにのりました。電車で面白かったのは、新旧の車両が入り交じってることですね。椅子の種類や向きもさまざまで、毎回違う雰囲気の車両に乗れるので鉄子感激です。(私はいつから鉄子になったんでしょうか?)今回乗った車両は中距離電車風で、2つずつ席が向き合っています。その時バルセロナでは夕方の5時頃だったんですが、日本時間だと夜中の1時。電車に乗った途端、凄い眠気が襲って来たんですね。人の降りる気配でふと目をさますと、なんか見たことない山の景色が広がってるじゃありませんか。駅の名前を見ると、『げりだ(Gelida)』なんて書いてあります。これは何かおかしいと思いましたよ。だって、こんなファンキーな名前の駅があったら絶対覚えてますもん。ちょうどサンツ駅を出てから30分くらいですから、ホントだったら窓の外には海が見えてるはずなんですね。ゆらゆら舟漕いでる大将を叩き起こして次の駅で降りました。『ここはどこだ?』St. Sadumi d'Anoiaって書いてあります。なんか聖なる場所には違いないんですが、私達の行きたい場所とはかなり違うみたい。ホームには誰もいないし、夕暮れの気配がますます心細さを助長します。駅には小さなBARがくっついていて、女性の駅員さんが切符売る傍らそこの切り盛りもかねているような小さな駅でした。大将は『行ってこい。』なんて私の背中をポンと押します。また英語通じなかったらまずいなあ。身振り手振りで説明できるかな。一応日本を出る前に旅で使える簡単なスペイン語の本買ったんですけど、こんな複雑な状況になるのは想定外ですから役に立ちませんでしたね。幸いなことに駅員さんはちょこっと英語話せました。路線図を書いてくれて、私たちがいるのはここ、ほんとの目的地のシッチェスはここ、と教えてくれました。サンツ駅から出てるSt.Vincenc行きには山周りと(オレンジ)と海周り(深緑)の2系統があるらしいんです。ほんとは海の方に行くのに乗らないと行けなかったのに山の方に乗ってしまったというのが分かりました。結局もう一度サンツ駅に戻るのが一番いいということになり、ホームで電車を待ちます。こちらでは日が暮れるが8時半頃と遅いんです。電車待つのが長く感じられました。日本では聞いたことのないような鳥の鳴き声が聞こえてきます。教会の鐘が一日の終わりを告げているように乾いた夕暮れの山空にこだましました。今度間違えたら大変と思って、『この電車、サンツに行きますか?』って電車が来るごとに乗り込んで確認。電車のドアはボタン押して開けるんですけど、閉まるときはおもむろに閉まっちゃうんですね。すたすた電車に乗り込んで行く私を見て大将は、ドアが閉まっちゃったら大変とヒヤヒヤしていたようです。シッチェスに戻った時にはすっかり日が暮れて、結局この時間ロスのせいで競技会場の下見は行けませんでした。ホテルのバイキング・ディナーを食べに行ったんですが、ここにいるほとんど全員が大会関係者なんじゃないかといった感じでしたね。やけに姿勢がいいし、審判風のグループ以外はみんなカップルです。スペイン語よりもむしろフランス語やイタリア語、ドイツ語なんかが飛び交っていてヨーロッパを感じました。いよいよ明日は試合です。(つづく)
2010/04/04
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<電車でGo! の巻>4月1日、日本を発ってから約19時間後、ようやくバルセロナ空港に到着しました。ホテルの送迎バスは時間が決まっていて、飛行機の時間と合わなかったので自力でホテルまで行くことに決めていました。『シッチェエスに電車で行きたいんですけど。』空港で聞くと、まず緑のシャトルバスでターミナル2に行って、そこから連絡通路を渡るようにと言われます。バルセロナ方面の国鉄に乗って一つ目で乗り換え、St. Vicenc行きでシッチェスまで約30分。スペインの国鉄は『Renfe(レンフェ)』といいます。鉄子の血が騒ぎますねー。言われた通りに乗って駅まで到達しましたが、そこからが問題でした。