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競技会では、体力も精神力も消耗しますので、それが終わった後の、開放感はすばらしいものです。特に、いい成績を取ったときは格別。自分にご褒美をあげたくなるのです。最近では、成績に関係なく、時には試合の前からこのご褒美の方に目がいってしまうこと、しばしば。昨日の競技会も例外ではありません。競技会場のある草加のイトーヨーカドーには、各階にレストランがあり、その一覧が、競技会場のロビーに置いてあるので、どうしても目がいきます。数日前から風邪をこじらせて、ゲホゲホ咳をしながら競技に臨んでいたリーダー。そういえば、昨日の競技会場には咳をしている人がとても多かったです。仕事と練習で医者に行く暇もないので、試合前は卵ばかり食べていました。これは、先日テレビでいっていたのですが、風邪薬は、卵の白身を乾燥させて作っているというのです。成分表に書いてある、塩化リゾチウムは、卵の白身に含まれているとのこと。それなら、風邪薬買うより、卵食べた方がいいだろうと、この短絡的で乗りやすい一家は思ったわけです。あんまり卵ばかり食べると、別の意味で身体に良くないんじゃないかとも思うのですが、試合は目前ですから、とにかく卵を食べ続けました。で、実は、結構よくなったんです。さすがに今日くらいは、もう卵いらない、気分だったので、ロシア料理店に行くことに決めました。日本料理、韓国、中華、イタリアン、フレンチ、タイ、トルコ、ロシア、インド。ぱっと思いつくのはこのくらいですが、皆さんだったらどれを選びますか?どれも好きですが、ロシア料理にはちょっとした思い出があって、どれか一つと言われると、わたしはロシアです。もう、いまは無くなってしまいましたが、お茶の水から神田に向かう途中に、ロシア人老夫婦のやっている、不思議なロシア料理店がありました。誰かに教えてもらわないと分からないような地下で、しかし、店はいつも繁盛していました。この人たちはいったいなぜ、ここにいて、こんな暮らしをしているのか、聞いてみたくてしかたありませんでした。しかし、無口なその二人は、注文を聞いて、奥に引っ込むと、それっきり出てきません。料理を無愛想にテーブルに置くと、また、すぐに奥に引っ込んでしまいます。友達に教えてもらって、その店に初めて行った私は、スパイか何かじゃないかと思ったくらいでした。この店のボルシチは絶品でした。これだけをお替わりして何皿でも食べられるくらい、体中に野菜や肉のエキスが浸透していく気がしました。キエフというカツレツもすばらしい味でした。サクっと揚がった衣に包まれたカツのうまみが、中に入ったバターとチーズと絶妙に絡んで、ナイフを入れると、ジワーっと溶け出してくるのです。私はよく、お客さんや、友達をその店に連れて行きました。数年前に、久しぶりに通りかかると、そのロシア料理店は無くなっていました。ロシアも体制が変わって、もう、スパイも引退かななんて、冗談で言っていましたが、あのおいしいボルシチがもう食べられないのは、残念でなりません。昨日は久しぶりに、おいしいボルシチをいただけて、満足でした。やわらかい黒パンと大きなホタテ貝柱のバター焼き、今思い出しても、またお腹が鳴りそうです。支出以上に収入があると、どんどんお金持ちになっていくように、食べることが大好きで、競技会で消耗した分以上に、栄養補給している私たちは、なかなかダイエットできないのも、当然かもしれません。レシピNo.111 ボルシチスープストックトーキョー 無添加食べるスープ SST-55あの伝説のモンパルナスのピロシキ6個入り
2005/01/31
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「東京のお土産に、草加せんべいはいかがですか?」昔、新幹線の車内販売のアルバイトをしていた時、自分でこのフレーズを口にしながら、「なんで草加は埼玉県なのに、東京土産なんだろう。」と、漠然とした疑問を抱いたことがあります。今回、試合で初めて草加に行って分かったのですが、ここは、埼玉といっても、かなり東京よりのとてもにぎやかなところでした。東武東上線の草加駅前にある、イトーヨーカドーの7階に、競技会場となるアコスホールはありました。第12回ダンスユニオン、DSCJダンススポーツ競技会の埼玉大会、JDC主催の競技会です。この日のメイン競技は、ユニオンカップでしたが、私たちが参加したのは、スタンダードC級戦のみでした。ラテンに比べてスタンダードは、まだ場数それほどを踏んでいないので、なるべくたくさん出ようというのが今年の方針です。参加組数はこの日の競技で一番多い117組でした。種目はワルツ、タンゴ、スローフォックストロットです。先週買ったばかりの新しい靴は、床にピッタリ吸い付くようで、とてもいい感じ。ダンスシューズは靴底がバックスキンのように毛羽立っていて、履き込んでいくうちにつるつるのテカテカになって滑りやすくなるので、いつも金ブラシで毛羽立てたり、滑り止めを塗ったりして、ケアする必要があります。広い練習場がないので、スタンダード種目を通して一周踊ったことがなく、予選が練習のような私たちは、1次予選はガタガタで、1種目終わるごとにあやふやなルーチンのことでもめていましたが、予選通過の72組になんとか潜り込んでいました。2次予選は72組中48組がピックアップされます。1次よりはずっとフロアの広さに慣れて、場所取りもよく、問題なく通過。3次予選、フロアに14組の選手が入り、いきなり混雑した感じになりました。私たちのような試合経験の少ない選手にとって、これが一番の難関です。よけ方が分からないのです。ぶつかった後のフォローもうまくありません。踊り終わって、「今日はここで終わりだろう」と二人とも観念していましたが、なんとギリギリ通過してしまいました。4次予選、C級戦スタンダードの今までの最高は、この最終予選です。ここにきても、まだタンゴのルーチンに関してもめていました。手帳に書いたレッスンでの注意事項をもう一度見直し、問題のタンゴも自己流に解決して、ベスト12に挑みました。予選を踊るたびに、私たちの踊りはますますキレも伸びも良くなっていく気がしました。最初あやふやだった部分も、自信を持って1歩1歩が踏み出せるようになり、競技会で練習させてもらっている感じでした。そして、ついに、準決勝、初のベスト12に入ることが出来ました。5人の審判が3種目に対して点を入れるので、満点が15点。準決勝では、点が割れて、10点と9点が2組ずつ、7点が3組、6点が4組、4点が1組でした。そして、7点までの選手が決勝に進みました。私たちは6点。残念ながら決勝には進めませんでした。競技後の講評で、JDCの先生が、各選手の直すべき点に関してご指摘くださり、例えば、○番の選手は、ホールドに力が入って、女性を腕で引っ張っている、とか、○番の選手は、男性が女性にかぶっているとか、とても参考になりました。私たちも何か言っていただけたら、と思って、じっと聞いていましたが、特にありませんでした。最後に、「C級戦では、予選を勝ち進むにつれて、どんどん踊りがよくなっていく選手がいた。」とおっしゃっていましたので、それが私たちだろうと、勝手に納得して、自己最高をマークした今年最初の試合から、気分よく凱旋したのでした。草加せんべい詰合せ・大ホンマのキモチバレンタイン、チョコが嫌いの彼にはこれ
2005/01/30
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準決勝での踊りは、今日の中で最高の出来でした。靴を忘れて、出場できなかったかもしれないのに、こんなに勝ち残ってしまって、もう、ここで落ちても悔いはない、くらいの謙虚な気持ちになっていました。決勝には通常6組が進みますが、この時は同点がいたのか、7組が決勝のフロアにコールされました。そして、なんと、私達もその中に入っていたのです。Nさんたちも、「すごいじゃない!がんばって。」と熱い言葉をかけて下さいました。今まで10曲踊ってきて、実はかかとに靴擦れを起こしていました。やはり、いくらピッタリといっても、履き慣れた靴とは違いますから、あたるところがあったのです。ここまでこれただけでも、奇跡のようなものですから、あと、この決勝を踊りきるだけです。私は踵にテープを貼って、元気にフロアに飛び出しました。表彰式では、下の順位から名前が呼ばれます。「C級戦ラテン、第6位....」私たちではありませんでした。合気道の友達も、私たちも、固唾を飲んで次の発表を待ちます。第5位、これも違いました。第4位、あれ?うそでしょ。私達ではありません。第3位、まだ違います。そんなバカな!心臓がドキドキしました。まさか、優勝?あれ?名前呼ばれなかったよ。えーー! 7位!C級からB級への昇級は、年間を通じて、C級戦で6位以内に2度以上入る必要があります。アトラクションに並んでて、「はい、ここまで。」といって、目の前で締め切られたような、そんな気分でした。7位か....。目を下に落とすと、Nさんの白い、といっても、かなり履きこまれた、グレーに近い白のダンスシューズが目に入りました。そうだ、今日は、この競技で踊れなかったかもしれなかったんだ。決勝まで残れて、上出来じゃない。103組中の7位だもの。全部、Nさんのお陰だ。それと、Nさんに聞いてくれたうちの王子様のお陰だ。私は丁寧に靴底をブラシで削ってゴミを落とし、Nさんに、シンデレラの靴をお返ししました。このことがあってから、私は履き古したダンスシューズを車に積んでおくことにしました。また、自分が忘れたときのためでもありますが、私のような、裸足のシンデレラを、いつか、助けてあげることができるように。(おわり) スワロフスキー シルバークリスタル シンデレラ『JuJu Palais Royal』ペンダント/限定商品(スワロフスキー) モチーフ / ハイヒール&クロス...超ロングなドレスにピッタリの究極サンダル(シンデレラサンダル)
2005/01/29
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C級戦ラテン、出場組数103組。靴を貸して下さったNさんも、同じC級戦に出場していました。種目は、チャチャチャとルンバです。一次予選では、約40組が落とされます。私はいつも8センチヒールの靴を履いていました。お借りしたのは7センチヒール。たった1センチ違うだけでしたが、足が床をとらえる面積がとても大きく感じられました。人の靴なのに、すごく踊りやすく、安定しています。フロアをA, B二つに分けて、競技は同時並行で進んでいき、嬉しいことに靴を貸して下さったNさんとはフロアが違って、直接対決しなくてすみました。私たちは一次予選を突破しました。Nさんもアップしたようです。二次予選では、一次を通過した64組から、22組が落とされます。Nさんはここで敗退してしまいました。靴をお借りしている自分たちだけ勝ち残って、なんだか気まずい感じでした。しかし、Nさんたちは、午後のスタンダードがメインなので、体力温存です。合気道の友達は、ずっと二階席からビデオを撮ってくれていました。最初、審判の立っている側から撮ってくれていて、もどってきた彼女が、「何でこっちむかないの?」といっていました。審判には、顔より背番号見て欲しいから、反対むいて踊るんだ、というと、次からは反対側から撮ってくれました。三次予選。残った42組から24組が選ばれて、四次予選に進みます。撮ってもらったビデオを見てみると、なんだかやけに、お借りしている白い靴が目立ちます。いつも足と同じようなベージュの靴を履いているので、気にしたことがありませんでした。そういえば、フィギュア・スケートも、以前は白い靴が主流でしたが、最近はベージュの靴カバーを履いている選手が多いです。「靴に目がいく」ということは、それだけ足下をきれいに踊らないと、審判にも見られているということです。四次予選、これが最終予選です。さらに半分の12組がピックアップされ、ここで勝ち残れば、いよいよ準決勝に進みます。最終予選では、特に、足下を丁寧に踊りました。大会のお手伝いに来られていた先生も、仕事の合間に声をかけて下さり、「いいね。頭だけ、ちょっと気をつけて。」一反木綿系のグニャグニャ踊りから、ようやく脱皮しそうになっていたころです。まだ、よほど注意していないと、妖怪踊りになってしまうので、先生の言葉に「はっ」としました。私達は、最終予選を制し、準決勝に進みました。北関東のC級戦ラテンでは、いままで最高はこのベスト12で、決勝に進めば、自己最高になります。準決勝のフロアには、茨城の大会でよく見かける「上手な」選手が、あちらにも、こちらにも。1週間前に千葉の大会で優勝したKさんたちの姿もありました。しかし、日々進化し続ける私達は1週間前の私達ではありません。私達の心には、何の迷いもありませんでした。(つづく)高級クリスタルガラス細工ガラスの靴パーティーにピッタリ☆シンデレラパンプスイヤリング シルバーモダンダンスシューズ シンデレラシンデレラ " Cenerentola"
