森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2015.03.16
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今日は「無所住心」を深めてみたい。

30センチ目の前に人差し指を立ててみる。普通にその指を見てみる。
指に焦点を合わせると当然指は1本に見える。
次に、その指を含んだ景色全体を「うすらぼんやり」眺めてみる。
しばらく「うすらぼんやり」眺めていると、指が2本に見えてくる。
これはもともと左右の目に見えている2つの像が、「うすらぼんやり」することで統合されずに見えている状態なのである。焦点が合っていないのである。
しかもその指の像は、よく見ると向こう側の物を透かして半透明になっていると気づく。

精神がもしこのような状態の時、不安とか恐怖、不快な感情というのは、あっても強い感覚となって意識されることはないのである。
それは、感情にともなった身体感覚が得られないから、感覚、感情は定着できないのである。

一つのことにこだわりがないので精神的に満たされており、安定しているのである。
注意や感覚が四方八方に分散して生命力にあふれている状態である。
さらに「うすらぼんやり」した状態は、是非善悪の価値判断もなく、好き嫌いもない。

元々とらわれた感情は、言葉によって確固たるものになり、さらに身体に変調をきたすのである。
逆にいうと、迷いや苦しみが棲みにくい身体状況を「うすらぼんやり」と言っているのである。

これは森田で言うところの「無所住心」の世界である。
注意、感覚、意識が分散している状態である。
分かりやすい例を出そう。
意識が右の手1か所に集中すると我々はすぐに何かを考え始めることもできる。
では次に意識を両手の手に均等に分散してみていただきたい。
その状態では理性的な思考がストップしていることに気づくだろう。

これができるようになると、注意や感覚は一点に固定されるという事はなくなる。

これは我々が森田理論で学習していることです。
我々の心が最も働くときは、「無所住心」といって注意が一点に固着、集中することなく、しかも全神経があらゆる方面に常に活動して、注意の緊張があまねくゆきわたっている状態である。
この状態にあって私たちは初めてことに触れ、物に接して、臨機応変、すぐにもっとも適切な行動でこれに対応することができる。
昆虫のように、触角がピリピリしてハラハラしている状態である。


スリにも会わず、降りる駅も間違わない。
また車を運転していて、音楽を楽しんだり、ナビを見たりしていても、車線変更も自由自在にでき、赤信号ではとまれる。
交差点では歩行者や自転車に乗った人にぶっつかるようなこともない。
このコツを体得すれば、一つの不安、恐怖、不快感、違和感等に翻弄されることはないと思われる。
森田先生が何回も説明されているとおりである。
(禅的生活 玄侑宗久 ちくま新書より一部引用 48ページから53ページ)





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Last updated  2024.06.04 09:20:34
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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