『ホテルどっちだろうね。』『たぶん海の方じゃないの。』凄いテキトー。私がプリントして持って来たホテル周辺地図に駅が載ってなかったんですよ。(いつも詰めが甘い)ゴロゴロ荷物を引っ張って海の方に向って歩いて行くと、線路を潜るガード下に笛吹き男がいたんです。この辺りって面白いんですよ。電車にも流しのギター弾きとかいろんなパフォーマーが乗って来ちゃうんです。ひたすらベサメ・ムーチョかなんか弾いててみんな無視してるんですけど、これで生計が成り立つんでしょうね。さて、そのガード下の笛吹き男はなんと日本人でした。@@『ホテルまで歩いて行くの?結構遠いよ。がんばってね。』昼ごろホテルに到着し、見る限り周りに何もなかったのでホテルの1階のレストランでお昼を食べました。こういったレストランにはちゃんと英語のメニューもあるので、なんとなく自分が食べるものが想像出来て助かります。でも想像とちょっと違ったのはスパゲティ・ナポリターナ。茹ですぎたウドンにケチャップがかかってるだけみたいな代物で、大将と二人苦笑いでしたよ。あとから入って来たイタリア人もスパゲティたのんでましたけど、アルデンテのかけらもない麺に激怒するんじゃないだろかねなんて話してました。この日の午後から試合は始まっていて、夕方6時から8時まで明日行われる選手権の受付があるので会場の下見がてら後で行ってみようと思っていました。フロントで聞くとちゃんと駅も載ってる地図をくれて、会場もホテルからは駅と同じような距離なので歩いても行けそう。でもその前に、是非とも行ってみたいところがありました。サグラダ・ファミリア教会。ここまで来てこれを見なくちゃね。また駅までトコトコ歩いてRenfeに乗りました。遠いと言っても1キロくらいです。この辺の電車って乗るときだけ切符を自動改札に通して、降りるときはフリーパスなんですよ。言ってみればキセルし放題。ちゃんと目的地まで皆切符買うんでしょうか。今度はグラシア駅で地下鉄に乗り換えです。これは難関でしたね。切符の自動販売機でどれを買えばいいのかさっぱり分からないんです。Renfeの方も自販機があったんですけど、その他に窓口があって行き先言うと切符買えるんのでずっとそうしてました。ところがここは、自販機だけ。タッチパネル方式でいろんなチョイスがあるんですね。どうにも分からないので改札にいたメトロ職員らしき人に聞きます。この方はスペイン語のみの人だったんですね。私もウノとかドスくらいは分かりますけど、あとはベサメ・ムーチョ(いっぱいキスして)くらいしか分かりませんからね。大将は私に全権をゆだねて傍観してるし。でも手振り身振りで何となく話しは通じるもんです。1回乗り切りの切符を買うより10回券を買った方が絶対お得だということが分かりました。あとで分かったんですが、電車はエリアごとに値段が決まっていて、一番小さいZone1の10回券を買うとバルセロナ周辺から空港までをカバーするエリアの電車に7ユーロくらいで10回乗れるんですね。1回1.4ユーロですから、確かに5回以上乗れば元が取れます。実際最終日までの間に9回乗りましたから十分元がとれました。地下鉄サグラダ・ファミリア駅の階段を上ると、空を覆い尽くすようにそびえる建設中の教会がありました。凄い行列が出来てて何事かと思ったら、中に入るチケットを買う行列だったんです。とりあえず外を一周して、旧市街の方に歩いて行ってみることにしました。(つづく)
2010/04/03