2005/01/28
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「先生、靴忘れちゃったんです!」裸足でバタバタ走ってきた私のこの言葉に、先生は大変驚かれて、すぐに貸してくれそうな方を探しに走って下さいました。フロアで練習していた、ノービス級に出場予定の選手にお願いして、靴を試させていただきましたが、ちょっとゆるめでした。お借りするにしても、予選が終わるたびに、返したり借りたり、この大混雑の競技場ではとても大変です。そのノービス出場の方だって、ただでさえ緊張しているのに、「靴がまだ返ってこないわ。」なんて、変な心配をさせてしまっては申し訳ない気がします。私は、ダンスシューズを買うとき、とても慎重に調整します。それが、踊りのほとんどを決めると言っても過言ではないと思うからです。ハイヒールですから、足に完全にフィットした靴でないと、激しい動きで足首を痛める心配があります。しかし、今回ばかりは、そんな贅沢はいっていられません。貸していただけるだけでも、十分すぎるくらいですから、こんなところでピッタリの靴を探している時間もないし、立場でもありません。ああ、どうしたらいいんだろう。誰か助けて下さい。私はフロアの中心で叫びたい気持ちでした。試合開始時間が刻々と迫っているのに、まだ着替えも化粧もしていませんでした。そのとき、よく目立つ黄色いコスチュームに着替えた、私の王子様が探しにやってきました。「スペアの靴、持ってる人見つけたから、早く着替えて。」私は、先生と、「靴を貸してもいい」といって下さっていた、ノービス出場の方に丁寧にお礼をいって、急いで彼の後を追いかけました。その救世主は、茨城の大会事務局で一緒にお手伝いさせていただいたNさんでした。若いご夫婦で、いつもご主人そっくりの小さな男の子二人を連れて、競技会に参加していました。彼が私の窮状を話すと、「車に古いダンスシューズが積んであるから、持ってきてあげる。」といって、わざわざ取りにいって下さっているとのこと。その方の靴なら、私と背格好も似ているし、合うかもしれない。少し希望の光が見えた気がして、私は大急ぎで着替えに入りました。ラテン・ノービス級の試合が始まりました。6ヒート2種目ですから、この後のD級戦が始まるまであと15分。D級戦が始まると次のC級戦出場選手は、スタンバイに入るので、それまでにすべての支度を整えなければなりません。靴を取りにいって下さったNさんの奥さんが、戻ってこられました。「こんな汚い靴でごめんね。入るかな。」私はおそるおそる、その靴に足を通しました。信じられません。ああ、神様、ありがとうございます。ピッタリでした。私は嬉しくて、泣きそうになりながら、何度も何度もお礼をいいました。お化粧の最後の仕上げをして、いよいよC級戦一次予選開始です。(つづく)日本未入荷●天使のお守り~シュッツエンゲル・Aセット(3個セット)~ガーディアン・エンジェル K18セミオーバルネックレスパワーストーン、ブレスレット守護神 水晶彫勢至菩薩8MM
2005/01/27
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JBDF北関東の秋季大会が始まりました。JDSFの試合にたくさん出て、少しずつ自信を取り戻してきていた私たちは、今年こそB級昇級の意気込みに燃えていました。最初の試合は、2002年9月29日、全茨城ダンス大会です。合気道の友達が見に来てくれることになっていて、好天に恵まれたこの日、6時半に家を出発、石下町総合体育館に向かいました。茨城は2年前まで住んでいたので、知り合いもたくさんいますし、教室も茨城なので、先生も事務局のお手伝いでかり出されているはずです。体育館に到着すると、もう、たくさんの人たちが練習していました。彼は受付に背番号をもらいに、私はヒールチェックに並びました。女性のダンスシューズは、ハイヒールなので、そのかかとで体育館の床を傷つけないように、カバーを貼ることになっています。カバーがすり減っていたり、貼っていなかったりすると、100円で購入してその場で貼付けます。カバンをあけて、靴を出そうとして、私は文字通り、血の気が引きました。ダンスシューズが...。受付を済ませて帰ってきたリーダーが、体育館の入り口近くで荷物を全部出して、呆然と立ち尽くす私にただならぬ気配を感じたようでした。「どうしたの?」「靴が...、靴がないの。」何を忘れてもいいけど、靴はいけません。裸足じゃ、試合に出られませんから。「今日は売ってないな。」時々、競技会場の入り口で、ダンス用品を売る店が出るので、靴も手に入るのですが、この茨城の大会には売りにきてませんでした。「ヤッホー。」二人で固まっているところに、合気道の友達が、思いっきり陽気に登場。「あのさ、靴忘れちゃったんだよ。この人。今日は、出られないかも。」来ていきなりそんなこといわれちゃった友達も、顔を見合わせるばかり。「ちょっと、先生探して、相談してくるよ。とりあえず、場所とって、着替えててくれる?」同じ教室から、結構たくさんの競技選手が出場していましたので、同じC級戦でなければ、借りることも可能かもしれないと思ったのです。私は、一人、混雑したフロアに分け入り、裸足のまま先生を捜しました。(つづく) SUPA1413 フレッシュサテン8cmフレアヒール(ダンスシューズ) 男性ラテンダンスシューズSPDL13-418SUPA1413白サテン7cmスリムヒール ヒールキャップ プレゼント付き
2005/01/26
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2002年9月23日、第16回千葉中央支部スポーツダンス競技大会が、千葉ポートアリーナで開催されました。この日のメイン競技はD級戦。そのほかに、1級から6級の試合があり、600組を超える競技選手が、千葉県のみならず関東各県始め、静岡、長野からも出場されていました。千葉ポートアリーナは、千葉県の県庁から車で5分くらいの、ほとんど千葉市の中心にある大きな体育館です。いつも、2階席にビデオを固定して、試合の様子を撮影するのですが、この日は、お化粧している様子や、準備運動の様子なんかも映して、なんとなく余裕の始まりでした。前回の東京体育館の試合が慌ただしかった分、今回は少し早めに家を出たので、ゆっくり支度することが出来たのです。朝の試合前のフロアには、練習用の音楽が流れ、トレーニングウエア姿で練習している人たちがたくさんいます。私はこの日、初のロングヘアのウィッグ装着。細かい三つ編みがたくさんついている、いわば、付け毛です。髪は長いので、自分で結ったり出来れば全然問題ないのですが、私にはそんな技量も根気もないので、いつもお団子です。ただのお団子に飽きたので、今回は付け毛。そして、もう一つの武器は、付け爪です。仕事や合気道で邪魔なので、自分の爪はいつも短く切りそろえています。白地に黒の模様が入った長~い爪を、自分の爪にシールで貼付けます。爪を付けるともう何も出来ないので、お化粧も着替えも全て終わって、靴も履いてから爪を付けます。手が長く見えて、ちょっと美しいのです。この爪を付ける作業で、すべての戦闘準備完了です。ラテンD級戦には、38組が参加していました。種目は、サンバ、ルンバ、パソドブレ。1次予選、2次予選、準決勝と、勝ち上がってきました。準決勝からは、3種目連続で踊ります。これは、1曲1分半、3曲で4分半の全力疾走のようなものです。ハムストリングを痛めていて、よけいなところに力が入ってしまったのか、足裏の筋肉がめちゃめちゃ痛くなりました。決勝を待つ間、靴を脱いで、足裏をマッサージ。「あと、3曲で終わりだから、がんばってね。」自分の足にお願いしていました。決勝に残ったのは、6組全員、千葉の選手でした。名前と所属する都道府県が紹介されると、一組ずつ客席に挨拶をしてフロアに登場します。広いフロアで、たくさんのお客さんに見ていただいて、決勝を踊るのは気分がいいもんです。ぶつかるなんてことは考えなくていいし、後は残る力のすべてをこのフロアにかけるだけですから。結果は、準優勝でした。このとき優勝されたKさんたちとは、これから何度も宿命の対決を繰り返すことになります。Iセット雑誌にも載ってる!PLAYBOY付け爪チップ【2種】自爪セーブコート
2005/01/25
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毎年恒例、夏の京都のダンスパーティ。2002年のこのパーティには、うれしいことが2つありました。一つは、お父さんが退院して、また、一緒にタンゴが踊れたこと、もう一つは、いつも競技会に応援に来て下さるY家の方々も、このパーティに来て下さったことでした。二条城の向かいにある、全日空ホテルで、9月15日に開催されたパーティ、また、たくさんの方々が集まりました。私はこの日、お母さんにいただいた赤いロングドレス。全面にスパンコールをぬいつけた上に、アラビアンナイトのようなシースルーの布が覆っている、タンゴにピッタリのドレスです。私の友達のCちゃんは、ダンスは未経験、というか、小学校以来したことがないといっていました。学校の先生が、社交ダンスが好きで、どういったわけか、クラスのみんなにスローフォックストロットなんていう難しいダンスを教えていたそうです。一方、Y家のお母様は、日本舞踊を長くされていた上、社交ダンスもされていますから、パーティには慣れていらっしゃいます。はるばる東京から来て下さったこの二人が、いつも応援して下さるY家の方々です。パーティが始まるまで、二条城や平安神宮を回り、京都観光をされていたようです。できれば私が、もっと京都をいろいろ案内して差し上げられたらよかったのですが、残念ながら会場の受付で集合ということになってしまいました。Cちゃんは、もっぱら食べることと、カメラマンに徹し、わたしがいくら誘っても、絶対に踊ってくれません。高校時代、陸上の選手をやっていたくらい足が強い人なのに、もったいない限りです。Y家のお母様はとても社交的な方で、どんな踊りでもこなして、とても楽しんでおられました。退院したてのお父さんも、病み上がりとは思えないハッスルぶりで、ダンスタイムは席に座っている時間が全くないほど、踊り通しでした。お母さんは、生徒さんとデモを踊り、フォーメーションもバッチリ決めて、元気いっぱいです。毎年、このパーティでしか、お会いできない面々と2次会に出かけました。東京からのお二人は、誘ったのが急過ぎたので、お休みが取れず、その日の最終の新幹線でもどられました。2次会は、もちろん唄って踊れる店です。みんな「マイ・シューズ」持参で、真ん中にフロアをしつらえたパブのようなお店に行き、夜中過ぎまで時間の経つのを忘れて踊ります。人間は、約30000日しか生きられないのだそうです。その間に、出会うことの出来る人は限られていて、しかもまた会えるかどうかもわからないのです。一年に一度、このパーティに集う皆様が、来年もお元気で、また一緒に踊れますように。京のお抹茶プリン京のお抹茶ケーキ
