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森田学習でよく聞く言葉に、「人と比較してはならない」があります。確かに人と比較して、劣等感で苦しみ、自己嫌悪、自己否定をする人にとってはその通りだと思います。そういう人は、他人の長所、強み、得意なところ、優れた能力と、自分の短所、弱点、苦手なところ、能力的に劣るところを比較しているのではないでしょうか。よりによって自分をいじめる材料をかき集めているようなものです。相手の立場に立って、上から下目線で自分を批判、非難しているのです。そういう人は、自分よりも劣っている人を見つけると、苦しんでいる相手を格下とみなしてこき下ろしています。自分が苦しい分、相手に寄り添って力になってあげればよさそうに思いますが、相手をこき下ろすことで、心の安らぎを得ようとしてしまうのです。いずれにしても、相手と自分を比較して、上から下目線のタテの人間関係ですから、勝つか負けるか対立的な人間関係が続きます。しかし、人と比較してそれを発奮材料として活かしている人がいます。優秀営業マンで上位に入っている人は、自分よりも優秀な営業マンを意識し、口に言わなくてもライバル視して、「あいつには絶対に負けないぞ」と自分を鼓舞する材料にしています。目の前に明確な課題や目標があるので、モチベーションが高まり、生きがいを持てることになります。また、人と比較すると自分の長所、強み、得意、好きなこと、優れた能力が見えてきます。逆に自分の短所、弱点、苦手、嫌いなこと、能力的に劣るところも明確に分かります。その違いが明確に分かれば、自分の進むべき道が明確になります。神経質の性格特徴の学習をすると、神経質性格は心配性で不安にとらわれやすい面もありますが、その裏には感性が鋭く、外向的な人が見逃しやすい細かい問題点やリスクに極めて敏感に反応するという優れた特徴があります。論理的、分析力、探究心、粘り強いなどの優れた面もあります。好奇心が強い、興味や関心の幅が広い面もあります。これらに焦点を当ててさらに鍛えぬいていけば、素晴らしい人生の幕が切って下ろされることになります。人と比較してそれをプラスに活かせる人は、現実、現状、事実を素直に認めて、そこを出発点にすることができる人です。ひざを曲げて、溜めたエネルギーを上に向かって使うことができる人だと思います。そういう人にとっては、人と比べないと自分の特徴が分からないので、上に向かって飛び立つきっかけがつかめないということになります。人と比べることはデメリットばかりではなく、使い方によっては大きなメリットもあるということになります。
2025.12.03
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諏訪中央病院の名誉院長の鎌田實先生のお話です。人生は面白いこともいっぱい与えてくれるけれども、一方ではどんなに恵まれた人にも必ずどこかで苦難を与えられるんじゃないかと私は思うんです。そして、その人生が与えた苦難に対して敬意を払えるか、握手することができるかが、生きる意味になってくるのかなと思います。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2024年11月号 18ページ)この言葉には、共感、感動しました。私は対人恐怖症で随分苦しみました。今でも苦しんでいます。会社での人間関係で躓いて、胃潰瘍になりました。病気で緊急搬送されて、入院したこともありました。私の周りには、ガンや難病で闘病中の人が多いです。離婚して孤立し、経済的に困窮している人もいます。認知症になったり、生活習慣病を抱えて四苦八苦している人もいます。老々介護で生活がままならない人もいます。そんなときどうして私だけがこんな目に遭い、七転八倒しなければならないのかと、運命を呪うようになるのではないでしょうか。不平不満、愚痴の一つでも言いたくなります。親、境遇、環境、運命を否定し、人生に対して投げやりになります。現実を否定しているとますます惨めになるばかりです。自分だけではなく、周りの人にも悪影響があります。考え方を変える必要があるのではないでしょうか。鎌田實先生の言葉に対して私は次のように思います。順風満帆な人生を送ってきた人は、一見幸せな人生を送ってきたように思いますが、果たしてそうでしょうか。取り組むべき課題や目標が何もなかったということは、悩むことがないかも知れませんが、人間として成長することはできませんし、人生の喜びや楽しみも味わうことができません。苦難を受け入れて、打開策を探して立ち上がった人は、困難を乗り越えて人生の醍醐味を味わうことができるかもしれません。好むと好まざるにかかわらず、人生には苦難はつきものです。苦難を非難、否定しないで受け入れ、打開策を求めて立ち上がるしかありません。たとえその途中で力尽きたとしても、苦難に立ち向かったという事実は残ります。森田で言う「努力即幸福」というのはこのことをいうのではないでしょうか。鎌田先生の言葉は座右の銘として大事にしたいと思います。
2025.12.02
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山崎房一氏の「心がやすらぐ本」(PHP研究所)の79ページに、「小さな幸せ ほんとうの幸せ」というのがあります。この世の中には二つのタイプの人間がいます。その一つは大きな幸せの中にいながらその中の小さな不幸のみを見つめていつもブツブツ言いながら不幸せに生きている人もう一つは大きな不幸の中にいながらその中の小さな幸せだけを見つめていつも幸せに生きている人です宇野千代さんも同じようなことを言われています。幸福のかけらは幾つでもあるただ、それを見つけ出すことが上手な人と 下手な人がある山崎房一氏も宇野千代さんも、日常の生活の中で小さなことで感動できるような人になりませんかと提案されています。私もこの考え方に大賛成です。普通は大金を使い刺激的な大きな感動を追い求めていることが多いのではないでしょうか。時々カンフル剤的な興奮や楽しみや喜びを追い求めるのも人生の醍醐味の一つです。それを否定する理由はなにもありません。ここで言いたいのは、そのような興奮、楽しみ、感動を味わうだけではなく、日常生活の中でごく小さな感動や喜びを感じることができないと、人生はむなしく味気ないものになってしまうということです。日常生活の中で何か問題点や改善点はないかと注意や意識を向けていると、様々なことに気づきや発見があります。物事本位の生活の中で小さな成功体験を積み重ねることができます。そういう生活を続けていると、感覚が鋭くなって、路傍のコンクリートの割れ目から小さな可憐な花を咲かせている植物にも感動できるようになると思います。水槽の中を勢いよく泳いでいるメダカを見るとつい嬉しくなってしまう。ベランダで咲き乱れる季節の花、丹精込めた自家用野菜の生育などもかけがいのないものになってきます。
2025.12.01
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