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<成田で異文化に触れるの巻>出発の日(2010年3月31日)、仕事を午前中で切り上げて帰ってきた大将と近所のショッピング・モールへ向かいました。どうにも私の咳が止まらないのでドーピングに引っかからない咳止めとトローチ、大将のiPhoneの電池式充電キットを買います。咳止めは全然効きませんでしたが、充電キットは役に立ちました。大将の使用していた難病の薬の一部は完全にドーピングにかかるので、弁明のためのスペイン語の説明書をネットで探してきて持って行くことにしています。当初の予定では成田空港への直行バスに乗るはずだったんですが、当日になって『購入は乗車の3日前まで』というのを知り、結局5回も乗り継いで電車で行くことになりました。バスのチケットもそうですけど、出発の日になって買い物だなんて普通しませんよね。段取り悪いです。最近はネットでほとんどのことができるようになって、特に30時間前から飛行機の席を決められるのは便利です。ギリギリ空港に行ってからだと、二人の席が離ればなれなんてこともありますからね。数千円余計に払うとあらかじめ席の予約も出来るんですよ。新幹線の指定席みたいな感じでしょうかね。(これ以上お金使いたくないからうちは自由席でいいの)飛行機に預けた荷物が無くなる可能性があるから,最低限競技で踊れるように手荷物にした方がいいと教えていただいてたのでドレスとか靴とか手荷物にしました。逆にそれを手荷物にするとあと預ける鞄に入れるものがあんまりないんです。着替えなんて知れてるし、全部手荷物でもいいんじゃないかってくらい。持って入れる荷物は大きさとか制限があるんですけど、私が預けたゴロゴロ鞄より大きな荷物を持ち込んでるフランス人が何人もいましたよ。以前,手荷物に新品のセルタンとか歯磨き入れてて没収されたことがあるので,今回はきっちり調べて液体やジェルは全部100ml以下、100円ショップで買った透明の20センチ四方の袋に入れて持って行きました。これも決まりなんです。面倒ですよね。夜10時頃のエールフランスでしたが、飛行開始してすぐにしっかりしたディナーが出るとのことでしたので、私は夕食を食べずにスープだけ飲んで我慢してました。豪華フランス料理かな、なんて思ったりして。(それはないなエコノミーだし)大将はスパゲティしっかり食べてましたけどね。(この男は旅行になると大食いになる)飛行機に乗ってすぐに海外を感じましたよ。なんで外人てあんなに香水つけまくるんでしょうか。ただでさえ咳が止まらないのに、さらに密閉空間の濃密な香水の空気を吸ってむせ返っていました。トイレ。便座が高くてトイレット・ペーパーが遠いんです。足つかないから自分が小さくなった気がしますね。ウォシュレットなんてないし。まだ成田だけど,ここは外国だわ。そしてマドモアゼル。フランス人て、世界中の人がフランス語を話すと思ってるみたいに話しかけてくるんですよね。『ブジュブジュブクワ○▽◇?』(←意味不明なフランス語)『なんですか?』(←日本語)お互い疑問系で話してることは分かるな。結局そのマドモアゼルは、自分は動かないから窓側と席を変わってほしいと言っていたんです。たまげたことに,ほんとに14時間半の飛行中一度もトイレに立ちませんでしたね。あとで知ったんですが私たちが乗った夜10時頃成田出発の便は特別に飛行時間が長いものでした。パリのシャルル・ドゴール空港が周辺住民の騒音問題に配慮して深夜0時から朝5時までは飛行機の発着をやめたらしいんです。通常13時間くらいで夜中の3時にパリに着くところなんですが、その時間帯に入ってしまうのでこの便だけ飛行時間をわざと1時間半長くして朝の4時半頃着くようにしたんだとか。というわけで、朝の4時半にパリ到着。時差は8時間ですから,日本だと昼ですね。次のバルセロナ行きの飛行機まで3時間ほど暇です。空港内をブラブラしても、まだ店が開いてないんですよ。自販機で水でも買おうと思ったんですが、小銭がないと買えないんです。日本だけですね。お札使える自販機。是非この技術は取り入れてほしいです。インフォメーションでどこか両替出来るところないか聞いてみたら、もう少し待てば店が開くからと言われてしまいました。乾いた機内の空気ですっかり喉イガイガでしたし、ますます咳が出るので水がかなり真剣に欲しかったんです。そういえばマスクしてるのも日本人だけでしたね。結構咳してる人多かったんですけど、みんなウィルスばらまいてました。パンデミックはこうして起こるんでしょうね。まだ準備中のお店で聞いたら親切な店員さんが両替してくれました。500mlのエビアン、2ユーロ。1ユーロが125円とすると、250円。水って高いですね。それともヨーロッパは物価が高いのでしょうか。(つづく)