2005/01/24
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ダンススポーツフェスティバル in 東京2002が、千駄ケ谷の東京体育館で、2002年8月31日、9月1日の2日間開催されました。1日目は、サマー大ダンスパーティで、北条章宏先生の講習会、トライアル、デモンストレーションの間に、ダンスタイムが設けられ、2000人近いダンサーが集う、文字通り、大きなパーティでした。私たちが参加したのは2日目のJDSF公認競技会。午前9時の受付開始を前に、ラテン競技参加者達が暑い真夏の日差しを受けて、東京体育館の前に長い列を作って、開門を待っていました。この日は、6級から1級までの競技と、D級戦、C級戦、グランドシニア戦があり、1280組の競技選手が関東一円から大集結。「大会の中で一番上位級の試合に出よう」という基本方針通り、私たちはC級戦に出場することになっていました。やっと、受付を済ましてプログラムを見てビックリ。なんと、C級戦の一次予選がプログラムの一番最初で、あと30分しかありません。競技はたいてい下の方の級から始まるので、ゆっくり支度できると思っていた予想は完全にはずれました。大慌てで着替えてお化粧をして、準備体操もそこそこに、もう出番です。東京体育館は、大きな体育館です。二つに分けても、まだ大きいフロア。種目はサンバ、チャチャチャ、ルンバ、パソドブレの4種目です。慌ただしく始まってしまったせいか、気分的に舞い上がっていましたが、その時、この広い体育館に、よく透る声で私たちの背番号を呼ぶ声が聞こえました。本当にビックリしました。こんな朝早くから暑い中、応援に駆け付けて下さった大応援団Y家の方々のために、何としてもいい踊りをしよう、私たちにエンジン全開のギアが入りました。C級戦は私たちにとっては一つ上のレベルの戦いなのに、この日、決勝まで残れたのは1次予選の結果がよかったからでした。準決勝で6位が同点で2組いて、私たちがその内の1組だったのですが、1次と2次の総合得点で私たちが勝り、決勝に進めたのです。ちなみに東京新聞杯(サンライズホール)で一緒に踊って優勝したカップルは、D級戦に出場しており優勝していました。私たちも本当はそっちに出るほうが順当なのですが、なにせ怖いもの知らずで、「大会の中で一番上位級の試合に出よう」なんていってるものですからほんとうは予選落ちしてもおかしくなかったのです。6位でしたが決勝で踊れて、表彰式にも出られ、なんと賞金までもらってしまいました(2000円ですけど)。すべて、一次予選からやる気にさせてもらった応援団の皆さんのお陰でした。この大会の写真が、翌月のダンス雑誌に載りました。まだまだ「ひよこ&ひよこ使い」みたいですが、練習会の成果は確実に出てきたようです。 紅の豚1920年代のアドリア海を舞台に、大空をこよなく愛する豚の姿をした一人の賞金稼ぎの活躍を描いた宮崎駿原作、脚本、監督で贈る一大航空活劇。 関東 セット10 拳銃無宿 DVD-BOX賞金稼ぎのガンマンスティーブ・マックィーン出世作
2005/01/23
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ロンドン留学から帰って来られた先生が、そこにある「セムリー」という練習場の話をして下さいました。世界のトッププロたちが、当たり前のように集まってきて、ラテンダンスを練習しているという練習場。2002年夏、これから秋の大会シーズンが始まるという頃、教室でもこれにならって練習会をやろう、ということになりました。毎週火曜日と金曜日のレッスンが終わった夜10時から、ラテン競技選手だけが集まってひたすら踊る、というその練習会。私達は最初から参加したオリジナルメンバーでした。当時D級だった私達の他に、B級選手、C級選手のカップルが参加して、先生たちを入れて4組でした。夜10時、すべての蛍光灯は消され、薄暗いスタジオにゆっくりとしたルンバの曲がかかり、競技選手たちはそれぞれ、ベーシックやバリエーションの部分練習を始めます。ウォームアップが済むと、あみだくじでヒートが決められ、サンバ、チャチャチャ、ルンバ、パソの順に競技会のような形でヒート別に踊っていきます。この練習会の効果は絶大でした。このおかげで昇級したといっても過言ではありません。ヒート分けをすることによって、自分より上手な選手の踊りを間近で見ることが出来るし、プロの先生たちも一緒に踊って下さるので、イメージトレーニングはバッチリです。競技会でいい成績を取ると、教室に結果が貼り出されるのですが、練習会に参加していたメンバーは、名前を貼り出される常連でした。私達も、少しずつ結果が出るようになってきて、その噂を聞きつけた他の競技選手たちが、どんどん参加するようになってきました。しかし、いいことばっかりではありません。練習会が終わって家に帰ると、いつも12時を過ぎてしまい、それから洗濯、お風呂、ご飯とやっていると、寝るのが2時~3時になって、いつも寝不足です。一週間の半ばを過ぎた頃、木曜日あたりがいつも疲労のピークです。木曜日はダンスはお休み、私は合気道の日なので、大きな荷物を持って電車に乗ると、そのまま爆睡体制に入ります。終点で中距離電車に乗り換えるとまた爆睡。ある日、夢の続きのような状態で、終点で降りた私は、乗り換えホームで電車を待っていました。成田空港に向かう電車もそのホームに停まるので、スーツケースを持った人たちも何人かいました。「大きな荷物で大変そうだなあ。」はっと、夢からさめました。自分の大きな荷物がありません!私は大慌てで、エスカレータを駆けのぼり、さっき降りたホーム にもどると、今、まさに電車が出たところ。「まって~!」行き先を見ると、「回送」。私の荷物が車庫に行ってしまう。追い掛けても空しいだけなので、車掌室に飛び込みました。「すいません!今、走り去ってく、あの電車に忘れ物したんです。大きな白い.......。」大きな白いカバン、と言おうとしたとき、車掌さんの机に、それが乗っているのを見つけてしまいました。「あー、よかったー!それです、それです。」車掌さんと駅員さん達は笑いながら、「こんなでっかいもの、誰が忘れていったんだろって、いまはなしてたとこなんですよ。一応、確認のために、中、何が入ってるか言ってくれる?」「はい。合気道の道着とはかまと、帯とTシャツとタオルと.....。」「もう、いいよ。これから仕事?それじゃ、合気道もがんばって。」駅員さんが車庫入れする前の車両を見回って、網棚に残っていたこのあやしい大きなカバンをとっておいて下さったお陰で、私は遅刻せずにすみました。もう、すっかり目が覚めて、その日以来、網棚に荷物を載せていなくても、降りるときは一応チェックするようになりました。寝不足は、いけませんね。Street Car ロンドンバス 30角 写真シェイクスピア グロービーシアター チェス駒《送料無料!》英国ブリキ看板(ティンプレート)オックスフォード・ストリート
2005/01/22
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東京と千葉を結ぶJR総武線の錦糸町。この駅前の、大変アクセスのいいところに、産業会館サンライズホールがあります。百貨店の8階なので、ちょっとお昼にデパチカに行けば美味しいお弁当が買えますし、試合の合間に、お茶するなんてことも出来ちゃいます。2002年8月18日、東京新聞杯争奪、第11回墨田区アマチュア・ダンス・スポーツ大会がこのホールで開催されました。3級から5級戦、ミドルシニア戦、墨田区民限定の区民戦に出場するたくさんの選手で、会場はごった返していました。この日のメインイベントは、私たちの出場する東京新聞杯です。これは、D級以下相当戦でしたので、C級以上の人は出られません。とても暑い日でしたが、母に説得されて、カメラを持った父がやってきました。大混雑で、客席もいっぱいで、応援に駆け付けて下さった友達や大応援団の皆さん全員立ち見で、大変申し訳ない気がしました。私たちの出番はなかなかやって来ませんでした。お昼近くになって、やっと1次予選です。父はビデオを撮影しながら、待ち兼ねたように、どんどん写真を撮ってくれました。ダンスは動きが速いので、結構写真を撮るのは難しいのです。出場組数29組、種目はサンバ、ルンバ、パソドブレ。私たちは黄色い衣装で出場しました。最初からガンガン飛ばして、今日は優勝!の意気込みでした。1次予選が終わって、両親のところに行き、「どうだった?」と感想を聞くと、思ってたより激しい運動なのでビックリしたと言っていました。父が、「もうフィルム全部撮りきったから、腹減ったし、帰る。」というので、「え゛ー!」と思いました。だって、まだ1次予選終わったばかりよ。そんなのゴルフのトーナメント見に行って、第1ホールだけ見て帰るようなもんじゃないの。母はもう少し見ていたかったようですが、お腹が減るともうそのことしか考えられないのは、父も私も同じなので、気持ちは分かります。大応援団Y家の方々も、「もうお帰りになるの?」と驚かれてました。仕方がありません。父は、ゴーイング・マイ・ウェイですから。試合の方はこの後、2次予選、準決、決勝と進みました。両親が来たので張り切ってたのに、なんだか拍子抜けでしたが、他にも応援してくれている方々がいらっしゃいましたから、もちろん力は抜きませんでした。残念ながら後一歩で「東京新聞杯」には届きませんでしたが、準優勝のトロフィーを頂くことが出来ました。ここの床が硬かったのか、ひょっとしたら両親が来たので普段以上に張り切って足を高く上げたからか、とにかく原因は定かではありませんが、この日の試合で右足太ももの裏側、ハムストリングを痛めて、約3カ月間、思うように前屈が出来なくなってしまいました。しかし、9月からは、本格的な秋の競技シーズンスタート。泣き言はいってられません。この日、帰りに実家に寄っていくと、もう写真が出来ていました。結構ピンボケが多かったのですが、中に数枚、シャッターチャンスをとらえた写真があったので、この年の年賀状はこれできまり。夕飯をご馳走になったお礼に、トロフィーを置いてきました。父のゴルフコンペのカップに混じって、ダンスのトロフィーが、居間に輝きを添えました。TOMIX E231系・総武線4両増結東京新聞出版社 最新クライミング技術シナトラ 1969
2005/01/21
