先日薬局の前を通りかかると、次のような文言が書いてあった。
少肉多菜、少塩多酢、少糖多果、少食多嚼、少車多歩、少衣多浴、少煩多眠、少念多笑、少欲多施、少言多行である。
すべて「少」「多」という字がついている。「少」は抑制すること。
「多」積極的に推し進めていくこと。
肉食、塩辛いもの、甘いもの、飽食、乗り物に乗る、たくさん着こむこと、ストレスを抱え込むこと、しかめっ面をすること、欲望を野放しにすること、理屈ばかりいうことは行き過ぎになりやすいので普段から抑え気味にする。
反対に野菜食、酢の物、果物、粗食、歩くこと、日光をよく浴びること、よく眠ること、笑うこと、人のために役立つことをすること、実行・実践を心がけることは積極的に取り組んでいくようにする。
本来はこれらがバランスがとれていれば問題は起きないのである。
しかし、人間には好き嫌い、本能的欲望、楽をして人よりよい思いをしたいなどの気持ちがあるために、なかなかバランスが取れないのである。
バランスをとることを無視するから、生活習慣病にかかったり、精神的に不安定になるのである。
私は、「少欲知足」という言葉が好きである。欲望は放っておくと際限なく膨らんでいく。
野放しにしておくと、やがて欲望は暴走を始めて制御不能となる。
欲望が起きると多かれ少なかれ不安が発生する。その不安を活用して欲望を抑制する。
つまり、欲望と不安のバランスを上手にとりながら生活していくということである。
これは森田理論で言えば、精神拮抗作用、調和という考え方につながる。
余談だが、京都龍安寺のつくばいは、口という字を真ん中に大きくとって、その上下左右に「吾唯足知」と書いてある。4文字すべてに口という字があるので、それを利用しているのだ。
この内容も、欲望は無制限に野放しにしてはならない。
欲望と不安のバランスとるという事は大切であるということだ。
欲望は生きる上において、とても大切なものではあるが、行き過ぎると、その弊害が大きくなる。
欲望と不安の関係は、私がいつも投稿しているように、、サーカスの綱渡りのように微調整を繰り返してバランスをとる必要があるのだ。
生きるという事は、バランスを取りながら注意深く前を向いて前進していくことである。
一旦バランスを壊してしまうと、自他ともに破滅の方向に向かう。
そのことは肝に銘じておくことだ。
本能的な欲望を抑制するともう一ついいことがある。
鋭い感性が常に刺激を受けて、維持されやすいということである。
逆に言うと贅沢三昧の生活を続けていると感性がどんどん鈍化してくるということだ。
例えば、自分は霜降り肉が好きだからといって毎日食べていると、最初に食べた時の感動は味わえなくなってくる。
マグロの大トロが好きだと言って、毎日口にしていると、最初に味わった感動は薄れていく。
我々森田理論学習しているものにとっては、日々小さな気づきや感動が泉のようにこんこんと湧き出てくることはとても大切なことである。
そこにある気づき、興味、関心、発見が宝の山となるのである。それによって感情が高まっていく。
感情が高まっていけば、工夫やアイディアが浮かんでくる。
つまり、やる気や意欲が出てくるのである。
そういう積極的な生きる元気の素をいかにたくさん作り出すか。
人生は活性化していくのは、主にこの点にかかっているのである。
そういう意味からいっても、本能的な欲望は野放しにしてはならない。
普通人間は放っておくと欲望が欲望を産んで収拾がつかなくなる傾向が強い。
森田理論を学んだ人は、ぜひとも欲望と不安のバランスをとる事を信条にしてほしいものだ。
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