2010/04/02
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バルセロナはスペインの北東部、地中海に面したスペイン第二の大都市です。1992年にオリンピックが開催され、サッカーのFCバルセロナの本拠地としても有名。建築家アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリア教会のような観光名所も多く、一生の間に一度は行ってみたいと思っていた場所でした。 試合会場はバルセロナから電車で30分ほどのシッチェス(Sitges)という街にあります。ここは日本で言ったら熱海みたいな海沿いの美しい保養地。大会と提携したホテルに泊まると朝晩の送迎バスが利用できるほか、世界選手権は出場料が無料なんですが、他の試合、たとえばオープン戦とか10ダンスとかにも合わせて出場したい場合その出場料が無料になるので、私たちも提携ホテルの一つであるホテル・メリアに3泊しました。普通なら飛行機とホテル込みの格安パックツアーにするんですけど、こんなスパ付きの4つ星ホテルに泊まっちゃって、年度末を挟んだこの時期、仕事だってそんなに休んでられないから、飛行機も出来るだけ時間を有効に使えるフライトをネットで予約。高くつきました。全部自腹は痛かったですよ。もー泣きそう。IV D.O. World Dancesportsは、4月1日から4日までの4日間に渡るダンスの大きな祭典で、通常の社交ダンス競技の他にもショーダンスやヒップホップ、車いすダンスも含めた幅広い競技が2つのフロアで行われます。平日の試合なのになんでこんなにお客さんが多いんだろうと思ったら、この時期はキリスト教のイースター(復活祭)の連休で、スペインではゴールデンウィークみたいでしたね。気候は日本と似ていて、朝夕は10度くらいですが日中はまぶしい太陽が照りつけ17度くらいまでになります。ちょうどお花も綺麗に咲いていて、絶好の行楽日和という感じ。 メイン競技はシニアIIの世界選手権。ラテン世界選手権は今回が初めての開催だそうです。そんな記念すべき第一回大会に派遣していただけて、本当に光栄に思います。出場選手はエントリー83組で、実際出場していたのは76組。スペイン、ドイツ、フランスあたりが多くて、イギリスはイングランド、ウエールズ、スコットランドと分かれていました。他にポルトガル、アメリカ、ロシア、南アフリカ、イタリア、フィンランド、オーストリア、ポーランドそして、日本。日本が一番遠いでしょうね。静岡のスーさん(勝手に命名)と私たちの2組参加でした。ちなみにスタンダードのシニアII世界選手権は出場組数219組、今回日本からの参加はありません。去年はグッチさんたちが参加されて準決勝まで勝ち進む大活躍でしたけど、今年は参加されなかったみたいですね。昼過ぎに各国代表が国旗を持って入場行進するパレードがあり、『ぼくが日の丸を持って行進する日が来るなんて思いもしなかったよ。』と大将は感動しきり。このとき静岡スーさんが行方不明で、日本選手団が私たちだけだったのは何となく心細かったですね。完全アウェー試合でしたが皆さんからの熱いメッセージを胸に、一生懸命踊ってきました。4月2日の世界選手権の結果は、情報通のかふぇりんさんの方が速かったみたいですね。あと一歩及ばず決勝には残れませんでした。7位の成績。(それでも凄くないですか?!世界で7位だもん)4月3日のシニア1オープンの方は、やはり準決勝までで9-10位の成績です。2組同点だったんですね。詳しい旅の内容は、明日から連載します。たくさんの応援、ありがとうございました!
2010/04/01
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