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東京と千葉の県境に流れる江戸川。「男はつらいよ」の寅さんで有名になった葛飾柴又の近くに、私の実家はあります。毎年夏になると、花火大会がこの川の両岸で同時開催されて、数万人の人を集める大きなイベントになります。土手には、早くから陣地取りの人達がビッシリと座り、警察が交通規制を敷いて対応に追われます。私たちはいつも土手の外側の公園で花火見物をしますが、それでもほとんど真上なので、ずっと見ていると首が疲れてきます。「ドン」という打ち上げの音は、背骨に響いて、音と同時にパッと広がる色とりどりの光の輪は、真上から迫る大きな帽子のようです。川をはさんだ両岸3個所で、次々に打ち上げられるので、飽きることはなく、ちょっと眼を南に移すと、ディズニーランドの花火も見えてお得です。風向きが変わると、火の粉どころか、花火の周りを包んでいた厚紙が、火がついたままバタバタ落ちてくるので、みんなキャーキャーいいながらよけます。当たっても大したことはないのですが、ビールを飲んでほどよく盛り上がっているところなので、楽しい余興といった感じです。2002年8月3日、いつものように、私の実家に行き、夕飯をご馳走になってから花火見物にでかけました。この時、富山のお土産を渡して、京都の両親とダンス大会に一緒に行った話をすると、特に私の母はとってもうらやましがり、自分たちともどこか行こう、といいだしました。「でも、二人ともダンス興味ないじゃない。」「そんなことないよ。私だって、マンボ踊れるよ。」と、母。「それなら、今月、この近くで競技会あるから見に来て写真撮ってくれない?」父は全然の乗り気ではありませんでした。ダンスなんてちゃんちゃらおかしくって見になんか行けるか、と心の中で言っているよう。昔は私の運動会に来て、写真いっぱい撮ってくれたのに。小学校の創立10周年記念行事として、初めて鼓笛隊が編成され、運動会で学年全員が演奏するという一大パレードが行われたとき、私は栄えある主指揮に抜擢されました。オーディションが行われ、何人かの候補がリズム感や音感のテストをされた後、審査員を務められていた音楽の先生や担任の先生達の前で、実際に指揮棒を振り、主指揮1名、副指揮2名、バトントワラー数名が選出されました。かわいい女の子は優先的にバトンだったようです。このあと、ドラムや鉄琴、大太鼓などの楽器隊のオーディションがあり、それ以外の約9割の生徒は縦笛を担当しました。主指揮の棒は結構長くて重いので、それをパレードの間中、ずっと振っているだけの腕力をつけるために、家でゴルフクラブを指揮棒にみたてて毎日振る練習をしました。運動会当日、最初で最後かもしれない、娘の一世一代の晴れ舞台。父は会社を休んで来てくれて、先頭で大きな指揮棒を振って歩く私をずっとカメラで追ってくれました。当時は「プロゴルファー」になるかもしれない金の卵だったからでしょうか。今はすっかりただの鶏になってしまったので、面白くないのかもしれません。おまけに、水着みたいな服着て、ダンスなんてやってるし。しかし、うちでは、世界の中心は母なので、母が言えば、しぶしぶ見に来てくれるかもしれません。その競技会は、花火から2週間後の「東京新聞杯」でした。男はつらいよ/柴又より愛をこめて(第36作)男はつらいよ/柴又慕情(第9作)『男はつらいよDVDパーフェクトBOX』打ち上げ花火セット(特大)
2005/01/20
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会場のメインアリーナは、とても広く、フロアを二つに分けて、競技は進行していきました。大会2日目のスタンダード・グランプリを見ようと詰めかけたお客さんで、階段状になった1階席も2階席もいっぱいでした。プログラムを見ると、ライジングスター・ラテンに出る選手は7組。また、準決勝からです。しかし今回は、サンバ、チャチャチャ、ルンバの3種目。まだ、心に余裕があります。C級以下とは思えないような大阪の選手が、このライジングスターに出場していたので、優勝は無理だなというのは最初のサンバで分かりました。このカップルは、グランプリにも出場していた学連の上級生のようでした。明らかに小学校低学年の兄妹だと思われる小さなカップルも同じフロアにいました。小学生と侮れないほど、大きな踊りをしていて、下手をすると負けそうでした。お父さんは、私たちが入場を待っているところから、その様子をビデオに撮ってくれました。お母さんは、私たちの背番号を、そのよく通る高い声で連呼し続け、おかげで、審判も思わず点を入れてくれたんじゃないかという気がします。準決勝は無事通過し、決勝戦。最初のサンバは特にミスもなく、いつも通りの踊りが出来ていました。しかし、次のチャチャチャで、突然リーダーは方向感覚が麻痺しました。きっと、極度の緊張と、他のカップルとの交錯で、自分が何やってるのか分からなくなってしまったのだと思います。最初は二人そろって、シンクロする踊りのはずのところで、トコトコ歩いて、私の右側から左側へ。「どこいくの??」次は間髪を入れずに二人でシンクロして2回転、のはずが、彼だけ2回転半!振り向いたらこっちを向いているはずの彼が、反対向いてます。「こっちこっち!」最後に男性の腕の下を女性が回るアンダーアームターンでも、何を思ったか、男性がムリムリ自分の腕の下をアンダーアームターンしてしまって、突然の手持ち無沙汰に私はあっけにとられました。その間も、お父さんのビデオはアップで回り、お母さんの連呼は続きます。何で、ここで、コメディやってんだろう。あとからこのビデオを見て二人して笑い転げてしまいました。しかし、最後のルンバは全てのマイナスを穴埋めするくらい、いい出来でした。まるで、音楽が、私たちの振り付けのためだけになっているかのように、偶然ですがピッタリと調和し、お辞儀のタイミングまでばっちりでした。私たちは、表彰台に登りました。準優勝です。やはり優勝は、大阪の学連カップル、3位は北海道のちびっ子兄妹でした。あのチャチャチャで、よく勝てたもんだと、思いましたが、両親もとても喜んでくれました。この大きな大会の成功を陰で支えて下さった、地元のたくさんの大会事務局の方々に、感謝したいと思います。競技の合間に会場を沸かせてくれた、アトラクションのスタッフの皆様、審判をして下さった先生方、そしてなにより、競技選手を応援して下さった全ての方々、どうも、ありがとうございました。400年以上の歴史を持つ富山干柿(20個入り)【クール便送料無料】富山の地ビール飲みくらべ8本セット特撰ますのすし
2005/01/19
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日本ダンススポーツ連盟(JDSF)の全日本ランキングは、毎年、「三笠宮杯」「東京インター」「IDSFオープン」、これに、北海道、東北、中部、大阪、九州で各1回ずつ行われる選手権でのポイントが加算されて決定します。この「IDSFオープン」というのは、国際ダンススポーツ連盟(IDSF)の公認戦で、世界ランキングを決定するためのポイントを獲得できる、世界規模の大会です。主にヨーロッパ各国を始め、アメリカ、アジアでも開催されて、世界のトップ・アマチュア選手が集結します。2002年7月20-21日、この世界大会が、初めて日本海側で開催されました。「ダンススポーツグランプリ in 富山」です。2日間にわたる大会には、日本のトップ選手たちはもちろん、海外からのトップ選手も参加して、大変盛大なものになりました。富山はちょっと遠いからどうしようかと迷っていた頃、京都のお父さんが、やっと退院できたから、みんなでどこか温泉でも、という話が持ち上がりました。ちょうどいい機会だから、富山の民宿でのんびりして、世界大会でも見ようか、ということになり、どうせ行くなら見るより出よう、話はトントン拍子に決まってしまいました。基本方針として、「その競技会の中の一番上の試合に出る」と息巻いていた私たちですが、両親が見に来るとなると、「せっかく来たのに、1次予選で終わりかいな。」というのも申し訳ないし、子供としてもいいところ見せたいのが人情ってもんです。大きな大会ですから、いろいろな競技が用意されていて、私たちは「ラテン・ライジングスター戦」に出場することにしました。これは、グランプリに出るほど実力はないけれど、これから上がっていきますよ、というC級以下の選手が出場する競技です。私たちはこの時、D級選手だったので、出場資格十分です。私たちの試合は第二日目の21日でしたので、20日に新幹線で京都に帰り、お父さんの車で両親と共に富山に向かいました。真夏の太陽が照りつける日本海は、青く凪いで、夏休みに入った子供たちが元気に海岸を走っていきます。会場は氷見市のふれあいスポーツセンターという、丘の上の大きな施設のメインアリーナでした。会場の下見を兼ねて様子をのぞくと、メイン競技のグランプリ・ラテンに出場すると思われる外人選手たちが、ロビーを行き来しています。この日、競技終了後、「1000人大舞踏会」が開催されることになっていました。大会事務局の方で用意していただいた宿は、競技選手でいっぱいでした。私たちは早速お風呂でのんびりして、夕食の大部屋に向かいました。富山といえば海の幸。泊まりで試合って、なんて楽しいんでしょう。夕食のテーブルでお隣になったのは、北関東の試合でよくお見かけする選手でした。小柄ですが、踊りが大きくて迫力があり、いつも、「あんな風に踊れたらいいね」と話していた方々です。私たちはよく知っていますが、そちらの方は勿論私たちのことなどご存知ありません。早速自己紹介して、いろいろ歓談するうちに、なんと、両親と同じような年齢だということで、大変驚きました。明日は、ラテンのミドルシニア戦に出場とのことでした。こんな風に、仕事とは全く関係のないところで、いろいろな方々とお知り合いになれるのはとても楽しいことです。さて、初めて両親に見せる私たちの競技ダンス。ただでさえ緊張するうちのリーダーは、ちゃんと眠れるんでしょうか。布団に入ると、静かに打ち寄せる波の音が聞こえました。かすかな磯の香りが、漂っています。しばらく波の音を聞いていると、彼の寝息が聞こえてきました。どうやら大丈夫そうです。私も、フロアで最高の踊りをしている自分をイメージしながら、いつしか夢の世界へと誘われていきました。いきいき地ビール めざめるいきいき地ビール 太閤エール【みりん干し4点セット】ビールがうまい!氷見産殻つき牡蠣(15個入り)
2005/01/18
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ハワイで現在行われているソニー・オープンin ハワイで、日本の丸山茂樹選手が大活躍をされています。プロ選手の人数が一番多いのがゴルフということですから、その中で勝ち上がっていく実力、精神力はずば抜けたものがあるのだと思います。女子ゴルフ界にも、宮里藍選手が登場して、随分話題になりました。私が最初にゴルフクラブを手にしたのは9歳のときでした。ゴルフ好きの父にくっ付いて、近くの練習場に行き、いつもファンタオレンジを買ってもらって、練習を眺めていました。「ちょっと、打ってみる?」見ているだけに飽きてきた私は、喜んで打席にたちました。父がグリップの握り方、スタンスの取り方、フォームを説明してくれて、私は思いっきりクラブを振りました。「あれ?どこに飛んだの?」遠くに張ってあるネット、その手前にたっている旗、私はキョロキョロボールの行方を探しました。「当たらなかったよ。」足下を見ると、ボールはセットしたところにのかったまま。空振りです。9歳の私にはクラブは重くて長過ぎました。今度は、9番アイアンを貸してもらって、ボールから目を離さずに、力の限り叩き付けました。「ドスッ」鈍い音がして、ボールがチョロチョロ転がっていきます。私は急いで芝生に出て行く前にボールを捕まえました。そんな始まりでしたが、その日から、父が練習場に行くときは必ず付いていくようになりました。重たいコインをガコンと投入すると、かご一杯のゴルフボールがガラガラ落ちてきます。それを二つ両手に持って、父に一つ、私に一つ。私も専用の打席を一つ用意してもらって、クラブも9番アイアンから、7番、5番、スプーン、ドライバーとだんだん打てるクラブが多くなっていきました。数ヶ月たったころには、打った球が真っすぐネットに当たるまで飛ぶようになり、練習場のおなじみさんから「うまいね。この年からやってたら、絶対プロになれるよ。」なんておだてられて、父もとってもうれしそうでした。うちにいるときも、暇さえあれば居間の絨毯の上で、パターの練習です。父はクラブをもっと飛ぶように自分で改造していました。シャフトを伸ばし、グリップを替え、ヘッドにおもりを貼って、ドライバーを「物干竿」と呼んでいました。会社でゴルフサークルを作り、その会長になって、よくコンペで優勝杯を持って帰ってきました。私と母は、コンペに関しては無関心でした。商品がゴルフ用品だったりすると、特に無関心で、それが、生活用品だったり、商品券だったりするときだけ、反応しました。今から考えると、優勝するのは結構大変ですから、父はさぞかし張り合いがなかったろうと思います。次第に身長も伸び、力もついてきた私は、ますます練習場で目立つ存在になっていきました。練習に来ていたおじさんたちも、打つ手を止めて私のスイングと球の行方を見守り、コーチをしていた父もさらに熱が入ってきました。カメラを持ってきて、スイングの連続写真を撮ってフォームを研究したり、プロにアドバイスをもらったり、このままいくと、本当にゴルフプロまっしぐらかと思われる時期がありました。人間には本当にいろいろな可能性があるのだと思います。私は中学に入ると、あれだけ熱心に取り組んでいたゴルフをあっさりやめてしまいました。その時使っていたゴルフセットは、部屋の片隅でほこりをかぶったまま。就職してゴルフにはよく誘われましたが、一度も行くことはありませんでした。余談ですが、丸山選手は同じ小学校だそうです。学年が違うので、全く交流はありませんでしたが、うちの向かいに住んでしたりょうちゃんというお兄ちゃんとは同級生で、よく一緒に遊んでいたということです。父は、いまもゴルフを楽しんでいます。父の兄弟は全員シングルプレーヤーですから、兄弟コンペは非常にレベルの高いものだそうです。いまさらとても入っていけそうもありません。何かに打ち込んで、それを極めたいと思う遺伝子を受け継いでいる私が、いま、燃えているのは社交ダンスなのです。COUGAR【クーガー】TOUR-X17点ゴルフセットバックカラー(ブラック・グレー)レディース、ゴルフクラブセット英国ダンロップ Tour Elite(キャディーバッグ付き)送料・代引き...[PSP-新品] みんなのGOLF ポータブル◆「福袋」◆
2005/01/17
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社交ダンスもそうですが、結婚するまで全く無縁だったもう一つの世界、それは落語です。テレビでたまに見かけたことがある程度で、きちんと最初から最後までお話を聞くということはありませんでした。主人は男三人兄弟の長男ですが、末の弟が落語の世界に入り、それで初めてその世界にも目が向くようになったのです。彼は、人間国宝である桂米朝一門に入門し、修行して「桂よね吉」としてデビューしました。年に一度、桂一門の若手落語家たちが東京日本橋で寄席を開きます。2002年7月14日、私たちもそれを見に行きました。「さえずり会」といいます。この日はとても暑い日で、私の母も一緒に行きました。大応援団のお母様は、夏の着物をキリっと涼しげにお召しになって、最初から前の方の席でご覧になっていました。合気道の試験のときに、剣と杖の練習をするためにお庭を貸して下さった職場の顧問も、わざわざ茨城から来て下さいました。会はとても盛況で、私たちが行った時、もう立ち席しかありませんでした。よね吉は、とてもよく稽古を積んでいて、お客さんとの駆け引きも新人とは思えないほど上手でした。特に彼はお芝居や歌舞伎が好きなので、そういった題材のお話をすると、とてもいきいきとして見えます。関東では、前座を卒業して真打になる、という制度があるようですが、関西の落語会には「真打」というのはないそうです。これも初めて知ることでした。彼の専門分野は古典落語というもので、おなじみの「いまなんどきだい」と聞いておつりをごまかす「ときそば」に代表される、音楽で行ったらクラシックです。同じ話を何度も聞いて、なんで飽きないんだろう、と思ったこともありましたが、よいクラシック音楽は何度聴いても飽きないように、古典落語も飽きることはありませんでした。また、ベルリンフィルにはベルリンフィルの音があるように、クラシック音楽は、演奏家が違うと、響きが全く違ってきます。それは、ポップスやロックや演歌でも同じことがいえて、落語も語り継がれた話を噺家がどう伝えるかによって、全く面白さが変わってきます。一番差が出るのは、「間」だと思うんです。お笑いの売れっ子の方達は、とても「間」をとるのが上手です。どんなに面白い話でも、息もつかせずしゃべりまくられると、聞いている方は疲れてしまいますよね。ダンスにも、「間」はあります。しかし、「間」とはいわずに、メリハリといったりします。スピーディな動きの後のゆったりした余韻、緊張の後の緩慢な動きが、音楽を体で奏でるダンスの醍醐味です。最近、よね吉は京都のラジオ番組に出演しているほか、日曜日の夜11時から、NHK BSで「熱中時間,忙中“趣味”あり」という番組にも出演しています。これからどんな風に成長していくのか楽しみ。ダンスも含め、芸の道は果てしなく深いですから。特選!!米朝落語全集 <永久保存版> 第三集【TOBS-1023】 =>20%OFF!《発売日:02/10/17》コミック 古典落語 全5巻 講談社コミックス(A5版)特選!!米朝落語全集 <永久保存版> 第八集【TOBS-1028】 =>20%OFF!《発売日:02/10/17》
2005/01/16
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東静岡の駅を降りると、グランシップ、その名の通り、大きな戦艦のような建物がそびえています。2002年7月7日、ここで、全日本10ダンス選手権および中部日本ダンススポーツ選手権大会が開催されました。この年、私たちは2つのことをJDSFの競技会に出るための指針にしていました。1. 出られる試合は全部出る。社交ダンスの競技会は、自己級より下の試合には出られませんが、上のクラスには何でも出ていいので、当時、D級選手だった私たちには、たくさんの選択の余地がありました。2. どうせ出るなら、その競技会で一番上の競技に出場する。例えば、ある競技会で、B級戦、C級戦、D級戦があるとしたら、どれにでも出られますが、一番上のB級戦を選ぶ、と言った具合です。スタンダードはこの頃お休みしていたので、10ダンスには出られませんが、ラテンで一番上というと、中部日本選手権です。つまり、A級戦。私たちが今まで出ている試合は全て、種目はサンバ、ルンバ、チャチャチャ、パソドブレの4種目の中から数種目が選ばれるといった形式でしたが、ラテンの種目にはもう一つ、ジャイブというのがあります。これはロックンロールに合わせて踊る、一番速いリズムのダンスですが、この種目が試合で使われるのはA 級戦だけなので、通常、みんなあまり練習していません。勿論、私たちも例外ではありませんでした。しかも、準決勝以上で初めてこの種目が入ってくるので、「私たちがA級戦の準決勝以上に入ることなんてありえないよ。」そういって、4種目の練習に力を注いできました。みなさんも、うすうす感づいておられると思いますが、その、「ありえない」ことが、起こったのです。何と、このA級戦にエントリーした強者は11組しかいませんでしたので、最初っから準決勝です!そりゃあもう、あせったのなんの。ジャイブは振り付けすらないんですから。もう一つのメインイベントは、10ダンス選手権。これは、スタンダード5種目、ラテン5種目の、計10種目の総合的な実力で日本一を決める試合でした。ここにもジャイブが入っています。私たちは予選の様子を必死に観察しました。そして、今見たジャイブの振り付けのいくつかを、二人で「あーでもない、こーでもない」と廊下の端っこで試行錯誤し、試合が始まるまでずっと練習していました。そばに陣地とりシートを敷いて、試合を観戦しながら私たちの様子を横目で見ていた選手たちの声が時々耳に入りました。「さっきからずっと跳ねてるわよ。」「元気があっていいわねえ。」違うんです!必死なんです!そして、いよいよ準決勝が始まりました。最初の4種目の間も、ジャイブのことが気になって仕方ありませんでしたが、いつもより大きなフロアでのびのび踊れて、自分たちの中では実力通りの力を出せたと思います。最後にジャイブ。軽快なロックンロールの曲がかかると、ちょっと考えていた振り付けなど、空の彼方にすっ飛んでしまいました。曲に合わせて、飛んだり跳ねたり、すっかりライブのノリです。審判にしてみたら、「なんじゃ、あれは?」という感じだったと思いますが、そんな私たちの即席デタラメジャイブにも、7人いた審判の一人が点を入れてくれました。準決勝1回踊って敗退ですが、この日は一日中踊っていた気がして、すごい充実感がありました。「人生、ありえないことなんてない。」これがこの日得た教訓です。■ムーチョ・ムーチョ・ラティーノ(ジャイブ)(ダンスビデオ)■ABBAソングズフォーダンシング(ダンス音楽CD)■ラテンミュージック 6(ダンス音楽CD)バーン・ザ・フロア【UUSD-70090】 =>20%OFF!《発売日:04/09/10》
2005/01/15
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神戸の結婚式の翌週末、2002年6月30日、ずっと楽しみにしていた、「万難を排して参上」のイベントがありました。大応援団のお母上が、パーティに誘って下さったのです。ゲストは、あこがれの「クリさま」。フラメンコ・ダンサー風に憂いに満ちた表情で、スポットライトに浮かび上がった彼は、愛の苦悩をゆっくりした身体の動きで表現していきます。曲調が激しいスパニッシュギターに変わると、二人は炎に踊るジプシーのように、フロアを駆け巡り、スカートを翻し、汗を飛ばして、情熱と愛で会場全体満たし、観客から割れんばかりの拍手を集めました。彼の名は、スラビック・クリクリビー。ウクライナ出身のダンサーです。子供の頃、「ダンスのレッスンに行ったら、自転車買ってあげる。」と、親に騙されてはじめたという社交ダンス。いまでは、世界のトップダンサーです。パートナーのカリーナも、同じウクライナ出身ですが、早くにプロに転向してアメリカに渡り、ショーダンスの世界で、その名を知られたルイ・ヴァン・アムステルと組んで活躍していました。テニスでいったら「ウィンブルドン」みたいな、ダンス界の世界三大大会の一つである「ブラックプール」。1999年のこの大会で、彼は、ジョアンナ・ルーニスと組んで、アマチュア世界4位。優勝したのは、これで3連覇を決めたイギリスのマシュー&ニコル・カトラーでしたが、決勝で、一番大きな拍手を貰っていたのは、4位だった彼らでした。翌年、プロに転向するにあたって、どういったやり取りがあったのか、興味津々ですが、ルイ・ヴァン・アムステルとパートナーを交換するのです。ウクライナ出身同士の、スラビックとカリーナは恋に落ちました。二人は、出会うべくして出会った、運命のカップルのように見えます。カリーナは子供の頃、フィギュア・スケートをやっていました。「寒いし、痛いし」で、ダンスに切り替えたそうです。長い足と、細くくびれた腰、そして、チャーミングなルックスに、スラビックは一目惚れしたのでしょうか。彼は、ハリウッド・スターのジョニー・デップにそっくりです。実際、この春、日本でも公開される「Shall we dance?」ハリウッド版に二人とも出演していますので、ご覧になってみて下さい。さて、そんなスラビック・クリクリビーの踊りを生で見させてもらって、すっかり参ってしまった私は、それから彼を「クリさま」とお呼びし、手帳の写真も「マイケル&ビアータ」から「クリさま&カリーナ」に取り替えてしまいました。ごめんね、ビアータ。さよなら、マイケル。ファンというのは薄情なものです。現在「クリさま&カリーナ」はニューヨークに住み、アメリカ代表として、ラテン世界大会決勝の常連になっています。まだ20代半ばの二人、これからの活躍が、ますます期待されます。フォトギャラリー紹介:ここで話題のダンサーの写真が、全部載っているサイトを見つけました。一番下がルイ・ヴァン・アムステル&ジョアンナ・ルーニス。下から2番目が、マイケル・ウエンティング&ビアータ。下から3番目が、クリさま&カリーナです。ご興味のある方は、こちらからどうぞ。■イノベーション・チャチャチャ編★ スラヴィック・クリクリヴィー&カリーナ・スマノフ■ イノベーション・ルンバ編 ★スラヴィック・クリクリヴィー&カリーナ・スマノフ★(ダンスビ...
2005/01/14
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結婚式は、六甲山ロープウエイが窓から臨めるホテルで行われました。バンドメンバーは、昨日遅くまで騒いでいたせいで、なんとなく疲れた感じです。しかし、彼らの正装を見るのはこれが初めてで、まるで別人のような、大人に見えました。花嫁は、純白のドレスに身を包んで、輝くばかりの美しさ。新郎は、とても誠実そうな明るい好青年でした。けっこうイケてます。いつもそうなんですが、自分の順番が来るまでビールを飲めないので、なんとなく落ち着きません。一度、ライブの前にみんなでビール飲んじゃって、演奏がめちゃくちゃになったことがあったので、それ以来、本番の前は飲まないことにしているのです。同じテーブルには、彼女が通っていたテニススクールのコーチと奥サンがいました。「デストロイだぜ。」とかいってたメンバーも、神妙にテーブルにつき、多分、昨日騒ぎすぎてエネルギー使い果たしたんだと思いますが、おかげで、式は滞りなく進行していきました。さすが、音楽教室の先生たちの演奏はすばらしいもので、この優雅な雰囲気をうちのバンドの演奏でぶちこわさないでよかった、と思いました。さて、いよいよ私の番です。短いお祝いの言葉と、バンドにとって彼女がどんなに大切な存在であるかをアピールしました。1980年代に公開された「ローズ」という映画は、伝説のブルース・シンガー、ジャニス・ジョップリンの半生を描いたもので、主演のベット・ミドラーはこの映画で絶賛されました。曲は、映画の最後に流れるもので、最近では平井堅がカバーして、コマーシャルソングに使われていたので、ご存知の方も多いかもしれません。つたない和訳ですが、どうぞお聞きください。<Rose>愛は川のようだという人がいるか弱い葦を溺れさせるから愛は刃物のようだという人がいる魂に深い傷跡を残すから愛は終わりない痛みをもたらす飢えだという人がいるでも私にとって愛は花そしてその種を植えることができるのはあなた一人心は傷つくことを恐れてダンスを習おうとしない夢は覚めることを恐れてチャンスをつかもうとしない人は手に入れることに懸命で何かを与えようともしない魂は死を恐れるあまり生きることを学ぼうともしないずっと寂しい夜が続き道がとても遠く感じられる時愛なんて幸運で、強い奴だけが手に入れられるものだと思うかもしれないでも思い出して冬の間冷たい雪のずっと下でじっと横たわっていた種は春になって太陽の愛を受け美しいバラを咲かせることを(おわり)ローズ ◆20%OFF!<DVD>ジャニス・ジョップリンの半生を描いた感動作Love Lights(CD)愛の歌を集めましたこのアルバムの16曲目にローズは入っています神戸チーズムース六甲山の牧場の牛乳をふんだんに使ったまろやかムースおいしそうでしょ? お試し下さい
2005/01/13
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神戸だと、機材運搬も準備も大変すぎる、ということで、結局、私がバンド代表で弾き語りをすることで話がまとまりました。しかし、ほかのお客さんが、ヤマハ音楽教室関連のプロばっかりですから、なんとなくやりにくい感じです。今まで友達の結婚式で、実は何度も頼まれて弾き語りをしたことがあります。いつも決まって演奏するのは、ベット・ミドラーの「ローズ」という曲です。なんでいつもこれかというと、曲が美しくて、歌詞もいい、ピアノが簡単で、英語なのでちょっとくらい歌詞間違えてもあまり気がつく人がいない、という理由です。しかし、ときどき、外人のゲストがいたりして、そのときは少し緊張します。結婚式は、2002年6月23日。たまたま京都で22日に、主人の同窓会が何年ぶりかであるというので、一緒に新幹線に乗りました。彼は、京都で降り、私はその先へ。京都より先は、滅多にいくことがないので、とても楽しみでした。新神戸の駅を降りると、別の車両から、バンド仲間たちがぞろぞろ降りてきました。彼らは、結婚式の行われるホテルに部屋をとってもらっていたので、今日はそこで一泊です。私は、挨拶とリハーサルの打ち合わせだけして、京都の実家に泊まることになっていました。ホテルのロビーで、彼女とご家族の方にお祝いを言って、打ち合わせをすませると、あとは、フリータイム。私たちは早速、三宮の街にくりだしました。なんか、合宿みたいで、みんな楽しくてしかたありません。震災から7年経った神戸は、完全に復活し、活気に満ちていました。「神戸牛だよね。」「神戸の地ビールが飲みたい。」「鉄板焼き?」「おれは何でもいいよ。」あんまり店がたくさんありすぎて、グルグル歩き疲れ、結局落ち着いたのは「お好み焼き」。「やっぱ、神戸はこれだよね。」「ネギ焼きお願いします。」「ねぎー?ネギ嫌いなんだよ」「じゃ、やきそばもたのもっか。」関西のネギは、白くて太い、あの喉に巻くタイプではありませんでした。緑で細くて上品な味。わたしは、すっかりネギ焼きのファンになりました。さんざん飲んで食べて、すっかり何しにきたのか半分わすれちゃってる私たちが、次に向かったのはカラオケです。バンドのメンバーでカラオケにいくことは滅多にないので、異常な盛り上がりを見せました。みんな、途切れることなく大合唱が続き、普段おとなしいベースのはじけた踊りには、みんな息が出来ないくらい笑いました。部屋の電話が鳴って、「時間です」の声がかかるまで、夜通しでも騒いでいたい気分でしたが、私は京都に戻らなければいけないのでした。後で聞いた話によると、かわいいキーボードをとられた男たちの、やけ酒ドンチャン騒ぎはこのあとも続いたらしく、嘘かほんとか、神戸の街にあのうたがこだましたということです。神戸~、泣いてどうなるのか~捨てられた我が身が~みじめになるだけ~(つづく)内山田洋とクール・ファイブヒット・コレクション決定盤 (CD) 神戸牛極上「焼き肉」神戸名物 そばめし
2005/01/12
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「結婚て、いったい誰と?」ちょっとだけ、「メンバーの誰か、抜け駆けしたか?」という疑念が頭をよぎりましたが、みんな同じように驚いていたので、それはなさそうでした。どうやらスキー仲間で知り合ったらしく、まだつきあって間もないのです。福引きで、結婚式の割引が当たったからというので、彼はプロポーズを切り出した、ということでした。「福引きで??結婚式の割引なんて、あんの?」「だまされてるんじゃないの?」「ほんとに、その人でいいわけ?」話を聞いていくと、どうやら福引きも本当らしく、何より彼女が、そのかれのことを「とても好き」ということなので、もう、ばあやとバンド親衛隊にできることは彼女の幸せを祝うことだけでした。みんなそれぞれ心の中で、「なんで、俺じゃないわけ?」と、思っていたに違いありません。何となく、飲み会がしんみりムードになってきました。せっかく、いい雰囲気でメンバーにとけ込んできたのに…。キーボードが加わって、レパートリーも倍増しました。「結婚しても、バンドはやめないよ。」お別れ会みたいに暗くなりつつあった雰囲気に、パッと光が差し込んだようでした。「え?そうなの?旦那さん、何もいわないかな?」彼女は、反対されても説得する自信があると、いいきりました。それより、結婚式で、バンドでなにか演奏してほしい、というので、飲み会の席は一気に盛り上がりました。「ウェエルカム・トゥ・ザ・ジャングル?」「うるさ過ぎだよ」「クリムゾンキング?」「くれーよ」「バーン(燃えろ)は?」「呪いかよ」なかなか決まりません。ところで、機材はどうすんの?場所どこ?「あのね、神戸なの。」こーベ?!!みんなまたまた、ひっくり返りました。(つづく)ガンズン・ローゼズ☆Guns'N'Roses / Greatest Hits(CD) ウェエルカム・トゥ・ザ・ジャングルは、このアルバムの1曲目クリムゾン・キングの宮殿<CD/洋楽>クリムゾン・キングの宮殿は、このアルバムの5曲目DEEPEST PURPLEThe Very Best Deep Purpleバーンは、このアルバムの9曲目
2005/01/11
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月に1回のセッションをしながら、細々と続けてきたロックバンド「Zinc Sulfide」。ついに、新しい風が吹いてきました。私の仕事の関係でおつきあいのある方と、昼食をともにした時のことです。何の気なしに音楽の話になって、彼女が、この仕事に入る前、ヤマハ音楽教室のエレクトーンのインストラクターをしていて、いまでもコンサートをお手伝いしているというのを聞きました。指を見ると、細くて長くて、その先には、きれいに切りそろえられた爪が真珠のように光っていました。でも、まさかヘビメタとかプログレはやだろうなあ、と思いながらも、ダメモトでバンドに誘ってみました。驚いたことに、彼女は興味を示してくれて、セッションに参加することになりました。メンバーにこの話をすると、みんな、大喜び。しかし、私は、別の意味でも、ちょっと心配していました。ギター、ドラム、ベースは皆、独身男性。そして、このキーボードの彼女は、かわいい、若い、独身、の3拍子そろい踏みで、オオカミの群れに子羊を放すようなことになるんじゃないか、と思ったわけです。ここで彼女を取り合って、バンド解散!のシナリオが、漠然と頭を駆け巡りました。なんとしても、私が彼女を守らねば。すっかり、ばあや状態です。いよいよ、初スタジオの日。皆、何となく普段よりテンション高めです。あらかじめ決めておいた課題曲、やはり最初から上手くはいきませんでした。クラシックを長くやっている人は、楽譜さえあれば何でも弾けますが、耳だけで音を拾って、それを再現するのは慣れてないのです。しかも、リズム帯がいて、それに合わせなければなりませんし、ギターとの絡みもあります。これは予想できていたことなので、全然気になりませんでした。それより、これで懲りて、来なくなっちゃう方が心配でした。セッションが終わって、飲み会に入ると、あまり上手く行かなくて小さくなっていた彼女に、全員が、我先に励ましの言葉を投げかけ、「いいひとぶり」をアピール。ばあやは、冷静に観察です。上手く行かなかったのは、選曲したベースが悪いんだとか、ドラムがうるさすぎて聞こえなかったとか、ギターはもっとひっこめとか、いよいよ面白いことになってきました。彼女はあまりお酒を飲まないのに、よくこの大騒ぎのノリについてきてくれました。そして、回数を追うごとに、どんどん溶け込んで、バンドに欠かせないメンバーになっていきます。何よりも感動したのは、「クリムゾンキングの宮殿」という、有名なプログレの曲のコピーを課題曲に選んだ時、彼女はフルートを持参でスタジオにやってきました。間奏部分に入っているフルートを、美しく細い指で紡ぎだし、そのアコースティックな響きに、みんなが聞き惚れました。ばあやとしては、ちょっと、ひっかかることもありました。飲み会の会計です。「遠くから来てくれてるし、2000円でいいよ。」ギターが彼女にいいました。あのさ、私も茨城から通ってたことあるんだけど、その時は何もいわなかったよ(ばあや心の声)。殺気を感じたのか、「あの、女子は2000円でいいよ。」ドラムの提案。いままで「女子だから」って優遇されたことも、一度もなかったんだけどね(またしても、ばあや心の声)。みんな彼女が大好きでした。2002年、そんな彼女の大爆弾発言。「6月に結婚するんで、みんな、結婚式に来てね。」ひっくり返りました。(つづく)クリムゾン・キングの宮殿<CD/洋楽>キング・クリムゾンポセイドンのめざめ<CD/洋楽>キング・クリムゾン真・紅伝説~21世紀のキング・クリムゾン・ガイド Vol.1 1969-1974<CD/洋楽>
2005/01/10
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朝から乾燥した冬晴れに恵まれた本日、恒例の牛久シティマラソンが行われました。以前、茨城県民だった頃、「折り返し地点に立つ」ボランティアをさせていただいたことがありました。10時半に交通規制が解除されることになっていましたが、10分前になっても、まだたくさんの人たちがその当たりを走っています。私たちは、それを横目に合気道場に向かいました。今日は、鏡開き式です。道場にはたくさんの子供たちとその親御さんたち、筑波大の合気道研究会の皆さん、そして私たちのような一般クラスの生徒が家族や友達を引き連れて大集合。一年の武運長久を祈願して、館長が「気払いの儀」を行います。来賓挨拶のあと、奉納演舞。式が滞りなく終了すると、直合(なおらい)に入ります。床の間の鏡餅を下ろし、参加者全員に暖かいお汁粉と辛み餅が振る舞われます。大学生がお運びさんをやって下さって、みんなにぎやかにお餅をいただきました。ペルー人のマルティンとリカルドもそれぞれ彼女を連れてきていました。主人もこのお汁粉を毎年とても楽しみにしています。私があんこが嫌いなので、家では絶対食べられないからでしょう。彼も東京転勤になるまでは一緒に合気道をしていましたから、久しぶりの知り合いも何人かいます。昨日、「少林サッカー」という映画をテレビでやっていました。ご覧になった方も多いかと思います。私は、この軽くておばかなノリの、熱血スポ根映画が大好きで、レンタルを含めて5回くらい見ています。少林寺は力を力で跳ね返す、剛の拳法です。この映画の主人公シンのことを好きな、饅頭屋の女の子ムイは、太極拳の名手で、こちらは、柔の拳法です。少林寺で鍛え抜かれたサッカー選手たちが、薬物で体力強化されたライバル「デビル」のパワーに圧倒された時、ムイは助っ人としてゴールキーパーに入ります。彼女は、打ち込まれた稲妻のようなパワーシュートを、その運動エネルギーをすべて回転エネルギーに変換することで防ぎます。合気道も、どちらかというと太極拳系の柔の武道です。強い力で打ちかかって行けば行くほど、その力はすべて利用され、大きな円運動となって投げ飛ばされます。受け身の取り方を知らない人だったら、これによって受けるダメージはかなりのものだと思います。スティーブン・セガールというハリウッドのアクションスターは、関西で合気道の道場に通っていました。関西弁も上手ですし、私たちの道場の館長とも知り合いとのことです。彼の主演作「沈黙の戦艦」「沈黙の要塞」「暴走特急」などで、合気道のさまざまな技が使われています。ご興味のある方は、ご覧になってみて下さい。あんまり強すぎて、あっけにとられます。さて、今日は、とりとめのない話になってしまいましたが、今年も怪我なく健康に一年が過ごせますよう、鏡開きに寄せて、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。少林サッカー デラックス版 ◆20%OFF!<DVD> [KWDV-20]沈黙の戦艦 (DVD)沈黙の陰謀≪ポニーキャニオン DVDキャンペーン(洋画・邦画)25%OFF!【...スティーヴン・セガール 沈黙の聖戦 特別版◆2005年2月25日発売◆
2005/01/09
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ジャパン・カップに出場して、もう一つ思い知ったのは、「もっと化粧うまくしなくちゃダメ!」ということでした。みんな近くで見ると、極楽鳥か歌舞伎みたいなんですが、遠くで見るととても映えて、さすが、という感じでした。それに比べたら、私は、ほとんど素顔同然です。そこで、たまたま駅前のエステを通りかかって見つけた「メイク・アップ講習会」なるものに、参加してみることにしたのです。入って聞いてみると、予約制で、自分の使っている化粧品を持参すると、それを使って、メイクアップ・アーチストさんが、お好みの化粧をしてくれるというのです。これは願ったり叶ったり。早速予約して、次の週末、ダンス用の化粧道具一式、持ってるの全部持ってでかけました。参考資料として、ダンス雑誌なんかも持っていって、「フロアで映えるラテン系美人にしてください!」気合い十分です。下地の化粧水や保湿ジェルは、もの凄くたくさんつけました。いつもの3倍くらいビショビショです。さらに、これが乾かないうちに、ベースのファンデーションを塗り、ここに、茶色のドーランを塗っていきます。というか、むしろ、毛穴に押し込んでいく感じで、押さえていきます。これが結構、時間かかりました。顔がでっかいからじゃなですよ。むらなく丁寧に置いていくからです。パウダーで押さえて、次は眉毛。「これで、顔が決まると思って、絶対に失敗しないこと」そんなこといわれてもねえ…。まぶたには薄い色から順にアイシャドーを塗っていきます。眉の下と目の内側の際には白、目に近くなっていくにつれて濃い青、そして目を縁取る黒です。これでもか、っていう感じで、さらに黒々長い付けまつげ。ここまで来た段階で、私はすでに別人でした。このアラブ人だれ?みたいなノリです。さらに鼻の両側にシャドーを入れ、ほほをキリっとみせるチーク、仕上げは、あきらかに自分の口より大きく口紅をひいて、官能的なグロスで唇キラキラ。経過時間2時間、5千円なり。ペルシャのベリーダンサーかインド映画の踊るマハラジャか、とにかく、笑っちゃうくらい別の人になっていました。このまま家に帰れないので、残念ながらすぐに落としてしまいましたが、証拠写真は残っています。主人に見せると、「すごいね!」感心してました。これは、もとがそれなりでも、化粧次第でどうとでもなる、っていう意味でしょうかね。このとおり試合で出来ればいいですが、化粧に2時間もかけてられないし、再現不能でした。しかし、少しは活かされています。シャドーの入れ方や、まつげの付け方。プロに化粧してもらうって、面白いです。男性も女性も、変身願望のある人もない人も、自分の顔で全く別の人になれます。何事も経験。一度、お試しあれ。メイクアップテキスト(舞踊&ダンス)THE STAGE MAKE-UP POWDER【舞台用メイクアップパウダー】45g舞台メイクのプロが日本人向けに開発…トミーリッチTeicolorくすみ消しプロのメイクさんが愛用しているメイク用パフ【メイクさんのパフ】【obata】
2005/01/08
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無知というのは恐ろしいものです。私たちは2002年6月、3週間連続で試合に出ました。その最後がJDC 主催のジャパン・カップ。一言でチャンピオン戦といっても、ピンからキリまであって、このジャパン・カップは限りなくピンに近い、「日本一のアマチュア選手はだれ?」という試合でした。会場は品川プリンスホテルのメインバンケットホール。豪華なホテルで、選手控え室も立派。絨毯はフカフカ、シャンデリアもキラキラ。選手もなんか、プロっぽい人たちばかり。そしてプログラムを見てビックリ。D級選手は私たちだけでした!名前を知ってるアマチュア・トップ、A級選手ばっかりです。これはまずいことになったか?外人選手もエントリーしてます。しかも全員、外人審判。エレベーターで会場に向かう途中、アマ日本代表の菅野・常磐組と一緒になりました。キャロル先生のレッスンでお会いしたことがあったので、挨拶しました。このレベルの選手になると、ウォーム・アップも迫力があります。肌の色も小麦色通り越して焦げ茶色でした。予選が始まりました。参加組数36組。私たちはすっかり舞い上がって、ダメモトの大暴れ。それが元気よく見えたのか、ちゃんと点が入りました。0点ではありません。こんなビッグな大会の審判で呼ばれてるんだから、たぶん、みんなすごい方々なんだろうなあ、とは思いましたが、実は、全員知りませんでした。マイケル・スティリアノス(イギリス)は、私たちのサンバ、ルンバ、パソにチェックを入れてくれました。ルネ・バルシ(フランス)はチャチャとルンバに、ガード・ワイゼンバーグ(ドイツ)とデビッド・リー(タイ)はチャチャ、シティチャイ・プレイヤダラ(タイ)はルンバにチェックを入れてくれました。残念ながら予選落ちでしたが、全くおよびでない選手でなくてよかったとホっとしました。この日は、プロとアマのジャパン・カップのほかに、アマのD級戦とノービス戦がありました。わたしたちは、アマD級戦に出る方が、ずっと妥当でした。しかしこの最高レベルの試合に出たことで、得ることも勿論ありました。上手い人たちの踊りには、隙がない、無駄がない、無理がない、ということが、一緒に踊ってみてよく分かったのです。外人選手は、足下がとてもきれい。美しい生け花のようでした。魚釣りをするなら、魚のいる所に行け。いい選手になりたかったら、いい選手がいっぱいいる所で踊れ、ってことでしょうか。魚釣りはやったことないですが、見てるのと実際に釣るのは大違いだろうと思います。ダンスも、テレビで上手い人の踊りを見ているのと、自分がそこに混じって一緒に踊るのとでは、インパクトが100倍違います。まだまだ課題満載。今度ジャパン・カップに出るときは、もう少しいい結果が残せるように、これからもがんばります。■2002スーパージャパンカップダンス(ラテン)(ダンスビデオ)■2002スーパージャパンカップダンス(スタンダード)(ダンスビデオ)
2005/01/07
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数日前、TBSで「サスケ」という、肉体の限界に挑戦する番組がありました。毎年毎年、このために特別な訓練をして、鍛え抜き、オリンピック代表選手をはじめとする、予選に勝ち残った100人のチャレンジャーが、第一ステージに挑みました。クリアできたのは、わずか14人。初挑戦の方も何人かいましたが、やはり第3ステージまで勝ち残ったのは、何回もこのサスケに挑んだ人が多かったように思います。私たちも、毎年行われる同じ大会に3度挑戦したことがあります。2002年6月9日は、第18回茨城県南ダンススポーツ大会。<第66話>から<第68話>でお話しした試合から2年、私たちは再び、以前住んでいた場所でのチャンピオン戦に臨みます。この年から、茨城県の選手のみ出場できるグランプリ大会が始まりました。都道府県対抗の茨城県代表選手を決める戦いです。私たちは千葉県なので、これには出られませんが、教室が茨城なので、知り合いはたくさん出ていました。延べ629組の競技選手が関東一都六県ほか、福島県からも参加し、1級戦から3級戦までの競技と、茨城県グランプリ、そして、私たちの出場するチャンピオン戦に挑みました。チャンピオン戦とは、出身県や級に関わらず、この大会で一番上手いカップルを決める競技です。この日は、すばらしい晴天に恵まれ、初夏の筑波山が美しいシルエットを見せていました。2年前までは茨城県民で、大会のお手伝いもさせていただいてましたから、事務局の中にも知り合いが何人かいました。皆さん、顔を合わせるごとに、「あら、久しぶり。がんばってね。」と、声をかけて下さり、まるで地元の試合のような心強さでした。職場の方々も応援に来て下さいました。前回のように「背番号1」をしょっている訳ではないので、とっても気楽。今回背番号1だったのは、6級戦に初めて出場したときに、私たちに賞状をくれた方でした。同じチャンピオン戦に出場です。種目は、サンバ、ルンバ、パソドブレ。この日もレモン色の衣装で試合に臨みました。決勝に残った6カップルの中に、同じ教室のSさんご夫妻もいました。Sさんはオレンジ色のコスチューム。パソドブレの振り付けが一部おんなじなので、そこだけ4人でそろって、同じことをして、まるでミカンとレモンのフォーメーションみたい。見ている方は、不思議な感じがしたと思います。競技ダンスを始めるきっかけとなったのが、年に一度行われるこの大会です。1998年の4級戦は準優勝。このときは、まだ、1級が一番上だと思っていました。2000年に、チャンピオン戦初挑戦。このときも準優勝でした。そして、2002年、ついに私たちは優勝杯を手に入れました。3度目の正直です。この試合を見に来て下さった職場の方が、是非自分たちもダンスを始めたい、とおっしゃって、ダンスの輪が少し広がったのは、とてもうれしいことでした。翌月の雑誌「ダンスビユウ」に、私たちの試合の写真が掲載されました。高校野球や大学対抗戦などは、出られる期間が短いので、必ずしも悲願達成しない場合もあるかもしれませんが、社会人競技は何年越しの挑戦が出来るので、その点は希望が持てます。合気道の心得の中に、「氷山の一角のみを自分の力と思うな」というのがありますが、まだ発掘されていない、才能というすばらしい宝の山を、掘り起こして、磨いていくことが出来るのは、なんて楽しいことでしょう。ダンスも、単なる他との上手さ比べではなく、自分の潜在能力への挑戦だと思っています。自分で限界を決めない限り、可能性は決して、ゼロにはならないのです。筋肉番付GB2~目指せ!マッスルチャンピオン~クイーン/WE ARE THE CHAMPIONS FINAL LIVE IN JAPAN(DVD)
2005/01/06
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2002年春期、JBDF北関東支部の最後の大会は、6月2日、全千葉ダンス競技大会でした。種目はチャチャチャとルンバ。私たちは、ラテンC級戦に出場しました。この日は、セレナ・レッカの黄色いドレス。髪型は1本細い三つ編みを後ろから左肩に垂らし、残りの髪をアップにしてまとめ、ドレスと同じ色の羽をつけていました。出場組数98組。いつもご指導いただいている先生が、応援に来て下さって、私たちの試合を審判の視線でビデオにとって下さいました。よく、人の立場になってものを考えろと言われますが、2階席から定点録画して気付かなかった審判の気持ちが、このビデオを見て、ちょっとわかりました。まず、チャチャチャやルンバのように移動距離の少ないダンスは、3~4組間に入ると、その後ろで踊っている選手は見えない、ということ。決勝のように、フロアに6組しかいないのであれば、どこで踊ってもよく見えますが、15組くらいで一緒に踊る予選の場合は、まず、「背番号」を審判に見せる必要があります。背の高い選手でも、あまり遠くで踊ると頭しか見えないので、1曲のルーチンの間に移動を少し入れたり、回転を入れたりして、360度、全部の審判に「背番号」を見せなければ、フルマークは望めません。衣装の色も、目立つ色の方が有利のようです。同じくらいの踊りのレベルの場合、ぱっと目の行くコスチュームの選手にチェックを入れたくなりますから。さて、私たちの結果は、2次予選敗退でした。これは、なぜでしょうか。コスチュームはとても目立っていました。審判から背番号もよく見えました。では、なぜ??ダンスがいまいちだったからです。当たり前ですが、いくらコスチュームがかっこ良くて目立っても、審判に「背番号」がよく見える位置にいても、ダンスが普通ではだめです。私たちは、先生に習ったことを使い終わったカレンダーの裏に箇条書きにして、食堂のいつも見るところに貼っています。項目はどんどん増えて、今では20項目になっています。それらは、すべてのA級選手ならクリアしているものばかり。しかし、未だにまだ出来ていない基礎的な注意点です。それらに照らし合わせて、このときの私たちに一番足りないのは、「センターの意識」です。以前にも書きましたが、私たちは「一反木綿系」のふにゃふにゃなので、全部が動いてどこが軸なのか分かりません。「よく動いて」見えるのは、体のどこかに動かないセンター(中心点)があるからです。余談ですが、このときのビデオを見直してみて、私の顔がどこかで見たことがある何かに似てるな、と思いました。結婚する前に、誕生日のプレゼントとして彼にあげた「坂本龍馬人形」でした。2頭身のその人形は、おでこ全開でキッと遠くを見つめ、刀を引っ張るとモーターが動いて、しゃべります。「くよくよしてちゃあ、あかんぜよ。」「こころは、太平洋ぜよ。」結婚して、彼と一緒に私のもとにやってきた坂本龍馬は、いつもこう言って私たちを励ましてくれるのです。 坂本龍馬
2005/01/05
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競技会でかかる音楽は、通常、その場になるまで分かりません。フィギュアスケートやシンクロナイズド・スイミングのように、自分たちで決めた曲で踊る訳ではなく、大会事務局側で、曲は用意されます。初めて聞く曲もあります。しかし、上手な選手になると、まるで、その曲のために振り付けた踊りのように、ものすごく音楽に合った表現が出来ます。普通、競技選手は、あらかじめそれぞれの種目の振り付けを決めています。どの曲がなっても、その振り付けを踊るのです。曲のブレイクやアクセントに、たまたま振りが合ったりすると、大喜び。ただ、サンバ、ルンバ、チャチャチャなど、全部種目によってリズムは決まっているので、どんな曲でも一応、合っては見えるのです。私は、音楽には絶対の自信を持っていました。長いことバンドのボーカルをやってるのですから、音が取れないなんてことは、ありえないことです。ところが、2002年5月19日の品川区長杯で、それはおこりました。準決勝の最初の種目はサンバ。8ビートで数えた時、カウント5で、私から踊り始める振り付けだったのに、曲のカウントが取れません。周りはどんどん踊り始めているのに、私は硬直して、喉がカラカラになっていきました。こんなことは、初めてです。あんまり出だしが遅れると、採点に響くので、早くでなくてはと焦るのですが、ドラムやベースの低音がよく聞き取れなかったせいで、どう聞いてもカウントがとれないのです。しびれを切らせたリーダーが、あてずっぽうに踊り始めました。仕方なく私もフォローしましたが、最後まで音に乗れませんでした。このせいだけじゃないとは思いますが、決勝には残れず、ここで敗退してしまいました。あとでビデオを見直してみると、私たちのサンバは完全に2拍外れていました。難しい曲と感じたのは、どうやら私だけではなかったらしく、競技中にもめて、男性が怒ってフロアから出て行ってしまうカップルもいました。こんなことは初めてだったので、非常にショックで、教室で先生にそのCDをお借りしました。じっくり聞いてみると、トランペットがカウント2のシンコペーションで入ってきていて、それを聞いてしまうと、ずれるということが分かりました。最初から注意してボンゴの音を聞いていれば、間違えることはありません。その曲になれるため、何回も聞きました。もう絶対、その曲がなっても大丈夫。やはり、音楽は慣れです。ときどきルンバで、カウント1と2を間違えて踊っている方がいますが、それは、踊り始めるときに2から数え始める癖がついているからではないかと思います。私たちもそうでしたが、サークルで習い始めた時、ルンバは「ツー・スリー・フォー・ワン」と数えて踊り始めるように習います。これは、カウント4と1で一つの動きをするからなんですが、ステップのはじめは2でも音楽のはじめは1です。当たり前のようですが、音楽は必ず1からカウントし始めることを心がけると、競技でもパーティでも、音を外すことがなくなります。どうしても音がとれないときは、ちょっと周りをカンニングしてみたらいかがでしょうか。テストと違って、カンニングで失格になることはありません。カンニングした相手もやっぱりリズムを間違えていたときは?テストと同じで、運が悪かったと思うしかないでしょうね。ラテンブーガル問題の曲は、このアルバムの2曲目です。ときどき競技会でかかります。興味のある方は聞いてみて下さい◆情熱のラテン決定版・CD10枚フルセット【送料無料】ダンスは音楽から!最新ダンス曲はここをクリック
2005/01/04
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今年初めての日の出を見ました。太陽が東の窓から差し込んで、部屋をオレンジ色に染め、その中に自分の陰が映し出されるのを見るのは、冬ならではの、すがすがしい感動でした。早起きしたのは、年中行事である初詣に行くためです。毎年3日に、浅草寺にお参りに行きます。10時を過ぎると交通規制が始まり、雷門の周りは通行止めになるので、いつも朝早く出て、まだ仲見世が開く前に行くことにしています。蔵前橋通りを浅草に向かうと、途中に学問の神様で有名な亀戸天神があります。今日も、合格祈願の受験生で大変なにぎわいになることでしょう。私が高校三年の時、通っていた予備校に大好きな英語の先生がいました。教え方が明快で無駄がなく、その先生のおかげで随分英語が好きになりました。先生に質問に行ったとき、「年賀状を出したいので住所を教えてください。」とお願いすると、こころよく教えてくださいました。予備校で唯一の女性の先生です。何を書いたのかよく覚えていませんが、たぶん、志望校にぜひとも合格して、どうのこうのと書いたのだと思います。先生はお返事をくださいました。「優秀な成績で試験に合格されますように」その時まで私は、合格することのみに焦点を絞っていましたので、「優秀な成績で」という響きは、とても新鮮でした。合格は当たり前、さらにその少しだけ上の「優秀な成績で合格する」という目標を示していただいたおかげで、試験までのラストスパートはとても気合いの入ったものになりました。そして、「合格」というのが、死ぬか生きるかではなく、単なる通過点にすぎないように思えて、とても気が楽になったのを覚えています。マラソンやトライアスロンのように、過酷なレースでは、単なる「完走」を目指すより、「いいタイムで」完走することをめざした練習をする方が、きっと、ゴールに到達する確率が上がるのではないでしょうか。この先生のおかげで、私は目標をほんの少し上に設定するようになりました。そうすることによって、「合格」や「完走」のような、水際ギリギリを狙うより、楽にそのラインを超えることが出来る気がするからです。受験生の皆さんにはこれからが正念場。大学に合格するかしないか、それはとても重要な要素だとは思いますが、もっと大切なのはその先の大学生活、そして卒業してからの人生です。目標をほんの少し上に設定して、その先の未来を思い描き、自分がその途上にあるのだと考えてみるのはいかがでしょうか。【Luna lazuli】彼氏にプレゼント♪幸運を運ぶラピスで勝負☆合格祈願にも! 数量限定ストラップ念願バット 合格祈願
2005/01/03
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このお正月休みは、主人の母が京都から遊びにきてくれました。父は仕事で、お正月一人では寂しいということで、29日からやってきて、東京駅についたその足で、新しくなった丸ビル、有楽町、六本木ヒルズとめぐりました。この日は雪が降っていたので、私は自宅待機。案内役は主人でした。東京に住んでても、東京タワーに上ったことない人がいるように、身近な観光地にはあまり行かないので、今回のこのお母さんの来訪は、東京を見直す、いいきかっけになりました。30日は、日本武道館に行きました。ダンスのジャパン・カップや選手権など、大きな大会が行われるこの場所に、一度来てみたかったのだそうです。この日は、藤井ふみやのコンサートがあるらしく、午後の早い時間から外にはファンの行列ができていました。日本武道館の向かいにあるのが、よくニュースで問題になる、靖国神社。大鳥居をくぐると、年末年始の参拝客を見込んで、沿道の両側にたくさんの夜店が設営されているところでした。それから向かったのは新宿高層ビル群。真っ青な空にそびえ立つ東京都庁庁舎を見上げると、信じられないほど高く飛行機が飛んでいて、それがビルに区切られた青い川を泳ぐ小さなめだかのように見えました。新宿駅から庁舎に向かう地下のプロムナードには、全く人影がなく、こんなに閑散とした都庁を見られるのは、この年末年始だけではないかと思います。私たちは住友三角ビルの52階に上り、地平線まで続く建物が、まぶしい太陽に照らされてキラキラ光るのを眺めながら、お昼をいただきました。その後は、大混雑のアメ横、そして、年末大セールの秋葉原電気街。もうこれだけ回ったら、すっかり夜になってました。真夜中過ぎに、近くの天然温泉に行って、強力な水流マッサージ。寝たのは朝の4時です。大晦日は20数年ぶりの雪。兼ねてから私の実家の近くのおそば屋さんに席を予約していたのですが、この雪で私の心は思いっきりドタキャンの方向に向いていました。電話を何度もかけて、なんとか家からでないで済む方法を模索しますが、世界の中心は私ではありません。私の母です。車が出せないので電車とバスを乗り継ぎ、泣きそうになりながら、実家にたどり着くと、両親は元気に迎えてくれました。京都のお母さんとうちの両親、主人と、私。和やかに歓談しているうちに、話の流れで私がピアノを弾くことになってしまいました。ピアノはもう何年も弾いていないので、全然無理なんですが、全員の目が私に集中して、もうどうにも逃げられず、試行錯誤の弾き語り数曲と、中途半端な「エリーゼのために」なんか弾いて、すっかり場をもり下げてしまいました。この日は、家に帰ってから、狭い部屋で、ダンスの講義が始まりました。母は、京都でダンスを教えています。「そこで体をまわしたらあかんやんか!」「もっと、左足に乗り!」ダンスになると、みんなマジです。そして、酒盛りしながら新年を迎え、主人のお誕生日も合わせて、3時までドンチャン騒いでしまいました。元日は、浅草。大混雑で、寺にたどり着くまで時間がかかりそうだったので、なんと初詣はパス。ダンスウエアの店が多い仲見世や、専門店街を4時間も歩き倒し、ようやく気に入った練習着を一着購入。夜はまた天然温泉に行って、みんなで足裏マッサージをしてもらいました。本日、第15回米朝一門会が大阪であり、弟の桂よね吉も前座として出させてもらうので、強力な「おっかけ」の母は、朝早くの新幹線で大阪に向かいました。あっという間の、滞在でしたが、こんなに充実した楽しい新年は久しぶりです。105度数テレカ(東京タワー夜景)【金森質屋出品】(未使用品)テレフォンカード 浅草 羽子板市【金森質屋出品】(未使用品)テレフォンカード 靖国神社
2005/01/02
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おなじみの皆様、そして、ランダムのかたも、ここで知り合ったのも何かのご縁。今年一年が皆様にとって、幸多き年でありますように、心よりお祈り申し上げます。本日は、主人の誕生日です。今年は、京都から主人の母を迎え、東京の実家の両親共々、年越しのそばをいただきました。20数年ぶりの大晦日の雪だそうで、雪嫌いの私にとっては、試練の年の暮れとなってしまいましたが、それはそれで、いい思い出になります。年が明ける前からおせち料理をつまみ、地ビールを飲み、ラベルのボレロで踊る西島さんのバレーを見ながら、新年を迎えました。この西島サンの弟は、現在、JBDF東部のプロラテンアメリカンの選手として活躍されていますので、社交ダンスファンの方はご存知の方も多いのではないでしょうか。さて、これからお雑煮をいただきます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2005/01/01
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